春の星
堤千代の昭和19年1月から『主婦之友』に連載された作品。
鉱山を舞台にした二人の女性とその周辺の人々のことが描かれる。
昭和20年3月号、最終回。
二月号までのあらすじ
鉱員小原の娘嘉穂子は、父が在世中はその反対を受けながらも労務主任須永と固く将来を契った。しかもその父は逝いた。だが、坑内へ決死的調査に赴く須永から「捨てて甲斐ある命なりせば」の堅い覚悟を示され、嘉穂子は今は鉱山の人々のため妻と母の心で生涯使えんと期す。
一方小早川少年の姉鶴子は、半島青年朴の勧告を容れ、須永への恋情を断ち、ただ亡き弟のために鉱山に留まろうとする。朴青年は鶴子に切言するや卒然鉱山から下りようとした。その矢先晴れの召集令状が―――
春の星
一
鉱山に乏しいながら植え育てられている桜の梢に、春雨らしい小雨が注いでいた。
鶴子は選炭場から出て、女子宿舎へ昼食に帰ろうとしていた。彼女の炭粉に汚れた痕を留めている面には、そりと定め難い憂愁の気が漂っていた。彼女は数十人の足音と、日本陸軍の歌の合唱を聞いて立ち止まった。
「まア、朴さんでいらっしゃいますのね」
鶴子は驚いた顔を上げて、更に見直すように視線を送らずにはいられなかった。
「アア、小早川さんのお姉さんですか……」
同郷の山の人々に囲まれて赤襷の姿を見せていた朴青年は、つかつかと寄ってきた。
「あなたも御応召に……。それは、おめでとうございます」鶴子は、その人の過去の日からを思い浮べて深い感動を覚えながら、その前に頭を低く低くさげた。
「おかげさまで、征くことができるようになりました」朴は、相手の態度に籠もる誠意を感じて、欣然として答えた。
「小早川さん、あなたには一言わびして出発って行きたいと思っていました」
と朴は、自分の過去の姿から眺めてきている一双の美しい瞳の前に、初めて晴れ晴れと面を向けた。
「私は、坑内に入って日頃の念願を果してきました」
と、朴は報告した。この相手の女性ならば、自分の坑内に入り得た喜びを汲み取って貰えることを信じていたからだった。彼は出征前の希望として、坑長に入坑許可を願い出て許されることができた。彼は、多くの後山先山の人々にまじって、一日、坑内に鶴嘴をふるった。「そら、アメリカ奴、ぶっくじけ。そら、イギリス奴、ぶっくじけ」
彼は、鉱員の人々の合言葉のかけ声に、声を合わせて働いた。彼は、自分のふりかぶった鶴嘴のしたに、米英の鬼畜共の脳天にうちこむ手ごたえを想像した。そして、これが、やがて自分の執る銃の響と変るべき戦線の日を思い忍んで、彼の血は熱く湧き上った。やがて彼は、最初で、或は最後に立った切羽から離れると、一散に三〇坑道に決死作業続行中の須永以下の人々への救出現場に馳せつけた。
彼は、坑道への出入口を埋没している崩壊土砂の山積の壁に向って立つと、声かぎり、坑道内へ向って呼んだ。彼は、土砂に額を埋めて叫んだ。たとえ、自分の叫びが、土砂の山積の向うへ達することはあり得ずとも、そこに在る人の魂に通ってゆけと、彼は呼びかけたのだった。
「須永さん、須永さん、朴です。坑内に炭を堀りに入ってきました。あなたの御教訓の通り、喜びの勤労の心を以て、出征第一日を坑内で働きました。須永さん……」
朴は、涙と土にまみれた顔を横なぐりに腕で拭っては、土に唇をつけて叫びつづけた。
「須永さん。聴いてください。聴いてください。あなたのおかげで、心の目が開いた後の一日を、増産のために勤労することができました。どうぞ喜んでください。聴いていてくれますか……。須永さん……」
