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5 お母様にお会いいたしましたわ

 ザハリアーシュ処刑から三日が経った。反皇帝軍は一挙に帝都ミュニホフを制圧し、帝国軍は皇宮へと撤退していった。フェルディナントはすぐさま治安維持部隊を編成し、帝都内を巡回させ、治安の確保にあたらせた。


 一方、ザハリアーシュの処刑で深い心の傷を負ったラディムだったが、ようやく落ち着きを取り戻し、司令本部へと顔を出せるまで回復した。ラディムの復帰を待っていたフェルディナントは、さっそく皇宮攻略戦についての軍議を開催する。


 アリツェ、ドミニク、クリスティーナも呼ばれ、フェルディナントから今後の指針を与えられた。


「導師部隊は壊滅し、黒幕のザハリアーシュも処刑した。いよいよ明日から、皇宮の攻略に入る」


 フェルディナントは軍議用の机に両手をつきながら、ぐるりと参加者を見遣った。誰かの生唾を飲み込むゴクリという音が聞こえる。


「皇帝が降伏をなさる気配は?」


 可能性は低いとは思いつつも、アリツェは念のため確認を取る。


 皇帝ベルナルドは頑なな人間だった。おそらく、この劣勢のさなかでも、決して投降はしないだろう。


「残念ながらないね。徹底抗戦の姿勢は変わっていない。何度も降伏の使者を送っているんだが、会おうともしないようだね」


 フェルディナントは顔をしかめた。


「致し方ありませんわね……」


 やはり予想どおりの答えが返ってきた。武力での決着をつけざるを得ないようだ。


「それで、宮殿内は少数の精鋭部隊で攻める予定なんだ」


 机に置かれた皇宮の見取り図を指し示しながら、フェルディナントは説明を始めた。


 突入はラディムのために編成した近衛部隊が中核のようだ。近衛部隊はこの戦争に勝利後、ラディムが帝位についた際に、そのまま近衛騎士団として召し抱える予定になっている。実力、家柄ともにそろったエリートたちの集団だった。


「まぁ、建物内に大軍の投入は無理ですわね」


 選定された部隊に納得がいき、アリツェはうなずいた。


「皇帝側も近衛の精鋭が残っているだろうし、こちらとしても下手な者は投入できないからね。あとは、切り札も一緒に投入して、万全を期すよ」


 フェルディナントはアリツェやクリスティーナに視線を送り、ニヤリと笑った。


「叔父様、まさか……?」


 期待されていると、アリツェは周囲の視線からすぐに悟った。


「うん、アリツェ、聖女様、……それに、ラディム。君たちにも一部隊を率いてもらいたい」


 案の定、皇宮制圧部隊への参加要請だった。


「いくら精霊術が使えると言っても、正規兵との戦いに関しては私もアリツェも、もちろんクリスティーナだって、経験不足だぞ。足を引っ張らないか?」


 ラディムにしては、やや不安げな声を上げた。


「さすがに敵の近衛と戦ってもらうわけではないよ。君たちには、ユリナ皇女の救出をお願いしたい」


「母上を、ですか?」


 フェルディナントの言葉に、ラディムは小首をかしげた。


「病んでいるとはいえ、彼女も辺境伯家の一員でもある。死なせるわけにはいかない。……兄にも申し訳が立たないしね」


 フェルディナントはギリッと唇を噛んだ。


「わかりましたわ。確かに、彼女の子供であるわたくしたちが、なすべき役割ですわね」


 ユリナ皇女は、ラディムの母であると同時に、アリツェの母でもある。アリツェも異存はなかった。


 それに、アリツェはこの目で見てみたかった。遺伝上のつながりはないとはいえ、実母であるユリナ皇女の姿を。話を聞く限りでは、なかなかに厄介な人物のようだ。果たしてアリツェを、実の娘として受け入れてくれるだろうか……。







