2-1 ザハリアーシュの腕輪が何やら怪しいですわ~前編~
臨時の伝書鳩が届いた翌日、アリツェは領館の執務室で改めてラディムやクリスティーナからの報告の件について、ドミニクと話し合った。
「お兄様やクリスティーナも、どうやら追討軍の編成に苦労していらっしゃるようですわ」
アリツェは椅子に座り、机に肘をつきながら大きなため息をついた。
軍の編成に苦労しているのは、アリツェばかりではなかった。自前の近衛を持っているラディムやクリスティーナでさえも、なんやかんやでうまくいっていないらしい。
「報告を見る限りだと、だいたいボクたちと似たような理由だったね」
ラディムたちの近衛はプリンツ子爵領軍とは違い、さすがに軍の練度はある。だが、やはりというべきか、山岳行動経験のある兵士が皆無で、その点が編成の重大な懸念事項となっていた。
精鋭部隊を不慣れな地に連れて行って無駄に損耗させてしまっては、国の大損害になる。ラディムたちが二の足を踏むのもアリツェは理解できた。
「そして、行きつく結論も同じですわね。精霊使いによる少数精鋭の派遣が、やはり一番効率的ですわ」
ラディムもクリスティーナも、状況説明の後に同様の結論を述べていた。アリツェ、ラディム、クリスティーナの三名の精霊使いで山中の大司教一派を追うのが、一番効率的で、かつ犠牲も少ないだろうと。
「一人前の精霊使いと言えるのは、現状でアリツェたち三人だけだしねぇ」
ドミニクも机に突っ伏しながら嘆息した。
転生による高度な精霊術の知識と経験、そして、高いステータスをも持っているアリツェ、ラディム、クリスティーナ。この三人で精霊術を駆使し、一気に山中を踏破するのが間違いなく最善だった。
「霊素持ちの子供を今から教育しても、一人前になるまでに相当の時間が必要ですし……。シモンとガブリエラでさえ、まだまだ半人前。人材の育成には時間がかかるものですわ」
すでに精霊使いになるべくアリツェから本格的に手ほどきを受けているシモンとガブリエラだが、訓練を始めて八か月、一人前には程遠い。他の子供たちを今から教育し始めたところで、先は果てしなく長い。複数の精霊使いが育つまで大司教一派を野放しにするのは、危険極まりなかった。
「旧導師部隊の子供たちはどうなんだい?」
ドミニクはふと思い出したとばかりに、突っ伏していた顔をあげてアリツェを見遣った。
「お兄様によりますと、彼らはあくまで魔術に該当する精霊術しか扱ってこなかったそうですの。つまり、対無生物対象の精霊術のみですわ」
アリツェは首を横に振った。
ザハリアーシュら世界再生教がこだわった魔術。その範囲は、精霊術とは違い、対象はあくまでも無生物のみだった。使い魔の存在も邪悪なものとして認めてこなかった経緯もあり、旧導師部隊の子供たちは全員、使い魔を持っていない。そもそも、生命体に対して霊素を纏わせた経験もない。
「てことは、使い魔の扱いはこれから教えるってわけか。うーん、霊素の扱い自体には慣れていても、使い魔を扱う訓練をこれからって考えると、やはり厳しそうだね」
ドミニクはがくりと肩を落とし、再び机に突っ伏した。
精霊術を高度に使いこなすためには、ただ使い魔を見つけて契約するだけではだめだった。常に一緒に行動して精神リンクを高める努力をしなければ、使い魔はその実力を発揮しきれないし、術者の意図をうまくつかめず、適切な行動もとれない。
年単位の時間をかけてじっくりと使い魔との信頼関係を高めていかなければ、いつまでたっても一人前の精霊使いにはなれなかった。
「だからこそ、お兄様もクリスティーナも、わたくしたち三人の精霊使いが協力して事に当たるべきだと訴えてきたのでしょう」
精霊使いの事情をよく知るラディムもクリスティーナも、一からの精霊使い育成は時間がないと十分理解しての、今回の報告だろう。
「昨日も話したけれど、アリツェがラディムたちの提案に乗るっていうなら、ボクは賛成だよ。さっそく承諾の返信を送るのかい?」
ドミニクは窓辺に控える伝書鳩にチラリと目線を送った。
「えぇ……。伝書鳩でのやりとりは時間がかかりますから、できるだけ早く行動しなければいけませんわ」
アリツェも窓へ目を遣り、愛用の伝書鳩の姿を注視した。
グリューンから帝都ミュニホフまでは高速馬車で二週間強、ヤゲル王都ワルスまでは一週間かかる。伝書鳩を飛ばせば馬での行程の四分の一の時間で行き来ができるものの、それでもかなりの日数が必要だった。
大司教一派の逃げ込むエウロペ山中へ踏み込めるタイムリミットまで、あと二か月あるかないかだ。アリツェは時間が惜しかった。
「遠く離れていると不便だねぇ。かといって、皆それぞれの国では立場もあるから、そうおいそれと集まって相談ってわけにもいかないし、困ったもんだ」
「まったくですわ……」
ドミニクのぼやきに、アリツェも苦笑を浮かべてうなずいた。
ラディムとクリスティーナへ承諾の返信をしてから、一週間が経とうとしていた。九月中旬、そろそろ行動に移さないと身動きが取れなくなる。アリツェは焦りを感じていた。
「この連絡を取り合う無駄な時間、どうにかなりませんの!」
アリツェは椅子から立ち上がりながら、机を強く叩いた。
