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酔った時だけ甘えてくる雪女上司が最高に可愛い

作者: あーもんど

 春の暖かな日差しが差し込むオフィスには、パソコンのタイピング音とインスタントコーヒーの香り、それから────氷のように冷たい上司の怒りで満ちていた。


「何……?データが紛失した……?バックアップはどうした?まさか、『取っていない』などと言うつもりではないだろうな?あれほど、データの取り扱いには気をつけろと言ったのに」


 感情の起伏が感じられない無機質な声で部下の岩井を威圧するのは営業課の課長である、白雪(しらゆき)氷乃(ひの)だった。

雪のように真っ白な肌と色素の薄い瞳を持つ彼女は腰まである艶やかな黒髪を手で払う。

顔立ちは清楚な感じで非常に整っており、大和撫子という言葉が良く似合う人だった。

でも────常に無表情なせいか、氷のように冷たい印象を受ける。なので、うちの会社では彼女のことを雪女と呼んでいた。


 外見も良くて仕事も出来るんだけど、何を考えているのか分かんなくて怖いんだよな……まあ、頼りになる上司には変わりないけど。威圧感が半端ないだけで。


「つまり、バックアップは取ってないってことだな?」


「は、はい……すみません!」


「紛失したのは全てのデータか?それとも、一部だけか?」


「ぜ、全部です……」


 蚊の鳴くような声で『すみません……』と再度謝る岩井はすっかり縮こまっている。

今にも泣き出しそうな彼を前に、白雪課長は黙ってパソコンを開いた。

冷たい無表情でカタカタとパソコンを操作する彼女はチラリと掛け時計を見上げる。


「お、おい……岩井の奴、やばいんじゃないか?」


「ついに雪女が怒り出すんじゃ……」


「あのデータって、確か今日の昼までに先方へ送る予定だったよな……?」


「そこまで大きな取り引きじゃないけど、営業(うち)は信頼がないと成り立たないから、ちょっと不味いかもね」


 ヒソヒソと小さな声で会話を交わす他の社員は自分の仕事をこなしつつ、白雪課長の様子を窺う。

この場の空気が張り詰める中、白雪課長は不意に顔を上げた。


「データのことは私の方で何とかする。だから、お前は先方に納期が遅れることを謝罪して来い。移動に時間が掛かるだろうから、今日は直帰して構わない。ただし、誠心誠意お詫びしろ。いいな?」


「は、はい……!分かりました……!」


 ガバッと勢いよく頭を下げる岩井は『今すぐ行ってきます!』と言って、デスクにある自分の荷物を引っ掴んだ。

半泣きのまま去っていく彼の後ろ姿を見送り、俺達はホッと肩の力を抜く。

『とりあえず、クビはなさそうだな』と安堵する中、白雪課長は黙って仕事を始めた。鬼のように早いタイピングでデータをどんどん打ち込んでいく。


「自分の仕事だってあるのに、大変ね。ってことで、外回り行ってきまーす!」


「僕もこれから、先方との打ち合わせがあるので行ってきますね」


「あっ!じゃあ、私も〜!」


 我先にと部屋から出ていく社員達はあからさまに忙しいアピールをする。

手伝いをお願いされる前に逃げる彼らは実に薄情だった。


 まあ、うちの業務内容は過酷だからな。他人の尻拭いなんて、誰もやらないか。


 白雪課長と共にオフィスへ取り残された俺はポリポリと頬を掻きつつ、課長のデスクへ近づく。

そして、山のように積み重ねられた資料の束を一つ手に取った。


「俺、今日は事務作業だけなんで手伝います。だから、頑張って終電までに帰りましょう」


 雪女と恐れられる上司とはいえ、困っている人を放ってはおけず、そう申し出る。

パソコンから、パッと顔を上げた白雪課長は俺の顔を見るなり、『田太来(たたらい)か』と呟いた。


 田太来というのは俺の苗字で、フルネームは田太来智久(ともひさ)である。

ちなみにこの会社は入社三年目で、営業成績はそこそこ。エリートコースとは程遠いが、わりと充実した毎日を送っている。まあ、充実した毎日と言っても、彼女は居ないけどな……!


