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Parallel Lab  作者: 古今里
16/17

東日本一の力

研究所の策略により世界線移動した蒼啓一行は、それぞれ元の世界へ戻るべく、元凶となる研究所と戦い、世界線移動装置を手に入れることに成功する。しかしどの次にどの世界線に飛ぶかは予測できず、加えて世界線移動装置停止までのタイムリミットが迫る中、一旦皆で別の世界線へ飛び、研究所の支部を辿って元の世界へ戻ることを目指す。無事にシュウのいた研究所の世界線から移動できた一行。果たして次に渡る世界線はどのような世界だろうか……。

 どさっ……

 少しの浮遊感の後、臀部に響く強い衝撃。

 硬い。硬いところに尻餅ついた。痛みはそこまで感じないが、いかんせん尻が冷たく硬い地面に触れて吃驚している。

「ここは……」

 ぼそりと声を出すと蒼啓の周りも同じように息をつく。

 蒼啓たちは研究所にいたはず。そして今、世界線移動装置を使って世界線を移動したのだろうと蒼啓は瞬時に判断した。なぜなら視界に入る風景が、瞬きの間に切り替わったからだ。それまでの機械に囲まれた研究所の青白い空間が、一瞬にして緑豊かな芝生の風景に変わった。

 目の前には芝生が広がっているのに、何故自分は硬い地面に尻をぶつけたのか?とそんな疑問が真っ先に蒼啓の頭に浮かんだ。そう思って、キョロキョロと辺りを見回す。周りの皆も同じようにしていた。

「ここは……公園かしら?」

 口を開いたのは石華。

 石華の言う通り、ここはどうやら公園のようだ。子ども達が充分に遊び回れる程の芝生が広がっているが、蒼啓たちが落とされたのはその柔らかい草の上でなく、舗装された公園の歩道だった。道理で硬いわけだ。

 落照によって、目の前の芝生は山吹と若葉の混じった色に輝いていたが、その色も少しずつ太陽の動きと共に鈍色に近づいていた。

「もう夕方か」

 いち早く姿勢を正して立ち上がった逸石が、少し感傷的になりながら呟く。

「え……っと、世界線移動できたってことで……合ってる……よな?」

「この状況を見れば……そうなったと考えるのが妥当だろう」

 疾風の疑問に、尻の埃を払って立ち上がった流も、戸惑いながら答える。

「ここはどんな世界なんだろうなー!」

 行雲が浮ついた様子で言い放つ。

 そうだ。ここはどんな世界なのだろう。見た所ここは普通の公園だ。広い範囲に埋め尽くされる芝生と、生い茂る木々。しかしその向こうには、高いビルがそびえ立つ。それも何棟も。

 どうやらここは都会のビル街に佇む緑のオアシスのような場所らしい。前の世界線で見たようなビルが、綺麗な状態で並び立ち、見事なコンクリートジャングルを形成している。そして、この公園はそんな中に佇んでいるのだ。一昔前に提唱された、都会の緑地化を申し訳程度に体現したような街の様子。それは蒼啓のいた世界ととても似ていた。

「(でも似てるってだけで俺のいた世界と断言するのは早計だよな……)」

 蒼啓はしばし思案した後、周りを見回して、今更ながら皆の無事を確認する。

 と、沙生がなんだか浮かない顔をしているのが目に付いた。

「沙生?大丈夫?」

 座り込んで動かない沙生の顔を覗き込む蒼啓。

「え、あの、今は、どういう……状況?」

 しどろもどろになりながらも言葉を喉の奥から引き出していく沙生。それもそうだ。沙生は今自分たちが何をしているのか分からないのだから。もっと言えば、夜行もだ。沙生と夜行は三文との戦いの後、迎えに来た疾風と石華に言われるがまま、セントラルラボに辿り着き、説明する暇もなく装置の盤に乗った。そして、シュウにお別れを言う間もなく、今この状況にあるのだ。

