十話 発覚
サオリは次の魔物の出現反応場所に向かいながら話しはじめた。次の魔物までは600mも離れている。
「とりあえず今は魔物と戦うことに慣れましょう。ファーストステージの制限時間がいつまでなのか分からないけれど、とりあえずここで奇跡をものにして、戦うことに慣れましょう。私も手伝うしね」
奏縁はその言葉に少し胸が高鳴るも、サオリの懇親的な態度に疑問を抱いていた。
「どうしてそこまで尽くしてくれるんです?さっきの戦闘でも、サオリさんは苦戦していなかったし、俺と組まなくても100ポイントくらいすぐ稼げるんじゃ?」
サオリは立ち止まり、しばらく沈黙した後、視線を落とした。
「どうしました?」
奏縁は聞いた。サオリは彼と目を合わさぬまま口を開いた。
「これは後で言おうと思っていたんだけど」
奏縁はその言葉に恐怖と不安を交錯させながら耳を傾けた。
「一緒に信前ハルトを殺してほしいの」
「しんぜんはると?」
聞き覚えのない人物名に奏縁は困惑した。
「このゲームに参加してるんだけど…まさか彼の事知らないの?」
サオリは驚きの眼差しで奏縁を見つめた。
魔王城内
壁面に映し出された無数のホログラム。それぞれに転生者の姿が映し出されていた。奏縁とサオリももちろん映し出されている。
魔王城で紅茶を嗜んでいたクリシュネは突然目を見開き、飲んでいた紅茶を思わず噴き出した。
「信前ハルト!?!?!?」
その様子を見ていたメービルは、その噴き出た紅茶を受け止めようと手で受け皿を作った。紅茶は彼の手に触れたそばからパキパキと凍りだした。
「気を付けてください。床が汚れてしまいます」
メービルは困り顔で言った。
「あの信前ハルトが プレイヤーとして参加しているのだぞ!床が汚れることなど気にしておられるか!」
クリシュネは動揺を隠さずに怒鳴り散らした。
「カトレアの犬め、どうやって入った?メービル!ちゃんと参加者はすべてチェックしたんだろうな?」
「もちろん、各国からいただいたリストの情報と本人確認、参加希望者も強制参加者も入場時一人一人しっかりと確認しました。信前ハルトが紛れ込む余地はありません。」
メービルは凍った紅茶の液体を指揮棒のように振りながら言った。
「ではサオリちゃんが戯言を抜かしているとでもいうのか?」
クリシュネは不機嫌な様子を隠すそぶりも見せず、頭をわしゃわしゃと掻き出した。
「あぁなんのために3週間も城に閉じこもっていたと思っている?」
クリシュネは3週間、外界との交流を断ち、準備を重ねていた。それはゲームの準備ではない。3つのステージ会場やその会場を覆う結界、ゲーム内に出現させる魔物の準備などは、とうの昔に完了していた。
では一体何を準備していたのか。
「魔王城を隠すための結界の構成ですね」
メービルは平然と答えた。他人事のように。
「信前ハルトはゲームを阻止するために必ずやってくる。だから結界術を応用して、決まったルートを通らないと城にはたどり着けないようにした。城に招待した者もまだ帰していないし、その間信前ハルトがどこにいたかも調査済み。最悪の事態として仮に城に到達できたとしても、ここにいる魔族には転生者は賞金を賭けたゲームをしていると口裏を合わせてある。」
信前ハルトは正義感の強い男だ。モンドベル王の命令が無くとも、望まずゲームに巻き込まれた転生者を救うため、ゲームを終わらせにやってくる。しかし、ゲームマスターとプレイヤー間の戦闘は会場を覆う結界に付随した効果で禁止している。それは誰にも破ることはできない。だからこそ、信前ハルトは必ずゲームの外からやってくると信じて疑わなかった。しかし、クリシュネのその読みは外れてしまった。
「おそらく血判は信前ハルトのまま、顔と名前を変えて参加したのでしょう。協力者がいると思われますね。」
クリシュネほどの能力者だと、血判さえあればその情報をもとに転生者の管理や転送を行える。
本来であれば血判の本人確認も行うべきだったが、信前ハルトは外からやってくるという既成概念にクリシュネはとらわれていた。
というより、信前ハルトの血判が手に入る事を知っていれば、労せず結界の檻に閉じ込めておくことさえできた。
「顔を変えるでピンとくるのは参加者のカズの奇跡だ。だがカズがわざわざこのデスゲームにあいつを招くとは思えん。」
とはいえ、ゲームマスターのクリシュネを殺す事はプレイヤーとして参加している時点で不可能である。
では一体なんのために、ハルトはわざわざゲームに参加したのか。まさか現代世界に戻りたいなどとは思ってはいないだろう。
クリシュネの疑問は解決の兆しに差し掛かることすらなかった。
「ま、今回はあくまでテストプレイだし、さっさと元の世界に帰ってくれるんならそれでいいや。興が削がれたのは腹立たしいが」
クリシュネは開き直り、退屈そうに言った。
信前ハルトを殺せる人間など、クリシュネ魔王を含め存在しない。彼が最後の一人になることは明白だ。
「いや、そうでもありませんよ?彼は魔族以外のゲームに巻き込まれた転生者を殺したり見殺しにするとは思えません。彼がこの絶対に抗うことのできないゲームで、転生者を助けることができない自分の無力さを知るその様はなかなかに愉快だと思いますよ。」
そう微笑むメービルには一つの疑問があった。
クリシュネ様は信前ハルトに気取られぬよう、密かにゲームを開催しようとしていた。だが、それは愚策だったと言わざるを得ない。
カトレア王国の転生者たちが、ある日を境に忽然と姿を消す──。それだけで、彼が動くには十分すぎる理由となる。それにこんな芸当ができる存在など限られている。そんなことができるのは、クリシュネ様以外にあり得ない。誰もがそう確信するはずだ。
第一、彼女は各国の王にリストを用意させていた。その事実だけでも、ハルトが王の口を通して真相へとたどり着くことは明白だった。ハルトが動くのも、ほんの時間の問題に過ぎなかった。
それとも、クリシュネ様はハルトがまんまと欺かれるとでも本気で思っていたのか?
「賞金をかけた競技」そんな戯言を、あの"神殺し"が信じるはずもない。転生者たちを弄ぶための戯れ言。目的を覆い隠すための薄っぺらな建前。それを見抜けぬほど、ハルトは甘くはない。
――勝てない。
それは疑いようのない事実だった。
信前ハルトとクリシュネ様。両者が十度刃を交えたとして、彼女が勝利を掴むのはせいぜい一度。それも、運命が気まぐれに微笑んだ時に限るだろう。それほどまでに、彼と彼女の間には歴然たる力の差が横たわっていた。
ではなぜ、クリシュネ様はこのゲームを開いたのか?ハルトを敵に回せば、結末は火を見るより明らかだというのに。
――彼女はまだ何かを隠している。
それは、唯一の側近である私にすら明かされていない何か。
ハルトに気づかれても構わないほどの策が、既に盤上に置かれているのか。あるいは、この戦いそのものが彼女にとって"本命"ではないのか。
クリシュネ様の真の狙いがどこにあるのか、それを知るのは彼女だけだった。
メービルは凍らせた紅茶の液体を溶かしてクリシュネの持つティーカップに注いだ。
「アイスティーです」
「いや、一度口に入れた物をまた飲みたくないんだけど」