2 ミュニホフ侵攻作戦ですわ
悠太が消えた――。
アリツェは天幕内の簡易ベッドの上で、昨晩の夢を呆然としながら思い返していた。
夢の中では納得したつもりだった。だが、いざこうして目覚めてみれば、何か心のうちにぽっかりと、大きな穴が開いたような喪失感を抱かざるを得なかった。
悠太は言った。人格は消滅しても、意識は残っていると。
アリツェはゆっくりと手の平を胸に当て、目を閉じた。確かにこうしていると、悠太を感じる。まじりあい、一つになったのだと実感する。ただ、話しかけても、もう二度と答えは返ってこないが。
いないけれど、いる。不思議な感覚だった。
アリツェは目を開き、静かにベッドから降りた。頭を振って、意識を覚醒させる。
「しっかりしなければいけませんわ。融合して消えた、悠太様のためにも」
早くこの違和感にも慣れなければいけない。決戦はもうすぐだ。だが、その前に、今のアリツェの状況をドミニクやクリスティーナにも伝えておかなければいけない。アリツェは手早く着替えを済ませると、ドミニクの天幕へと向かった。
ドミニクの天幕に着き、相談があるとアリツェが呼びかけると、ドミニクはすぐに中へとアリツェを招き入れた。
「ドミニク……」
「どうしたんだい? なんだか深刻な顔をして」
ドミニクは怪訝な表情を浮かべた。
アリツェは昨日、誕生日を迎えた喜びを全身に表した。なので、今のアリツェの様子を見たドミニクが、戸惑うのも無理はない。ドミニクに心配をかけてもいけないと思い、アリツェは昨夜の夢の話をさっそく語り始めた。
「実は……」
夢の中で悠太の人格が融合し、消滅した件について、アリツェはかいつまんで説明した。ドミニクはいちいちアリツェの言葉にうなずきながら聞いている。
「そうか……。なんだかんだで、彼とも随分楽しく過ごさせてもらったから、寂しいね」
アリツェの説明が終わったところで、ドミニクは深くため息をついた。
「クリスティーナが言っていたように、融合するとなんだか不思議な感じがいたしますわ。人格自体は消滅しているはずなのに、それでも悠太様自身を感じられると言いますか……」
アリツェは両手を胸の前で組み、目を閉じる。
「なんだか不思議だね」
ドミニクの言葉に、アリツェは再び目を開き、うなずいた。
「おそらくはお兄様も、同じタイミングで優里菜様と融合なさったはずですわ。優里菜様も悠太様と同じような状況に、置かれていらっしゃったようですし」
夢の中で悠太が言っていた。ラディムと優里菜の間にも、同様の事態が発生しているだろうと。
「ラディムは大丈夫かな。伯爵領軍の総大将になっているはずだから、人格融合で悪い影響が出ていなければいいんだけれど」
ドミニクは口元に手を当てながら、渋い表情を浮かべた。
「大丈夫だと思いますわ。なんだかんだで、お兄様と優里菜様もうまくやっているようでしたし」
ラディムが精霊教を受け入れてからは、優里菜との関係は良好だと聞いている。融合したとしても、妙な事態にはなっていないと信じたい。
「これからクリスティーナに報告してきますわ。申し訳ないのですが、ドミニクにはわたくしの天幕の撤収をお願いできませんか?」
この日の昼前には、今の陣を引き払ってミュニホフ近傍まで移動する予定になっている。本当はもう少しゆっくりドミニクと話し合いたいところだったが、あいにくと時間がなかった。クリスティーナとの会話の時間も考えると、アリツェが自らの天幕を撤収している時間はないと思われたので、ドミニクに頼むことにした。
「ん、わかったよ。人格融合の先達であるクリスティーナの話を聞いておくのは、今のアリツェにとっては非常に重要だからね。こっちで片づけておくよ」
ドミニクも納得したのか、首肯した。
「ありがとうございますわ!」
