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3-2 わたくしの愛する家族のために~中編~

 アリツェの最初の子の出産から、四年が経った。


 生まれた息子エミルも四歳となり、公爵邸はだいぶにぎやかな毎日を送っていた。あちこち我が物顔で走り回るエミルに、サーシャをはじめとした侍女たちは、すっかり振り回されっぱなしだ。


「いけません、エミル! そちらへ行ってはダメですわ!」


 アリツェは叫んだ。だが、エミルは知らん顔で奥のクローゼットの中へ隠れようとする。しかし、すかさずサーシャに首根っこを掴まれ、アリツェの傍へと連れてこられた。


「まったく、誰に似たのかしら。わんぱくで困りますわ!」


 アリツェはエミルの顔を覗き込み、「おいたばかりしていては、おやつ抜きにしますわよ」と叱る。


 ドミニクの面影を色濃く残すエミルの顔が、みるみるうちにクシャっと歪んでいく。


「まぁまぁ、奥様。元気なことは、とても良いことだと思いますよ」


 アリツェに叱られしょぼくれるエミルを見て哀れに思ったのか、サーシャが助け舟を出した。


「そうはいっても、サーシャ。元気過ぎても困りものですわっ! 万が一、怪我でもしたらと思うと、わたくし……。あ、また!」


 エミルはアリツェの一瞬の隙を見て、再び駆け出した。今度は窓際でお座りをしているペスの元に寄っていき、隣に座り込んだ。そのままキャッキャキャッキャと笑いながら、ペスのしっぽをぐいぐいと引っ張り出した。


 だが、そこはさすがにペスだ。幼児の力で引っ張られた程度では、物ともしない。チラリとエミルに視線をくれつつ、適当にあしらっていた。


「相手がペスだからいいものの、ハラハラいたしますわ」


 アリツェは眉をひそめ、少しそわそわしながら我が子の行動を見つめた。


「ふふふ、可愛らしいじゃないですか」


 サーシャは忍び笑いを漏らしつつ、エミルの傍に寄っていった。


「レオナがおとなしい分、エミルの活発さが余計に目立ちますわ……」


 アリツェは隣ですやすやと寝入っている幼女を見遣りつつ、大きなため息をついた。この幼女レオナは、ガブリエラとシモンの子供だ。エミルよりも半年生まれるのが遅かったが、エミルよりもよっぽどおりこうさんだった。


「私がしっかり見張っておりますし、あちらでもガブリエラが目を光らせております。御心配には及びませんよ」


 ペスの尻尾を掴んだまま離そうとしないエミルを引きはがしつつ、サーシャはアリツェに優しく声をかけた。


「身重で自由に動けないのが、もどかしいですわ」


 アリツェは大きくなった自身のお腹に手を当てた。幾度か掌に衝撃を感じる。お腹の子が、元気に動き回っているのだろう。


「あきらめておとなしくなさっていてください。エミル様のためにも、ね。弟になるのか、妹になるのか、まだわかりませんが、元気なお子を産んで、エミル様を喜ばせてあげてください」


 サーシャはエミルを抱きかかえ、苦笑を浮かべながら、アリツェの座るソファーへと戻ってきた。


「もちろん、そのつもりですわ。ただ、ちょっと退屈過ぎて」


 レオナのつやつやの黒髪を撫でつつ、アリツェは口を尖らせた。


「旦那様がいらっしゃらなくて、お寂しいんですね。わかります」


「本当ですわ! あぁ、ドミニク成分が不足中ですわ!」


 サーシャの言葉に、アリツェは両眉を上げ、嘆きの声を張り上げた。


「でも、旦那様の今回の視察、重要な案件なんですよね?」


 サーシャはアリツェに相対するようにソファーへと腰を下ろし、そのすぐわきにエミルも座らせた。エミルは不満げな声を上げるも、サーシャがおかっぱの金髪を撫でてやると、途端におとなしくなる。


 ……アリツェは解せなかった。自分の言うことは全然聞かないくせに、サーシャに言われれば素直に従う我が息子。少し、サーシャに嫉妬をしてしまう。思わずぎゅっと口を真一文字に結び、サーシャにジト目を向けた。


 アリツェの視線に気づいたサーシャが、何やら勝ち誇った微笑を浮かべている。悔しい……。


「お兄様から、大司教一派に関する情報が入りましたの。我が領のはずれに、世界再生教の破却された施設が取り残されていて、最近そこに何者かが出入りしているのではないかと」