「悪いが、頼む。データはメールを使って、私のパソコンへ送って欲しい」


「分かりました」


 手短な指示にコクリと頷いた俺はそのまま自分のデスクへと戻っていく。

そして、分厚い資料をペラペラ捲りながら、データ入力を始めるのだった。


◇◆◇◆


 それから、半日以上かけてデータの再入力を終えた俺達は真っ暗なオフィスで一つ息を吐く。

時刻は既に二十二時を回っており、オフィスには俺達しか居なかった。

定時に帰って行った面々を思い出しながら、俺は肩を揉む。


 はぁ……かなり時間は掛かったけど、何とか終わったな。終電までまだ時間があるし。よく頑張った、俺……!って言っても、やったのはほとんど白雪課長だけどな。俺がやったのは全体の三十パーセント程度だ。あの人のタイピング速度は異常だよ……だって、自分の仕事もきっちりこなしながら、やってたんだぞ?もはや、タイピングの神だろ。


 などと考える中、データの圧縮とバックアップを終えた白雪課長がパソコンから顔を上げる。

ブルーライトカットの眼鏡を外す彼女はパタンッとパソコンを閉じた。


「あとは明日の朝、先方にデータを送るだけだ。遅くまで付き合わせて悪かったな、田太来」


「いえ、少しでもお力になれたなら良かったです」


 僅かに頬を緩める俺は『やっと帰れますね』と言いながら、薄手のコートを羽織った。

退勤の準備を進める俺を他所に、白雪課長は時計に目を向ける。


「終電までまだ時間があるな────田太来、良かったら飲みに行かないか?今日は私が奢る」


「えっ?いいんですか?」


 唐突なお誘いに、俺は反射的に聞き返してしまった。

目を剥く俺を前に、白雪課長は『ああ、手伝ってくれたお礼だ』と付け加える。


 課長自ら飲みに誘ってくるなんて、珍しい……というか、初めてじゃないか?普段は飲み会なんて、滅多に来ないのに……。会社の付き合いでどうしても参加しなくちゃいけないときだって、『車で来ているから〜』とか『このあと、まだ仕事があるから〜』とか言って、お酒は絶対に飲まない。だから、てっきり飲み会は苦手なのかと思っていたが……。


「飲みの誘いはめちゃくちゃ嬉しいんですけど、大丈夫なんですか?課長って、確か車通勤でしたよね?さすがに俺だけ、飲むのは……」


「大丈夫だ。今日は私も飲む」


「そうですか。今日は課長も……って、えぇ!?飲むんですか!?」


 白雪課長の飲酒宣言に、思わず大声を上げてしまった俺は目を真ん丸にする。

申し訳ない気持ちなど吹っ飛んだ俺を前に、白雪課長はポーカーフェイスのまま『飲んじゃダメなのか?』と首を傾げた。

そのあざとい仕草に思わずキュンッとしてしまった俺は僅かに頬を赤くする。


「だ、ダメではありませんが……車はどうするんですか?」


「車……?あぁ、それなら今、修理に出している。だから、今は電車通勤だ」


「あっ、そうだったんですね」


 電車通勤なら、酒を飲んでも大丈夫か。

何より、白雪課長と仲を深めるまたとない機会だし、行くしかないだろ。


「そういうことなら、ご相伴に預からせてください」


「ああ。店は駅前のやつで構わないか?」


「はい!俺は何でも大丈夫です!」


 ビシッと敬礼して答える俺は『酒が入った時の課長って、どんな感じなんだろう?』と少し浮かれる。

そして、才色兼備の課長に連れられるまま、俺は会社を後にした。


◇◆◇◆


 それから、十五分ほど歩いて辿り着いたのは駅前にある小さな居酒屋だった。

個人経営のようで客足はあまり多くないが、それなりに賑わっている。

鼻を掠める炭の香りとアルコールの匂いに頬を緩めつつ、俺は課長と共に奥の席へ通された。向かい合うように席へ腰掛けた俺達はとりあえず、生ビールと焼き鳥を頼む。


 なんか、ちょっと緊張してきたな……。相手が上司だからって言うのもあるけど、白雪課長はめちゃくちゃ綺麗だから、周りの視線が痛い……きっと、『あの二人、釣り合ってねぇーな』とでも思われてんだろうなぁ。


