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本当の事を言うと『篠原』と呼ばれるのが死ぬほど嫌い。



「篠原、おはよー」


教室に行けば、数人の女子から声がかかる。

おはよ~と同じテンションで答える。へらへらと馬鹿みたいに笑って。何がそんなに楽しいのか自分でもよく分からない。

ねぇねぇ、と振られるどうでもいい話の内容にふんふんへーそうなんだを連呼して席につく。


「ああ、篠原。お前って今日の数学の宿題ってやってきた?」


今度は、男子の数人のグループからも呼び止められる。

やってるわけないじゃーん、とまたへらへらした笑顔を貼り付ける。


「ちくしょー、篠原もやってないのかよ。誰もやってこなさすぎだろ。どうすんだよ、また山岸キレるぞ」


今年定年の数学教師は授業中によく怒鳴り声をあげる。こういう誰も宿題をやってこない日とか。授業中にガムを食べてたり居眠りする生徒がいるときとか。


「大丈夫でしょ。また新垣君が何とかするだろうし」


山岸がキレた時、その状況を立て直すのが新垣春樹である。

もう授業放棄して出て行きそうな険悪なムードを新垣君がどうにか山岸の機嫌を取り、通常の授業に戻る。

偏屈ジジイの気のある山岸は、唯一新垣春樹だけは気に入っているようだった。そのせいで何かと資料が必要になる時とか、決まって手伝わせるのは日直ではなく新垣君だったりする。

