三日間のサバイバル
卒業式の後、自分のドッペルゲンガーに会い、見知らぬ世界に飛ばされた主人公・蒼啓。そこではロボが自分と同じように飛ばされてきた人間を回収しているらしい。その世界で出会った人物・シュウはそう言っていた。そのシュウが言うには、研究所を倒し、元の世界に戻るために仲間を集めているらしい。シュウは蒼啓の戦闘能力を見極めるため、三日間街で生き残ることを命じるのだった。
蒼啓はふうっと大きく息をついた。この世界に飛ばされてから丸二日が過ぎようとしていた。この二日間、ロボに遭遇しては逃げ回り、時には戦ったりして、休む暇もなく、蒼啓はまさに疲労困憊であった。幾度となく繰り返された戦闘により、卒業式に向けて洗濯したために綺麗な黒を保っていた学ランは、砂埃にまみれ、所々白くなっていた。
蒼啓は今何をしているのかというと、二日前にシュウに言われた、三日間のサバイバル、これを完遂しようとしていた。蒼啓は改めて、二日前、シュウに言われたことを思い出す。
「この街で三日間、生き延びることができたら、仲間に入れてあげよう」
シュウの言葉に、蒼啓は思わず耳を疑った。
「え?助けてくれないんですか……」
蒼啓はてっきり、シュウが保護してくれるとばかり思っていた。そして、「試す」というのも、安全な場所で腕試しでもするつもりなのだろうと思っていた。こんないつロボに捕まるかもしれない場所で三日間も過ごすなど、考えたくもなかった。
「……私は善人じゃないんだ。この状況なら助けてくれると思った?君はよっぽど平和な世界にいたんだね。ほら、危ないよ」
シュウがそう言った途端、蒼啓の横腹に鉄の塊がぶつかった。それがロボのアームだと気づいた時には、蒼啓の体がくの字に折れ曲がり、ビキビキと音を立てながら、横一線に吹っ飛び、三十メートルほど飛んだところで地面に背中から着地した。二、三回バウンドして、突き当たりのブロック塀に背中からぶつかる。
「がっ」
止まっていた呼吸が再び活動を始める。ゲホゲホとむせながら、三十メートル先のロボを睨みつける。ロボはゆっくりと蒼啓の方へ向き、ドシン、ドシンと音を立てながら一歩ずつ近づいてくる。
いつの間に移動してきたのか、シュウは倒れてむせている蒼啓の隣に降り立ち、蒼啓の耳に顔を寄せた。
「三日経ったら迎えにくるから」
じゃあね、と言ってシュウは再び消えた。
「(気配が……)」
もうシュウの、というより人間の気配は周囲になかった。気配を消すのが上手いのか、もう蒼啓の感知できる範囲にはいないのか、どっちにしても人間離れしているシュウの身体能力を瞬時に感じ取り、蒼啓は絶句した。
そうしている間にも、ロボは一歩一歩近づいてくる。蒼啓との距離はもう十メートルほどになっていた。蒼啓はズキズキと痛む脇腹を押さえながら、なんとか立ち上がる。ふらつきながらも、目の前に迫るロボを静かに見据える。改めて、戦うのか、逃げるのか、どちらかを選択しなければならない。といっても、脇腹がズキズキと痛む状態では、まともに戦えない。あばらも何本かは折れているかもしれない。
睦月越宝流の試合はいつも心身共に万全の状態で臨んでいる。ロボ相手に、しかもこちらが大きなハンデを背負う状態での戦いなど、試合と呼べるはずもなく、蒼啓は冷や汗を流した。
逃げるしかない、と蒼啓は決断する。次に、どう逃げるか、考える。逃げるにしても、この怪我ではまともに逃げられない。どうにかして隙を突き、ロボの視界から消えなくてはならない。
「(あの人が逃げ切れたんだから、逃げ切る方法はあるはず)」
脇腹の痛みに顔をしかめながら、蒼啓は考えを巡らす。
ロボと蒼啓の間の距離が三メートルほどになると、ロボは蒼啓の目の前で動きを止める。次の瞬間、蒼啓にとどめを刺すべく、ロボはアームを振り上げた。と同時に、蒼啓は地面を蹴って駆けだし、地面との間が一メートルもないロボの股下をスライディングでくぐり抜けた。次の瞬間にはロボのアームが空を切り、ブンッと虚しく音が鳴る。蒼啓はスライディングしたその足で強く地面を蹴り、一気に加速する。かつてハチと短距離走を競い合った思い出が蘇ってくる。蒼啓は陸上部などの、常に走ることを求められる部活ではなかったため、陸上部であるハチには短距離では勝てなかったが、それでも足は速い方だった。
最高速度に達した辺りで、蒼啓は後ろを振り返る。見ると、ロボがキャタピラを使って猛スピードで追いかけてきていた。ギュィィィンと音を立てながら、ローラースケートのような走り方をするそれは、まるで人間のようだった。
「(そんなのアリかよお!?)」
そう思いながら、蒼啓は突破口を探す。考えている間も、みるみるうちに蒼啓とロボの距離は縮まっていく。ロボはどこから出したのか、大きな虫取り網のようなものを振りかぶって追いかけてくる。
さすがの蒼啓も、最高速度を維持するのが難しくなってきた。いつまで走り続けなければならないのか分からないから、スタミナの使い方は工夫しなければならない。しかし長距離走に切り替えたところで、追いつかれるのは目に見えている。だからこそ、最高速度を崩してはならないのだが、脇腹の痛みも相まって、だんだんと足の回転が遅くなってきた。ロボによって押し上げられる風が、蒼啓の背中を押す。呼吸をしないロボの、息づかいが、耳元で聞こえてくるような気さえした。ロボが、アームを振り下ろした。
「!」
蒼啓は突如現れた細い脇道を見逃さなかった。蒼啓は地面を強く蹴り、脇道に飛び込む。ロボのアームが空を切る音が背後で聞こえる。ロボは突如視界から消えた蒼啓を追うべく、急ブレーキを掛けるが、それも間に合わず、速度のままに脇道を通り過ぎていった。
蒼啓は倒れた姿勢のまま、周りを見渡す。そこは狭い路地だった。先程まで住宅街だった景色はいつの間にかビル街に変わっており、ビルとビルの間の路地に蒼啓はいた。路地は人一人が少し余裕を持って通れるくらいの幅しかなく、あの巨大なロボはどう考えても入ってこれないような狭さであった。
スタミナ切れ……まではいっていないが、かなり消耗したスタミナを取り戻すべく、蒼啓は呼吸を整えていく。もうロボは追ってこないだろうと思っていた蒼啓は、座り込んで、大きく息を吸い込んだ。
