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第一話 鳥籠の中の女王

好き放題書いてます。お楽しみいただければ幸いです。全4話構成となりますので最後までお付き合いいただければと思います。

 視界が、悪い。


 それが、私がこの世界で目覚めてから常に抱いている不満だった。


 鏡に映るのは、豪奢だが露出の一切ない重苦しいドレスと、顔を隠す厚いレースのヴェールを被った少女の姿。


 まるで高級なラッピングで幾重にも梱包された、中身の見えない贈答品……それが、今の私だ。


「……息苦しい」


 私の今の名前はレイラ、この国でも五指に入る大貴族、ラシード公爵家の「第七夫人」として嫁いできたばかりの、16歳の娘である。


 ここは、砂漠と青いタイルに彩られた国「アズラク」。  


 美しい、しかし女にとっては地獄に等しいこの国には、極端にして絶対的な男尊女卑の教えが根付いている。


『女は男の所有物である』

『女は顔を見せてはならない。声を聞かせてはならない。肌を晒してはならない』

『女に教育は不要。ただ家に籠もり、夫に傅き、子を産むことのみが至上の喜びである』

『教えを守れず男に犯されるのは女の罪で殺害されても仕方がない』

 

 外出も許されず、書物を読むことも禁じられ、ただ家の奥にある「ハレム」と呼ばれる閉鎖区画に閉じ込められ、一生を終える、それが、この国の女の「幸福」なのだという。


(……馬鹿馬鹿しい)


 私はヴェール越しに、自分の細い腕を見下ろした。  


 白く、折れそうなほど華奢な腕、剣だこ一つない、労働を知らない手。


 今の私は、か弱い令嬢だが、その皮膚一枚下にある魂は、血に飢えた獣のように咆哮を上げている。


 ――我が名はヒッポリュテ。  かつて草原を駆け、最強の名を欲しいままにした女戦士部族「アマゾネス」の女王である。


 前世の記憶が、鮮烈に蘇る。


 鉄と革と、血の匂い。


 鍛え上げられた筋肉の躍動は戦場で敵の首を狩り取った時の高揚感で慰められる。  


 我らにとって、男とは何だったか。  


 それは繁殖のために捕らえる「種馬」であり、戦場においては狩るべき「獲物」であり、それ以上でも以下でもなかった。


 男に傅く? 男に養われる?  冗談ではない。


 我らは自らの力で獲物を狩り、国を守り、生きてきた。男など、我らの強靭な脚の間にひれ伏すだけの弱い生き物だったはずだ。


 それなのに……運命とは、なんと残酷な悪戯をするなだろうか……最強の女王だった私は、死後、最も女性が虐げられるこの国の、最も無力な貴族の娘として転生してしまったのだ。


