O氏の敗戦
イスラム過激派に吸い寄せられる若い人がいます。それは世界中にいます。人種も、宗教も異なるのに、彼らはあえてそこに向かうのです。
彼らはそこに、何を求めて向かうのか。分かる気もするのです。
自国の享楽的な文化文明に落胆している、強烈なアイデンティティへの憧憬、強くなりたい、戦ってみたい。
過激派と呼ばれる人達がいて、その人達の中には、とても過激派とは思えない人達もいます。
全身にビリビリと痛みが走る。
痛覚という痛覚が、これでもかと反応する。
俺はのたうち回ることもできず、目を開けば稲妻ばかりが見えるようだった。
口を開いているはずなのに声は出ず、口から気道を通して肺の中まで炎が入り込んだようだった。体の中から、体が燃やされる。
俺はもう自分ではどのようにも制御できないどん詰まりで、それでも死を覚悟まではしてない人間の常で、ただただパニックに陥っていた。
後から考えれば、死にたくないと思っていたのだろうと思う。何が自分の身に起こったのか、知りたかったのだろうと思う。
自分の体が焼けただれていく。焼けていくのが痛みを通じて分かる。皮膚がケロイド化していく。鼻孔、外耳道、喉、その全てに炎が入り込んだような強烈な熱さと痛み。
ただ、体が焦がされていく。生きたまま、焼かれている。
テレビドラマでも映画でも、主人公はいつだって生き残る。そうじゃ無いと、話しとして成り立たない。俺達はそれを、誰かのストーリーとして眺める。それは、いつも生き残った者の視点だ。それだけで、勝者である者の視点。ファースト・ブラッドのシルベスター・スタローンや、プラトーンのチャーリー・シーンのように。
生き残るってだけで、勝ちなのだ。
たまに主人公が死ぬ。だけど、その死も、まるで痛みも苦痛も感じさせず、ただ満足の中に死んでいく。セイビング・プライベート・ライアンでトム・ハンクスが演じた兵士のように。
だから、どれだけ絵や文章がリアルでも、痛みも死も所詮は他人事で、俺には実感として湧かなかった。
広島の原爆記念館を訪れても、俺には実感として殺されるってことが分からなかった。
人や社会のせいにするわけじゃないけど、感覚としてはみんなそうなんじゃないのか?
小学校の中学年から、俺は虐めにあった。それも原因かも知れない。俺は、意図的に鈍感であろうとしていた。
運動が上手く出来なくって、大縄飛びの輪に入れなかった。
いつも外から見ていた。でも学校のイベントで、クラス全員で回数を競う場合もあった。一回りで一人ずつ輪の中に入っていく。何人入ったか、その上で、全員で何回飛べたかで勝ち負けが決まる。そして、必ず俺のところで俺のクラスの記録は途絶える。クラス全員の恨めしそうで、どこか勝ち誇り、見下したような「あ~あ」と言う溜息は今でも鮮明に耳に残っている。
「お前みたいな奴ってさ、生きてる価値ってあるの?」
トイレで殴られ、タバコの火を脇の下に押しつけられた中学校時代。万引きすることを強要された高校時代。誰に助けを求めても、返ってくるのは「君自身の問題だよ」と言うこの上なく他人事な言葉だった。
『君自身が強くならなきゃ。虐められたくないと思うのなら、君自身が強くなる他ないよ。気持ちがね、特に。』
『どうして彼等が君を虐めると思う。決まってるじゃないか、虐めやすいからだよ。だから、これは君の問題なのだ。』
『大人にどうしろと言うの?君を虐めている人達に、大人が話をして聞くの?君だって、大人の言うことを素直に聞くの?じゃあ、大人にどうしろって言うの?』
『恥ずかしくないのかい?虐められていますって、他の人に言うのって。私なら恥ずかしくって、口が裂けても言えないね。』
人間扱いをされず、ただ強くなることを一方的にに求められた。だから、俺は自衛隊に入った。
自衛隊では、体と心が鍛えられると思っていた。町中にある入隊案内所では、俺の経歴に涙を流さんばかりに同情してくれたし、自衛隊なら理想の自分になれると保証してくれた。運動神経も気にしなくて良い、ちゃんとしたプログラムがあって、理想の自分になれると。
だが、自衛隊にも幻滅させられた。
俺は砲兵として訓練を受けたが、周りの奴らときたら、
『戦争になったら、真っ先に逃げるっしょ。』
『そらそうよ。それに、ここにいたら戦争の情報はどこよりも早く入ってくるよね。』
『それそれ。戦車パチって逃げようぜ。』
ガッカリだった。
俺は本物の戦いを求めて海を渡った。
「オイ、大丈夫か?」
