心の奥底、真の言葉
ついに研究所に踏み込んだ蒼啓一行。それぞれが会敵し、三者三様な戦いを繰り広げる中、蒼啓は、元の世界で自分の親友であった一徹そっくりな人間と対峙する。果たしてこの人物は何者なのか。もし一徹ならば、一徹の身に何が起こったのか……。
「刮目しなさい!」
一頻り小手調べの戦闘が終わったようで、カイイは突然、声を張り上げた。いや、まあカイイの声は平常時からずっと大きく明確で、充分に聞き取りやすい声だったのだが、それを上回る、空を切り裂くような声でカイイは言った。
「「え?」」
疾風と石華は素っ頓狂な声を上げ、体が固まる。
今まで結構真剣に戦っていたのだが、カイイは全くそんな素振りもなく、疾風と石華の戦い方を見ていたようだ。疾風の斧の攻撃も、カイイの大きな手に掴まれてしまうし、石華の蹴りも相当重いはずだが、受け止めたカイイの体はびくともしない。
そんな時に、カイイは冒頭の言葉を発した。何かするつもりなのか、疾風と石華はカイイを遠巻きに見る。
「行くわよ!んんんん~!!!!」
その言葉に合わせ、カイイの筋肉が服の下でモゴモゴと蠢く。
「解☆筋!!!!“鬼面角”!!!!」
そう言う間に、カイイの腕が劇的に膨張し、それまでの腕の2倍ほどの太さになった。
「は!?」
「え!?」
疾風と石華は信じられない光景を見て驚くばかり。
だってカイイの肉体美は最初の状態を見ただけでも驚くほどボリュームのあるものだったのに、今の解筋(?)により、腕のみがさらに大きくなったのだ。ボディラインにピッタリ合うタンクトップから腕だけが突出したアンバランスなその肉体美に、開いた口が塞がらない。
「な、なんだそれ!?」
思わず浅はかな疑問が口をついて出た疾風。その疾風の反応を楽しむように、カイイはまたポーズを取りながら疾風の疑問に答える。
「この技は筋肉解放……名付けて“解☆筋”よ!改造によって手に入れた人工筋肉……それを“解☆筋”することで自由に筋肉をカスタマイズできるのよ!」
「筋肉をカスタマイズ……?い、一体どういう体の構造してるのかしら……?」
石華も敵であるカイイの言葉を真に受けて、純粋に驚いている。まあ真に受けると言っても、カイイは嘘など言っていないのだが。しかし机上の空論のような筋肉のシステムを実際に目の当たりにして、己も体を鍛えている2人にとっては、ある種夢のような光景だった。2人とも驚きながらも、若干目をキラキラさせている。
しかしその直後、疾風は「ん?」と少し眉を顰めて、怪訝な顔をした。
「改造で手に入れた……?ってことはアンタも改造人間なのか?」
その疾風の言葉に、石華も「あ」と、今気づいたように呟いた。
「そうよ。私は体の一部……筋肉だけだけどね!人体の改造はもはや夢物語なんかじゃないのよ!」
カイイは腰に両手を当て、自分の肉体を誇るように大胸筋をこれでもかと張って見せた。力を込めた大胸筋は、モリモリと脈打つ。
「軟弱な体でもすぐに強くなれるし、強靱な体をもっと強くすることもできるのよ!」
それを聞いて、疾風と石華は妙に納得してしまった。確かに、改造は悪いことでもないのかもしれない……と。軟弱な体をコンプレックスに思っている人がいるなら、それを解決することもできるし、より高みを目指す者がいくらでも強化することもできる……。まあ自己責任だろうが。未知の技術を目の当たりにして吃驚したが、こういうまともな研究も、研究所はしているのか、と。
