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Parallel Lab  作者: 古今里
6/13

助ける責任

パラレルワールドに飛ばされた蒼啓は、元の世界に帰るべく奮闘している間に、同じように別の世界線から飛ばされてきた人間を助けた。その人物は草加部といい、SF雑誌の編集者というだけあって、自分の身に起きた出来事をすんなり受け入れた。草加部は、”戦えない人”だったが、蒼啓はそんな草加部を見捨てることができなかった。

 草加部くさかべに出会ってからというもの、蒼啓そうけいは三日に一回ほどのスパンで草加部のもとに食料を運んでいた。

 アジトにある食料は、全てシュウが研究所の地下にある都市から盗んできているものだと伝えられていた。蒼啓はその中から日持ちしそうなものを選んで少量ずつ持ち出した。

 蒼啓とてこんな盗みのような真似はしたくなかったが、逸石いっせきをはじめ、アジトの仲間たちは「戦えない人」に対して冷たい。シュウは何か思うところがあるようだが、基本的に「戦えない人」はアジトに連れてこないし、仲間にもしない。唯一の例外として、 沙生さおだけはシュウが連れてきたそうだが、後で逸石に怒られたと言っていた。

 草加部を連れていけば、逸石や皆に怒られるのは目に見えている。かといって、草加部を放っておくわけにもいかない。あの街で人間を放っておくということは、その人を見殺しにするということだ。食料がなければ生きていけないし、ロボの脅威に晒されることになる。

 蒼啓は、自分は助けられたのに、同じ状況の人が助けられないのは納得がいかなかった。それに、死ぬと分かっている人を見捨てるのは、蒼啓の正義感が許さなかった。

 盗みのような真似をすることに若干の罪悪感を覚えながらも、蒼啓は一週間ほど草加部のところへ足を運んだ。

 草加部は蒼啓が食料を持ってくると、よく自分の仕事の話、もっぱらSFについてよく話してくれた。

「あのね蒼啓クン。今私たちが目撃しているパラレルワールドという概念は、タイムトラベルや歴史改変と親和性があってね……」

「私はアンドロイドや人型ロボットが好きでね。アンドロイドが完成したら、そのうち彼らは権利を主張するようになるだろう。欧米ではアンドロイドの権利ってなかなか認められていないけど、日本はそうでもないみたいなんだ。私のいた世界ではアンドロイドの研究が行われていてね。何度も研究論文を読んだり、取材に行ったりして。完成を待ち望んでいたんだ」

「私が担当していた雑誌は結構、編集者の匙加減でテーマを自由に決められるところでね。私をはじめ編集者はみんなSF愛好家!それぞれ違ったジャンルのSFを愛していて、編集者ごとに毎号テーマを変えるんだよ」

 草加部にとっては食料を運んでくる蒼啓だけが話し相手だったから、草加部は蒼啓が来る度に長々と話をした。

 しかし、蒼啓としても、他の世界の話を聞けるのは楽しかったので、興味津々で草加部の話に耳を傾けた。草加部の話を聞くに、草加部のいた世界は蒼啓のいた世界とあまり変わらないようである。草加部に元の世界の特徴を聞いてみたことがあるが、草加部もかつての蒼啓と同じように、自分の世界の特徴はあまり分からないと言っていた。でも、草加部が言っていたアンドロイドの研究……今いるこの世界ほどではないにしろ、ある程度の科学技術が発展している世界なのかもしれない。

「それにしても蒼啓クン。16歳でそれだけ格闘術を使えるなんて……学生は努力を惜しまないねえ……」

 ある日、また食料を持ってきた蒼啓を見て、草加部が言った。

「まあ……5歳の時から道場に通ってますからね。これでも、全国一位取ったことあるんですよ」

「ほう!それはすごいねえ!」

蒼啓が小っ恥ずかしそうに言うと、草加部は正直に心からの賞賛を口にした。

「私なんか小学校からSFに目覚めてね。小学校から大学までずっとSFを読んで過ごしていたよ」

「?」

 蒼啓は疑問に思って眉を顰めた。

「どうしたんだい?」

 草加部は蒼啓の様子に気づき、聞き返す。

「えっと……ショウ学校とかダイガク?ってなんですか?」

「え?」

「え?」

 数秒の沈黙が流れた。

「……ふむ……なるほど。そういう可能性もあるのか……」

 草加部が沈黙を破り、何か納得したように顎に指を当て、独り言を呟いた。

「蒼啓クン。君の世界には学校はないのかい?」

「ありますよ。俺のいた世界では子どもは6歳からスクールに入ります」

「ふむ……スクールでは何をするんだい?」

「教育を受けます。一回性から十回生まで、勉強と運動を主軸に社会で必要な教養を身につけるんです」

「十回生の後はどうするんだい?」

「卒業後は2年間のインターンがあります。そこで実用的な社会経験を積んで、その後18歳で本格的に社会人になります」

「なるほど……」

 そこまで聞いて、草加部はまた黙り込んだ。

「あの……」

「いや、失礼。当たり前だと思っていたものが違うとこうも驚くものなんだなあ……」

「?」

 蒼啓はワケが分からず、戸惑っていると、今度は草加部が話し出した。

「私のいた世界ではね、蒼啓クン。子どもは七歳になる年に「小学校」に入って、六年生まで通って、卒業する。その後、「中学校」に入学して三年間勉強して、卒業する。その後また「高等学校」に入って、また三年間勉強して、卒業だ。その後は人それぞれで、「大学」に進学する人もいるし、就職する人もいる。短い人でも7歳から18歳までは教育を受けるんだ」