 翌日、皇宮攻略戦が始まった。


 主な部隊は宮殿の外をぐるりと取り囲み、アリ一匹でさえも通さない警戒ぶりを示している。選抜された近衛部隊は正面入り口に待機し、突入の合図を今か今かと待っている。アリツェたち精霊使いも、近衛部隊の突入に合わせて宮殿内に潜入し、離れに住むユリナ皇女を目指す手はずだ。


 すべての準備が整ったところで、フェルディナントとムシュカ伯爵の指示が飛んだ。近衛部隊はいっせいに宮殿内になだれ込み、アリツェたちも精霊術で気配を消しつつ、あとを追った。


 やがて近衛部隊と敵近衛兵が交戦に入ったのを見計らい、アリツェたちは壁伝いに姿を隠しつつ、奥を目指した。


「お兄様、お母様の部屋はどちらですの?」


 アリツェは声を潜ませ、ラディムに尋ねた。


 風の精霊術で声が漏れないようにしているものの、念には念を入れる。導師部隊も壊滅しているので、皇帝側に精霊術を破れる者はもはやいないはずだ。しかし、万が一、世界再生教本部からの導師の派遣があってもまずいと思い、まだ導師が残っている前提で動いていた。


「宮殿の離れにある。……精神的に不安定でいらっしゃったので、激昂される場面も多くてな。仕方なく、隔離の意味も込めて、本殿からは離されている」


 ユリナ皇女の話をするときのラディムは、いつもどこか苦しそうだ。いろいろと複雑な感情が垣間見える。


「そうですの……。でも、今回に限っていえば、僥倖でしたわ。離れでしたら近衛兵たちとの戦いに、巻き込まれにくいですもの」


 本殿であれば、戦闘に巻き込まれる危険性ばかりでなく、こうして隠密行動をとるのも難しい。ユリナ皇女を外へ脱出させるにも、見とがめられる恐れが強いだろう。アリツェたちの作戦を考えれば、ユリナ皇女が離れにいるのは大変都合がいい。







 アリツェたちはラディムの先導の下、渡り廊下を過ぎ、離れらしき建物に侵入した。


 奥へと進んでいくと、ひときわ豪華な装飾の施された扉が目に飛び込んできた。明らかに他の部屋とは趣が違う。


「ここだ」


 ラディムは扉の前で立ち止まった。


「だれです! ここがユリナ皇女のお部屋だと知っての狼藉ですか!」


 とその時、女の甲高い叫び声が響き渡り、横の小部屋から一人の侍女が姿を現した。


「……私だ、ラディムだ」


 ラディムは侍女の顔を注視した。


「で、殿下!? どうしてこちらに」


 侍女は素っ頓狂な声を上げ、一歩後ずさる。どうやらラディムの顔見知りの侍女のようだ。状況的に、ユリナ皇女の専属の侍女だとアリツェはあたりをつけた。


「母上を保護しに来た。ここには間もなくムシュカ伯爵やフェイシア王国の兵がやってくるぞ。戦いに巻き込まれないうちに、母上を宮殿外へお連れしたい」


 ラディムは早口でまくし立てると、目の前の豪華な扉に手をかけた。


「い、いけません! ユリナ様を反乱軍の手に渡しては、陛下に何と申し開きをすればよいか……。ここを通すわけにはまいりません!」


 侍女は大慌てで扉の前に立ちふさがると、ラディムをキッとにらみつける。


「参ったな、侍女を手に掛けたくはないぞ……」


 ラディムは頭を抱えた。


 ラディムがつぶやいたように、確かに、ユリナ皇女を救うためとはいえ、非戦闘員の侍女を害するのは気が引ける。


「かまいません! 中にお入りなさい!」


 どうしたものかとアリツェが逡巡していると、部屋の中から女の声が響いてきた。


「ユリナ様!」


 侍女は振り返り、叫び声をあげた。


「私は大丈夫です。良いから、はやくラディムを中へ」


「わ、わかりました」


 ユリナ皇女と思しき声に、侍女は渋々ながら従い、扉を開いた。







 ユリナ皇女の部屋には、離れとはいえさすがに皇帝の姉のものだと感嘆するほど、こだわりぬいた調度品ばかりが置かれていた。


 はしたないと思いつつも、アリツェは物珍しさできょろきょろと周囲を見回した。華美ではない落ち着いた意匠が、アリツェの好みに合う。遺伝上のつながりはないとはいえ、さすがに実母、アリツェと趣味が似通っているのだろうか。


