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2 我が帝国の覇権と安寧のために

 バイアー帝国――。


 中央大陸の西側に位置し、面積的には大陸最大の版図を持つ強国だ。東に接するは、同じく大国のフェイシア王国。帝国建国から約六百年、代々ギーゼブレヒト家出身の皇帝が治世を担ってきた。


 現皇帝は第十九代のベルナルド・ギーゼブレヒト。二十代後半の働き盛りの皇帝だ。皇后との仲は良好なもののいまだ子がおらず、ベルナルドの姉の息子であるラディム・ギーゼブレヒトが第一皇子の立場についている。皇位継承順位第一位ではあるが、まだラディムは九歳であり、また、ベルナルドの実子ができる可能性も考慮され、皇太子に立太子はされていない。


 最初はフェイシア王国のいち侯爵領から始まったバイアー帝国だが、フェイシア王国からの独立を果たすや否や、周辺の小国を瞬く間に飲み込み、百年ほどで宗主国のフェイシア王国と肩を並べるまでになっていた。百五十年ほど前には帝国は完全に王国より決別し、対等の国同士となった。


 大陸西部地域に独自の外交戦略を取り始めた帝国に対し、王国側は後手に回った。もともと王国の保護国だったいくつかの小国が帝国側に付いたことで、徐々に両国関係は悪化していった。現在は、さらに宗教がらみで問題が発生しており、険悪となっている。


 皇帝の政策で世界再生教を国教としているバイアー帝国に対し、かつては世界再生教が優勢だったが、近年精霊教が中枢に食い込んできているフェイシア王国。精霊教を邪教とみなす皇帝は、フェイシア王国に対して精霊教の取り締まりを主張した。だが、フェイシア王国側は拒否をした。有力諸侯に精霊教信者が増えてきている王国で、精霊教の制限などもはやできる状況ではなかったからだ。


 このまま精霊教を野放しにするのであれば戦争も辞さない態度の帝国に対し、王国側も反攻姿勢を見せ、関係は過去最悪となっていた。お互いに仮想敵国として警戒をするまでになっている。


 そのような国際情勢ではあったが、帝国国内は比較的平穏であった。


 帝都ミュニホフも同様だった。


 全長二十キロメートルにも及ぼうかという城壁に囲まれた堅牢な城塞都市。中を覗けば、活発な交易によりにぎわうメインストリートであるギーゼブレヒト大通りを中心にした広大な商業地区と、清潔に保たれた居住区。一部にスラム街があるが、都市の規模に比すればごくごく小規模だ。皇帝の政治がうまくいっているあかしでもある。住民が安心して暮らせる、治安のよい街だった。


 地方都市もおおむね同様の状況で、帝国内で反乱等の兆しは全くなかった。


 ただ、フェイシア王国と接する東の国境地帯周辺だけは別だった。フェイシア王国内最大の軍事力を持つプリンツ辺境伯がいるからだ。


 バイアー帝国は、フェイシア王国の王家自体と仲が悪いのは当然であったが、それ以上に、ギーゼブレヒト皇家とプリンツ辺境伯家との仲がとみに悪かった。このため、国境地帯は互いに常に臨戦態勢がとられており、一触即発の様相を見せていた。いつ爆弾が破裂してもおかしくはない情勢だった。







 ラディムは大きくあくびをした。


「殿下、真面目に聞いていらっしゃいますかな」


 ザハリアーシュはラディムを咎めた。


「ああ、もちろんさ。『帝国史』を学ぶのは楽しいからなぁ」


「では、なぜあくびなどされるのでしょうかな?」


 ラディムの言葉に、ザハリアーシュはムッとした表情を浮かべる。


 仕方がないではないか。ラディムは確かに歴史を学ぶことが好きだ。だが、好きすぎたのだ。ザハリアーシュの講義で教わる前に、歴史書を読み漁ったためにあらかたの知識はすでに頭に入っていた。


「すまん、すでにその範囲は自習済みなんだ。『大陸の興亡史』というタイトルの面白い書籍があってな、去年読みふけったのだ」


「なんと、そんな大人向けの本を読んでいらしたのですか……。であるならば、確かに私の講義では内容が平たんすぎて、退屈でしたでしょう」


 ザハリアーシュは目を丸くした。九歳の子供が読むような本ではなかったので、かなり驚かれた。


 ザハリアーシュの教え方が悪いわけではない。ただ単に、ザハリアーシュはラディムを初学者だと思い、広く浅く、かつ噛み砕いて教えていた。なので、すでに深い部分まで知っていたラディムにとっては、何ら興味をひかれるものがなかっただけだ。


「では、今日はここまでにいたしましょう。この後、陛下とお会いになられるのでしたな?」


 ラディムは頷いた。


 ラディムにとっては数少ない上の地位の者からの呼び出しだ。遅れるわけにもいかない。


「では、私は陛下の元へ行く。ザハリアーシュ、今日は悪かったな」


 退屈さを隠しきれなかった点を、ラディムは謝った。


「なぁに、お気に召さるな。では、また明日」


 授業を終えたラディムは、皇帝ベルナルドの待つ皇宮のテラス――皇帝一家が国民に顔を見せる際に使われている――へと向かった。







 ラディムは皇宮のテラスに立っていた。


 冬の寒さに加えて、激しい風が吹きつけ顔を叩く。いつもはふんわりとしているおかっぱ頭の金髪も、今は風に任せるがままにしていた。手で押さえようにも、風が少々強すぎる。


