1s(仮)
投稿頻度がまちまちになってしまいますが、宜しくお願いします。
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電車内で寝過ごした事に気付いたのは、到着のアナウンスと停車音を朧気に聞いた後だった。
もう車内には僕以外誰もいなくなっていて、点滅している蛍光灯や扇風機の温い風が運んでくる埃っぽい座席のにおいとかが一人でいる時独特の変に緊張する雰囲気を増幅させていた。
席から立ち上がって鞄を背負い、扉の開閉用釦を押す。開くと蛙の音が車内よりも大きく聞こえて蒸し暑い空気が全身を包み、古びた駅と電車、線路の向こうにあるトンネル辺りにしか明かりが無い事も相まり、夜がすっかり更けてしまった事を改めて自覚させられた。
「違う駅…」遠出をしていたから疲労が溜まっていて、景観も似ていた所為か駅を間違えたらしい。振り返っても遅く、既に出発した後だった。
幸い明日明後日に予定は無かったけれど、道に迷って事態をややこしくするのは面倒だったし、夜道も怖かったので身動きが取れず視界に入ったベンチに腰掛けた。
仕方なしに読みかけの小説を取り出して読み始めたものの、もう六割がた読み終えていたので時間つぶしにしかならないだろうけれど、何もしないよりはと紙の端をなぞった。
数十分は経っていただろうか。
読み終わり、本を閉じて鞄に戻そうと左を向くと、ブレザー制服の様な服を着た幼げな少女が座っていた。
声を上げそうになったので、失礼になると息を飲み込んで抑える。
さてこれからどうしようか考える動作として周辺を見る振りをしたけれど特に何も閃かず、正面に向き直り夜空を眺めるに収まってしまった。
ものの試しに、視線だけ向けてみる。
「………」
無関心どころか凝視されていた。
しかも口を開きかけてやめたり、僕の肘辺りの服の弛んだ所を引っ張っては離し、肩を叩いたりといった動作を一定の間隔でし続けているから、何か要件が在るのかも知れないとも知った。
「えっと」だから視点を正面に戻してから数秒、こちらから話しかけようと思った。が、よくよく考えたら自分の自意識過剰さが齎した妄想なのではないかと言葉を止めた。
僕は自分の記憶が信用できないので気になった一つの事を現実的に在り得ない辻褄の合わない想定でも何時までも何回も確認する癖があり、それは切っ掛けさえあれば他人にも適応された。過去にもそれが原因のトラブルが数度あった(答えを得られても自分の記憶が信用できずに同じ質問を何度も繰り返してしまったりしていた)から不安になる。
なので何度も確認したけれど、答えはどうしたって同じだった。
というか成人した人間に話しかけられる体験、挙動不審な人間に話しかけられる体験はこの子のような年代にとっても十分に怖いのではないだろうか。例え本当に話しかけようとしていても自分からではないとやっぱり何でもない、と遠慮が生まれてしまい伝えられなくなってしまうのではないだろうか。
「………………。……」
「…ごめんなさい。気になって」
そんな思慮とも呼べない独善の所為で言葉の途切れ方が不自然になってしまい、こんなぶっきらぼうな繋げ方をしてしまう。どう弁明をすべきかを考えている内に彼女からの助け舟が渡ってきてしまった。
「…あなたは」
「?」
「どこから来たの?」
返答だった。まるっきり予想外の展開で思考が止まる。疑問形とはいえ、あの語り口で話しかけてくれたのは何故なのか。失礼を承知で言うのならばまるで解らなかった。
「…都心から」だから辛うじて働いた脳細胞がフル稼働して導き出したのは区域のみを答える具体性ゼロの回答だった。加えて無意識間の警戒をしている事にも後々気づいたので、その思考を巡らせた事に後ろめたさを感じた。
「ここから離れた方がいい、よ」
「さっきのが最後の電車で、帰るに帰れなくて。だから朝を待つことにしているけれど…」他人が怖いから宿を探したくない、とまでは言えない。
「でぐ……。経路…?教える?」
「経路…」駅というのは通常鉄道等交通機関において列車が停車する場所を指しているから外に出る為という使用法としては間違いはないけれど、道や道のり、当人が言いかけたような出口という単語ではなく経路と態々表現したのに少し違和感を感じた。
それに親御さんも見当たらないのが一番不可解だった。僕のする予想だから実際は違うのだろうけれど、8~10歳程の児童を一人深夜の無人駅構内に放置しているように見えるのでおせっかいでも心配してしまう。
「有難う。確かにずっといたら良くないから、人に気付いたら直ぐ違う場所に行くよ。……君は誰か待っていたりする?答えたくなかったら…」