 蒼啓はそんな沙生と夜行たちに説明をした。蒼啓の話を聞くにつれ、目を輝かせていく夜行とは裏腹に、沙生の目は伏し目がちに雲ってゆく。夜行は元の世界には戻りたくないから、生きやすい世界を見つけたいから、そのチャンスが増えたと思っているのだろう。一方で沙生の顔は晴れない。ぎゅっと口を結んで、今にも涙の溢れそうな目を瞬きせずに、じっと蒼啓を見つめて話を聞いていた。

 そんな沙生の悲しげな様子を感じながらも、蒼啓は最後まで説明した。

「そうなんだ……分かった……」

「なるほど、じゃあもうここは別の世界なんだ……」

 お互いに正反対の心持ちながら、状況を飲み込み、返事をした沙生と夜行。

 説明が終わったところで、流が口を開く。

「まずここがどんな世界なのかを確認せねばな」

 その一言に賛同し、一行は散策を始める。


 都会のオアシス公園から離れ、黄昏に染まるビル街の中心部を、一行は歩いていた。どこを目指しているというわけではないが、とにかく何かこの世界の特徴を掴めそうな場所を探しつつ歩き回る。

「なあ、もう夕方だけど、今日の寝床はどうする?」

 疾風が言った通り、もう夕闇だ。夜になれば暗くなるし、どこか寝泊まりできる場所がなければならない。女性もいるし、安全な場所を確保したい。それに、蒼啓たちは今戦ってきたばかりなのだ。各々の疲労感に差はあるものの、皆慣れないことの積み重ねで疲れているのは確か。一刻も早く、状況を把握して安全な場所で休みたい。今後の為にも。

「時計が正常に動いているのなら、今は6時半くらい……ですかね」

 沙生がショートパンツのポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認する。

「そうだな……この時期の日の傾きからしても、それくらいだろうな」

 沙生の言った時間と、太陽の傾きを計測し、逸石もそれを肯定する。

 実際、沙生の言ったことは間違っていない。沙生の時計が壊れていない限り、その時計の示す時間は現実のもの。世界線を移動したからと言って、流れている時間は変わらない。暦と同じように、世界線間で流れる時間は共有されているのだ。

旅籠はたごのような……宿はないのだろうか」

 ぽつりと流が呟いた言葉に、同じように考えていたのだろうか、皆パッと反応したが、

「でもお金がいるわよね……」

すぐさまそう零した石華の声に下を向いた。

「誰か、金持ってる?」

 ズイのその一声に従い、各々服のふところやらポケットやらを探り、有り金を掌に乗せて出す。

 蒼啓は千円札二枚と五三二円。

 ズイは一〇〇と書かれた小銭が三枚。

 逸石は黒い財布の中から出した三万円と六八〇〇円

 流は何やら漢字の書かれた札六枚と真ん中に穴の空いた銭一〇枚。

 疾風はがま口の財布に五千円と三四八円。

 沙生は可愛らしい霞色の財布から取り出した現金五七ドルと、その他に電子マネーいろいろ。

 夜行は二つ折りの浅黄色の財布から出した千円札四枚に小銭三二円。

 石華はボタンの付いた小さな薄紅色の小銭入れから出した、七千三十円。

 ズイと行雲は無一文だった。

 各々が掌に乗せた全財産を、丸く囲って確認し合いながら、一行は口々に呟いた。

「ある程度金あるな」

「でも皆お札も小銭もデザインが違いますね」

「流石に通貨まで同じとは行かないか」

「皆の金合わせれば、どっか泊まれるかな?」

「いや、まずこの金が使えるのか怪しい」

「この世界で流通してる通貨でなければ、偽物扱いだろう」

「ていうか沙生のやつ……なんでドル札なの???」

「あ、円もありますよ。電子マネーの方に。使えるか分かりませんが」

「流のはなんていうか……古札っぽいな。小銭も」

「皆の金子きんすは精巧に作られているな。面白い模様だ」

「ごめんおれ、金は家に置いてきちゃった。海だとよく無くすから」

と、こんな具合で皆好き勝手話していたが、小田原評定となり……結局お金に関しての結論は出なかった。

 皆が出した通貨の中に、今いる世界線で使えるものがあれば良かったのだが、それを確認するのも難しい。通行人に「これお金として使えますか」と皆で聞いて回るのは恥ずかしいし、下手すれば不審者だろう。それに貴重なお金を人目にさらすのも良くない。お店に入って何か買う時にレジで確認するのも却下。万一使えなければ、店にとってはただの冷やかしだ。場合によっては偽札を持っていると通報されかねない。

