第三十話 親友
誰もいない路地に呻く様な泣き声が響いている。冷たい風が身体を包み、それが余計に孤独感を膨張させて胸が痛くなる。
ボロボロの拳を何度も地面に打ち付けたせいで血が飛び散るが、そんな事は知ったことじゃないとまた拳を打ち付けた。
痛みなんて知ったことじゃない。
アクアが残していった貝殻の首飾りがカランッと音を立てて鳴った。
「………ァク、ア……………」
その貝殻の首飾りが、アクアが何かを言っている気がした。
拳を打ち付けるのをやめて、貝殻の首飾りに手を伸ばして取ろうとする。
『助けて、ラストーーーー!』
アクアの最後の言葉が蘇った。
「……ッ………ァ…アアアアァァァッッ!!!」
アクアが攫われた。
アクアが誘拐された。
アクアが連れていかれた。
――――負けた。
「俺は、負けた……ッ!」
負けたんだ。
「俺は弱い! 負けた! 何が英雄だ! ふざけるな! 女の子一人を守れなかったじゃないか!」
拳を地面に打ち付ける。
痛むが知った事じゃない。
血だらけでも地面にヒビが入るほどに殴る。
何のための四年間だったんだ。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけ―――――!
「ラスト!」
「ナック、ル……?」
そこにいたのはナックルだった。
ナックルは修行が終わり、学園から帰る途中に路地の近くをたまたま歩いていた。そこで悲鳴のような声を聴き付け、走って来たのだ。
ラストの惨状と明らかな戦闘跡を見て動揺しながらもナックルは言った。
「何があったんだ! ボロボロじゃねえか!」
「…………アクアが、攫われた」
「あァ!?」
「…………俺は、負けた」
ラストの声には力が入っていなかった。
弱々しく、かつてナックルと殴り合った時の存在感を一切感じさせない。
「うし。じゃあ、助けに行くぞ」
しかし、それでもナックルは下唇を噛みながらラストの腕を持ち上げた。
男は徹底的に負けるとこうなる。
自分も何度も経験してきた。
ラストの殴り合いは爽快な負け方だった。
あれはいい。まだ、いい。
だが、本当に大切なものが賭かっている時。
スラム街の子分共の仇討ち。
競争相手に完膚なきまでに負けた時。
負けた時は腹の底から叫んで、泣いて、三日三晩は転がりながら打ちひしがれていた。
それが敗北だ。それが負けると言うことだ。
この男も、アクアという大切な友達を目の前で攫われた。
それと同時に夢も否定された。
分かる。分かるぞ。ナックルにはそれが分かっている。
でも、だからこそ、今立たねばならないのだ。
「立て、ラスト! アクアを助けに行くんだ!」
身体に力を入れようとしないラストを無理矢理に引っ張って、それでようやくラストが立った。
「俺が行ったって、どうせ……」
ただそれでも、その目には生気が宿っていない。
それを見て、カーッとナックルは頭が赤くなって胸ぐらを掴んだ。
「テメェが行かねえで誰が行くんだよ!」
ラストは目を合わせようとしない。
「負けるのがそんなに怖いのか? たまたま負けたくらいでお前はもう戦えないのか!?」
それを聞いて、ラストも頭に血が上った。
自分の中の敗北感を吐き捨てる様に叫んだ。
「何でそんな事が分かるんだ! 俺は負けた! どうせ、また俺は――――」
「“お前は英雄になる”んだろうがッ!!」
それを聞いてラストはハッとする。
英雄になる。
その夢の意味も、想いも忘れかけていたものが蘇ってくる。
「負けた? 目の前でアクアを攫われた? ふざっけんな! 何度負けたっていいじゃねえか!」
「負けても、いい……?」
「そうだ! 俺は今まで何百回も負けた! だが、負けただけじゃ終わらなかった!」
「ッ!」
「次にやった時に勝った! また負けても、次は必ず勝った! いずれお前にも絶対に勝ってやる! だから、テメェは立ち上がれ!」
鼻が触れそうなぐらい近く、なっくるがラストをググッと引き寄せた。
「英雄になるために! アクアを救うために! 何よりも、俺にブッ倒されるために立ち上がれ! 親友ォッ!」
そう告げて、ナックルはラストの頬を思い切りぶん殴った。
灼熱鉄拳ではないが威力は高く、口から吐血した。
痛いし、滅茶苦茶な事を言っている。
でも――――。
「何だよ、それ……」
――――その滅茶苦茶な言葉に救われた。
肩の荷が軽くなった気がする。
「そうか。負けてもいいんだな。次に勝てば――――」
「おう! 必ず勝て!」
ナックルはライバルだが、最高の親友でもあった。
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