その吸い込んだ息は、吐かれることはなかった。先程通り過ぎたはずのロボが路地の入り口を覗いたからである。その瞬間、蒼啓は息を詰まらせ、体も固まった。
ロボがこっちを見ている。すると、ロボは三本指の付いたアームを路地の中へに伸ばしてきた。蒼啓は脊髄反射で後退し、もうアームが伸びないであろうところまで後退した後、ようやく息を吐いた。ロボと蒼啓は五メートルほど間を開けて対峙する。
ロボはやがてガチャガチャと音を立て、アームを変形させた。三本指だったアームの先端が金属のゴツゴツした円柱状の物体に変わっていった。その銃口が、蒼啓に向けられる。
「っ!」
次の瞬間、銃口から弾が発射されると同時に、蒼啓はロボに背を向け、地面を蹴り、全速力で駆けだしていた。ダダダダダダと銃弾の音が蒼啓を襲う。腕や足に銃弾がかすりながらも、銃弾の届かない場所まで走るべく、蒼啓は路地の暗闇の中へ消えていった。
と、ここまで思い出して、蒼啓はもう一度、ふうっと息をついた。あれから二日間、休む暇もなく、ロボに追われ続けては逃げ回り、休憩中に見つかっては逃げ回りを続けてきたのである。体力に自信のあった蒼啓でも、さすがに疲れが出てくる。
しかし、二日間も逃げ回っていると、さすがに分かってくる。隠れていても、何かと自分の元へやってくるロボたち。あれには、人間の、いや、生物の気配を感知する機能があるのだと。それが何メートル圏内で機能するのかは分からないが、三階建てのビルの屋上にいた蒼啓が、一階の入り口付近にいたロボに感知されたことから、少なくともロボの半径十メートル以内に入れば感知されるということになる。加えて、この街がどれだけ広いのかわからないが、二日間で三十体以上ものロボと遭遇した。街の一角を走り回っているだけで三十体。街全体にどれだけのロボがいるのか、想像もつかない。
一度高いビルの屋上から街を見てみたが、街の中心は、周囲より一段高い崖の上にあり、妙に明るいビル群がひしめき合っている。そこと今蒼啓がいる街は川で区切られていた。人工のものと見られる川はドーナツ状で、その妙に明るいビル群を取り囲んでいる。中から外へ、妙に明るいビル群、川、蒼啓が今居る街、という風に、サークル状に構成されているようだった。
蒼啓は今、かつてビジネスホテルだったであろうビルの一室で、埃っぽいベッドに横たわっていた。というのも、二日間の経験から、蒼啓はロボの動きにある規則性を見出していた。ロボはあまり建物内には入ってこない。ロボが建物内に入るのは、生物の反応を感知したときだけ。それ以外は、街をうろつき、人を探し、追いかけている。以上の分析から、蒼啓はホテル七階の一室でさっきまで仮眠を取っていた。
それはそうと、蒼啓は二日間の逃避行の中で、シュウを除き、自分以外の人間に会わなかった。シュウが言うには、他にも別の世界から飛ばされてきた人がいるとのことだったが、走っている間、周りを見渡してみたものの、会うのは鉄の塊ばかりだった。
蒼啓はベッドに横たわりながら、二日前までの平穏な日々を思い出していた。一徹とシマとハチ。今頃は楽しい焼き肉も終わり、三人に別れを告げて、新しい生活に胸を躍らせている頃だったであろう。
「焼肉……食べてえなあ……」
そう呟いた途端、グウウウと間抜けな音が鳴る。それが自分の体から発せられた音だと感じた時には、さきほどまで何とも思って無かった腹が、一気に冷え切り、中から胃液すらもなくなる思いがした。二日前の朝から、食べ物は何も口にしていない。水分はというと、ホテルの廊下にあった水のペットボトルを、昨日少し飲んだ。賞味期限どころか消費期限すら切れていたが、背に腹は代えられない。案外蒼啓の胃腸は強かったようで、今のところ腹を下してはいない。三日間だけなら、水だけでもなんとか生きていける。そう思った蒼啓は、特に食べ物を探そうという気はなかった。
「ん?」
蒼啓はふと我に返った。
「……三日?」
蒼啓の思考が一瞬止まった。
「(なんで俺は三日間だと思ってるんだ?)」
それはシュウが三日経ったら迎えにくると言ったからである。しかし蒼啓が疑問に思ったのはそこではなかった。
「(なんで俺は得体の知れないあの人の言葉を無条件に信じているんだ?)」
言われてみればその通りである。得体の知れない世界の、得体の知れない人物の言葉を、なぜか蒼啓は鵜呑みにしてしまっていた。唯一この世界で会えた人物であり、元の世界へ戻る計画を話してくれた人物だからであろうか。蒼啓は必死で考えを巡らせるが、シュウが信用に足る人物であるという証拠は、一つも出てこなかった。
そもそもあの人は何者なのか、という疑問をなんとか蒼啓は解決しようと試みた。最初こそ、シュウも自分と同じく別の世界から飛ばされてきた人だろうと思っていたものの、それならばこの世界の情勢にあんなに詳しいのはおかしい。しかも、シュウはこの世界の情勢だけでなく、蒼啓たちが飛ばされてきた理由を知っていた。研究所のことも。それを知ることができるのは、おそらく元々のこの世界の住人。それも、研究所の存在に関わる人物。
そこまで考察して、蒼啓はゾッとした。もしかすると、シュウは研究所の刺客ではないのか。ロボとは別の任務を任されていて、研究所に情報を送っているのではないか。
いや、こうなってくるともはや研究所の存在さえ怪しい。そもそもそんな施設さえあるのかどうか。シュウの話すべてが信じられなくなってきた。蒼啓は髪を掻きむしり、俯く。シュウが迎えに来るまであと五時間ほどか。それまでに決めなければならない。シュウに付いていくかどうかを。
「……とにかく他の情報が必要だ」
蒼啓は決意を固め、ベッドから体を起こす。ベッドの脇に置いておいたペットボトルの蓋を開け、水を口に含む。そのまま立ち上がり、ハンガーに掛けていた学ランの上を羽織る。これから蒼啓がしようとしていることは大きな危険を伴うことであった。それでも、自分の中にある疑念を解消するためには、蒼啓は動くしかなかった。