 ともなれば宿やホテルにはご厄介になれないし、さらに考えてみれば、そもそも夕食の調達すら危うい。さてどうしたものかと皆で考え込んでいると、いやに機械的な音声が一行の耳に入ってきた。

「只今の時刻は午後七時となりました。ニュースをお伝えします」

 それは蒼啓たちが固まって立ち尽くしていた歩道の向かい、いわゆるスクランブル交差点と言われる大きな横断歩道の向こう側から聞こえてきた。

 声の在処を目で探す。それは何やら上の方から聞こえる。そこまで高くないが、自分らの身長よりは上。

 と言っても、その声の在処ありかはすぐに見つかった。街頭ビジョンだ。蒼啓たちのいる歩道とは、道路を挟んで反対側の歩道。その歩道沿い意に立つ大きなビルの2階から3階部分の壁に掛けて、横長の大型ビジョンがあった。

「速報です。本日午後五時、東京都台東区蔵前にて……」

 女性(の恐らくアナウンサー)がスラスラと今日のニュースを読み上げる。どうやら今日起こった事件の続報のようだ。しかしそれより……

「東京都台東区蔵前……」

 女性の発した言葉に、蒼啓たちの中の何人かが反応した。

「聞き覚えのある地名だな」

「俺も……」

「私も……です」

 逸石、蒼啓、それから沙生。この三人は地名に聞き覚えがあるらしい。

「トウキョウト……は知らんが、“蔵前”は江戸にあったな」

 次いで流も、部分的にだが知っているらしい。

「ってことは、蒼啓か沙生か逸石さんのいた世界なのかな?」

 夜行は解決の糸口を見つけたかのように、首をかしげて三人に問いかける。

「どうだろ……まだ確定はできないよね」

「もう少しこれ見てれば分かるかもな」

 蒼啓の言葉に賛同するように、逸石もまだ確信は持てていないらしく、目は街頭ビジョンから逸らさずにいた。

 しかしその後30分程そのニュースを見ていたが、手がかりになるような情報は得られなかった。それどころか、もう既に時刻は7時半を過ぎ、蒼啓たちの中でも燃費の悪い行雲がグウ~と腹を鳴らした。

「腹……減った」

 腹の虫の鳴き声と共にそう呟いた行雲につられ、周りの皆の腹からも同じ虫の声が響く。各々自分のお腹を見た。

「どうすっか……めし……」

 ズイが頭を掻きながら悩ましげに下を向く。しかし皆何も思いつかず、黙り込んで途方に暮れた。都会を行き交う人々の喧噪の中で、一行は静寂に飲まれていた。

 そんな中顔を下げなかったのは、沙生。沙生は一通りニュースを伝え終わった街頭ビジョンを凝視していた。

 その時ビジョンに映されていたのは、情報番組の特集コーナー。その中盤にやる、司会者の選んだニュースに対して、コメンテーターや専門家を交えて、討論するコーナーだ。

「……あ」

 ほんの微かに聞こえた、沙生の口から漏れた声。それは、隣にいた蒼啓でさえ聞き逃してしまうようなか細く、震えた一声だった。

 案の定、誰にも聞こえなかったようで、今度はしっかりと伝える意志を持って、沙生は皆に話しかけた。

「あの」

 ただまだ声は震えていた。だって自分でも信じられない。この討論コーナーで話し合われていることが事実なのか。もしそうなら別の意味で喜ばしいのと、このニュースの内容は痛ましいのと半々だ。と沙生は心の中を整理する。