「じゃあ、そろそろ再開しましょうかね」
そんな考え事をしていた最中に、突然戦いのゴング。太いどころじゃない腕をぶんぶん振って肩回しをするカイイの声にハッとなり、慌てて戦闘態勢を取る。
「鬼面角ラリア~ットォ!!」
全身に普通の人間の倍以上の筋肉をつけている身体とは思えないほどの神速で、一回の瞬きの間にカイイは疾風の目の前に現れた。筋肉が増した分スピードが落ちると思っていた疾風は、そのカイイの素早さに対応できず、まともにラリアットを食らってしまった。
「ぐっ……おっ……!」
息が喉につかえて変な声が出る。カイイの膨張した腕は見事疾風の首に、というかデコルテを覆うように直撃し、強烈な圧迫感を与えた。
カイイが腕で疾風の首をキャッチしたまま、その勢いを殺さずに腕を振り切ると、疾風は後方へ吹っ飛んで壁に激突した。
「あがっ……!」
「ふう!」
カイイは満足そうに息を大きく吐く。
その途端、ガンッという音と共にカイイの頭が折れた。いや、単に傾いただけなのだが、勢いが勢いだけにバキッと折れたように見えた。
「……」
カイイは傾いた顔のまま、何も言わなかった。その反応に、攻撃した石華も「あれっ?」と声に出した。
今、石華は自慢の蹴りを、カイイの側頭部に食らわせたつもりだったのだが。頭に直撃したのだから、それなりの衝撃はあるはずなのだが。
カイイはしばらく沈黙した後、手で頭の傾きをガキッと直し、ぺたぺたと頭を掌で確かめるように触り、後ろで様子を見ていた石華の方を振り返った。
「うふふふ……結構効いたわ♡」
またもやニチャア……と効果音がつくような笑みを浮かべて、仁王立ちでこちらを見ている。
「え……効いたの?……全然そんな風には見えないけどとにかくヤッター!」
カイイの笑顔が怖すぎてテンションが変になっている石華は、今までの手応えの無さとは確実に違う、弱点とも言うべき箇所を見つけて舞い上がった。
「うふふ……じゃあ石華ちゃんには、“弁慶柱”で勝負してあげるわ」
そう言ってカイイはまた全身に力を込め始めた。先程のように、腕の筋肉がモゴモゴと動いてだんだんと膨張していた腕がしぼんでいく。
「んんん~!解☆筋!“弁慶柱”!!!!」
その言葉と共にカイイの身体は……あれ?最初に見た身体より大分スリムになってる……ような。最初にこの部屋で指立てしていた時よりも、研ぎ澄まされたというか、全身が少し縮んだ気がする。
「じゃあ、行くわよ!」
カイイは体勢を低くして、地面を蹴った。
「!」
あっという間に目の前に迫ってきたカイイに、石華は辛うじて反応。右前に傾くカイイのタックルを、慌てて上げた足の裏で受け止める。
「ふっ!」
石華は渾身の力を込め、足でカイイの右腕を押す。なるほど。さっきの“鬼面角”とは違って、筋肉を効率良くスリムにすることでできる、スピード型なのか。
「やるじゃない!」
カイイはそう言うと、空いている左腕を、石華の顔面目掛けて振りかざす。
「くっ!」
石華はそれを、両手で受け止める。右足でカイイの右腕を、両手でカイイの左腕を。ジリジリとお互いに力を込め合い、お互いに身動きが取れなくなる均衡状態に入った。
「石華ちゃん、なかなか力あるわねえ……」
カイイは石華をなかなか潰せないことを微かに楽しんだ。それもそうだ。石華は筋肉こそほどよくついているものの、全体的に細い。カイイとは全く正反対な体つきをしていながら、カイイのスピード型に耐えられるほどの力。どんな鍛え方をしているのか、カイイは純粋に気になった。
