第二話 ハレムという名の兵舎
夫であるラシード公爵の右腕をへし折った翌朝、私はさっそく行動を開始した。
夫は今、右腕を吊り、鎮痛剤で意識が朦朧とした状態で、客間にて「階段から落ちた」という苦しい言い訳を側近たちに説明している頃だろう。
私という凶暴な猛獣を寝室に飼っていることは、彼のプライドが許さないし、普段家畜や奴隷としか見ていない女に負けたなど口が裂けても話せないし、外部には決して漏らさない。
表向き、私は「公爵が目に入れても痛くないほど溺愛している新妻」ということになっている。
つまり、今の私はこの屋敷で最強の権限を持つ「裏番長」なのだ。
「……さて、まずは手駒を揃えなくてはな」
私はハレムの中央広場に立った。
この国では、男たちはハレムの中には滅多に入ってこない。
ここは女だけの園であり、男の目が届かない聖域。
言い換えれば、看守のいない牢獄であり――クーデターを画策するには最高の「秘密基地」である。
「皆様、お聞きなさい」
私がよく通る声を響かせると、ざわめきが広がった。
第一夫人から第六夫人、側女、そして掃除や洗濯を担当するメイドに至るまで、屋敷中の女性およそ五十人が広場に集められてており、彼女たちの視線は恐怖と好奇心が入り混じっている。
昨夜響いた公爵の悲鳴と、私が初夜で夫を「黙らせた」という噂は、すでに女たちのネットワークで広まっているらしい。
「あなたが……新しい七番目の方?」
進み出てきたのは、恰幅の良い中年女性、第一夫人のザーラだ。
彼女はこのハレムの長として長年夫に仕え、他の夫人たちを管理してきた古株である。
その目は厳しく、私を値踏みしている。
「新入りが偉そうに……旦那様に少し気に入られたからといって、調子に乗らないことね。ここでは序列が全てなのよ」
ザーラが威圧的に言うと、取り巻きの夫人たちがクスクスと笑った。
なるほど、これがこの国の女たちの縮図か。
男に虐げられているストレスを、自分より弱い女をいじめることで発散する……なんと非生産的で、哀れな構造だろう。
「序列、ですか」
私は優雅に微笑み、近くにあった掃除用のモップを手に取った。
太く、硬い樫の木でできた柄だ。
「貴女たちは、自分たちが無力だと思っている、男に選ばれ、養われなければ生きていけない弱い存在だと」
私はモップを両手で持ち、頭上に掲げた。
「ですが違います、男など、ただの肉塊です。 骨があり、急所があり、呼吸をしなければ死ぬ……この棒きれと同じ」
瞬間。
私は腕に力を込め、一気に柄を振り下ろしながら、膝蹴りを叩き込んだ。
――バギィッ!!
雷が落ちたような破砕音が広場に響き渡った。
分厚い樫の棒が、飴細工のようにへし折れ、木片が飛び散る。
「ヒッ……!?」
「な、なに……!?」
悲鳴を上げて後ずさる夫人たち、第一夫人のザーラも目を剥いて腰を抜かして床に座り込みながら私から後ずさる。
私は折れたモップの先端を放り捨て、冷然と言い放った。
「私がその気になれば、旦那様の首などこれより簡単にへし折れます……事実、昨晩の悲鳴をお聞きになったでしょう?」
ニヤリと獰猛に微笑めば、シンと広場が静まり返る。
全員が理解したのだ……目の前にいる可憐な少女が、中身はとんでもない「捕食者」であることに。
「ですが、私は暴力で支配したいわけではありません」
私は声音を和らげ、語りかけるように続けた。
「教えて差し上げたいのです。貴女たちが持っている、本当の力を」
私はメイドたちを見渡した。
「この広大な屋敷の掃除をしているのは誰ですか?」
「……わ、私たちです」
「料理を作り、衣服を洗い、アイロンをかけ、買い出しに行き、在庫を管理しているのは?」
「私たち……です」
次に、夫人たちに視線を向ける。
