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4 初めて見る魔獣と辺境伯領

 ラディムたち親征軍は、順調に国境地帯付近まで進軍した。


 バイアー帝国とプリンツ辺境伯領との境界周辺には、広大な森が広がっている。遠征軍は、その森の中を貫いて走る街道に沿って進んでいた。さすがに帝国領土内で辺境伯軍と鉢合わせするような事態は起こらなかった。だが、国境を越えてからは、そうもいかないだろう。


 皇帝の親征軍が動き出せば、プリンツ辺境伯も事態に気づくはずだ。無策でいるはずがない。


 人数は帝国軍側が圧倒している。いくらプリンツ辺境伯家が長きにわたり国境防衛任務についてきた武の家とはいえ、帝国側の本気の攻勢を防ぎきれるだけの軍勢を整えきれるとは思えなかった。帝国軍有利な状況は、誰の目にも明らかだった。


「嵐の前の静けさってところかな……」


 馬車の中で揺られながら、ラディムは周囲の森の景色を見回した。異常はない。行軍の音以外には何も聞こえない。


 ここまでは退屈な旅だったので、ラディムはミアを連れてきて本当に良かったと思っていた。ミアとの戯れで時間を潰せたからだ。同行者も、ほほえましげな表情でラディムとミアを見つめていた。周囲には子供と子猫がじゃれているようにしか見えていないのだろう。


 と、そんなとき不意に、軍列の先方で騎士たちの大きな怒声が響いた。


 馬車が慌てて止められ、ラディムはその衝撃で大きくしりもちをつく。


「痛ててて……。なんだなんだ、どうしたのだ?」


 尻をさすりながら、ラディムは御者に確認した。


「そ、それが……。前方でものすごい土煙が上がっています。何か、戦闘でも起こっているのでしょうか、殿下」


 御者が前方を指さし、不安げな声を上げた。


 ラディムが示された先を見遣ると、確かに戦闘中らしき大きな土ぼこりが上がっていた。


「何事だ!? まだ国境を超えていないのに、辺境伯軍に鉢合わせをしたか?」


 ただ、それにしてはおかしい。剣戟の音がしない。


 すると、前方から一人の騎士がラディムの乗る馬車へ向かって走ってきた。


「ラディム殿下! いらっしゃいますか!」


「呼んだか? いったい何事だ?」


 血相を変えて馬車の前に飛び出してきた騎士に、ラディムは見覚えがあった。よく騎士団の詰所で模擬戦をした、入団して間もない若い騎士だ。


「へ、陛下がお呼びです! 前方で、何やら魔獣らしきものが暴れているので、殿下のお力が必要だと」


 息を切らせながら、騎士はラディムに告げた。


 どうやら、魔獣が街道に現れ、足止めを食っているようだ。もしかしたら、先日通りがかった村の村長が話していた個体だろうか。


 この大編成での遠征軍なら、ラディムが出るまでもないと思う。だが、わざわざ呼びつけるということは、騎士団のみでは被害が大きくなりそうなほどの、よほど強力な魔獣が現れたのか。


「わかった、すぐ行く。案内してくれ」







 騎士に連れられ、ベルナルドの乗る馬車の前まで来た。


 ベルナルドはパレードの際に栗毛の馬へ騎乗していたが、通常移動時はさすがに馬車に乗っていた。愛馬は侍従が引いている。


「陛下! ラディム、参りました」


 ラディムが馬車へ声をかけると、中からベルナルドが出てきた。


「わざわざ悪いな。状況は薄々わかっているかと思うが、魔獣が街道に立ちふさがっている。今まで見た中でも最大サイズで、正直なところ、まともにぶつかってはこちらの被害もかなりのものになりそうなのだ」


 ベルナルドの説明では、これまで帝国で出没が確認されたどの魔獣よりも巨大で、かつ凶暴だそうだ。熊の異常進化系だと思われ、身体能力がかなり高く、騎士も簡単には近づけないらしい。