「石華ちゃん、どんなトレーニングしてるの?細いのに。すごいわねえ」
膠着したまま、カイイは石華に話しかける。汗一つかかずに。カイイは余裕綽々といった感じだ。
「普通に過ごしてるだけっ……ですよっ!森の中で、家族と一緒にっ!」
石華はなんとか潰されぬように全身の力を使って抵抗する。
カイイは石華の返答が不満だったのか、口をへの字に曲げて追及する。
「うそ♡普通の生活で私の力に耐えられる力なんて育たないはずよ!」
「……っ森の中で……木を倒す仕事をしてますよっ……私は刃物が怖いんでっ」
「えっ!?足で蹴り倒してるの!?」
カイイの言葉にコクンと頷く石華。なるほど。木を蹴り倒すほどの石華の蹴りならば、カイイのこのタックルも退けるまでは行かずとも、対応できているのか。
カイイは石華の言葉に普通に驚いてしまったが、全身に込める力は緩めない。
「でも、いつまで続くかしら♡」
それどころか、カイイはジリジリと石華の足を押し始める。今石華は動ける手足の4分の3を使っている状態だ。全身を支えているのは左足のみ。その左足も踏ん張っているが、今にも崩れそうだ。
「そういうあなたも、身動き取れないでしょっ!」
石華はやせ我慢のように笑みを浮かべ、叫ぶ。
「疾風!!」
その叫びに、カイイはハッとなって後ろを振り返る。先程吹き飛ばした壁にはもう人影は無かった。
「どこに……ッ」
そう呟いた時には、既に人影はカイイの懐に潜り込んでいた。
「獲ったぜ」
疾風の斧はカイイの脇腹から背中を、ザックリと切り上げた。
「……!!」
カイイは痛みに顔を歪め、飛び出す血をなんとか止めようと傷口を押さえるが、傷口は広く深く、手で押さえきれるものではない。やがてカイイは出血に耐えられず、白目をむいて仰向けに倒れた。
「ふう!なんとかなったな」
疾風が晴れ晴れとした表情で斧を担ぎ直した。しかし石華は不満そうな顔で唇をとがらせている。
「な、なんだよ」
「私の負担大きくなかった?結構力いったんだけど。耐えるの」
「俺だって吹っ飛ばされて壁に激突したんだぞ!?背中痣できるぜきっと」
「……ていうか最初の攻撃、なんで避けなかったのよ。スピード私の時より無かったでしょ?」
「い、いや、油断してたわ」
「ええ?」
そんな会話をしながら、来た方向とは逆にある扉へ進んでいく2人。
しかし、2人の背後に仁王立ちの影。
「!?」
言いようのない殺気を感じ、2人は一斉に振り向く。
「やってくれたわね」
ボソリと呟かれたカイイの言葉。今までの底なしに明るい声とは一線を画す、ネチャリとした低い声。その変わり様に、疾風と石華は警戒心をMAXにした。
「見せてあげるわ最終奥義……解☆筋ンンンン!!!“サワロオオオオオオ”!!!!!」
ブチブチブチッと筋繊維が切れるような音と共に、カイイの身体が最大限に膨張した。“弁慶柱”の形態を見たからか、余計に大きく感じる。パッと見3mほどにも余裕で届く巨躯に成長した身体で、カイイは声を上げる。
よく見ると、疾風の斧によってつけられた傷が見当たらない。いや、筋肉で隠しているのだ。傷口の上や周りを筋肉で覆い、出血を抑えている。
それに、何故か来ているタンクトップも膨張する筋肉に合わせてサイズが大きくなったような……?