風が吹きすさぶビルの屋上で、蒼啓は静かに息を吐いた。まだ三月だからか、それともビルの屋上だからか、吹きすさぶ風は冷たく、蒼啓の顔を乾燥させる。今蒼啓がいるのは、先程までいたビジネスホテルの屋上ではなく、街の端にある高層ビルの屋上である。このビルの五十メートルほど先に例の川があり、川の向こうは崖になっている。そして、崖の上には柵があり、柵を越えた先に妙に明るいビル群がある。
シュウの話を信じるなら、あれが研究所か。あの中に研究所があるのか。どっちにしても、人間がいるのは間違いない。
蒼啓は、情報を集めるため、まずシュウ以外の人間に会わねばならないと思ったのである。そして、そのためには人のいる場所へ行くのが手っ取り早いと考えた。
「(あのビル群の中には電気が通っているようだし……人もいるはず)」
崖の上のビル群がいつも妙に明るいのは、電気が通っているからであるようだ。上から見ると、なるほど、街灯のようなものも見える。それに、ビル街の中心に一際高い建物があり、スポットライトが当たって青白く光っている。
「あそこに行けば、何か分かるはず」
そう決心して、蒼啓は屋上からの階段を降りていく。コツコツと靴を鳴らしながら、一段一段決意を固めるように踏みしめていく。
もしあれが研究所で、シュウの言うことが本当ならば、自分から捕まりに行くようなものである。本当にそうなのか、確かめるためにも、蒼啓は人に会わなければ気が済まなかった。
しかし、蒼啓とてタダで捕まる気は毛頭ない。幼い頃から鍛えてきた睦月越宝流の技はまだ温存している。戦う準備は万全だ。二日前、巨大ロボに殴られた脇腹も、痛みが引き、動かしても問題ないほどに回復していた。あばらが折れていると思っていたが、そこまでではなかったらしい。蒼啓は腹が空いていること以外は、健康体であった。
そんな万全の状態で、おそらく人がいるであろう研究所へ赴くため、蒼啓は覚悟を決めていた。蒼啓の顔は険しく、何かを睨み付けるように前を見据えている。長い階段を、一歩一歩、覚悟を固めるように踏みしめていくと、やがて一階のロビーに着いた。
ロビーからビルの出入り口までは一直線である。ロビーは広く、ボロボロのソファや枯れた観葉植物などが取り残されており、がらんとしている。蒼啓はそれには目もくれず、ロビーを素通りした。
ふと、視界の端できらめくものが見えた。それは槍のような、銛のような、先のとがった棒のようだった。今は昼過ぎあたりであるから、一階のロビーにも充分日の光が差す。それに照らされて、棒の先についた刃にきらめきが灯る。
蒼啓は自分の目を疑った。きらめく棒にではない。その隣で寝息を立てて寝ている人物にである。
その人物は、目に手ぬぐいを掛け、ソファに座り、足をテーブルに投げ出し、腕を組んで寝ていた。ソファの横に槍(もしくは銛?)が立てかけられており、日の光に照らされて光っていた。見たところ歳は十四か十五くらいか。アロハシャツの前を開けて鍛えられた腹筋を露わにしている。下は半ズボン……と思いきや素材の質感的にも水着であった。紺色の髪は長いのか、前髪もろとも頭頂部でお団子にして留めている。
明らかに二日前会ったシュウとは違う、別の人間であった。蒼啓は、そろそろとその人物に近づいていく。起こさないようにしているわけではない。人間に会ったからと言って、手放しに喜べるわけではないのだ。シュウが信用に足る人物ではなかったように、この人物も、まだ得体が知れない。だからこそ、そろそろと慎重に足を運ぶのであった。
寝ている人物のすぐそばまでやってきた蒼啓は、顔を見ようと目にかかっている手ぬぐいを取ってみた。すると、手ぬぐいをどけた瞬間、パチッと目が開き、蒼啓の顔を見つめた。
二人は目を合わせたまま、数秒、見つめ合った。二人の時間が、数秒だけ、流れる。
静寂を打ち破ったのは蒼啓の方だった。蒼啓の口から出た言葉は、
「……よくこんなとこで眠れるな」
蒼啓は人間がいたことに対する喜びもあったが、それよりも、すぐ近くの道路でロボがうろうろしている一階で眠れるこの人物の神経を疑う気持ちが強かった。「何やってんだコイツ」という気持ちが勝って、思わずツッコミが口から第一声として出てしまった。
それに対し、寝ていた人物は、
「?」
蒼啓の言葉の意味が分からないようで、眉をひそめていた。
「いやだから、こんなロボに見つかるとこで寝てたら危ないだろって」
蒼啓は言葉をかみ砕いて丁寧に説明した。するとようやく意味がわかったようで、少年は快活に笑った。
「ははは!大丈夫だって。敵意があれば察知できるし。こう見えて訓練してんだ」
「……」
ソファに腰掛ける少年の言葉を聞いて、蒼啓は何も言えなくなってしまった。すると、少年が口を開いた。
「ところで、あんた誰?」
蒼啓は実のところ、少年の言葉について聞き返したかったが、自己紹介を先にすべきと思って、まずは名乗ることにした。
「俺は蒼啓」
「蒼啓。よろしく。おれはズイだ!」
「よろしく。ズイ」
「やっと人に会えた。なあ、聞きたいんだけど、ここはどこなんだ?」
ズイと名乗る少年は、二日前、蒼啓がシュウにした質問と同じ質問をした。
「ここは……」
そこまで言って、蒼啓は迷った。シュウに教えてもらった話をそのまま伝えるべきか。自分が信じていない話を、人に伝えていいものか。
「ここは、どこか……それは、俺も分からん」
蒼啓は嘘をついた。いや、これは嘘などではない。蒼啓の本心である。シュウに説明されたとはいえ、自分ではまだ確信を持っていない。だからこそ、それを確かめるために今、動いてるのである。それを思い出して、今度は蒼啓がズイに質問をした。
「なあ、ズイ。お前、。この世界のこと、どれだけ知ってる?」
蒼啓の言葉に、ズイは「はあ?」と聞き返した。
「この世界ってどういうことだよ。ここは陸じゃないのか?」
ズイの言葉を無視し、蒼啓は早口でズイに詰め寄る。
「ズイお前、ここにはどうやって来た?水晶玉を拾ったか?」
じりじりと距離を詰めてくる蒼啓の気迫に押され、ズイは答える。
「水晶玉……なんかきれいな玉は拾ったよ。間違えて岩にぶつけちまって、割れたけど。……そうだ!それが割れたと思ったら陸にいたんだ!おれ!」
ズイのその言葉を聞き、蒼啓はハッとした。水晶玉。シュウはポータブルクリスタルと言っていたか。その存在は確かであるようだ。あれが割れると、この世界に飛ばされる。「割れること」がトリガーだから、蒼啓のドッペルゲンガーは銃を使ったのだろう、と、そう蒼啓は推察した。
