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ウソツキヤメマス

「僕が好きなのはリサだ。ロゼって子じゃない」

「人って、誰?付き合ってる人がいるの?」

僕は鍵を開けてリサを連れ出した。

冬の日は傾いていて、肌寒い風が吹いた。

僕はリサの手を引いて、キャンパスを歩いた。ちゃんと話がしたい。自分の部屋に連れて行くつもりだった。

「付き合ってる?……それならいいのにね」

「どういうこと…?」

「ソラ、友達でいようね。私の友達でいて。一緒に講義受ける大学の友達」

街灯がまばらに点き始める。

「もう、私、友達いないんだ。いなくなっちゃった」

リサは大人しく着いてきて僕の部屋に入り、ベッドの端に腰かけた。

温かいココアを二人分作った。

甘いものがいい気がしたから。

「友達がいなくなったって、どういうこと?」

黙ってリサがセーターを脱ぎだした。

「こんなの彫ってたら、いなくなるよね、友達」

胸元と二の腕に彫られたタトゥー。紫の薔薇がデザインされたものと、後これは……?何かロゴみたいなのと7という数字……。このロゴ、どこかで見たことがある。どこかで。

「知ってる?その人の元で体を売ってる女の子で、気に入った子はこうして彫られるんだって。私は7番目」

”その人の元で”

僕やジュンは身体を売っているけれど、場所を借りているだけで、店に部屋の利用料は払うけれど、何か行動を制限されたりはしない。ましてや身体にタトゥーを入れられるとかは無い。

「その人とどうやって知り合ったの?そもそも何で身体を……」

売り始めたんだ、とはっきり言うことが彼女を傷つけてしまいそうで言えない。

僕はそう言う代わりに、リサにセーターを着せた。

タトゥーもだけど、その周りに付けられた跡も見たくなかった。その人がつけたのか、客がつけたのか知らないけど。

「優しくしてくれたの。私に」

急にそれを聞いて、怖くなった。もしかして。

「……ねえ、もし僕が、リサを大切にしてたら?今みたいなことしてなかった?」

「……ソラのせいにはしないよ?ただ、嘘だとわかってても、優しくしてくれたのが嬉しかったの。私なんかに」

僕は自分で自分の大切な人を。好きだって気づくのが遅すぎた。

”その人”はどうやってリサと知り合い、どう優しくしたのか。

訊く勇気はなかった。

はっきりわかったのは、僕は嘘つきの大馬鹿者だということと、その人はリサに身体を売らせ、シルシを彫らせるほど彼女を支配している、という事だった。


「……リサは、その人のこと、好きなの?」

それは、今さら聞いても仕方のない、何の意味もない質問だ。

もう遅いと言われたのに。

肩まで伸びた茶色い髪が、少し跳ねていて、彼女の口の端に一筋ついている。それに気づかないほど彼女の表情は虚ろだった。

……クスリとか、やってないよね…?