 今度はきちんと聞こえたようで、下を向いていた皆は沙生の声に反応して顔を上げた。

「なんだ?」

「あの、この世界、私のいた世界かもしれません……」

 街灯ビジョンの中の出演者たちは、ある政治家の襲撃事件について話し合っていた。


 ピンポーンと、門の柱に掛けられたインターホンを押すと、やけに重厚感のある音が鳴った。“ピンポーン”より、“リンゴーン”という方が正しいかもしれない。そんな“ピンポーン”と言うほど軽い音ではないのだ。

 沙生が「自分のいた世界かもしれない」と発言してから30分弱。沙生のお金(恐る恐る確認したが使えるとのこと)で電車に揺られ、周りの景観を見渡しながら沙生の家へ向かっていた。沙生がその道中、「ここは見たことある」、「ここよく来てた」と言うだけあって、どうやら本当に沙生のいた世界らしいと徐々に皆分かってきた。

 しかしまだ、沙生を知っている人に会うまでは、確信が持てない。それに、その人に会ったからと言って、まだ安心はできない。その人は別の世界線の沙生を知っているだけかもしれないから。本当にここが沙生のいた世界だと証明するには、確認しなければいけないことが山程あるのだ。

 沙生が先導して、東京都内のある駅で降りた。先程のビル街と比べて、断然緑の多い街道をしばらく歩いて、目的の場所へ着いた。

 ……そして今に至る。

 しかし平然と大きな門のインターホンを押した沙生に比べ、蒼啓たち他の仲間は気が気でなかった。そもそも駅からこの門まで一本道では無かったにしろ、何か変なのだ。

 まず、綺麗に整備された街道。手入れが行き届いているのだろうが、問題はその周り。建物が一つもないのだ。無人駅のような小さな駅舎を通り過ぎてからというもの、建物を一棟も見かけない。ここは東京都内のはずなのに、まるで田舎のようだ。

 しかしおかしいのは、その街道を取り巻く自然が、先程も言ったように妙に整備されているから。主張が行ったり来たりしているが、それが事実。建物の見かけない田舎のような山奥の景色が、こんなに整備されているのが、なんとも言えず違和感がある。道は車二台が通れる程きちんと舗装されているし、その道路を挟む街路樹も綺麗な緑。そしてその下にある歩道は白茶しらちゃの煉瓦で、花壇には季節の花が植えられている。そしてその歩道の外は見渡す限りの若葉色の芝生だ。地平線が見える程に広がるその芝生は見たところ人工芝などではなく、これまた手入れの行き届いた自然のものだ。

 まるで庭園のような手入れで造られた田舎とも言うべき光景に、沙生以外の一行は唖然として、開いた口が塞がらないまま、先を行く沙生について歩を進めるしかなかった。

 そして極めつけが、突如現れた大きな門。黒塗りの鉄で造られた、幾何学模様のデザイン。その門の横には、重厚なスノーホワイトの煉瓦造りの柱と、そこから横一線に伸びる同じ色の高い塀。厳重なセキリュティを醸し出す外観に、沙生以外の皆は口をぽかんと開けたまま、沙生の行動を横目で見ていた。

 リンゴーンと音が響き、しばらく待った。

「うーん。出てこないなあ。見えてるはずなんだけど……」

 放心状態の皆を置いて、悠々と呟く沙生。

 しかし次の瞬間、

「お嬢様アアアアアアアアアアア!!!」

門の柱に取り付けられたインターホンらしき機械から、耳をつんざく大音声が鳴り響いた。多分若い男性の声。

 突如聞こえた、というより降りかかってきた、頑丈な鉄の門すら揺るがすような大声に、沙生以外の一同はさらに顎が外れる。

 しかしそのサイレンのような声が響いたと思ったら、その直後にブツリと通信を切る音が聞こえた。そして、ガチャンと門から音が聞こえ、実にスムーズな動きで両開きの門が90度最大まで開く。