繰り返し繰り返し呼んで、朴は遂に声を放って慟哭した。救出現場の人々は、この半島の青年の叫びと慟哭のさまを、暫し茫然として見まもった。やがて、熱い強い感銘の情が、在り合す人々のすべてを打った。そして、それは、遂に全体の男泣きに変じていったのであった。
「今までの失礼のおわびに、必ず一人前の働きをしてまいります」
と朴は、鶴子に向って爽かな調子で言った。鶴子は、その言葉を頼もしく、貴く、嬉しく聞いて、涙を拭いた。彼女は、人を避けて、二足三足朴に寄ると、早く、低く、ささやいた。
「朴さん、私、及ばずながら必ず嘉穂子さんの将来に心をつけてまいります。どうぞ御安心なさって、お国のために、お働きあそばして……」
朴は、その言葉を美しい珠の一つを手渡されたような感じで聴きとったのだった。
「有りがとう、よろしく……」
春の小雨は、送ってゆく人々の上にも、送られる人の赤襷の上にも、しめやかに注いでいた。鶴子は、山路を遠ざかってゆくその後影を見送って久しく佇んだ。
二
「三〇坑道内から、我、作業に成功せり、の信号があったそうです」
興奮と間隙の早口、大音で、所員の数名が、鉱務所内から社宅まで伝達してまわった。それに応えて、歓呼が風のように山のいたるところをゆすった。
「それで、皆さんは……御無事で……」
ちょうど女子青年部の代表達が、応召の朴青年を見送るために、社宅の表通りに集合しているところへも、その伝達の声は響いてきた。
日の丸の小旗を手にして、若い友同志語り合っていた中から思わず走り出て、嘉穂子はたずねかけずにはいられなかった。
「永田技師は殉職の模様です。須永さん以下は全員無事です」
その所員は、馳せ寄った嘉穂子に、かけて、他の大勢にも告げるように大声で言った。
「須永さんは、御無事……」
手に手に持った小旗のゆらぎとともに、若い女性達の唇をついてもれた感動の声の中に、嘉穂子は思わずじっと瞼を合せた。
おりからの春雨が、そのまま心の中にも降り注いでくるような、温い軟かい安堵と喜びが、彼女の胸を潤していった。
三
三〇坑道には引きつづき復興工作が行われて、遂に坑道としての生命を復活し得た。
その頃、殉職の永田技師に対して、稀有な官吏顕功章の恩命が下り、亡き人の上に輝いたのであった。山の人々は間隙を以て、その恩命に報いるべく、百四十パーセント増産額持続決行を誓いあった。
「どうだネ、須永君、按配は……」
労務課長は、必ず一日一回は訪れる見舞いに、今日も須永の病室に姿を見せた。ガスに両眼を傷められた須永は、春の日々を病床に送っていた。
「はァ、二三日のうち、もう一度手術を受けることになっていますが、その結果で、かたがつくと思いますが……」
須永は、繃帯の上から、手でさわりながら答えた。
「見えるとも、見えなくなるとも、早く、はっきりしたいと思います」
「むろん、見えるようになるよ、君……」
課長は引き受けて言うのだった。
「いや、白衣の勇士のことを思えば、見えても見えなくとも天命まかせで、気楽にやってゆくべきなんでしょうが……」
と須永は繃帯のかげで、さびしい笑みを口もとによせた。
「考えると、永田は、いい死所を得たと思います……」
「そうだねえ……」と課長は、病室の窓を、ひらひらかすめて行った白い蝶の影を見やりながら、しみじみと頷いた。
「しかし、生き残った君は、今後永く生命のある鉱山訓として、素人を引っ張って行ってくれなくちゃいかん……」
と課長は、須永の肩に手をおいた。
「いや、私は盲人になったら、その盲目の力だけ、山のために働いてゆく決心でいます」
と、須永は微笑して言った。その時、扉を開けて鶴子が入ってきた。彼女は日毎にここへきて、女らしい細やかな看護の手をそえているのだった。さっぱりとした袷に雪白の割烹着をつけて、彼女は、手に桜の一枝をもっていた。