「まさかこの私を地につけるなんてね……!私の悪い癖よ。熱中すると他のものが見えなくなる……」
カイイはアリクイの威嚇のように、腕を顔の前に掲げ、今までのボディビルのポーズではなく、ファイティングポーズを取った。
「でも♡」
またニチャァと笑って、カイイは言った。
「今度は油断しないわ!何年も開発を繰り返した私の最高傑作!とくと味わいなさい!」
「一徹!やめろ!」
蒼啓が叫んでも、相対する無表情は崩れない。蒼啓の声は届かず、目の前の親友はただひたすらに蒼啓を攻撃するだけだ。
一徹。蒼啓の親友で、幼い頃から一緒に道場や大会で戦ってきた、幼馴染み。最後に会ったのは、あの日。自分が世界線を飛んだ、忌まわしき日。卒業式が終わって、一緒に寮まで帰って、隣の部屋に入っていった。
「寝るなよ」、「寝ねーよ!」。そう言って笑い合ったのが最後だった。それが、どうだろう。あの笑顔は跡形も無く顔から消えて、今はただ、精巧に作られたデスマスクのように、表情が消えたままだ。その表情で、一徹は双子の命令のままに、蒼啓と行雲を攻撃する。機械仕掛けの人形のように。
蒼啓は一徹の動きを封じるべく、勢いよく振られた一徹の両手首を掴む。
「くそっ!お前ら!一徹に何した!!」
一徹の動きを止めたところで、蒼啓は一徹の後ろでニヤニヤと笑っているソカと、行雲の相手をするムエンに大声で叫んだ。
「アッハッハッハッハ!!」
ソカは高らかに笑い、
「へぇ!お前ら、知り合いだったのか!?こりゃケッサクだぜぇ!!!」
蒼啓の質問には答えもせず、ひたすらに蒼啓と一徹のこの状況を嘲笑った。そして、
「こいつは博士から借りた、改造人間の試作体だ。もちろん、別の世界から連れてきた、な」
ソカの言葉に、蒼啓の頭の中はさらに混乱を極めた。
「蒼啓!どういうことだ!?お前の知り合いなのか!?」
行雲はムエンの攻撃を捌きながら、事態を把握しようと蒼啓に問いかける。
「俺のいた世界で……親友でした!ずっと一緒にいた……」
「本当なのか!?」
蒼啓は行雲の質問に答え、同時に混乱する自分の頭を整理する。
一方でムエンは、行雲の相手をしながら、その会話に横槍を入れる。
「……それは本当に君の親友かな?君とは別の世界の同じ人かもしれないよ?」
ムエンの言葉に蒼啓はハッとする。そうだ。確かに、蒼啓も別の世界の自分に会った。なら……この人は一徹じゃないかもしれない!そう淡い期待を抱いた。
正直、どんな人間だろうと、改造人間にするなど許されないことだ。その発想自体がおぞましいことだ。でも、蒼啓は、自分の一番身近な親友が、そうなっているなど、本当に考えたくもなかった。だから蒼啓は、目の前の改造人間が一徹じゃないことを心の底から祈った。
その時、今までギリギリと力を込めて掴んでいた改造人間の手首から、ふっと力が抜けた。
「!」
その軽さに、思わず手の力を緩めてしまった蒼啓。その一瞬の隙に蒼啓の掌から改造人間の手首が抜け、改造人間が少し後ろに退いた後、床を蹴る音がした。
次の瞬間、蒼啓の目の前に影が迫り、左から、脇腹に向けて猛打が降り注いだ。
蒼啓はガードしながら、頭の中にこの二文字が浮かんだ。
「天泣」
蒼啓の脇腹に連打が着地して、蒼啓は横に吹っ飛んだ。通常の威力とは桁違いの技に、蒼啓はしばらく立てずに蹲っていた。
改造人間が呟いたその言葉。蒼啓はもちろん、離れたところにいる行雲にも聞こえた。
「それ……蒼啓が俺に使った技じゃないか?」
そう呟いた行雲。蒼啓も同じことを思った。ということは、つまり……
「睦月越宝流の、使い手……」
蒼啓は信じたくない事実を、喉の奥から絞り出す。睦月越宝流を使う、一徹にそっくりな人間……それはもう、蒼啓と共に育った一徹であると証明されたようなものだった。
