成約
本日2話目です。
その翌日。
「では、この内容で問題ないかな?」
昨日の口論が嘘のように、ヒルデマン父娘がニッコニコな笑顔で俺に書類へのサインを求めてくる。あの後、いったい何があったのだろう。
どんな話し合いがなされたかは、恐ろしくてとても訊くことなんてできない。
「えー……。今回は騙されてないんですよね?」
昨日の今日でそんなことはない、……と思いたいが、どうにも信用できないので、念のため確認する。
ユリアンは、大事なことを言わないだけで、聞いたらきちんと答えてくれるのだ。
「勿論だとも」
ユリアンはもっともそうに頷いてみせ、
「お父様はともかく、私がそんなことすると思う?」
ユリアーナは他人をこき下ろして、相対的に自分を上げようとする。
表面上はニコニコしていても、机の下で足の踏み合いをしていそうだ。
そういうところが信用できないのだが……。
書類をよく読んでみたが、今回の契約に関しては問題なさそうだ。
魔法陣の用途に関しても俺の要望通りに制限されているし、権利関係その他諸々に関しても問題なし。
昨日のガバガバ契約書が嘘のように、ガッチリと隙なく固められている。
流石はヒルデマンと言ったところか。
というのも、昨日ユリアーナに散々お説教されたのもあって、ヒルデマン公爵家について一通り調べてみたのだ。
公爵家の興りは100年以上前に遡る。
当時の公爵家はとある都市国家の国主で、交易路の一大拠点であったため、かなり栄えていたらしい。今のシンガポールみたいな感じだろう。
しかし、周辺諸国の隆盛に伴い独立を保つことが難しくなった。そこで、初代ヒルデマン公爵はトラディツィオ王国に編入することにしたのだ。そんな経緯もあって、王国中枢の政治的な地盤は皆無、されど家の性格から金だけはあるという、歪な貴族になってしまった。
編入時の交渉がまたヤバかったらしく、初代は周辺の大国相手に口と金とで立ち回り、最終的にもっとも好条件を引き出せたトラディツィオに編入することにしたのだとか。で、権威に見合わない公爵位も、その条件の一つだったらしい。
さて、そんなヒルデマンの血筋は、現代にも脈々と受け継がれているようだ。昔から金とか契約とかにはうるさかったのだろう。
とはいえ、そんな家系からある程度の譲歩を引き出せたのだ、とりあえずはこの条件で行こう。
「じゃあ、この内容でお願いします」
机の上の羽根ペンを手に取り、インクを付けて契約書にサラサラっと署名をする。
これで契約は成された。
もう後戻りできないとなると、これで本当によかったのか、という疑問が湧いてくるが──
「よし。これからも末長く頼むよ。──これは、今月の分だ。成約祝いも兼ねて少し色をつけてある。頑張ってくれよ」
そんな疑問も、ジャラリと音を立てて机に置かれた金貨の輝きを目にすると、一瞬で霧散する。
まさか即金で渡してくれるとは……。
やはりこの人はユリアーナの父親なんだなぁ、と思わせられる光景だ。
ちなみに、この金の使い道は割と自由だ。名目上は研究支援金だが、その用途について制限するような条項は契約に存在していない。あまり外れたことに使いすぎると咎められるだろうが、多少なら生活費の足しにしても問題あるまい。
貰った金の使い道を思案していると、ユリアンが「ああ、それと」と付け足して言った。
「どうも、いくつかの商会が動いているらしい。全てこちらでブロックしておくが、直接接触しようとする輩もいるだろうから気をつけてくれよ」
「はぁ……。了解しました」
なんだか、知らないうちに大事になっていたらしい。これからが少し心配だ。




