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2 八方塞がりですわ……

「もうっ! 精霊術さえ使えればっ!」


 アリツェの怒声が、周囲の石壁に反響してぐわんと轟いた。


 眼前には、灰色熊を一回り大きくしたような姿をした魔獣が、大口を開けて立ち塞がっている。


 アリツェの立つ通路は、両手を広げた大人三人が立てる程度の広さしかない。奥に進もうにも、魔獣が完全に行く手を遮っていた。倒さなければ、先には進めない。


 先ほどから幾度となく、アリツェは薙刀を振り回し、魔獣の腕やら脚やらを切りつけていた。だが、分厚い霊素の膜に阻まれ、ほとんどダメージを与えられてはいなかった。


「アリツェ、交代だ!」


 背後から悠太の声が飛んだ。

 アリツェは素早く後退し、悠太に場所を譲った。


 物理攻撃主体で戦っているうえに、子供化で体力の総量も落ちていた。できるだけ継戦能力を上げようと、アリツェたちは交代で前線に立つ。


 長い間、二人でひとつの身体を共有していたおかげだろうか。初の実戦の割には、互いの呼吸がぴたりと合った。


 悠太は剣を上段に振りかぶった。地面を蹴り、突進する。


 魔獣は咆哮を上げた。巨大な熊の手で、飛び掛かってくる悠太を、横なぎに払おうと試みる。


 悠太は一気に地面を蹴り、宙を舞った。振り払われる魔獣の手の上に、空いた片手をかけて支えとし、空中でくるりとアクロバティックに回転する。その余勢をかって、魔獣の肩めがけてビュンっと剣先を振り下ろした。


 瞬間、金属と金属がぶつかり合う、甲高い音が鳴り響いた。魔獣が全身に纏う霊素の膜に、攻撃が阻まれた音だ。


 悠太は大きく後方にはじき飛ばされ、地面にしりもちをついた。取り落とした剣が、ガランガランと音を立てながら壁際まで転がっていく。


 悠太は顔をしかめつつも、どうにか立ち上がろうとした。だが、腕にしびれが走っているのだろうか、床に手をついた拍子にバランスを崩した。


 魔獣は隙を逃さず、悠太にのしかかろうと一歩踏み出した。


「いけないっ!」


 アリツェは慌てて、薙刀を構えながら悠太と魔獣との間に割って入る。


 ――まともな手段では、再び霊素の膜に阻まれますわ!


 アリツェは切っ先でフェイントをかけて魔獣の注意をそらすと、懐から毛糸の玉を取り出した。


「これでも、食らいなさい!」


 魔獣の胴体に向けて毛糸玉――マジックアイテムの拘束玉を投げつけた。


 魔獣が悲鳴を上げたのを合図に、アリツェは壁際まで一気に駆けて、悠太の剣を拾いあげた。


 ちらりと悠太に視線をくれると、どうにか起き上がり、体勢を整えた様子が見て取れる。


「悠太様! 拘束玉で動きを止めているうちに、いったん引きましょう!」


 声を張り上げると、そのままバックステップを踏み、魔獣との距離を取った。


 悠太と合流するや、拾った剣を手渡した。二人連れ立って、もと来た通路を駆け抜ける。


 走りながら、背後を確認した。


 魔獣はいまだに拘束が解けないのか、意味のなさない叫び声を上げながら、地面を転げ廻っている。


 ――とにかく、逃げるしかないですわっ!


