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3 ミアも同行させようか

 出征当日、ミュニホフの街は大いに賑わっていた。皇帝親征軍のためのパレードが行われているためだ。


 ギーゼブレヒト大通りに立ち並ぶ騎士団の列の中心には、ひときわ大きな栗毛の馬に乗ったベルナルドの姿が見える。沿道からの歓声に、ベルナルドは片手をあげて応えていた。


 ラディムは騎士団所属ではなかったので、パレードには参加していない。軍の後方で他の同行者たち――料理人など――とともに、パレードの様子を静かに眺めていた。


 と、そこに聞き慣れた声がラディムの耳に飛び込んできた。


「殿下! よかったー、間に合ったぁ」


 エリシュカだ。腕には子猫のミアを抱いている。


 エリシュカは走ってきたのか、ゼイゼイと息を切らしていた。


「どうした、エリシュカ。そんなに慌てて。別れの挨拶なら、今朝宮殿でしたではないか」


 既に別れは済ませていた。何か緊急事態でもあったのかと、ラディムは訝しむ。


「いえ、それがですね、ミアちゃんがどうしても殿下にお別れがしたいと」


 エリシュカは抱いていたミアを両手で持ち、ラディムに渡そうとした。


「ニャーオッ」


「キャッ!」


 ミアは鳴き声を上げると、エリシュカの腕を振りほどき、ラディムの胸へ飛び込んだ。


「お、おいおいどうしたミア。離れてくれ」


 ラディムは慌ててミアの体を抱え、胸に抱いた。


「ミアちゃん、ダメよ! 殿下はこれから、大切な用事を済ませに行かなければいけないんだから」


 大慌てでエリシュカはミアをたしなめ、ラディムから引きはがそうとした。だが――。


「ウー、シャーッ!」


 ミアは激しく鳴いて抵抗する。


「おいミア、離れてくれ。そろそろ私も出なければならない」


 まもなく遠征軍本隊が街の外へ向かって移動を始める。ラディムたち非戦闘員も、すぐ後をついていかなければならない。ミアに構っている時間はなかった。


「困りました、どうしましょう殿下。私が連れてこなければ……」


 エリシュカは困惑してオロオロとするばかりだった。


「参ったな……。一緒に連れていくにしても、陛下が動物嫌いだしなぁ」


 ラディム自身は動物が嫌いではない。いや、むしろ大好きだと言える。もちろんミアのことも大好きなので、毎週のようにエリシュカの実家まで行って遊んでいた。


 だが、ベルナルドは違った。もともとそれほど動物が好きではなかったそうだが、それに加えて今は、使い魔になり得る動物を毛嫌いする世界再生教にどっぷりと漬かっている。動物に対して嫌悪感を持っているのは間違いなかった。


『ご主人様! ミアも連れていくにゃ! 絶対にお役に立つにゃ!』


 不意に、脳裏に甲高い声が響き渡った。聞いたことのない女の声……。


「な、何だこの声……」


 軽いめまいを感じ、ラディムは頭を抱えた。


「ど、どうかされましたか、殿下!」


 ラディムの突然の変化に驚き、エリシュカは悲鳴を上げる。


「いや、頭の中に聞いたこともない声が、あ、いや、でもどこかで聞いたことがあるような気もするな。とにかく、不思議な声が語り掛けてくるんだ。ミアも連れて行けと」


 冷静さを失いかけているエリシュカを、ラディムは片手で「大丈夫だ」と制し、ぶんぶんと頭を振った。


「……殿下、出征前なのにもうお疲れなのですか?」


 心配そうにエリシュカが顔を覗き込んできた。


 痛い子を見るような視線を向けるのは、正直やめてほしかった。ラディムは正気だ。


「いや違う。断じてそんなことはない!」


 ラディムは語気を強めて抗議をした。頭に異常があるのではと思われてはかなわない。


『ミアを連れて行けば、精霊術に対抗できるにゃ! 絶対に連れていくべきにゃ!』


 また、脳に直接語り掛けてくる女の声が響き渡った。


 言葉の内容を考えると、ミアが人語で話しかけてきているとしか思えない。だが、猫が人語をしゃべるはずもない。謎だった。


 ただ、謎の声は気になることも言っている。ミアは精霊術に対抗できる、と。


(どういうことだ? ……仕方がない、こっそりと連れていくか。ミアがしゃべっていると信じたくはないが、状況を考えるとな。深く考えている時間がないっていうのもある。幸い陛下のいる本隊と私の隊は結構離れているし、子猫一匹いたところで、見咎められることもないか)


 ラディムは騎士団での訓練は積んでいるものの、実戦の経験はない。ましてや、実際の精霊術に相対したこともない。謎の声の内容が事実かどうかは正直わからないが、保険として連れて行ってもいいのではないか、とラディムは思い始めていた。


 精霊術の基本は、動物を依り代に、霊素を纏わせて実現するものだ。もしかしたら、この不思議な子猫ミアには、その依り代となった動物に何らかの作用を及ぼし、精霊術を破壊する手段があるのかもしれない。精霊術に詳しくないラディムにとって、これ以上の考察は無理だったが。


 ミアを同行させる点については、ベルナルドは動物嫌いだが、他の同行者たちも同じだとは限らないため、特に問題はないように思える。ラディムと行動を共にする者は、ほとんどが一般人からの徴収だ。ペットを飼っている者も多い。ラディムの傍に子猫が一匹いたところで、誰も気には留めないだろう。