俺の言葉はつたない英語か、もっとつたないアラビア語だ。主に意志の疎通は英語だった。オイ、大丈夫か?も、“Hey, you OK?”くらいに思ってくれ。俺も相手もガタガタの英語でそれなりに意志の疎通ができていた。
「だから言っただろう。行動に気を付けろって。だからこんな目に遭うのだ、バカやろうが。」
声の主はザワヒリだった。俺の友人。戦友。かなり怒っている。
死にかけるのも俺のせいだって言うのか。こいつまで他人事に語るとは、ガッカリだ。
ザワヒリが俺の肩を担いでくれる。俺は腕がもげるような錯覚に陥った。
「戦え。お前は戦士だろう。」
クッソ、俺がお前達のイデオロギーなんざ知るかよ。だけど、戦士、ねえ。そうかも、知れないね。そうだと、まだ救われるな。
それはそうと、なんでここにいる?ザワヒリ。
兵士になろうと思ったのは、強くなりたいという願いだけではなかった。
確かに、極限の状態で、命のやり取りの中で、究極に強くなりたいと思った。目力だけで相手を殺せるほどの強さを、命のやり取りの中で得られると錯覚していた。
だが、弱い理由かも知れないが、もう一つ理由がある。
俺はアニメが好きだった。特にファースト・ガンダムと呼ばれる「機動戦士ガンダム」が好きだった。ガンプラ好きの父親の影響もあったかもしれない。
今のアニメに比べれば絵は汚くて、同じ人物を描いているとは思えない下手くそなシーンもある。声も演技過剰で、笑いそうになる。戦闘のシーンもいい加減と言うより殴り書き。
でも、他のガンダムにはない何かがある。俺はそれが何かと考え続けた。どうしてこうも惹かれるのだろうと。何度も繰り返し見て、考えた。そして、きっとそれは誰かと何かを成し遂げると言うことだと思った。
チームワーク。そこから得られる共通のゴール。きっと、それを得られたら、俺は幸せと思えるのでは無いかと思った。
他のガンダムでもそのようなテーマはあっただろう。だが、ファーストが一番その印象が強い。だが、子供の頃には、俺の人生におけるその場面は戦場では無かったはずだ。
部活だったり、会社に入っての社会人生活だったり。だが、俺にはその場面は用意されていなかった。俺はそこに、社会に入れてもらえなかった。弾き出されたし、自分からも近付かないようにしていた。
「私はザワヒリだ。君の教育係を務める。会えて嬉しい。君のような裕福な国の人間が、何故こんなところに来て、しかも命を賭けて戦うのか、良かったら教えて欲しい。」
まるで面接試験だと思った。卑屈になりそうな自分を奮い立たせ、思った通りのことだけを言おうとした。
「世の中なんて、どこまで行ったって、虐めのなくならない世界さ。町の中、学校、社会、家の中にだってあるよな。そして外交。
俺の国は70年以上前に世界的に孤立させられ、挙げ句国全部が焼け野原になった。俺の国を焼いたのはアメリカだ。俺は戦争世代じゃないが、俺の国を虐め尽くしたアメリカを許してはいない。
そして今だ。イスラエルは金と武器をもってアラブの人達を追い出し、脅している。
あいつらのやっていることは、力ずくで弱い者から土地を奪うことだ。金と武器を持っているイスラエルとアメリカに、俺の国もヨーロッパも、何も言えない。
ユダヤ人だって、ドイツのホロコーストで非道い目に遭った。なのに、今やつらがやっていることはナチスドイツとそう変わらないぜ。だけど、誰も何も言わない。
俺は、そんなズルくて弱い者を力ずくで排除するやつらが許せないんだよ。」
ザワヒリは少し難しい笑みを浮かべた。
「そうか、分かった。君の強い気持ちは私にとっても非常に喜ばしい。
だが、君が力ずくで他人から物を奪うことが許せないのなら、君は自分の国でそういうやつらをやっつければ良いじゃないか。なにも、こんなところまで来なくても。」
「言ったろ?俺はアメリカを許していないって。憎いんだよ。俺達の先祖の死体の上にアグラかきやがってさ、甘い汁だけを吸い続けるやつらが。あの国旗がさ。」
「Stars & Stripesを焼き尽くすか?」
「それが希望だ。」
正義も神もこの世にあるかよ。正義がそれぞれ立場によって異なるのは認めよう。だが、どこの聖典に気に入らない奴を殺せ、人の金や土地を奪えと書いてある?聖書か?コーランか?仏教の経典か?どこにも書いてない。なのに、戦闘機や爆撃機が飛んでいく時には、正義を振りかざす。神の名を名目にする。
正義の名の下に戦車で人を轢き、神の名の下に銃で人を薙ぎ殺す。
やられっぱなしで良いのかよ?
