2 再び潜入いたしますわ
伯爵家での晩餐会が始まった。
ドミニクもすでに合流済みで、この場で簡単に伯爵に紹介した。
「君がドミニク殿かね。ザハリアーシュの導師部隊とやりあったと、アリツェ殿から伺ったが」
ムシュカ伯爵は、じろりと値踏みをするようにドミニクを見遣った。
「ええ、ムシュカ伯爵。彼らのマジックアイテムには少々手こずりましたが、どうやらまだ、本格的な訓練はされていないようでした。簡単な陽動に引っかかってくれたので、こうして、どうにか逃げ出すことに成功しております」
伯爵の視線に動じることなく、ドミニクは昨夜の状況を説明しだした。
「では、かの部隊が練度を上げる前に、叩いてしまった方がよいな……」
伯爵は少し考えこんだ後、つぶやいた。
「私もそれには同意ですね。彼らに時間を与えれば、連携の精度が上がって被害が増しますよ。まだ子供なだけあって、教え込めば呑み込みが早そうです。あまり悠長にはしていられないと思います」
ドミニクは首肯した。
伯爵はドミニクの的確な意見を耳にして、少し驚いたように見えた。「まだ若いのに、なかなか聡明な男だな」とボソッと口にしたのを、アリツェは聞き逃さなかった。
ドミニクを高く評価され、なんだかアリツェも心地が良い。
「こちらも挙兵の準備は整い、今、先遣部隊を帝都に向かわせているところだ。到着次第、まずはラディム殿下の救出を行いたい。本格的な交戦は、とにかく殿下の無事を確保してからだ。殿下という大義名分がこちらになければ、事を起こすのは難しいからな」
現状で、伯爵側は反乱軍との位置づけになる。他国との関係を考えても、皇族という錦の御旗は絶対に必要だった。
「伯爵様。でしたらわたくしたちが再度、宮殿に忍び込もうと思いますの」
本格的な開戦をしない以上、やはりラディム救出は、少数精鋭で宮殿に忍び込む以外にないとアリツェは思う。
「しかし、一度失敗しているのだろう? 大丈夫なのか?」
伯爵は頭を振った。
「昨夜は宮殿内部の状況がまったく分からない中での作戦でしたわ。ですが、エリシュカ様の情報があれば、話は別でございます。宮殿内の詳しい位置関係さえわかれば、いかようにでもできる自信がありますわ」
宮殿の見取りがわからなく、むやみやたらと歩き回ったための昨夜の失敗劇だ。宮殿内の事情をだれよりも知るエリシュカの情報があれば、まったく話は変わってくる。
「併せて、伯爵の先遣隊に宮殿外でうまい具合に陽動をしていただければ、さらに成功率が上がると思いますわ」
衛兵たちの注意を外に向けられれば、それだけ宮殿内の警戒は緩くなる。ここはぜひとも、伯爵に頑張ってもらいたい部分だった。
「フム……。悪くはない提案だな。エリシュカ、どう思う?」
満足げに伯爵は首肯し、隣に座るエリシュカに話を振った。
「殿下の救出にお役に立てるのであれば、わたくしの知っている情報は包み隠さず、すべて提供します! アリツェ様、どうか、どうか殿下を助けてください!」
ここまでおとなしく黙って話を聞いていたエリシュカは、一転、身を乗り出して、強い口調でアリツェに頼み込んだ。真剣な眼差しが、本気でラディムの身を案じているのだとよくわかる。
アリツェは「お任せくださいまし」と口にすると、力強くうなずいた。
「では、アリツェ殿とドミニク殿の案に、乗ることにしよう。先遣隊が到着次第、あなた方の泊まる宿に連絡をする。その晩に行動開始という形で、よろしいかな?」
「わかりました、よろしくお願いいたしますわ」
異論はなかったので、アリツェは同意の返事をした。
「本来は我が屋敷に滞在してもらうところなのだが、作戦実行前に我々がお互い関係しているところを、むやみやたらに周囲に知られるわけにもいくまい。すまないな」
「とんでもございませんわ。……こうして、宿代の補助もいただけましたし、ご助力に感謝いたしますわ」
確かに、作戦前に伯爵と組んでいる件を知られるのは具合が悪い。特に、ザハリアーシュ率いる導師部隊には注意が必要だった。隠密に長けた何らかのマジックアイテムを所持している可能性もある。両者の関係性がばれて、その関係性を逆手に取った罠でも張られたら、たまったものではない。伯爵との接触は最小限にすべきだと、アリツェも思う。
