俺にだけ咲いた薔薇
ソラが連れていかれた先はヤスアキの事務所だった。
何故何人もの女性をロゼという名を付けて囲っているのか。その理由と経過を描きます。
キャサリンは、美しく手入れされた長い爪を整えるように撫で、息を吹きかけ、その美しさに欠けが無いかを確認しながら、俺に言った。
「ヤスアキ……色んな人間見てきたけど、アンタみたいに心底馬鹿な男は初めて見たわ」
「……知ってるよ」
「自分がやったことが何なのか、解ってないでしょ」
「いや、解ってる」
「解っててやったなら、本当にアンタは、救いようの無い愚か者よ」
キャサリンは女の姿をしているが、元は男で俺の高校の時からの同級生で、大人になり夜の街で再会した。高校生の時にたくさん話をしたわけではないが、クラスメイトとして嫌いではなかった。
その程度の奴がここまで俺に突っ込んで話をするようになるとはな。
裏世界に入った俺は、表の人間関係をすべて捨てた。
その中に、家族も友達も入っていて、今回死ぬほど愛した女が入ったというだけだ。
「アンタは、一生彼女を忘れられずに後悔して過ごすのよ。そうじゃなければロゼが浮かばれないわ」
「……そのつもりだよ。あいつはもう永遠に俺のものだから」
「ヤスアキ、違うわよ。彼女との関係を永遠にする努力を捨てて、安易な道を選んだ自分を死ぬまで呪って生きなさい!」
キャサリンは俺を睨み、静かに泣いていた。
その姿はロゼを亡き者にした俺に対する強い非難と、軽蔑と悲しみが詰まっていて、今までどんなに汚れた仕事をして向けられた視線よりも、一番俺を切りつけた。
「いや、ロゼは俺のものになっただけなんだよ…」
「そう思い込んで自分を誤魔化しているといいわ。一生続くといいわね、その嘘が」
キャサリンはヒールの音をさせながら、部屋を出ていった。
俺は、また独りになった。
ロゼと出会う前はずっとそうだった。
また元に戻っただけの話だ。
ロゼは表の世界の人間だった。
まだ駆け出しのチンピラだった俺がやらされることは雑用ばかりで、それでもこの世界で生きると決めた俺は、何でもやろうと決めていた。
「お待たせしましたー!テ・アモピザです」
事務所ではデリバリーのピザやチキン、その他の様々な出前を頼むことも多く、その応対を下っ端がやらされることが多かった。俺が入ってからはもっぱら自分の役目となっていた。
「あーどうも。いくらっすか?」
「えっと……」
この時にデリバリーの店員をしていたのがロゼだった。
名前からするとハーフか外国人だろうに、長い髪を一つ結びにして、えらくレンズの厚い眼鏡をしている。お世辞にも可愛いとは思えない。
表向きはごく普通の会社の事務所だから何も疑うことなく入ってくる。
この子、色んなとこに配達行くんだろうな。ここだって、俺だからいいけど、手癖の悪い組員だったらすぐに手を出されてもおかしくないのに、店も何考えてんだろう。俺なら女の子を配達には出さない。
最初はそんな事しか思わなかった。
何度も受け取りをするうちに、少しずつ雑談をするようになった。
「ヤスアキさん、夏の新メニューが出たんですよ!」
「へーどれどれ?うげ、何だよパイナップルとか乗ってんの?」
「意外と美味しいんですよ?こないだ食べてみたから間違いないです」
「ロゼの奢りなら食べてもいいけど」
「えーそれはさすがに……」
「おー、ヤスアキ、お前またコナかけてんのか、おねーちゃん困ってんだろが」
先輩から突っ込まれる。
「えー?コミュニケーションっすよ、コミュニケーション!」
何だかんだ言ってもここはヤクザの組事務所。女の子を遊びものにしたい組員は当たり前にいるから、誰かの手がついていると思わせた方がこの子は安全だ。
どうしてそこまで守ろうとしたのか。
この子は、名前の通りに薔薇のつぼみのような子なんだ、と思った時からだと思う。
いつだか配達が終わって事務所の前で、目にゴミが入って眼鏡を取って目をこすっていた。その時に見た彼女の顏は、眼鏡に隠されていたよりも目が大きくて、外の暑さに頬が赤く染まっていた。
ああこの子は、これから綺麗に咲く子なんだ。
誰かに見つかったらいけない。
大切に育てないと綺麗に咲かない薔薇。
デリバリーで知り合って、1年ほど経った頃。
ロゼがいつものように配達に来た。
「毎度ありがとうございます!あの、ヤスアキさん……」
「ん?」
