7.願い事
イニッスの村の西の、ウールユーバの森に近いところにある朽ちかかった小さな家に、じいさんが一人で住んでいた。
じいさんの名前はシュメンドリックといったが、村の人達はそんな長ったらしい名前でわざわざじいさんを呼ぶ事は無く、じいさんの事をドリックじいさん、と呼んでいた。
じいさんにも子供はいたが、子供達はそれぞれに他の街へと出て行ってしまい、その子供達が時々送ってくれる仕送りと、自分で飼っている鶏の卵と山羊の乳を売って、じいさんはなんとか暮らしていた。
じいさんのところには十羽の鶏と、五匹の山羊の他に、老いた番犬のジョッグと、やはり老いた馬のデッシィがいた。ジョッグはじいさんよりももっとよぼよぼになってしまった、番犬とは名ばかりの雄犬で、デッシィも今や重い荷馬車などは牽けないようになってしまった雌馬だった。
そして五匹の山羊のうちの、仔山羊一匹以外は他の山羊ももう老いてきていたから、ウールユーバの森に面したじいさんの家の庭先を元気に駆け回っているのは、けたたましく鳴く鶏たちだけだった。だから村の人達の中には、じいさんの家の事を
『老いぼれ家畜飼いじいさんのおんぼろ小屋』
などと、意地の悪い言葉で言う者もいた。
ことにじいさんがもう二十数年も飼っているデッシィについては、じいさんを見かけるたび、
『なあじいさん、あの老いぼれ馬はもう始末しちまった方がいいって。大事にしてても仕方ねえ。もう何の役にもたたねえんだから』
などと言うのだった。
『あのよぼよぼの肉じゃあ、犬の餌にもなりゃしねえだろうが、革ならまだベルトや靴に出来るだろうよ。まあちょっとばかしたるんだ革だろうがよ。ハッハッハ!』
などと。
しかしそう言われるたび、じいさんは相手をじろりと睨みつけ、言うのだった。
『若いの、あの馬はなあ、アンタがまだ母ちゃんのおっぱいにぶら下がってた頃から、今までずーっとわしと一緒に、きつーい仕事をしてきたんだぁよ。老いぼれになっちまってから楽隱居したって、罰は当たんねぇやな』
じいさんは瘦せしなびてしまった小さな身体で、気迫だけはさすがに年季のいった追力で、自分よりもずっと大きな体格をした相手を睨みたおすのだった。
そしてフンと鼻を鳴らすと、リュウマチ気味の足を支えている杖をわざと元気そうにぶん回しながら、愛する老いぼれ家畜たちの待つ我が家へと帰って行くのだった。
とはいっても……
年老いた家畜を大事にしていても、家計の足しにならない事は、じいさんにもよく分かってはいた。五年前女房に先立たれて以来、良き話し相手のうちの一頭となっているデッシィを“始末”するつもりは毛頭ないが、せめてもう一匹、若い雌の山羊を手に入れる事が出来ればいいのだが、とじいさんは思っていた。
しかし山羊を買うほどの金など出来そうにないので、鶏をもう少し増やせば、もう少し暮らしも楽になるのだが、と考えていた。
そしてじいさんの当面の問題は、鶏小屋を修繕するための材木代だった。じいさんの住んでいる家もそうだが、馬小屋や鶏小屋にもそうとうガタがきていて、今度風のきつい天気にでもなれば、鶏小屋の屋根のひとつも飛んでしまうかもしれなかった。
まあ、いざとなれば、家の壁板でも剝がして使えばいいが……
じいさんがそう思い悩んでいる鶏小屋のそばで、今日もデッシィはのんびりと草を食んでいた。
じいさんは鶏小屋の傷んだところを目にするたび、なおさにゃならんなあ、などと言うので、じいさんが鶏小屋を気にしている事は、デッシィも知っていた。
(私なら、まだ少しは藁束運びの仕事くらいはできるんだけど)
じいさんの暮らしむきもよく知っているデッジィは、じいさんが困った様な顔をするたびに思っていた。しかし、じいさんは年老いたデッシィに荷車を牽かせるのはもう不欄に思え、そして自分自身、荷馬車仕事をするのはきつくなってきていたので、もう荷運びの仕事はしなくなっていた。
(私が自分で馬具を引っ張ってきたら、私に仕事をする気があるって、わかるかしら?)
