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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

兄に負けない恋愛法則

作者: 鈴藤 汐

「ほら、今日も作ってきてあげましたよ!」


 彼女専用の花柄風呂敷に包まれたランチボックスを手渡すと、周りに花でも散らしそうな勢いで彼女は笑った。


「ありがとう! やっぱりあなた、私のこと好きなんでしょ」

「違いますけど。違いますから!」



 最初はただの復讐のつもりだった。


 私の兄と同じ学年の彼女は、あんなに素晴らしい兄の一世一代の告白を「無理」の一言でぶった切った。その後、兄は一か月ほど地に埋まるほど落ち込み、それから「もう女なんて信じられん」と言って、家を飛び出した。引き留めた私を睨みつけた兄は、優等生ともてはやされていた頃の面影なんてまるでなく、こけた頬が痛々しかった。


 だから、兄の代わりに私が、相手を苦しめてやろうと思ったのだ。

 私は飛び出した兄を全てのコネを使って見つけ出し、浄土宗の僧侶になろうとしていたところをすんでのところで割って入り、兄にある提案をした。彼女をどん底にまで突き落とす、恐ろしい提案だ。詳細を話すと、兄の顔にはどんどん生気がみなぎってきた。僧侶にふさわしくないほどの煩悩が目の中にきらめいていた。だから私は、私と兄のために兄の手を存分に借りて、現在進行形で彼女にその作戦を実行している。



「こんにちは。今日もとってもいい天気ですね。ということで、今日のお弁当はこちらです」


 三年生の教室に入るのも、もう慣れた。なんてったってもう三か月間、彼女の元へ通い続けているのだ。慣れない方が無理があるというもの。

 いつものように席に座って私を待っていた彼女、沢渡先輩は、私が教室に入るのを見つけるな否や、ぱあっと目を輝かせた。


「こんにちは、愛理ちゃん! この時間を待っていたよ。今日のメインは、なあに?」

「今日はちょっと寝坊しちゃったので、オムライスです。おかずを入れられなかったんですけど、大丈夫ですか?」

「寝坊なんて珍しい。私はどんなご飯でも、愛理ちゃんが作ってくれるならなんでもいいの。それより愛理ちゃんこそ大丈夫だった? 遅刻してない?」

「ええ、なんとか」


 先輩は毎日、私が作ったとされているお弁当をそれはおいしそうに食べてくれる。しかしこの私、家庭科の成績は万年二なのだ。先輩の舌がおかしい? そんなわけない。このお弁当は誰が食べたっておいしいに決まっている。


 だって、毎日お弁当を作っているのは兄だからだ。

 寝坊したのも、お弁当を作ったのも兄。

 先輩がわくわくしながら広げているランチボックスを包む風呂敷を作ったのも兄、お弁当を毎日洗っているのも兄!

 つまり私は、先輩にお弁当を届ける以外は何もしていない。

 これこそ私が考えた最強にして最恐の作戦、『振った相手のお弁当を毎日食べさせる作戦』である。

先輩には私がそれとなーくお近づきになり、どうやらお昼ご飯の調達に毎度苦労しているらしい(なぜか購買のおばちゃんはご飯を売ってくれず、自分で作るには技量が足りず、かといって前日にか買おうとすると何かしらの妨害が入るらしい。実は全て、私のコネによるもの……ゲフンゲフン!)ことを聞き、「私、好きな人にお弁当をあげるために今料理を練習してるんですよ練習台になってくれ」と頼み込んだ。


 我ながら素晴らしい作戦である。

 そして、これに大して疑いもせず「食事代なら払うからお願い!」なんて抜かしやがった先輩は相当のお人よしか、お馬鹿さんだ。いや、兄を振っておいてお人よしなわけがない。前言撤回。ただの馬鹿である。

 先輩は私が作ったものと思い込んで毎日のようにお礼と称したお菓子をくれるし、隙あらばお弁当代をポケットにねじ込もうとしてくるが、丁重にお断りしている。お金をもらうなんて、ギブアンドテイクの関係じゃないか。私はただ、完全なる悪意で彼女を陥れたいのだ。


 そういうことで、このお弁当は私のポケットマネーで成り立っている。地味に懐が痛い。

 それでもなお、こんなことしているのは、兄のためというよりは、ほぼほぼ私怨である。

ああ、今日も兄を振ったその口で兄特製のオムライスを食べている…………頬を緩めて、一口ごとにおいしいおいしいと言っている…………。見てますか、お兄ちゃん。あなたを振ったこの女に、妹が今、世界で最もえげつない復讐をしています…………。

 兄はまだ未練があるのか、作るたびにちょっと悲しそうな顔をして、「喜んでくれるかな……」とか呟いているけど。もうそろそろ目を覚ませばいいのに。我が兄ながら、女性の好みだけはよろしくないなと思ってしまう。