「いらっしゃいまし……」と、鶴子は課長に会釈した。「やァ……」と、課長も一礼して、
「小早川さん、いずれ所長からお話すると思いますが、この両三日中に、弟さんの遺骨をお送り出しすることができるようですよ……」
と、言った。
「最近の戦局に対する全員の発奮の結果ですね。それに永田技師のことも加わって、弟さんの願われた増産持続が、どうやら実現します。山のあらゆる機構をあげて、弟さんをお送りする予定でおります……」
「はい……」と鶴子は、白い割烹着の袖に零れた薄紅の花びらに目を落して、つつましやかに答えた。
「本当に、もったいないほど有りがとうございます。けれど、私、もう少しの間、弟の骨と一緒に山で暮していたいように存じておりますけれど……」
「それは、どちらでも結構ですが……」
と、課長は一寸解せない風だったが、別に拘泥しないで、
「では須永君、また明日、なにかうまいものを見つけてくるよ……」
と、言い残して病室を辞し去った。
「須永さん、もう桜が咲きましたのよ」
扉の外まで課長を送り出してきた鶴子は、さっきの桜の枝を、そっと繃帯の人の顔近く寄せた。
「ほう。どれどれ」と須永は、手さぐりに枝にさわって見て、更に花びらに指先をそっと触れて、春の形をざくり得たようなもの懐しい微笑をもらした。
「なるほど。こうして指でさわってゆくと、心の中に、はっきり桜の花が見えてくるから不思議だ……」
鶴子は涙ぐましい心地で、その様子を見まもっていたが、やがて、花の枝を枕元の瓶に投げ入れにした。
「鶴子さん……」須永は、その気配のほうへ面を向けながら呼んだ。
「今、一寸話が出たようですが、茂君の遺骨は、なるべく早く、郷里の方へ送って行かれる方がよくないですか……」
鶴子は、春の陽ざしに透き通った薄紅の花の影を眺めていたが、
「私も、そう存じておりますけれど……」
と、ひそやかに言い出した。
「あなたさまの、お目の手術の結果を確かめるまで、一日でも、山を離れたくないような気がいたしまして……」
鶴子は零れた花びらを指で拾いながら、涙ぐんだ。
「本当に、これこそよけいな心配で、かえって御迷惑はよく存じておりますし、こうして毎日御見舞いに上るのからして、戦線に立っていられる或人とのお約束にもそむいているような工合でございますし、それに、第一嘉穂子さんにも……」
所々を明かにも言いかねて、まぎらして言いながら、鶴子は涙をおさえられなかった。須永は、繃帯の面をうつむきにして、無言の中に動かなかった。
「でも、嘉穂子さんは、どうして、あれから一度もお見えにならないのでございましょうね。その人が不幸な時ほど、近くにつきそっていたい女の気持は、誰にも変りがないと存じますけれど……」
鶴子に、かなりの躊躇の後、僅かに、繃帯のかげの表情をうかがうようにして、その言葉を出したのだった。繃帯のかげには、ちらと苦笑を動いた。
「さァ、あの人には、それだけの理由があって、見舞いに来ないのでしょうが……」
と、須永は無造作に言った。
「しかし、心配していることは確かだナ」
と、後は独語で言って壁の方へ繃帯の面を向けた。その独語の響の中には、いかにも、知りつくしている相手の心を今さらに思いやるような、親身な情愛が聞えた。鶴子は、涙がさびしく乾いてゆく顔を、花のかげにふせて悄然と黙した。すると、沈黙の中に過ぎてゆく時の一つから、ふいに「鶴子さん、勘弁してください……」と言う低い声が起った。愕として鶴子がふりむいた時、須永はもう以前の通り、白く包まれた面をうつむけるようにして、黙然としていた。