「代わりといってはなんだが、エリシュカをそちらの宿へ出向かせる。宮殿内の状況等、その際に詳しく聞いてほしい」
「よろしくお願いします、アリツェ様!」
伯爵に水を向けられたエリシュカは、協力できてさもうれしいとばかりにニッコリと微笑んだ。
ムシュカ伯爵家の先遣部隊が帝都に到着した。
アリツェとドミニクの泊まる宿に伯爵からの使者が訪れ、伯爵邸で最終的な作戦の詰めを行うと伝えられた。
すぐさまアリツェたちは宿を引き払うと、ムシュカ伯爵邸に向かった。
伯爵邸内には多くの兵が詰めかけており、雑然としている。伯爵家はまだ本格的な交戦は無理なため、なるべく水面下での行動を心がけていた。このため、先遣部隊も伯爵邸内に入りきる程度の規模だった。
だが、それでも三百名ほどはいた。先遣隊の時点で、プリンツ子爵家の領軍よりも数が多い。この辺りは、さすがに帝国有力貴族といったところだ。伯爵という爵位以上の実力を持っていた。辺境伯クラスの力を持っているのではないかと思われる。
ムシュカ伯爵と会見したアリツェとドミニクは、夜の作戦について話し合い、次のとおりにまとめた。
一.まず、宮殿正面でムシュカ伯爵家の先遣部隊によって陽動を行う。指揮はムシュカ伯爵が執る。
二.衛兵の注意が宮殿正面に向いたのを確認したら、裏手からアリツェとドミニクが精霊術で身を隠しつつ侵入する。侵入経路は、以前と同じ予定。
三.宮殿内では余計な場所には足を踏み入れず、一直線に地下牢へ向かう。経路はエリシュカから確認済み。
単純な作戦だったが、結局はあれこれ策を弄するよりも確実だろうと、皆同意した。
「では、日付が変わる頃合いに、私とエリシュカで陽動を始める。すぐさま、君たちは宮殿の裏手に回りたまえ」
伯爵は隣に立つエリシュカの肩をぐっと抱きながら、悠太たちに指示を送った。
エリシュカは少し震えているように見える。話を聞く限り、実戦の場に出るのは今回が初めてらしい。伯爵は、そんな娘の不安を取り除こうとしているのだろう。
「わかりましたわ。それで、侵入のタイミングですが、どうすればよいでしょうか。裏手からでは、衛兵の注意がどれほど正面側にひきつけられているのかわかりませんわ」
時間で決めての突入も、あまりうまい手段ではない。万が一陽動がうまくいかなかった場合、衛兵が宮殿内に多数残ることになり、アリツェたちが発見される危険性が高まるからだ。
「そこで、アリツェ殿の精霊術が使えないか? 遠方との連絡を取れると聞いている。使い魔のどちらかを我々の傍において、使い魔をとおして逐次状況を確認してほしいのだが、可能だろうか」
伯爵の提案に、アリツェはポンっと手を叩いた。妙案だった。
精霊使いではない伯爵に、精霊術を活用した作戦を提案されるとは、少々恥ずかしい。あとで悠太にバカにされるかもしれないと、アリツェは少し気をもんだ。
「なるほど……。では、この鳩のルゥを伯爵様の傍に置いておきます。この子は自由に空を飛べますので、万が一私がピンチに陥っても、すぐさま飛んで宮殿内に救援に入れますし、都合がよろしいかと思いますわ」
アリツェはすぐさま気持ちを切り替え、伯爵の案に同意をした。
ペスよりはルゥのほうが、伯爵の案での役割をうまくこなせそうだったので、ルゥを伯爵の傍に、ペスはアリツェとともに、との役割分担をした。
「では、その作戦で行こう。……くれぐれも、殿下をよろしく頼む」
「もちろんですわ!」
神妙に頭を下げる伯爵に、アリツェは元気よく応じた。伯爵に頼まれるまでもない、血のつながった兄を助けるのに、何の躊躇が必要だろうか。
「殿下の救出が成ったら、すぐさま全軍を連れて帝都を離れる。今はまだ、正面から帝国軍とは戦えない。いったん私の領地に引っ込み、プリンツ辺境伯との連携を図って、事を起こしたい」
ラディム救出がなれば、帝都からの即時の撤退を図る。失敗は許されない。陽動が適うのは今晩限りだ。
ラディムを助け出せなければ、アリツェたちも伯爵家も、どちらも命の危険が迫る。……身の引き締まる思いだった。
「承知いたしましたわ。お互い、ご武運を!」
アリツェは伯爵とがっちりと握手を交わした。