 アンティーク調のクローゼットなどにすっかり目を奪われ、心落ち着かないアリツェをよそに、ラディムはゆっくりとユリナ皇女に近づき、頭を垂れた。


「母上……。ご無沙汰しております」


 ラディムは泣きそうな顔を浮かべていた。


 このような形での再会に、胸中色々と込み上げるものがあるのだろう。


「久しぶりですね、ラディム。それから、そちらは……。まさか、恋人などと言うつもりではありませんよね?」


 ユリナ皇女はラディムにやさし気な視線を送ると、脇に立つアリツェに向き直った。


「いえ、彼女は……」


 ラディムは言葉を濁した。


「ユリナ皇女、初めまして。わたくしはアリツェ・プリンツォヴァと申しますわ。お兄様――ラディム・ギーゼブレヒトの、双子の妹でございます」


 アリツェは躊躇するラディムを片手で制し、一歩前に出て、流れるように自己紹介をする。


「……あなた、何をおっしゃっているの?」


 ユリナ皇女は不審なものを見るかのような視線を、舐めるようにアリツェの全身に這わせた。


「母上はご存じないのかもしれませんが、私には双子の妹がいるのです。出産時に気を失われた母上に知られないうちに、フェルディナント叔父上がひそかに遠縁の子爵家へ養子に出したのです」


 ようやく冷静さを取り戻したラディムが、慌てて横から補足する。


「何ですって……」


 ラディムの説明を聞き、ユリナ皇女は驚愕に目をむいた。


「ご承知のとおり、古くからの因習で双子は不幸の象徴とされ、殺される運命にあります。叔父上はアリツェを殺したくはないと、表面上私とアリツェが双子だとは悟られないように、このような処置をしたと聞いています」


 ラディムはユリナ皇女の反応に注意を向けつつ、慎重に言葉を重ねた。


「私に、娘もいたなんて……。それも、災いをもたらす双子として……」


 ユリナ皇女は少しふらつきながら、傍の椅子に座り込んだ。真っ青になりながら、頭を抱えている。


 ラディムからはユリナ皇女の精神はかなり不安定だと聞いていたので、アリツェは不安の念が次第に込み上げてきた。大丈夫だろうか、と。


「母上、こちらにいては戦いに巻き込まれて危険です! 私と一緒に宮殿を出ましょう!」


 椅子にへたり込んでいるユリナ皇女を立たせようと、ラディムは手を差し出した。


「しかし、私は仮にも皇女であり、現皇帝の姉です。この場を離れるわけには……。ベルナルドの身も心配だわ」


 ユリナ皇女は力なく頭を横に振り、ラディムの手を払った。


 皇女としての責務と、弟皇帝の身を案じる気持ちと。いくら精神面にもろさがあるとはいえ、やはりユリナ皇女も皇族の一人だった。簡単に国を見捨て、宮殿を護る兵たちを見殺しにしてまで、逃げる選択肢はとれないのだろう。


