ひとつめの出会い
結構遅くなってごめんなさい。
ここ半月も大変な日々だった。
レイチェルが倒れたことを皮切りに、定期テストの一夜漬け、果てはミーティアのお守りまで。最近は本当にハードすぎる。
とはいえ、もう7月。
あと何週間かすれば学院は長期休暇に入るので日中は暇になるし、最近はご無沙汰だった術の研究もできるかもしれない。
そして何よりも良いのが。
宿 題 が な い !!
なんとこの国、アメリカ式だったのだ。
夏休み最終日まで粘って、ヒイヒイ言いながら宿題を終わらせるのも青春の1ページではあるが、俺としては大歓迎。
もちろん成績を落とさないように勉強はするが、やはり期限というものに迫られていないとずいぶん気が楽だ。
今年の夏はどう過ごそうか。
そんなことを考えながら歩く、バイトの帰り道。
平和だ。今も隣国と戦争をしている国とは思えない。
──ぴちゃん
「ぁ……」
額に水が落ちてきた。見上げると、バイトに行った時には晴れていた空が、今ではどんよりと曇っている。
夕立だろうか。…………まあ、日本のそれとはまた微妙に違う現象なのだろうけど。
なんにせよ、本格的に降り出す前にさっさと帰ったほうが良さそうだ。
◇◆◇
とうとう雨が本格的に降り出してきた。
雨粒が音を立てて地面に叩きつけられるざあざあという音と、時折轟く雷鳴以外に音はない。
そんな人気のない路地を、結界で雨を弾きながら歩く。
こういうのも、悪くない。
濡れて黒ずんだ石畳は、家々から漏れる微かな光に照らされて街並みを鏡のように映し出す。庇からぽたりぽたりと落ちる雫は水溜まりをつくり、激しい雨がそこにいくつもの波紋を描く。そこから溢れ出した水は、小さな川となって緩やかな坂を流れ落ちて行く。
雨に打たれる石造りの建物というのは不思議と風情がある。前世のコンクリ造りにも、それはそれで感じ入るものがあったが、これはまた違った気持ちを抱かせる。
なんというか、雨に隠されたそこら辺の路地裏で、何かが起こっているかのような……。
そう。たとえば、雨に濡れそぼった家出少女が立ちすくんでいたりとか。
────。
そんなバカな妄想をしていると、雨音に混じって、何かが聞こえたような気がした。すぐそこの、小さな十字路の辺りからだ。
何だろう。
不思議に思い、少し警戒しながらも十字路に向かう。
一応まだ日中とはいえ夕方であるし、おまけにこの雨だ。あたりはもう日没後のような薄暗さになっている。電気もないこの世界では、基本暗くなってからはあまり出歩かない。なんなら日が沈んだらすぐに寝るという家もあるかもしれない。というのも、暗くなってからも起きて作業をしていると必然的に明かり──蝋燭を使うことになり、燃料費が嵩むからだ。
そんなわけで、大体の人はすでに家に帰っているだろう。俺のように帰宅途中の者もいるかもしれないが、商業街からならともかく貴族街の方から帰ってくる人間などそうそういないのではないか。
で、気になる物音の正体は────
「………………犬?」
薄暗い上に雨に濡れているせいで色は判別できないが、小さな、本当に生後間も無いと思われる仔犬と、母親──らしき成犬が道の端に横たわっていた。
まあ、不審者でなくてよかったが……。でも、この犬たち、果たして生きているのだろうか。先ほどからぴくりとも動かないし、寝るにしても場所というものがあるだろう。
とりあえず、触って確認してみる。
雨に打たれているためか、その毛はじっとりと濡れ、手のひらに熱は伝わってこない。よく見れば、母犬の方には赤黒い液体──血がこびりついていた。おそらく、怪我をしている。
「《秘めたる力以ちて傷を癒せ》【治癒】」
治癒術をかけてみるが、効果を発揮した様子はない。おそらくもう、死んでしまっているのだろう。
仔犬の方はどうだろうか。こちらにも血はついているが、臍の緒がまだついているのを見るに、出産の時についたものだろう。怪我はしていない……が、生きているとも限らない。どれほど時間が経っているのかはわからないが、できるだけそれが短いことを祈るしかない。
とにかく、ポケットからハンカチを取り出してその濡れた毛皮を拭う。
その刺激のせいか、仔犬の瞼がピクリと動いた。
「生きてる……!」
とりあえず家に連れて帰ろう。ここまで関わってしまったのだし、見捨てたりなどしたら寝覚めが悪い。犬嫌いという話は聞かないし、多分レイチェルたちも許してくれるだろう。
◇◆◇
「ただいまー」
「あ、アルベール君、お帰りなさい。濡れてない? もう夕食の準備はできてる
わよ…………あら?」
たった今夕食の準備を終えたばかりなのだろう、エプロンを着けたカティが食堂から顔を出す。そして、全身をさっと見て俺が濡れてないことを確認すると、腕に抱えているものに目を留めて。
「あらあらあらあら…………。ミーティアちゃん、タオル持ってきてくれる?」
「はぁい!」
それからのカティの対応は迅速だった。
タオルで濡れそぼった毛皮を乾かし、俺に術を使わせて身体を温めてやり、俺に温めさせた山羊の乳を少しずつ飲ませ……。
カティは俺とミーティアをまさに手足のごとくこき使い、仔犬の世話をした。その甲斐あってか、その毛皮はふさふさになり、今はカゴの中にタオルを敷き詰めた即席のベッドでぐっすりと寝ている。
そんな仔犬をよそに、少し遅くなってしまった我が家の夕食は始まった。
そして、そんな夕食のさなか。
「──で」
ふとレイチェルが食事の手を止め、ゆっくりと口を開く。
とうとう来たか……。
緊張で身を固くしながら、次の言葉を待つ。
「──あの子の名前、どうするの?」
期待に満ちた声音で、そう続けた。
「……へ?」
予想していた質問との乖離があまりにもひどかったので、一瞬何を言っているのか理解できなかった。
仔犬を拾ってきた経緯とか、そういうのを訊かれるのかと身構えていたのだが。
「あら、考えてなかったの?」
「え、ああ、まぁ……。そんな暇はなかったし」
というか全く頭になかった。レイチェルたちに詰問された時の言い訳を必死に考えていたもので。
名前、名前か……。ポチとか、そういうやつ? それとも、毛の色から──タオルで拭いたときに判明した──クロとか? なんにせよ、安直に過ぎる。
こんな感じでネーミングセンスなど皆無なので、他の人たちに考えてもらった方がいい気が。
「ごめん、名前なんてよくわからないから、考えてもらってもいいですか……?」
やはりここは拾ってきたヤツが名付けるのが筋なのだろうが、俺の壊滅的なネーミングセンスで名付けられたら犬が可哀想だ。恥を忍んで頼み込む。
「ええ、アルがそれでいいなら、ね。じゃ、みんなで案を出し合いましょ」
案外あっさりと承諾され、第一回命名会議が開始された──