さすが優等生。よくやってるよね、そんな面倒な事。


「それに新垣君なら宿題もやってるんじゃない?それを写させてもらえばいいじゃん」


「あ、確かにそうだよな。その手があった」


どうやらその方針でいくことに決めたらしい。提案した本人でも、そんな他力本願で大丈夫かと不安になるような方針だけど。


「って、新垣まだ学校来てないのかよ」


じれったそうに呟く彼らを見てあることを思いつく。

にやにや笑ってしまう。


「新垣君もう来てるよ、多分F組あたりにいるんじゃないかな」


マジで?と彼らは喜び混じりの声を上げる。そして、あっという間に廊下に出て行く。

不機嫌そうに表情を歪める新垣春樹が思い浮かぶ。


ざまぁみろ。


そうしていると制服のポケットが震えた。

なに、と思って取り出したスマホを見てみると新着メールが一件。


『先週連絡したとおり、本日昼休み部室にてミーティング』


我らが新聞部の部長、平山は生真面目な奴だ。

平山が部長になってから頻繁にミーティングを行う。

今まで暗黙の了解でやっていたことを、きっちりさせて役割分担するようになった。

特に高文連が近いので、特に平山に気合が入っている。

そんな平山に影響されて部員全員の士気が上がっているのがなんだかなぁと思う。

その熱に乗れないない僕にはその雰囲気はどんどん居心地が悪くなるばかり。

正直、しんどい。


その事がなくても、そして部活に限らずに。


最近、全部が鬱陶しくて仕方が無くなる。

学校も友達の付き合いも部活も家族も全部全部。

嫌で嫌で逃げたくなる。


他人に興味はある。知りたいという欲求はある。

でも、近寄られるのは馴れ合いをするのは到底御免なのだ。関わりなど出来れば一切持ちたくない。


どうして僕みたいな人間が篠原純という役を振り当てられてしまったのか。

もう限界です、と全部投げ出したくなる。




カリ、とスチール缶の淵を齧った。


購買部の自動販売機で買った缶コーヒーを飲まずに弄ぶ。

授業はサボり。

気分が悪いんです、と言えば現国の伊原は僕に引き留めはしない。養護教諭も井原も僕には決して逆らわない。何故なら彼らの弱みは僕のPCの中。ちょろいよね、本当に。


こういう風に一人でいるのが好き。

誰の目に触れない所でぼーっとしているのが好き。

その時は何にも気を遣わずに済むから。この間は僕が篠原純じゃなくても赦されるから。


長く長く息を吐き出す。

全身から力が抜けて脱力する。

購買部の机の上に座り、そのまま上体を後ろに倒して寝っ転がる。

自動販売機のヴーンという細かい振動音だけを耳が拾う。


「…だるい」


ふと、何となく頭に思い浮かぶあの子の顔。

今日も困った顔をしていた。線の細い、ひ弱そうで、ありふれているようで実は誰とも似てない。自己顕示が薄すぎて放っておくと人混みの中埋もれていきそうなあの女の子。

どうでもいいんだけど。

別にもうあの子の事など、どうでもいい。

どうでもいいし僕にはこれ以上どうにもできない事くらい知っている。



「こんな所で何やってんの、サボり魔」



誰も来ないと思った空間にもう一人の声。

目だけを動かしてその方向を見ると、その人は僕の隣に腰を下ろした。


「貴女こそ何やってんです?受験生が」


「いいのよ、自習だし」


「だからと言って抜け出していいことにはならないと思うんですけど」


「篠原にだけは言われたくないわね、そういうことは」


この人は新聞部の元部長。

平山を指名してそれ以来部室にも顔を見せなくなって、めっきり会わなくなった。

それでも最近一回会ったけれど。


「…どうやら、上手いこと軌道修正できたみたいね」


ぽつりと急に彼女が吐いた言葉に、瞼がひくつく。

何の事を言っているのかはすぐに分かった。

新垣春樹と島崎真琴の事。

元の鞘に戻ったあの二人の事。

しかし、どの面下げてと思ってしまう。

この場で、敢えて僕に向かってそういう事を言ってしまうのは一体何を考えているんだろうか。


「悪知恵貸したのは貴女ですよね」


聞けば彼女は軽く笑ってみるだけだった。誤魔化そうとするわけじゃなくて、そんな事聞くまでもないじゃないと馬鹿にされたみたいで。鳩尾にチリチリとした感覚が走る。


「らしくないですね、他人の事に首を突っ込むなんて。分かってるんですか、完全に余計な事だったんですよ。あれは」


この人と僕は多分似ている。

しかし違うのは、他人に興味を持っても行動するのは前者で後者はただ傍観するのみ。

良くも悪くも弁えている人、だと思っていた。


「一見幸せそうに見えるけど、あの二人はだめですよ。先には破滅しかない。新垣君には他人を幸せにする能力なんてない、ただ彼女の幸せを吸い取るだけ。彼女は、島崎真琴はそのうち彼に壊されますよ」


だから折角助けようと思ったのに。

彼女ならば多少の犠牲を払っても助ける価値があると思ったのに。


「一人の人間を台無しにしたんですよ、貴女の中途半端な正義感が。部外者がしていい事の範疇を超えていた」


責めるように言い捨てれば、先輩は反省するどころか眼鏡越しに目を細めて僕を見下ろすだけだった。



「なんであんたにそんな事が分かる?」



涼しいその声は少しもぶれない。

揺らぐ、とか惑うとか、この人には一番縁の無い言葉のような気がする。


「未来がどうして予測できる?新垣春樹が島崎真琴を傷つけるとなんで決め付けるの。例えそうでもそれこそ篠原みたいなのが手を出す問題じゃない。余計な事だった、とあんたは今その口で言ったけど、それが自分のしたことにも言えるってなんで気付かない」


言葉で僕を嬲るようにその人は口角の形を歪める。

三日月型に開いた口から赤い舌がのぞく。


「今回私が動いたのは、あんたがやりたい事を全部ぶち壊したかったから」


僕の気持ちなど誰も知り得るはずがないのに、この人を前にするとどうにも何もかも見透かされているような錯覚にとらわれる。

そんなもの嘘。全てハッタリ。

騙されてはいけない。揺らいではいけない。


「あんたは私を部外者って言ったわね。じゃあ、篠原は何なの。本当にあの二人に必要な存在なの、そこまで深く二人に関係してたの」


私から見れば、とやはりにやついた顔で先輩は続ける。


「ただの自分は主要登場人物だって思い込んだエキストラ。自分がスクリーンに映りたいという欲求のために脚本に無い台詞と行動をして暴走してクビになった役者にもなれない一般人」