深夜、悠太とドミニクは、ペスを引き連れて宮殿の裏手に回った。一旦物陰にひそみ、侵入のタイミングをうかがう。
「最初の侵入経路自体は、失敗した前回と一緒だね。ちょっと、不安だなぁ」
ドミニクがポツリとこぼした。
「オーッホッホッホ! ドミニク様、弱気だなんてらしくないですわ。今回は伯爵様の陽動もありますし、何より、わたくしたちが宮殿の見取り図をしっかりと頭に叩き込んでおります。失敗するはずが、ありませんわ!」
悠太は高笑いを上げて、ドミニクの不安を吹き飛ばそうとした。
「まぁ、アリツェがそういうのなら、たぶん大丈夫なんだろな」
悠太の姿を、ドミニクは苦笑を浮かべながら見つめている。
「お任せあれ、ですわ!」
薄い胸をそらしながら、悠太はポンと胸板を叩いた。
『ご主人、そろそろ頃合いだっポ。今なら大分、正面側に衛兵がひきつけられているっポ』
そこに、念話でルゥからの報告が入った。
「ドミニク様、ルゥから連絡が入りましたわ。どうやら、侵入のタイミングが到来したようですわ」
「よしきた! お互い、頑張ろうか」
悠太とドミニクはうなずきあうと、ペスの精霊術で気配を消して、勝手口から宮殿に潜入した。
「ルゥの言うとおり、確かに衛兵の姿はないですわね。精霊術の行使の気配も見受けられませんわ。導師部隊もおそらくは、正面に回っているのでしょう。今のうちに、さっさとお兄様を救出しましょう」
悠太は慎重に周囲の様子を探ったものの、敵対する者の気配は感じなかった。ペスの鼻も、特に危険な臭いは感じていないようだ。
ゆっくりと慎重に、エリシュカに教えられた地下牢への階段へと歩を進めた。
「確か、この階段だな。地下牢へ続くのは」
ドミニクが指す先に、ぽっかりと開いた地下への階段がある。
悠太は意を決し、周囲を警戒しながら階下へと降りた。
「妙だぞ、誰もいない……」
ドミニクはきょろきょろと地下牢の周囲を見回している。
「もしかしてわたくしたちの意図をつかんで、先に別の場所に移送されたのでしょうか?」
地下牢には誰も捕らえられていなかった。ただ、ここ最近まで使われていた形跡は見受けられたので、直近までラディムがいたのは間違いないだろう。ペスからも、わずかにラディムの匂いが残っていると伝えられた。
「不味いな。ということは、ボクたち、嵌められている可能性があるよ」
ドミニクはクシャっと顔をゆがめた。
このタイミングでのラディムの移送……。どう考えても、先日の悠太たちの侵入を受けての措置だろう。いずれ、再びラディム奪還にくると見込んでの。
であれば、この地下牢に何らかの罠が仕掛けられていたとしても、不思議はなかった。
「とりあえず、ここに留まるのは悪手ですわ。いったん、台所まで戻りましょう」
触らぬ神に祟りなし、そんな言葉が悠太の脳裏に浮かんだ。下手に地下牢を探り、何らかの罠が発動されると大変だ。ここはさっさと引き返すべきだった。
台所まで戻った悠太たちは、今後の方針を考え、頭を抱えた。
「さて困ったぞ。伯爵の陽動もそれほど長く持つとは思えないし、急がないといけない」
気ばかりが急く。
「ですが、お兄様の居場所がさっぱりですわね」
悠太はエリシュカから預かった簡易の宮殿見取り図を開いて、何かヒントはないかと考え込んだ。地下牢に捕らえられているとの情報以外、ラディムの現状についてはまったく分かっていなかった。その地下牢にいない以上、いったいどこを探せばよいのだろうか。
悠太はそこでふと、かつて子爵邸に捕らえられた時を思い出した。
「……エリシュカ様からいただいた見取り図を確認しているのですが、二階のお兄様の自室を調べてみませんか?」
「自室に軟禁かい? どうだろう……」
悠太の提案に、ドミニクは渋面を浮かべた。
「大した根拠があるわけではございませんの。でも、わたくしがかつて逃走の末に子爵に捕らえられた時、わたくしの自室に軟禁されましたわ。ですので、もしかしたらお兄様も、と」
可能性は薄いかもしれない。しかし、ほかに思いつく場所もなかった。
「まぁ、ほかに手がかりもないし、アリツェの言うとおりにしてみよう」
ドミニクも妙案が浮かばなかったのか、悠太の意見に賛同をした。