第1話 『ケンカ』
【なぜ、そんなに熱くなって怒るのだろう】
怒ることは別に構わないが、怒りが原因で行き過ぎた行動を起こす人に、【瀬条 心】17歳の高校二年生は疑問を抱いていた。怒りの感情を全て否定するわけはなく、あくまでも”行き過ぎた”怒りは、周りも本人にも何も良いことをもたらさないと考えている。
人に、周りに、”危害”を加える”行き過ぎた”怒りの感情。なぜそこまで怒るのか。だから物事はうまくいかない。そのような感情を止める事ができれば、全てが穏便に済むのではないだろうか。
日々そう思い生きている彼に、まさに自分が考えていた”行き過ぎた怒り”のコントロールを可能にする”能力”が手に入る機会が訪れた・・・。
自然に囲まれた校舎。五月晴れが美しく爽やかなこの季節。
山の中にあるこの学園の校舎内で、雰囲気にそぐわない大声が聞こえた。
「何してんだよ?!辞めろ!」
高等部の男子生徒が、ある一人の男子生徒を庇って大声を上げた。
「あぁ?!お前関係ねぇだろうが!出てくんなよ!俺はそいつと話してんだよ!」
「話だぁ?話しかけてもなかっただろ!側から見たら唯のイジメだ!」
「なぁなぁ”イジメ”だなんてガキのやるようなことだろ?大した理由もないのに、特徴的な何かがあるとか、目立たないから何してもいいとか、弱そうで仕返ししてこないから何やってもいいとか、そういう憂さ晴らしで文句言ってんじゃねえんだよ?テメェも事情を知ろうとしないでいきなり善人面してヒーロー気取りか?」
金髪長髪にピアスをつけた男子生徒が、揉め事の仲裁に入った男子生徒に喰ってかかった。
「理由は知らないし知ろうとも思わない。ただ、俺が”イジメ”と今言ったのは、側から見れば”イジメに見える”からだ。どっちが正しいとか正しくないかとかそんなことは知らないし、大概正解なんてない。
今、この多くの人がいる場所で、この人がお前に何かをしたわけじゃない。それなのにいきなり蹴りを入れるのは、勘違いされても仕方ないだろう」
「お前のその仏の精神論みたいな説教はもう聞き飽きてんだよ!これは俺のクラスの問題だ!他のクラスの奴は黙ってろ!話しがややこしくなるんだよ!」
廊下で言い争いが続くが、先生たちは来ない。今は少し長い中休み時間という事もある。それに、教員室から一番遠いのがこの場所である。ここは、高等部校舎の全2年生の教室がある3階だ。誰かが呼びに行かない限り教員は来ない。
綺麗な木漏れ日が窓から入ってきている。音声がなければ一見、とても穏やかな学園生活の様だ。実際は美しい光景に少しぎこちない空気感が漂っている。
他の生徒たちが騒動の中心から距離をとりながらヒソヒソと話し始めた。
「またあの二人の喧嘩だよ」
「喧嘩仲間って言ったってこんなに喧嘩するの?しかも他人のことで」
「大変だよね、多分当人同士はそれぞれ優しい人なのにさ」
それを自分のクラスで机に座りながら聞いている男子生徒が一人いた。
名前は【瀬条 心】。
彼もまた、よく目にするこの二人の喧嘩に愛想が尽きている一人である。
(理由は知らないけど、何はともあれ、他の人たちが言ってるように、自分達の事じゃないのによく毎度毎度こんなに熱くなって怒れるよな。他人のことだし、もう少し冷静になれないもんかな。そうしてくれないと、恐らくそろそろ・・・)
と、考えていた頃に、瀬条 心にお声がかかった。
「あの・・・瀬条くん。本当に毎度毎度申し訳ないんだけど・・・」
「わかった、行くよ」
この二人の喧嘩は、瀬条 心が仲裁に入って収拾を付けるまでが一連の流れとして”決まり”になりつつある事が他の生徒の共通認識になっている。シンはとても面倒でこの役回りを御免被りたいが、過去数人が仲裁に入った際に全く持って相手にされず玉砕したため、今では喧嘩が起こると、事を見守るまでもなく早々に瀬条 心を探し始める人が出るくらいである。
椅子から立ち、黒板のある方と反対側の後ろの扉から出てすぐの渦中に向かった。
「そろそろ辞めないか?お前たち二人の間に何か問題があるわけじゃないんだろ?いつもと同じだろ?」
「「シン!」」