「お願いします、母上! 勝敗はすでに決しています。ですが、陛下はもう、何を言っても聞く耳を持ってはくださらないのです! どうか、母上だけでも……」


 叛意を促そうと、ラディムは声を張り、ユリナ皇女に呼び掛け続ける。


「あの子は私のかわいい弟、見捨てるわけにはいきません」


 だが、ユリナ皇女は頑なだった。この点はさすがに姉弟だと言える。ベルナルドにも通じるところのある意志の固さだった。


「しかし!」


 なおもラディムは、ユリナ皇女の考えを改めさせようと試みる。


「お母様、お願いいたしますわ!」


 このままでは埒が明かないと思い、ラディムに任せるつもりだったユリナ皇女の説得に、アリツェも乗り出した。


「……あなたに母呼ばわりされるいわれはありません」


 ユリナ皇女はアリツェをにらみつけ、冷たく言い捨てた。


 アリツェが参戦したことで、かえってユリナ皇女は意固地になった。横やりを入れたのは、完全にアリツェの失策だった。


「母上! アリツェは確かにあなたの子供です!」


 ラディムが抗議の声を上げた。


「あなたが私の娘なのは認めましょう。しかし……」


 ユリナ皇女の顔は、次第に紅潮していく。


「あなたがいたから……。双子のあなたが存在したから、あの人はっ!」


 ユリナ皇女は突然立ち上がると、アリツェににじり寄り、両肩を掴んで激しく揺さぶってきた。


「は、母上!?」


 突然の奇行に、ラディムは裏返った声を上げた。


「確かに双子は不幸の象徴だったわ! あの人が亡くなったのも、あなたが存在したからよっ!」


 ユリナ皇女は鬼気迫る表情でアリツェをにらみ飛ばす。


 態度が豹変したユリナ皇女に、アリツェはどうしたらいいのやらわからず、相手の為すがままに身体を揺さぶられた。


「そ、そんな無茶な! 母上!」


 あまりの言い草に、さすがにラディムも声に怒気をはらませた。だが――。


「ラディムは黙っていなさい!」


「くっ……!」


 逆にユリナ皇女に一喝され、ラディムは押し黙らざるを得なかった。


 アリツェも依然として肩を固く掴まれたままで、身じろぎができない。口角泡を飛ばしアリツェをののしるユリナ皇女の顔は、憤怒で真っ赤に染まっている。アリツェはとても直視できず、目線を横にずらした。


「仕方がない……! アリツェ、拘束玉で母上を拘束する。ラースに乗せていったん宮殿を出るぞ!」


 ラディムは叫ぶと、懐を漁って毛糸の球を取り出した。


「わ、わかりましたわお兄様!」


 ラディムが拘束玉を発動する直前、アリツェは力の限りでユリナ皇女を押し、離れた。


「きゃっ! ラディム、あなた母親になんて真似を!」


 ラディムの霊素を受けた毛糸球は、ユリナ皇女に当たるや透明の腕のようなものに姿を変え、あっという間に全身をぐるぐる巻きにした。


「すみません、母上。もう時間がないのです」


 ラディムは謝罪の弁を口にしつつ、素早くユリナ皇女を抱きかかえ上げ、傍に控えているラースの背に乗せた。


「その娘が……、その娘があの人を殺したのよ!」


 ユリナ皇女は金切り声を上げ、激しく体を揺すった。だが、ラディムの拘束玉は完璧だった。まったく外れる気配はない。


「違います! 母上、アリツェには何の罪もありません!」


 ユリナ皇女の言葉を訂正しようと、ラディムは強い口調で言い切った。


「うるさいうるさい! 返して! あの人を返してよ!」


 しかし、今のユリナ皇女には届かなかった。かえって、火に油を注ぐ形になったようだ。


「お母様……」


 アリツェは悲しく、やるせない思いが胸に込み上げてきた。


 アリツェの存在が、カレル・プリンツ前辺境伯の命を奪った。ユリナ皇女はそのようにがなり立てている。


 アリツェもユリナ皇女の言葉を否定したかった。だが、双子であるアリツェたちの流産を阻止しようと、異能を行使した結果として、カレルは死んだ。あながち、ユリナ皇女の言い分も間違っているとは言い切れなかった。


「このまま叔父上に預け、辺境伯家まで護送してもらおう」


「わかりましたわ!」


 ラディムの提案に、アリツェは首肯した。


 これ以上暴れられては、敵近衛兵たちに気づかれる。とにかく急いで宮殿外まで連れて行き、フェルディナントに託さねばならなかった。


「私たちにはまだ、陛下との対峙が残っている。まごついている暇はないぞ」


 アリツェたちは再び気配を消しつつ、裏の勝手口から宮殿外へ脱出した。

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