人の都合で生まれた奴ら
元の世界線に戻るべく、仲間たちと共に研究所へ踏み込んだ蒼啓。研究所の警備員と対峙した蒼啓は、そこで驚くべき事実を知らされる。蒼啓を助け、仲間に引き入れてくれたシュウは昔研究所にいたと、本人から聞いていたが、その事実よりもさらに衝撃的な事実。シュウは人造人間だったのだ。一方でその当人は、現研究所の現博士・我田と対峙していた。2人には何やら確執があるようだが……?
「改造人間たちよ!そいつを捕まえろ!再起不能になるまで痛めつけろ!」
その我田の言葉に反応し、シュウの周りにいる改造人間たちが一斉にシュウに襲いかかる。素手の者、武器を持った者、身体の一部が武器になっている者……実に様々な改造人間がいるが、シュウは向かってくるそれらを瞬時に目に捉え、それぞれの力量を推し量る。素手で向かってくる改造人間の拳を、こちらは刀で受け止める。改造人間と言うだけあって、力はある程度あるようだ。それに、刀の刃と拳が触れ合っても出血しない。おそらく骨や皮が頑丈になっているのだろう。自分と同じように。
素手の者と相対している最中にも、別の方向からは刀が視界に侵入する。それを身を捩って躱し、隙ができたと思って追撃する素手の者の拳も、重心移動で滑らかにスカしてみせる。
そんなことを何十人分繰り返し、こちらからまともな攻撃はせずにシュウは様子を窺っていた。
改造人間はおそらく強さがまちまちだ。それはそうだろう。元になった人間の身体能力も、反映されるのだから。一定の強さを改造で与えられたとしても、元の素質が物を言う。我田はきっと元の素質いい者を改造人間にして集めたはず。なら……
「第一段階……」
シュウはようやく反撃に出た。
向かってくる者の力、その方向、強さを分析。それを刀で受け流すように、優しく切断する。まるで流水のような、刀の曲線的な動き。
シュウは最初に向かってきた改造人間5人の攻撃をいなし、腕を切り落とした。
「……」
改造人間たちは表情を変えず、切り落とされた腕をじっと見つめる。
そうしていると、その腕の切り口から、ムリムリと細胞が溢れていく。
「フッ、やはり……再生持ちか」
シュウがそう小さく笑うと、我田はそれを上回る高笑いをした。
「ギハハハハハ!!!!もちろん、再生持ちだ。貴様と同じようになァ!」
その我田の言葉に、シュウは無反応だ。しかしほんの僅かに、一瞬だけ我田の方へ目を向けた。
「トカゲやプラナリアの再生能力を限界まで高め、人間に移植したものだ!元の能力は何日もかかって再生するが……俺の改造したものならば数秒で再生できるのだ!」
鼻に掛けるような我田の解説を耳に入れ、ふっと微笑むシュウ。
「あ?」
我田はそのシュウの微笑みが何を意図するのか分からなくて、訝しげな顔をした。
そんな我田を無視して、シュウは一度刀を鞘に収め、また抜刀して構えた。ピンと背筋を伸ばし、背骨と垂直になるよう、刀を地面と平行になるまで下げる。
「第二段階」
シュウが呟いた。
いつの間にやら、先程腕を切り落とした改造人間の身体は、五体満足に戻っていた。再生が完了したようだ。
ふーとシュウが深呼吸をした。その瞬間、改造人間たちがまたシュウに襲いかかる。今度は先程の倍以上の人数で。
シュウはその内の一人、同じように刀を持った改造人間と打ち合った。打ち合い、瞬時にそれを退けた。ガキンッという音と共に、シュウの振るった刀が改造人間の一人の武器を弾き、その持ち主は大きくバランスを崩した。
その一太刀で、シュウと改造人間の実力差は歴然だった。刀を握る姿勢も、太刀筋も、素人が刀を握ったそれじゃない。改造人間はそうだろうが、シュウは違った。歴戦の武士のようなその一連の動きは、シュウの練度をあっさり体現してみせた。
バランスを崩した敵に、シュウはさらなる斬撃を加える。刀を弾いた後、下に向かった切っ先を切り返し、敵の脇腹から肩下までをザックリと斬り込む。敵は胴体を上下泣き別れにされ、ゴトリと床に落ちた。
シュウの攻撃は止まらない。最も、他の改造人間たちが止まらないのだから、シュウも止まるはずがない。