アリツェは礼を述べると、軽くドミニクにハグをした。
ドミニクに片づけを託し、アリツェはクリスティーナの天幕へとやってきた。
「クリスティーナ、今よろしいかしら?」
入口で声をかけると、すぐさま中からクリスティーナが顔を出した。
「あら、アリツェ。昨日ぶりね」
寝起きだったのか、クリスティーナの赤髪は寝ぐせがあちこちについていた。いつもは後頭部で結っているので気付かなかったが、結構なくせ毛のようだ。
「ふふ、昨日は素敵なプレゼント、ありがとうございましたわ」
アリツェはにこやかに微笑みかけた。
「いいっていいって。で、今日はどうしたの?」
クリスティーナはそう口にしながら、アリツェを天幕の中へと誘導した。
「実は、昨晩夢の中で悠太様――カレル様の人格と、わたくしの人格が融合いたしましたの。それで、クリスティーナにも報告をと思いまして」
アリツェはクリスティーナの差し出した椅子に腰を下ろした。クリスティーナもアリツェに正対するように椅子を動かし、腰かける。
「あらあら、まぁ! 二重人格で固定されたって話を聞いていたけれど、とうとう一つになったのね? この様子だと、主人格はアリツェかしら?」
クリスティーナはポンっと手を叩いた。
「ええ、そうなりますわ。実は、ここ最近ずっと、悠太様の人格が表に浮上してきておらず、クリスティーナの人格融合時と同じような状況になっておりましたの。それで、もしかしたらとは思っていたのですが……」
クリスティーナの本来の人格がミリアの人格に統合される直前、クリスティーナの人格は完全に沈黙し、ミリアの人格だけが表に出てきていた。その様子をアリツェも見ていたので、悠太の人格が沈黙を続けているのは、同じ理由ではないかと危惧していた。
「なるほどね。それにしても、本来の想定とは逆の人格が主人格になるなんてねぇ。ヴァーツラフ君の説明とは違っちゃってるなぁ」
クリスティーナは腕を組み、首をひねった。
「えぇ、その点は悠太様も憤慨なさっておりました。テストプレイが終わったら理由を聞きだしてやると、意気込んでおりましたわ」
言ってやりたい文句がたくさんあると、悠太は息巻いていた。ただ、ゲーム終了は、不慮の死に襲われない限りはまだまだ先の話だ。六十年以上は生きられるはず。それまで、悠太の怒りや不満は残っているだろうか。
「私もちょっと、理由が気になるわ。現実世界に戻ったら、『精霊たちの憂鬱』内でカレルに聞いてみましょうかね」
クリスティーナは顔を上げ、「ふふっ」と笑った。
「それと、おそらくはお兄様もわたくしと同じ状況になっていると思いますわ」
「ってことは、ユリナがラディム君に吸収される形での融合?」
「はい。お兄様と優里菜様の関係も、わたくしと悠太様の関係と同様の状況に陥っておりましたわ。ですので、まず間違いなく、十四歳の誕生日をもって人格の統合がなされたかと、わたくし思いますの」
クリスティーナの問いに、アリツェはうなずいた。
「やっぱり、あなたたち双子はちょっとイレギュラーみたいだね。どうしてこうなっちゃったんだろう」
人差し指を唇に当てながら、クリスティーナは「不思議よね」とつぶやく。
「世界の管理者であるヴァーツラフ様に聞かないとわからないようですし、正直なところ、いくら考えたところで結論は出そうにないのが悲しいですわ」
ゲームシステム的なエラーであれば、今この場でいくら頭を捻ろうが、答えが出るはずもない。そして、システムのエラーかどうかは、それこそ管理者ヴァーツラフ以外には、判断のしようがなかった。
「まぁ、カレル――悠太君には悪いけれど、アリツェにとってはラッキーよね。本来は消滅する側だったはずなんだし」
「ちょっと複雑な気分ですわ」
素直に喜んでもいいものなのかはわからない。悠太の気持ちを考えれば、幸運だったと手放しで喜ぶべき結果でもない。色々な想いが絡み合い、なんとも言い難い感情が沸き起こってくる。