四
女子宿舎の午は、閑静であった。春の濃い明るい陽ざしは、その窓々に溢れていた。
嘉穂子は、女子青年部の二三人と共に、そこの作業室で、近県の疎開児童に贈る山の人々の慰問品の小包を作っていた。
「お嘉穂さん、弟さんからお便りあって……」
せわしく手を動かしながら、娘の一人がたずねた。
「ええ。ついこの間、いよいよ実習部隊に配属されて、多分第一線に出られる見込み……とか、大自慢で知らせてきましたわ」
嘉穂子は嬉しい心地で、弟の直樹の上を問われたのに答えるのだった。
「それでは、やがて神鷲の一人になられるかも知れないわね。お嘉穂さんは、本当にいい弟さんがあって、うらやましいわ」
とその娘は、飾り気なく実際うらやましそうに言った。嘉穂子は、小包の縄をくくり合せながら微笑んだ。彼女の心は、空の道に進んで、山の故郷に帰る日をいつとも知らぬ弟の上に行った。
「今日は、労務の須永さんのお目の手術の日ですってね。どんな風でしょう」しきりに上書の筆をふるっていた娘の一人が、言い出した。
「お嘉穂さん、あなた、お見舞いにいらっしゃらないの……」
嘉穂子は、縄を切りかけていた縄の手を、急にとめた。
「あら、指をはさんでしまった……」
と呟いて、指先を見つめた。
「まァ、いけないわ。深く切ったこと……」
と友達の人々は、腰を浮かして覗く。
「いいえ。大したことではないの。でも、一寸消毒してくるわ」と言いすてて、嘉穂子は作業室を出た。彼女は、陽ざしの満ちた、人気のない廊下に来ると立ち留って、血の滲む指をそのまま瞼に当てて、ぼんやりは佇んだ。瞼から溢れ出した涙は、その指先に伝っていった。
「嘉穂子さん……」うしろから肩に両手をかけられて、嘉穂子は驚いて振返った。
「あら、鶴子さん……」嘉穂子は、肩のすぐ傍に、優しい寂しい鶴子の笑顔を見たのだった。
「私、今病院から帰ったところですの。須永さんのお目の手術の結果を、うかがってきましたわ」
嘉穂子は思わず、相手の袖の上から、その肘につかまった。
「どんな工合でいらっしゃいますの」
「さァ、なんだか、あんまり思わしくないようなお話てしたわ」
と、鶴子はささやくように言った。嘉穂子は、相手の肘から手を離して、首をたれた。二人の女性は春光の中に向い合って立っていた。
「嘉穂子さん、あなた、すぐお見舞いしてお上げなさいましね……」
と、鶴子は言った。嘉穂子は、びくりと肩を震わせて顔を上げた。
「鶴子さんこそ、どうして、こんなところにいらっしゃらずに、看護にずっとついていてお上げになりませんの……」
嘉穂子の声は、どこかなじるような響をもっていた。
「でも、私……」と鶴子はしょい上げの形を直しながら、
「近いうちに、弟の骨をもって郷里へ帰るんですの。すぐまた、山に働きに帰っては来ますけれどね。その下準備に今夜の汽車で、一度郷里へ帰って来るつもりでいますから……」
「まァ……」と呟いた嘉穂子の顔は、繭の辺からみるみる曇っていった。
「鶴子さん、私ね、一度の見舞いにも行かないでいたほど、すべてをあなたにおまかせしたつもりでいましたわ……」
嘉穂子の皓い歯は、唇をかみしめていた。
「あなたはあの人に、一番慰めの手が欲しい今日のような時に、汽車に乗ってお出かけになりますのね……」
乳の在りし日の言葉を守って、自分の一生の恋をゆだねた女性は、そんな程度の人であったかと、嘉穂子は口惜しく、うらめしく、その顔を見つめた。
「嘉穂子さん……」と鶴子は、その手を取ると、引き寄せて自分の胸に当てた。
「私は、どうしても、今夜の汽車の切符を買わなければならなかったのですわ。つまり、私のもって生まれた運勢が、そんな切符を買わせるんですもの。悲しいと思っても仕方がないんですわ……」