「へえ……でもなんで学校を分ける必要があるんですかね?三回も卒業があるの面倒臭くないですか?その間も勉強すればいいのに」

「卒業は儀式みたいなものかな。各学校の卒業の折りにこれだけ成長したってことをみんなで分かち合うものなんだ」

「非効率的に聞こえるけどなあ……」

「ハハハ。自分の世界の常識と比べると、他の世界の常識は変なものに見えるかもしれないね。でも、常識がそうなったのにはきちんと理由があって、それは歴史を見ると分かるんだよ。あ、パラレルワールドができる仕組みって言うのも、歴史が大きく関係しててね……」

 また話がSFの方に向いていき、また長々と話を聞くこととなった。


 それから三日ほどが経ち、蒼啓はまた草加部の元へ行こうと、食料庫を漁っていた。

 今は深夜三時ほどか。

 食料庫の中には人参、じゃがいも、玉葱……カレーができそうだ。他には胡瓜、キャベツ、葱……地下都市では野菜を栽培しているのか、生鮮食品が豊富だ。他にはクーラーボックスに魚が入っている。これはさすがに持っていけない。あとは蒼啓が元の世界でも見たことがあるような、缶詰に入った防災食品、ビスケットなど。

 いつも草加部に持って行っているものは、水と缶詰などだ。たまにはもっと食事らしいものを持って行った方がいいかなと思ったが、野菜を切って持って行って、向こうで料理するわけにはいかないし、それに野菜は減ったらすぐに分かってしまう。多少量が減っても分からないような物を選ばなければならないため、蒼啓は多少マンネリを感じながらも、缶詰とビスケットを袋に入れ、そろりそろりとアジトを出て行った。

 そんな蒼啓の姿を見つめる一つの影が暗闇に溶け込んでいた。


「蒼啓」

 草加部に食料を届けた帰り道、蒼啓は街で滅多に聞こえるはずのない、人間の声を聞いた。しかも、自分に向けられた声だ。

「?」

 声のした方を振り返ると、そこには見覚えのある和服の人物が佇んでいた。

「……シュウさん」

 シュウの目は厳しく、吊り上がっていた。

 もうこの顔を見ただけで、シュウがここにいるというだけで、蒼啓は全てを理解した。

 見られていた。食料を掠めたのを。

 いつかこうなると、蒼啓は思っていた。それでも、蒼啓には蒼啓の主張があった。

「勝手に食料持ち出したのは……すみません。シュウさんが命をかけて地下都市から盗んできているものだと、理解してます……」

 蒼啓の主張を、シュウは静かに聞いていた。吊り上げた目を戻さず、蒼啓を見定めるように見つめていた。

「そりゃ、草加部さんは戦えません。仲間には加えられないのは分かってます。でも……」

 蒼啓はそう言って少し俯いた。しかしすぐにまなじりを決し、シュウの目をまっすぐ見据えて言い放った。

「俺の命と草加部さんの命は、平等です!同じように助けられる権利がある!」

 シュウはそこまで聞いて、口を開いた。

「人間の命は、平等であるべき、というのは認めよう。君の気持ちは良く分かる。しかし……」

 シュウは顔色を一切変変えずに言葉を紡ぐ。

「それが叶うのは、平和な世界においてだ」

 その言葉に乗ったシュウの圧に、蒼啓は気圧された。

「人間の命が平等である、ということは、これまでの人類の歴史の中で幾度となく提唱されてきたことだ。その理想を追い求め、歴史の中で様々な行動が為されてきた。しかしそれは、それが叶うのは争いや諍いのない、平和な時代においてだ。……ならば平和でない時代はどうなのか……戦乱の絶えない時代には、その価値観がそもそも無かった。戦闘力、財力、権力……力を持つ者の命は重く、そうでない者の命は軽い。それが”常識”だ」

 シュウは淡々と語る。

「蒼啓。今、この時代の私たちは……どうだ?平和と言えるか?命を平等だと叫ぶ声に、同調してくれる者はいるのか?」

 シュウの声は至って冷静で、蒼啓にただ事実を伝えんとするものだった。

 しかし蒼啓はそのシュウの表情に、少しの諦めを見た。

「戦乱の世界にこそ、そう叫ぶことに意味があるんじゃないですか?」

 蒼啓はシュウのとてつもない圧に冷や汗を掻きながら、即座そうに絞り出した。

 しかしシュウはそれに対し、

「それは、意味のないことだ」

と、即答した。

「戦乱の時代にあっては、すぐにそれは歴史の影に消えていく……かつてそうなった例は世界中にごまんとある。君がそう叫ぶなら、君も同じようになるだろう」

 確かにそうかもしれない、と蒼啓は思った。そう思わせる力が、シュウの言葉にはあった。シュウが言ったのは、これまでに人類が導き出してきた事実そのものなのだ。

 事実、蒼啓はこの状況をどう打破するか、全く考えつかなかった。シュウの口から放たれる事実の羅列には、言い返す余地も無かった。それは、蒼啓も元いた世界で歴史を学んでいたからである。考え得る限り、日本においても戦国時代などは命の重さは現代と全く違っただろうし、現代でも、権力を持っている者が亡くなれば、政治や経済に大きな影響を及ぼす。争いや諍いの無い、命の平等を叫ぶことが出来る世界など、理想論に過ぎないのかもしれない。

 しかし、

「でも、少なくとも、命の重さを決めるのは……シュウさん、あなたや俺じゃありません」

 その言葉にシュウは目を見開いた。

「命の重さを決めるのは……その世界の常識です。一個人じゃない。そうでしょう?」

 そう付け加えた蒼啓の言葉の全貌に、シュウはガツンと脳を打たれた。

 そうだ。私は一体今まで何を学んできたというのか。過去に助けられなかった命があったのも、覚えていたはずなのに……と、記憶を掘り起こされたシュウは、瞬時にそう感じた。