俺はイヤだ。俺は絶対的な強さを手に入れる。
正義を述べてニヤついているやつらを、踏みつけてやるのだ。
正義は、他人に認めさせる物であって、証明するものではない。明らかに不公平であろうが、不平等であろうが、周りが正義と認めればそれが正義になる。定義なんて関係ない、この上なく下らない観念だ。
寄ってたかって弱い者を虐げて、正義だ?自由のためだ?
俺はそんなことが、たまらなく許せなかった。アメリカは俺を虐めてきたやつらの総代表のようなものだ。徹底的に具現化したものだ。だから、戦いたいと思ったのだ。
弱い者が、いつもやられてくれると思うなよ。やり返すんだ。弱い者だって。
思い知れ。この世で一番強いとうぬぼれているヤクザども。思い知らせてやるのは、この俺だ。
ザワヒリは、俺より十ほど年かさだと見えた。髭は一般的なイスラム教徒のように濃くはなく、切れ長の知性的な目を持っていた。家庭を持ち、子供も二人ほどいた。両親は早くに亡くなったと言っていた。戦闘ではなく、病気か栄養失調だったと。最初の頃は今以上に英語もアラビア語もよく分からなくて、この辺はハッキリしない。
妹を大切にする、優しい男だった。実際に年齢を聞いてみて、驚いた。俺より三つほどしか変わらない。なのに、とても大人に見えたのは、きっと何度も死線をくぐり抜けてきたからだと俺は勝手に信じ込んだ。
彼は自分の家に俺を招いてくれた。
「家族だと思ってくつろげ。」
彼は実際、俺を家族のように扱ってくれた。俺も意気に感じて、彼の子供や妹に勉強を教えたり、畑の手伝いをしたりした。麦の良い匂いは、いまだに忘れられない。
それと同時に、俺はイスラム教の授業を受けた。宗教には全く興味のない俺だったが、改宗しない限り同士とは認められないと言うので、俺はイスラム教徒になった。別に何の感慨も無い。ただ、戦えれば良いと思っていた。
軍事訓練は面白かった。射撃や木のナイフを使った白兵戦、組み討ち。自衛隊では、まず理論からだった。戦いに座学がどれほど必要だろうか。俺は座学から入る戦いに違和感を覚えていた。
ここが本当に戦闘地域なのかと疑うほどに、平和な時間が過ぎていく。
ただ、遠くでドーンというか、ターンというか、乾いた空気を振るわせて音が聞こえた。
「君の国では、わたし達は過激派とでも呼ばれているのか?では、実際見てみて、どう思う?我々は過激派かね?