「レイラ様、旦那様がお見えになります」


 扉の外から、侍女の震える声が聞こえた。


 私は思考を中断し、ベッドの端に座り直した。  


 今夜は初夜だ。  


 顔も見たことのない、父親ほど歳の離れた男に抱かれるために、私はここに連れてこられたのだ。


 ガチャリ、と無遠慮に扉が開いた。  


 酒の臭いと共に現れたのは、でっぷりと太った中年男だった。  


 高価な宝石をジャラジャラと身につけ、脂ぎった顔には卑しい笑みを浮かべているこの男が私の夫、ラシード公爵だ。


「おお、これが新しい『七番目』か」


 公爵は私を見るなり、品定めをするような目つきで舐め回した。  


 人間を見る目ではない、市場で新しい壺や絨毯を買った時の目だ。


「ふむ、体つきは少々細いが……まあいい。肌の白さは上等だ」


 彼は私の意思など確認もせず、ずかずかと歩み寄ると、乱暴に私のヴェールを捲り上げる。


 突然の光に目を細める私を見て、彼は満足げに頷く。


「顔も悪くない。これなら客人に自慢できるコレクションになるだろう」


「……旦那様」


 私は努めて冷静に、か細い声を装って口を開いた。


 まずは、敵の出方を見なければならない。


「私は、不慣れで……何をすればよいのか……」


「何もするな」


 公爵は私の言葉を遮り、鼻で笑った。


「女が口を開くな。知性など見せるな。お前に求めているのは、そんなものではない」


 彼は私の顎をむんずと掴み、至近距離から酒臭い息を吹きかけた。  


 その瞳にあるのは、絶対的な優越感。


 自分は支配者であり、目の前の女は無抵抗な玩具であるという、揺るぎない確信だった。


「お前は何も考えなくていい。私の言う通りに服を脱ぎ、私の言う通りに足を開き……私の愛玩動物として、可愛く鳴いていればいいのだ」


 ――その瞬間。  私の腹の底で、何かが「プチン」と音を立てて切れた。


(……あ"?)


 時が止まったようだった。  


 愛玩動物ペット?  可愛く鳴けだと?  この私が? あのアマゾネスの女王ヒッポリュテが?


 脳裏に、かつての戦友たちの顔が浮かぶ。  


 熊を素手で絞め殺し、獅子の肉を食らい、戦場を紅に染めた誇り高き同胞たち。


 彼女たちが今の私を見たら、何と言うだろう。


 『女王、なぜそのような豚に指図されているのですか?』と笑うだろうか。


 それとも『我らの誇りを汚された』と激怒するだろうか。


 いいや……


 何よりも、私自身の魂が許さない。


 筋肉と鉄の匂いが香水代わりだった私が、数多の英雄たちを葬り去ってきたこの手が。  

 

 ただの脂肪の塊のような軟弱な男に、「可愛く鳴け」と命じられている屈辱。


(……舐めるなよ、オス風情が)