 必死に走り抜け、アリツェたちはどうにか、魔獣の目の届かない場所まで退却した。


 膝に手をつき、ゼエゼエと乱れた息を整える。


「ま、参りましたわ……。あれでは、いくら粘っても、勝てそうに、ありません、わ……」


 泣き言は言いたくなかった。だが、現実は非情だ。


 霊素を持たないアリツェと悠太だけでは、とてもではないが、先ほどの魔獣に勝てそうもない。


 エミルを一刻も早く探し出すためにも、とにかく先に進まなければいけなかった。

 だが、そのためには、魔獣をどうしても倒す必要がある。


 ――八方塞がりですわ……。


 まさか最初の魔獣相手に、切り札の拘束玉を使う羽目になるとは、アリツェもまったく想定してはいなかった。


 拘束玉は発動に霊素を必要とする。

 このため、身につけているザハリアーシュの腕輪に溜め込んだ霊素を、消費しなければならない。


 だが、溜めこんでいた霊素量では、拘束玉の発動は一回が限界だ。

 アリツェも悠太も、素の身体の霊素が空っぽな以上、腕輪の霊素が枯渇してしまえば、もう拘束玉を使えない。


「力任せに切りつけてもダメだな。これはもう、応援を待つしかないか?」


 悠太のつぶやきに、アリツェもうなずいた。


 下手に攻勢に出るよりも、このまま身を潜めて、サーシャが呼びにやっているガブリエラが合流するのを待つほうが、得策かもしれない。


 だが、不安もあった。


 この空間は、本来のグリューンの地下上水道ではない。不思議な霊素の渦を通って侵入した場所だ。

 はたしてガブリエラが、この空間の存在に気づき、やって来られるだろうか……。


「致し方なかったとはいえ、霊素と精霊術を失ったのは、痛いですわ……」


 かつてのように精霊術が使えれば、先ほど程度の魔獣などに、遅れをとりはしない。ガブリエラが来ずとも、状況は容易に打開できたはずだ。


 無い物ねだりなのは理解していた。だが、これまで精霊術は、アリツェの重要なアイデンティティの一つを担っていた。

 喪失感は尋常ではない。いまだに、割り切れない部分もある。


 口惜しさのあまり、アリツェはギリッと唇を噛んだ。




 ★ ☆ ★ ☆ ★




 ガブリエラを待つために物影に潜んでから、二時間ほどが経過した。


「この場にとどまっていても、埒があきませんわ」


 アリツェは声を潜ませながら、悠太に顔を向けた。


 幸いなことに、この不思議な地下空間では、一切空腹を感じなかった。

 かといって、いつまでも隠れていたところで、前には進めない。魔獣は依然として、先ほどの通路を占拠したままだ。


「とはいってもなぁ……。どちらかが囮になって、強引に突破するか? 悪手だとは思うけれど」


 状況を打開するには、ほかに手がなさそうだ。だが、悠太の言うとおり、悪手には違いない。


 エミルの救出を最優先と考えれば、どちらか一方が先に進み、捜索を続けるのは間違いではないだろう。


 しかし、この先にも、更なる魔獣の待ち伏せの可能性がある。囮役はもういない。結局は、それ以上前に進めず、足止めを食う結果になりかねない。


 加えて、囮役が魔獣によって傷つけられ、万が一にも命を奪われるような事態になったとしたら……。


 現状で、なぜアリツェと悠太が二人に分かれたのかがわかっていない。下手をしたら、片方が死んだ段階で、もう一方も死ぬ可能性だって、考えられなくはない。


 死んだらもう、そこですべてが終わりだ。エミル救出どころの話ではない。

 ゲームオーバーになってテストプレイは終了、アリツェの人格は消滅し、悠太の意識は現実世界の病院のベッドに引き戻されるだけ……。


「今のわたくしたちの状況を鑑みますに、二人バラバラになるのは危険ですわね……」

「だなぁ……。もう少し、ガブリエラを待ってみるか?」


 悠太の提案に、アリツェは首肯した。


 それにしても、いい加減ガブリエラと合流してもいいはずだ。屋敷内に設けられたシモンとガブリエラの部屋から地下上水道までは、それこそ数分の距離だ。

 サーシャからの連絡がすんなりいっているのなら、とっくにこの場に現れていないとおかしい。


 ――やはり、あの妙な霊素の渦に入ることを、躊躇しているのでしょうか?


