序章 出店でのひと時
メービルとクリシュネは出店が並んだ通りを足早に歩いていた。
カトレア王国が栄えている理由の一つに、転生者たちが別世界からもたらした食文化がある。
信前ハルトが提唱した『美味しい料理は人を救う』をモットーに、望まず異世界に転生してしまった者たちの為に異世界の食材で開発された「現代世界」の料理の数々は、転生者どころかこの異世界の食文化そのものに革命を起こした。
彼女がまず一番気になったのは、焼きそばと書かれた屋台だった。
彼女は小走りでその屋台に駆け込んだ。
店番をしていた中年の男は驚いた様子でクリシュネを見た。
「おや、パパかママは一緒じゃないのかい?」
店番の男は優しい口調で問いかけた。
男の質問など聞こえていなかったかのようにクリシュネは口を開いた。
「焼きそばを3つ、代金は1つ分にまけてくれない?」
そういうとクリシュネはフードを脱ぎ、魔王族特有の二本の小さな角を見せた。
男は一瞬たじろいだが、すぐに営業スマイルに戻った。
「は、はい!魔王様の頼みなら…」
しかし、彼の額からは冷や汗が滴り落ちていた。それもそのはず、クリシュネは魔族の中で最上位に位置する魔王だ。小さな角は彼女がその魔王であることを象徴するトレードマーク。転生者を除きこの事を知らない者はいない。
クリシュネは満面の笑みを男に見せる。男はその不敵な笑みに背筋を凍りつかせながら、焼きそばを用意した。
少し遅れて追いついたメービルは、背後からそんな様子を見てため息をついた。
「すみませんが、焼きそば2つにしてください」
男は、メービルが魔王の側近であることを察すると急いで焼きそばを手渡した。
メービルは金を置き、焼きそばを受け取るとすぐにクリシュネの手を引きその場から立ち去った。
「ちょっとメービル!なんで邪魔をするんだい!まけてくれそうだったのに!」
クリシュネは不機嫌な様子で言った。
「ただの脅しじゃないですか。魔王としてのプライドとかないんですか?」
メービルは軽くあしらうように答えた。
「500Gまでって少なすぎじゃん」
「今なにか?」
「なんでもない!てか焼きそば3つ欲しかったのに!」
「2つで我慢してください。500Gまでですよ?相変わらずあなたは無計画すぎます」
そんな会話をしながら二人は噴水の近くのベンチに腰掛ける。
メービルは焼きそばの入った袋をクリシュネに手渡した。クリシュネは嬉しそうに焼きそばを頬張り始めた。
「それで、どんなゲームを開かれるんですか」
メービルが尋ねると、クリシュネの手が止まった。
「誰が聞いているかわからないから、その話は魔物語で」
クリシュネは人差し指を空に立てて話した。
それを見たメービルは軽く会釈をして謝罪の意を表した。
【異世界転生者を集めて、元世界への帰還を賭けて殺し合いをさせるのさ】
彼女は奇妙な言語でしゃべると、再び焼きそばを食べだした。
やっぱり、競技なんて優しいものではなかった。メービルの勘は当たっていた。
メービルは少し思案して口を開いた。
【そんな物騒な事したら、それを望まぬ人類と私達とで戦争が始まってしまいますよ】
メービルは不安そうにクリシュネの顔色を窺った。しかし、彼女はさも当然かのように焼きそばを食べる手を止めない。
【ゲームなんだ。私の結界術で作ったステージで戦わせるから、参加者でない人類にすぐにはバレないよ。それに、転生者も我々魔族も、ゲームクリアまでお互いに危害を加えることはできないというルールを結界に付与する。彼らが最後の一人になるまで、私たちが命を狙われる心配はないよ】
クリシュネはそう言うと焼きそばを食べ終えた。
「ごちそうさま、美味しかった」
そう言うと彼女はフードを被って再び他の出店に向かって歩き出した。
「お待ちください!まだ話は終わっていませんよ!」
そんなメービルの声も空しくクリシュネの姿は人混みの中に消えていった。
メービルは仕方なく空の容器の入った袋を片手に、クリシュネの後を追いかけることにした。
「神め、死して尚クリシュネ様の心を蝕むか!」
クリシュネは、神によって両親を殺されたあの日から心を壊されたままだ。神亡き今、その憎悪の矛先は転生者に向けられている。
メービルはクリシュネを傍で見守ることしかできない己と、元凶である神を憎んだ。
クリシュネは立ち並ぶ出店の道を歩きながら、穏やかな景色に目を細めた。 澄み切った青空とその中で無邪気に笑い合う人々。 かつて彼女が思い描いた理想の世界だった。しかしその平和の陰には不自然な影が潜んでいる。
暗い路地の、誰の目にもとまることのない場所で、転生者たちによる一方的な蹂躙が静かに繰り広げられていた。
体中から血を流している少年の怯えた息遣いだけが、沈黙の中に微かな命の音を残している。
「愉快だな。弱いものいじめってのはよ」