「そこで、お前の魔術でどうにかならないかと思って、声をかけた」


 魔術で遠距離からどうにかしろ、という話だろうか。


「魔獣は物理的な攻撃に強いですから、騎士だけではつらいでしょう」


 魔獣は皮膚が『霊素』で強化されている。生半可な物理攻撃ははじき返すのだ。たとえ騎士が接近できたとしても、なかなか効果的なダメージは与えられないはずだ。それこそ、数に任せて四方八方から攻撃し続けて、微小ダメージを何とか蓄積させていくしかない。


「わかりました、用意してきたマジックアイテムでどうにかしてみます。うまく弱らせたら、とどめは任せましたよ?」


 だが、魔術なら物理攻撃よりは効果的だ。『生命力』の力と『霊素』の力は、本来同質のもの。生命力による攻撃であれば、霊素の影響をそれほど受けずに相手に届かせることができる。


 だが、今のラディムの魔術の力量では、まとわりついている霊素の一部に裂け目を生じさせることはできても、魔獣自身を殺しきるまではできない。持っている火の魔術による爆薬の威力は、そこまで高くはない。


 ラディムの爆薬で霊素を剥がしたところに、騎士たちの剣や槍での攻撃で致命傷を与える。これが現状採れる最善策だとラディムは考えた。


「私の魔術で魔獣の皮膚にまとわりついている霊素を剥がします。騎士たちにはその隙に攻撃をするよう指示を与えてください」


 ラディムの作戦にベルナルドは頷き、すぐさま指揮官へ指示を飛ばした。


 ラディムはいったんベルナルドの馬車から離れ、爆薬を投擲しやすい場所を探した。







「ここで、タイミングをうかがうとするか」


 ラディムは、魔獣とそれに対峙する騎士団の様子がよく見える、街道脇の木の上に登った。戦闘区域からは五十メートルほど離れている。この距離であれば、用意したスリングショットで爆薬を込めた小石を当てられる。


「ある程度練習はしてきたものの、命中率低いんだよなぁ」


 爆薬に小石を使っている点を生かそうとスリングショットを練習してきたが、周囲の騎士からは笑われる程度の腕前だ。今回は霊素剥がしが主目的なので、物理的な威力自体は大したことがない。なので、万が一、騎士の一団に誤射しても危機的な状況になることはない。だが、心情としては外したくない。きちんと役に立てる導師だと周囲に認識させるためにも、ここはきれいに一発で事を成し遂げるべきだった。


 巨木の幹ほどはあろうかという太い腕を、魔獣は振り回している。騎士たちはどうにかかわしているが、中には運悪く振り回された腕がかすり、衝撃で後方に弾き飛ばされている者もいた。致命傷には陥っていないようだが、このままでは戦闘不能になる者が増える。辺境伯領に入る前に戦力がかなり落ちる事態が予期できた。


「はやくなんとかしないとまずいな。侵攻作戦に支障が出る」


 ラディムはスリングショットに爆薬を込め、引き絞って狙いを定める。狙う瞬間は、魔獣と騎士たちが十分に離れた時だ。


 狙いをつける目を魔獣に固定し、じりじりと待ちながらタイミングを見計らう。


「よし、今だ!」


 魔獣の大振りに振り回された腕が騎士たちにかわされ、魔獣がバランスを崩した瞬間をラディムは逃さなかった。


 ラディムの手から放たれた爆薬は、勢いをもって一直線に魔獣の頭部へと飛んでいった。


 運よく狙いどおりに爆薬が魔獣の頭に当たる。と、その瞬間、爆音が鳴り響き、もうもうと煙が上がった。


「うまくいったな。これで霊素の剥がれた頭部を集中攻撃すれば、さすがに魔獣もひとたまりもないだろう」


 ラディムはニヤリと笑った。仕事が済んだとばかりに、木から降りてベルナルドの元へと向かった。







「いや、見事だったぞ、ラディム」


 ベルナルドは満面の笑みでラディムを迎えた。


「祝着至極に存じます……」


 ラディムはかしこまり、ベルナルドのねぎらいの言葉を受け取る。


 ベルナルドはしっかりとラディムの魔術による攻撃を見ていたようだ。爆薬の効果を賞賛した。


「おかげで死者を出すことなく魔獣を退治できた。作戦に参加ができないほどのダメージを負った者も、どうにか片手で足りる程度で収まっている。お前がいなかったら、間違いなく死者二桁は出ていただろうから、本当にお手柄だ」