鶴子のややとぼけたような言葉の中には、魂の底に凍りついた悲哀がかくれていた。彼女の睫毛には、春の陽を宿した涙が輝いていた。
五
「あなた……」嘉穂子は、須永の傍に立って呼んだ。春の宵の灯かげは、病室の中でもどこか潤んでいた。雪白の繃帯に包まれた須永の面にも、その灯かげが、うすい陰影をつくっていた。
「アア。嘉穂子さんだね」
須永は、繃帯のかげから微笑して答えた。
「大分、ごぶさたをしていましたね」
「私、鶴子さんからお聴きしましたの」
嘉穂子は、蒲団の上の、痩せて骨の目立つ須永の手の甲を、そっとなでた。
「私、今夜から一生、あなたのお目の代りに、あなたの身から離れずに、おつきしてまいります。私、健康でお幸せなあなたには、二度とお目にかからないつもりでいましたけれど、これからは決して一生離れません。離れませんわ」
嘉穂子は、繃帯に自分の涙の頬がつくほど近く寄せて、ささやきつづけた。
「よしよし。わかっている。有りがとう……」須永は静かに頷きながら、片手で嘉穂子の手をさぐった。
「しかし、僕の目で駄目になったのは左だけだよ。鶴子さんは、それを知ってるはずだがね。どういう風に君に伝えたのかな」
「あら……それでは、鶴子さんは……」
と嘉穂子は、はりつめていた心の調子が、がくりとはずれるのを感じると同時に、鶴子の優しい寂しい笑顔の奥の心が、さっと自分の理解にあてはまってくるのを感じた。
「そうだ。わかっている」須永は、包まれた両眼の中にその面影を眺め、忍ぶように、静かに言葉をついだ。
「鶴子さんは、君が従来の行きがかりに足どめされているこの病室に、馳けつけるはずみが得られるように、今日の手術の報告書に書き入れをしたのだろう。あの人は、そんな風な心づかいの人だよ……」
須永は、さぐりあてた嘉穂子の手を執って、おちついた和かな様子で語をついだ。
「僕は、この左の目を初めとして、自分の一生をすべて山の仕事に使いつぶしていこうと思っている。それで、君のなくなったお父さんのめがねにも、いずれはあてはまってゆくことができるはずだ。我々は、いつか必ず、名実共に充実した鉱山一家をつくって、子孫に伝えようじゃないか。夫婦で、この決戦下に、一塊でも多く炭を掘り出すんだ」
嘉穂子は、蒲団に額をおしあてて、しだいに喜びに溶けてゆくような涙にひたっていた。須永の枕頭の桜は、若い二人の、熱い美しい想いの沈黙の中に、ほのぼのと匂っていた。
六
汽車は、満員以上のこみ合だった。
鶴子は、一番隅の席におしつめられて、窓から外を眺めていた。春の夜空の星は、軟くちろちろと光って、またたいていた。
「茂さんの骨を出いて、この汽車に揺られるのも、近々のうちだろう」鶴子は、さまざまに思うことの多い胸に、一つ一つもの懐しく春の夜の星を望んだ。初めて弟を報国隊に出してやった時のこと、須永との再会、空襲の灯の嘉穂子と自分、それからそれへと思ううちに、山の上の勤労の日々と人々が、慕わしく心に浮かんできた。
「私も早く山に帰って働こう。須永さんと嘉穂子さんは、きっと鉱山の社宅中第一の、決戦下型の模範家庭をつくるだろう……」
寂しい、しかし静かにはり合のある感じが、鶴子の心をしめていた。
「戦線の朴さんに、一度、報告の便りを書かなければ……」
山の上の空にも、遠い大陸の戦野の空にも、同じ光をまたたいている星を望んで、鶴子は、新しい心の力を身内に感じてきた。
「増産一路、増産一路、早く、あと山さき山の人々のところへ帰ろう」鶴子は胸に、その言葉を繰り返すのだった。
(完)