 私は一人の人間に過ぎないということを、長らく忘れていたような気がする……蒼啓の言葉に、それを気づかされた。自分が特別な存在であると言う勘違いは、あの時消えたと思っていたが、私の心の底に、くすぶっていたのであろうと、シュウは思った。

 シュウの圧が和らいだのを見て、蒼啓はほっと胸を撫で下ろした。若干失礼な物言いになったかと心配していたが、シュウの心には届いたようだ。シュウの吊り上げられていた目はいつもの度合いに戻り、口元にはほんの微かな笑みが見える。

「ありがとう。蒼啓」

 突然お礼を言われた。え?と戸惑っていると、シュウは続けてこう言った。

「蒼啓、君が命の平等を叫ぶなら、その責任は自分で取らなきゃいけない」


 次の日、蒼啓はシュウに付いて、あるエレベーターに乗っていた。何のエレベーターかと言うと、研究所と地下都市を結ぶ、全長100mほどのレールを走る四角い箱だ。地下都市自体はもっと深さがあるのだが、このエレベーターは地下都市の表層で止まってしまうらしい。ここからまたエレベーターを乗り継いで、日本に残った人類たちが暮らしている居住地帯まで行く。

 ”責任を取る”と、シュウは言った。それは、平たく言えば、周りに迷惑を掛けないようにしろ、ということだった。だから蒼啓は、シュウに付いて食料を自分で調達することにしたのだった。

 以前、蒼啓はシュウが地下都市から食料を盗んできていると聞いていたが、実態は少し違っていた。シュウは地上の研究所へ食料を運ぶ業者になりすまして、地下都市から食料を運ぶ、という手法をとっていたのである。エレベーターに乗るときも、盗んだ研究所関係者のパスを提示していた。どうやって手に入れたのか、それが謎だ。

 一つ目のエレベーターを降りて、外が見えない通路を少し歩く。しばらくするとまたエレベーターの乗り口が見えてきて、またそれに乗り込む。

 エレベーターに乗ると、シュウがやっと口を開いた。

「蒼啓、君には自力で食料を調達してもらおう。君が助けた、草加部のためにな。居住区に入ったら、私はいつものところで食料を調達する。その間、君は君で自由に動いて、食料を調達するんだ」

「この都市では、通貨は流通しているんですか?食料を手に入れるには通貨が必要だったりします?」

「そうだな……私がいつも行くところは事前に研究所が対価を支払っているようだから、特に金を請求されたことは無いな。だが、住人が金を使ってるのは見たことあるな。少なくとも、この地下都市では普通に経済が回ってるようだな」

「普通……ね……」

 蒼啓はこの世界の”普通”とはなんだろうかと思ったが、多分蒼啓の世界と同じように、お金を払って食べ物を買うというシステムはあるのだろうと考えることにした。となると、食料調達には金が必要……しかし金を調達するにも方法が分からない……さてどうするべきか。

 蒼啓が考え込んでいると、シュウは加えてこう付け足した。

「エレベーターはこの通行許可証が無いと乗れないからな。食料調達はこの階で行うんだ。終わったらまたこのエレベーターに集合だ」

 首から下げたエレベーターの通行許可証を見せながら、シュウは口元に笑みを浮かべていた。

 この場に限って言えば、蒼啓は居ても居なくてもシュウに支障は無い。ついでとして連れてきてもらっている身の蒼啓としては、シュウの言葉に従い、エレベーターまでは到着しないと地下都市から帰ることができない。例えば今蒼啓には金がないから、例えば、例えばだが、店で売られている商品を万引きして持ってきたとして、追手がかかっても、エレベーターまでに撒かなければならないわけだ。食料を持って、エレベーターまで来るのは、一見単純だが、思ったより難易度が高い、と蒼啓は最悪の展開を想定して頭を悩ませた。

 と、その時、エレベーターの外の景色が、それまでの無骨で冷たいコンクリートから、ガラス越しに見るだけでも目が足りないくらい、広大で、黄金色に輝く空間に変わった。この空間の上部(空と言うべきか)は黄金色に輝いて、その下には地上のビルよりも高層の建物が雨後うごのタケノコのように生えている。しかし目を凝らすと、その高層ビルの間には、小さな建物がびっしりと建ち並び、さらにその間に整備された道路が張り巡らされている。

 だんだんと、その街が近づいてくる。自分の目線と、ビルの高さが同じになり、やがて自分の足下と道路が地続きになった。

 チーン、と言う音と共に、エレベーター内アナウンスが到着を知らせる。

「じゃ、そういうことで」

 エレベーターの扉が開き、シュウは迷わず左に曲がって道を進み、やがて見えなくなった。

 蒼啓はシュウの背中を見送りながら、その場に突っ立って、これからどうするべきか考えていた。どうやって食料を調達しよう……先程も思いついたが店から盗るのが一番手っ取り早い。……いや、でもな……万引きはちょっと気が引ける。それにもし追われたら撒くのも大変だ。……というかこの地下都市ではそれが咎められたりするのだろうか?そもそも犯罪という概念は存在するのか?法律はどうなってる?警察とかいるのだろうか?