デッシィはそう思いながら、使われなくなって久しい、馬小屋で埃をかぶっている自分の馬具を見つめた。と、その時、
「やあ、デッシィ」
その彼女の前に、白く輝く、小さな姿が現れた。それは――ウールユーバの森に住む、妖精たちのうちの一人だった。
妖精……白いぼんぼりのついた緑の三角帽子に、緑の上下の服、黄色の靴下に、これまた緑の靴、といった姿の、他の妖精たちからは“ティッピ”と呼ばれているその妖精は、光の粉をまき散らしながら、デッシィの鼻先をくるくると飛び回った。
ティッピは、他の妖精たちとよく夜中にじいさんの家の庭先へとやって来ては、一晩中庭で遊び回り、フェアリー·サークルを作ったり、眠っている鶏や山羊たちをからかって楽しんだりしていた
(実はじいさんも、夜中に妖精たちがやって来ている事を知ってはいた。しかし、村の他の者なら、遊び戯れている妖精の姿を見ると、近々何かいい事があるとか、はたまた逆に悪い事があるとか言うのだが、夜中に白い光を放って飛び交う妖精たちの姿を昔から見慣れているじいさんは別に何も気にせず、ただ、飼葉にする草をまた踏み倒しおって、などと思うだけだった)。
そして一晩中遊び回った後、他の妖精たちは森に眠りに帰ってゆくのに、ティッピだけは、なぜかデッシィの耳の中で眠るのが好きで、デッシィの耳の中で一眠りしてから、明け方に森へと帰って行くのだった。
「どうしたのさ、浮かない顔して」
妖精は言った。
(いえね)
デッシィは言った(とはいっても、それは人間には、ブルルン、ヒヒン、といういななきにしか聞こえないのだが)。
(うちのおじいさんが、ちょっと困ってる様でね)
「へえ、何で?」
ティッピは興味ありげに言った(とはいっても、妖精というものは、たいがいの事に興味を持つものなのだが)。
「僕の魔法でなんとかしてあげられる事なら、何かしてあげるよ。デッシィにはいつも世話になってるから。あのおじいさんには何の借りもないけど」
(そうかい)
デッシィは言った。
(まあ、そのうちたのむよ)
ティッピは事あるごとに、自分の魔法とやらで何かしてあげようと言ってくれるが、今までにデッシィはティッピに頼み事をした事はなかった。気まぐれな妖精の魔法は、どんな結果を招くやら分かったものではないと、デッシィにはわかっていたので。
「ね、今さあ」
もうころりと話を変えて、ティッピは言った。
「森の中に、あまーい蜜がいっぱいのサンザの花が咲いてるんだよ。今晩、デッシィにも持ってきてあげるね」
(ああ、ありがとう)
デッシィは言った。
そしてそのデッシィの周りをくるりと回り、にっこりと笑顔を向けると、ティッピは森の方へと飛んで行ってしまった。
(まあ、本当に)
たちまち見えなくなってゆくティッピを見送りながら、デッシィは思った。
(あてにできたら、ありがたいんだけどねえ)
そしてある日、とうとう嵐がやって来て、じいさんが心配していた事がついに本当になってしまった。
唸りをあげて吹き荒れた強い風雨に、じいさんの鶏小屋の屋根の半分がめくれあがってしまい、そこへさらに風が吹き込んだものだから、小屋の戸板や壁板のあちこちも、ひとたまりもなく吹き飛んでしまった。
幸い、鶏まで失う事にはならなかったが、暴風雨のなか、あわてて鶏たちを馬小屋へと移した後、馬小屋のあちこちや、デッシィや山羊たちの背中にまで飛び乗って騒いでいる鶏たちを眺めながら、じいさんは困り顔をして言った。
「さあて、どうしたものかなあ」
じいさんは大きなため息をひとつついて、何事かを考えながら腕組みをした。と、そのじいさんをよそに、数羽の鶏たちが、ケケケェーッ、という叫び声をあげて、馬小屋の梁から梁へと飛び渡った。
(このまま何日も鶏どもを馬小屋においといたら、鶏も山羊も神経質になっちまって)
(卵も乳もとれなくなっちまうかなあ)
じいさんは思った。
「困ったなあ」
じいさんはもう一度ため息をついた。
そして翌日、風雨がやんだなか、じいさんはあらためて鶏小屋を見てみたが、元々朽ちかかっていた小屋は、じいさんが思っていた以上に壊れていた。
じいさんは家のあちこちから、板きれや角材などを集めてはみたが、どうもそれだけではなおせそうにはなかった