血が付いたままの刀を何度も切り返し、改造人間たちを次々に斬っていく。ある者は首と胴を、ある者は片足と胴を、またある者は上下の胴を。それぞれ真っ二つにされ、泣き別れた身体が床に積み上がっていく。
まさに剛剣。シュウの持っている刀は少し長めな打刀のはずなのに、まるで大太刀を振るっているかのような斬撃で、改造人間たちに大きなダメージを与えていく。しかし……
「いくら斬っても無駄だぞシュウ!こいつらは必ず再生する!貴様もそうなのだから、分かるだろう!?」
我田の言うように、じわじわと身体を治す床の改造人間たち。失った部位が大きいせいか、先程より時間はかかっているが、確実に再生している。
「私と同じだと?」
我田の言葉に、シュウはぴたりと手を止めた。
その一瞬の隙に、改造人間の一人が襲いかかる。その改造人間の持つ鉞が、シュウの腕に触れ、そのまま床へとめり込んだ。
宙にシュウの腕が舞う。斬られた腕は刀を握ったまま、投げ出された。
「?」
改造人間は困惑した。今し方自分が斬ったはずのシュウの腕は宙に舞っている。なのに何故、シュウには両腕がついている?改造人間の目の前には五体満足のシュウが立っていた。
「なんだ?どうなってる!?」
天井付近のスピーカーから我田の戸惑いが降ってくる。我田もこの一部始終を見ていた。確かに改造人間は鉞を振り下ろし、シュウの腕を斬った。斬られた腕は刀と一緒に宙へ投げ出され、少し離れた所に着地した。なのに、シュウの腕は一本も欠けていない。
「斬ったと思ったろう?大丈夫。ちゃんと斬れたさ。ただすぐに“復元”しただけ」
シュウは薄い微笑みを浮かべながら、飛んでいった腕の元へ歩いて行く。
「“復元”だと?」
我田がシュウの言葉に動揺している間に、シュウは刀を拾う。刀の傍らに落ちている自分の斬られた腕は、はらはらと白い塵となって消えかけていた。
「私のこれはお前の言う“再生”とは違うんだ」
「何?」
“再生”じゃない?“復元”だと?どういうことだ?それもそうだがその速度!自分の作ったものの比にならないほどの速度。それを目の当たりにし、我田は心の中で狼狽した。もちろん、顔は迫真の表情だったが、心の狼狽えぶりは表に出なかった。いや、出さなかった。
しかしシュウはその我田の心境を見透かしたようで、口元に手を添えて嘲笑した。
「私のDNAには復元機能が組み込まれてる。それに、生体情報も全て。その情報を元に失った身体は復元される……」
シュウは拾った刀を逆手に持ち、持っていない方の腕をスーッと斬りつけた。その腕を我田に見せつけるように、顔の前に縦に掲げる。
「つまりDNAに全てが入っているということ。このDNAによって、人造人間としての私が、形作られている……」
掲げた腕から鮮やかな赤が流れ落ちる。皮膚を伝って、埃の被った床に血溜まりが作られる。
「お前の作った“再生”とは根本から違う。再生は新しく細胞を作り直すこと。だから時間がかかる……。しかし“復元”は……」
シュウがそう言葉を切ると、裂けた腕の皮膚がギュルッとお互いに引きつけられ、跡形もなく塞がる。
「元の形を再現することだ」
文字通り元に戻った腕を下ろし、シュウは嫣然とした笑みを浮かべる。
「既存の部位を、DNAの情報に従って直すだけだから、速いのさ。それに、DNAさえ残っていれば、どんな状況からでも復元できるぞ。……言ってしまえば、髪の毛一本でも残ってりゃ、全身を復元するのだって一瞬さ」
「!?」
シュウの丁寧かつ挑発的な解説に、我田の顔がだんだんと歪んでいく。
「まあ“再生”の方が変形したり、できることも多いと思うが……そこはハカリ博士のポリシーに反するようだ」
シュウの口から出た“ハカリ”という名前。その名前を聞いた瞬間、我田がギリ……と奥歯を噛みしめたのが分かった。
「我田、お前はどうやっても……」
シュウは我田の方をしかと向き、粛然とした口調で言い放つ。
「ハカリ博士を超えられないんだよ」
「黙れぇぇぇぇぇぇ!!!!このッ!人間もどきがあああああ!!!!」
ブチッと血管が切れた音がして、その我田の叫びを皮切りに、再び改造人間たちが動き出す。心なしか、先程より俊敏な動き。命令者のボルテージにより変わるのか?