「どうぞ」

 先程とは違う、年配の女性の声で機械から音が鳴る。

「みんな、行きましょう」

 開いた口が塞がらない皆を振り返ることなく、沙生は毅然とした態度で進む。


「お嬢様!!」

 丁寧な手入れの植物たちと、それらを照らす仄明るいライトによって、幻想的な雰囲気を醸し出している大きな庭園を眺めながら、長い長い舗道を歩き、やっと建物が見えてきた時、正面にそびえる大きな屋敷のその玄関らしき場所に、背筋をピンと正した姿勢の良い女性が立っていた。

 その女性は黒いタキシードに、黒いシルクのネクタイをした、いわゆる執事のような服装をした女性であった。黒と白が交互に入り交じった長い髪は頭頂部でお団子にして、前髪の両脇に黒と白を一束ずつ垂らしている。

 しかし沙生たちに走り寄ってきた女性は姿勢こそいいものの、「お嬢様」と呼んだ声にはやや年齢を重ねた雰囲気ならではの重みがあり、また遠目では分からなかったが、顔の端々に皺が見える。しわくちゃという程でもないが、ある程度の年齢はいってそうだ。

「あっ……ひいらぎ……」

 沙生が走り寄ってきた女性に対し、嬉しそうな、かつ申し訳なさそうな顔を見せる。

「お嬢様……お帰りなさいませ。まずはご無事で何よりです」

 自分たちの中で一番年下で、下手すれば小娘と言われる年齢の沙生相手に恭しく頭を下げる柊という年配の執事の姿に、一同の顎がさらに下落した。

「しかし……」

するとそこまで言って柊はハア、とため息をつく。

「一体どこへ行っていたのですか?こんなに長い間、何の連絡もせず……それに、その方たちは?見たところ怪しい格好をしている方もいらっしゃるようですが……この方たちと一緒にいたのですか?」

 若干の怒気をはらんだ声で淡々と沙生を問い詰める柊。ちらりと沙生の後ろにいる仲間たちに目を遣り、さらに目を鋭くさせる。

「柊」

 仲間たちに向かって不躾な目線を送る柊に向かって、沙生は名を呼んだ。真剣な眼差しで。

「はい」

 その沙生の様子を感じ取ったのか、柊は沙生の後ろへ遣っていた目線を改めて沙生に向ける。

 沙生は真っ直ぐに柊の目を見つめ、こう言い切った。

「きちんと説明するから。今はこの人たちを屋敷に入れてくれる?怪しい人たちじゃないの。私を助けてくれた人たちだよ」

 その沙生の剣幕に、柊は驚いた顔をして沙生を見つめた。そして、数秒の沈黙を経た後、口を開いた。

「……分かりました。お嬢様の恩人ということで、私から旦那様に伝えておきます」

 柊は改めて蒼啓たちの方を向いて頭を下げた。

「……皆様、お嬢様を助けて頂き、ありがとうございます。どうぞこちらへ」

 呆気にとられたままの一行は案内されるまま、柊と沙生に付いていく。

 ガチャリと音を立てて開いた重厚な扉の中に入ると、

「お嬢様アアアアアアアアアアア!!!!!」

と、絢爛けんらんだがどこか品のあるロビーに驚くよりも先に、先程インターホンから聞こえた声が、広いロビーに響き渡る。

「わ、四月朔日わたぬき……」

「お嬢様アアアご無事で何よりイイイイうおおおおおいいいいいい!!!」

 “四月朔日”と呼ばれた執事の男性は見たところ20代くらいか。柊と同じ服装をしている。短く切り揃えられた清潔感のある黒髪に、黒い瞳(涙が溢れて止まらない様子だが)、背も高く、一見したところいわゆるイケメンと言われるような風体ふうていだが、ハンカチ片手に大声で泣き叫ぶ姿はなんとも残念な感じだ。

「四月朔日、気持ちは分かりますがもう少し静かになさい。お嬢様のお連れの方が引いていますよ」

 柊は四月朔日を窘め、蒼啓たちへの配慮を欠かさなかったが、柊の見解もどこかズレている。蒼啓たちが引いているのは汚く泣き喚く四月朔日にではなく、沙生の家を含むこの状況に、だ。こんなカオスな空間にいたことはない。