「困ったなあ」
傾いてしまった鶏小屋を眺めて、じいさんはまたもため息をついて言った。
しかし幸いな事に、鶏と山羊の、卵と乳の量は減りはしなかった。
庭に放されている昼間、以前から鶏たちは馬小屋にも出入りしては騒いでいたので、鶏も山羊も、すでにお互いに慣れてはいた。
だが鶏小屋が壊れてから、雌鳥たちは馬小屋や、庭の片隅や、はては屋根の上などの好き勝手な場所に卵を産む様になってしまい、じいさんは歩き回っていちいち拾い集めなければならなくなった。
それまでは、雌鳥たちはたいがい鶏小屋の中に卵を産んでくれたから、小屋の中でそれを集めるだけでよかったが、時には手足がリュウマチでひどく痛む事のあるじいさんにとって、卵を集めに歩き回るという事は、なかなかの重労働だった。
「困ったなあ」
雄鳥が雌鳥たちを引き連れて、家の屋根の上で雄叫びをあげるのを眺めながら卵集めをするたび、じいさんは何事かを考えながらつぶやいた。
そして数日後――
イニッスの村の近くにある屠畜業者の男が、どこかから引き取ってきたらしい、哀れな運命の老いた牛を引き連れて、じいさんの家の前の道を通りかかった時、その、道の向こうからやって来る屠畜業者の男を、じいさんはきびしい表情でしばらく見つめていたが……それから、じいさんは、そのまま家の前を通り過ぎようとしていた男を呼び止めた。
「よう」
じいさんはきびしい表情のまま、一瞬ためらった後、意を決して言った。
「う、うちの……うちの老いぼれも連れていってくれねえか」
「ああ?」
屠畜業者の男は、じいさんの声に立ち止まった。
「あんたとこの?」
じいさんは言った。
「ああ」
「う、うちの馬もよう。……あとで靴屋にでも売れるよう、きれいな革にして」
じいさんの口の中が、急にカラカラになった。
「ああ、いいけども」
男は言った。
「でも、今日と明日はもういっぱいでよ。明後日にまたこっちに来るから、その時でいっか?」
「あ、ああ」
じいさんはぎこちなくうなずいた。
「そうかい、じゃ、明後日なぁ」
男はそう言うと、そのまま、まるで何事もなかったかのように、また牛を引いて歩き去って行った。じいさんにとっては、それはここ数十年来の一大決心だったのだが。
なおもじいさんが見つめている男の後ろで、老いた哀れな牛が、これから自分の身の上に起こる事をわかっているのか、モーゥ、と悲しげに啼いた。
その声に、じいさんの胸はとても痛んだ。
じいさんたちの声は、庭先のデッシィにも聞こえていた。そしてデッシィと一緒にいたティッピにも。
「聞いた?」
ティッピは言った。
(ええ)
デッシィは言った。
「ひっどいよなあ、人間って。今までさんざんデッシィに働いてもらっといてさあ。で、最後はこれなんだもの」
まだしょんぼりと玄関先に立っているじいさんを見ながら、ティッピは憤然として言った。
「明後日、あの男がデッシィを連れに来た時、僕があの男に魔法をかけて……」
ティッピは真剣な表情で腕組みをしたまま、デッシィの周りをくるりと飛んだ。
「身体中が痒くて痒くてしかたない様にして、追い返しちゃおうか」
(駄目よ、そんな事しても)
デッシィは言った。
(また引き取りには来るだろうから)
「じゃあ、どうするのさ?ウールユーバの森に、僕が連れて行ってあげようか?森の中なら、うまく隠れられるよ、きっと」
(そうねえ)
デッシィは何かを考えている様に言った。
「ねえ、今こそデッシィの願いをかなえてあげる時だよ。僕、デッシィの願いなら、なんだって聞いてあげるよ?」
ティッピはくるくるとせわしなくデッシィの頭の周りを飛び回りながら言った。
(そうだねえ……)
デッシィは考えた。何をどうやったら、すべてうまくゆくよう、気まぐれな妖精に願いをかなえてもらえるのだろうかと。
もちろん“処分”されるのはまっぴらだ。だがおじいさんは今まであんなに自分を大事にしてくれたし、現に今、おじいさんは奥さんを亡くした時以来のとても悲しそうな顔をしている。本当は自分をつぶしたりしたくはないのだろう。しかし……。
周りで騒ぎたてるティッピの言葉を聞きながら、デッシィは考えた。
そして翌日。