はっ、とあまりの言い草に笑ってしまう。

どんなひねくれた目で状況を見てたのだろうこの人は。


「私も部外者が立ち入る範疇を超えてると思ったまで。だからその企みを潰しただけ」


「…それだけですか、言いたい事は」


聞きたいならまだまだ言うけど、とクスクス笑った。心の底から可笑しそうに。


「なにを馬鹿らしい妄想を勝手に展開しているのか分かりませんが、僕は部外者じゃないですよ、少なくとも島崎ちゃんを助けようとした。彼女を不幸にしないよう力を尽くした。島崎ちゃんだって一時は僕に助けを求めた、これのどこが部外者なんです」


この人相手にムキになるほど馬鹿らしいことはない。

そんな事は熟知しているのに、どうにも今日は冷静になれない。

何にも知らない人に、部外者呼ばわりなどされたくなかった。


「私が言っているのはそういう事じゃない」


じゃあ何。何が僕を部外者に見せているというのだ。

一刻も早く知りたくて、僕は体を起こす。どこかに置いていたスチール缶が重い音を立てて床に落ちた。


「あんたは自分から部外者でいたの。敢えて表舞台に上がらないことを選んだのよ」


顔を寄せて妖しく長い睫を揺らし、囁くように言った。


本当はあんたも分かっているはずよ。


と言われれば、全く意味が分かりませんと言えなくて。

ただ言葉を失ってしまうのが悔しくて堪らなかった。


この人が苦手だ。

対峙するといつだって篠原純という役の向こう側にいる僕が見られているようで。


僕が言っている事に嘘など一つも紛れ込んでいない。

自分から部外者でいた覚えもない。

先輩のいっている事は嘘。


そうだ。


そうに決まっている。それ以外ありえない。

間違ってもそれが正しいなんてことはない。


他でもない当人である僕がそう思うのだから、やっぱりそれは真っ赤な嘘。


チャイムが鳴って弾かれたように身体を退けさせた。

床に立ってそのまま購買部を出て行く、授業が終わって急に人のざわめきが耳に大きく届くようになる。他の教室からは随分離れているのに。



ああ、どうにも気分が落ち着かない。

無性に苛々する。


次の授業もサボってしまおうかと人気の無い廊下を彷徨っていれば、前方に人影。

無視して一気に通り過ぎようとして歩く速度を早めるも、つい足を止めてしまう。

それが、彼らが誰か分かってしまって。


一つかと思ったら、二つだった人影は小さい誰かに大きい誰かが覆いかぶさるように時々僅かに蠢いているように見えて。

しかし、それは近づけば近づくほどよく見れば見るほど、そんな生易しい動きではないと分かってしまう。


静かな廊下に反響する生々しい音。

粘着質な音、彼女のか細い悲鳴、荒々しい息の音。

右手は彼女の頭を押さえつけ、もう片方は腰を締め付けている。

彼の顔が時々離れて、そのぎらついた光を宿した目を彼女に向けたままもう一度彼女に食らいつく。その様は飢えきった猛獣か人心を弄ぶ残忍な悪魔のよう。


そんなものは見たくない。

心から思っているのに何故か動く事ができない。


もう一度、彼が顔を上げた時一瞬その目に理性的な色が戻る。

それは僕と目が合ったから。

新垣春樹はふっと目を細めただけだった。そして、止める所かその行為にまた没頭していった。


性格が悪い。

本当にいい根性をしている、この男。

見せ付けるなど本当下種な趣味をしている。



僕は部外者なんかじゃない。


本当に心からそう言える。


部外者などではないのだ、そうあろうとした覚えはない。


僕は僕なりに彼女を救いたかったんだ、それだけは誰にも否定させない。


けれど今のこの状況は何。

僕はなんでこの場にいておきながら何も出来ない?

見ているだけしかできないのはどうして。

奥歯を噛み締めて、指先がどこにあるのか分からなくなる程拳を握り締めて。


違う。違う。


僕は部外者などではない。

僕は邪魔者などではない。

他人ではない。エキストラではない。


違うんだ。

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