「あの、私、明日でここのバイト辞めるんです。長い事お世話になりました」
「え?辞めるの?」
彼女に会えなくなる。
「はい、就職が決まったので」
「ねえ、ロゼ、辞めてからも会えない?」
「え……?」
「明日、バイト終わったら空いてる?」
「え、はい……」
「就職祝いしよう。美味い店に連れてくよ」
「そんな、申し訳ないです」
「俺がしたいんだよ。店に迎えに行くから。何時?」
半ば無理矢理約束を取り付けて、俺はロゼと食事に行った。
普段なら、その日のうちに女を食べてしまうけれど、ロゼにはそういう事をしてはいけないと理解していたから、食事をしてキスもせずに別れた。
そして、それが当たり前になった頃。
「ロゼ、大切にするから、付き合ってくれる?」
「……はい……」
顔を真っ赤にして彼女は答えた。
俺がヤクザであること以外は、全く普通の恋人同士だった。
ロゼと付き合って三年が過ぎた。
同じシマを争う組と抗争が激化し、派手に争った日があった。自分の部屋は相手の組員に張られてるし、病院には警察の手も伸びている。
俺はロゼの部屋に転がり込んだ。
「ヤスアキ?!どうしたの、この傷!?」
「黙れ!とにかくドアと窓の鍵全部閉めろ。あと、ここのカーテン遮光か?」
「そうだけど…」
「今すぐにやれ!今すぐにだ!!」
ロゼは鍵を全部確認し、カーテンを全て閉めた。
「リビングの灯りは消して」
「ヤスアキ!説明してくれないとわからないよ!」
泣きながらロゼが傷から流れる血を押さえた。
「何したの……?」
「ちょっと待て、後で話すから…間違っても救急車呼ぶな……」
痛みで脂汗が出る。意識が飛びそうだった。
「ガールスカウトに入ってて良かった。こんな時に役立つなんて思わなかったよ」
そう言った後ロゼは何も訊かずに傷を手当てした。
いつの間にか眠ってしまったのか、気を失っていたのか、傷の痛みで目が覚めた。
「……ヤスアキ?大丈夫?痛む?」
ロゼが俺の汗を拭き、傷や打ち身を冷やしていた。
「ロゼ……すまない……」
「いいよ、ヤスアキが生きてるなら。はい、お水」
その時初めて、カラカラに喉が渇いている事に気付いた。
水を飲んでホッとしていると、ロゼが小さな声で言った。
「ヤスアキ、会社員なんて、嘘でしょ……?」
「……うん……ゴメン」
「私が配達してた事務所って……」
「そうだよ。組事務所。……俺のこと、嫌いになった?」
「ううん。何となく、わかってた」
そう言って、ロゼは俺にキスをした。
「別れるなら今のうちだぞ。お前の命の保証もないし」
「いいの。ヤスアキを好きになったから、それならそれで仕方ないもの」
出逢った頃は、こんな風に肚が座っているような女の子じゃなかった。
男と付き合うことも、キスも、何もかもが初めてだった女の子。
俺がそうさせてしまったのだと思う。
だけど、そう言い切るロゼの横顔はとても美しかった。
「ねえ、ヤスアキ。無くならないお揃いの印が欲しい」
指輪やネックレスは、何時か無くなってしまうから。そう言ったロゼは、俺の腕や指や首が吹っ飛ぶ時がくるかもしれないと理解して覚悟を決めていた。
「後悔するなよ……?」
虹色の薔薇。
二人で体に刻んだ印はそれだった。
心臓のある左胸、同じ場所にそれを刻んだ。
抗争は長引き、俺は自分の部屋に帰れない日々がもう数か月続いていた。
ロゼはいつも通り会社に勤め、帰ってくる暮らしをしているが、その間俺が部屋を出入りするようになり、ほぼ一緒に住んでいる状態だった。
ある夜、インターホンが鳴った。
俺もロゼも最大級の警戒をした。
カメラの映像を見ると、警官だった。出ないのも不自然だ。
「出るね。靴もってくるから」
玄関から彼女が俺の靴を持ってきた。男がいる気配を消す必要があるし、いつでも逃げられるようにしておく。
「はーい、どちら様でしょうか?」
「すみません、警察です」
ガチャリ、と扉が開く音がした。
「何でしょうか?」
「夜分にすみません。パトロールです。この辺りに不審な男がうろついているという情報がありまして」
警官は低くて通るいい声をしていた。
「ええ?怖いですね。一体どんな人なんですか?」
ロゼはあくまで何も知らない一般人を装った。
「こういうジャージ姿の男なんですが、女性や子供を狙った犯罪が多発しているので、お気を付けください。見かけたことは?」
「……ありません」