 公爵の手が、私のドレスの紐に伸びてきた、その時だった。


「ふざけるなよ、軟弱者が」


 私の口から漏れたのは、令嬢レイラの声ではない。


 地獄の底から響くような、ドスの利いた女王の声だった。


「ひぇっ……?」


 公爵が間の抜けた声を上げるより早く、私の体は動いていた。  


 彼が伸ばしてきた手首を掴む、今の私の腕力は16歳の少女のそれだ。


 まともに力比べをすれば、大人の男には勝てないかもしれない。  


 だが、私には「技術」がある。


 人体の構造、骨格の脆さ、力の流れ。数千の戦場で培った殺人術は、肉体が変わっても魂に刻まれている。


 私は彼の手首を、関節の可動域とは逆の方向に、鋭く捻り上げた。


「アギャッ!?」


 公爵が悲鳴を上げる。


 その悲鳴を合図に、私は彼の懐に飛び込み、その巨体を利用してベッドの上へと投げ飛ばした。


 天上が回る感覚と共に、公爵の背中がマットレスに沈む。  


 その一瞬の隙を逃さず、私は彼の上に馬乗りになり、捻り上げた右腕を背中側に強引に回して固定した。


「い、痛い! なんだ!? 何をする!?」


「静かにしろ……可愛く鳴けと言ったのは貴様だろう?」


 私は冷徹に見下ろした。  


 公爵は混乱と痛みで顔を真っ赤にし、鯉のように口をパクパクさせている。


 状況が理解できていないのだろう、自分の買った「大人しい愛玩動物」が、いきなり猛獣に変貌したことが。


「離せ! 女風情が、夫に対して……!」


 公爵が暴れようとする。  私はため息をつき、固定していた彼の手首を、さらに深く、限界を超えて押し込んだ。


 ――ボキリ。


 部屋の中に、生々しく乾いた音が響いた。


「GYAAAAAAAAA!!!」


 公爵が絶叫し、白目を剥いて痙攣する。  


 肘の関節が外れたのだ。


 命に別状はないが、激痛で思考など吹き飛んでいるだろうだろう……男は総じて痛みに弱いからな。


「……脆い。あまりにも脆いな」


 私は呆気なく気絶した夫を見下ろしながら、乱れた髪をかき上げる。  


 か弱い令嬢の細腕だが、魂に染み付いた「骨の外し方」は忘れていなかったようだ。  


 力の弱い女が男を制圧するには、関節を極めるのが一番早い。


 獲物である男の扱いなどアマゾネスの基礎教養である。


「……さて」


 私はベッドから降り、冷めた目で部屋を見渡した。


 このまま夫を殺して逃げるのは簡単だ……窓から抜け出し、国境を越え、傭兵にでもなって自由に生きるのも悪くないだろう。


 前世のスペックがなくとも、知識と経験があれば、この程度の国で生き延びることは容易い。


 だが……私はふと、ここへ来る途中に見た光景を思い出した。


 広大な「ハレム」の廊下ですれ違った、他の夫人たち。  


 彼女たちは美しかったが、その瞳は死んだ魚のように濁っていた。


 希望もなく、意思もなく、ただ飼い主の顔色を窺い、餌を待つだけの家畜の目。  


 そして、影のように傅く使用人の少女たち。


 彼女たちは私が挨拶をしても、怯えて顔を上げようともしなかった。


 男に殴られることを、怒鳴られることを、骨の髄まで恐れているようだった。


(彼女たちは諦めている。自分が家畜であることに慣らされている)


 逃げる? 私が?  私一人が自由になれば、それでいいのか?


「……気に入らない」


 胸の奥で、どす黒い怒りが渦巻いた。  


 それは私に向けられた侮辱に対してではない、この国の全ての女性が強いられている、理不尽な抑圧に対しての怒りだ。


「実に気に入らないわ」


 私は女王だ。  


 アマゾネスの女王とは、ただ強いだけの存在ではない。


 同胞おんなを守り、導き、繁栄させるそれが女王の務めだ。  


 私の目の前で、これほど多くの同胞が虐げられ尊厳を奪われている、それを見捨てて逃げ出すなど、ヒッポリュテの名折れである。


 ……決めた。  


 この国を変える、この腐りきった男尊女卑の世界を、根底からひっくり返してやる。


 男どもに分からせてやるのだ。  


 女性は、お前たちの所有物でも道具でもない。  


 むしろ、女性がいなければ、お前たちは水一杯飲むこともできず、一日たりとも生きていけないという事実を。


 そして、女性こそが崇められ、大切にされ、畏怖されるべき存在であることを、その愚かな脳みそに刻み込んでやる。


「おい、起きろ豚」


 私は気絶していた公爵の頬を、ペチペチと叩いた。  


 うめき声を上げて意識を取り戻した公爵は、私を見るなり「ヒッ」と悲鳴を上げて後ずさった。


 その目に映っているのは、もはや「愛玩動物」ではない。


 自分を食い殺しかねない「捕食者」としての私だ。


「あ、あ、腕が……私の腕が……!」


「外しただけだ。大人しくしていれば後で治してやる……それより、よく聞け」


 私はベッドに腰を下ろし、優雅に脚を組んだ。  


 そして、邪魔だったヴェールを剥ぎ取り、床に投げ捨てた。  


 露わになった素顔で、公爵を冷ややかに見下ろす。


「これから、この屋敷のルールが変わる、私が法律だ」


「な、何を……」


「返事は『はい、女王様』だ、分かったか?」


 私はニッコリと微笑んだ。  


 公爵はガチガチと歯を鳴らし、涙目で何度も頷いた。  


 恐怖による支配、それは第一段階に過ぎない。  


 これから行うのは、単なる暴力革命ではない。


 もっと残酷で、もっと効果的な、アマゾネス流の「組織改変」だ。


 私は窓の外、白み始めた空を見上げる初夜明け、この国のアズラク(青)の空を、私たちの色に染め変えるための戦いの始まりだった。


「まずは……ハレムの女たちを『兵士』に育て上げるところから始めましょうか」


 鳥籠の鍵は、内側から壊された。  


 放たれたのは、愛らしく美しいだけの小鳥ではない……世界を変える翼を持った、猛き鷹である。

ご愛読いただきありがとうございます。皆様のいいね、⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎、作者の執筆の励みになっております。ご協力よろしくお願いいたします。

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