第32話 『ソウシツ』
『それは、《記憶喪失》と言うことでしょうか?』
『はい。記憶喪失の一種だと言えます。今回のご自身が刺された事件や握手会の事件を含む最近の記憶がどうも一切ないみたいですね。幼少期の記憶はちゃんとあるみたいです。高校生時代の記憶から少し曖昧で、アイドル活動の記憶もうっすらと。下積み時代の記憶ぐらいまでと報道でも言ってましたね』
『では、今後記憶が戻る可能性というのは・・・?』
『もちろんありますよ。でも絶対とは言えませんね。精神的なダメージが計り知れないですから、思い出さない方が彼女の為だと思いますけどね』
『では、もう彼女のアイドル姿は見られないかもしれないと?』
『彼女次第ですよ。記憶がなくてもアイドルをやりたいと思って覚悟があるならやれば良いと思います。ただ、今はネット社会ですので、記憶がなくても報道された記事が残ってます。まぁ、適当な事書いてる週刊誌もいますけどね。それを彼女が自分で見てどう感じてどう行動するかは、彼女が自分で決めることですよ』
画面の中のコメンテーターや医者、アナウンサーが話している。
「みーたん、記憶なくなっちゃったんだね・・・」
家に着いたシン。母と姉は一緒に買い物に出かけたとメッセージが届いているのを帰宅した今見ている。テレビを点ければ今の話題であるみーたん事、深雪 紗衣の話題で持ちきりだ。
「でも、最近のこと全部覚えてないならシンの事も覚えてないって事だよね?!」
「じゃあただただ俺にとって良いことじゃないか。俺の存在を忘れてるなら願ったり叶ったりだ。なんで甲斐はあんなこと・・・?」
「あれじゃない?罰則とはいえアイドルに好かれたのにもうシンには見向きもしないからって事かな?」
「アイドルなんて願い下げだ。静かに生きたいんだ。芸能人と暮らすなんて考えただけでもおぞましい」
「酷いね。うわっ!なんて嬉しそうな顔っ!!」
シンはホッとしたように俺しそうに微笑んでいた。合宿後のどうしようかと思っていた連絡の矢先、みーたんが刃物で刺された報道を聞いた時はとても気分が悪かったが、意識も戻った今、更に記憶がないときた。シンからすれば先ほどの言葉通りの願ったり叶ったりだ。
「メッセージでやりとりしたことはない、電話だけだ。あとは俺が着信拒否にしてしまえばいい。もう連絡が繋がらなければどこの誰かもわからない。この町の、俺の制服も学校もわからない。これで良いんだよ・・・あとは犯人か・・・」
「そうだよっ?!みーたんが目覚めたって犯人はまだ捕まってないんだ!!まずいよ!また狙われたら!!」
「でも、それは俺がすることじゃないだろう。彼女の家族や事務所がすればいい」
「みーたん、事件二回目だよね。記憶もないし脱退とか、事務所退所とか・・・大丈夫かな」
「じゃぁお前が護衛につけばいい」
「相手が特別な力の使い手なら逆効果!!見つけやすいただの目印!!」
「とにかく、俺がなんかする必要はない。もうただの他人だからな。今日はまだ昼過ぎなのに疲れた・・・飯食いにいっただけなのに事件目撃して施錠までして。明日はオミと出かけるからもう家から出ない」
「それでいいのか若者っ?!」
施錠の力があるから争いは止められる。そう考えていたシンですらやはり目の前であのような事件が起きると体が硬直するものだ。
「(俺でこんなに疲れるなら、警察官の親を呼んだあの子はもっと怖くてもっと緊張しただろうな。甲斐はああ言ってたけど、咄嗟の判断と行動力は大したものではないのか?動画や写真も証拠としては確かに必要だ。確かにネットに拡散するのは頂けないが)」
甲斐の言うこともわかるが、後々考えると全部正しいわけではないと思い始めたシン。自分が思う最善を見つけながら部屋に向かい、ベッドに横になった。
・・・ーーー
「アッツ・・・まじ悪りぃ。今日こんな暑いとは思わなかったわ」
「俺は知ってたからいいよ。今日からもうずっと暑いらしいよ」
「マジかー、折角新宿まで行くから人気のラーメン食おうと思ったのにラーメン食ったらぶっ倒れそうなくらい暑ぃじゃねーか」
夏。八月の頭は毎年信じられないくらいに暑い。シンはオミと一緒に最寄駅のホームを歩く。オミは鞄は持たずに水分補給の為に数分前に買ったペットボトルのスポーツ飲料を持っている。中身はもう半分しかない。シンは鞄を持っている。荷物はほとんどない。キツネを入れて置くためだけである。
「予約してあるから特に並ばなくていい。それだけは救いだぜ。アプダイの公式ファングッズを当日受け取ってこいとか本当横暴な姉がいると大変だ」