「システムが勝手に行っている処理の結果なんだし、アリツェが気に病むことはないわ」
クリスティーナは軽く笑い飛ばした。
悠太と同じ転生者であるクリスティーナ――ミリアにそう言ってもらえると、幾分気が楽になる。今回の悠太を吸収しての人格融合は、アリツェ自身がどうこうしようと思っても、できるような話ではなかったのだから。
「とりあえずこの報告だけは、帝都侵攻の前に済ませておきたかったのですわ。ゆっくりと話せる時間はなくなるでしょうし」
いざ帝都攻防戦になれば、貴重な精霊使いであるアリツェとクリスティーナの果たすべき役割は大きい。お互いに時間はとれなくなるだろう。
「そうね。……もし、人格統合で何か不都合が起こったら、相談しなさい。私が経験した範囲でわかるものならば、何か助言ができるかもしれないし」
クリスティーナはアリツェの肩に手を置き、にかっと笑いかけた。
「えぇ、その時はお願いいたしますわ、クリスティーナ」
頼れる言葉をもらい、アリツェは少し心が軽くなった気がした。相談できる相手がいるというのは、なんと心強いものだろうか。
「じゃあそろそろ私たちも、陣地を引き払う準備をしましょう?」
クリスティーナは椅子から立ち上がると、パンパンっと手を叩いた。
アリツェも立ち上がり、首肯した。ドミニクに片づけをすべて任せっきりにするわけにもいかない。クリスティーナに礼を述べると、早々に自身の天幕へ戻った。
王国軍は陣を解き、再度ミュニホフへ向けて進軍を開始した。もはや敵兵の姿はまったく見えず、順調な行軍だ。
夕刻には予定どおり帝都ミュニホフを望める丘の上に到着し、王国軍は陣を張った。
アリツェはペスとルゥの力も借りつつ、素早く自前の天幕を準備する。すっかり手慣れたものだった。
「久しぶりに見る、帝都ミュニホフですわ……」
眼前に見える帝都の姿を見遣り、ラディムを救うために皇宮へ潜入した夜を思い出す。王国軍の帝都攻略が成れば、最終決戦はあの宮殿内だ。再び皇帝ベルナルドと見えたとき、果たしてどのような結果を招くだろうかとアリツェは思う。ラディムの説得ですら聞き入れない、かたくなな皇帝に対して……。
「やはり皇帝側は、ミュニホフに籠城の構えだな」
しばらくぼんやりとミュニホフを眺めていると、隣からフェルディナントが声をかけてきた。
「叔父様……」
フェルディナントは陣の構築状況を確認するために回っている途中で、アリツェに気づき声をかけてきたようだ。
「帝都決戦、どのようにいたしますの?」
間違いなく、アリツェは重要な役割を担うはずだ。今後の方針が気になって、フェルディナントに尋ねた。
「まもなくラディム率いる伯爵領軍も帝都に着く。とりあえずは街の包囲だね」
フェルディナントが言うには、伯爵領軍はあと二日程度で、ミュニホフ近傍まで到達するらしい。
「そうなりますと、長期戦も覚悟しないといけませんわね」
街を取り囲んでの籠城戦では、お互いの忍耐を比べ合うしんどい戦いが予想される。短期決戦とはいかないかもしれない。
「さすがに帝都は備蓄がしっかりしているだろうし、数か月は引き籠もり続けられるのではないかと見ているよ。まぁ、ジリ貧になるだろうから、その前に討って出てくるとは思うけれどね……」
フェルディナントは顎に手を当てながら少し考えこみ、見通しを口にした。
「であれば、何のための籠城ですの?」
いずれ討って出ざるを得ないのなら、より余力の残っているうちに決戦を挑んだほうがいいのではないだろうか。
「おそらくは時間稼ぎだね。ザハリアーシュの部隊がマジックアイテムを作るための」
「あぁ、なるほど……。でも、いくらマジックアイテムを作ったところで、わたくしやお兄様、クリスティーナがいる状況では、もはやどうにもならないと、わたくし思いますわ」