 自らの息子を案じていたアリツェだったからこそ、飛び込む勇気が持てたともいえる。

 ガブリエラに、そこまでの無茶を強要はできない。彼女だって、まだ幼い娘レオナを持つ母なのだ。何かがあれば、レオナが悲しむ……。


 さらに一時間待ったが、ガブリエラは現れなかった。


 アリツェと悠太は相談し、悪手と断じた作戦を実行に移そうと決心した。

 このまま留まっていても状況の改善が見通せない以上、背に腹は代えられない。


「では悠太様、危険なお役目を押し付けますが、お願いいたしますわ」

「なーに、任せておけって。ここは男の出番だろう? 少しは、見栄を張らせてもらうぜっ!」


 悠太は胸を叩き、うなずいた。


 悠太が囮役になり、隙をついてアリツェが魔獣の脇を駆け抜ける。

 実にシンプルな作戦だ。だが、精霊術もなく、マジックアイテムも使えない現状では、他に手立てもない。ペスにしたって、精霊具現化を施されていなければ、とても魔獣と対峙はできない。


「行きましょう!」

「おうっ!」


 悠太は声を張り上げながら、魔獣の元へと駆け出す。

 アリツェは悠太の後ろから、魔獣のターゲットにならないよう壁際に沿って移動した。


 すでに拘束玉の効果が切れて自由を取り戻していた魔獣が、駆け寄る悠太の姿を目にし、咆哮を上げる。

 魔獣の迫力に、周囲の石壁が震えた。


「そらっ! こっちだ、のろまめ!」


 悠太は魔獣を挑発しつつ、アリツェが駆ける側とは反対側の壁際に、魔獣を誘導する。


 魔獣は、総じて賢い。中には人語を解するものもいる。

 目の前の熊型魔獣がどうかはわからないが、人語で煽り、嘲弄するのも、ヘイトを稼ぐ手段としては有効な一面があった。


 どうやら、魔獣は悠太の挑発に乗ったようだ。


 不機嫌そうな叫び声を上げつつ、悠太に向かって腕をやたらめったらに振り回しはじめた。


 ――今ですわ!


 注意が完全に悠太に向けられた。アリツェはそう判断し、一気に魔獣の脇を駆け抜ける。


 ――気づかれていない。あとちょっとですわ!


 一心不乱に、走る、走る、走る。


 魔獣のすぐ横に差し掛かった。ここを抜ければ、もう魔獣を振り切るのは難しくないはず。


 しかし――。


「やばいっ! アリツェ、避けろぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」


 背後から悠太の悲鳴が飛んだ。


 アリツェが慌てて顔を横に向けた刹那、目の前に迫りくる魔獣の太い腕が、視界に飛び込んでくる。


 ――あっ!


 アリツェは悟った。この直撃を受けては、ただでは済まないと。

 しかし、全速力で駆けている最中だ。もはや、急な方向転換などできやしない。


 ――あぁっ! エミルっ! ドミニクっ!


 アリツェは目を瞑り、転がるように地面に倒れ込んだ。

 身を伏せて、少しでも直撃を避けたい。とにかく必死だった。


 見上げれば、そこにはもう、毛むくじゃらの腕が伸びてきていた。


 ――だめっ!


 心の中で叫んだ。と同時に、ものすごい音を立てて、熊の手が石壁に直撃する。


 どうにかすんでのところで、直撃は避けられたようだ。


 だが、魔獣はあきらめてはいなかった。壁にめり込んだ腕を素早く引き抜くと、掌を大きく広げて、アリツェの身体を掴みにかかる。


 全力疾走の直後で身体が硬直していたアリツェは、なすすべなく魔獣の手にからめとられ、持ち上げられた。


 そのまま魔獣は、アリツェを握りつぶそうと掌に力をこめる。


「いやぁぁぁぁっ!」


 アリツェは声を限りに叫んだ。抗おうと、必死に身体へ力をこめる。


 だが、魔獣はそれを上回る怪力で、アリツェの小さな身体をぎりぎりと締め付けた。


 呼吸ができない。

 アリツェは喘ぎ、必死に空気を肺に取り込もうとした。


 苦しい。意識がもうろうとしていく。


 遠くで悠太の叫び声が聞こえたが、もはや、何を言っているのかを聞き取れない。視界が徐々に暗転していく――。


 とその時――。


「アリツェ、遅れてごめんなさいっ!」


 甲高い女の叫び声とともに、アリツェの身体に大きな衝撃が走った。

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