 考えても答えのない疑問に、思考を巡らせる蒼啓だったが、考えていても仕方が無いと思い、とりあえず街を歩いてみることにした。


 この街は、地下都市全体の表層に当たる。シュウさんの話では、住宅地帯や商業施設など、生活圏は表層にあり、これより深い場所はこの地下都市を運営するための設備や、管理システムがあるとのことだった。

 シュウさんはどれほど長い間この世界にいるのだろう?と蒼啓は素朴な疑問を抱えた。これほどの情報を調べ上げるのにはかなり時間がいるだろうし、危険でもある。逸石さんやながれさんも長く居るみたいだが、二人はシュウさんに対し敬語を使っている。ということは力関係的には、シュウさんの方が上なのだろう。シュウさんが戦っているところは見たことがないけど、あの様子だとかなり強いんだろうな……と、蒼啓はいらぬ考えに頭を巡らす。

 その間も蒼啓の目は、街の様子を観察していた。もう随分歩いてきたが、見る限り、蒼啓の世界と何ら変わりはない……散歩している人もいるし、建物の前で談笑している人もいる。今蒼啓が歩いているのはきっと住宅街で、日本に残った数少ない人類が暮らす空間なのであろう。

 そんなことを考えながら歩いていると、大通りに出た。あ、スーパーらしきものが見える。スーパーなら生野菜から缶詰までなんでも揃う。しかし……

「どう考えても犯罪だよな……」

 この世界の法律は知らないが、食べ物と金を交換できるシステムがある以上は、無銭で食べ物をもらうことはできないだろう。食べ物や金の価値や信用に関わる問題だ。

 それに今まで元の世界では、聖人君子とは言わないものの、何の罪も犯さず生きてきたのだから、ここで犯罪になるようなことをするのは何だが自分のポリシーに反するような気がして、蒼啓はため息をついた。

「俺も充分、優柔不断だな……」

 沙生にあんなこと言ったのだから、自分は決断できる人間だと思い込んでいたが、自分も重大な場面では躊躇する人間なのだと自覚することになった蒼啓だった。いや、自分でも分かっている。金を稼ぐような時間も方法も無い以上、食べ物を手に入れるには強硬手段を執るしかないと言うことを。だが自分でも一線を越える決断ができず、蒼啓は思い悩んでいた。

 と、視界の端に何か映った。人だ。ただそれだけだったが、蒼啓はその人物を目で追った。

 その人物は道端にあるポストのようなものに、

「!」

 持っていた紙袋から何やらお菓子のようなものを取り出し、ポストのような四角形の、扉がついた箱の中に入れた。

「?」

 その人物は加えて二つ、三つほど紙袋から物を移動させると、扉を閉めて帰って行った。

 蒼啓はその人物が去ったのを見届けてから、慌ててポストのようなものに駆け寄る。

「『サステナボックス?』……ってちょいちょいネーミングセンスが……」

 そう書かれているそれは何か。答えはその下に書かれていた。

「『賞味期限が近いもの、家にあるけど食べないもの、買いすぎてしまったもの、近所の人におすそわけしませんか?』……って……」

 それはどうやら、公共の食品棚のようなもので、食べないものをここに置くと、近所の人で必要な人が持っていく、というシステムのものだった。

「おお!これなら持っていてもいいんじゃね!?」

 蒼啓はすぐに中にあったお菓子に手を伸ばし、いくつか取って袋に入れた。

「よし!」

 蒼啓は満足してその場から離れた。


「君、ちょっといいかな」

 青いシャツに、分厚そうな紺のベスト、それにこの帽子……

 無事食料を手に入れ、意気揚々と住宅街を歩いていた蒼啓を、何者かが呼び止めた。

 やばい。

「な、なんすか……?」

「あのさ、君、住民コード見せてくれる?」

 蒼啓の前に現れた人物は、蒼啓が元の世界で見た、警察官と同じ服装をしていた。

 やばい……か?いやでも俺万引きしてないし。いらない食料もらっただけだし……てか考えたら俺がここにいるだけで犯罪みたいなもんか……?と蒼啓は考えを巡らす。

 蒼啓が黙っていると、警察官はため息をついた。

「あのね、君、サステナボックスは住民コード読み込まないと持ってっちゃいけないんだよ」

 まじか。

「ほら、住民コード見せて」

 警察官が急かす。

「い、家に忘れました……」

 適当に言い逃れようとする蒼啓。

「え?いや……腕にあるでしょ?」

 マズった……!住民コードは腕に埋め込まれてるのか……!?

「ほら!」

 警察官は掌をこちらに向け、さらに詰めてくる。もう腕を見せるしかないが、見せたところでコードが無いんじゃ怪しまれる。どうするべきかと蒼啓が悩んでいると、警察官の眉間に一層皺が寄る。

「コードないの?……もしかして……君……」

 バレる。俺が地上の人間だということが。そう感じた蒼啓は脊髄反射で駆け出していた。

「あ!待て!」

 結局最悪の事態になってしまった。犯罪ではないはずだが、それでもグレーな事案だ。

 警察官をどう撒くか考えながら、蒼啓は走った。しかし、この街は道が整備されていて、裏路地などがない。道はほぼ直線で、曲がり角はあるものの、曲がった先も直線だ。どうやらこの区画は碁盤の目のようになっているらしい。まずい。撒ける場所がないぞ……

 そう思って後ろを振り返ると、

「あれ?」

 警察官は追ってきていなかった。

 蒼啓はつい油断して足を止めてしまった。息を整えながらあたりを見回すと、誰もついてきている様子はない。

 まだ警察官がいた場所がかすかに見えるのに、そこにさっきの警察官は居なかった。

「変だな……撒いた……わけじゃないし」

 どうなってんだ?と思いつつ、まあ追ってきてないならいいかとまた歩き出そうとした矢先、

「!」

 後ろに気配、もとい鋭い敵意を感じて、つい足が出てしまった。

 パァンと小気味良い音がして、蒼啓が繰り出した回し蹴りが、受け止められる。蒼啓の蹴りを受け止めたのは、全身黒ずくめの、大柄な体躯が目立つ人物だった。自衛隊のような戦闘服に身を包んだ人物が……ほかにも。蒼啓の周りを取り囲むように五人ほど。いつの間に現れたのか。