「うっうっ、はいっ……すみません。柊さん……」

 やっと四月朔日が泣き止みそうなところまできて、柊は沙生に向き直った。

「お嬢様。今日は旦那様も屋敷にいらっしゃいます。まず旦那様に無事の御報告をして下さい。お話を伺うのは、その後に致します」

「分かった。……あっ、皆は柊に付いていって下さい」

 沙生は大人しく柊の言うことを聞くようだ。仲間たちの方へ振り返ってそう言った。

「皆様、どうぞこちらへ。ご案内致します」

 泣き止んだ四月朔日が沙生に付き添い、ロビーの奥にある劇場のような大きな階段を上っていく。

 一方蒼啓たちは柊に付いて、絵画や彫刻、置物で装飾されつつも、どこか上品な廊下を歩いて、大きな両開きのドアの前まで来た。そして、それを潜ると、そこは客室のようで、いかにもふかふかと手触りの良さそうなソファと、大理石でできたローテーブルに暖炉と、沙生の家の権威や経済状況を感じられる客間であった。

「……皆様にはお尋ねしたいことが山程ございますが、お嬢様が戻ってきてからに致しましょう。暫くは、こちらでお待ち下さい」

 そう言って柊が部屋を出て行ったのち、一同は顔を見合わせて数秒沈黙していた。それを破ったのは、ズイ。

「なんか勢いで付いてきたけど……なにここ!?ヤバイな沙生んち!おれすごい場違い感ない!?」

 そのズイの発言に、数人の緊張が解れたようで、ふう、と息をつく音が部屋の四方から聞こえた。

 そしてその後、蒼啓も口を開く。

「俺もそう思ってたとこ……沙生、社長令嬢なんてもんじゃないな……一体何者?」


 コンコンコンと3回、扉をノックする音が廊下に響く。

「どうぞ」

 部屋の中から声がして、沙生はごくりと唾を飲み込み、ゆっくりと扉を開け、書斎に入った。

「お父さん……」

 おずおずとしながらも話しかければ、沙生の父親、也太郎やたろうは、

「沙生か……」

窓の外に向けていた目線をゆっくり沙生の方へ向け、僅かに微笑んだ。

「お父さん、ただいま。……ごめんなさい。勝手に居なくなって……」

 沙生はなにやら片言気味に、そう言った。自分の父親に対する態度としては、ちょっと他所他所しい感じもするが、沙生くらいのお金持ちともなると、親子関係は複雑なのかもしれない。

 也太郎は椅子から立ち上がり、窓辺に立ち、こう言った。

「まあ……無事で何よりだ」

 その父親の言葉に、俯いていた沙生は期待の表情で顔を上げ、口を開いたが、

「あのね、お父さん。実はね……」

「用はそれだけか?」

 そう返されて、沙生は愕然とした。也太郎は沙生の方を向いておらず、窓辺に立ったまま、窓の外に目を向けていた。

「あ……うん」

b父親のその淡泊な様子を見て、「やっぱり」と思った沙生は、そう返事するしかなかった。

「ならまずは自分の部屋に戻ってよく休みなさい」

「……分かった」

 そう言って扉を閉め、沙生は扉に背を向けて苦い顔をした。やっぱりお父さんは私のことなんて……とネガティブ思考に陥ろうとしたところで、

「お嬢様」

と、いつの間にやら皆の案内を終えた柊が側にいた。

「あ……柊。皆は?」

 溢れそうな涙を無理矢理引っ込めて、沙生は平静を装う。

「“石蕗つわぶき”のお部屋にご案内しました。皆様そこでお待ちです」

「分かった。行く」


 ガチャ、と部屋の入り口の扉が開く。その音に、“石蕗”の客間にいた蒼啓たちは一斉に目を扉の方へ向ける。

「皆、お待たせしました」

 沙生が柊を連れて、部屋の中へ入ってきた。心なしか沙生の顔が浮かないように見えるが……。沙生は部屋の中央に行き、柊に向き直った。

「ではお嬢様、ご説明頂けますか?」

「うん。あのね……」

 沙生は自分が外出している途中に、ポータブルクリスタルを拾ったこと、それにより別の世界線に飛ばされたこと、この仲間に助けられたこと、研究所と戦ったこと、また研究所を探して皆を送り出さなきゃいけないことを全て説明した。