 周囲から突き刺さる視線に、俺は『ははは……』と乾いた笑みを零した。

ちょっと心が折れかかっている俺とは対照的に、白雪課長はいつものポーカーフェイスを保っている。周囲の反応など、露程も気にならないようだ。


「お待たせしましたー!生二つと焼き鳥セットになります!それでは、ごゆっくりどうぞ〜!」


 バイトと思しき若い女性は注文の品をテーブルの上に置くと、そそくさと退散する。

シュワシュワと泡立つ生ビールを、俺達はそれぞれ手に持ち、目を合わせた。


「一先ず、今日はありがとう。とても助かった。今日は好きなだけ、飲んでくれ────乾杯」


 手に持つジョッキをスッと近づけてきた白雪課長に頷き、俺は『乾杯!』と復唱した。

コツンッと互いにジョッキをぶつけ合い、キンキンに冷えた生ビールに口をつける。

アルコール特有の香りとビールの苦味に目を細め、俺は一気に半分まで煽った。


「っぱぁ〜!やっぱり、仕事終わりのビールは最高ですね!生きていて良かったって感じがします!」


「……」


「課長?」


 返事のないことに違和感を覚えた俺は正面に座る黒髪の美女を見下ろす。

黙りこくる彼女はジョッキを手に持ったまま、俯いていた。一気飲みでもしたのか、ジョッキの中は既に空になっている。


 どうしたんだ?課長が無視するなんて、珍しいな……まさか、もう酔ったのか?まだ一杯目だぞ?無理して、一気飲みなんてしたからか?いや、それよりも────酔った時の課長って、どうなるんだ?まさか、怒り上戸だったりしないよな……?居酒屋に来てまで、怒られるのは御免だぞ……!?


「お、俺!水、貰ってきますね!」


 瞬時に危機を察知した俺は『さっさと酔いを冷ましてもらおう』と勢いよく立ち上がる。

避難の意味も兼ねて、早々に撤退しようとするが────不意に服の裾を掴まれた。

ビックリして、思わず立ち止まる俺は反射的に視線を落とす。

すると、そこには────俺の服をちょんっと掴む白雪課長の姿があった。


「えっと……白雪課長?申し訳ありませんが、離して貰えませんか?」


 ポリポリと頬を掻き、愛想笑いを浮かべる俺はそうお願いする。

でも、白雪課長は頑として服の裾を離そうとはしなかった。


「い……ろ」


「えっ?」


 声が小さ過ぎて聞き取れなかった俺は思わず、素っ頓狂な声を上げてしまう。

動揺を隠し切れない俺を前に、白雪課長はギュッと強く袖を掴むと、勢いよく顔を上げた。


「────行くな!ここに居ろ!」


 潤んだ目でこちらを見上げる彼女はまるで駄々っ子のようにそう強請る。

アルコールのせいか頬は火照っており、『雪女』のイメージからかけ離れていた。しかも、いつものポーカーフェイスを崩して、ムッとした表情を浮かべている。ぶっちゃけ、凄く可愛い。


 普段は表情に乏しいせいか、可愛いより美しいという言葉が似合うが、今はその真逆だ。人は表情一つでこんなに印象が違うのかと驚くくらい、めっちゃ可愛い……!ギャップ萌えで今にもやられそうだ……!主に俺の心が……!


 珍しく感情を露わにする白雪課長に、俺は『なんだ、この可愛い生物は……!』と頭を抱える。

ニヤけそうになるのを必死に堪える俺の前で、白雪課長は服の袖から一旦手を離した。かと思えば、ガシッと手首を掴まれ、そのままグイグイと引っ張られる。


「田太来はこっち」


「え?あっ、はい。お邪魔します」


「ん」


 完全に課長のペースに呑み込まれた俺は促されるまま、彼女の隣に腰掛けた。

ニコニコと機嫌良さそうに笑う白雪課長は俺の肩にコテリと頭を預ける。

あまりの急展開に思想が追いつかない俺は一分ほどポカーンとしていた。


 え……えっ?なんだ、この状況……めちゃくちゃ最高なんだが?俺は今日、死ぬのか……?


 神展開と呼ぶべき状況に呆然とする俺はチラリと隣に座る白雪課長に目を向けた。ちょうど、あっちも俺を見ていたようでバッチリ目が合ってしまう。


「ん?なんだ?」


 上目遣いでこちらを見上げる白雪課長は花の綻ぶような笑みを浮かべる。

その破壊力はまさに最強で……早くも俺の理性という名のHPが0になりそうになった。


 くっ……!可愛すぎる……!こんなのただの天使じゃないか……!