わたし達は先祖伝来の地で、代々守られてきた教えを守って生きていきたいだけだ。他人の物を奪う気はない。いたずらに諍いを求めたりしない。ただ、あるがままに暮らしていたいのだ。
それを、イスラエルやアメリカ、ヨーロッパは許さない。何故だ。
第二次世界大戦で連合国はユダヤ人から金を借りまくった。だからだ。
そんなことのために、わたし達は土地を追われ、いつしか過激派と呼ばれるようになった。なんともおかしなことだと、思わないか。」
戦いにはやる俺に、ザワヒリは微笑みを浮かべてそのようなことを言った。
面白いことを一つ覚えている。俺が前の戦争と言った時だ。俺の頭の中では太平洋戦争、即ち第二次世界大戦だったが、ザワヒリにとってはどれを指すのか分からないと言っていた。
「わたし達の土地では、余りにも戦争が多くてね。君にとっての最後の戦争が第二次大戦なら、わたし達にとってのそれは遠い昔の過去だよ。」
世界は広いと思った。
空は限りなく広くて青い。雲が筋を引いたように細く流れている。褐色の大地、小麦色の畑。時折飛行機を見付けては、ああ、そんな物もこの世にはあったかと思ったものだ。
男性は頭にターバンを巻き、女性は基本的にアバヤという全身真っ黒な衣装を纏う。頭の先からつま先まで真っ黒で、目のところにだけ穴が空いている。色気が無いと言えばそうだが、無用な性的興奮を起こさないので、俺としては悪くないと思っている。
このアバヤは、俺がいたところでは子供達は着ていなかった。日本の子供と変わらない。どこかのNGOかが送ってきたのか、アメコミ(アメリカンコミック)柄のTシャツを着たりしていた。ザワヒリの子供達も、妹もそうだった。
俺は畑に出て、仕事をして、時には羊を捌き、肉を焼く仕事を引き受けた。俺としては、よく働く人間として認められている自覚があった。実際、俺は生きている実感を、ようやく手にした充実感を得ていた。畑で取れたものを持って帰って、女たちに渡す。女たちは目だけで嬉しそうに笑って何かを言う。しばらく待てば、空腹を刺激する懐かしいような良い匂いが漂ってきて、一家の主たるザワヒリが食事にしようと声をかけてくれる。
羊を捌くのは、俺としては抵抗があったが、戦士になろうという者が羊を捌くくらいでビビッていては話しにならない。仲間が押さえつける中、俺はありったけの勇気を振り絞ってナイフを羊の腹に突き立てた。
その羊の肉も、子供達が嬉しそうに旨そうに口にするのを見ると、大人としての責任を果たした感慨がある。
生きると言うことは、こういうことなのか。
俺も羊の肉を口にする。人懐っこいあの羊の肉だ。有り難う、美味しいよ。俺は心の中でそう感謝する。
俺が参加した最初の襲撃は、警察署に対してだった。
俺には意外だった。何故警察なのか。同じイスラム教徒なのに。
宗派が色々あるのは知っていた。その宗派によっては、欧米にある程度理解を示す、俺のような外国人としての立ち位置だからこそ言える「現実派」と、イスラム教の原理にこだわる原理派とに別れるようだ。
警察は欧米の協力のもと治安を維持しようとしている。つまりは欧米の手先だと言うのだ。俺は余り納得がいかなかったので、ザワヒリの顔を見た。ザワヒリは迷い無く頷いた。だから、俺はその襲撃に参加した。
早朝、トラックの荷台にAKを抱いて乗った。何人もが荷台の両側にビッシリと並ぶ。舗装のない道路をサスペンションの効かないトラックに乗せられ、二時間ほど走った。誰も口を利かない。緊張のせいか、朝早くて寒いせいか、それとも気が乗らないのか。気が乗らないのは俺だけだったようだ。理由は、ガタガタ道を走っている時に口を開けば舌を噛むからだという。
俺達はトラックを警察署の前に乗り付けると、一気に降りて突撃した。何の作戦もない。行き当たりばったりもここまで来れば、呆気にとられて防衛する側も何も出来ないのかも知れない。果たして、そこまで考えての作戦なのだろうか。
建物は、そこそこ立派な鉄筋コンクリート二階建て。俺達は建物に入って、目に付く警官を片っ端から撃ちまくった。
怒号と銃弾が飛び交った。俺は仲間に男気を見せようと、なるべく先頭に立つようにしていた。ターバンで、視界が少し狭くなる。動いたと思った方に銃口を向け引き金を引く。
おかしなことだが、手応えというものはあるもので、銃なのに相手に当たったか当たらなかったかは、何となく分かるのだ。俺は手応えを得るまで、撃ちまくった。
襲撃は三十分ほどで終わった。