転生者の一人の若い男は、木製の台の上に腰を下ろした。足先で転がした小さな小石が、少年の足元に転がる。
少年は男の一つ一つの動作に敏感に反応している。少年はもう自分の死がすぐそこまで迫ってきていることを理解していた。その様子を見て他の転生者たちは不敵な笑みを浮かべている。
「約束したよな?金を持ってくるって。これは約束を破ったお前への罰だ」
そういうと男は手を掲げた。その掌の中に突如鋭利な刃物が出現した。それは間違いなく奇跡の力。少年の顔は恐怖で染め上げられた。
男は微笑みながらその手に握る光を振り下ろそうとする。しかしその瞬間、路地の奥から足音が響いた。
その音は微かだったが、不思議な威圧感を伴っていた。男が振り返ると、そこにはクリシュネが立っていた。
薄暗い闇の中ではっきりと存在感を放つ白い髪、冷ややかな眼差し。彼女は転生者を見上げながら、静かに口を開いた。
「ここで何をしている?」
その声には感情が宿らず、ただ冷たく響くだけだった。だがその一言で、路地裏の空気は一変した。転生者たちの中には、彼女の存在を知っている者もいたのだろう。その表情には警戒の色が浮かんだ。
「これはこれはクリシュネ魔王様じゃないですか。こんなところでお会いするとは」
一人が笑みを浮かべながら立ち上がったが、その声にはどこか緊張が混じっている。クリシュネはただゆっくりと歩みを進めた。
「転生者たちがこの世界に与える影響は、もはや見過ごせないものとなった。お前たちはこの世界の平和を乱す存在だ」
彼女の声が低く響き渡る。言葉に込められた冷ややかな意思が、彼女を知る転生者たちの動きを完全に止めた。
「平和を乱す?俺たちが?笑わせるなよ。こんなにも広い世界で、ちっぽけにも俺たちはただ与えられた力を行使しているだけだ。」
クリシュネのことをよく知らない転生者がそう叫び前に出ようとした瞬間、クリシュネが軽く指を鳴らした。
その瞬間、路地裏全体を無数の光の線が駆け巡った。光の線は転生者たちの体を通過すると、音もなくその姿を完全に消し去った。
静寂が再び戻った路地裏で、クリシュネは立ち尽くしたまま、微かに残る焼け焦げた臭いと消し去った生命の余韻を感じていた。
少年は目の前で起きた現象に理解ができず呆然としている。クリシュネは少年に手をかざし、彼の体の傷を治癒した。
「あ……ありがとう……お姉ちゃん」
感謝を述べる少年に目をくれることなく、クリシュネは路地裏を後にした。
この世界は牧歌的すぎた。規模に問わず争いの少ない世界。争いの耐えない別世界から来た転生者たち、それも、過剰な力を手にした彼らの行為が目に余るのは必然と言えた。
「平和を求めるには、時に均衡を乱す者たちを排除しなければならない。」
彼女はその小さな唇で呟いていた。 それは独り言というより、空虚な世界への宣誓のようなものでもあった。
転生者たち。 彼らは異なる世界からこの地に引き寄せられた者たちであり、まるで歪んだパズルの一片のように、この世界の調和を乱している。彼女が愛するこの世界を飲み込もうとしている。
「転生者全員が害悪な訳ではない。それはわかっている。でも、この世界は彼らを拒んでいる。」
クリシュネは自分に言い聞かせるように言葉を紡ぎながら、ふと足を止めた。その瞳に宿るのは、ある種の諦めと決意だった。
「だから、私は彼らを間引くのだ」
彼女が用意したのは、歪んだ遊戯――デスゲーム。 その結界の中で転生者たちは互いに命を奪い合う。
全ての転生者を参加させることはできなかったが、ある程度の数は間引くことができる。そこから第二、第三とゲームを行い、いつか完全に転生者を全滅させる。これから転生してくる者は直接手を下せばいい。
この世界は本来の形を徐々に取り戻すのだ。転生者たちのいない、元のあるべき姿に。平和の為なら、クリシュネはその一生を捧げる覚悟を持っていた。
「私の望む平和は、ただの安寧ではない。均衡の上に成り立つ調和だ。そして、その調和を乱す歯車が存在するならば…私はその歯車を取り除く。」
クリシュネの言葉は、冷酷でありながらも透き通っていた。彼女にとって、それは犠牲ではなく修復。傷ついた絵画の美しさを取り戻すため、絵具の上に積もった汚れを取り除く行為と同じだった。
「もう!すぐどっか行かないでください!見つけるの大変なんですから」
メービルは大量の食べ物を抱えながらクリシュネに小言を言った。
クリシュネは小言に対し眉間に皺を寄せるも、メービルが買ってきた食べ物に興奮していた。
彼女は再び食べ歩き出す。 人々の平穏を守るために、彼女は彼女なりの正義を執行しようとしていた。
「さあ、早く城に戻ってゲームの幕を上げよう。全てが元に戻るその時を願って、ね。」
冷たくも美しいその声は静寂の中へと消えていった。 そしてその背中には、魔王という名を冠しながらも、この世界の平和を真に願う者の孤独が滲んでいた。