 庇護欲を誘う白雪課長の仕草と笑顔に、俺はノックアウト寸前だった。


「田太来、あれが食べたい。あーんしてくれ」


「あっ、はい。分かりました……って、あーん!?」


 当たり前のように『あーん』を強請ってくる白雪課長に、俺は思わずノリツッコミを入れてしまう。

とことん甘えてくる雪女上司を前に、俺はタジタジになっていた。


 い、いいのか……!?これは合法的に許されるのか……!?


「田太来、早くしろ。お腹空いた」


「は、はい……!」


 普段の上下関係が染み付いているせいか、俺は強請られるまま焼き鳥に手を伸ばす。

安全面を考慮し、一旦焼き鳥から串を外してから、割り箸で肉を掴んだ。

『本当にいいのか……?』と悩みながらも、空腹を訴える天使様に箸を向けた。


「ど、どうぞ……」


「ん。ありがとう」


 ハムッと一口で肉を食べた白雪課長は満足そうな顔で口を動かしている。

もぐもぐと咀嚼している姿すら、可愛くてしょうが無かった。

ドクドクと激しく脈打つ心臓を必死に宥めながら、俺は口元を押さえる。


 何で白雪課長が頑なに酒を拒んできたのか、分かった気がする……。酒の入った課長はあまりにも可愛すぎる!その上、無防備!この人の甘え上戸は危険だ……!


 可愛いという感想しか湧いてこない甘えん坊な上司に、俺は『平常心、平常心……』と自分に言い聞かせる。

これは酒のせいだと割り切り、何とか理性を保とうとする中────白雪課長はとろんとした目をこちらに向けた。


「田太来」


「は、はい!」


「今日は……いや、いつも助けてくれてありがとうな。本当に感謝している」


「えっ……?」


 穏やかに微笑んで感謝の言葉を口にする白雪課長に、俺は大きく目を見開いた。

お礼を言われることは今までにも何度かあったが、ここまで心の籠った……いや、違うな。普段の言葉にも感情は籠っている。ただ、それを感じられないだけで……。


「お前はいつも優しくて、周りをよく見ているよな。困っている人が居れば、さりげなくフォローに入ってくれる。それに人当たりもいい。無愛想な私のことも色々気遣ってくれて……嫌でも惹かれてしまった」


 スルリと俺の頬に手を滑らせる白雪課長は桜色の唇から、聞き捨てならないセリフを吐いた。

『勘違いしてはいけない』と思いつつも、俺の胸は高鳴ってしまう。

色素の薄い瞳をじっと見つめ返し、俺はゴクリと喉を鳴らした。


「田太来智久、私はお前のことが────」


 そこで一旦言葉を切った黒髪の美女は桜の花がパッと咲くように美しく微笑んだ。


「────世界で一番大好きだ」


 ストレートに伝えられた愛の言葉に、俺はカァッと赤面する。まだ夏は先だと言うのに、体が火照って仕方なかった。

庇護欲とはまた違う、別の感情が胸の奥から湧き上がってくる。


「あ、あの!白雪課長、俺……!」


 勢いに任せてこのまま言ってしまおうと、白雪課長の顔を覗き込む。

だが、しかし……仕事疲れとアルコールでもう限界だったのか、課長はスースーと気持ち良さそうに寝息を立てていた。

無防備に寝顔を晒す彼女に毒気を抜かれた俺は『はぁ……』と深い溜め息を零し、一旦冷静になる。


 まあ、よく考えてみれば、酔っている相手の告白を鵜呑みにするのも変な話か……酒の勢いでつい言ってしまったってこともあるだろうし。そもそも、才色兼備の課長が俺みたいな平社員に好意を抱く訳ないよな。ちょっと浮かれ過ぎていたかも。


「よし!今日のことは忘れよう!そんで、明日からまた普通に仕事する!」


 全てなかったことにしようと決意し、俺は─────芽生えてしまった恋心(・・)に蓋をするのだった。


◇◆◇◆《白雪氷乃 side》


 部下との飲み会を終えた翌日の早朝────私は女子更衣室の中で一人悶絶していた。

と言っても、周りからはただロッカーの整理をしているようにしか見えないが……。でも、内心は全く穏やかじゃなかった。


 うぁぁぁああああ……!!昨日の私は一体、何をやっているんだ……!!酒の勢いで告白してしまうなんて……!!


 酔っても記憶に残るタイプの私は昨日の出来事を振り返り、『最悪だ……』と嘆く。

この胸に渦巻くのは田太来への申し訳なさと後悔だけだった。


 ちょっと酒の力を借りて、田太来との距離を縮める筈が、こんな事になるとは……絶対に幻滅された!ダメな上司だと思われた!嗚呼、最悪だ!