「……クソッ一徹ッ……!」
蒼啓の顔が絶望に滲む。親友が改造人間となってしまった事実を、蒼啓は飲み込めない。だって、そんなはずが……。今まで街やアジトで過ごしてきて、同じ世界から来た人を二人以上見たことがない。蒼啓が来るより前にいた逸石や流たちも、街で人に会うことはあまりない、ましてや自分の知り合いなど、自分と同じ世界から来た人は見たことがないと言っていた。なのに、何故こんなに近くにいる俺たちが……と蒼啓は自分たちの不運を呪った。
「なんで改造人間なんかに……!他の世界から来た人間はサンプルとられて処分されるんじゃなかったのか!?」
蒼啓はソカとムエンを再び問い詰める。追撃してきた一徹の拳を躱しながら。蒼啓の顔は焦りに満ちていて、蒼啓自身でもわかるほどに顔がゆがんで、今にも泣きそうな表情になっていた。
「んー?それはシュウから聞いたのか?まあその通りだが、他にも使い道あるヤツはいろんな研究に回されてるぜ。例えば……改造人間の試作体とかな!」
ソカの言葉を聞いて、蒼啓はやっと一徹に起きた変化を理解することができた。一徹は、自分と同じくこの世界に飛ばされ、研究所に捕まってしまった。そして、サンプルを取られた後、研究所が開発する改造人間として、実験体になってしまった……ということか。なんてことだ。
「あ、姉さん。情報入ってきた。えーと……」
ムエンが何やら手元の液晶画面を見て、ぶつぶつと唱え始める。
「mod:10558の名前は天城一徹。Y13世界線出身。スクールの十回生で卒業済み。実家は睦月……越宝流?の道場でmod:10558もその門下生。全国大会出場経験アリ。八位入賞……と。それくらいかな」
ムエンは液晶画面をスクロールしながら一徹の情報をベラベラとしゃべる。
「へー」
ソカはあまり興味なさそうに大鎌の刃を指でなぞっている。
「あ、確かに、そこの蒼啓って野郎と知り合いみたい。……あー。そいつとは対戦経験あるみたいだけど、負けっぱなしっぽいね」
ムエンはガッカリしたように、ため息混じりでそう言った。ここまで口数少なかったくせに、こんな時だけ饒舌だ。やっと彼の感情の片鱗を見たかもしれない。
「へー。じゃあ、アイツを改造人間にした方が、良かったかもな!アハハ!」
ソカは蒼啓の方を指差して笑う。
「ん~?いやでも、今の方が好都合か?」
笑っていたソカは先程の笑みとはまた違った、何か企みを思いついたような顔でそう言った。
「え?姉さん、どういう意味?」
ムエンはソカの思惑が分からないようで、純粋な瞳で聞き返す。
「だって~実家が道場なのに、息子のmod:10558はコイツに勝てなかったわけだろ~?悔しいだろうな~友達が息子の自分より強かったら。そんなんじゃ親も残念がっただろうな~」
腕を組んで目を閉じ、頭をゆっくり左右に倒しながら言うソカの言葉を聞いて、蒼啓は胸が締め付けられるような思いがした。それは、蒼啓がずっと昔から考えていたことだった。一徹は大切な親友だ。5歳の頃から一緒に過ごしてきた。もちろん道場の稽古も大会も。だから一徹が努力しているのは知っている。下手したら俺よりも。だからこそ、俺が全国大会で優勝した時は、嬉しかったと同時に、心苦しかった。そのことを改めて口にされて、敵の言葉ながら、蒼啓は本気で受け止めてしまった。
しかしこの蒼啓の自己嫌悪は、次の言葉で吹き飛ぶこととなる。
「だから改造人間になってコイツに一撃当てられて、きっとmod:10558も喜んでるだろうよ!」
ブツリ、と蒼啓の頭の中で何かがちぎれた。蒼啓の顔から表情が消え、額に青筋が浮かび上がる。
「確かに!姉さんさすが!アハハハハ!」
「ふざけんな」
自分たちの言葉を自分たちで褒め、高笑いするソカとムエンに対し、蒼啓はボソリと呟く。