 受け止められた足を素早く戻し、体勢を整える。

「該当の人物を発見。報告、感謝する」

 無線か何かで連絡を取っているのか、蒼啓の目の前の人物は耳に手を当てている。おそらくさっきの警官から通報があったのだろう。にしたって蒼啓を捕捉するのが早すぎる。

 それにしても……こいつらは一体何者なのだろう……とか考えても、相手は答えてくれそうにない。

「お前、地上から来たんだろ」

 相対する黒ずくめの人物の言葉に、蒼啓が何も答えないでいると、

「てめえの顔を住民データと照会したが、どうにも見つからねえ」

 一番大柄な男が、そう言った。こいつがリーダー格か。

 ならもう分かってるくせに。嫌味な奴だなあ。というか、俺の顔、撮られてたのか。監視カメラが街中にあるのだろうか。この一瞬でそれを照会して情報を集めたのは科学技術が進んでる証拠だなと蒼啓は感じた。

「どうやって来たか知らねえが、地上の奴らは研究所に引き渡すって決まってんだ。それがここの”法律”」

 にやりと趣味の悪い笑みを浮かべ、説明してくる目の前の人物は、きっと警察の下請け的な組織で、この街の治安維持のために動かされている戦闘員のようなものだろう。蒼啓は考える必要のないことを思い浮かべ、結論づけた。

「悪く思うな」

 その声を皮切りに、素早く蒼啓の後ろにいた二人が動くのが分かった。蒼啓は瞬時にしゃがみ込み、後ろの二人の手が空を切る。しゃがみ込んだ時に利き足の反対、つまり左足の足裏に力を入れ、二人の手が空を切った瞬間に、低い体勢のまま地面を蹴り上げた。手を伸ばしたままの二人の間をすり抜けて、蒼啓はその場から離れようとした。

 五人相手じゃさすがに分が悪い。しかも体つきからして、五人はかなり訓練を受けているだろう。一対多の訓練は蒼啓もしてきたが、ここで戦うメリットはない。

 だが……

「(監視カメラがあるなら撒くのも簡単じゃないな……)」

 とりあえず走っているが、さっき考えたようにここの街は撒きにくい。エレベーターまで行けばシュウさんがいるかもしれないが、そこでゴタゴタするのも良くないだろうし、連れてきてもらってる身としては迷惑掛けたくない。となると、やはり自分でどうにかするしかない。

 そう思って、ズザアッと思い切り足にブレーキを掛け、今度は追ってきていた奴らの方へ駆け出した。

 意外と奴らは近くまで来ていたようで、連中も思い切りブレーキを掛けた。蒼啓は反射のスピードを活かし、まずさっき話していた一番大柄な男の顔面に一発……と見せかけて、男の後ろにいるもう一人の男に、身を翻して回転蹴りをお見舞いした。

「ぐ……」

 勢いをつけた重い蹴りをこめかみに食らった男は倒れ込む。しかしその倒れた仲間に目もくれず、大柄な男は一瞬背中を見せた蒼啓に容赦なく殴りかかる。蒼啓はその気配をいち早く読み、上半身だけ振り返って、殴りかかってきた男の拳を、左の掌で受け止める。そのまま左手で男の拳を握り、右手で男の胸ぐらを掴んで引っ張り、男の重心が前のめりになったところで、その体重を腰に乗せ、そのまま前方に投げた。

「がぁっ……!」

 蒼啓の一連の投げ技はほんの一瞬のことで、投げられた男は咄嗟に受け身を取れず、思い切りコンクリートに背中を打ちつけた。

 一番大柄な、しかもリーダーらしき男が、小柄な蒼啓に投げられたのを見て、残りの戦闘員はたじろいだ。その隙を蒼啓は見逃さず、姿勢を低くして戦闘員の懐に潜り込み、顎目掛けて思い切り下から突き上げるアッパーを食らわせた。目を回した戦闘員の胸ぐらを掴み、先程投げたリーダー格の男の上に投げ落とした。

「ぎゃっ」

 ん?こいつ女か。戦闘服がゴツすぎて分からなかったが、掴んだ時の体重と言い、投げた時の声と言い、どうやら大柄な男の上に乗っているのは女のようだった。まあ襲ってくる者の性別などどうでもいいが、と思いながら、蒼啓は残りの敵を排除しようと顔を上げた。

「あれ……?あと二人……どこだ?」

 五人いたはずの敵は、今倒した三人の他にはその場にいなかった。キョロキョロと辺りを見回すが、街の風景にどう考えても溶け込めない黒い戦闘服は、足下以外にどこにも見えなかった。

「くそっ……どこに…………ぎっ!?」

 左肩に衝撃を感じたと思ったら、全身に鋭い痛みが走った。蒼啓はあまりの衝撃に膝から崩れ落ちるも、倒れまいと片膝をつくだけに留まった。しかし全身が痺れて動かず、片膝をついた体勢で、蒼啓の身体はしばし停止した。