 『誰か私を殺してくれ……!』と真剣に願いながら、グッとハンドクリームのチューブを握り締める。

そして、荒ぶる感情を宥めるように一度深呼吸した。


「……とりあえず、田太来に謝りに行くか。酒の席とはいえ、あれはやり過ぎた」


 セクハラだと訴えられても文句が言えない行動の数々に、私は内心頭を抱える。

『田太来に嫌われたら、どうしよう?』と不安になりながら、私はメールで呼び出しを掛けた。

あまり使われていない会議室へ向かい、そこで彼のことを待つ。

備え付けの長テーブルに寄り掛かる私は不安でいっぱいになった。


 田太来に汚物を見るような目で見られたら、どうすればいいんだ……?いや、悪いのは完全に私なのだが……でも、好きな人に拒絶されるのは色々と堪える。やはり、金か……?慰謝料でも払えばいいのか……!?


 混乱するあまり、変な方向へ思考が傾く私はスマホで貯金額を確認する。

『200までは何とか……』と思案する中、コンコンコンッと部屋の扉がノックされた。


「白雪課長、田太来です」


「入れ」


 入り乱れる心とは裏腹に冷静に受け答えをする私は緊張しながら、田太来の入室を待つ。

『失礼します』と一声掛けてから、扉を開けた彼は静かに中へ入ってきた。


 ん?意外と普通だな……。あんなことがあったのに、全く動じる気配がない。あんまり気にしていないのか……?


 至っていつも通りの田太来に内心首を傾げつつ、私は彼の前に立った。


「突然呼び出して、悪かったな。実は昨日のことについて、話したいことが……」


「────あっ、大丈夫ですよ。昨日のことは誰にも言わないので」


 わざと私の言葉を遮った田太来はヘラリと愛想笑いを浮かべて、そう言い放った。

まるで彼に突き放されたような印象を受ける私は少しだけ……本当に少しだけ目を見開く。


「白雪課長って、甘え上戸なんですよね?だから、今まで飲み会を避けてきたんでしょう?ちゃんと分かっているので、安心してください。昨日のことは全部なかった(・・・・・・)ことにするので」


「!!」


 まるでそうするのが当たり前かのように、田太来はニッコリ笑った。

私の立場を気遣って言ってくれたことなのに……なぜだか、とても胸が痛い。『セクハラだ!』と責められるより、無かったことにされる方がずっと辛かった。


 違う……そうじゃない。私はそんな言葉を聞きたい訳じゃない……!


「今日から、またいつも通り(・・・・・)頑張りましょう。それじゃあ、俺は先に戻ってますね」


 そう言って、さっさと身を翻す田太来はとても遠い存在のように思えた。

『このまま行かせてはいけない!』と本能的に感じ取った私は考えるよりも先に手を伸ばす。


 ────今、手を伸ばさなければ一生届かない気がしたんだ。


「待て。まだ話は終わっていない」


 田太来の手首をしっかり掴んだ私は『勝手に話を進めるな』と一喝した。

クルリとこちらを振り返った彼は何かを隠すように、取って付けたような笑みを顔に貼り付ける。


「何でしょうか?」


 感情の起伏が感じられない無機質な声に、私はビクッと肩を揺らした。

田太来は直ぐそこに居る筈なのに、どこまでも遠く感じる。

何となく、仕事以外の話をするのはこれで最後かもしれないと思った。


 なら、せめて私の気持ちは伝えたい……気持ち悪いと思われるかもしれないけど、ちゃんと告白はしたい。後悔はしたくないから。


 ギュッと田太来の手を強く握る私は告白する覚悟を決めた────が、その前に酒の誤解を解こうと、口を開く。


「田太来、まずは誤解を解かせてくれ。私は────甘え上戸ではない」


 誰彼構わず甘える節操なしではないと告げれば、田太来は『へっ?』と変な声を漏らした。

ポカンとした顔で私を見下ろす彼はパチパチと瞬きを繰り返す。


「えっ?でも、昨日めちゃくちゃ甘えて来ませんでしたか……?『行くな』とか『あーんしてくれ』とか……」


 具体例を引っ張り出された私は、心の中で『うぅ……!』と唸る。

羞恥心に苛まれる私を他所に、田太来は困惑気味にこちらを見下ろした。


「じゃあ、仮に甘え上戸じゃないとして、昨日のあれは何だったんですか?明らかに酒に酔っていたと思いますけど……」


「……あれは────自分の気持ちに素直になった(・・・・・・)弊害みたいなものだ」


 ハッキリとそう宣言する私は酒が入っていないのに、頬が少しだけ赤くなる。

ポーカーフェイスはいつも通りだが、自分の体温までは操れなかった。


「私は昔から酒に酔うと、気持ちのタガが外れたように感情の赴くまま、行動してしまうんだ。そのせいで何度も失敗してきた。一番酷かったのは取り引き先の上司に『薄毛なんですね』と、うっかり言ってしまったことだな……」