「……待ってるひと、いない。出られないだけだから」
「ん?」
「ここから出られないだけだから」
「…」
「ここに閉じ込められてるの。お母さんとお父さんに。それにあなたも一人じゃ出られない。わたしが案内しないと、いけない」
「……」
反応に迷う。知らないタイプの監禁をされているのかも知れない、想像力が豊かな子なのかも知れないと理解した気になって穏便な会話を進めるしかないのはそうなのだけれど、その仕方が全く分からない。
一番いい案は話を合わせる事だけれど、だとしたら絶対に狼狽して不自然さを勘付かれるだろう自信をどうにかして崩すしか無い。
無反応を決め込むのはもっといけない。彼女が傷付く。
「どうして?」だから気付かれないように首を振り、話だけでも聞く事にした。後悔くらいはした方がよかったかも知れないとしても遅いのだろうなと、彼女の現状を脳内でまとめていった。
省略したのは以下の情報を余さず記すのは躊躇われたからだ。
「身体がないから」
先ず今の彼女自身に肉体は存在していない、生者ではないらしいという事。
また生前では人ですらなく蛇の血が混ざる怪異に近い存在だったという事。
娘を愛している両親は殺されてしまった事実を受け入れなかったという事。
霊体である彼女の肉体を生成するまで『箱』という空間を作ったという事。
本来であれば彼女以外の個体が空間に存在する事は不可能な筈だという事。
「それは…」
更に不安要素が増えた。深夜徘徊を許しているのを前提にしなくてはいけないのに加えて、答えてくれた情報が例え妄想だとしてもどんな年齢であったとしても過激すぎたからだ。それに状況上この項目の中に彼女がした現実の脚色が決して無いとは断言し切れない。それとも、僕の考え方が旧過ぎるのだろうか。
「でも寂しくないの。おじいさん、いるから」
「おじいさん?」
「ほら、そこの」
彼女は電車が入ってきたトンネルを指差した。そこには常設されているライトに微かに照らされている人影があった。
「あのひとが遊んでくれたり勉強教えてくれたりしたの。だから外のこととか、いろいろ知ってる。この格好も勉強して選んだんだ」
「そう、なんだ」じゃあ、と彼女の表した一般知識の度合いを素人なりに、雑談を交えて質問した。結果が偏りの無い、少し旧い時代のものである以外は全く問題無かったものであったとしても最悪の想定は何時だってした方がいいと思ったからだ。
質問を終えた後、雑談の延長線上で少女は気になる事を話してくれた。
「あ」
「?」
「ここに居たかったら居てもいいけど、ひとりで外に出ようとはしないでね。死ぬから」
「は?」控えていたけれど、矢張り諭すべきだろうか。
「この前来たひとたちはわたしの話を聞いてくれなかったけど、あなたは聞いてくれるから。教える」
「…」
「蛇、いるの」
「へび」
「喰べられちゃうんだ。毒で弱った所を呑むの」
「御伽噺?」
「本当の話。……見る?」
「いるの?」
「いるってば。…来て」
「…」そう言われて手を引かれ、ホームから改札、駅の外に向かった。
出られるじゃないかと思った時、それは聞こえた。初めは蝶番や風の音かと思ったけれど聞いてくうちに人の呼吸音だと判った。
「…………ぃ」
「何か言った?」
「言ってない。蛇、来た」
「えっ」
「手、離さないで。わたしといるから何もしてないけど、離したらあのひとたちと同じになる」
「…、………っひゅっ」
指を指すその先に、いた。
死体が。白骨化したものが、その尾から生えていた。というより骨で尾が構成されているといった方が近いかも知れない。自重を支え、移動する手段として使っている。
上半身は人間だけれど、腕が二本ではなく六本になっている。生えているというよりは繋げられているといった印象。手首から先が自力で動かせないのか、だらりと人形のように腕の動きに合わせて揺れている。
鼻孔と目の間に穴が開いている。眼球の虹彩は烏に凝固した血液を隅々まで塗りつぶしたような黒色で、左目は僕たちを、右目は僕たちから見て左側を凝視していた。それと対照的な白髪は腰まであって、刃物の様だった。
目が合った。近づいてくる、無意識に短く息を吸う。目を背けられなかった。彼女の顔に表情筋が硬直する。
「綺麗」
「…」なんて言った?きれい、と聞こえた。のだろうか。錯乱している、僕は。何を。
彼女はそうすると離れて行って、そのまま道の向こうに戻った。
「だいじょぶ?」
「だい、じょうぶ。怖かった」
「そっか。ごめんね、教えてあげたくて」
「いいんだ。僕が疑い始めたことだから」
「戻ろうか」
「そうだね」
駅構内。
「気分は?」
「ん…あぁ、まあ、大丈夫だよ」
「よかった」
「あの、人は誰?」