蒼啓はしばらく考え込んだ後、ズイの方に向き直り、口を開いた。
「ごめんズイ。嘘ついた」
「え?」
「俺、この世界のこと知ってる。だけど……これは信用できる情報じゃない」
そう言って、蒼啓は二日前、シュウに教えられたことをそのままに話した。ズイは驚きながらも、目をキラキラさせながら蒼啓の話に聞き入っていた。
「なるほど……パラレルワールドってのは初めて聞いたけど、なんか面白いな!ここはおれのいた世界じゃないってことか!?」
「でもこの情報は、信用できるものじゃない。俺は、これの真偽を確かめるために人を探してたんだ」
「ふーん。で、人は見つかったのか?」
「いや。まだお前だけだ」
「おれが情報持ってなくて残念だったってわけか」
「ああ。ていうかこの街で人に会えると思って無かったけどな」
蒼啓の言葉にズイは何か引っかかったようで、眉をひそめた。
「この街?この街ってどういうことだ?他にも街があるのか?」
蒼啓はその質問に答えるため、先程ビルの屋上で見てきた東京の街の光景を、ズイに説明した。加えて、川に囲まれたビル群がおそらく研究所だということ、研究所に行けば、人がいるということも話した。
「そうか……そんな場所があるんだな。確かに、人に聞いてみないことには分からねえな。よしおれも行こう」
「でも、研究所に行くのは大きな危険を伴うことかもしれない。あの人の話が本当なら捕まって終わりかもしれないし。それでも行くか?」
蒼啓はズイの顔を窺うように問いかけた。
「いいぜ。いざって時は戦えばいいんだ。なんとかなるさ」
ズイのカラッとした根拠のない自信に少しだけ呆れながらも、蒼啓は仲間が増えたことに喜びを感じていた。ところで、ふと、ズイはロボと戦ったことがあるのか気になった。先程、敵意があれば察知できると言っていたから、戦闘経験はあるのだろうが、この世界に来てから、ロボに遭わないまま、あそこで寝ていたのだろうか。
「なあ、ズイ。お前、ロボと戦ったことあるか?」
蒼啓とズイはビルのロビーを出て、川の方へ歩きながら会話していた。
「あるぜ。もう何日もここにいるからな。知ってるか?あいつら倒すと仲間呼ぶんだ。それも強い奴を」
「ああ、知ってる。お前ロボいちいち倒してたのか?あのでかいのも?」
「おう。ちょっと手こずったけど。だって逃げるのも面倒だろ」
「いやいや、倒す方が面倒だろ。仲間呼ぶんだし」
「えーそうか?」
そうこう言っている内に、川に着いた。
「やっぱこう見ると幅がすごいな」
蒼啓がそう言って深さを確認する前に、ズイが真っ先にドボンと川に飛び込む。
「あ、おい!」
そう言って止めたが、ズイは構わず潜っているのか、浮いてくる気配がない。
「?」
十秒待っても、二十秒待っても、一分待っても、上がってくる気配がない。
「お、おい!ズイ!どうしたんだ!?」
慌てて蒼啓も学ランの上着を脱ぎ、川に飛び込む。と同時に、ズイが水面から顔を出した。ちょうど、蒼啓の足の下に。
「すごいぞ蒼啓この川!魚がいな……」
い、と言う前に、ズイの顔を、蒼啓の足が踏んだ。
「あ」
蒼啓の靴が、ズイの顔にめり込む。ズイの顔は水面下へ沈み込み、それにつられて蒼啓も足から水の中へ入っていく。ドボン、と蒼啓は水の中へ体を踊らせる。水の中は静かだった。水は透き通り、水面が日の光に照らされて光っているのが見える。しかしそう思うのもつかの間、息が続かなくなり、水面へ顔を出そうと上へ急ぐ。
「ぶはっ」
蒼啓が水面へ顔を出すと、ズイも続いて出てきた。
「おい!蒼啓!顔思いっきり踏んだだろ!」
ズイが怒るのも当然である。しかし、蒼啓にも言い分があった。
「いや!お前が中々出てこないから!踏んだのはごめんだけど」
「危険がないか確認してたんだよ。第一別に出てこないからなんだよ。溺れるわけじゃあるまいし」
「俺は溺れたのかと思ったんだよ……でも大丈夫だな。魚も生物もいないみたいだし」
「そうだな……川なのに何もいないなんて……」
「ただの用水路かもな。まあいい。行こう」
そう言って二人は崖の方へ泳いでいく。蒼啓はスクールの体育で水泳をやった経験があるが、さすがは蒼啓、それなりに速く泳げている。しかし、驚くべきことにズイはそれ以上のスピードで息継ぎもせずに泳いでいく。
川の幅は五十メートルほどで、泳いでいくと、崖に突き当たった。崖の高さは七,八メートルほどか。地面からなら助走を付ければどうにかなりそうだったが、ここは水面。さすがの蒼啓も、水面を蹴ることはできない。
「どうする?ズイ」
「これで登る!」
そう言ってズイは持っていた銛と水着のポケットからナイフを取り出し、蒼啓に見せた。確かに刃物が二つあれば、それを杭にして上っていくことも可能だ。しかし、蒼啓は不満を漏らした。
「えー俺登れないじゃん」
「おれが先行って、ロープつるすよ」
ズイはそう言うと、ざくざくと銛とナイフを使って器用に崖を登っていった。
蒼啓は水面に浮かびながら、ぼんやりと考える。
「(あいつすげえな。たぶん俺より年下だけどなんか生きる力がみなぎってるっていうか。なんか野生児みたいだな……どんな世界から来たんだろ)」
そんなことを考えていると、上からロープがするすると降りてくる。上から、「いいぞ!」とズイの声が聞こえてくる。それに伴い、蒼啓はロープをつかみ、登っていく。文字通り頼りの綱がロープのみであるから、蒼啓の体重が全てロープにかかる。水を吸って重くなった学ランの重さになんとか耐えながら、ロープは蒼啓を崖の上へと持ち上げた。
「よいしょっと」
「おう」
崖の上にあった二メートルほどの柵を越え、研究所と思しきビル群の中へ入っていく。驚くべきことに、外の街からはあんなに明るくきらびやかに見えたビル群は、不自然なほどにしんと静まりかえっていた。大小様々な建物と蒸気を排出するパイプ。迷路のように入り組んだ通路。所々に街灯があり、確かに明るいのだが、それは人工的な明るさで、それなのに人っ子一人見つからないという状況はある種の不気味さを感じさせる。
「人……いないな……」