「(なんだ……?感電……したような……)」

 動かせない身体をどうにかしようともがきながら、蒼啓は頭を回転させる。

 しかしその間に先程まで倒れていたはずの、最初に殴った戦闘員が起き上がって、蹲る蒼啓を取り押さえた。動けない蒼啓は後ろ手に縛られ、無理矢理立たされた。

「確保。……降りてきて良いぞ」

 蒼啓を拘束した戦闘員が無線で何かしゃべっている。「降りる」……?そうか、上から狙撃されたのか、と、動かせる頭だけ動かして考える。

 そうしている間に、折り重なっていた戦闘員の女と、リーダ~格の男が次々に起き上がって近づいてくる。

「コイツ……俺を投げるなんてな……痛ってえ……」

 背中を手の甲でさすりながら蒼啓に近づいてくる。

「おい、すぐに研究所に引き渡すぞ。……まあ、コイツが研究の役に立つとは思えねえがな。こんな何の変哲もないクソガキ…………はうっ!」

 「クソガキ」と呼ばれて、蒼啓はつい足が出てしまった。金的。

「……!…………!このクソガキッ!」

 バキッと言う音と共に、蒼啓の右頬に拳が直撃した。悶絶しながら跳ね回るリーダー格の男が、蒼啓の顔を思い切り殴ったのだ。

 口の中に血の味がして、蒼啓はペッと唾を吐いた。

「リーダー。早く仕事終えて飲みに行きましょうよ」

「……ああ」

 蒼啓は足も揃えて縛られ、俵担ぎにされた。そうなってしまったらもう為す術は無く、担がれるままにするしか無かった。


「……確認しました。ご苦労様です」

 戦闘員たちが蒼啓を連れてきたのは、先程シュウと共に蒼啓が乗ってきたエレベーターではなかった。研究所直通のエレベーターなのか、白衣を着た研究員らしき人物が一人と、その周りには水色の作業着に帽子、マスクをした物たちが三名。白衣の人物がタブレットか何かの液晶画面をタップして、戦闘員からサインを貰って、そう呟いた。

「おう。じゃあ後はよろしくっと」

 リーダー格の男はそう言って、蒼啓を作業員の一人に渡し、戦闘員たちを連れて引き上げていった。

「行きましょう」

 白衣の人物がそう号令を掛けると、作業員たちはエレベーターに乗り込む。ピンポーンという音と共に扉が閉まる。エレベーターの中は静寂に包まれた。

 蒼啓は先程殴られた右頬の痛みを感じながら、これからどうするべきかを考えていた。右頬が熱い。腫れている気がする。いや、そんなことはどうでもいい。研究所に着けばまた敵だらけだ。かといってここで暴れてもエレベーターは止められないし、まず手足が自由に動かないのだから暴れることもできない。八方塞がりだ。

「俺は……これからどうなるんです?」

 最悪の事態を察して、珍しくざわざわと不安を感じた蒼啓は担がれたまま、一番偉そうな白衣の人物に恐る恐る聞いてみた。シュウさんの言っていたように実験台にされてしまうのか、真実を確かめてみたかった。

「……まずあなたのDNAを調べさせて貰います。その後は解剖に回して、何か使えそうなものがあれば研究に使わせて頂きます」

 「解剖」という言葉に蒼啓はゾッとした。この人たちは本気で人間を使い捨てにしているのか。そう思うと、怒りが湧いてきた。

「あんた達、他の世界線の人間を勝手に使って、罪悪感とか無いのか?」

 蒼啓の言葉は図らずも語気が強くなった。正直、先程まであった自分がこれからどうなるかという不安は消し飛び、研究所に対する怒りがこみ上げてきた。蒼啓がこの世界に来たのは最近だが、研究所の研究はきっともっと前から行われていたのだろう。ならばその分、犠牲になった他の世界線の人間は数え切れないはず。それを考えると、ますます目の前の研究員たちが許せなくなった。

「仕方の無いことです。この世界の人類が生き残るには、他の世界に協力してもらうしかないのです」

 穏やかな口調で振り向かずにそう答える白衣の研究員の言葉に、蒼啓は鋭く反応した。

「協力!?あんた達がやってるはそんなことじゃないだろ。あんた達は蹂躙じゅうりんしているだけだ!何も知らない他の世界の人間を!」

 蒼啓が声を荒げると、白衣の研究員は呆れたようにため息をついて蒼啓の方へ振り向き、こう言った。

「そもそも他の世界線は、研究所が作ったものなのですから、どう使うかは研究所の勝手では?」

「は……?」

 研究員の言葉に、蒼啓は思考停止した。

 ”他の世界線は研究所が作った”……?どういうことだ?何を言ってるんだ……?蒼啓がいくら考えても、蒼啓の常識の範疇を超えるこの世界の仕組みは一向に理解できなかった。

「班長、それ以上は……」

「……そうね。失礼」

 作業着のうちの一人が白衣の研究員の言動を咎めた。それからはまたエレベーター内が静寂に包まれ、蒼啓の疑問を解消することはできなくなった。

ど うやら研究所は何か大きな秘密を抱えているようだ。研究所が推し進めている研究のことはもちろん、先程の発言……世界線の仕組みについて。それからもう一つ、気になっていることがある。

 蒼啓がそうグルグルと考えを巡らせていると、ピンポーンという音と共にふわっと浮遊感を感じた。どうやら地上に着いたようだ。

 扉が音も無く開く。

 そして、白衣の研究員が扉の外に出た途端、エレベーター内にいた二名の作業着の人物がドサッと音を立てて倒れた。

「え」

「?」

 蒼啓の口から溢れた声に反応して、白衣の人物が振り返った時には、残りの作業着の人物一名が蒼啓の縛られている手足を解放していた。

「な……何してるんです!?」

白衣の研究員は驚いて声を上げるが、その時にはもう作業着の人物が研究員の背後に回り、首に腕を掛けていた。

「う……」

 あっという間に絞め落とした研究員をそっと床に寝かせる作業員。

「全く君は世話が焼けるねえ」

 作業着の人物が被っていた帽子を脱ぐ。目深に被られ、素顔が見えなかった帽子の下から現れたのは、長い黒髪と浅緋の瞳。見覚えのあるそれは、

「あ……!シュウさん!?」

 作業着を脱いでいつもの袴に着替えたシュウは、どこに持っていたのか、刀をいつものように腰に差して準備万端とばかりにこう言った。

「さて、走るよ。蒼啓」

 それを合図にシュウは研究所の通路を走り出した。蒼啓もひとまず、自由になった手足を動かし、シュウに付いていく。

「あの、なんでここに?」

 走りながら蒼啓はシュウに尋ねる。

「いやあ。用事が早く終わったからさ。君がどんな行動するか、尾けてたんだ。君が警察官に話しかけられたあたりから」

「え!?そうなんですか!?」

 なんとなく予想はしていたが、まさか尾行されていたとは。それに、そこから尾いてきていたことまでは予想できなかった。というかそれなら、戦闘員に襲われてる時に助けてくれればいいのに、と蒼啓は心の中で愚痴を零した。