 私が兄に想いを馳せているうちに、お弁当を空にした先輩が声をかけてきた。


「ねえ、愛理ちゃん。そろそろお弁当をもらってから三か月、なんだけど。好きな人との関係はどうなの」

「え、はい、まあ順調ですよ。いい感じです」

「そう。なら、もう教えてくれてもいいんじゃない? その人の名前」


 しまった。好きな人なんてテキトーな嘘をついてしまったがために、先輩とは「好きな人といい感じになったら相手が誰なのか教える」という契約を結んでしまっている。「いい感じ」なんて曖昧な表現を使ってしまった過去の私を今、猛烈に恨んでいる。誰だよ好きな人って。私知らないよ。

 先輩はどうしてか、期待に満ちた目で私を見ている。よっぽどコイバナが好きなのかもしれない。恋多き女とは思えないけど、人の話を聞くのが好きなタイプか。厄介だ。こういうタイプは「気になったことを聞けない状態」の時に恐ろしい威力を発揮する。下手すると、私の作戦全部がばれてしまう可能性だって秘めている。


 まあ、もう三か月だしなあ。ここら辺が潮時だろうか。

 兄に相談しないまま、というのはいささか申し訳ないのだが、当初からだいだい三か月とは話していた、と思う、多分。

 ということで、急遽、私の中でこの作戦を終わらせることを決意した。


「先輩、私、明日になったら話します。だからそれまで、心の準備をして待っていてくれますか」


 慕っていた(自称)後輩に裏切られる心の準備をしておくがいい!

 意気込んで先輩の顔に近づいて宣言すると、先輩は「へ」とひっくり返った声で返事をした。いつものような飄々とした先輩はどこへやら、首まで真っ赤にして視線を泳がせている。…………コイバナ好きのくせに、うぶなのかな?


「先輩、駄目ですか」

「いいいいいや、うん、駄目じゃないけど! こ、心の準備ね…………うん、して、おく、ね?」


 語尾がどんどん小さくなっていった。困ったなあ。こういう人間っぽい反応をされると、この作戦に対する罪悪感とか、あとどこかよく分からない肝らへんの臓器が痛むからやめてほしいんだけど。

 とにかく、これで退路は断った。あとは私が悪女になる心づもりをして、明日、全てを説明するだけだ。そうしたらもう、兄を毎朝叩き起こしてお弁当作りさせずに済むし、私の懐が寂しくなることもないし、三年の教室まで通わなくても、先輩の顔を見なくてもいい。


 人はある行動を二週間続けると習慣になるという。とはいえ、私が今感じている寂しさは、先輩と会えなくなるからではない。兄との接点が減ることに対してだから、断じて先輩は関係、ない!

 先輩が変な声をあげる隣で、私は悶々と明日とそれ以降の想像に頭を悩ませていた。



 翌日、昼。私はランチボックスを手に、先輩の教室の前で仁王立ちしていた。

 兄には昨日説明した。しかし、


「やだなーーー、俺の予想が当たってたら最悪だ…………。今度こそ出家するしかない…………」


 と、若干生えてきた髪の毛をむしって落ち込まれた。兄が出家するのは何を犠牲にしても止めなければならない。あの女関係ならなおさらだ。


「お兄ちゃん、お兄ちゃんを悩ませる悪い女は、私が明日、成敗してくるから。だから安心して大学に行ってね」

「お前はそう言うけどさあ…………」


 涙目で見つめられた。兄は坊主でも相変わらずかっこいい。心配するな、兄よ。あなたの妹は、立派に育ちました。必ずや、成果を上げてみせます。決意を込めて見返すと、「絶対分かってない……俺、どうしたら……」と余計に落ち込んだ。なぜだ。

 まあそんなことはあったにせよ、ここまで来たらやるしかない。私は兄の妹なのだ。腹をくくった妹に二言はない。

 大きく息を吸い込んで、教室の引き戸に手をかける。そのままゆっくりとスライドさせて、教室に踏み出した私の足は、止まった。止まらざるを得なかった。


 それは、まるでモーセの海割りだった。

 私が入った瞬間、教室の生徒は皆ぴたりとお喋りをやめて、一本の道を作る。なぜ机が全てどけられているのか、生徒が集まっているのか、そんなことは些細な疑問だ。私はモーセだった。そしてその道の先には、先輩がいた。もじもじと乙女のように恥じらう、先輩がいた。


 …………なんだろう。何も分からないけど、何か重大な勘違いをされている気がしてならない。何、あの先輩のピンクなオーラ。もしかして、集まってる他の先輩方は見世物かなにかを期待しているのだろうか。いや、私の悪事を知らしめるためにあえて先輩が集めた線もある。分からない、これは一体、何…………?

