1 伯爵家と接触いたしますわ
ルゥの力を借り、悠太たちは皇宮から無事に脱出した。
いったんスラム街の近くに降り立ち、再度ペスに風の精霊術を施して、気配を消す。深夜ということもあり、街はしんと静まり返っていた。わずかな物音も周囲に響き渡るため、用心に用心を重ねたほうがいいと悠太は判断した。
「どういたしましょう。このまま宿に戻りましょうか?」
悠太は小声で、隣を歩くドミニクに話しかけた。
「そうだね。見つかった以上は、皇宮内はいつも以上に警戒されるだろう。しばらくはおとなしくした方がいいかもしれない」
翌晩に再挑戦をしたところで、地下牢への階段の場所もわかっていない状況では、今日同様に敵に見つけられるのがオチだろう。少し冷却期間を置くべきだった。
「しかし困りましたわね。結局、地下牢の場所はわからずじまい。しかも、相手に精霊術を行使してくる部隊までいる。正直なところを言いますと、わたくしたちだけでの救出は、不可能なのではないかと思い始めていますわ……」
二人でこっそりと動き回り目的の場所を探し出すには、宮殿内はあまりにも広すぎた。しかも、精霊術によるカモフラージュが効きにくい導師部隊が巡回までしている。これでは、何度挑戦したところで、作戦を成功させるのは難しい気がした。
「確かに、アリツェの精霊術頼みな部分はあったからね。その精霊術が生かせないとなっては、ちょっとマズいな」
ドミニクは顔をしかめ、隠密行動ではあまり力になれないと、悔しさをあらわにしていた。
「フェルディナント叔父様の進軍を待った方がよいのでしょうか……。ただ、あまり時間がありませんわ。万が一、辺境伯軍が間に合わなかったら……」
悠太は生唾をゴクリと飲み込んだ。嫌な想像をした。
「やはり、帝国内で協力者を探し出すしかないなぁ。どうにかムシュカ伯爵と、渡りをつけられないものか……」
現状でラディムの明確な味方といえるのは、ムシュカ伯爵家だけだった。だが、今、伯爵は領軍編成のために領地に戻っている。八方塞がりだった。
「とにかく、こうしていても仕方がないですわ。いったん宿に戻りましょう」
久しぶりに飛行の精霊術を使ったため、悠太の霊素はすでに限界に近かった。ベッドでゆっくりと休息を取らないと、翌日の行動に支障が出そうだった。
悠太の疲労の濃さに気づいたようで、ドミニクはうなずいた。
翌日、アリツェたちは再び情報収集を始めた。
新たに使い魔に加わったルゥに、上空から皇宮内に動きがないかを見張ってもらった。何らかの異常な動きがあれば、すぐにアリツェに報告が入る手はずになっている。
「今のところ、昨晩私たちが起こした騒ぎについて、街中に情報が流れている様子はありませんわね」
市中は平穏そのものだった。宮殿に族が侵入したといったうわさ話も、一切聞こえてこない。ラディムの処刑までは、市民に不安が広がらないようきっちりと情報統制をしているのだろうか。
『ご主人、ちょっといいですかワンッ』
突然ペスが立ち止まり、鼻をクンクンと鳴らし始めた。
「ペス、どうしましたか? 何か見つけましたの?」
使い魔であるペスの嗅覚は、通常の犬以上だ。かなり頼りになる。
『なんだか懐かしいにおいを感じるワンッ。ご主人の片割れの匂いに似ているワンッ』
「片割れ……と言いますと、お兄様?」
ラディムの匂いがする……。いったいどういう事態だろうか。まさか、ラディム自身で牢を抜け出してきた?