しびれを切らしたズイが呟く。一応忍びながら散策しているとはいえ、一人も会わないというのはおかしい。蒼啓の予想は間違っていたのだろうか。明かりのある所ならば人はいるだろうという蒼啓の予想は外れたのか。またこのままではシュウの言ったことも嘘になりかねない。人のいない研究所なんてあるのだろうか。そんなことを頭の中で考えていると、どんどん頭が混乱してくる。もう何を信じれば良いのか、蒼啓は分からなくなっていた。
すると、パァン、とどこかで何かが破裂するような音が響いた。
「?」
蒼啓は、何だろうと、辺りを見回す。すると、蒼啓の五メートルほど後ろに人が立っていた。蒼啓は、その人物に害があるかどうかも考えず、人を見つけた喜びのあまり、ズイの背中を叩いた。
「おい!ズイ!人だ!人いた……ぞ……」
相変わらず後ろを向いているズイの肩をバシバシと叩くが、蒼啓は後ろにいたその人物の姿を見て絶句する。その人物はこちらに銃口を向けていた。細かく言えば、ズイの方向に。あれだけバシバシ叩いた割には、ズイからは何の反応もない。
「……?ズイ?」
ズイの体はゆっくりと前屈みになり、やがてドサッとうつ伏せに倒れた。ズイの腹のあたりから赤黒い液体が流れ出し、地面を染めていく。
出血している。そう気づくまでにかなりの時間を催した。
「ズイ!しっかりしろ!」
蒼啓はもう後ろにいる人物そっちのけでズイの隣にかがみ込んだ。睦月越宝流やスクールで多少の応急処置は学んでいる。一刻も早く処置を施さねばならない時に、蒼啓の後ろにいた人物が口を開いた。
「案ずるな。急所は外した」
蒼啓はその声に振り向く。茶髪の短く切った髪を後ろになでつけている。黒いスキニーパンツに黒のタートルネック。その上には白衣を羽織っている。その人物の手には銃が握られていた。コイツだ。コイツが撃った。そう認識すると同時に、蒼啓の中に激しい憎悪の念が浮かんできた。
「おい。いきなり撃つなんてどういう料簡だ。ズイは怪我を負ったぞ」
自分でも恐ろしいくらい静かな声で蒼啓は言った。本当は頭にきてる。怒鳴り散らしたいくらい。でも、なぜか妙に落ち着き払った声で、腹の底から響くような低い声で、蒼啓は尋ねた。
「そちらの言い分を聞くつもりはない」
目の前の人物はそう吐き捨てた。
「そいつを連れて即刻ここから立ち去れ。でなければお前も撃つ。それとも、自ら研究材料になりに来たのか」
目の前の人物は感情のない声でそう言うと、再度銃を構えた。今度は蒼啓を撃つ気である。
「ふざけんな……」
蒼啓は正直、ズイのために怒っているのではなかった。理不尽に、このような仕打ちを受けたことに対して怒っていたのだ。思えば、この世界に来てから、理不尽の連続である。理不尽にこの世界に飛ばされ、理不尽にロボに追いかけ回され、食べ物もなく、このような怪我をする。この世界が強要してくる理不尽に対して、蒼啓は怒りを抱えていた。そしてその怒りは、目の前の人物に向けられる。蒼啓の不満はもう爆発寸前だった。
「お前は敵なんだな?」
そう問いかけると、蒼啓は地面を蹴り、目の前の人物の元へ駆け出した。
「少なくとも味方ではないだろうな」
謎の人物はそう言うと、ドンッと銃を蒼啓に向け、発砲した。
しかし蒼啓はそれにひるむことなく、突き進んでいく。
「睦月越宝流……弾捨離!」
この技は、睦月越宝流の技の中で、唯一銃に対する対処技である。弾の側面をはたくことで弾の軌道をずらす技であり、蒼啓はそれを瞬時に使い、自分に向かってきた弾の軌道を逸らした。
これには謎の人物も一瞬たじろいだ。目を見開き、「マジか」という顔をしている。謎の人物はすぐさま銃を腰にしまい、迎撃の構えをとった。
蒼啓が拳を大きく振りかぶって、攻撃を仕掛ける。
「睦月越宝流!天泣!」
謎の人物がファイトポーズを取った途端に、一瞬で距離を詰め、相手のみぞおち目掛けて連打を繰り出した。謎の人物はすんでのところでその攻撃をガードしたが、蒼啓の拳の勢いが腕を貫通し、みぞおちにまで力が伝わったようであった。「ぐっ」とわずかな苦痛に顔をゆがめたが、それも一瞬のことで、蒼啓の連打をガードし終えると、すぐに反撃してきた。蒼啓の視界の外から相手の靴が迫る。
目の前の人物は、蒼啓よりもはるかに背が高く、リーチも長い。だからこそ、蒼啓の攻撃を受け少し後退しても、その距離を詰めることなく次の一手を繰り出すことができたようだ。その靴を蒼啓は反射的に掴み、ぐいっと引きつけてさらに胴に追撃を仕掛けようとした。だが、掴んだ足はびくともしない。それどことか、徐々に掴んだ手が押され始めている。一体何故ここまで足に力が入れられるのか。そんなことを考える暇もなく、徐々に力を増す足を同じ力で押し返し続けるが、その時ふっとその力が抜け、蒼啓は体勢を崩した。その隙を見逃すはずもなく、謎の人物は素早く足を引き戻し、今度は蒼啓の顔目掛けて拳を振るった。その拳は蒼啓の右頬にヒットし、蒼啓はその勢いに押され、思わずよろめいた。
またその隙を逃さず、相手は追撃を仕掛けてくる。今度は固く拳を握り、百パーセントの力で一つ一つ殴りつけてくる。
蒼啓はもうガードに徹するしかなかった。謎の人物の猛攻が、蒼啓に反撃の隙を与えない。相手から降りかかる攻撃の一打一打が、自身の体を打ち付けるのを黙って耐えているほかない。
……わけでもなかった。蒼啓は攻撃に耐えながら、虎視眈々とその機会を狙う。相手の息づかいと気配を感じ取りながら、蒼啓は待ち続ける。
「今だ!」と、蒼啓は瞬時に体勢を後ろに倒し、相手の攻撃を避ける。相手の拳が空を切った。
続いて蒼啓は地面に手をつけ、ギュルッと腰を回して相手の顎を蹴り上げた。
蒼啓の蹴りを食らった謎の人物は、顎を押さえながら数歩後ずさる。
「くっ」
両者の間に一定の距離が作られる。
「これはこれは……」
一瞬、謎の人物がニヤリと笑みを浮かべたように見えた。しかしすぐにその顔は元に戻り、じっと蒼啓を見据えている。
刹那、両者の間に緊張が走り、はじけた。
二人は同時に拳を振りかぶる。
二人の拳が正にぶつかろうという時、二人の拳は間五センチあまり残して止まった。いや、止められた。
「ハイ。そこまでー」