 柊は最初こそ口を半開きにして驚いている様子であったが、沙生の表情や声色から冗談でないと受け取ったのか、真剣に話を聞いていた。

「……ということなの」

「……」

 沙生が説明し終えた後、柊は少しの間口を噤んだ。

「信じてくれる?」

 沙生が返事を催促するように声を掛けると、

「……お嬢様はこの状況で嘘をつくような方ではございませんので」

 柊は静かに目を閉じて、沙生の説明を反芻するようにこくりと頷いた。そののち蒼啓たちの方へ目をやり、全員を見渡し、そして深々と頭を下げた。

「皆様、お嬢様を助けて頂き、ありがとうございました。本当になんとお礼を申し上げて良いか……お嬢様が無事に帰って来れたのは皆様のお陰でございます」

 柊の心からの謝意に一同は少したじろいだ。

「いや……俺らも沙生に助けられたから」

「そうそう、皆で協力して戦ったんだから、沙生だって頑張ってたよ」

 アジトで散々世話になった蒼啓と、間一髪の戦闘で助けられた夜行が口々に言うと、柊は信じられないものを見るような顔で一瞬硬直した。しかしすぐにまた口を開き、

「それでも、皆様はお嬢様の恩人であることに変わりはありません。……恩人たちを送り出すために、協力出来ることは何でも致します。もちろん御礼もさせて頂きたく存じます」

と、再び礼を述べた。

 そして、話が一段落したと思った沙生は、パチンと柏手を打った。

「じゃあ柊、皆の部屋用意してくれる?ここにいる皆の分。一人ずつ」

「……畏まりました」

 沙生は少し驚いた顔の柊の様子に気づくことなく、「あと……」と付け加えた。

「各国の潜入調査員に、お願いがあるから、あとで連絡して欲しい」

 沙生がそう言った途端、柊はさらに目を丸くして、絶句したように口を手で覆った。

「柊?」

 その柊の様子に流石の沙生も違和感を覚え、柊の名を呼んだ。すると……

「……お嬢様、成長されましたね」

「え」

柊はニコリと笑い、安心したように、

「お部屋はすぐに御用意致します。皆様、今暫くお待ち下さい」

と丁寧に返事をした後、蒼啓たちにお辞儀をして、部屋から出て行った。

 柊が出て行ったことを確認した沙生は、ぐるりと皆に向き直り、少し笑顔を見せた。

「皆、この家自由に使っていいですからね。部屋も今用意してもらってるし。多分これからはここが拠点になると思いますから」

 そう控えめに笑う沙生の顔は晴れやかで、スッキリした様子だった。

 が、

「いやいやいや!ありがたいけどさ!」

 蒼啓たちは全くそんな気持ちではなかった。

「沙生サン?沙生サン?ここあなたの家なんですよね?あなた何者なんですか?」

 あまりの情報量に錯乱した疾風が、何故か敬語になって沙生に詰め寄る。

「立ち振る舞いからどこかの令嬢とか思ってたが……」

 普段はクールな逸石も、表情は崩れていないが、内心穏やかではなかった。

「さ、流石に私も許容できんのだが……」

 逸石と同じく、流も慌てているようだ。

 そんな十人十色の慌て具合を見た沙生は、あっけからんとした声で、こう言った。

「あ、ごめんなさい。言ってなかったですね。東日本最大の財閥の会長が私のお父さんで、私はその一人っ子。八方財閥って言います」

 沙生の口から出た“財閥”というパワーワードに、その意味を知る蒼啓たちは目眩を覚えた。

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