血と硝煙の匂いで気分が悪くなりそうになったのは、冷静になった証拠だろうか。
銃を振り回している間は、何も感じなかった。バババと言う銃声。鈍くもブスッと肉に銃弾がめり込む音。弾に当たらないようにとも祈らない。ただ、時が来たのだと思った。
興奮が去って、目を周りにやると、チャドルを着た中年女性の死体があった。警察の関係者には見えなかった。チャドルは顔を隠さない。
彼女は口から血を流し、ただ虚空を見つめていた。
あちこちで確認射殺の音がする。撃ち倒した警官の頭部を、一人ずつ拳銃で撃ち抜くのだ。死んだふりをしていて、後でこちらの背中を襲われることを防ぐのと、俺達の情報を正規軍に知られるのを防ぐためだ。
ほとんどの「敵」と言って良いのか、「標的」は死んでいたが、所々で命乞いの声や断末魔の短いうめきが聞こえる。
俺は確認射殺には参加せず、建物の中の廊下で見張りを行っていた。
「引き上げだ。」
アスラブと言うこの襲撃のリーダーがニヤリと笑って言う。歯が数本欠けているが、まだ歳は四十前だ。真っ黒になった前歯が歯茎にしがみついている。
ザワヒリが俺の肩をぽんぽんと叩く。
「初めてにしては上出来だ。誇りに思う、兄弟。」
それから、何度か襲撃に参加した。俺は積極的に前に出た。
標的はいつもイスラム教徒だった。アメリカ人でもイスラエル人でも無く。
戦場では勇敢であることが第一だと俺は思っていた。俺は前へ前へと出て行った。
銃弾を受けたのは、何度目の襲撃の時だったか。熱いものが肩の辺りを抜けていった。
感覚としては、「熱い」だった。
衝撃に負けて俺は倒れた。
立ち上がろうとして、肩に力が入らないことに気が付いた。次に、次第に意識がもうろうとすることにも。「撃たれたのか。」不思議と何も感じなかった。戦っているのだ。撃たれて死ぬこともあるだろう。
「さらばだ。我が兄弟、ザワヒリ。妹たちによろしく伝えてくれ。」
そんなことをずっと言っていたのだろうか、包帯で圧迫止血を受けた時の痛みで我に返ると、周りがゲラゲラ笑っていた。
「ザワヒリ。お前の妹、この日本人の嫁にしてやれ。」
アスラブがザワヒリの背中を叩いて笑っている。
「彼さえ受けてくれるのなら、喜んで。」
ザワヒリも笑っている。俺もおかしくなって笑った。すると、周りが又一段と笑う。何がおかしいのか、笑って笑って、笑った。
俺達の部隊には、いわゆる外国人が多い。中には白人の兵士も少なくないのだ。これには驚いた。今の堕落した欧米の文化に嫌気を差し、自らを厳しく律するイスラムの生き方を選んだと言っていた。
そんなこともあって、俺達の部隊では英語とアラビア語が混じる。俺もある程度英語が分かるようになってきていた。アラビア語も、少しずつ理解できるようになってきた。
ザワヒリの子供達や妹と、アラビア語で話せるのが楽しかった。だが、俺のアラビア語はまだまだなってなかったが。
それを知っていたのだろうか。ザワヒリの妹が、俺の肩の包帯を替えてくれる時だ。
「血は嫌い。」
とぼそりと言ったのだ。俺は彼女の顔を見た。まさかアラビア語で言った自分の言葉を、俺が理解できると思っていなかった彼女は、顔色を変えた。
「なんて言ったの?」
俺はアラビア語で尋ねた。
ザワヒリの妹、ナシームは聡明な子だった。英語を覚えるのが早く、計算も確かだった。だが、それを周りに気付かれることを嫌がっていた。
ザワヒリに、
「君の妹は頭が良い。」
というと、曖昧な笑みを浮かべた。イスラムでは、女性に勉強は必要ないとされているらしい。
必要なのは、従順と貞操。俺はナシームの横顔を思い浮かべた。ザワヒリと同じような切れ長の目に知性をたたえ、ふっくらした頬には優しさが滲む。
従順と貞操。男が女に求めるものでしかない。それを宗教の教義で強要する。
俺は分からなくなる。女性に従順と貞操を求めれば、男は安心できる。
アメリカや日本のように、男女平等だのが行き渡ると家庭生活さえ破綻を来しやすい。一体、どっちがよりまともな社会なのか。
「兄弟。一言忠告をしたい。」
ザワヒリが深刻な顔をして言った。
「君は礼拝にも余り熱心じゃないと聞く。何故だ?」
「俺は戦いに来た。イスラム教徒に改修したのは、戦うためだ。アメリカやイスラエルと言った帝国主義者と戦うためだ。正直、宗教は余り興味が無い。」
ザワヒリは目を剥いた。あの切れ長の目を。
「滅多なことを言うものじゃ無い。君はイスラムの精神に則り、聖戦を戦っている。
そうでなければ、ならないのだ。特に、ここでは。それを理解して欲しい。」