『こっちですワンッ』
ペスはアリツェのスカートの裾を咥えて、引っ張り出した。
「あ、お待ちになってくださいまし」
アリツェはペスに引かれるまま、後をついていった。
路地を曲がろうとしたところで、ペスは咥えていたアリツェのスカートの裾を離すと、一気に奥へと駆けて行った。
「きゃっ、何々、どうしたの!?」
路地の奥から、女性の声が響いた。
何事だと、アリツェは慌てて路地を曲がった。
「可愛いワンちゃんですね。どうしたのかな? 飼い主さんとはぐれたのかしら?」
アリツェよりも少し年上に見える、きれいな身なりの女性が、まとわりつくペスの頭をなでていた。
『ご主人、この女の人から匂うワンッ!』
どうやら、ペスは目の前の女性から、ラディムと同種の匂いを感じ取ったようだ。いったい何者だろうか、この女性は。
「あ、あの、申し訳ございません。うちのペスが」
少し警戒心を持ちつつ、アリツェは女性に話しかけた。
「あら、あなたの飼い犬ですか?」
女性はアリツェにニコリと微笑んだ。
アリツェは女性の顔を見て目をむいた。あまりにも美しかったからだ。浮かべた笑みが、美貌をより一層際立たせている。
(きれいな人ですわ……。いったい何者なのでしょうか)
「はい。……あの、ぶしつけで大変申し訳ないのですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか。わたくしのペスが懐くなんて、大変珍しいのですわ」
非常に興味を引かれる女性だった。ラディムの匂いを纏わせる絶世の美女……。いったい、ラディムとどんな関係があるのか。
「この子、ペスというのですか。いいお名前ですね。……私は、エリシュカと言います」
ひとしきりペスの頭をなでると、エリシュカと名乗る女性はアリツェに向き直り、ちょこんと頭を下げた。
「本当に、うちのペスが申し訳ございませんわ。どこかのお貴族様のご令嬢とお見受けいたしますけれど、ドレスに汚れなど付きませんでしたか?」
服装を見る限り、上級貴族の娘なのは間違いなさそうだった。汚れ一つない真っ白なドレスに、色とりどりの細やかな刺繍が施されたピナフォアを合わせている。身につけているネックレスや髪留めも、大分質の良いものに見えた。
「いえ、大丈夫ですよ。……それに、実家がすぐそこですから」
エリシュカが指し示す方向に、大きな屋敷が見える。……ムシュカ伯爵邸だ。
「もしかして、ムシュカ伯爵家のご令嬢でございますの?」
まさかこんな場所で、探していた伯爵家の関係者に出会うとは。運が良いと言わざるを得なかった。
「ええ、三女のエリシュカ・ムシュコヴァです。いったん領地に帰っていたのですが、昨晩、帝都に戻ってきたばかりなんです」
何たる偶然。ちょうど帝都に戻ってきたところに出くわすとは。しかも、一番ラディムに近かった、ラディム付きの侍女をしていた三女に。
「ああ、なんという僥倖なんでしょうか」
アリツェはいつもの癖で、首から下げた精霊王のペンダントを掲げ、天に祈った。
「わたくし、あなたを探しておりましたの。わたくしはフェイシア王国マルティン・プリンツ子爵が一子、アリツェ・プリンツォヴァと申しますわ。……ただ、これは表向きですの。実はわたくし、カレル・プリンツ前辺境伯とユリナ・ギーゼブレヒト皇女との実子で、ラディム第一皇子とは双子の兄妹にあたりますわ」
すんなりと協力が得られるよう、アリツェは変に情報を隠さずに、ありのままを伝えた。
「殿下の……妹君!?」
エリシュカは驚愕の表情を浮かべた。
「あなたがお兄様の付きの侍女をなさっていらっしゃったのは、フェルディナント・プリンツ辺境伯の放った伝令から伺っておりますわ。伝令は、あなたの御父上と接触されていたと聞いております」
