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ああ、おかしい笑っちゃう。


積み上げてきたもの形造ってきたものなにもかも。

全部壊れていって。

崩れていって。

崩れて崩れて崩れて崩れて崩れて。


崩れて


あとはもう何にもない。


矮小な毒虫が物欲しそうに空を見上げているだけ。


あは

あははははは


あははははははははははははは





      ■




■ 


               ■




―――つまりは、最初からそういうこと―――


白塗りで十字の目をしたピエロが頬まで真っ赤の唇で狂ったように笑い転げていた。


―――君は結局最初から自分の事しか考えてなかったんだ。何が新垣春樹から助けたい?笑っちゃうよね、本当はただ島崎真琴が欲しかっただけなのに―――


違う。

僕は、本当に彼女を救いたかったんだ。

本当に彼女には幸せになって欲しかったんだ。本当に好きだったから。

本当に本当に本当に


―――それ、本気で真面目に言ってることなのかなぁ?―――


ピエロはわざとらしく語尾を高くして首を垂直に傾けた。


―――島崎真琴に新垣春樹が触れている時どう思っていた?助けなきゃと思っていただけ?可哀想だって思いたかっただけ?―――


違うよね?とピエロは赤い丸い鼻を僕の顔のすぐ前まで遣る。

言葉を失った僕にまた嗤い声を浴びせる。その声を聴いていると自分の頭までどうにかなりそうになる。


―――助けたいって思ったのはただの言い訳でしょう?だってそういう理由付けをすればハリボテの良心を傷めずに済む。島崎真琴を新垣春樹から奪ってもこれは彼女の為なんだって自分を正当化できる。結局それだけの事でしょう?―――


違う。僕は違う。

篠原純はそんな浅墓な人間じゃなかったはずだ。


『少なくとも君はクズの中のクズだと思うけどねぇ』


ピエロはそう言って姿を消した。これでいなくなるかと思いきや、目の前が急にスポットライトが照らされる。

ビー、というどこかできいたようなブザー音が鳴って緞帳が上がっていく。

だれもいないと思った周囲から拍手と歓声がおこる。




さぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。 これより始まるお話は退屈で取り留めない、平凡で特殊で歪んだ男の小さな物語、抱腹絶倒必至の喜劇でございます…




陽気なナレーションが入り、自分もスポットライトが照らす方を振り向いた。


幕が上がった時、舞台には何人かの人がいた。


まずは中央にいるベッドに寝かせられた白い布を被った人と木偶の坊のように立ち尽くしている男の子。

寝ている人の髪は長い、多分女の人。そして多分、その男の子の母親。


母親と同じ茶色い髪の小さな男の子は、その女が死んでいるのを知っていた。

知っておきながら決して悲しんでなどいなかった。

母親にとってそいつが邪魔だったように、そいつにとっても母親は邪魔なだけの存在だったから。


『まだ若いのにねぇ、しかも小さい子供までいるんでしょう』


黒い服を着た人たちがその後ろで甲高い声でお喋りをしていた。


『そうそうあの子、誰が父親かも分からないんだってね』


『聞けば不倫してたんだって?まぁ今更驚くような事じゃないだろうけど。ああいうのをなんて言うのかしら、一族の恥っていうの』


『それに、父親がだれか分からないなら認知もしてないんでしょ?一体誰が面倒見るのよ』


『うちはダメよ、自分の所で手一杯だもの。もう一人だって養う余裕はないわ』


『ああいう人の子供なら悪い影響受けてそうだしね』


男の子にはその言葉は届いていたし、意味も理解できていたようだった。

ただそれを聞いて特にどう思うという訳ではなかった。

ろくでもない女の親族がろくでもないなんてことは特に驚くことではなかった。


男の子はふと俯いていた顔を上げた。

そして彼は、何故か頬骨を盛り上げ歯を覗かせていた。

わらっていた。



そこで暗転。


真っ暗闇に戻る。

吐き気がした、頭も痛い。とにかく嫌な気分だった。

誰の話かなんてすぐに分かった。

見たくもなかった。

くそみたいな演劇。こんなもの誰が見るのか。

あの場面を目に入れただけで眼球が腐り落ちそうで。

立ち上がって出て行こうとした時、また舞台に光が当てられる。




そこにいたのは四人。

男女の大人二人と学生服を着た背の高い子供とランニングシャツを着た小さな子供。


『はじめまして、純君』


施設の保護から普通の家庭へ。

まさかこんな事が起こるなんて夢にも思ってなかった彼。

これで自分も幸せになれると思った。

欲しかったもの全て当然手に入ると思っていた。

ずっと望んでいたものだから降ってきた希望に必死に縋る。


『こちらこそよろしくお願いします、お父さんお母さん、拓也君』


家族になりたかったのだ、彼だって本当は。

だけどできない。どうしてもリズムが合わない。無暗に空気を壊す事しかできない。

理解することができない。距離感をつかむことができない。

だってまともな家族が何か知らなかったから。


アハハハハ、と盛大な笑い声。

その中に僕一人が取り残される。

舞台の上では少年が家族に向かって必死に何かを言っている。彼らの気を引こうと馬鹿みたいな話を延々と喋っている。それすら空気を乱しているのを気付いて、立て直そうとする。だけど失敗を重ねるばかり。どうやっても上手くなどいきそうにない。行くわけがない。