二人の腕を掴み、すんでのところで拳がぶつかるのを止めたのは、弁柄色の袴に象牙色の着物をまとい、髪は長く、黒く艶のある……
「……シュウさん?」
蒼啓は邪魔してきた人物の名を呼んだ。
「もー探したよ。街に気配がないからさあ。君一人ならまだしも二人で動いてるなんてね。余計に探しづらくなったよ」
シュウは蒼啓と謎の人物の腕を掴みながら呑気に話す。先程まで殺気を放っていた二人の間にいるとは思えない、のほほんとした様子でおしゃべりをしている。
「シュウさん……」
蒼啓は目を泳がせた。シュウを疑っている蒼啓は、まっすぐにシュウの顔を見れなかった。蒼啓の行動から、そんな蒼啓の胸中を察したのか、シュウは少し悩む素振りを見せ、こう言い放った。
「うーん。気持ちは分かるけど……君にはそれよりもやるべきことがあるんじゃないかな?」
シュウは倒れているズイの方を指さし、わずかに微笑んで言った。
「!」
蒼啓はそこで我に返った。シュウが指さす先、ズイを見て、ヒートアップしていた頭が徐々に冷えていくのを感じる。ズイは先程と変わらず、血を流して倒れている。「手当しなくては」そう蒼啓の頭に信号が送られ、それと同時に蒼啓はシュウの腕を振り払ってズイの元へ駆け寄った。
「ズイ!」
蒼啓はズイの傷の具合を確かめ、手当てに入った。
「シュウ、お前が研究所に何の用だ。また食料でも盗みに来たか」
蒼啓がズイの手当をする後ろで、謎の人物はシュウに腕を掴まれながら、シュウをにらんで笑う。
「表裏ィ。ひどいなあ。人を泥棒呼ばわりか?」
「フン。間違っちゃいないだろう」
表裏と呼ばれた人物はシュウの腕を振り払うと、蒼啓たちに背を向け、
「さっさとここから立ち去れ。研究材料になりたくなければな」
そう言って建物の影に消えていった。
シュウはそれを見届けてから、蒼啓とズイの元へ戻ってきた。
「いやあ、あいつに一発入れるなんて、すごいね、蒼啓」
「シュウさん……なんでここに」
蒼啓は手当をする手を止めずに、シュウに尋ねる。
「んー?三日経ったから」
シュウは顎に手を当て、考えるふりをして答える。
「いやそういうことじゃなくて……」
蒼啓が聞きたいのは何故崖の上……研究所内にいるのか、何故蒼啓たちの居場所が分かったのか、ということである。
シュウはそれを察したようで、蒼啓がその質問をする前に答えた。
「君の気配を辿ってきたんだよ。君の気配は三日前に覚えたからね。それを探せば君に辿り着く。でも気配の分からないもう一人と一緒に行動していたからまぎらわしかったよ」
蒼啓はシュウの言っていることが超人的すぎて理解できなかった。気配を覚えた?気配って覚えられるものなのか?確かに蒼啓も、睦月越宝流を習うに当たって、気配の読み方などは習ったが、「覚える」というのはいまいちピンと来なかった。シュウの人智を越えた芸当には驚くばかりである。確かに、シュウは先程、蒼啓の渾身の一撃を容易く止めて見せた。全国大会に出るほどの蒼啓の実力を抑えることなど、そこいらの人間にはできない。
蒼啓は改めて、目の前にいる人物の存在に恐怖した。自分の渾身の一撃を止められたということで、自尊心ももろく崩れ去り、目の前の人物すら信じることができない。研究所があるというシュウの言葉は当たっていたのか、それすらも分からなかった。ただズイの手当をしている時だけ、何も考えなくて言いような気がして楽だった。
「手当が終わったら私たちのアジトへ行こう。ここは危ないからね」
シュウは優しい声でそう蒼啓に声を掛ける。
「……」
蒼啓はシュウについてくべきか、迷っていた。一刻も早くズイの手当をしなくてはならない。しかしシュウと共に行けば、それが叶うのか。それは分からない。子どもの頃に教えられた、「知らない人にはついて行っちゃダメだよ」という母の言葉。今ここで機能するとは夢にも思わなかった。得体の知れない人についていくことがこんなに怖いものか。
しかし、シュウの声には、どこか人を安心させるような雰囲気があった。
「君も友達の手当、早くしたいだろう?」
少なくとも、研究所にいた先程の表裏とかいう人物より、シュウの方が危害はないだろう。
「……分かりました。行きます」
蒼啓は警戒しつつも、そう答えた。
蒼啓のその様子に、シュウはにやりと笑って、
「まあそう警戒するな。それに、君も疲れただろう?」
蒼啓の背後に素早く回り込み、
「え?」
蒼啓の首に、手刀を落とした。トスッと蒼啓の首にそれが命中すると、蒼啓は白目をむいて、前屈みに倒れかかった。
「よくおやすみ。蒼啓」
シュウはそう言って蒼啓を受け止め、二人を俵担ぎにし、研究所の外へ走って行った、
「ん……」
蒼啓は暗い部屋の、ベッドの上で目を覚ました。ベッドの隣の棚に間接照明が置いてあり、それが薄く点灯している。その御陰で、部屋の中を見回すことができた。部屋の中は蒼啓が寝ていたベッド一つと、間接照明のある棚、テーブルに一人掛けのソファと、まるで蒼啓が少し前までいたビジネスホテルの一室のような部屋だった。天井にも照明があるにはあるが、蒼啓が寝ていたからか、つけられていない。部屋の奥にドアがあった。この部屋の入り口はそこであるようだ。
蒼啓は起き上がって、ドアに近づく。ドアに近づくと、ドアの向こうから何やらカチャカチャと音が聞こえる。ドアの向こうで、何が行われているのか。かすかだが、人の声も聞こえる。蒼啓はドアを開けようと、ドアノブに手を掛けた。
ガン!と蒼啓の顔にドアがぶつかる。蒼啓がドアを開けようとした矢先、ドアの向こうからドアが開け放たれたのである。
「きゃっ!何ですか!?」
ドアの向こうから女の子の声が聞こえる。
「?」
「何ですか!?何ですか!?」
ドアの向こうであわあわしている女の子の様子を、蒼啓はドアを押しのけて見てみた。肩ぐらいまで伸ばした赤みがかった茶髪のセミロングに、緑のブラウス、白いショートパンツ。見た感じ普通の女の子という感じで、蒼啓より少し年下であるようだ。
その女の子はドアの真ん前にいる蒼啓を見て、ハッとした様子で、
「もしかしてぶつかっちゃいましたか!?ひゃー!ごめんなさい!ごめんなさい!」