アリツェは早馬で駆けて、ラディムの処刑の件を報告した騎士の姿を思い出した。
「ええ、ええ、確かに。プリンツ辺境伯の伝令の騎士へ、供に兵を挙げ、帝国軍を挟み撃ちにしようとわが父が提案した場面に、私も居合わせていましたから」
エリシュカはコクコクと首肯した。
「ここではなんです。我が館にご案内します。父も歓迎するでしょう……」
そう言って、エリシュカはアリツェとペスを伯爵邸へと先導しようとした。
「でしたら、今、手分けして情報収集に回っている連れが一人おりますわ。呼んできてもよろしいでしょうか?」
重要な話し合いになる。ドミニクも同席しなければだめだろうとアリツェは思った。
『ルゥ、ドミニク様をお探しになって。そして、ムシュカ伯爵邸に向かうよう誘導をお願いいたしますわ』
アリツェは念話で、上空を回っているルゥに素早く支持を送る。
『了解だっポ』
ルゥからの返事が帰ってきた。これで、伯爵邸でドミニクと落ち合えるだろう。
「わたくしの使い魔に指示を送りました。一人、ドミニクという名のわたくしより少し年上の男性が、伯爵邸を訪ねてくると思いますわ。わたくしの連れですので、中に入れていただけると助かりますわ」
「わかりました。そのように門番には指示を出しておきますね」
エリシュカはうなずきながら、「これが精霊術ですか……」と呟いた。
エリシュカに案内され、アリツェとペスはムシュカ伯爵邸に足を踏み入れた。
玄関でペスとは別れ、ペスはそのまま玄関わきに座り込んだ。
「お父様。エリシュカ、戻りました」
エリシュカは奥に向かって声をかけると、すぐに一人の壮年の男性が現れた。
「おお、エリシュカ。……して、そちらのお嬢さんは、どうしたのだ?」
現れた男性、ムシュカ伯爵は、エリシュカの頭を撫でて帰還を喜んだが、すぐに、脇に立つアリツェの存在に気が付いた。
「お父様、朗報です。実はこちらのお方は……」
エリシュカはアリツェについて伯爵に説明を始めた。
フェイシア王国の子爵の娘だが、実はカレル・プリンツ前辺境伯とユリナ・ギーゼブレヒト皇女との実子で、ラディムの双子の妹にあたる、と。
「なんと、ラディム殿下の双子の妹君とは……」
ラディムが双子だという情報は、それこそ皇帝すらも知らない。プリンツ辺境伯家内での秘密であった。なので、伯爵の驚き様は相当なものだった。
「しかも、殿下同様魔術の――ええと、精霊術でしたね、使い手なんです」
エリシュカは微笑み、「すごいんですよ、遠くの使い魔と連絡を取り合っているのを、私見ました!」と伯爵に早口で語っている。
「それは何とも、心強いではないか。ザハリアーシュの導師部隊をどうするか悩んでおったのだが、突破口が見いだせるやもしれんな」
伯爵は腕を組みながら、うんうんとうなずいた。
「実は昨夜、宮殿に忍び込み、件の導師部隊と交戦いたしましたわ」
導師部隊の話が出たので、アリツェは接触した事実を伝えた。
「なんだって!? また随分と無茶をなさる」
再び驚きの声を伯爵は上げた。
アリツェの精霊術をよく知らない人間から見れば、まさか十三歳の少女が宮殿に忍び込もうだなどとは、思いもしないだろう。
「直接戦ったのはわたくしの連れのドミニク様なので、詳しいお話はドミニク様が到着してからにいたしましょう」
アリツェも、囲みを突破した後のドミニクと導師部隊とのやり取りはわからない。詳細はドミニクに語ってもらうのが一番だと、アリツェは思った。
「そうか、わかった。……では、今晩はアリツェ殿とお連れの方を、ささやかではあるが我が家の晩餐に招待いたしましょう。その場でゆっくりと、お話をお聞かせください」
「わかりましたわ。ご招待、謹んでお受けいたしますわ」
せっかくの好意だ。素直に受け止めて、アリツェは礼をした。