「にしても、あのボックスに目を付けるとはね。確かに無料だけど、住民コードが無いと持ってけないんだ。あれは」

「ああ、警察官にもそう言われました……」

「まあでも、あの状況でも盗みはしないってのが、君の良いところだね」

「……」

 何気なく褒められたが、正直そんなことには気が回らず、蒼啓はある疑問を抱え、俯いていた。その疑問を解消しようと、隣を走るシュウの方に目を向けた。

「あの……」

「来たな」

 シュウがそう呟き、足を止める。蒼啓もそれにつられて止まる。シュウの向いている方向を見ると、街で何度も見た機械が通路に広がり、二人を待ち構えていた。

「強行突破だ。蒼啓。いけるか?」

「……はい。いけます」

 シュウは刀を、蒼啓は拳を構え、ロボの軍団に突撃していく。

 ロボの軍団はほとんどが街で見た一メートルほどの小型ロボだった。そうとなればもう蒼啓にとって敵ではない。もちろんシュウにとってもだ。二人は次々にロボをなぎ倒し、廊下を駆け抜けていく。二人は足を止めない。

 研究所の通路は入り組んでいて、どこに行けばいいか分からない。しかし先を走るシュウは道に迷わず突き進んでいく。蒼啓はその背中を見て余計に疑問を深めた。

「おっと」

 シュウが振り向いてブレーキを掛ける。

「どうしたんですか?」

 蒼啓も後ろを見て足を止める。

「追手だ」

 シュウの振り向いた先には、戦闘服を着て銃で武装した集団がいた。狭い通路に五、六人ほどの黒い集団が隊列を組んで銃を構えている。

「人数が多いな……よし、蒼啓!君は先に行ってくれ」

「え!?道分かんないですよ俺!」

 その会話の間に、バンバンと銃が撃たれるが、シュウは蒼啓を庇うように前に出て、しかもそれを蒼啓の方を向きながら刀で捌いている。

「この道をあと少し、まっすぐ行けば建物の外に出る。建物の外に出たら右手に研究所の外を囲むフェンスが見えるはずだ」

 シュウは蒼啓にそう説明し、蒼啓に「行け!」と命令した。

 確かにシュウさんは強いんだろうし、一人にしても大丈夫か……俺が残っても邪魔なだけかも、と感じ、蒼啓はきびすを返して通路を進んでいく。

 しばらく走ると、建物と建物の間に掛けられた、渡り廊下のような場所に出た。渡り廊下は壁が透明なガラスでできていて、そのガラス越しに先日蒼啓とズイが登った研究所外側のフェンスが見えた。

「あれだ!」

 渡り廊下の途中には一階へ向かうエスカレーターがあり、そこを下って蒼啓は地面に足をつけた。そのまま蒼啓はフェンスの方へ走っていく。フェンスの方へ駆けながら、蒼啓はシュウが来ているか後ろを確認した。

 その後ろを見た一瞬の隙に、左肩を貫く痛みが走った。

「っ!」

 最初は先程地下で受けた傷が痛んだのかと思ったが、痛みに思わず手を当てるとぬるっとした感触が手について、手を離して見ると赤い液体がべっとりと手の中に溢れた。

「血……?なんで」

 蒼啓が足を止め、掌を凝視していると、コツコツと地面を叩く足音がこちらに迫ってきているのを感じた。

「また貴様か……」

 少しだけ聞き覚えのあるその声に、蒼啓は顔を上げた。そこには黒いタートルネックと黒のスキニーの上に白衣を纏い、こちらに銃口を向ける人影が見えた。。

「あ……!お前!」

 痛みに顔を顰めながら精一杯相手を睨み付ける蒼啓は、なんとか記憶を遡って、目の前の人物の情報を探っていた。

「(確かシュウさんが何かコイツと話してたはず……また食料盗みに来たのか?ってコイツが言って……シュウさんが答えた。確か名前は……)」

 シュウと目の前の人物との会話を鮮明に思い出し、やがてハッと息をつき、目の前の人物の名を呼んだ。

表裏ひょうり……だったか。お前はズイを撃ったもんなア……」

 敵対心むき出しの蒼啓にそう話しかけられた表裏は、持っていた銃を下ろし、白衣の中に仕舞った。

「貴様らが研究所に侵入したからだろう。それなのにまた来るとは……」

 白衣の中に入れたままの手が、今度は小刀を持って現れる。表裏はそれを手で玩んで臨戦態勢を取る。

「一度、忠告はしたぞ」

 その言葉と共に、表裏が纏う気迫がガラリと変わる。先程は何も感じていなかったというのに、表裏は臨戦態勢を取った途端、全身が総毛立つような殺気を纏ってみせた。

 その気迫に気圧されそうになりながらも、蒼啓は拳を構える。まだ左肩が痛むが、そんなことを気にしてはいられない。表裏を倒さなければアジトに戻れないし、それにこの研究所を表裏のような人物が守っているのなら、表裏を倒せないと”打倒研究所”なんて言ってられない。