と、言いながらぶんぶん頭を下げた。頭を振る度に、茶色の髪が舞い上がる。蒼啓はそれをうまく避けながら、目の前の女の子に話しかけた。
「いや、大丈夫だから……君は?」
「私は大丈夫です!」
フンっと鼻息荒く答える姿はまるで子どものようで、蒼啓は思わず笑ってしまった。蒼啓が笑ったのは、それだけではなかったのだが。蒼啓の「君は?」という質問の意図を、女の子はまるで理解していなかった。蒼啓は、「君は誰?」という意図で質問をしたのだが、女の子はそれを「君は大丈夫?」という意図で受け取ったようで、「大丈夫」だと答えたのだった。
蒼啓はもう一度質問し直した。
「君……名前は?」
そう問いかけると、女の子は、笑顔になって、
「私は沙生って言います。よろしくお願いします」
そう言って深々と頭を下げた。その様子からは、先程の姦しい様子からは想像できぬほど気品に溢れていて、蒼啓は一瞬たじろいだ。
「ああ、うん。俺は蒼啓。よろしく」
「はい!よろしくお願いします。体調はもう大丈夫ですか?」
「うん。大分いいよ……けど腹減ったな」
「そう言うだろうと思って……ごはん持ってきました!」
「まじか!」
よく見ると沙生は手におぼんを持っていた。その上には、皿とコップが並んでいる。
「(あ……ごはん……)」
予想外に嬉しい展開に、蒼啓の胸はドキドキと高鳴っていた。元の世界にいた時は寮生活だったため、いつも寮の食堂か弁当で済ませていた。そんな蒼啓だからこそ、誰かの手料理を食べるということに憧れを抱いていた。まさかこんな形で夢が実現するなんて。
「起き抜けに申し訳ないですけど、ごはん持ってきました」
蒼啓はソファに腰掛け、目の前のテーブルに置かれたごはんを眺める。真っ白なごはんの上に梅干し。スープは卵とネギとにんじんで中華スープのような出で立ちである。それに何より嬉しいのは、焼魚があることだった。鮎の塩焼き。ごはんとスープだけでは物足りないが、魚か肉があれば文句はない。寮で食べていた贅沢な定食とはほど遠い、量も少なく質素な食事だったが、絶食明けの蒼啓にとってはごちそうであった。
「いただきます!」
蒼啓は手を合わせて高らかに言った。と同時に、沙生はドアを閉め、部屋を出て行く。出て行く前に、部屋の電気をつけてくれた。
とてつもないスピードで蒼啓はごはんに手をつけていく。さながら部活帰りの運動部員のように、両手をめちゃくちゃに動かしながら食べ続けた。美味しい。内容としては今まで寮の食堂で食べていた定食には劣るけれど、それ以上の満足感がこの料理にはあった。やはり三日間絶食した後のごはんは美味しい。蒼啓は無我夢中で食べ続けていた。
が、ふと蒼啓の手が止まる。
「(俺はなんで呑気にごはん食べてんの?)」
あれだけシュウやこの世界のことを疑っていたくせに、一度寝てストレスがなくなると頭がすっきりするようで、起きてから現在まで頭を悩ませることはなかった。沙生が人畜無害な笑顔を振りまいたから、というのもあるが、それよりも、もう蒼啓自身が、考えたくない、むしろシュウを信じたいという気持ちがあったのかもしれない。
蒼啓は再び手を動かしながら考えた。
「(ここはシュウさんのアジト……であってるよな?仲間いるって言ってたし……沙生も仲間の一人なんだろうな……)」
もぐもぐと咀嚼しながら蒼啓はのんびり頭を巡らせる。一応安全な場所にいるからか、昨日ほど切羽詰まっていないためか、頭の回転も遅い。
「あ!ズイ大丈夫かな!?」
ちょうどごはんを食べ終え、席を立つ。急いでドアに向かい、ガチャ、とドアを開けると、そこは大きな部屋になっており、広々としたリビングのような雰囲気だった。奥にキッチンのようなものが見える。そこに沙生がいて、蒼啓を見ると、笑顔で駆け寄ってきた。
「蒼啓さん!ごはん食べられました?」
「ああ。美味しかったよ」
「疾風さん!美味しかったですって!」
するとキッチンの奥からもう一人が顔を覗かせた。その人物は洗い物をしているようで、キッチンからは水の流れる音が聞こえる。
「おお!良かった!魚も旨かったろ?俺が焼いたからな!」
疾風と呼ばれた人物は得意げにそう言うと、また流しに引っ込んだ。
「(沙生が作ったんじゃなかった……)」
蒼啓は少し残念に思いながらも、またふと思い出したように言葉を続けた。
「あのさ、ズイ……俺と一緒にいた奴は?」
「あ、ズイさんと言うのですね。ズイさんなら隣の部屋で寝てますよ」
そう言って沙生は蒼啓が出てきたドアの隣にあるドアを指さした。
「そうか……無事ならいいや。沙生が手当してくれたの?」
「いえ、それはシュウさんが……」
沙生がそう言った瞬間に、蒼啓の左側にあったドアがガチャ、と開いた。ドアの向こうには、見慣れた和服の人物が立っていた。
「あ、シュウさん」
「ただいま。お、蒼啓。起きたんだね」
シュウは沙生に一瞬目を向け、「ただいま」と言うと、蒼啓の方へ向き直り、蒼啓に話しかけた。
「随分寝ていたね。もうあれから八時間ほどだ。そりゃ三日もサバイバルしていたら疲れるか」
シュウは薄ら笑いを浮かべながらそう言った。
「え!?三日も放置してたんですか?」
それを聞いた沙生が言葉を挟む。
「だって逸石と流が強い奴が欲しいって言うからさ。三日間自力で生き残れるか試してみたのよ」
「なるほど、そりゃ腹も空くわけだ」
洗い物が終わったようで、キッチンから疾風が手を拭きながら出てきて会話に加わる。ここで蒼啓は初めて疾風の姿を見ることができたのだが、疾風はトゲトゲしたまさにウニのような頭をしていて、大きめのTシャツに半ズボンという動きやすそうな格好をしていた。
「蒼啓……だっけ?ここ座りなよ」
疾風にそう促され、蒼啓は大きなソファの真ん中に座り、その隣に疾風も座る。一方でシュウと沙生はちょうど蒼啓の向かいになるソファに並んで座った。
「さて」
シュウが咳払いをして話を切り替えた。
「改めて、仲間として歓迎するよ。蒼啓。これからよろしくね」
そう言って、シュウは笑顔で手を差し伸べてくる。
しかし蒼啓はその手を取らなかった。
「あの……俺、まだ仲間になるとは言ってないんですけど……」