「あ?」
ソカがその小さな呟きに気づき、笑顔を止める。その直後、蒼啓は声を張り上げた。
「改造人間になって勝っても嬉しいわけないだろバカが!!!!」
蒼啓の咆哮のような渾身の言葉に、ソカとムエンは気圧される。
「自分の実力で勝たなきゃ意味ねえんだ!改造されて得た力なんて真の実力じゃないだろうが!!」
スポーツマンという自覚がある以前に、一人の人間として、ズルはしたくない。卑怯な真似はしたくない。蒼啓自身もそう思っているし、長いこと隣で見てきた一徹も、きっとそう思っているはずだ。蒼啓には分かる。
「お前ら一徹のことどれだけ知ってんだ!何も知らねえくせに分かったふうな口聞くんじゃねえええええ!!!!」
心臓を掻きむしられたような衝撃と共に、蒼啓の怒りは最高潮に達し、いつの間にか駆け出していた。今まで経験したことがないような怒りのボルテージ。いや、あったか。昔スクールに入りたての頃、まだ仲良くなかったハチが蒼啓のことをバカにした時、蒼啓がキレて喧嘩になったっけ。でも今考えると、それは自分のことだったからまだ良かった。自分より、友達を侮辱された時の方が腹立たしいとは。その時とは比べものにならないくらいの怒りが、沸々と体の底からこみ上げる。額に青筋がビキビキと波打ち、顔を真っ赤にして声を荒げ、蒼啓はその勢いのままにソカとムエンに突撃した。
「蒼啓!」
感情のままに突撃していく蒼啓を見て、行雲は止めようとしたが、蒼啓はそれも聞こえないのか、足を回転させ続ける。蒼啓は命令を待つ一徹の横を通り過ぎ、ソカとムエンに一直線。
「くっ……mod:10558!コイツを止めろ!」
蒼啓に気圧されていた心を元に戻し、ソカは一徹に命令する。と同時に、一徹は蒼啓の後を追いかける。改造された一徹の足の速さは尋常じゃなく、蒼啓に追いつきそうだった。
「おっと!待て!」
しかし蒼啓の背中を掴もうとした一徹の手は、追いついた行雲の手により締め上げられる。改造人間にも負けない脚力を誇るなど、ジャングルで生死に瀕した生活を送る行雲くらいにしかできないだろう。
「く……ムエン!」
一徹の盾を失ったソカは、ムエンの名を呼ぶ。名を呼ばれたムエンは、ソカとそれ以上会話することなく、攻撃の体勢につく。向かってくる蒼啓を2人で挟み込み、大鎌を振りかざす。
「“土星の郷愁”!!!」
以心伝心と言うべきか。名を呼んだだけでどの技を繰り出すか理解できるのは、双子ならではだろう。
ソカとムエンは蒼啓を中心に据え、その周りに円を描くように大鎌を振るう。大鎌が蒼啓の腹をえぐり取ろうとした時、蒼啓は床を踏んで飛び上がった。
「!」
2つの大鎌が空を切る。蒼啓が攻撃を受けたなら、蒼啓は天体となり、2人の斬撃はその周りを囲む土星の環のようになったはずだ。しかし蒼啓は環から抜け出した天体のように、上へ飛び上がった。
「睦月越宝流!!阿蘭若!!」
蒼啓は飛び上がるために床を蹴った時、既に技の準備をしていた。床を蹴った左足を軸足とし、空中で右足を回転させる。その足はソカの左頬に当たり、その勢いでソカは右に倒れかかる。ソカの着けていたイヤホンマイクのようなものが、その衝撃で吹き飛ばされる。
しかし蒼啓の足は止まらない。着地した後、蒼啓の右足は再び床から離れ、今度は倒れかかったソカの右半身を、下から蹴り上げた。
「睦月越宝流!“天空海闊”!」
ピキッ、と、骨まで攻撃の圧が届いた音がした。ソカは空中に投げ出され、蒼啓はさらなる追撃を仕掛けようと、拳を強く握り込んだ。
「姉さん!」
しかしそれを黙ってみているムエンではなく、すぐに蒼啓目掛けて大鎌を振るう。