瀬条 心が呆れた顔で二人に近づいて声をかけた。
渦中の二人も言い合いを止めてシンの顔を同時に見る。
シンがまず、金髪の男子生徒の顔を見て言った。
「結局、水屋はクラスの人達が困っている事を放っておけなかった事」
続いて、元々の騒ぎの仲裁に入った男子生徒を見て言う。
「鈴は、そのクラスメイトを思っての行動をとった水が、ただのイジメや問題児と噂されたり騒がれる事を防ぎたくて止めに入った…
もう、お決まりの流れじゃん。結局は君ら2人が争う火種はカケラもない訳だって、これ言うのももう何十回目だと思ってんの?」
金髪の男子生徒【水屋 慶臣】
と
仲裁に入った、いかにも運動部ですという短髪男子生徒の【鈴 護人】
両人は、気まずそうにしてシンから目をそらした。
そしてシンは、元々の騒動の相手側の男子生徒に数歩近寄って話しかけた。
「君が話してくれればある程度は話が進むと思う。まずは言いたい事とか、知ってる事とか、ちゃんと説明しなよ。そうじゃないとこの2人ずっと堂々巡りみたいに喧嘩してるから」
この場を収めてくれそうなシンに希望の眼差しを向けた男子生徒は、涙目で安心したように話し出した。
「あ、あの僕。昨日までが期限の美術の課題が難しくて全然できてなくて・・・。でも!僕の他にも何人か同じ様な人がいて・・・。
先生が、課題が完成してない人は、夕方の17時まで待つから、未提出に人の分を全員分まとめて最後に完成した人が教員室まで来て手渡しで提出するようにって言われて・・・」
「こいつが最後まで課題終わんなかったんだよ」
「待ってオミ、まず全部彼に話してもらう」
話すのが遅い男子生徒に痺れを切らした水屋 慶臣こと《オミ》が、話の速度を加速させようと口を挟んだところ、シンに止められてしまった。
「何っで・・!!俺がシンにこんなに邪険に扱われなくちゃ・・・!」
オミが少しショックを受けた。シンとは仲がよく、自分の良き理解者だと思っている。しかし、
(こうやって他に誰か困っている人がいると、シンは俺を邪険にして他の人を優先する!!)
「まぁ、いつも結局みんなを宥めてくれるからいいじゃん、俺らの騒動も先生に怒られる事もないし。ヤキモチもその辺にしとけよ。あれはシンなりのお前への甘えだ」
鈴 護人こと《スズ》が苛立っているオミへ解説をした。
「どこが甘えっ!?」
二人の会話は誰が聞くでもなく、シンと男子生徒の話しに周りの生徒も意識を向けている。
そう、問題がなければオミとスズは喧嘩はしない。それを周りの生徒はわかっている事、殴り合いの喧嘩になっても本人達以外に被害が出ることもない。いつもこの二人の喧嘩は【ただ、うるさい】だけなのである。
「他に・・7人居たんだ。課題が完成してない人。で、僕が一番遅くて、他の人から課題を預かったんだ。課題は元々17時までだったし、僕が一番遅くて、教員室に全員分の課題を持って行ったのは16:57分。凄くギリギリになっちゃったし、その時先生教員室に居なかったし、僕、バスで通ってるんだけど、家までのバスの本数が夕方になると凄く少なくて・・・
先生の机の上に、全員分の課題を置いて帰ってきちゃったんだ・・・」
「それで?」
シンが続きを言いずらそうな男子生徒をあえて促した。
「今日・・・さっき休み時間の初めに美術の先生が来て・・・「8名分の課題が未提出だ」って言われたんだ」
「他の先生の机に置いてきた可能性は?」
「一応、教員室から出ようとしてた先生に確認したんだ!「美術の手塚先生の机はここであってますか?」って」
「なんで教員室から出ようとした先生にわざわざ聞いたの?」
「だって、教員室にはその先生しかいなかったから」
「じゃぁ、その先生が教員室を出てった後は、誰もいなかったって事?」
「うん、廊下は三年生が一人歩いてたけどその人だけだったし、別に教員室の前通り過ぎただけだったし」
「だから!そもそもちゃんと”手渡し”って言われたのに置いて帰ったそいつが悪いだろ!」
オミがまた大きな声で会話に入ってきた。
「この場合は、手渡ししてないっていうことより、提出したはずの課題が消えてることの方が問題だろう。原因?理由は考えればキリがないし、もう起こった事をそんなに責めるなよ」
