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それからというもの、完成された三人の中にひとりだけ毛色の違うのが紛れ込んで。

三流ホームドラマみたいな展開は用意されてなどいなかった。

それは闖入者。余計なもの、不純物。

紛れておきながら、匿われておきながら決して染まることにはならない。

表面上は穏やかに見えるのにその生活はどこかぎこちなさを孕んでいる。

元素がかみ合わない空気が擦れて痛そうな音を立てているのが聞こえる。

何もかも乱しているのは自分のせいだというのが嫌で。

そんな現実が嫌で堪らなくて。

僕は崩れかけたそれを必死に、元に戻そうとした。

なのに手を加えれば益々歪に形を変えて、どうにもならなくて。

もう駄目だと。どうにもできないと。

責任など負う誠意など最初からそんなものはなくて。

ただ怖くて。

あいつのせいで、と後ろ指をさされるのが怖くて。

お前なんかいらないよ、と息の根を止められるのが怖くて。


逃げた。逃げた。逃げた。

知ってた。知ってた。知ってた。


そう。

最初から無理だってことは分かってた。


できないのだ、僕には。

怯えながら、邪魔者にならないよう逃げ続けるくらいしか。




部室に入れば、部長の平山が後輩達を説教していた。


暫くそれをドアに寄りかかって聞いていると、最初は原稿の進路状況のダメ出しにはじまり、記事の内容に波及し、果てはその生活態度の話になる。

どんどん重さを増してくる雰囲気。

他の二年も平山のいう事に口を挟まず、黙ったまま真面目な顔をしている。

ちらりと説教途中の平山と目が合った。


平山の気持ちは分かる。してる事も間違いではないとは思う。

この頃やっと慣れだした後輩がだれだしているのは良くあること。そして自分自身にも見覚えがある。ただし此方は現在進行形でだれているのだけど。

何もこうやって全員呼びつけて立たせてこんな風に派手に説教などしなくていいのにとは思う。目にあまりそうな時に注意すればいい。それでも懲りないようなら個人的に話せばいい。高校生なのだし、そこまで言われたらよっぽど舐められてない限り聞くだろう。そういう風に正していけば、その周りにもそれは感染する。必要以上に部活に気負いを持たずに済む。

焦っているんだろうな。と平山を見て心の中で呟く。

大会もそうだろうけど、自分の評価のされ方を。

叱るときには叱る、しっかり者の、できた部長としての自分を作りたくて。

平山は人一倍神経質で真面目な男だ。

どうしても前の部長を意識してしまうんだろう。

少し前まで一番窓側の席に座っていつものようにキーボードを叩いていたあの先輩を。


前部長は、色々な意味ですごい人だった。


もともとうちの学校には新聞部がなく、それを立ち上げて二年間部長を務めてそれなりに規模の大きい今の形にもっていったのはあの人である。とてもできて二年と少しとはいえないほど、しっかりした組織体系ができていたし最初聞いたときは驚いたものだった。


といえば、なんだかバイタリティー溢れるような人のような印象を持つかもしれないが実は全くそんなことはなかった。

常にけだるそうにしていて何かと緩い。原稿を落としても、なんとかなるんじゃねで済まして本当に何とかしてしまう人だった。面倒臭いといいながら最低限やることはやっていたし、不思議とそれで上手く回っていた。カリスマ性なのかなんなのか周りからも信頼されていたし、あの人がさし当たって何かの問題に躓いている所など見たことがない。

あと何かと部室に篭っていた。仕事しているだけでもないようだった。

完全に私室化していた節がある。とりあえず僕が部室に来てあの人が居なかったことはない。もしかして部室欲しさに新聞部を立ち上げたんじゃないか、と疑ったことは一度じゃ二度ではなかったりする。そのくせ、自分が引退すると何の未練もなかったようにぱったり来なくなった。