 当時のことを振り返る私は『こっぴどく叱られたものだ』と零し、どこか遠い目をする。

身の内に留めた感情すら曝け出す酒はまさに諸刃の剣だった。


「そ、それは大変でしたね……」


 困ったように苦笑いする田太来は同情的な眼差しを私に向ける。

先程より、少しだけ彼との距離が縮まったような気がした。


「ああ、私はこの体質のせいで色々悩まされてきた。でも、これだけは言っておく。私は────自分の気持ちに素直になるだけで、甘えたがりになる訳では無い」


「!!」


 甘え上戸ではないと再度言い聞かせると、田太来は僅かに目を見開いた。

ほぼ告白と変わらないセリフに、彼は少しだけ頬を赤く染める。満更でもない反応に、まだ手を伸ばせば届くのだと確信した。


 私の気持ちを全て包み隠さず、伝えてしまおう。


「何度も言うように私は酒を飲むと、自分の気持ちに素直になってしまう。だから、昨日言ったことは全て私の……」


 ────本心なんだ。

と続く筈だったセリフは田太来の大きな手に遮られた。手で口を塞がれ、一世一代の告白を阻まれる。

『もしや、拒絶されたのでは……?』と不安になる中、田太来は真っ赤な顔でこちらを見た。


「────シラフでの告白は先にさせてください。こういうのはやっぱり、男が言うべきだと思うんで」


「!!」


 恥ずかしそうに……でも、どこか男らしさを感じる強い目で、田太来はこちらを見据えた。

自然と高まる鼓動が私の期待と興奮を表している。互いに熱い視線を送り合う中、田太来は覚悟を決めたように薄い唇を開いた。


「白雪課長……いえ、白雪氷乃さん。俺は貴方のことが好きです。何の取り柄もない人間ですが、良ければ俺と────付き合ってください」


 耳まで真っ赤にして、愛の告白を口にする田太来との間にもう距離はなかった。

『嗚呼、やっとその言葉が聞けた』と、幸せを噛み締める私は柄にもなく泣きそうになる。

目に涙を溜める私は溢れ出る恋心に押されるまま、ポーカーフェイスを崩した。


「私も田太来のことが世界一大好きだ。こちらこそ、よろしく頼む」


 身に秘めた想いを解き放つように柔らかく微笑む私は喜びのあまり、ポロリと涙を流す。

好きだと全身全霊で伝える私に、田太来は嬉しそうに目を細めると────その大きな腕で私を包み込んだ。暖かい人の温もりとお日様の匂いに、私は笑みを深める。


「あの、白雪さん。一つ言い忘れていましたが────甘えん坊な白雪さんも凄く可愛かったです」


「!?」


「正直、理性を保つのが難しかったです。可愛すぎて、天使かと思いましたよ」


 冗談交じりにそう言う田太来は『はははっ』と楽しそうに笑い、密着していた体を少しだけ離す。

愛おしそうにこちらを見つめる彼は私の頬にそっと手を添えた。


「でも、他の人に白雪さんの可愛い姿は見せないで下さいね。お酒も俺の前だけにしてください。甘えん坊で、可愛い白雪さんを見れるのは彼氏の俺だけです」


 彼氏特権だと言い切り、ちゃっかり禁酒を言い渡した田太来は悪戯っぽく微笑む。

そんな彼の言葉に、表情に、声に────雪女()の心はあっという間に溶かされてしまうのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こんな上司が欲しい! [気になる点] 話の本筋には関係無いですが…… 仕事のデータはフリーメールで送るのは、今の時代ナシですねー。 単にメールでいいと思います。
[一言] くっ、甘い! リア充爆発しろ!!と言いたくなるお話でした。 二人とも前の日が無かったことにならなく大きな一歩を前進できて良かったね。
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