俺は曖昧に笑った。
「分かっているのか?わたし達は教義に命を捧げている。そのために戦っている。君の戦いが、わたし達のそれと異なるとなると、これは大変なことになる。」
ザワヒリは必死に私に説明してくれた。
先日、サイードとイスラム名を持ったイギリス人が自爆攻撃を行った。
「聖戦で死ねば天国へ行ける。彼がそれを信じて、彼が自爆攻撃だと知ってホテルに飛び込んだと思うのか?」
実際は、知らされていなかった。彼は勇敢な兵士であり、敬虔なイスラム教徒だったが、より教義の原理にこだわる男だった。
「厄介払いされたと、分からないか?」
俺はショックを受けた。
「君達はイスラム教徒だ。わたし達の兄弟だ。
だが、やはり外国人だ。特に君は日本人だ。『カミカゼ』にはピッタリだとは思わないか?」
俺は薄ら寒いものを感じた。
「君の勇気にも、人としても私は好意を持っている。『カミカゼ』に選ばれるようなことは避けたい。
だが、ひとたび選ばれてみろ、断れるものじゃないぞ。教義に反するのか、殉じるのかを問い詰められる。教義に反するというのなら、わたし達に殺される。殉じるというのなら、『カミカゼ』だ。」
それに、知らされずに自爆攻撃をさせられる場合もある。まるで、高校の時の万引きを強要された時のようだ。『俺達と仲良くして欲しいのか、して欲しくないのか。お前次第だよ。仲良くして欲しければ、万引きをしてこい。仲良くして欲しくないのなら、トモダチじゃ無いから俺達はお前を好きなだけ殴る。そう言うことだ。』
「君さえ良ければ、妹のナシームを妻にしろ。そして、敬虔なイスラム教徒になるのだ。
兄弟。私は君を失いたくはない。」
俺は手の平を返したように礼拝を欠かさないようにし、イマーム(導師)の言葉に熱心に耳を傾けた。
俺の頭の中は、自爆攻撃よりも、ナシームを妻にすることでいっぱいだった。
そしてある日、俺はイマームの警護をするように頼まれた。その場に、ザワヒリはいなかった。
俺はAKを抱き、車に乗り込んだ。この土地でも良く目にする、我らがトヨタだ。イマームは別の車に乗っているという。何かあれば、AKを振りかざして戦えと言うことだった。
俺に異存があるはずも無く、トヨタのセダンの後部座席に乗り込んだ。運転手は、まだ子供っぽさの抜けないアリー。助手席にはサイードという初老の男。俺の隣にはハサンが座っていた。
アリーが歌を歌い、サイードが合いの手を打っていた。四台の車が縦列を組んで走っている。
イマームはどこかの車に乗っているが、それは教えられなかった。
枯れ草の草原が広がる。褐色の大地。ほこり混じりの風。俺の肌も褐色に染まってきていた。
太陽は西の空に低い。胸にはいくつもの戦いを共にくぐり抜けたAK。車の中には陽気な仲間達。俺は、手に入れたいものを手に入れたのだろうか。
目の前が真っ白になった。音は聞こえただろうか、覚えていない。ただ、いきなり真っ白になった。
俺の体は花びらみたいに軽々と車の中で踊り、どうやら車外に投げ出されたようだ。
全身にビリビリと痛みが走る。
痛覚という痛覚が、これでもかと反応する。
俺はのたうち回ることもできず、目を開けば稲妻ばかりが見えるようだった。
口を開いているはずなのに声は出ず、口から気道を通して肺の中まで炎が入り込んだようだった。体の中から、体が燃やされる。
俺はもう自分ではどのようにも制御できないどん詰まりで、それでも死を覚悟まではしてない人間の常で、ただただパニックに陥っていた。
後から考えれば、死にたくないと思っていたのだろうと思う。何が自分の身に起こったのか、知りたかったのだろうと思う。
自分の体が焼けただれていく。焼けていくのが痛みを通じて分かる。皮膚がケロイド化していく。鼻孔、外耳道、喉、その全てに炎が入り込んだような強烈な熱さと痛み。
ただ、体が焦がされていく。生きたまま、焼かれている。
「だから言っただろう。行動に気を付けろって。だからこんな目に遭うのだ、バカやろうが。」
生きていることだけは分かった。ザワヒリの声を聞いて、何とか頭の中で嵐のように猛り狂っていたパニックは押さえられた。ザワヒリがバカやろう(You, stupid)なんて言葉を使うなんて、意外だった。
何も見えない、頭の中でガンガンと寺だか教会だかで鐘が鳴らされていて、ザワヒリの声がその音にかき消されるように微かに聞こえる。体が燃える。燃やされていく。
もうナシームを妻に迎えることはできないかも知れない。それが残念だった。