 アリツェはため息交じりにサーシャに語ると、テーブルに置かれたクッキーを一つまみ取って、口に運んだ。


「公爵領内で、何か悪だくみでもされていたら嫌ですね……」


 サーシャはちらりとエミルに目を向け、不安げな表情を見せた。


 退屈さに負けたのか、エミルはいつの間にか眠っていた。サーシャに寄りかかりつつ、可愛らしい寝息を立てている。


「まったくですわ。……領民のためにも、そして、わたくしの愛する家族のためにも、心配の芽は確実に摘んでおかねばなりませんわ」


 すやすやと寝入っているエミルを、アリツェは目を細めながら見つめた。


 アリツェは誓う。この子たちのためにも、やれるだけのことはやろうと。アリツェは願う。この子たちの悲しむ姿は、決して見たくはないと。


「大司教たちの行方、相変わらず決定的な情報は入ってきていないんですよね?」


 サーシャはアリツェに顔を向けなおし、首を傾げた。


「残念ながら……。クリスティーナが王太子妃になって身動きが取れず、わたくしも身重で動けません。ドミニクも発展途上の領の領主なので、おいそれと領外には出られません。今、大司教捜索に動き回れているのが、お兄様配下の、かつての導師部隊だけですわ」


 アリツェは頭を抱えながら、力なくつぶやいた。


 大司教捜索は、今完全に行き詰っていた。時折ラディムから、今回のように怪しい場所に関する報告は入る。だが、今のところそのすべてが不発だった。


 調査に霊素持ちをもっと大々的に投入をしたいところなのだが、現状では厳しい。クリスティーナもラディムも、自らの役割にがんじがらめとなっているし、アリツェも妊娠中で派手に動けない。


 ラディムが編成しなおした、かつてのザハリアーシュの導師部隊。彼らだけが、アリツェたちの希望の星だった。


「この広い大陸中央部をくまなく探すのも、二十人くらいの元導師たちだけでは、厳しそうですね。奥様と同い年ですよね、霊素持ちということは」


 サーシャは唇に人差し指を当てながら、考え込むように視線を上に向けた。


「えぇ。ですので、面倒な話ではありますが、田舎に行けば霊素持ちの力を知らない者も多数です。どうしても年齢で侮られ、非協力的な態度を取られたり、聞き込みなどもうまくいかないケースが多いと聞いております」


 アリツェは現状の手詰まり感を嘆き、ため息をついた。


 霊素や精霊術の普及教育も、満足に進められてはいない。精霊教が国教化されたとはいえ、地方に行けば精霊術を見たことのない者が圧倒的になる。元導師たちは、アリツェと同い年の二十歳。その年の若さを嘲り、若造の言うことなど聞けるかと口にする頭の固い人間も、まだまだ多いようだ。


「バカバカしいですね……。大司教たちを野放しにしていれば、世界が再び乱れるかもしれないのに」


 サーシャは苦笑を浮かべた。


「まったくです。……わたくし自身が動ければ、もっと話は早いのですが」


 アリツェも同感だった。こうもままならない現状を思うと、胸が締め付けられる。いっそ、アリツェ自らが出向いてしまえば、一挙に物事が解決するのではないか、との思いに駆られそうになる。


「だ、ダメですよ、奥様!」


 サーシャは泡を食って声を張り上げた。


 その声に驚いたのか、エミルはびくっと身体を震わせ、薄目を開けた。


 サーシャは少しばつの悪そうな表情を浮かべつつ、すかさずエミルの頭を撫でる。エミルはそのまま、むにゃむにゃと呟きながら、再び寝息を立て始めた。


「もちろん、わかっております。今のわたくしは、まず自らの領と家族の安寧を、第一に考えねばならない立場ですから……」


 アリツェはサーシャとエミルのやり取りを、目を細めつつ眺めた。


 今エミルの元を離れるわけにはいかない。お腹の中に赤ちゃんもいる。自らの現状は、しっかりと認識しているつもりだった。


「ただ、それでも、遅々として大司教の行方の捜索が進まない現状に、わたくし頭が痛いですわ」


 頭ではわかっていても、叫び声を上げたくなるほどの焦燥感を抑えるのは、なかなかに苦しい。胸も痛む。


「ラディム陛下から、もっと確定的な知らせが入るといいですね」


 サーシャの言葉に、アリツェは首肯した。


「ただ待つ身というのも、大変心苦しいものですわね。……今も、この空の元で、大司教たちが邪悪な謀をしているのではないかと思うと……」


 自らの力で打開をできない現状。周囲を信頼し、今はただひたすら、待ちの姿勢を貫かねばならない。


 アリツェは知らぬうちに、服の裾をきつく握りしめていた――。

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