 ラディムの頭を軽くポンポンっと叩きながら、ベルナルドは微笑した。


「もったいないお言葉です……」


 ベルナルドにこうも褒められれば、こそばゆく感じる。


 初の実戦だったので、果たしてうまくいくだろうかという漠然とした不安があった。だが、その不安も、ベルナルドからの言葉できれいに霧散した。役に立てたのだとラディムは実感できた。


「しかし……、私も報告で聞いてはいたが、実際に見てみると、感じ方が違うな。騎士団の駐屯していない農村などでは、お前のような導師がいなければ、魔獣に対抗するすべはないぞ」


 微笑一転、ベルナルドは顔をしかめた。


 ベルナルドの言葉どおり、このまま魔獣を放置していては農村などに深刻な被害が及びかねない。先日の村ではまだ人的被害が出ていないと言っていたが、いずれは人命にも影響が出てくるだろう。今後の帝国における辺境政策の、大きな悩みの種になりそうだった。


 ラディムは思う。この戦争が終わったら、魔獣への対抗策として、世界再生教内で魔術を使えるものを早急に育成し、地方に派遣させるべきだと。


「私も魔獣は初めて見ましたが、痛感しました。やはり精霊は邪悪だと。このような凶悪な生物を生み出す霊素や精霊が、正しいはずがありません」


 いずれは根本を断ち切らなければ、魔獣被害が止むことはない。根本……精霊の根絶だ。そのためにも、精霊を崇める精霊教をどうにかしなければいけない。


「まったくだ。今回の件で、この世界から精霊教を一刻も早く駆逐しなければならないと、決意を新たにしたぞ」


 ベルナルドの言葉に、ラディムも全く同感だった。







 魔獣を討伐したのちは、順調な行軍が続いた。


 辺境伯領に入ったが、領軍の姿はまだ見えない。戦力差を考慮して、領都オーミュッツに立てこもる作戦を取ったのだろうか。そのまま何ごともなく、日が暮れる前には国境の街にたどり着いた。


 街を預かる代官は、抵抗することなく帝国軍の首脳陣を街に入れた。無血開城だ。あらかじめ、辺境伯から抵抗をしなくてもよいと言われていたのだろう。戦うそぶりは一切見せなかった。


 代官の詰める役所で降伏文書の調印を済ませると、騎士団に街の外へ陣を張るようベルナルドは指示し、そのまま数名の副官とラディムを連れて街の様子の確認に出た。


 ラディムは街のメインストリートに立ち、周囲を見回した。もうじき夕食時を迎えるとあって、買い物客でにぎわっている。帝国軍が街のすぐ外で陣を張っているにもかかわらず、街の人たちの生活は平穏そのものに見えた。


「戦争中の、しかも敵国に占領中の街とは思えない……」


「確かに、ラディムの言うとおりだな。どういったわけだ?」


 誰に聞かせるともなく漏らしたラディムの言葉に、ベルナルドが頷いた。


 邪教の支配する街にはとても見えない。さすがに戦争中とあって、不安げな顔を浮かべている者も多いが、表面上はいたってのどかな田舎町の風景だった。


「ラディム、私たちは先に宿に戻るが、お前はどうする?」


 ラディムはもう少し街の様子を知りたかったので、ベルナルドに別行動をとると伝えた。


「お前の実力ならめったなことにはならないだろうが、くれぐれも気をつけろ。では先に宿に行っている」


 ベルナルドは副官を引き連れて、今日確保した宿へと向かった。ラディムはその姿を見送ると、再びメイン通りの露店へ目を向ける。


(帝国の臣民と何ら変わらないように見える。皆、邪教の信者のはずなのに……)