「人間擬き《もどき》ね……お褒めに預かり光栄だ。確かに私は人間ではないからな」
そう言ってシュウは再び刀を構える。
「私は殺せないぞ。私を殺すには……そうだな。DNAが残らないように焼き尽くすぐらいしないと……いや、それでも私がどこかに爪や髪の毛を落としていたら殺し切れんがな」
改造人間の攻撃を躱しながらシュウはまだ会話を続ける。一応刀を振るってはいるが、また第一段階の流水剣に戻っていて、自分に向かってくる武器や拳を受け流しながら我田の方を見る。改造人間も再生するなら、斬るだけ無駄だ。深く大きく斬った方が再生が追いつかなくて良いかもしれないが、シュウはまだ我田と話すことがあった。
「まだ話は終わっていないぞ我田」
「何?」
我田は抑えられない苛立ちをスピーカーに通しながら、シュウに聞き返した。
「お前の研究は他の世界線を侵すものだ。今すぐ研究を凍結させろ。さもなくば……強制的に、かつ物理的に手を止めてもらうことになるぞ」
目を細め、厳然たる口調でシュウは我田に言い放つ。脅しとも取れる言葉を。「手を止める」。強制的に、「手を止めさせる」。あえて丁寧なこの言葉の含みを、我田は理解した上で、笑った。
「……ハ、ハハ、ハハハハ!世界線を侵すからなんだ!?侵してはいけないという法律でもあるのか!世界線の存在は俺が発見したのだから、どうするも俺の勝手だろう!?」
その我田の言葉に、シュウはピクリと眉を動かした。そして、
「発見者はお前じゃない!ハカリ博士だ!それをお前は横取りしただけだろうが!」
珍しく声を荒げて、我田を一喝する。シュウは、「世界線を好きなように利用する」こと、普遍の倫理に反する我田の言葉に義憤するのではなく、ハカリの功績をかすめ取った我田に業腹だった。
そのシュウの剣幕に気圧されることなく、我田は呆れ顔で舌を回す。
「フン。ハカリは事故で死んだのだ。その後俺が見つけたのだ!」
「テメェ……この期に及んで言い切るつもりか……」
シュウの剣幕がどんどん険しくなっていく。元々切れ長だった目もさらに鋭く吊り上がり、刀を握る手にも必要以上に力が入る。ミシミシと悲鳴を上げる刀の柄の声など、今のシュウには聞こえていない。
シュウの脳裏に映るは、懐かしい博士の姿。褐色の肌に対照的な真っ白のヘアバンド、清潔な白衣。ダークブラウンの、こちらを見つめる大きな瞳。そして、「シュウ」、と芯のある、でも柔らかな声で、自分を呼ぶ。脳裏に焼き付いたハカリの姿が、刹那的に思い起こされる。
その姿を消し去ったのは……
「我田!お前が殺したんだろうが!」
タッタッタッタと、分厚い鋼の床を蹴る、幼い足音が響く。
「博士~!」
「ん?」
博士と呼ばれた人物に駆け寄る3歳ほどの子ども。大きく分厚い本を胸に抱いて、遥か高い博士の瞳を見つめる。
「どうした?シュウ」
そう。この子どもはまだ幼いシュウ。そしてこれはシュウにとって途方もない昔の記憶。でも記憶量に制限の無いシュウはこの時のことを鮮明に覚えていた。いや、それだけが理由ではなく、この若かりし自分と博士の会話を、心に刻んできたからだった。
「ハカリ博士、聞きたいことが、あるんだけど……」
好奇心に満ちた輝かしい目をしながら、シュウは少しの遠慮と共にその言葉を紡ぎ出した。
「何?」
ハカリは歩いていた進行方向からくるりと身体を返し、白衣のポケットに手を突っ込んでシュウを見下ろす。忙しそうだが、きちんと時間を取ってシュウに向き合ってくれるハカリの態度に、シュウの遠慮は吹き飛んだ。
「あのね……博士と私の肌の色はなんで違うの?」
「どうしてそんなこと聞く?」
ハカリの返した言葉は、若干、ほんの薄ら語気が強まった気がした。それも、ハカリ自身ですら気づかないような強さでだ。
「この本で読んだんだけど、子どもは親に姿が似るんだって。私の親は博士だけど、私と博士は全然似てないの。どうして?」