スズが言う。
「だーかーらー!」
「はい、そこまで。で、さっき来た美術の手塚先生には言ったの?」
スズを静止してシンは話しを進める。
「言ったんだけど、教員室にはなかった。もう一回探してみるが、なければ昼休みにもう一度伝えるから再提出をしてくれって・・・」
「課題って、うちのクラスと共通かな?パソコンでデザイン画を書いて、印刷した紙を提出するやつ?」
「そう!それ!」
「まぁ、学校のパソコンを使って、個人のUSBメモリーに保存させたデータをただ紙に印刷しているだけだから、すぐに提出できるって言えばできるよね。じゃあ、課題が紛失したっていう事みたいだけど、起こった事の経緯はさておき、とりあえずUSBさえあれば特に問題はないわけだ」
「う・・・うん、まぁ、考え方によっては・・・問題はない・・・かと」
「はい、話はまとまった。昨日の7名にはもしかしたらもう一回課題のデザイン画を印刷してもらう手間があるかも知れないけれど、それだけで問題ないでしょ」
シンが、スパンと言い放ちこの場を収束させる。
「待て待てシン!なんでそうなるんだ!」
「だって先生だって怒ってないんだからいいだろう。もう一回探してみるとも言ってるし。逆に先生が怒りもしないことをなんでオミが怒るんだよ」
「人の課題を預かっておいて、指示された”手渡し”を守らず置いて帰ったんだ!結果何もなければ俺だってこんなに怒りはしねぇよ!でも、結局”課題未提出”になっちまってんだろう?!」
「オミもその課題未提出の8人のうちの一人?」
「いや、俺は違う」
「じゃあ、なんでこんな怒るんだよ」
こうやって喧嘩が起きた時、要不要をはっきりさせ、また感情論でもなく、先を見て最低限の行動だけで済むように促し、また、誰が悪いなどは特に追求せず、事を運べるのが、オミとスズ相手ではシンしかいないのである。他の生徒では、まずオミが話を聞かず、言い返されてしまうのである。そして、仲裁者を庇うスズと喧嘩が続くのである。
シンは、男子生徒に言う。
「昼休みには先生も来てくれるから、放課後すぐにでもなんとかなるだろう?7人には、再提出の可能性があるかもって先に言っておけば良いんじゃない?」
「僕がまとめて失くしたことに対しての謝罪とか・・・」
「まぁ、課題が消えたのはなんでかわからないからなぁ。君が課題をどうにかしたとて、自分の課題も未提出にするのはちょっとねぇ。提出期限遅れて減点対象になる可能性だってあるんだからわざわざやるとは思えないからなぁ。そうしなきゃいけない理由があるんだったら別だけど」
「な・・!?何その「そうしなきゃいけない」理由って?!」
「そんなもの無いでしょ?自分が最後で請け負ったからって責任感があって、謝罪したいって思うんだったらそれはそれで言えばいんじゃないかな?君がどうしたいかだよ。この場合、あくまでも俺はだけどどっちでもいいと思うから、自分で決めればいいと思う。こういう謝罪って人に言われてするものじゃないと思うから」
「・・・自分で。うん」
「さ、スズ!もう中休み終わるから次の教室行こう、音楽だよ」
「あ?そうだったか。いつも悪いな」
「そう思うなら、やすやすと首突っ込まない事」
「うっす」
シンとスズがその場から教室前のロッカーで音楽の教科書を取り出して、音楽ホールへと向かった。
「クソッ!!なんで俺は今年シンと同じクラスになれなかったんだよっ・・・!!」
残された男子生徒は、今さらな事に文句を言っているオミの方を見て怯えながら言った
「あの・・・自分のしたこと、ちゃんと言えないですみませんでした。こんな騒ぎまで起こしてしまいました」
恐ろしいあまり、同級生なのに敬語だ。
「・・・ッチ!悪かったよ、短気だからお前が喋り出すまで待てなくてよ!!」
周囲の生徒も事が収まった為、次の授業に向けて準備をし始めた。
「本当、オミってすぐ熱くなるよな」
「俺からしたらすぐに助けに入るスズも変わらないよ
・・・なんでそう、熱くなるかね」
そう言ったシンを、窓の外の樹に居る獣が見ていた。