まぁ、前部長はそんな人だった。

ちょっと普通ではなかった。もちろんいい意味で。


そんな人と比べられるんじゃないかと思うのは当たり前だろうし、実際比べてる人もいるだろう。あの人だったらこうするのに、とか勝手な事を考える。

そんなの気にしないで自分の役割を全うすればいい、そう思うがやっぱり難しいんだろうな。


「と、いうことで皆部長の話は分かったと思ったよね。それを忘れないよう各自自分の作業に戻って。副部長権限で許すから仕事ない人は帰っていいよ」


平山の前に出て勝手に話を打ち切る。

これ以上ネチネチやっても無闇に落ち込むだけだろうし意味があるとも思えない。


「おい、篠原…」


後ろでまだ何か言いたげな平山の方に首を向ける。


「まだ何かある?あるなら僕から言おうか」


いや…、と答えて平山は黙る。

少し冷静さを取り戻したのかもしれない。あるいは僕が入ってきた時点で堅い雰囲気を取り戻すのは無理だと判断したのか。

平山だって暇ではないんだし、次の刊行までの締め切りに余裕があるわけでもない。



どうやら落ち着いたようで、少し時間を置いて周りの様子を見てみればそれぞれのグループで思い思いの仕事をしている。

それを確認すると、なんだか脱力して頬杖をついた。


―――もし時間あるならどっかで会えないかな。話したいことがあるんだけど


マウスをカチカチ押しながら彼女の言葉を思い出す。

話ってなんだろう。

暇ではないのだ。もし行かなくても彼女は許してくれるだろうし。

でもなんでだろう、すごく気になって仕方が無い。

今やっている仕事の区切りが付いたらもう帰ってしまおうかなと思っている自分がいる。

この妙な落ち着きの無さはなんだろうと思う。

首をかしげていると僕の背後に誰かが立つ気配。


「篠原」


「なんですか、暇なんですかー?暇ならそこの充電アダプタ繋げてくれません?」


自分でやれ、と平山は動いてくれない。

仕方ないから一旦ファイルを保存する。


「今日、なんで遅れた。掃除だとしてもここまで遅くなる訳ないだろ。というか最近遅刻が目立ってるぞ、なのに一番早く帰るし。ミーティングもしょっちゅう来ないし」


また説教。今度の標的は僕?

痒くもないのに頭を掻く。鬱陶しいなぁとつい思ってしまう。


「分かってるのか、今がどういう時期か。大体、お前は強調性がなさすぎるんだ。副部長がそんなんで後輩に示しがつかないだろ」


あぁ、はいはい分かった分かった。

まさか最近部活の居心地が悪いからとは言えないし。

なんて答えようかと思っているうちに、そんなものにわざわざ頭を悩ませているのがひどく馬鹿らしく思えてきてしまった。


「はい、部長」


天井に向けてまっすぐに手を上げて椅子をずらして平山の方に振り返る。


「部長の平山君のありがたーいご指摘を拝聴して、わたくし海より深く反省いたしましたので今日はこれで自宅謹慎したいと思います」




この電話番号からの電話は、お受けできません。


部室を出て電話をかければそんなメッセージが流れて通じない。島崎ちゃんのアドレスはすでに登録しているから番号を間違えているというわけではないと思う。

どうしたんだろう、ととりあえず玄関で学校にいるか確認しようとしたら思わず立ち止まってしまう。


「島崎、ちゃん?」


とて、と床を縁取る黒い大理石から片足が落ちて彼女の体が傾く。肩まである髪丸まった毛先が揺れた。

なんでそんな小学生みたいなことをしているのか。

僕が来たのに気付けば彼女は顔を上げた。目じりが下がって花が咲くようにその桃色の唇が開く。

柔らかそうな頬が僅かに盛り上がって、そこに夕日の光が当たって淡く光る。そこと対照的に彼女の右半分にはもう強く影がさす。もう秋分は過ぎた。


「お疲れ様、思ったより早かったね」


落ち着いた声。

クラスでよく聞く女子達のものよりは幾分低くて、男子のそれよりはひどくまろくて優しい。

うん、と答えてその先が出てこない。気の利いた台詞が思いつかない。

目を離すこともできない。


聞くべきことはあるのだ。

たとえば、新垣君はどうしたのとか、電話通じなかったんだけどどうしたのとか、ずっと待ってたのとか、部活が終わらなくて遅くなっていたらどうしてたのとか。


だけど何も言えない。

ただ彼女の姿を見ている。どうかしてしまったみたいにそれしかできない。


彼女の苗字は島崎、名前は真琴。読み方はシマザキマコト。

ネットで検索すれば何件の同姓同名がヒットするんだろう。

ひねった所が一つも見つからない凡庸な名前。


この学校の女子生徒。平均的な体型の、無個性な顔の、平凡な頭脳の、普通な学業成績の、ありふれた思考の女の子。人混みにまぎれてそのまま消えていきそうな細い気配の人。

関係でいえば女友達。

だけど友達といっても名ばかりのようなもの。クラスも離れているし、今となってはほとんど会うことなんてないし、会っても彼氏が傍にいてゆっくり会話もできない。そしてこの先もそうなる可能性の方が高い。

もうほとんど、関わり合いのない人間なのだ。


どうでもいい。


どうでもいいと思いたいのに。



■■■■



学園通りのドーナッツチェーン店は今の時間帯混み始めようとしていた。

禁煙のテーブル席に向かい合って座る。島崎ちゃんはカフェオレを、僕はアイスコーヒーを注文しドーナッツ専門店でドーナッツを食べないという暴挙。


「ごめんね、なんか無理につき合わせちゃって。篠原も忙しいのに」


本当に心苦しそうな顔をされるから、つい「そんなことないよ」と答えてしまう。

気付けば島崎ちゃんの前では誰よりも必死になっていつも通りの篠原純を演じてしまっている。それはもう痛々しいほど。


「話があるっていうか、本当にどうでもいい事で、えーと、あの…ただの愚痴、なんだけど」


そう言って、彼女は遠慮がちに話し出した。


けれどこんなに沢山喋る彼女は初めて見たかもしれない。多くは語らず、自分の中で自己完結しがちなあの島崎ちゃんが。

よっぽど不満が溜まっていたらしく表情をコロコロ変える。そこに時々白熱して身振り手振りまで混じる。

それがどうしてもどうしても可愛らしくて我慢できずに噴き出してしまった。撮って後で何度もみたいな、と部室のビデオカメラを思い浮かべる。


話の内容は彼氏の新垣春樹の事だった。


一言でいえば、日に日に新垣君の束縛が強くなって困っているという話。


家でも学校でも親の前だろうが他の生徒の前だろうがお構いなしに時間があれば抱きついているし、油断するとキスまでしようとする。本を読んでいてもテレビを見ていても邪魔してきて集中できない。どこに行くにも付いてきて、来れば新垣君は目立つので人の視線が気になってそれでいちゃつこうとするものだから用事をたすのが一苦労だとか。