小さな手で、持っていた大きな本をぎこちなく開き、栞が挟まったページをハカリに見せるため、頭の上に掲げた。それを見てハカリは、「ああ、なるほど……」と小さく頷き、ふふっと笑みを零す。
「子が親に似るのは、親のDNAが子に受け継がれるからだ。君は私が造ったけど、君の中に私のDNAは無いよ」
「……??」
シュウはDNAという言葉をまだ学習していなかったから、ハカリの言葉を1から10まで理解することはできなかった。それでも、何か自分にハカリとの繋がりは無い、ということは理解したようだった。
「私が君の親というのは建前だ。名前だけで、何の肉体的繋がりも無い。だが親を名乗るのは自由なのさ」
「そうなんだ……その、でぃーえぬえーっていうのが無いと、同じにはならないってこと?」
だがシュウはシュウなりに、ハカリの言葉を理解しようとしていた。まだ学んでいない言葉も、積極的に知ろうとする姿勢が、この頃からあった。
「そうだ。まあそれは追々《おいおい》学習してもらうことになるな」
己の身体の仕組みを、しっかりと知ることは大切なことだ。ハカリのそんな考えから、シュウの教育プログラムは緻密に編まれていた。それを崩すわけにはいかないからハカリはそう言って話題を終わらせようとした。
「じゃあじゃあ、博士の親は肌の色が黒かったの?」
予想外の質問が来た。ハカリは目を丸くして口をすぼめ、ポリポリと頬を掻いた。
「……ああ。私は日本で生まれたが、父親は日本人で、母親はオーストラリアの出身でな。肌が黒かったんだ」
「オーストラリア!私知ってる!この前勉強した!」
嬉しそうにピョンピョン跳ねながら、より目の輝きが増していく。他人の知識と自分の知識がかみ合うと嬉しいのだ。
「そうか偉いな。その調子で学習頑張ってくれよ」
「うん!」
そのシュウの輝かしい目を見つめた時、ハカリは何か思う所があったようで、
「……シュウ」
自分が造った目の前の子どもの名を呼ぶと、ハカリは膝を折ってしゃがみ込み、シュウと目線を合わせた。
「なに?」
いつもは自分と目線など合わせず、上から降ってくる言葉を見上げていただけだったから、少し吃驚してシュウは声が上ずった。いや、ハカリのいつもの態度や振る舞いに、不満があったわけではないし、むしろ疑問も抱かずこういう人なんだと思っていた。だから今までのハカリの行動からは考えられない優しさに触れて、シュウは僅かに心臓が跳ねた。
そんなシュウの心境に構わず、ハカリはしかと目を合わせて言った。
「君は沢山学習して、経験して、世界の全てを知るんだ。その過程には、君がまだ学習していないものもあるかもしれない。だが、君の頭の中にその情報がないからと言って、否定してはいけないよ。君がどれだけ学んでも、知らないことは絶対にあるんだから。常に情報を吸収し、歩み寄って、理解できる人間になりなさい」
シュウがこの時の会話を心に刻みつけているのは、これが初めて見たハカリの心の奥底の言葉だった気がしたからだ。シュウが今まで聞いたことのない優しい声色と、感じたことのない優しい熱量を同時に受け、シュウははじめポカンとしていた。しかしすぐにハカリが「分かったね?」と確認してきたから、シュウは「はい!」と元気に答えるほかなかった。その時は分からなかったけど、ハカリのこの言葉はシュウの胸に焼き付いた。
その瞬間、ガッシャーン!と我田の目の前のガラスが割れ、大蛇のようなヒビが入った。
「な!?」
我田が目の前のガラスの衝撃に驚倒したが、倒れる間もなく次の音が鳴り響く。ガシャンガシャンという先程と同じ音が2回続けて耳に届き、我田の目の前のガラスが抉られていく。
「チッ、強化ガラスか……」
しかしガラスに風穴が開くことはなく蛇のごとくうねるヒビが入っただけだった。シュウは舌打ちをする。
いや、それよりも、何故突然ヒビが入ったのか。恐らく、シュウの攻撃だろうが、我田のいるモニター室は2階で、かつ目下のシュウは1階の空間の中心にいるため、モニター室とは20mは離れている。そこから何をどうすれば硬い強化ガラスにヒビを入れられる?