「目撃したり、何かありましたら、最寄りの警察署へすぐにご連絡ください。本官は松尾トシユキ巡査です。この地域の担当ですので」
「はい、わかりました」
「女性のお一人暮らしですか?」
「……はい」
「……そうですか。どうかお気を付けて。失礼します」
扉が閉まり、ロゼがカギを掛けた音が聞こえた。
大きく溜息をつく。
彼女がリビングに戻ってきた。
「不審者が出てるから見回りだって」
ロゼが警官からもらったチラシを見せる。
「どうだかね。案外もう目をつけられてるのかもな」
「わからないけど、最後に女性の一人暮らしですか?って訊かれた時にすごく見回してた」
「俺の痕跡が残らないようにしないとな」
自分の仕事に巻き込むつもりは無かったけれど、結果的にそうなってしまった。
こういう思いをこれからずっとさせることになる。
声のいい警官が無駄に勘が良くないことを祈った。
「ヤスアキ、引っ越ししようか?もっとセキュリティーがいいとこ。ここは狭いし」
「条件満たすところがあればね」
「きっと見つかるよ!」
そう言って笑う彼女の顏は、俺の仕事を知る前よりもずいぶん痩せてしまっていた。自宅に帰っても緊張が続いているのだから当たり前だ。
「ロゼ、ごめんな」
「何が?全然謝ることないよ」
自然とお互いに手を伸ばした。
体温を感じて二人で抱きしめ合う時だけが、唯一安心できる瞬間だった。
その三か月後、俺はとうとう警察に逮捕された。
傷害、器物損壊に、銃刀法違反、麻薬所持。
売りさばくためのクスリが見つかってしまった。俺自身はやらないから尿検査も堂々とやったが、警察が混ぜやがった。
どうしても俺を檻に入れたいらしい。
まあそうだよな。死なない程度にポンコツにした人間はこの半年で両手の数を超えていた。
死んだのもいるらしいが、俺が原因かどうか不明らしく傷害のみで立件だ。
これだけの罪状だともちろん執行猶予はつかず、三年ほど入っていた。
三年で済んだのは、初犯だったのと、多くの傷害で俺がやった証拠が見つからなかったからだ。
刑務所に入る前にロゼに言った。決して面会に来るな、そして、引っ越しておけと。
娑婆に戻った時に一番隠れ蓑になってもらわないといけないのがロゼと彼女が住む部屋だ。
面会なんかに来て足がついたらそれで終わる。
「ヤスアキ、会えなくて辛い時は、この薔薇を見よう」
二人で一緒に肌に刻んだ薔薇。
彼女は自分に言い聞かせるようにそう言った。
「そうしような」
「引っ越し先の住所と連絡先、メールしておくね」
刑期を終え、俺はやっと刑務所から出た。
ロゼの新しい家は、セキュリティーがしっかりしていて、暗証番号も長いタイプのものだった。
送られていたメールの暗証番号でそのままマンションに入って行く。
電話をしたが、仕事中で出られないようだったから、
”出たから、帰っとくよ”
とだけメッセージを入れた。
玄関の扉を開けた。
ロゼの香りがする。
俺は、シャワーを借りて、そのままベッドで寝てしまった。
「……ヤスアキ?ヤスアキ!?お帰りなさい!」
俺を呼ぶ声が聞こえる。
暖かい重たさ。ロゼが抱きついてきた。
「……ロゼ……ただいま」
「寂しかったよ……!ヤスアキ……」
彼女はすっかり落ち着いた雰囲気を纏った大人になっていて、なのに、俺に抱きつくその姿は昔と変わらなくて、とても愛おしい。
そっと彼女の背中に手を回した。
大切な人……好きな人をこんな風に寂しがらせて、危険に晒す生き方を選んだことを、彼女に触れて少しだけ後悔した。
だが、自ら飛び込んだ俺をそんな簡単に手放す生易しい世界では無かった。
俺の携帯が鳴る。
「はい……」
ヤスアキ、元気だったか、と幹部の声が聞こえた。
のんびりする暇もなく、現在の状況とやるべきことが知らされる。
状況は知らされてはいたが、また三年前と同じぐらいに荒れていた。
そうだ、こういう世界に俺はいるんだった。
「ヤスアキ……?」
「行ってくる。服、出してくれ」
「もう?」
「うん、仕事だ」
「気を付けて」
俺はまた抗争の日々に飛び込んでいった。
*「となりの窓の灯り」、「空白の7階、もっと空っぽなその上の階」「何様だって言ってやる」と同じ世界線のお話です。今後も同じ世界線の作品を投稿していきます。同じ時を生きているけれど、同じではない。それぞれの人生が少しずつ絡まっている様子をお楽しみください。
*pixivに掲載しています。(マイピク限定・改題しています)