とにかく新垣君といる以外の時間が少なすぎる、と彼女は主張する。


「この間の土曜も、須藤と遊びに行こうとしたら春樹が付いてきて…。そしたら須藤が遠慮して帰っちゃって結局春樹と出かけただけになったんだよ。須藤と外で遊ぶのは初めてだし、ちゃんと一週間前から計画してたのに!須藤も楽しみにしてくれてたのに!」


ぎゅーっと悔しそうに目を瞑って声を荒げる。

昼間言っていた一昨日の事とはこのことだろう。

須藤というのは彼女のクラスの女子だ。

島崎ちゃんを騙してでも、二人の仲を取り持ったような子なのだからそうするだろうなと思う。


「こんなのおかしいよ、絶対間違ってる。なのに、須藤もお母さんもお父さんも春樹の味方しかしないし…」


だから僕に白羽の矢が立ったのだろう。

新垣君への愚痴を聞いてくれて、賛同してくれるであろうと。

なんだか良い様に遣われてる気がしなくもないが、不思議と彼女相手には苛々したりしない。


「そうだね、でもまぁ新垣君がどっかおかしいのは最初から分かってたことじゃない」


分かった上で君は新垣君のものになったんだし、とは言葉には出さない。

そうだけど…と不満げにぷくぷくして柔そうな唇を尖らせる。

それを見て新垣君じゃないけれどそれを噛み千切りたい衝動が突如湧く。そしてその妄想を一気に掻き消した。


「でももう少し自重してくれたっていいと思う。春樹だって、今からこんなんでこれから大丈夫か心配だよ。どうせ大学は別の所行くんだし、場所によっては殆ど会えなくなっちゃう可能性もあるのに少しは離れているのに慣れなきゃいけないでしょ」


「え、別の学校行くって決めたの?」


「まだ決めてないけど、そうなるでしょ。いくらなんでも春樹と同じ学校には行けないよ、学力レベルから見て」


多分そうはならないと思うけどね。

今までの事から、そしてさっきの話を聞いていて新垣君が島崎ちゃんを目の届かない場所にやるとは考えにくい。

なにせ島崎ちゃんがいないと生きていけないらしいし。

新垣君にとって世界の全てが彼女中心に回っているんだろう。

愛ゆえだと言われればそうだろうけど正直重過ぎる。


どこまでも追いかけていって捕まえて。

自分のものにならない時は散々乱暴に扱って傷つけて、晴れて手に入れれば逃げないように閉じ込めてしまう。


随分勝身勝手で面倒くさい男だよね。

心の底からそう思う。

どんなに麗しの美男子だろうが、そんなもの打ち消してしまうほどの欠点。


御免でしょうが、そんな男なんて。


「別れちゃえばいいんじゃない」


ぼろっと自然に出てきたその言葉。

とんでもなく感じる既視感。デジャヴ。

しかし、今度は彼女を誘導する為ではなく。


「島崎ちゃんも疲れるでしょ、あんな男に振り回されるのは。もう止めておきなよ。僕なら…」


そこまで言って思考が止まる。


僕なら?


なんでそこに僕が出てくる?

これは新垣春樹と島崎真琴の話だったのに。


そして何を言おうとした?


僕なら?


僕ならそんなことしないのにね、とでも言いたかったのだろうか。


白痴のようにへらへら笑いながら。


「篠原、どうかした?」


痛い。

どうしてこんなに悲しいんだ苦しいんだ腹立たしいんだやるせないんだ泣きたいんだ。

支離滅裂なイメージが頭の中をぐるぐる回る。

耳鳴りもする。思考が乱れる。

脚本家のスランプにより渡された台本の先は真っ白になっている。


崩れおちてしまう。セメントで固めたマスクが。


あ。


ああ…


なにもかもお終いだ、と確信する。



「篠原?どうしたの急に固まって」


不思議そうな顔をしている島崎真琴。

喉が渇いたのか、おもむろにコップを手に持ちストローを咥える。

何か言わなければ不審がられてしまう。


「篠原?」


何も答えない僕にもう一度声をかける。

ごちゃごちゃになっている頭ではどう誤魔化せばいいか分からなくて。

無様に目線を泳がせてしまう。


「ま…」


「ま?」


混乱して発した一文字を島崎ちゃんが鸚鵡返しした。


「窓、新垣君が迎えに来てる。もうそろそろ帰った方がいいんじゃない?」


もう日が落ちている中、窓からこちらを見ているやたら顔の整った不審者がいた。

実はそれは店に入った時から知っていたことなのは黙っておいた。

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