我田は体勢を戻し、ひび割れたガラス越しにシュウの姿を追った。シュウは変わらず改造人間たちの相手をしている。やはり圧倒的数で一斉に攻め立てる改造人間たちの攻撃は多彩かつ密集的で、シュウにこちらへ攻撃する余裕はないように見える。
しかしシュウ以外にこの空間に敵はいない。あいつは一体何をした?
「我田、研究を止めるつもりがないのなら、私はお前を止めなきゃならない。博士の座を、降りてもらうぞ」
「あ?」
我田が威圧とも取れる声を発した時、シュウは振るっていた刀を収め、もう一振りの刀に持ち替えた。
「第三段階」
そのシュウの呟きを聞きながら、我田はシュウの様子をよく見ようと、目を見開くためにパチリと瞬きをした。
しかしその瞬きの前後で、目下の光景は急激に様変わりしていた。
「は?」
我田が声を漏らしたのも無理はない。目下に広がる改造人間たちの軍勢。先程までシュウと対峙していたそれらは、一人残らず地面に横たわっていた。皆腕や足、胴体をぶつ切りにされ、立っていることができなくなったために倒れたままじわじわと再生している。
「な、何が起きた?」
我田は事態が飲み込めず、気が転倒する。何故改造人間たちは倒れている?それに身体が欠損している……再生が追いついていない。一体何が起きた?シュウの仕業だろうが……いや、それより……
「シュウはどこだ?」
そう漏らした時、バァンと我田の背後で大きな音がした。我田が振り向いた先には……開いた扉と嚇怒の表情で血の滴る刀を持ったシュウ。侮蔑の籠った目で我田を睨め付け、扉を蹴破った足を元に戻す。
「ギィヤアアアアアア!!!!!」
突然目の前に現れた化け物に、我田は恐れおののいて叫ぶしかなかった。どうしてここに?一階からここへ来るには容易じゃない。そもそもこのモニター室の入り口は隠されていて、その上ロックも掛けていたはずだが……?いろいろな考察が頭の中を駆け巡って、だが目の前の恐怖にすっかり正気を失っていた。
慌てて後ずさり、尻餅をつく我田。それでもシュウから離れようとズリズリと床と尻を擦らせる。
その時、我田はハッと何か思い出したように、モニター室の電盤を操作した。
我田が何かのボタンを押し込むと、プシューッと言う音と共に、天井の四方から白い煙が噴出した。
「……」
一瞬にして煙に包まれたモニター室から、我田は一目散に逃げ出す。シュウが入ってきた扉とは反対にある、通路へ続く扉。その扉へ手を伸ばす我田の背後に影。
「煙など意味もない」
その言葉と共に降りかかってきた刃を、我田はすんでのところで避ける。
「ヒィィィイィイィィ!!!」
「気配を辿れば容易いことだ」
避けた体勢の我田に追撃。シュウの刃が、我田の脳天を捉えようという時、
「……なんちゃって」
我田がペロリと舌舐めずりをして、ガキンッという音と共にシュウの真剣を止めた。腕で。
「!?」
目を見張るシュウ。そのシュウの動きが止まった一瞬の隙に、我田の足がシュウの鳩尾にめり込む。
「ぐっ」
さすがのシュウも、退け反ると共に数歩後ろへ後退した。もちろん刀も我田の腕から離れた。
「お、お前……何者だ?」
鳩尾を押さえて声を絞り出すシュウに、我田は口元をほころばせる。
「……我田じゃ……ないな?」
シュウの頭の中が懐疑でいっぱいだった。確かに僅かな違和感はあったが、何が起こっているのか分からない。
まず、一階から確認したモニター室の人物。昔研究所にいた頃に覚えた我田の気配だった。次に、第三段階の技を放ってからモニター室の扉を蹴破るまで、我田の気配は動かなかった。それはそうだろう。シュウの速度以上に我田が動けるわけないし、それに我田はシュウを見失っていた。シュウを探すのに、モニター室から目下を見たはずだ。ならば最後、煙が充満してから、我田は誰かと入れ替わった?しかし、シュウが追った我田の気配は確かに我田のものだった。シュウが気配を間違えるはずがない。