アリツェはフェルディナントの意見に納得するも、しかし、もはやこの戦力差では、爆薬程度のマジックアイテムがいくらあろうと逆転は不可能ではないかとも思う。
「この辺りが宗教がらみの戦いの難しいところだね。降伏よりも徹底抗戦を選ばざるを得ないんだろう」
フェルディナントは渋い表情を浮かべた。
「……悲しいですわね」
無駄に命を散らす姿を見たくはなかった。だが、現実はなんと無常なのだろうか。……アリツェは弱々しく頭を振った。
二日後、予定どおりラディム率いる伯爵領軍、バルデル公国軍の混成部隊が、ミュニホフ傍の丘に陣を張る王国軍の元に到着した。
「お兄様!」
アリツェはラディムの姿を見つけるや、駆けだした。
「アリツェ、久しぶりだな。ザハリアーシュにはしてやられなかったか?」
ラディムもアリツェの声に気づき、にこやかに微笑みながら、両手を広げてアリツェを迎えた。
「問題ございませんわ! それに、クリスティーナが合流してからは、こちらから一方的に攻め立てられましたし」
軽くハグを交わし、お互いの無事を喜びあう。
「そいつはよかった。……アリツェ、確認なんだが、悠太は――」
アリツェはラディムが何を話そうとしているのか、すぐにピンときた。
「お兄様、その件につきましてはここで話すのは具合が悪いですわ。わたくしの天幕までお越しくださいませ」
転生者の話については、あまり無関係の人間には聞かせたくなかった。なので、すぐさまアリツェはラディムの言葉を遮り、手を引いてアリツェの天幕まで誘導した。
「――では、悠太もアリツェの中に統合され、消滅したと」
ラディムはアリツェの瞳を注視する。
「ええ、そうですわ。……消滅という言葉が正しいかは、ちょっと難しいものがありますが」
あくまで融合だ。主人格はアリツェだが、悠太の意識が片隅に残っている感覚はある。
「ああ、そうだね。確かに、優里菜の人格は私に統合されたが、消滅したって感じはしないな」
アリツェの言葉に、ラディムはコクコクと頷いている。やはり、ラディムもアリツェと同様の経過をたどったようだ。
「クリスティーナとも少し話したのですが、やはりこれはシステム的なイレギュラーなのではないかと。性別の違う人格が転生したため、本来想定されていた人格統合とは逆の形で成されたのですわ」
転生者と同性の素体に入り込んだミリアは、予定どおりに素体のクリスティーナの人格を吸収した。悠太と優里菜についても、それぞれが逆の素体に転生していれば、こんなおかしな状況にはならなかったのだろう。悠太がラディムに、優里菜がアリツェに転生さえしていれば……。
「今すぐにでもヴァーツラフを問い詰めたいけれど、自殺してログアウトするわけにもいかないしな。まったく困ったものだ」
このゲームは、残念ながら死ねばそこで終わりだ。かつてのVRMMO『精霊たちの憂鬱』の時のような、死に戻りシステムはない。現状、確かめる術はなかった。
「お兄様も、人格統合で何か困ったことがありましたら、クリスティーナにご相談なさってください。そのようにクリスティーナから言付かっておりますわ」
たった三人のテストプレイヤー。その中でも、クリスティーナは正常に人格統合がなされた先達だ。頼れるところは頼るべきだとアリツェは思う。
「承知した。そうさせてもらおう」
ラディムは首肯した。
「では、明日からの帝都攻略戦、長い戦いになるかもしれませんが、お互いに頑張りましょう!」
アリツェはぐっと拳を固めた。
誕生日をはさみ、色々と自身を取り巻く状況が変わったが、やらなければならない役割は変わっていない。改めて気合を入れなおした。
「ああ!」
ラディムもアリツェに合わせて掌を強く握りしめ、気合の言葉を放った。