「エリシュカ、すまない。ミアも連れていくことにした」


「よ、よろしいのですか、殿下!」


 エリシュカは目を見開いた。まさかラディムが連れて行こうとするとは思っていなかったようだ。


 当たり前だ、戦場にペットを連れて行ったところで、邪魔になるのがオチだ。いたずらにミアを危険にさらすだけだろう。それに、ミアが原因で敵に発見されるような事態も、なくはないだろう。軍からはぐれたり、隠密行動中に鳴き声が漏れたり、などで……。


「連れて行かなければいけない気がするんだ、なぜだか理由はわからないが。ミアとはどこか、深いところでつながっているような、不思議な感じがする」


 だが、それでもラディムはミアを連れていくべきだと考えた。精霊術への対抗手段……。嘘か本当かわからない。だが、未知の力に対抗をする以上、取れる手段はとっておきたかった。


「わかりました……。では、殿下、ミアちゃん。くれぐれも、ご無事で……」


 心配なのだろう、少し沈んだ表情をエリシュカは浮かべていた。







 親征軍は街道沿いに、東の国境地帯へ向けて帝国領内を進軍していた。途中の街や村では、盛大な出迎えが待っていた。めったにない皇帝の行幸も兼ねているため、通過する街々で親征軍は必ず一泊し、皇帝自ら帝国臣民との交流を図った。


「本当に陛下は臣民に慕われていますね。見てください、この民の喜びようを」


 ラディムは沿道の両脇に立ち並ぶ住民たちを、ベルナルドに指し示す。


 街や村に入るときには、民に対する皇族のお披露目も兼ねる意味で、ラディムはベルナルドと並んで行動をしていた。


「こうして直に民の様子を見ると、私のやってきたことが間違いではなかったと実感でき、うれしいものだな」


 ベルナルドは頬を緩ませている。


「精霊教を追放したおかげか、大地の『生命力』も豊富なようですね。遠目に見える黄金色の畑が、目にまぶしい」


 ラディムは目を凝らし、村の外に広がる小麦畑を見遣った。なだらかな起伏のある丘陵地帯に広がる黄金のじゅうたん。あたかも海原が風に揺られて緩やかに波打つかのような光景に、思わず絵筆をとりたくなる。美しいとしか言いようのない風景だった。


「今年も収穫は問題ないようだな。だが、帝国辺境の一部では『魔獣』の被害が報告されているから、ここの村長にも警戒は怠らないように注意しておこうか。せっかくの収穫物が食い荒らされたらたまらないし、何より、帝国の貴重な財産である人命が損なわれるのは我慢がならん」


 ベルナルドは副官に村長との面会の指示を飛ばした。


 魔獣――。


 『霊素』を浴びたために異常進化をした動物の総称だ。人にとって、危険極まりない存在だった。強力な個体になると、訓練を積んだ騎士団が相手でも苦戦する。魔獣は総じて、『霊素』によって皮膚を強化しており、そこいらの農民がどうこうできる相手ではなかった。


 ラディムが魔獣についてあれこれと考えていると、副官に連れられて村長がやってきた。


「これはこれは、皇帝陛下。わたくしめにいったい何用でございましょうか?」


 かしこまる村長に、「構わん、構わん」とベルナルドは片手で制し、楽にするよう伝える。


「最近、帝国辺境で魔獣の被害報告が増えてきている。そちたちの村は問題ないかと思って、確認がしたかった」


 ベルナルドの問いに、村長の表情がわずかに陰った。


「もしや、何かあるのか?」


 村長の表情の変化に気づいたベルナルドが小首をかしげた。


 村長は少し言いよどんだが、しかし意を決したように語り始めた。


「実は、ここ二年の話なのですが、あちこちで魔獣の被害らしきものが出ております。幸い、住民に被害が及んでいないため、帝都にはまだ報告は挙げておりませんでして……」


「人命に影響が出ていないのは幸いだ。して、具体的な被害とは?」


 ベルナルドは少しほっとしたような表情を浮かべていた。ラディムも同感だった。人命さえ失われていなければ、また再建ができるのだから。


「畑の一部を食い荒らされたり、乾燥室の乾し肉を奪われたり、といったものです」


 破壊衝動からくる襲撃ではなさそうだ。生きるために食料を狙っているのだろうか。


「ただの野生動物による被害というわけではないのか?」


 なぜ村長は魔獣だと判断したのだろうか。目撃者がいた?


「足跡を見るに、このあたりに住む野生動物のものではないのです。あまりにも大きい」


 村長の説明では、大人の男四人が両腕を広げて囲んだ程度には大きい足跡だという。確かに、普通の野生動物ではない。足跡から推測できる体長は、かなりの大きさになりそうだ。


「なるほど……。で、足跡以外に目撃情報はないのか?」


 ベルナルドは考え込むような仕草をしながら、目線を尊重へと向ける。


「それが、残念ながら。どうやらかなり頭のいい動物のようで、人がいる時をうまく避けているようなのです」


 村長は頭を振って、口惜しそうに表情を歪めた。


「フム……。では、念のため騎士団の一個分隊を派遣するよう、帝都に指示を出しておこう。もし本当に魔獣であれば、騎士でなければ歯が立たないだろうからな」


 騎士団は今、こうして親征軍としてフェイシア王国へ侵攻をしようとしているが、それでも帝都にはまだまだ予備兵力が残っている。一個分隊程度なら問題なく送り込めた。


「ありがとうございます、陛下」


「うむ、今後ともしっかりと村政を頼むぞ」


 ベルナルドの激励に村長は感極まったのか、身体を震わせながら深々と礼をした。

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