せめて気に入られようと思いつく限りのゴマをすってみるけど、結局いつも一人あぶれたままで。


決して幸福なんて感じる事ができないままで。


だけど、理想からかけ離れた現実に彼は諦めなかった。


ただ一つ、自分が選ばれたんだという事実が救いがあった。

誰かに必要とされているという矜持。


それだけが彼を守っていた。


『もう限界!』


ガシャン、と何かが割れる音がして彼は深夜目を覚ます。

お父さんとお母さんが喧嘩をしているらしい。

ここは聞かなかったことにしてもう一度寝てしまおうとした時。


『あの女の子供と一緒に暮らすのはもう無理、出来ない、耐えられない』


一気に目が冴えた。

身体を起こして壁に寄りかかって二人の話を聞く。

どういう事なのか。

母親の事を二人は知っているのだろうか。


『お前も納得済みで引き取ったんだろう、今更何を言ってるんだよ』


『だって可哀想だって思ったのよ、子供は関係ないと思ったの。でも無理、私にはあの子が愛せない』


お母さんの声は不安定に揺れていた。低い声と高い声が複雑に混ざって狂気がそこに見え隠れしている。




『あなたの子供かもしれないあの子をどうすれば憎まないでいられるって言うのよ!』




私には無理、と泣き崩れたような音がした。


あーあ。


そういうことだったのか。


全て分かってしまった。何もかも。全部。全部。



どうして僕は家族になれなかったのか。


どうして僕は溶け込むことができないのか。


どうして僕は受け入れてもられないのか。



僕は決して選ばれた訳ではないってことを。

誰にも必要となんかされていないってことを。


そして、この先僕は彼らとは家族になれないって事も。


一生彼らに認められることはないし、僕も彼らに寄り添うことなどできない。



最初から無理だったんだ。




そんなこと、予感くらいしていたんだ。

自分には幸福など手にできないことなんて。


全て分かってしまって僕が取った手段はごくごく簡単なこと。


逃げてしまうこと。


開いた距離をそのままに、生身の自分など決して彼らの前に晒さない。

柔くて弱い身体など、この世の誰にも目に触れさせたりなどさせない。


つくりあげたのは薄皮一枚。


だけど、それは何より強力な鎧。

それだけは僕を決して裏切らない。



僕は立ち上がってステージに立つ。



スポットライトの白い光に目が眩む。

また笑い声に会場が包まれる。口笛なんかも聞こえる。


いつのまにか役者は全部消えていて、代わりに隣に女の子が一人いた。

肩までの髪、優しそうな顔、柔らかい身体。



『篠原』



彼女は僕の名前を呼ぶ。

だけどそれは僕であって僕じゃない。


いつからだろうか。もうよく覚えてない。

つい最近かもしれないし、あるいは一目見た時からかもしれない。


僕を知られたくなかった。

僕を知ってほしかった。


醜いのも弱いのも見られたくなかった。

醜くても弱くても受け入れて欲しかった。


『友達だよね、私達は』


違う。


友達になどなれる訳がなかった。


彼女といると落ち着くし、面白いし、温かいし。

多分、助けを求めれば手を差し伸べてくれるだろうし味方になってくれるだろうし。


お気楽に友達でいられるならそうしておきたかった。

便利なだけの存在にしておけるならそうしたかった。


だけど、気付いてしまった。


僕が彼女に求めていたことは友達役なんかじゃなかった。



『可哀想にね、私はせいぜい友達くらいにしか篠原を見ることしかできないのに。

だって私は春樹以外を意識するなんて無理だから』



彼女はそう言って口元を押さえてクスクス笑っている。


『春樹だけなんだ、私には。それ以外何も誰もいらない』


うん、知っているよ。そんな事。

新垣春樹にとって彼女中心に世界が回っているように、彼女にとっても新垣春樹が世界の全て。

知っていた。とっくの昔に知っていたんだよ、そんな単純な事は。


彼女は決して鈍感な訳ではない。


それでも僕の気持ちを知らないのは知ろうとしないからだ。

勘ぐりもしないほど、僕に無関心だからだ。

彼に関係すること以外の物事は深く考えないからだ。

そして僕は、ただ彼女の周りを衛星のようにぐるぐる回っているだけの存在にすぎない。



―――傷つけたかったのは君でしょう?―――



彼女の顔が溶け出して、ただれた皮膚から白い顔が覗く。

真っ白な顔にひょうきんな真っ赤に厚塗りされた大きな唇。

感情の読み取れない笑った顔。

彼女だったものは、ピエロに置き換わっていた。