「旦那様のスケジュールを管理し、親戚付き合いの手紙を書き、季節ごとの宴の準備をし、子供たちの教育をしているのは?」
「……私たちよ」
私は大きく頷いた。
「そうです、この屋敷の『生命維持活動』の全てを担っているのは、貴女たちです。 男たちは何もしない……ただ座って命令し、出てきた飯を食い、洗われた服を着るだけ」
私は嘲るように口の端を吊り上げた。
「つまり、男たちなど、私たちが水一杯汲まなければ、三日で干からびて死ぬだけの『無能な巨大赤ん坊』なのです」
広場に衝撃が走った。
「無能な巨大赤ん坊」
その言葉は、彼女たちが長年、心の奥底で感じていながら、口にすることを禁じていた真実だった。
「戦い方を教えます、剣ではありません。貴女たちが日々握っている『生活』という武器の使い方を」
私の瞳に宿る、アマゾネスの女王としての炎が、彼女たちの燻っていた火種に引火した瞬間だった。
◇
そこから、私のスパルタ教育が始まった。
ハレムはもはや夫を待つ場所ではない、戦士を育成する「兵舎」である。
【第一教練:肉体改造】
「ワン、ツー! ワン、ツー! 声が小さい! 腹から声を出しなさい!」
早朝の中庭には、運動に適した動きやすい服(ドレスの裾をまくり上げたもの)を着た夫人たちの姿があった。
行っているのは、前世の記憶にある「ラジオ体操」を極限までハードにした、アマゾネス式・基礎練だ。
「ザーラ様、腰が落ちています! スクワットは太腿と地面が平行になるまで!」
「ひぃぃ……! もう無理、足がちぎれるわ!」
「ちぎれません! 筋肉は裏切りません! 美しさと威圧感は臀部の筋肉から生まれるのです!」
最初は悲鳴を上げていた彼女たちだが、数日もすれば変化が現れた。
運動不足で青白かった肌に血色が戻り、たるんでいた二の腕が引き締まり、何より「目つき」が変わった。
自分の体をコントロールできるという自信は、精神の自信に直結するのだ。
【第二教練:護身術(対DV用)】
「いいですか? 男が暴力を振るおうと腕を上げてきたら逃げてはいけません、懐に入るのです」
私はメイドを相手役に、実演して見せた。
「相手の力利用し、手首をこう……外側に返します。そして肘の関節に自分の体重を乗せて……」
「ア、アガガッ! レイラ様、折れます! タップ、タップ!」
メイドが床を叩く。
私は笑顔で手を離した。
「このように、人間の関節は意外と脆いのです。特にこの国の男たちは運動不足の豚ばかり。少し捻れば簡単に転がります」
「す、すごい……私にもできました!」
「これなら、旦那様が酔っ払って殴りかかってきても勝てるわ!」
護身術教室は大盛況だった。
特に、日頃から暴力に怯えていた側女たちの習得スピードは凄まじかった。
恐怖が克服されると、それは攻撃性へと転化する。
「次に手を上げたらへし折ってやる」という殺気が、可憐な笑顔の裏に隠されるようになった。
【第三教練:意識改革と連帯】
最も重要だったのは、女同士の争いを終わらせることだ。
「ザーラ様。貴女はなぜ、第三夫人のマリアをいじめるのですか?」
「だ、だって、あの子ばかり旦那様に媚びて……私なんて古い女だと……」
「馬鹿馬鹿しい。たかだか一人の男の、しかも腐った男の寵愛を取り合ってどうするのです?」
私はハレムの帳簿を机に叩きつけた。
「見なさい、この無駄遣いを。旦那様は自分の宝石や宴会には湯水のように金を使っていますが、ハレムの食費や貴女たちの衣服代は削られています……戦うべき相手は、隣の女ではなく、財布の紐を握っている『共通の敵』でしょう?」
夫人たちは顔を見合わせた。
そうだ、彼女たちは敵同士ではない。
同じ檻に入れられ、同じ男に搾取されている被害者同盟だったのだ。