 ラディムは両腕で体を抱き、身震いした。もう少し厚手のマントを着てくるべきだったと後悔した。


 だが、冬の乾いた空気のおかげで、ミュニホフの街並みはきれいに一望でき、目を凝らせば、雪化粧をした大陸中央のエウロペ山脈の姿も視界にとらえられた。その景色を見て美しいと言っても、誰も咎めはしないだろう。冬の時期しか見られない見事なものだった。


 隣には皇帝ベルナルドの姿がある。


 風にあおられて、肩甲骨のあたりまで伸ばされた黒髪が千々に乱れているが、ラディム同様に風のなすがままにしていた。


「ラディムよ、しかと見よ。この帝都の姿を」


 ベルナルドは左腕を大きく広げ、ミュニホフの街をラディムに示す。上げた腕に合わせて、身につけている漆黒のマントが激しくはためいていた。


「はい、陛下」


 ラディムはベルナルドの腕の動きに合わせ、視線をミュニホフの街へと移す。


 昼時のため、あちらこちらの煙突から煙が出ていた。道行く人も昼食を求め、足早に自宅やレストランなどに向かっているようだ。平和な街の一コマに映る。


 ラディムは少し緊張していた。こうしてベルナルドと一対一で向き合う機会は、そうそう多くはない。食事もたいていは席が離れており、また、母や皇后の姿もあるからだ。


「我々はこの光景を護っていかねばならない」


 威厳のある低い声で、ベルナルドはラディムに話す。


「乱そうとする者は、我々が自らの血を流してでも打ち倒さねばならない」


 ベルナルドは力こぶを作るように左腕を曲げると、力強く手を握り締めた。


「それが、我がギーゼブレヒト家に生まれた者の使命、ですね?」


 統治者として果たさねばならない役目。国民から期待されている皇家の役割。常々ザハリアーシュたち教育係にも、口を酸っぱくして言われている。


 今の何不自由ない生活も、この高貴なるものの義務を必要な時にきちんと果たすことを条件に、国民から与えられているものだ。務めを果たさぬ支配者は、いずれ民に滅ぼされる。過去幾度となく起こった『革命』……。


 まだザハリアーシュの授業では深くまで学んでいない『中央大陸史』だが、ラディムは先行して関連する歴史書を読み進めていた。


 だから、ラディムはよく知っていた。革命を起こされた支配者たちの末路を。そのような悲劇に見舞われた国の行く末を……。


「そうだ。……お前は私の実子ではないが、私にはいまだ子がおらん。お前が次の皇帝になる可能性は高い。もうすぐ十歳、徐々に様々な政治の場に連れていくことになろう。覚悟して過ごすように」


 ベルナルドは目を細めて鋭くラディムを見据えた。まるで値踏みをするかのように。


 釣り目気味の目から発せられる威圧感に、ラディムは思わず身震いした。


「承知いたしました、陛下。このラディム、精いっぱい務めさせていただきます」


 ベルナルドの実の子ではないという負い目を、ラディムは抱いていた。なので、絶対にベルナルドの期待には応えなければいけない、と心に誓う。応えられなければ、きっと、この皇宮に居場所がなくなる。


 臣下の中には、傍系のラディムが皇帝位につくことを良しとしない者も多いと聞く。将来の即位時に禍根を残さないためにも、周囲にはっきりと自分の力を見せつけなければいけないと、幼いラディムにもよくわかっていた。


 ベルナルドがいくら次期皇帝はラディムだと強く主張したとしても、有力家臣が納得しなければ、いずれは破綻するのが目に見えている。だから、ラディムは結果を出し続けなければいけなかった。


 ザハリアーシュたち教育係が熱心に帝王教育を施しているのも、ラディムを早く一人前にし、自らの手で後継者たり得る手柄を立てられるように、との配慮だと理解していた。


 ……理解はしていたが、子供としての心が、教育漬けに拒否反応も示していた。


「うむ……」


 ラディムの返事に満足げにうなずくと、ベルナルドは執務室へと戻っていった。


 テラスに残ったラディムは、しばらくの間ミュニホフの街を眺めた。


 護るべき街、護るべき国民。そして、その秩序を乱そうと画策している精霊教。世界を崩壊させかねない精霊術。


「自らの血を流してでも、打ち倒さねばならない、か……」


 ベルナルドの言葉を反芻する。


「精霊教……。もしかしたら、私の生涯はこの精霊教との戦いに費やされることに、なるのかもしれないな」


 世界を滅ぼしうる存在の精霊、その精霊を信奉する精霊教。この帝国内に、存在させていてはいけない。帝国の安寧を護れるのは、皇帝一族たるギーゼブレヒトの家名を背負う自分たちだけだ。ラディムは手を握り締め、決意を新たにした。







 中央大陸歴八〇九年冬――。


 ラディムの決意とは裏腹に、帝国の裏では様々な欲望が渦巻き、様々に蠢き始めていた。

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