「Oさんだね?」
日本語だった。俺は腫れ上がっているに違いない瞼を何とか開ける。全身痛みのせいで、ほぼ動かすことが出来ない。
そこにいたのは、佐野史郎だった。いや、佐野史郎によく似た人だった。細い角縁の眼鏡を掛け、細長い顔に切れ長の目。細い体を少し傾けるように椅子に腰掛け、足を組んでいる。声は耳障りな甲高さとざらつきを持ち、人を見下したような目つきと口調が調和している。
「Oさん。ここがどこか、分かりますか?」
フンとその男は鼻を鳴らした。上等そうなスーツ。政府の役人か。
「あなたはね、有り体に言うと、米軍の攻撃に巻き込まれたのです。ドローンって知っていますか?無人攻撃機です。
空からね、攻撃できるんですよ。主にミサイルでね。」
俺は他のメンバーがどうなったか知りたかったが、口の中には何本のフォークが突き刺さっているのか分からないほどに痛く、口を開けなかった。それを見越しているのか、佐野史郎が話を続ける。
「ヘルファイア・ミサイルでね、あなたが乗っていた車の前の車輌が吹き飛ばされたのです。」
「ドローンだ。分からないのか?ミサイルだ。アメリカの攻撃だ。
分からないのか?お前達は身代わりにされたと言うことだ。」
ザワヒリがそう言っていた。俺はその後を思い出そうと努力した。
「イマーム(導師)を護衛しろとでも言われたか?イマームが車列を組んで移動すると思うか?アメリカに殺してくれと言っているようなものだぞ。イマームはこっそり動いた。君達は目くらましにされたのだ。」
「米軍はですね、衛星を使って世界中を監視しています。どんな小さな動きでも見逃しませんよ。怪しい行動を見付ければ、彼等は即行動します。」
佐野史郎が抑揚のない声でなじるように言う。
「アメリカもトリックだとは分かっている。それでも、こうやってわたし達は殺されるのだ。
ヘル・ファイア(地獄の業火)とはよく言ったものだ。何もかもがメチャクチャだ。
君達は厄介払いされたのだ。組織に従順ではなかったとみなされた。
だから私が何度も言っただろう、気を付けろと。」
「でもまさか、日本人がイスラムの戦士になっているとはね。好きなんですか?宗教。違いますよね。
全く、あなた、自分が何をしたか、分かっているのですか?」
「ナシームが、君達が出ていくところを見ていた。大慌てで追いかけたがこのザマだ。わたし達の設備では君を治療することはできない。
兄弟、お別れだ。」
「五時間ほど前になりますか、日没前にですね、ある男性が我々のところに現れました。
日本人の男性が大けがをしている。助けてやって欲しいとね。」
男は言葉を切った。
「ここには日本の大使館はありませんが、事務所がありましてね。あの男性も、良くこんな小さな事務所を知っていたものだと、感心しましたよ。WEBでも公表していませんからね。
ま、それと同時に、空恐ろしくなりましたよ。彼等の情報収集力も、侮れない。」
部屋の扉が開いた。
佐野史郎は座っていたパイプ椅子をそそくさと動かし、入ってきた二人を慇懃に迎えた。
一人は太った黒人の女性で、丸々とした顔に大きな唇が見える。もう一人は細くて背の高い白人の男性で、茶色の髭が口を隠している。
「やあ、気分はどうかね。」
白人の男性が英語で尋ねる。優しげな微笑みは、まさしく絵に描いたような医師だ。
「非道い目に遭ったわねえ。聞いたわ。テロリストに拉致されたんですって?
こんな酷い怪我をさせられて。でももう安心して。大丈夫よ。わたし達に任せて。」
慈愛に満ちた母とは、こういう人を言うのかと思った。俺は何もかも肩の荷が下りるような気がして、涙があふれ出た。
「この方達は米軍の軍医さんですよ。ま、一人は看護婦さんですがね。」
佐野史郎が日本語で続ける。わざと米軍と表現した。アメリカと言えば、二人にも分かってしまう。
「うちの事務所にあなたを治療できるほどの設備なんて、ありませんからね。
こちらにお願いして、助けて貰いました。
ええ、あなた方が殺したいと思っていた、米軍の軍人ですよ。
どうです?あなた方が殺したいと思っていた米軍に殺されかかって、その米軍の軍人に助けて貰う気分は。」
白人の医師がにこやかに佐野史郎を振り返る。きっと、会話の意味は分かっていない。
「あなたね、我が国は四方を海に囲まれているとは言っても、中国、ロシア、韓国、北朝鮮と、敵対勢力に囲まれているわけですよ。
その敵どもから共に我が国を守ってくれているのが米国だと、分かっていますか?