クリスティーナからは二日前に返信が届いたが、ラディムからはいまだ届いていない。到着即返信をしてくれていれば、今日明日にも届くと想定されるが、アリツェはただ机に座って待ってはいられなかった。
沸き起こる焦燥感に、いてもたってもいられない。返事はまだか、返事はまだかとラディムからの伝書鳩を待った。伝書鳩が舞い降りる窓際を注視しながら、その前を行ったり来たりとうろうろ歩き回るが、急いた気持ちは収まらない。動いていないと気持ちが押しつぶされ、どうにかなりそうだった。
「物理的な距離は、ボクにはいかんともしがたいなぁ。アリツェ、あまりイライラしてもお肌に良くないよ」
ドミニクは苦笑を浮かべながらアリツェを見つめた。
「ドミニクは不安ではございませんの? 急がなければ、エウロペ山脈に立ち入れなくなってしまいますわ!」
のんびり構えるドミニクの態度に、アリツェはつい声を張り上げた。
エウロペ山脈周辺はグリューンよりも南方で温暖な地とはいえ、山自体は険しい。山の冬の訪れは平地よりも大分早いので、できれば九月中には行動に移さないと、山中を探索する時間が取れなくなるし、最悪、行軍中に雪に巻かれて遭難しかねない。
亡くなった者たちのためにも、少しでも早く大司教一派を捕まえ、裁きにかけたい。アリツェは唇をギリッと噛みしめた。
とその時、執務室の扉がノックされた。
アリツェが入室を促すと、少し慌てた様子で領館の官僚が飛び込んできた。
「何かあったのですか?」
アリツェが問うと、官僚は領政府庁舎側にある研究室へ急ぎ来てほしいと答えた。
「かまいませんが……。新たな問題発生は、嫌ですわね……」
アリツェはため息をつきつつ、官僚に従ってドミニクと一緒に研究室へと足早に向かった。これ以上懸念事項が増えませんように、と祈りつつ。
官僚に促されて研究室へと入ると、アリツェは眼前の光景に目を見張った。
「何ですの……、これは……」
遮光されているため薄暗い室内で、何かがぼんやりと光っていた。不思議な現象に、アリツェは戸惑いの声を上げる。
「震えている?」
ドミニクも呆然と様子を見つめていた。
部屋に足を踏み入れてからずっと、カタカタと音がしていた。じっくりと眺めてみれば、どうやら光を放つ物体それ自体が振動しているせいだとわかる。
「これは、確か院長先生から預かった腕輪……ですわよね?」
アリツェは口元に手を当てながらつぶやいた。
見覚えのある不思議な意匠の銀の腕輪。かつて、トマーシュの腕に輝いていたものだ。
「確かに、孤児院院長のトマーシュ様から預かった品でございます。アリツェ様のご指示どおり、こうして調べておりました。ですが……」
官僚の話によると、どうやら小一時間ほど前から急に腕輪が鈍く光り、自発的に震え出したらしい。今のところ原因は不明とのことだ。現状それ以外に、この腕輪について判明した事実は何もない。
精霊術によるマジックアイテムでもないのに、何やら不思議な効果を持つ得体のしれない腕輪だった。ゲームシステムが用意した特殊アイテムだと推測はつくが、霊素感知以外の詳しい効果は不明のままである。
アリツェ自身は精霊使いなので他者の霊素を感知できるし、『ステータス表示』の技能才能でその保有量まで正確にわかる。だが、霊素を持たない人間には、他者の霊素を感じる術がない。
もしこの霊素を感知できる腕輪が量産できれば、各地の霊素持ちを探し出すのに役に立つのではないかとアリツェは考え、詳細を調べさせている途中での、今回の事態だった。
「官僚の中に霊素持ちはいらっしゃいませんし、光り出した理由もわかりませんわね……」
アリツェは原因を特定しようと、首をひねりながら考えを巡らせた。
「それって確か、霊素に反応して熱を持つ腕輪だったよね?」
ドミニクの問いに、アリツェは首肯する。
「ええ、そうですわ。院長先生もその腕輪の効果で、わたくしが霊素持ちと見抜きました。そして、腕輪の出所はザハリアーシュ……」
かつてトマーシュが世界再生教に属していた折、同僚だったザハリアーシュから贈られたものがこの腕輪だ。ザハリアーシュ自身も同じ腕輪を持っていた。ラディムが言うには、かつてミュニホフを徘徊していたマリエの霊素を感知したこともあるそうだ。
この腕輪に関しては、ミュニホフを発つ前、重鎮たちの間でどうすべきかとの話し合いがもたれた。その際、調べても詳細がわからないようなら、そのまま捨て置けばいいという意見もちらほらと出された。
だが、出所が出所だけに、アリツェはこのまま放置したくはなかった。世界再生教側の何らかの秘密が隠されているのではないか、との考えがあったからだ。ラディムも同様だったようで、ザハリアーシュが死の間際に身につけていた腕輪をミュニホフで調査させている。
「もしかして、大司教一派はこの腕輪について、何か知っているかもしれないね」
ドミニクは腕を組み、唸り声をあげた。
「ドミニクもそう思いますか? ……結局、ザハリアーシュ本人から聞き出すことはかないませんでしたし、カギを握るのはやはり大司教ですわね」
すべての謎は大司教に通ずる……。鈍く瞬く腕輪を視界に入れながら、そんな予感をアリツェは抱いた。