―――彼女を噛み千切りたかったのは君自身。彼女を壊したかったのは新垣春樹じゃない。憎らしいほど執着していたのも、救済してほしかったのも本当は君だ―――


ピエロの首に手を伸ばす。

指先が触れた皮膚は死人のように冷たかった。


―――新垣春樹の過去を知って他人とは思えなくなったくせに―――


首かけている手に力を込める。

それでもピエロはしわがれた声になってまで喋り続ける。



―――新垣春樹に自分を重ねていたんだろう?

新垣春樹が幸せになって自分がなれないなど許せなかったんだろう?

どんなに傷つけたって側にいてくれる誰かが欲しかったんだろう?―――



黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ

入れ過ぎた力にピエロが泡を吹く。

じたばたと動いていた手足が静止して人形のように動かなくなる。

手を離してみれば、キヒヒと一回笑い声を発して息をしなくなった。


肩で息をしながらその死に顔を見下ろしてみれば、それは紛れもなく篠原純の顔。



めでたしめでたし、これにて終幕。





「…ら、篠原!」


大声をあげられて我に返る。


「どうしたんだよ、目開けたまま寝てたか?」


目の前には平山の顔があった。

そうだった、昼休みに購買に行ったら偶然会ってそれで会議がてら一緒に食べないかと誘われたんだった。


「ああ、ごめんね。昨日あんまり寝てなくて」


平然と嘘をつけば、そうかと平山はあっさり納得したようだった。記事を書いているとでも思っているのかもしれない。


「で、何の話だっけ?」


「何って、まぁ世話話みたいなもんだけど」


新聞部の部室の中、あの人の座っていた席に平山が座り僕がその右隣のパイプ椅子に腰かける。

買ったままの焼きそばパンは、いざ食べようとすると食欲が失せてしまって封を切らないままになっている。


「なんで俺が部長になったかって話」


「部長ってこの部の部長の話?…なんでって、平山って部長になりたかったんでしょ」


それはそうだけど、と平山は神経質そうな顔を複雑そうに歪めた。


「でも能力的には篠原の方が向いていると思う」


どうして平山がそんな事を言い出したかよく分からなかった。

単に自信がなくなっただけだろうか。


「そんなことないと思うけど」


僕の何を見て平山は何をいうのか。

見当違いも良い所。そんな馬鹿みたいな事を考えてしまうほどだから、相当落ち込んでいるのかもしれない。

これは励ますべきなんだろうか。面倒くさいんだけど。


「しかも篠原が一番部長に気に入られてた。しかも性格も仕事っぷりも似てたし。お前と部長って何か姉弟みたいだった」


部長は前部長の事だろう。

なんでそこにあの人が出てくる。


「…なにそれ」


「なんで部長は篠原を指名しなかったんだろうな」


知らないよ。そんな事知ったこっちゃない。

そもそも部長みたいな面倒くさい役職付きたくないし、本来なら副部長にだってなりたくなかったのに。


「平山さぁ、あんまり下らない事ばっかりいうものじゃないよ」


そんなに怒ることではないかもしれないが、無性に苛立たしかった。

篠原純はいつのまにかツギハギだらけになっていていつそこから空気が漏れ出て萎んでしまうか予測もつかない。


「す、すまん…」


そのくせ、平山に謝られても全く気分は晴れない。

全身が重くてだるい。手足に鈍い痛みが走る。

どうしたらいいか分からない。


何が似ているものか。

似る訳がない。あんな人間そうそういるはずないだろうに。


結局、一方は本物だけどもう一方はただの擬態。模造品。


真似てみったって揺れなくなるわけがないし、強い精神を手に入れられるわけがなかったのだ。

そんな当たり前の事だったのに。


自分の眼鏡に触れてみる。本当はそれほど目が悪いわけでもない、コンタクトにしてもよかったはずだ。それをどうして似合いもしない太縁の眼鏡をかけているのか。


自分の髪に触れてみる。いつから僕は後ろ髪を伸ばし始めたんだろう。邪魔なだけなのに。面倒くさがりながらも毎日結んでいるんだろうか。


ふと指先に髪ゴムの感触がした。

いつものゴムとは太さが若干違う。

ああ、これを彼女に返さなければ。

早く早く早く。


特に何も思わず鋏を手に持ち、ゴムの先から全部を切り落とした。



床に散らばった髪の束を見てトカゲの尻尾みたいだと一言呟いてみた。



あと二話くらい続きます…すいません汗

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