我が国にとっては、唯一無二の軍事同盟国です。生命線と言ったって良い。
その米国に、あなたは何てことをしようとしたのです。
私からすればね、一体何を学校で学んできたのだろうと、呆れるばかりですよ。」
医師と看護師は、俺の体の表面を観察し、薬を塗ったりしてくれていた。手の動きで、かなり広い範囲で深い火傷を負ったことが分かった。
「全身火傷しているんだ。まるでTNT爆弾でも喰らったみたいだな。骨もあちこち折れている。痛みがあるだろうが、適宜鎮痛剤を入れる。
そうだな、まだ痛かったら、目を三回続けてしばたたかさてくれ。
そうか。じゃあもう少し鎮痛剤を入れような。」
「大丈夫よ。きっと良くなって日本に帰れるわ。」
「親切だよねえ。同盟国を裏切った人間のために、こんなにも手を尽くしてくれる。
あなた、どうしますか?
『私は米国と戦いに来たのです。あなた方の治療なんて受けません。』って抗議でもしますか?
ああ、米軍にはあなたは拉致されて、無理矢理現地の彼等の仲間に参加させられたことにしています。
宗派間の戦闘に巻き込まれたと説明していますので、そのように頼みますよ。」
二人の腕には、アメリカの国旗が縫い付けられていた。俺はそれを見つめた。
二人は何かを佐野史郎に告げて、去って行った。佐野史郎は慇懃に頭を下げ、見送った。
「あなたのパスポート、あなたを連れて来た男性が置いていきましたよ。
まあ、いい人ですね。こんなこと言うのも何ですが。
私もね、あなたが同胞だからあなたの命を何とかしようと努力しました。
でもね、正直あなたのような馬鹿者なんて、死んでもかまわないって思っていますよ。
ただ、あなたは日本人だ。同胞だ。だから助けるのです。
じゃあ、彼等アメリカ人はどうです?あなたが日本人だから、アメリカの友人だから助けてくれたのですよ?皮肉ですね。」
ザワヒリ、ナシーム。どうしているだろうか。
「さて、意識も戻られたようですから、私も事務所に戻ります。
最後に良いですか?今後あなたは公安の監視下に置かれます。危険人物ですからね。
この地に再度渡航しようとか、あなたが今まで接してきた人達と再び接触しようとか、しないで下さいね。面倒なことになりますよ。インターネットも、電話も、手紙も、何もかも監視されます。いいですね?
公安ってのは、米軍ほど優しくないって認識して下さいね。これ、事実ですので。折角助けて貰った命です。大事になさい。
では、お休みなさい。」
ポタポタと、点滴の薬が落ちていく。それがゆっくりと俺の体に入る。アメリカの薬、アメリカの治療。
俺は、何と戦いたかったのだろう。結局、何が出来たのだろう。
いや、俺はただの無だ。
背骨の抜けた精神は、ただぐらぐらと揺らぐばかりだ。
痛い。体全部が痛い。喉や肺も痛い。体の中も痛い。骨が折れている。ああ、俺は治療して貰うほどの価値があるのだろうか。でも、痛みだけが俺の慰めになった。
ザワヒリの家では、俺は地面に寝っ転がって寝ていた。固かったが、気持ち良かった。
このベッドは地面よりか柔らかいはずだ。だが、俺の体は痛みを訴えている。
目をつむれば褐色の大地。麦の穂が揺れる。その向こうにナシームの笑顔が見える。
俺は、何をしたかったのだろうか。強さは、永遠に手に入らないものなのだろうか。
私は1970年代の生まれです。ですから第二次世界大戦を知りません。実際には体験してないという意味で。
ですが、私の中にはアメリカに対し、憧れもあれば、どす黒い憎しみもあります。
私が特殊だとは、思っていません。きっと、political correctnessと言うベールを取り払えば、割りとそう思っている日本人はいるのではないでしょうか。