「よっ、お坊ちゃん! 見かけない顔だね。どうだい、一つ買っていかないか?」


 街の様子に戸惑いながらぼんやりと歩いていると、ふいに声をかけられた。


 声は傍の露店主からだった。トゥルデニークと呼ばれるお菓子の屋台だ。


 トゥルデニークは、薄く伸ばした小麦粉の生地を筒に巻いて焼き上げた、中空の棒状のお菓子だ。ここの露店のものは、表面上にナッツと粉砂糖をまぶしてある。大陸中央の伝統的菓子で、ラディムも好物だった。


「いい匂いだ……。うん、一つもらおうか」


「まいどありっ!」


 店主からトゥルデニークを受け取ると、ラディムは大口を開けてひとくちほおばった。ナッツの歯ごたえがたまらなく心地よい。粉砂糖の甘い香りも口いっぱいに広がり、思わずラディムは頬を緩めた。


「あんた、もしかして、外の帝国軍の人間かい?」


 訝しげな顔を浮かべ店主が尋ねた。


 ラディムはどう答えようか迷った。正直に話して騒ぎになるのも不本意だ。だが、今この街にいるよそ者など、帝国軍関係者以外はあり得ないだろう。


「ああ、そんなに身構えなくてもいいよ。別に取って食おうってわけじゃない」


 少し大げさにぶんぶんと店主は両手を振った。


「あんたたちが退治してくれたんだってな? 国境の魔獣を」


「そうだが、なぜ知っているんだ?」


 店主はニッと笑いかけてくるが、疑問に思ったラディムは首をひねった。


 魔獣退治の場面を辺境伯領の領兵に見られていたのだろうか。ラディムはあの場で、帝国軍以外の気配には気づかなかったが。


「そりゃ知っているさ。ここ二年ばかり、あの魔獣のせいでこの街は大分ひどい目にあわされてきたからなぁ。で、常に警戒をしていたわけだよ、国境の森を」


 店主の話では、街の警備兵が国境周辺まで定期的に巡回に行っていたらしい。


「で、先日も魔獣の出没の報を聞いた警備兵が現場に駆けつけてみれば、帝国軍が魔獣にとどめを刺すところだったっていうじゃないか」


 やはり現場を見られていた。傍まで来ていたのが少数の警備兵のみだったのだろう、ラディムは存在に気がつかなかった。


「我が領軍でも敵わなかったあの魔獣を倒しちまうなんて、帝国軍はすげえなって話になっててな」


 敵国の軍隊なのに、なぜだか褒めちぎる店主。意味が分からず、ラディムは怪訝な顔をした。


「しかも、その帝国軍の中には、あのカレル様の忘れ形見がいらっしゃるっていうじゃないか。オレたち街のもんは、みな興奮しっぱなしさ」


 思いがけない方向に話が進み始め、ラディムはぎょっとした。


 店主の話すカレルの忘れ形見、どう考えてもラディムのことだ。いったいなぜ、そんな話が出回っているのだろうか。


(辺境伯家が流したのか? だが、どんな理由で?)


 辺境伯家としては、身内が帝国の皇族になっていては外聞が悪いのではないだろうか。そもそも、この件は前辺境伯の妻とその子供に帝国へ逃げられたという、辺境伯家の醜聞だ。大っぴらに宣伝して回る代物ではないとラディムは思う。理解が追い付かず、ラディムは頭を抱えた。


「精霊教の司祭様のおっしゃるとおり、抵抗しなければ帝国軍は何もしてこなかったし、これも精霊王様のお導きの通りだ」


 ラディムの様子に気づかず、店主はべらべらと一人でしゃべり続けている。平常心を失ったラディムは、それ以後の店主の話が全く耳に入っていなかった。

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