「……うん、好きだよ。優しいもの。でも、私のものにはならない人。私はあの人のものだけど」

「そう言われてるの?」

「ううん。ただの事実だよ……」

そして、リサは目を閉じて僕に寄り掛かった。

「ソラなら良かったのにな……」


その日僕は初めて、リサを部屋に泊めた。

何もしなくても、側にいるのが嬉しくて、何気ない話をするのが楽しかった。

どうして、こういう時間を欲しいと思うことを拒否していたんだろう。

僕は、友達として仲良くしたい、と改めてリサに言い、それを彼女も了承した。

そうしてでも、リサと関係が無くなるのが嫌だった。

何度も身体を繋げたのに、本当の電話番号を伝えたこともなかった。

メッセージアプリのIDをやっと交換した。

すぐに僕はその場で、ハートのスタンプを送った。




僕はリサとちゃんとした友達になった。

友達は身体の関係を持たない。だから、キスすらしない。

一緒に講義に行く。一緒にレポートを書く。一緒に昼食を食べる。どうでもいい話をする。

僕らはそれぞれ夜に身体を売りながら、昼間は以前よりも真面目に講義に出る学生になった。リサは虚ろな表情をする日が少なくなったように思う。


僕も、リサも、身体を売ることをどうしてやめないんだろう。

今日も、男に手錠をはめられながら僕は思った。

そして、リサも今同じような事をしているんだろうか。

身体を売るなんて、何の意味があってやってるんだろう。

いや意味はない。

僕はお金の為。

リサはあの人からの優しさが欲しいから。

こじつけた様な、些細な理由があるだけだ。




それから数か月経ち、期限の迫ったレポートを僕の部屋で二人して書いていたある日、どうしても気になって訊いた。気になって集中できない。

「リサ、あの人とは、その……寝てるの?」

「ソラ、どうしたの急に」

リサは悲しそうな顔をした。訊いてほしくない、と顔にそう書いてあった。

「言わなきゃダメ?」

「いや、いいんだけど。優しくしてもらえてるのかなって思って」

リサの身体を満たすのは、僕じゃない。

それは”その人”の役割だった。

でももし、リサが満足していないなら、いつだって僕は彼女を大切に抱くつもりでいた。

リサは、マグカップを手にして冷めかけたコーヒーを一口飲んだ。

「……うん、優しくしてくれるよ。少ない時はひと月に1回か2回しか会えないけど」

「……満足してる?」

彼女は質問には答えずこんな返事をした。

「私ね、売ってる時の名前があるの。ロゼ。その名前で呼ばれるんだ。つけてくれたの、その人が」

ロゼ。薔薇という意味の名前。彼女の胸元に彫られている花。

だから薔薇の花だったのか。

「ゴージャスな女性じゃないから似合いません、って言ったのに、いやお前はロゼだって言われて、その名前になっちゃった」

「リサって呼んでもらえないの?」

リサの気持ちは?リサ自身は抱いてもらってないじゃないか。

「私は、ロゼなんだよ、その人にとっては」

全部を諦めたように彼女は薄く微笑んだ。

「リサ、もう一度訊くね。ロゼじゃなくてリサはそれで満足してるの?」

「リサって呼んでくれるのは、ソラと、家族だけだよ…」

堪えきれなくて、僕はリサを抱きしめた。

”その人”が許せなくて、体中の毛が逆立つ。

どこまでも縛って支配するなら、二人きりの時に名前くらい呼んでやれよ。

だから僕は何度でも言おうと決めた。

「リサ、好きだよ」

リサ、と何度も呼びながら、僕はリサにそっとキスをした。

「僕が好きなのはリサだ。ロゼって子じゃない」


お互いその行為を誰かと飽き飽きするほどしているはずなのに、二人でも散々やったのに、手を重ねて握り合うだけで僕たちは泣いてしまった。

何故身体を交わらせる行為を”愛し合う”というのか、僕はその意味がやっと理解できた。

同じ事をしているのに。

でも、全然中身は違う。

誰かに夢中になって、本気になって昼も夜もいつだってその人の事を想うなんて馬鹿なことだと思っていた。

僕はこれに飛び込む勇気のない臆病者だっただけだ。

僕は、生まれて初めて、満たされた気持ちになっていた。




それでもリサは”その人”を恐れて僕の付き合おう、という言葉に返事をしなかった。ただ、仕事の時以外は僕といつもいるようになったから、実質的には彼氏だったしそれでいいと思っていた。