 蒼啓と表裏は対峙する。二メートルほどの距離を取り、お互いの目線を合わせる。

 蒼啓が瞬きをした。すると、その瞬きの間に一瞬で距離を詰めた表裏が、ヒュッと蒼啓の両目目掛けて小刀を振るう。蒼啓はそれを首上半身の重心を後ろに倒すことで、すんでのところで避けた。いや、少し鼻に掠った。蒼啓は倒れた重心をそのまま利用し、後ろにバク転して再び表裏から距離を取る。

 次は蒼啓が距離を詰めた。バク転した後すぐに地面を蹴って、体勢を立て直そうとする表裏の前に出る。

 目の前に飛び込んできた敵を逃すはずも無く、表裏は再び小刀を振り上げる。蒼啓はその腕を掴んでひねり、手首を膝で打つ。通常ならばこれで持っているものを取り落とすのだが、表裏の小刀はビクともせず、加えて表裏はその間に左足で蒼啓の足を払った。

 今度は蒼啓の体勢が崩される。尻餅をついたが、蒼啓は表裏の腕を掴んだまま離さなかった。離せば小刀の攻撃が蒼啓に降りかかる。そう思って掴む力を入れ直した。

 表裏は表裏で、倒れた蒼啓に覆い被さるようにして腕に力を入れ続ける。しかし腕を掴まれたのが気に入らなかったのか、あからさまに眉を顰めて、掴まれていない方の腕を使い、蒼啓の左肩を乱暴に殴った。

「っ!」

 相手の弱点を狙うのは常套手段だが、自分が意図的に狙われるとこんなにもイラつくものなのかと感じる。痛みを堪えながら蒼啓は頭でそう考えた。しかしそれでも、表裏の腕を掴む力は緩めない。

 表裏はじりじりと腕の力を強めて、小刀の切っ先を蒼啓の首へと近づける。小刀を握る手にも力が入り、グググッと柄と掌が擦れる音が聞こえる。表裏の圧が、蒼啓を押し潰そうとしていた。

 このままでは力で押し切られる。そう感じた蒼啓は、表裏が姿勢を前のめりにしているのに目をつけ、思い切り腕を首の後ろまで引っ張り、左足で表裏の腹に蹴り上げて、巴投げの要領で後ろへ投げ飛ばした。

 投げ飛ばした後、蒼啓はくるりと後転して投げ飛ばされた表裏の方へ向き直り、拳を振りかざした。

 一方表裏は投げ飛ばされた時に身体をひねり、蒼啓から目を離さぬよう、蒼啓の方を向いて手足で着地した。そしてそのまま地面から手を離し、バックステップで一歩後退し、距離を取ろうとする。

 表裏が一歩引いた距離を一瞬で詰め、助走のスピードを拳に乗せ、蒼啓は高らかに叫んだ。

睦月越宝流むつきえっぽうりゅう勁風けいふう!!」

 突風の如く瞬時に駆け抜けてきた速度を、拳にかけ、殴った相手を吹き飛ばすこの技。技を受け止めようとした表裏は、蒼啓の拳を左手で受けたが、力を捌ききれずに後ろへ吹っ飛ばされた。そして、十メートルほど飛ばされた後、排気管が連なる壁に激突して動かなくなった。

「よし……これで……リベンジ成功……」

 激しく動いたせいで傷口からドクドクと血が流れていく。息も絶え絶えになりながらそう宣言すると蒼啓は、敵を倒したことで来が抜けたのか、ふっと力が抜けて前に倒れていった。

 それを受け止めたのが、盗んだ食料を回収して合流した、シュウだった。

「お疲れ、蒼啓」

 シュウは肩で蒼啓を受け止めてそう言った。


「ところで蒼啓クン。顔腫れてるけど、どうしたんだい?」

 次の日、蒼啓は昨日ゲットした食料を草加部に届けに行き、いつものようにSF談義に花を咲かせていた。その話の中で突然、草加部は蒼啓の顔の腫れが気になったようで、蒼啓に尋ねてきた。

「あー、これは昨日、ちょっとあって」

 蒼啓は草加部にそれとなく誤魔化して笑みを作った。草加部に余計な心配を掛けたくなかったから。

「……そんなに腫れてます?」

 草加部が心配そうな顔をしているのを見て、そんなに状態が酷いのか、少し不安になってきた蒼啓は、草加部に聞き返した。

「うーん。そこまで酷くは無いけど、いつも見てる顔に傷が付いてると、違いが分かりやすいよ」

「それなら大丈夫です!顔だけなんで!」

 蒼啓がグッとサムズアップして見せると、草加部も安心したのか、にこりと笑って、

「良かった。蒼啓クンに何かあったら生きていけないからね。私」

「え」

「食料的な意味で」

「あ、確かに……」

 蒼啓が妙に感心してしまったので、草加部は豪快に笑って、

「冗談だよ。冗談」

と言って、蒼啓の左肩をバシバシと叩いた。

「いっつ!」

「え」

 昨日打たれた傷が開きそうになるほど、結構勢いよく叩かれた。それでもこれ以上心配掛けまいと蒼啓は無理矢理に笑顔を創る。

「え、えへ。何でも無いっす」

「……」

 草加部がまた心配そうな顔に戻ってしまった。このままではボロが出ると思って、蒼啓はそろそろお暇しようと腰を上げる。

「蒼啓クン……」

「じゃ、俺そろそろ帰ります」

 草加部が何か呼び止めようとしたのを横目に、そそくさと蒼啓は去って行った。

 残された草加部は、口元を歪め、俯いていた。


 それから三日が経った。

 蒼啓がいつものように草加部に会いに行くと、そこには草加部は居なかった。

 草加部がいつも座っていたソファには、手帳の切れ端が草加部の代わりと言わんばかりに置かれているだけだった。

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