その刃が蒼啓の首を捉えようというとき、蒼啓は大鎌の刃の側面を叩き、鎌の軌道を逸らした。これは……蒼啓がかつて研究所の警備員である表裏と対峙した時に使った、“弾捨離”という技だ。あの時は銃弾の軌道を逸らしたが、それを蒼啓は刃物に応用してみせた。何という応用力だ。
そして蒼啓は握り込んだ拳を、ソカではなくムエンに突き込んだ。ムエンの腹に、えぐるような衝撃が走る。
「がっ……!」
声とも言えない音を立てて、ムエンは後方へ吹っ飛ばされた。
そして蒼啓は、空中から落ちていくソカに向け、今度は反対の拳をお見舞いした。
「睦月越宝流!“常花……」
そう言いかけたところで、空中にいたソカが自分の背中を鎌で守るように掲げた。それに気づいた蒼啓は、拳が鎌の刃の手前まで迫っていたのに急ブレーキを掛け、止めた。しかし刃にほんの少し触れてしまい、蒼啓の指から血を滴る。
このままでは落下の勢いと共に拳に刃が深く刺さってしまう。そう瞬時に判断した蒼啓は慌てて手を引っ込め、追撃を避けるために後退し、ソカと距離を取った。
ソカは蒼啓が手を引っ込めたのを見て、腫れ上がる顔でニヤリと笑い、身を翻して着地した。
「クソが……!殴りやがって……顔腫れちまったじゃねえか……」
大鎌を持っていない方の手で右頬をゴシゴシとさするソカ。
「姉さん……っ大丈夫……?」
そんな姉の痛々しい顔を心配して、ムエンは腹を押さえながらソカに駆け寄る。
「おう。蒼啓、大丈夫か」
攻撃が一段落したのを見て、行雲も蒼啓に駆け寄る。
「はい。……あ、一徹は……?」
行雲が相手していた一徹はどうなったのか。蒼啓が部屋の中を見回すと、部屋の隅で、一徹が棒立ちしていた。蒼啓たちを襲うでもなく、ただただぼうっと突っ立っている。
「いきなり動かなくなったんだ。どうなってんだ?」
「でしょうね。多分……これですよ」
行雲の素朴な疑問に、蒼啓は冷静かつ少し自信ありげな表情で、握った拳を開いた。
蒼啓の掌にあったのは、2つのイヤホンマイク。当然、ソカとムエンが着けていたもの。蒼啓が技で2人を吹っ飛ばした時に外れたのを、拾っておいたのだ。
「これが無ければ命令できないはずです」
蒼啓は試しに、イヤホンマイクに向かって、「mod:10558。その場で座れ」と声を出した。
すると一徹は静かに膝を曲げ、その場に座り込んだ。
「……!」
「やっぱり」
その光景を見て確信を持った。これで、一徹と戦わなくて済む。そう思って、蒼啓は静かに胸を撫で下ろした。
「チッ……イヤホン取っちまいやがってよ……これじゃ連れてきた意味ねーじゃねーか」
相変わらずの口の悪さでソカがぶつくさ言う。ムエンはと言うと、蒼啓の方をじっと睨み付けている。大好きな姉に怪我させられて怒っているのか、顔の威圧感が増している。
「改造人間なんて使うもんじゃない。というか、作るもんじゃねえよ」
蒼啓はこの研究所全体を叱るように、静かに話す。
「シュウさんも言ってた。生命を玩ぶなんて、許されることじゃない。必ず、誰かが悲しむことになる。お前らが逆の立場だったらどうだ?隣にいた人間が、そんな目に遭ったら?想像してみろよ」
こんな説教、奴らの心を動かすわけはないと分かっていても、蒼啓の言葉は止まらなかった。
「だから私たちはそれを止めなきゃならない、生命を玩ぶヤツには、必ずしっぺ返しがあると分からせなきゃならないと、シュウさんは言ってたんだ!」
蒼啓は、学ランの下の白シャツの、心臓の辺りを強く握りしめて言った。
ところが蒼啓の真剣な演説を聞いて、ソカとムエンは目を丸くした。ん?意外と蒼啓の言葉に耳を傾ける余地があるのか?と思った瞬間、
「「アッハハハハッハッハ!!!!!!」」
ソカとムエンは顔を歪めて、大声で笑い出した。ソカは分かるがムエンまで?本当に、心の底から面白がって、泣くほど笑っている。
「何が可笑しいんだ」