「ソ~ラ~君、いつもその子と一緒じゃん?彼女?」

付き合いがほとんどない同じ学科の男。こいつ夜の街のどこかで働いてるって聞いたな。何か知っていそうで気持ちが悪い。

「え?友達だよ?同じコマ取ってることが多いから」

「ふーん。ソウナンダ。バインダーとピアスがお揃いの友達ねぇ……」

金髪を揺らしながらそいつは去って行った。


それでも、このままでいい訳がない。意味もなく身体を売らされている彼女が足抜けできないかをいつも考えていた。

「辞めるのは無理?」

「うん。無理だよ。だってあの人は……ヤクザなんだもん。知らなかった。私、その人の女なんだって。それに……」

いつの間にかリサは借金を負わされていて、それを返さないといけないという。

「そんな大金、何に必要だったの?」

「ほとんど利子だよ。私バカだよね、親の事業資金、稼げますかって聞いちゃうなんて」

親が事業をしていて、経営が危なかったところにこの仕事なんて、都合よすぎないか?最初からリサが借金のカタだったんじゃないだろうか。

とにかく危ない男に捕まっているのは間違いなかった。




仕事前に、誰かに訊いてみよう。

「キャサリンさん、こういうロゴって知ってます?」

僕はリサの二の腕に刻まれたロゴをスケッチしたものを持っていった。

「……っ、ちょっと、アンタこんな場所でそれ……ちょっとこっち!」

誰もいないボックス席に連れて行かれた。

「何でこのマークわざわざ書いてきてんのよ」

「え?これって何ですか?彼女の身体に彫ってあって……」

「は?!アンタね、あれだけ近づくなって言ってあるのに、どうしてヤスアキの女を彼女になんかしてるのよ!」

「どういうことですか?!僕の彼女は大学の……」

「どうもこうも無いわよ~!!どうしてなのよソラ……!」

キャサリンさんは顔を覆った。

開店準備を他のお姐さん達に任せて、僕らは話があるからといつも僕が仕事で使う上の階に上がった。

「ソラ、座って」

キャサリンさんから僕はヤスアキという人の話を聞いた。

「この街は、2つのヤクザが支配……管理していて、その片方の組がヤスアキのものなの。アイツは最初は優しそうに見えるけれど、ダメになったら容赦ないわ。今の地位も先代を殺して得たものよ……」

そして、ヤスアキの女にはちゃんとわかるようにタトゥーが彫られていて、彼が相手の女性を手放すまでタトゥーは消されることは無く、手放されたとしてもその頃にはそんな女性を相手にする男性はおらず、そもそも女性たちはそこまで生き永らえることがほぼ無いらしい。

「死んじゃうんですか……?」

「アンタ、察しなさいよ。病気で死ぬわけないでしょ。理由はそれぞれ違うかもしれないけど、ね」

殺すのか。好きになった女性を?