「”アプダイ”って、みーたんのグループの”アプリコット・ダイヤモンド”の略だよね!!」
鞄の中からキツネの声だけ聞こえてくる。
「まぁ、いいじゃんか。俺たちが遠出する切っ掛けになったんだし」
「遠出・・・まぁ、俺たちからしたら遠出だな。1時間近くかけて山手線の内側に行くんだからな」
オミそう言って手に持っているペットボトルの中身をまた飲み始めた。飲み終わる。駅のホームにあるゴミ箱へからのボトルを入れて、近くの自販機で今度は水を買った。シンも飲み物を鞄から取り出して飲む。凍らせてきたベットボトルの水だ。溶けた分だけ飲んでまた鞄に戻す。中ではクーラーがわりの冷たいボトルを待ち侘びているキツネがいた。
「ったく本当にあっちーな!!どうにかならんかね!この温暖化!!」
「まあ、いつかどうにかなるんじゃないか?」
因果関係は未だに少々疑問が残るが、施錠をし続ければ温暖化も治るとキツネが言った。しかし、絶対的に生まれる負の数の方が多い。適当に返事をしたシンではあるが、本人の”そうなれば良い”という希望が無意識に入っている。
電車に乗ったシンとオミ。混雑はしていないが座れはせずに立っている。1時間近く立っていることになるが、仕方ない。駅につく度に少しずつ電車内の密度が高くなってきた。
そして、複数路線ある駅て停車をした。人の乗り降りが激しい。降りた数倍の人が乗ってきた。言わば、”混んできた”という状況であろう。人との間をなかなか取れず、鬱陶しいと思う人が多くなり始めた。そしてそのまま電車は発車した。主要駅を過ぎ、次の駅までは数駅飛ばす。
空調はちゃんと効いていて、遅延情報もない。快適とは言えないが、問題もなく電車は進んでいた。
「君!!ここで携帯電話を使うのを辞めなさい!!」
その声は突然電車内に響いた。おじいさんが、優先席に座りながら携帯電話を触っていた大学生くらいの男性に声を上げた。周りの人は一斉に声がした方を向いた。しかし、男性は耳にイヤホンをしておりおじいさんの声を聞こえないフリをしている。いや、聞いている音量が大きく、本当に聞こえていないのかもしれない。
「こら!!聞きなさい!!これだけ周りに年配者や色々なマークを付けている人がいる!!電波が体に障る人がいるかも知れない!!電源を切りなさい!!」
ついにおじいさんが男性の肩を揺すった。
「どうぞ、この席座ってください」
すると、男性の隣の席に座っていた女性が席を立った。若そうだが、足に包帯を巻いている。杖はない。一見して
捻挫と思う処置をしていた。
「そう言うことを言っているんじゃないんだよ私は!自分が座るために言ってるんじゃない!!彼がこの先もこうやって優先席に座って携帯電話を平然と使っている事を注意しないといけないんだ!!事が起こってからじゃ遅いんだよ!!」
言いながらおじいさんの息がまたどんどん上がっていった。周囲からは注目の的だ。しかし、優先席に座っている男性は聞く耳を持たない。どころか一瞬外したと思ったイヤホンをまた嵌めて携帯電話をいじり、端末の角度を変えた。
ーーカシャッーー
シャッター音がした。男性が憤慨しているおじいさんの写真を撮ったのだ。
「おいっ!流石にそれは良くねぇだろ!!ネットに上げるんじゃねぇだろうなっ?!」
「オミ、辞めよう」
「でもよぉっ!!」
オミが男性に食ってかかった。シンは、自分達もされかねないと思いオミを掴んで距離を取った。ここでは施錠が出来ない。ちょうど、通過駅を何駅も過ぎて停車した。良いタイミングだと思いシンはそのまま電車を降りようと決めた。その降り際に、おじいさんに伝えた。
「とにかく、お辛そうですので空いてる席に掛けてください。おじいさんの言っていることはわかりますが、伝わらない人は沢山います。おじいさんの優しさは素晴らしいですが、その怒りでお体を悪くされないでください」
「おい!!シン!話しはまだ終わって・・!」
混雑している駅のホームに降りて、電車の外から窓越しにおじいさんを見た。怒りでものすごい形相をしている。見た目で判断しても80歳近いおじいさんだ。あれほど怒ると体に悪い。怒りすぎで急に体調を崩す人だっているんだ。施錠をしよう、そうシンは決めた。混雑した駅のホームではみんな行き先か足元を見ているだろう。そう思い、オミとわざと少し距離を空けてから小声で唱えた。
「《表印》・・・」
瞳印・・・金色の輪と星印が現れる。そして、翳した手にも同じ金色がある。その印を重ねた。
「(これで、おじいさんの気が収まれば・・・)」
「《強制制・・・》」
言い終わる前におじいさんが電車の中で倒れた。