蒼啓の一言に、シュウの笑顔が固まる。蒼啓の反応も当然である。多少信用できる程度になってきたとはいえ、正体不明な人たちの仲間になるかと言われて即答できるような頭を、蒼啓は持ち合わせていない。蒼啓が知っているのは、「この世界は蒼啓がいた世界とは違うということ」、「研究所のせいでこの世界に飛ばされてきたということ」、「研究所を倒すために、シュウが仲間を集めているということ」である。しかしこの断片的な情報だけでは、蒼啓は決断できなかった。そもそも、シュウの言っていること自体本当なのかが分からなかったからである。先程、ごはんを食べている最中は、もはやシュウを信じるべきかと思っていた蒼啓であったが、本人を前にすると、改めて疑念を解消しなければならない気がしてきた。
「あの、確認してもいいですか?」
その疑念を解消するべく、蒼啓はシュウだけでなく沙生と疾風にも向けて言葉を発した。
「なんだ?」
まだ笑顔のまま固まっているシュウの代わりに疾風が答えた。
「この世界は、俺が元々いた世界とは違くて、研究所のせいで俺はこの世界に飛ばされたんですよね?」
蒼啓はこの状況の根本的な問題から質問した。
「ああ。俺もそうだからな」
疾風はそれを肯定した。
「え?」
「俺も、別の世界から来て、ロボに追いかけられてたところをシュウさんに助けられたんだ」
「私もです」
沙生もそれに続き、話し始めた。
「道ばたで拾った水晶玉……ポータブルクリスタルと言うらしいですけど、それを不注意で割ってしまって、そうしたらこの世界に飛ばされていました。ロボから逃げ回っているところを、シュウさんに助けていただいたんです」
沙生はシュウに目を向けながら話す。
「ああ、なるほど」
すると、それまで笑顔で固まっていたシュウが口を開いた。どうやらシュウは、笑顔で固まりながら、蒼啓の態度の理由を熟考していたようである。やっと頭が追いついたのか、それまでの人畜無害な笑顔を崩して今度はニヤリと嘲笑的な笑みを浮かべた。
「蒼啓は私の話が信じられない……と言いたいんだね?」
図星を突かれて、渋い顔をする蒼啓。本人を前にすると失礼な気持ちが勝るが、嘘はつけなかった。
「はい……だって根拠がないじゃないですか……」
「まあ仕方無いか。得体の知れない世界で得体の知れない人に協力しろなんて言われても混乱するだけよな」
シュウは腕を組みながら、蒼啓を値踏みするように眺め回した。
「君は頭がいいようだから、疑り深いのかな?だから研究所にも行ったんだね」
「「え!?」」
蒼啓が「はい」と答える前に、疾風と沙生が驚きの声を上げた。
「研究所……行ったんですか?」
沙生が恐る恐るといったように蒼啓に尋ねた。
「ああ、ズイと一緒に」
その瞬間、沙生はさっと顔を青ざめ、疾風は顔を引きつらせた。
「お前、よく行けたなあんなとこ。自分から捕まりにいくようなもんじゃねえか」
疾風が顔を引きつらせながら答える。疾風の話によると、研究所には正面玄関があって、そこにはロボがうじゃうじゃいるらしい。蒼啓とズイは崖の方から侵入したため、ロボに遭わなかったというわけらしい。
「研究所かどうかも疑わしかったですし……とにかく人のいるとこに行こうと思って……」
蒼啓の言葉に疾風とシュウはため息をついた。
「まあ私の説明が足りなかったのは認めるが……にしたって人に危険と言われたところに行くかね?」
「頭良いんだかバカなんだか分からねえな」
シュウは反省の色を見せながらも呆れた様子で言い、疾風は心底驚いた様子で蒼啓に目を向けた。
「だがさすがに研究所が危険だと分かったろ。ズイがあんな怪我したんだから」
シュウはいつの間にか沙生が煎れてきたお茶をすすりながら蒼啓に語りかける。
「はい……」
シュウのその言葉にはさすがの蒼啓も現実を受け入れざるを得なかった。ここで言う現実とは、シュウが言ったこの世界の現状のことである。今思えば、昨日は絶食に加え、知らない場所で、ロボに追いかけられながら三日も過ごしたストレスで、頭が正常に働かなかったのかもしれない。
蒼啓は今になって、ズイを巻き込んでしまったことに深く反省していた。自分が研究所に行こうなんて言ったせいで、ズイに怪我をさせてしまったと、心を痛めていた。
蒼啓のそんな気持ちを理解したのか、シュウは何やら悩んでいた顔をやめ、「仕方ない」と言う様子で再び口を開いた。
「まあ、いいや。改めて最初から説明するよ」
「はい。お願いします」
「前にも言ったけどこの世界の日本はもう人間が住めるところがなくてね。研究所はその現状を打開しようと、人間を宇宙のどこの星でも適応できる体にしようと目論んでいるんだ。だから研究所に捕まるとその研究の実験素材にされて終わり。ここまでオーケー?」
「はい」
「研究所にはポータブルクリスタルがたくさんある。だから研究所を襲撃して、自分たちの世界につながるポータブルクリスタルを手に入れるんだ。それが私たちの目的」
シュウは腕を組みながら淡々と話していく。
「そのために、研究所を襲撃できるだけの戦力を集めている。強い奴が欲しいというのはそういうことだ」
そこまで言って、シュウは一度、ふうっと息を吐いた。
「言い方が違ったね」
そして、蒼啓にこう問いかける。
「改めて蒼啓、君が、君自身が元の世界に戻るために、力を貸してくれないか?」
その言葉を、蒼啓は快く受け入れたいと感じた。四日前に道ばたでロボに襲われながら聞いた話とはまた味が違う。今度は話を裏付ける証人がいる。自分と同じ、別の世界から飛ばされてきた疾風と沙生。彼らの存在は蒼啓にとって大きかった。まだまだ得体の知れない世界ではあるけれど、これからこの世界で生きていくためには、この人たちの協力が不可欠だと蒼啓は結論づけた。
「はい。俺も戦います。一緒に研究所を倒しましょう」
蒼啓はまっすぐにシュウを見据えて言い放った。しかしこう言った蒼啓の脳裏には、あの人物のあの言葉が引っかかっていた。「研究所を壊すんだ」そう言ったドッペルゲンガーの自分。あれは果たして何者なのか。なぜ研究所のことを言っていたのか。蒼啓はそんなことを考えながらシュウに手を差し伸べた。
シュウは蒼啓の伸びてきた手をガッとつかみ、力強く握手をした。
「ああ。これからよろしく。蒼啓」
※2025/08/05 加筆・修正しました。