じいさんはいつもの様に、庭先の飼葉桶に、デッシィのための飼葉をいっぱいに入れてやった。
明日はこの世からいなくなってしまうからといっても、今日餌をやらないわけにはいかない。
それどころか、最後の手向けに、とびきりの餌を腹一杯に食わせてやりたいぐらいだ。
それくらい、デッシィになら罰など当たらないだろう。
そうだ、デッシィになら……。
いつもの粗末な飼料を食べているデッシィを眺めていて、じいさんの瞳にじんわりと涙がこみあげてきた。
デッシィはじいさんがまだ若かった頃、隣町の大きな農場で小作人として働いている時、その農場で飼われていた馬だった。
そして、小金が貯まってじいさんが自分の土地を持てるようになった時、じいさんは農場主からデッシィも買った。
それからずうっと、ずうっと、一緒にしんどい目をして働いてきて――
それなのに……それなのに、わしときたら、少しばかりの金が無いばっかりに……
じいさんの瞳に、ますます涙があふれてきた。
それでじいさんはいたたまれなくなって、プイとデッシィのそばから離れると、昨日、村のあちこちから拾い集めてきた廃材を抱えて、鶏小屋へと行った。
これで小屋をなおす事ができればいいんだが。そうすれば、デッッシィを……。
じいさんは自分の背丈ほどの鶏小屋の屋根によじ登った。
そして今にも踏み抜いてしまいそうなおんぼろ屋根の上で四つ這いになり、先に放りあげておいた板きれに、そろそろと手をのばした。
と、その時、
おんぼろ屋根を踏み抜きはしなかったが、そのおんぼろ小屋自体がじいさんの体重に耐えかねて、ぐらりと大きく傾き……
じいさんは地面に投げ出された。
投げ出された地面には、デッシィと山羊たちのために刈っておいた青草が山積みにされていたため、それほど強く身体を打ちつけたりはしなかった。
だがほぼそれと同時に、じいさんの上にはおんぼろ鶏小屋が倒れかかってきて――鶏小屋の残骸の下で、じいさんは悲鳴をあげた。
しかしじいさんの家は村のはずれにあったものだから、じいさんの声に気づいた人間は、誰もいなかった。
じいさんの災難に気づいてくれたのは、老犬のジョッグと、デッシィだけだった(山羊と鶏たちは、ただその大きな物音に驚いただけだった)。
「だぁれかぁぁーっ!」
じいさんは残骸の下で、声をあげた。
「助けてくれえぇぇーーっ!!」
が、やはりその声を聞きつけた人間はいなかった。しかしじいさんのそばには、すぐにジョッグとデッシィが飛んで来てくれた。ジョッグは我がご主人の一大事とばかりにワンワン吠えて、すぐに残骸の下のじいさんを見つけ、残骸の中にもぐり込んだ。
そしてデッシィはジョッグとじいさんのいるあたりの板きれを、鼻先や前足で押しのけた。
(おじいさん!)
デッシィは角材をくわえて放り投げた。
(ちょっと、しっかりしてっ!)
やがてじいさんはジョッグの背中を掴んで、残骸の中からひいひい言いいながら出てきた。
「やぁ、ありがとうよぅ、おめえら」
じいさんは埃まみれの姿で言った。
「あ、ありがとうよ、おめえら。……命の恩人だぁなぁ。わしの命の……」
幸い、じいさんの怪我は大した事はなかった。
だが、地面に投げ出されて残骸の下敷きになった事は、老いた身体には十分な大打撃を与えていた。
「デ、デッシィ」
じいさんはよろめきながらデッシィを呼んだ。じいさんは左足首を捻挫していた。
「足、くじいちまった。悪いが家まで連れてってくれやぁ」
じいさんはそばに来てくれたデッシィにもたれかかった。
そのじいさんをうまく支えてやりながら、デッシィとジョッグはじいさんを家へと連れて行った。
翌日。
昨日はあの騒ぎから、じいさんはろくろく動物たちの世話を出来ないでいたが、日が暮れる頃にはデッシィはいつものとうり、自分で自分の馬小屋の囲いの中へと入っていったし、山羊と鶏たちもいつものとうりジョッグが馬小屋へと追い立てて、一晩中、番をしてくれていた。
じいさんはじいさんで、あれから薬草の湿布で足首をぐるぐる巻きにしたから、足はそんなにひどくは腫れなかった。
そしてその日の昼近くになって――