真剣な話を笑われた蒼啓は、心底気分を害した。やはり研究所の奴らには話など通じないのかと思ったが、何故笑うのか、蒼啓には全く分からなかった。
「いや可笑しいだろ?シュウが言ったのか?それ?」
「は?」
自分の話のどこに可笑しい部分などあったのか。露ほども理解できない蒼啓は、威圧的な態度で聞き返す。
「はー可笑しい」
ソカは一頻り笑い、疲れたように「ハアー」と言って声を整え、口を開いた。
「だってシュウは、アイツは、“人造人間”なんだからさ」
パタパタと、一定の音を奏でる足下は、白い足袋に覆われている。足袋の底には厚く柔らかいソールが着いているため、床を蹴ってもあまり音は鳴らない。それでも、今は足音を忍ばせる必要は無いため、何の気兼ねもなく歩いて行く。
暗い通路を進みながら、考える。博士と……アイツと共に過ごしたこの研究所。今でもその面影が目に映る。もうとっくに、何もかも変わってしまったというのに、目が勝手に当時の名残を探してしまう。
自分の長い人生の中で、二番目に楽しかった時期を思い出して、目を閉じる。あの頃は何もかもが新鮮で、目に映る全てに興味を示し、爆発的に知識欲が刺激され、その欲望のままに行動していた。
「君は世界の全てを知るんだ」
博士はそう言っていた。その通りに自分は過ごしてきた。
目を開けた先には、縦横4mほどのシャッター。その最下部に手を掛け、ガラガラと音を立てて上へ引き上げていく。
通路より暗い、シャッターの奥の景色。その暗闇の中へ、ずんずんと足を踏み入れていく。
シャッターの外から漏れ出る明かりが届かない所まで歩いて、足を止めた。
「待っていたぞ」
暗闇の空間に響く、耳につく野太い男の声。忌々しい、あの男の声。
「貴様が研究所を出て行ったせいで、俺の研究は滞ってばかりだ」
気に入らない。嗚呼、全く気に入らない。演出じみた、暗闇の中での会話。この後どうなるかなんて、気配で分かりきっている。
だがしかし、私の目的は時間稼ぎだ。勿論コイツを逃がすつもりは無いが。このまま喋らせておくのも手だろう。そう思って、特に何も言わなかった。
「貴様が生きていると、表裏のヤツが口を割らんのだ。貴様に殺されるかもと怯えていてな」
「それはそうだろう。博士の機密研究を口外するヤツなんて、死んで当然だ」
私はやっと口を開いた。
「貴様は人類のためになる研究に、協力しないつもりか?ヤツの研究情報が分かれば、人類を救う手立てになるのだぞ?」
人類のためだって?笑わせるな。お前はただそんな自分に酔っているだけだろう。
「私はそんなことには興味が無い。唯一興味があるとすれば……私の親とも呼ぶべき存在……ハカリ博士を殺したお前を……潰すことだけだ」
「フン!生意気な口を聞くじゃないか。人間もどきが!やってみろ!」
その途端、暗闇が晴れ、部屋の中が露わになる。
部屋の中を埋め尽くす、人、人、人。皆同じ服を着て、コードが明記された名札を胸に着けている。
自分を含めた人……改造人間たちで構成された空間を見下ろすように、横一面ガラス窓のモニター室が2階にある。
「貴様のためにわざわざ実験体を動員したのだ!精々良いデータを取らせてくれたまえ!」
モニター室からこちらを見下ろすあの男は、研究所の現博士、我田。
我田はこの空間の四方から響くスピーカーを通じ、高らかに宣言する。
「前博士ハカリの最高傑作、人造人間シュウよ!貴様を黙らせ、俺の研究のマテリアルにしてやる!」
ここは南棟。改造人間収容庫。
ようやっと戦闘が始まる。そう思って、シュウは刀に手を掛け、好戦的な笑みを浮かべるのだった。
※ルビの文字数制限により、正式なルビが振れなかった箇所があります。
※2025/06/19加筆・修正しました。
2025/06/24加筆・修正しました。




