トラウマ
男爵への挨拶から数週間後。
俺は知らない間に日課になっていた、クリスとの術の実験を済ませ、家に帰ってきた。
「ただいまー」
家に入ると、俺が帰宅したことに気が付いたのか、ヴァルターが居間から顔を出す。
「お、帰ったか。ちょっと話があるから来てくれ」
真面目な感じだ。なんだろう。……まさかお説教? そんな心当たりは……あるわ。術の実験とか術の実験とか術の実験とか。
「うん」
『話』の内容が気になるが、とりあえずヴァルターに続いて居間へと入る。
居間にはレイチェルもいた。椅子に座って編み物をしている。
「あら、お帰りなさい、アル」
「うん、ただいま」
「まぁとにかく座ってくれ」
近くの椅子に座りながらヴァルターにきく。
「ああ、それはレイチェルから」
ヴァルターじゃないと。これはますますお説教説が濃厚になってきた。
ヴァルターの言葉を受け、レイチェルがやけに真面目な表情で口を開く。
「アル──アルベール、あなたに……弟か妹ができるわ! 今、私のお腹の中にいるの」
……………………………………………………。
オトウト?おとうと? あ……弟? …………え?
俺はしばらくその言葉の意味を理解できなかった。
いや、理解したくなかった。
しかし、慈愛の表情を浮かべながらまだ膨らんでもいないお腹を撫でるレイチェルの様子が、前世の母と重なる。
その姿に、理解してしまう。理解させられてしまう。
────ああ、俺はまた、一番にはなれなかったのだ、と。
「……そ、う。それは、嬉しいね」
まずい。返答としては淡白過ぎたか。
両親の表情を窺う。
どちらも拍子抜けというような顔をしてこちらを見つめている。
なんだよ、そんな顔でこっちを見るな。
「──っ! ちょっと、疲れたので」
なんだか居た堪れなくなった俺は、立ち上がり、自分の部屋へと足を向ける。部屋へ入ると、バタンと扉を閉め、扉に寄りかかるようにして床へ座り込む。
かなり、予想外だった。いや、予想さえしたくなかった、と言うべきか。
そもそも、こうなるのは簡単に予想できたのだ。
両親はまだ若いし、夫婦仲もいい。二人目ができるのは時間の問題だった。あの人たちは何も悪くない。ただ、前世のトラウマをいまだに引きずっている俺が悪いだけで。また、弟に全てを奪われるのではないか、と怖がる俺が情けないだけだ。
そもそも、まだ弟だと決まったわけではない。妹という可能性もある。それに、仮に弟だったとしても、前世のとは全くの別人だ。分かってはいる。分かってはいるのだが。
怖い。
ただただ怖い。
あの完璧さが怖い。あの笑顔が怖い。あのお人好しが怖い。あの目が怖い。
居場所を奪われるのが怖い。また『二番』になるのが怖い。怖い怖いこわいこわいこわいコワイコワイ──
──まさか、これほど動揺するとは思わなかった。たかが弟ができるということくらいで。この分では、弟が生まれた時にはどうなるか分かったもんじゃない。もしかしたら、衝動的に──
──いや、そんなことを考えてはダメだ。
ああ、くそっ。
ふと、一枚の絵が俺の目に留まる。確か、何年か前に魔術でできた穴を隠すために戯れで描いた絵。下手くそな絵だ。まるで幼稚園児が描いたような。それも当然。そうなるように描いたのだから。背景は無い。構図も、頭身も、何もかもぐちゃぐちゃ。だが、その絵の中の人は皆、笑っている。それは読み取れる。
ヴァルター。レイチェル。そして、二人に挟まれた俺。みんな笑顔だ。誰一人、泣いてなどいない。幸せそうな家族だ。そう、幸せだった。いや違う。幸せなんだ。今も。これからも。きっと、そうだ。そうに違いない。ただ、一人。一人だけ、この絵に加わるだけ。俺と入れ替わるわけじゃない。俺が塗り潰されるわけじゃない。ただ、加わるだけ。俺の居場所は変わらない。いつまでも、いつまでもそこにある。何せ、仲のいい家族だから──
いつの間にか流れていた涙を袖で拭い、壁に貼られた絵へと近づく。
近くに転がっていた鉛筆をつかみ、少し迷って、絵に描き足す。俺と、レイチェルの間。一人の、子供を。顔は描かない。まだ、描かない。
一瞬前世の弟の顔が思い浮かんだが、すぐに振り払う。
さぁ、俺の弟は、どんな顔をしているのだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「はっはっは! なんだい、つまり君は生まれる前の弟に嫉妬しちゃったわけかい!? プププッ。いや失礼。ちょっと意外でね」
クリスはなぜだか大爆笑。イラッとくる。
ぬぅ……。そうとも言えるかもしれないが、面と向かって言われると流石にちょっと腹が立つ。
「意外って、どう言う意味ですか」
「いやー、驚いたよ」
スルーすんなや。
「授業しにきたら、なんだかやけに憔悴してて、事情聞いたら居もしない弟に嫉妬! あれかい、お母さんを独り占めしたかったのかい!?」
うっせぇわ。別にマザコンじゃないし?
「あんまおちょくんないでください」
「アル、お母さんが好きなの? 私は? 私は好き?」
「あーうん、好き好き」
「ぬぅ……。じゃあじゃあ、私とお母さん、どっちが好き?」
「あー、うんと、どっちも?」
「どっちなの!?」
そこ、こっちを見てニヤニヤするな。
あーもう、さっきまでシリアスだったのに、なんでこうなる。
クリスは大爆笑、ミーティアは質問攻勢。なんなんだ、このカオスは。
クリストフファミリーはシリアスブレイカーなのか?
でも、やはりこの雰囲気が一番だ。俺の居場所はここにある。それが、しっかりと解る。それで、いいんだ。