じいさんが、痛む足を引きずって卵集めをしていると、屠畜業者がデッシィを引き取りに来た。が、その屠畜業者を見て小さくため息をつくと、じいさんは言った。
「悪いがよう」
じいさんはばつが悪そうに頭をかいた。
「やっぱりやめる事にしたわ」
屠畜業者はきょとんとじいさんを見つめた。
「やめる?」
「ああ」
じいさんはうなずいた。
「うちに置いとく事にするよう。おたくにはやらんでなあ。悪いなあ。せっかく来てもらったけんど。また頼む事もあるだろうで、その時にお願いするわ。悪いなあ」
そう言っているうち、じいさんの口元は、なぜかひとりでに微笑みだしていた。
屠畜業者は、そうかい、じゃあ、と言って、手数料の銅貨何枚かだけをもらい、拍子抜けして帰って行った。
その後ろ姿を眺めながら、じいさんは、あの男の後ろにデッシィが引かれて行く姿を見なくて、本当によかった、と思った。
(よかった)
そのじいさんの声を聞きながら、デッシィも思った。
(なーんだ、あの妖精も、結構役にたつじゃない。こんな事なら、もっと早く……)
事の結果を喜びながら、デッシィは思わず、ブルルン、と大きく鼻を鳴らした。
と、そこへ、
「やあ、デッシィ!」
当のティッピがやって来た。
(あら、まあ)
デッシィは嬉しそうに言った。
(うまくいったわ。本当にありがとう、恩にきるわ。ねえ、いったいどうやって……)
「え?」
そのデッシィに、ティッピは聞き返した。
「うまくいったって……いったい、何が?」
(え?何がって……)
今度はデッシィが聞き返した。
(一昨日、私が屠畜場に連れてかれないようにって……)
「ああ、それそれ!」
デッシィの言葉に、ティッピは声をあげた。
「僕、その約束を守りに、急いで飛んできたんだよ!まだ間に合ったんだね?!タべ、みんなとあんまり馬鹿騒ぎして遊び回ったから、今朝はすっかり寝坊しちゃってさあ。ついさっきサンザの花の中で目が覚めたとこなの。よかったあ、本当に、間に合って!」
(間に合ってって、じゃあ……)
デッシィはなかば呆然として言った。
(私が頼んだ事は、まだ……?)
「うん」
ティッピは無邪気にうなずいた。
「ええっと、だから……何をどうしたらよかったんだっけ?」
(…………)
まったく、もう、とデッシィは思った。これだから、妖精なんてものは……が、という事は、おじいさんの気が変わったのは、魔法のおかげなんかではなくて……?
(まあ、いいわ)
デッシィはため息をつきながら言った。
(結局はうまくいったんだから)
「え?」
そのデッシィを、ティッピはきょとんとして見つめた。
「何が?」
(じゃあ、今からでもいいわ。私のお願いをかなえてちょうだい)
そのティッピにお構いなく、デッシィは言った。
「ああ、もちろん!」
ティッピはなおも無邪気に、にっこりと笑って言った。
(そうね、だから、まずは山羊や鶏たちからたくさんの乳や卵がとれるようにして、子供もたくさん増えるようにして……)
「ああ、そうそう、それだっけ??」
ティッピは言った。
「でもそれって、デッシィ自身のいい事じゃあ……?」
(いいのよ、それで)
デッシィは言った。
(それが私のためにもなるんだから。さあ、早く、今すぐにかなえてちょうだい。私の願い事を。また忘れないうちにっ!)
「うん!」
そう言うと、ティッピは山羊と鶏たちの方へと飛んで行った。
(まぁったく、もう)
その後ろ姿を見つめながら、デッシィは思った。やっぱり妖精なんて、まるであてにならないんだから。
そしてデッシィは、あの様子だと、自分がそばでちゃんと見ていないと、ティッピは山羊が卵を産むようにして、鶏が乳を出すようにしてしまうかもしれない、と思い、あわてて妖精の後を追った。
その後。
じいさんの家は相変わらずのおんぼろで、鶏小屋は倒れたままで、家畜は老いぼればかりだった(山羊と鶏は、少しばかりは増えたのだが)。
そして、家の屋根の上に雌鳥たちを引き連れて、雄鳥が雄叫びをあげるじいさんの家の事を、村の人々は、今度は『でっかい鶏小屋』と呼ぶようになった。
が、じいさんは何を言われても、相変わらず年季の入った気迫で罵声を浴びせ返すと杖をぶん回し、元気に愛する老いぼれ家畜たちが待つ我が家へと帰って行くのだった。