 一度、状況を整理したい。そう思った私が一歩後ろに下がったことに気づいた先輩は、急に大声を出した。


「あ、愛理ちゃん!」


 必死である。私はもちろん、先輩も必死の形相で叫ぶ。


「本当はあなたの話を聞いてから、私の気持ちを伝えようと思ってた…………でも、駄目。後輩にリードしてもらってばかりじゃ、先輩の名が廃るわ。だから、先に言わせてくれる?」


 ちょっと、ちょっとというかかなりタンマ、待って。この言い方、表情、それってまるで――


「愛理ちゃん、私と、お付き合いしてください!」


 静寂が流れた。

 私は、動かなくなった脳みそを使うことを放棄した。

 しかし、口からはぽろっと言葉がこぼれた。


「…………む、」

「む?」


 先輩が、唾を飲み込む。

 群衆が、息をひそめる。

 私は、息を吸った。


「無理っっっ!」

「愛理ちゃん!」


 先輩と群衆の悲鳴が響く教室を背に、私は走った。走って、走って、自分の教室に着いたときにはすっかり息が切れてしまっていた。

 こっそり自分の席に戻ってから、ランチボックスを持って帰ってきてしまったことに気づく。この中身は、初めて本当に私が作ったご飯が入っているのだ。本当は、これを食べてもらって、「今までは兄が作ってました! ドッキリ大成功! ざまあみろ!」と高笑いする予定だったのに、どうしてこうなった。計画倒れどころではない。もう一生、先輩の姿なんて見たくない…………。


 机にへばりついていると、友人がいつもより早い帰りに驚きながらも話しかけてきてくれた。

 そして、こんな私と渡せていないランチボックスを見比べて、不思議そうにこう言うのだ。


「どうしたの? 顔、真っ赤だよ」



 先輩が私を、その、好いているというのは、学内ではかなり有名な話だったらしい。そして、私の方もその、んん(言わせないでくれ)だと思われていて、要するにあの日のあれは、両想いな二人がついにくっつく! と銘打たれて集まったガヤと、何をどう勘違いしたのか告白されるより告白してやる、な意気込みで待っていた沢渡先輩とで構成されていたとか。


 そして後日、もう一度特製の弁当を持って再挑戦に行った私は、衝撃の事実を耳にする。


「いつものお弁当がお兄さん作? そんなこと、知ってたよ?」


 つまり、先輩は「自分を好きな後輩が、好きな相手に料理を振る舞う練習という嘘で近づいてきて、しかも兄にお弁当を作らせて自作発言していた」と思っていたという。何その健気な子。私、そんな子じゃない。


「お、おいしいって毎日言ってたじゃないですか! それなら、なんで兄のこと振ったんですか! 後悔してないんですか!」

「お兄さんと付き合ったら、愛理ちゃんは妹になっちゃうじゃない。好きな子が身内なんて、冗談じゃないもの。それに、あなたが料理下手なことは、昔お兄さんが言ってたし」


 あの作戦は、最初から意味などなかったということだったのだ。それどころか、兄が最も恨むであろう人物は、あろうことか、この私だった。なんてことだ、私は兄の恋敵だったのだ!

 打ちひしがれる私の耳元に、先輩がそっと囁いた。


「ね、愛理ちゃんだって、私のこと好きでしょう?」


 あの乙女な先輩はどこへ行った。あんなにうぶな、うぶな反応をしていた先輩はどこへ…………。頭がくらくらしてきて、つい頷いてしまいそうになる。

 いや、負けるな私。私は兄を二度と出家させたりしない。

そう、何を犠牲にしても、だ。


「私、また待ってるね。愛理ちゃんが、今度は自分でお弁当を作ってきてくれること。付き合ってくれなくてもいいから、ちょっとでも悪いと思うなら、ね」


 私は悪女になると決めたのだ。今更、今までの悪事を許してもらおうなんて、そんなこと思うわけないし、先輩とは金輪際お近づきにはなりません。

 顔をあげると、言葉と裏腹に不安そうに眉を下げる先輩が目に入った。彼女は感情が言葉よりも表情に出るタイプなのだ。まずい、流されないようにしないと――。

 先輩を捉えて、はっきり、ゆっくり、その言葉を口にした。


「仕方ないですね……」


 あっ、間違えた。



 昼休みを告げるチャイムが鳴った。

 私はランチボックスを二つ持って、教室を出た。階段を上って、三年生の教室に入ると、待ち人が私を見つけて華やかに笑った。


「待ってたよ、私の恋人。今日は何を作ってくれたの?」

「まだ付き合ってないから!」


■余談


「どうしてお弁当作戦は、三か月っていうくくりだったの?」

「細胞が生まれ変わる周期は、骨が最長で三か月だそうです。ということは、三か月間、三食の内一食を兄が作れば、三分の一は兄と同じ組織で作られていることになるわけです。兄も昼食は同じものを食べているので。振った相手と体内構造が三分の一同じって、結構嫌じゃないですか?」

「なるほどね。でも、それじゃ私と愛理ちゃんも三分の一は同じってことよね。愛理ちゃんも同じもの詰めたお弁当、食べてたでしょ?」

「…………」

「気づかなかったのね…………」


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