「手を組みましょう。どうすれば旦那様を操り、財布の紐を緩めさせ、私たちのエステ代と美味しいケーキ代を捻出するか……それを考える方が、よほど建設的ではありませんか?」
その日、ハレムから争いが消えた。
代わりに生まれたのは、強固な軍事同盟だった。
◇
そして一週間後。
ハレムは要塞と化し、女たちは優秀な工作員となっていた。
私たちは表立って反乱を起こしたりはしない、あくまで静かにそして陰湿に、しかし確実に男たちの精神と生活を削り取っていくのだ。
定例の作戦会議(お茶会)にて、報告が飛び交う。
「レイラ教官! 本日の『被服工作』の報告です!」
裁縫が得意な第四夫人が、目をキラキラさせて挙手した。
「旦那様がお気に入りのシルクのシャツ、全てのボタンを『見た目は普通だが、一度深呼吸をすると弾け飛ぶ』強度で縫い付けておきました!」
「素晴らしい。明日の会議で恥をかく姿が目に浮かびますね」
「報告します! 『兵糧攻め』の件です!」
厨房を仕切る料理長の夫人が、邪悪な笑みを浮かべる。
「旦那様はパクチーとセロリが大嫌いですが、全ての料理に微塵切りにして混ぜ込みました。『最近お疲れのようなので、精のつく古代の秘薬(香草)をふんだんに使いました』と涙ながらに説明したら、青い顔をして完食なさいました!」
「ナイス判断です。嫌いなものを『愛』というオブラートに包んで食わせる。これぞ妻の務め」
「『夜の防衛戦』も完璧ですわ!」
若手の側女たちがキャッキャと笑う。
「旦那様が夜伽に誘ってきても、『今日は生理で』『風邪気味で』『星占いが不吉で』と、全員でローテーションを組んで断り続けています。最近の旦那様、欲求不満で目の下にクマができていますよ」
「よろしい。男にとって最大の懲罰は、お預けですからね」
私たちは顔を見合わせ、高らかに笑い合った。
かつては泣いていた女たちの顔に、今は生気が満ち溢れている。
肌は艶やかになり、姿勢は良くなり、何より「自分たちは強い」という自信が、彼女たちを美しく輝かせていた。
一方で公爵やその息子たちの惨状は、見るに耐えないものだった。
廊下ですれ違った公爵は、かつての威厳など見る影もなかった。
服のボタンは弾け飛び、サイズが合わないズボンはずり落ちそうになっている(洗濯担当がわざと縮ませた)。
顔色は土気色で、食事のたびに「これは……草の味しかしない……」と呟きながら、それでも「妻の愛」を拒否できずに無理やり胃に流し込んでいる。
夜は誰にも相手にされず、孤独に枕を濡らす日々。
「お、おい……レイラ……」
公爵が私に声をかけてきた、その声は掠れている。
「最近……家の空気がおかしくないか? 誰も私の言うことを聞かない気がするのだが……」
「まあ、気のせいですわ、旦那様」
私は満面の笑みで、彼の襟元(ボタンが取れかけている)を直し、そして耳元でそっと囁く。
「私たちはいつだって、旦那様のために『最善』を尽くしておりますのよ? ……そう、貴方が一人では何もできない赤ん坊であることを、忘れないように」
「ヒッ……!」
公爵が怯えて後ずさる。
彼は気づいていない……自分たちの生活基盤が、完全に女たちに掌握されていることに。
生殺与奪の権は、すでに私たちの手にあるのだ。
「さあ、皆様。準備運動は終わりです」
私は広場に集まった同志たちを見渡した。
彼女たちはもう、ただの夫人やメイドではない。
いつでも戦場に出られる「アマゾネス」の魂を受け継ぐ戦士たちだ。
「次は、この屋敷の外へ打って出ます。国王主催の大夜会……そこで、この国の男ども全員に『教育』を施してやりましょう」
女たちの歓声が、アズラクの空に響き渡る。
反撃の狼煙は、まさに今上がろうとしていた。