「……、へび」
「へび、そっか」
「えっ、あ……」
「ごめん、気を付けるよ。子どもの頃はもっと素直だったんだけれどな」言葉をつないで動悸を紛らわしつつ話を変えようとしている。最初からそうだったけれど、子どもなのは僕だと解らされる。
「そうだ、時間」そんな疑問から携帯の電源を入れようとすると、持っていたそれが視界から消えた。正確には消えたと見紛う程の速度で彼女が僕の手の内を払っていた。後から蝕むような鈍痛が広がる。
「えっ」
「あ、ごめんなさ、その。あっ、手、痛む、ごめんなさい。携帯。壊れ、携帯」
そう言いながら携帯を拾い、鑑定するように損傷個所が無いか確認している。
罪悪や警戒よりも先ず思ったのは心配だった。外部に連絡を取ろうと試みる仕草に見えたからだろうか。いずれにしても彼女を不快に思わせてしまう行動をとってしまった。
「ごめん、ね。君の気分を害そうとしたわけじゃないんだ。その、直すから。だから、理由さえ教えてくれれば、直せるから」
「だ、大丈。あ、じゃなくて。こちらこそ急、ごめんなさい」そう言って手渡す声は震えていた。
「い、いえ」
「時計、というより。時間を知る事が怖くて、昔から。具体的に何時からだったのかまでは、思い出せないけれど」
「そうなんだ」理由を訊こうとして、対応から深層に触れると止める。
「……」
「……帰、ろうかな」何も知らず不躾な態度をとってしまっていた恥じらいも、単純な怯えもそうだけれど、上辺だけ装っても僕は性格上ここに居ると彼女を傷つけるだけになってしまいそうだった。
取繕わずに短くすると、決め付けとしても思考を放棄して逃げたかった。
「そう、する?」
「お願いしてもいいかな」
嘘ではないけれど、嘘を吐いた気分になる。
「そっか。…じゃあ案内するね。線路に降りるから、怪我しないように気を付けて」
「有難う」
トンネル内、線路上。
「ありがとう」
「え?」
「もう会えなくなるから、今のうちに。話してくれてありがとう。久しぶりだったから、嬉しかった」
「……ごめん」
「どうして?」
「あ、その。さっき遮るようなことを言ったから」
「気にしてないよ」
「そうかな」
「…そこの自動車、あるでしょ。未だ動けていたら煙草を吸っている筈だから、それに乗ってるひとに場所を教えて、森さえ抜けられば必ず連れてってくれる」
「その手…は?」
彼女の手の甲が微粒子の様なものを出しながら炭化していく木材のように黒く変色し、骨が浮いてきている。
「ここから出るとわたしはいなくなるから。漫画みたいな比喩だけれど、いなくならないようにする為の籠みたいな場所だから、そうなるとここもわたしもいなかった事になる。……解り辛くてごめんなさい」
「…」ある訳がない可能性が脳裏に過っていた。違和感を感じていないのが違和感であるのもそうだけれど(異常を異常と感じられないのはファンタジーを取り扱った娯楽作品に触れ過ぎた過去があるので、その弊害であると説明はつくからいいとして)、身体の失い方が余りにもあの人に似ていた。
「それに、したい事もある。今は死にたくないから、ごめんなさい」
「…そっか。無茶なこと訊いて、こちらこそごめんね」
トンネルの向こう側、電柱の直ぐ傍に誰かがいる。暗いから推定だけれど身長は170cm前後、スーツを着た男性が軽自動車に寄り掛かっていた。
「…」
その更に向こう側の道端から蹲り蠢く骨の音が聞こえ、繋いだ手に少し力が籠ってしまうのに頬を赤くしながら通り過ぎた。
「この音は?」
そしてその他にも太鼓、鈴と笛の音が聞こえる。明暗の連続の上に鳴るそれが周囲を微睡せている様で頭痛がする。
花火の煙の匂いがした。誰かが不乱に謡に似た言葉を、祈るように唱えている。
「警報、みたいなもの。本当は住んでた処のお祭りだったの。通ろうとするとどんどん大きくなるから、向こうにいってしまわないようにしてくれてるんだと思う」
「向こう…」
「そう。向こう」
「そっか」
「……この先。そのまま真直ぐに歩けば日本国内の駅だと、かたす、すたか?駅と。……後は残ってたら、附代駅に出るはずだから」
「大体どの辺にあるの?」
「【プライバシー保護の為、具体的な位置情報(地方名、駅名)は本文内では伏せさせていただきます。】の辺り、かな。その駅からもかなり歩くけれど、知ってる駅はその二つだけ」
「…」
「何処にでもあるし何処にも無いみたいな処だから、限定した場所の指定は出来ないの」
「そっか、有難う」
「こちらこそ。…気を付けてね」
そして僕は別れを済ませ、スニーカーを履いていた事を気休めに線路を辿っていった。
読んでいただきありがとうございました。次回も宜しくお願いします。