だが違和感はあった。煙に包まれた時、我田とは別の知らない気配が、モニター室の中にあったのだ。それは些細なことだったし、シュウのいたところからは我田の気配の方が近かったし。だからシュウは迷いなく我田を追撃した。なのに、恐らくこいつは我田じゃない。どういうことだ?シュウの記憶にある我田の気配と、目の前の人物の気配は同じだ。しかしこいつが我田じゃないとなると……もう一つの見知らぬ気配が我田だったということか?だが人間の気配を入れ替える方法なんて……。
一から思索に耽るシュウの対面で、我田は肩をふるわせ、徐々に小声で笑い始めた。
「くっくっくっ……」
そうして一頻り笑い終えると、顎の下に手を掛け、何かを掴むと、そのままベリベリッと顔を剥がした。
我田の顔の下から現れたのは、真っ白な肌に大きな瞳、まだあどけなさの残る、15歳ほどの幼い顔。
「……?」
やはり我田じゃない。しかしシュウにとって初めて見る顔だった。少なくとも記憶にはない。膨大な記憶を頭に詰め込むシュウであっても、さすがに見たこと会ったことのない人を記憶することはできない。
シュウの目の前の謎の人物は、続けてウィッグを取った。その下から出てきたのは、真っ白な髪。天パ気味のゆるやかウェーブでよく跳ねた髪は柔らかそうな印象だ。そして続け様にこう言った。
「僕は1001。我田博士によって造られた、人造人間さ……」
「……!」
我田作の人造人間だと?その情報を飲み込んだ瞬間、シュウの腹の底から、ふつふつと笑いがこみ上げてきて、
「フッフフ。アハハハハ……!」
渇いた笑いがモニター室に響く。
「?」
1001は理解できない様子で、シュウの笑う様をじっと見ていた。
「あの野郎、ハカリ博士のこと嫌ってるくせに。やることは博士の真似ばかりだな」
ハァーと呼吸を整える息をつき、笑いをどうにか抑えるシュウ。
しかしシュウの言葉に、1001は不快感を覚えた様子で、眉間に皺を寄せ、
「真似じゃないさ。我田博士だって元々研究してたんだ。その完成形が、僕さ」
話すにつれ、1001の声が誇らしげに変わる。
「だがお前が完成するにあたっては他の世界線の人間からサンプルを取ったんだろう?最近のことじゃないか。矛盾してるぞ」
「最初は他の世界線なんて無かったのさ。世界線を発見してから、研究が急激に進んだのさ」
シュウと1001の問答は続く。
「他の世界線からサンプルを取るなんて、当事者たちには良い迷惑だ。それで苦しんでいる人が大勢いる」
「それの何がいけないのさ」
「は?」
1001は悪びれもなく、そう答えた。
「生き残るために手段を選ばないのは自然の摂理さ。科学だって、そうやって発展してきたのさ」
1001は終始穏やかな声で、シュウに向かい合う。
何を知ったような口を。生まれて間もないくせに。だがきっとそう教えられているんだろう。倫理観をごみ収集に出した我田のことだ。己の周りも、そう洗脳しているのだろう。
心の中でそう文句を垂れながら、我田を追いたいシュウはだんだんと苛つき始めた。1001の独特の会話ペースすら腹が立ってきた。
まあ待て。こいつだって生まれたくて生まれたわけじゃない。自分と同じく、人間の都合で造られた人間擬きだ。自分を造るためにどんな非人道的な研究がされていたとしても、それを生まれた奴らに言っても何にもならない。
シュウは自分の感情を抑え、ハアとため息をついて、
「お前に言っても意味はない。生まれたのはお前の都合じゃないからな。私もそうだが」
そう言って再び刀に手を掛ける。
「とりあえずお前を排除して、逃げた我田に追いつかねばな。あいつが何をするか分からん」
「させると思う?」
戦闘態勢に入るシュウと同時に、1001は髪の毛を毟り、取った髪の毛を掌に包んだ。シュウはその動作にぎょっとしたが、次の瞬間1001の掌から現れた物体に警戒を吊り上げる。
1001の掌には、彼の柔い、真っ白な髪と同じ色の刃が収まっていた。それをさらに繰り返し、指に取り付けると、刃のついた手甲鉤のようになった。
そして1001は両手を前に掲げ、こう言った。
「僕は我田博士に造られたのさ。我田博士に褒めてもらえるように、あなたを倒す!」
可哀想に。シュウは憐れんだ。
※2025/07/22 加筆・修正しました。