「もちろん、ヤスアキの女に手を付けたとなればその男も一緒に、よ」

キャサリンさんが顔を覆った理由がわかった。

「じゃあ、僕の彼女は、7番目ってことなんですね」

「……そうみたいね。残念だけど、その子と別れなさい」

そうするのが最善だよな、と頭では理解できる。

でも、もうリサを好きになってしまった。

「……無理です。僕、彼女が身体売るの辞めさせたくて」

「何でそこまで?!こんな話聞いたら、尻尾巻いて逃げ出すのが普通よ?ソラ、あなたそういうタイプじゃないじゃない。面倒なこと嫌いでしょ?」

キャサリンさんが、理解できない、という顔で僕を見る。

「……好きになったんです」

「どうしても?」

「はい。自分の気持ちに嘘をつきたくないので」

キャサリンさんが、困ったわね、と言いながら長い溜息をついた。

それを見ながら、リサと一緒に死ぬなら、それでもいいかな、と思っている自分がいた。




僕は卒業単位を確実に取れると判った日に決心した。

一度ロゼとして働いているリサに会いに行こう。

リサは一切何も言わなかったけど、どこで働いているのかの目星はつけた。

もしもこれで僕が死んでも、親は卒業できるだけの勉強はしたとわかってくれるだろう。


リサが働く店は、”そういう店”の中では高級店に属していた。

それでも、僕が働く店からしたらガッチリ管理されていて、ありとあらゆるところにスタッフと防犯カメラが張り巡らされていた。

どんな店か見るだけだ。リサが安心して働けるならまだ…。

「ソラ、とうとう見つけたのか」

横から声を掛けられた。黒服のスタッフ。顔をよく見ると、大学で声を掛けてきた金髪のアイツだった。

「何の話?」

「ロゼだろ?彼氏なら気になるよな、彼女がどんなところで働いてるのか」

僕は答えなかった。

「お前が女に困ってるとは到底思えないからな。ほんとならこんな所に来る必要ないだろ」

下卑た声で笑う。

「なあ、ソラ、ロゼがあの人の女だって知ってて付き合ってるの?」

「……誰のこと?あの人って?」

知っていたけどとぼけてわざと聞いてみた。

「お前さ、ほんと何も知らないんだな。覚えとけよ。この辺り仕切ってんのはヤスアキさ…」

後ろから来たいかつい黒服の中年に金髪が吹っ飛ばされた。

「お客様に何言ってるんだ。裏で仕事しとけ」

「は、はい、すんません!」

金髪は僕に覚えとけよ、お前生きて帰れないぞ、と一言吐き捨てて逃げるように去って行った。

「失礼しました。どうぞこちらへ」

僕はロゼと呼ばれるリサの部屋へ向かった。

「どうぞごゆっくりお楽しみください」

扉が閉まった。

女の子の部屋みたいにかわいらしく飾り立ててある。

一見そういう店の個室には見えない。

キラキラしたストリングカーテンの奥から妖艶な表情をしたリサが出てきた。別の人みたいだ。

「……ソラ?!」

僕だとわかると悲鳴を上げた。

僕はすぐに手のひらでリサの口をふさいで抱きしめた。

「リサ、ごめん。見つけちゃった」

「ねえ、時間が来たら知らない振りをして帰って……!ソラ、お願い……!」

彼女は震えていて、それは僕にこんな姿を見られたからなのか、それともあのヤスアキって人にバレたら怖いと思っているのか、どちらなのか判らなかった。両方なのかもしれない。

「今日終わったら、僕の部屋、来れる?」

リサは首を横に振った。

「今日は……あの人に会う日だから」

諦めればいいのに、僕はしつこく言った。

「その人に会った後でもいい、来れない?明日一緒に学校行こ?」

そうじゃないと、いつまでも僕たちの距離は縮まらない。

僕だけがリサを好きなのだろうか?

いや、そうじゃないはずだ……。

「ダメ……。あの人が2時間で帰れって言うのか、朝まで居ろって言うのかわからないもの」

「待ってる。僕はリサを待ってる」

「ソラ、無理言わないで。明日大学で会おう?」

「僕は、リサが好きだから。ロゼっていう子の事は知らない」

「今はロゼだよ……」

「じゃあ、リサにそう伝えておいて、ロゼ」

僕に会った後に、ヤスアキってあの男がリサを抱くのか。綺麗な顔をしたヤクザが。

今までもそうだっただろうけど……。

直視するのを避けていたことを直接聞いて、僕は少し開き直った。

僕はリサの事が本気で好きだ。

違う名前で呼んでる奴なんかに気持ちじゃ負けない。

僕はリサを休ませるように抱いてベッドに横たわった。

「少し眠りなよ」

「しないの……?」

「しないよ。僕はリサが好きだから。ロゼとはしない」

目を閉じた彼女の目元を撫で続けた。寝息が聞こえるまで。

リサはほんの数十分眠って、ほどなく時間が来た。

「じゃあね。待ってる」

うなじに薄く跡をつけた。わざわざ見つけないと見えない跡。

僕は部屋を出る前に彼女のおでこにキスをした。



店を出る時に金髪野郎はいなかったけど、出て最初の角を曲がると、人にぶつかった。

「おー、やっと出てきたな、ソラ」

見ると、金髪とあの夜喧嘩したゴロツキ達だった。

「何の用?」

「ヤスアキさんに伝えたら、捕まえとけって言われたんだよね」

僕は踵を返して逃げようとしたが、すでに囲まれていた。

「どうして?僕は何もしてないけど」

「だってロゼを彼女にしてるじゃん。何度も言うけど、あれヤスアキさんの女だぜ?」

「ロゼって誰だよ」

「お前がいつも連れて歩いてる女だよ。知らない振りすんなよ」

「今僕には彼女はいない」

逃げる隙を伺ってみるが、なかなか難しそうだ。

一か八か。走ろう。

身体を翻して、目の前の男を跳ね飛ばし走った。

よし、いける。

そう思った矢先、目の前に火花が散った。

ちくしょう、他にも仲間がいたのか。スタンガンかよ……!

「ここはヤスアキさんのシマなんだよ。逃げられる訳ねーだろが!」

気を失う直前に、金髪の声が聞こえた。



喉が酷く乾いて、気分が悪い。

頭痛と吐き気で目が覚めた。手足が縛られている。

身体を動かして周りを見ると、声がした。

「やっとお目覚めか、僕ちゃん」

倍音の多い低い声。

声がする方を向くと、あの日見たスーツ姿の男が大きな机の後ろに座っていた。




*「となりの窓の灯り」、「空白の7階、もっと空っぽなその上の階」「何様だって言ってやる」と同じ世界線のお話です。今後も同じ世界線の作品を投稿していきます。同じ時を生きているけれど、同じではない。それぞれの人生が少しずつ絡まっている様子をお楽しみください。


*pixivに掲載しています。(マイピク限定・改題しています)

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