1492年5月、豪州
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マジムは川岸にあるマイ村に住んでいる男の子だ。彼は、村の10数軒の家の一つに住んでいるが家族は妹のミナだけだ。父はある日帰って来ず、その次の年、母は体が熱くなって動けなくなり死んだ。マジムにはミナの他にも2人の弟と1人の妹がいたが、皆病気で死んで残っているのはミナだけだ。人はたくさん生まれるけれど簡単に死ぬのだ。
彼らの村の周辺には、マジムが知っている限りでは他に3つの村があって、最も近いものでも疲れるほど歩いていく距離にある。マジムの集落には16家族が住んでいるが、マジムのような子供が42人いて大人は28人だ。
彼らの服は、動物の皮であり、夏は腰巻のみ着ているが、今のような冬には流石に体全体を覆う形の服を着ている。動物を狩るのはまだマジムでは無理で、父母が残してくれたものを使っている。
大人は大きな動物を狩ってきて、その家族はその肉にありつくが、どこも食料は十分でなく時々マジムとミナにも少量を恵んでくれる程度だ。だから、マジムとミナが食べているのは、主にイモムシと木の実、草の実それからいくつかの種類の地下茎だ。
マジムはそのような食べ物の取れた場所を良く覚えており、それほど苦労せずに自分と妹の食べるものは確保している。妹も小さいが、同様に自分でも木の実やイモムシを取ってくる。親のいない2人に対して、虐めてこようとする子もいる。でもマジムが、うまく大人に訴えてそのようなことをしないようにするか、子供のボスにうまく取り入ってそのようなことを防いでいる。
最近集落で話題になっていることがある。それは、空をブーンという音を立てて飛ぶものが度々あちこちを動き回っている。その上に、大きな音を立てて動く何かに跨った人が、すごい速さで走っている姿があちこちで見られるようになった。
マジムもそのようなものを何度か見たが、最近ではもっと頻繁にいろいろ起こるようになった。ゴウゴウと地響きを立てて動く巨大なものが、地面を動かしている。また、そうやって、土がはぎとられて平らになったところ、前に見た人が跨って走るものが動き、さらに大きな箱みたいなものが同じように走っている。
そして、ついにはマイ村にその何かに跨った人が来たのだ。それは、男と女の2人連れで、その跨ったもの、彼らはそれをバイクと言っていたが、それから降りて、近づく音に集まった集落の人々に手を挙げて叫んだ。
「はい!」2人はニコニコしていて、彼らは全身を覆う草と同じような色の服を着ている。男はそうでもないが、女は随分顔の色が白いし優しそうだ。
村人は15人以上が集まっているが、他はあちこちに散らばって食料を集めているのだ。たまたま居た戦士の一人が槍をもって構えはしないが警戒しており、やってきた男のほうも警戒しているようだ。女はそれでもニコニコして近づいて、一番近くにいた小さなミナに「はい!」と言って色とりどりの丸い棒のようなものを差し出した。
ミナは、その笑顔に誘われてそれを反射的に受け取ると、女は同じものを手の上に出して、それをバナナみたいに剥く。出てきたのは、茶色の棒のようなものだ。それを女はパクッと咥え音を立てて食べて『おいしい!』と叫ぶ。
その声にミナは手の上にあるそれを見て、同じように剥こうとするがうまくいかない。それを女が手助けをして、剥けたそれを指で指して食べる真似をする。
ミナは恐々それを口に入れてまず舐めてみるが、始めて味わう甘さに、すぐに表情をあらめてそれを噛む。そしてモグモグと口を動かせて、手を繋いでいるマジムを見上げてニッコリして『にいちゃん、おいしい!』と叫ぶ。更に夢中になってその棒に食いつき食べる妹を見て、マジムは唾が出てきた。周りを見渡すと自分だけでなく、子供の大人もそれをじっと見ている。
皆が期待を込めて女を見ると、女は足元においた袋から、沢山のそれを取り出してマジムにも、他にも物欲しそうにした子供にもそれぞれにそれを渡す。
そうして、子供たちが笑顔で跳び上がってはしゃぎながら食べるのを見て、今度は大人たちも物欲しそうにするのに、女はそれぞれに渡していく。警戒していた戦士も食べて嬉しそうにしている。
その女、三波紗季は、豪州南東部開発団の現地対策チームの一員だ。時震によって政府から非常事態宣言が出されたが、それに基づいて様々な措置が取られた。その内の一つは、食料を含む資源確保がすべてに優先するとして、政府及びそれに指定される機関の要請に国民とあらゆる組織は従うようにということになった。当初は要請であるが、強制もできることになっている。
現状での最優先プロジェクトは、豪州南東部と北米の農場開発だ。
ちなみに、日本国内には殆どの国の在日大使館とそれらの国民が滞在しているため、彼らの反発を避けるために、この世界の地名は21世紀のものを採用することにしている。ただ、日本人の間で呼ぶときは、日本語訳である豪州とか、米、加州などという名にしている。
そして、人種については征服者たる白人が付けた名前で呼ばないという方針で、基本は彼ら自身の呼び名を使うことにしている。この考えから解るように、日本政府は主として国内の様々な意見も聞いたうえで、今後起きるはずの欧州の白人による現地の人々の収奪を許さないということは決定している。
その意味で、自らの生存のためとはいえ、そのための緊急開発に当たって、開発地に住む人々の保護を行うことは当然のことであり、その体制も早急に作っている。とは言え、現地の人々が国家の概念をもち土地の所有の考えを明確に持っている場合を除き、土地の所有権を認める訳ではない。
結局は、現地の事情を知ったうえで、それに合わせた自分本位の考えであるので、ご都合主義と言われても反論はしにくい。その延長で、現地にすでに王国などの国家組織がある場合には、決して武力を持って何かを強要することはないということは決定している。
ただし、その国などが深刻な人権侵害を起こしている場合は別であり、その場合には設立される委員会でその対応を決定したうえで、一定以上の介入の規模になる場合には国民投票によることになる。こうした内容は現在準備されている改正憲法に盛り込まれる予定である。
こうしたことで、豪州南東部開発団にも現地の原住人への対応として、現地対策チームが構成された。千葉国大の社会科学学科の大学院にいた三波紗季は、大学への要請のあった人数の一人として参加したのだ。そして、5月15日横浜港を出発して、5日をかけて現地に到着している。
乗ってきたのは内海用の3千トンのフェリーであり、巡航速度より以上の速度で走ってきたので、3回の給油をしている。横浜港からは貨物船と油槽船3隻が一緒に出発したが、彼らのフェリーを含めた4隻の船団は東京港から来たらしい8隻の船団に交じる形で航行した。
さらに、それからも静岡、名古屋、瀬戸内島等から出航したと思われる多くの船が見られたが、それらは広い範囲に広がっている。
「豪州南東部には、5月中に80隻ほどが行くと聞いている。それぞれ速度も違うし、この船のように3回の給油が必要な船もあれば、給油の必要のないものもあるし、速度も違うので現地着に時間は結構ずれるよ。どのみち、現地の桟橋や荷揚げ設備の能力もあるので、一緒に到着したら却って困るものね。
まあ、戦争中であれば、前の大戦中のように護衛の都合で船団を組むけどね。現地では桟橋も荷揚げ設備も、仮設だから時間がかかるだろうな。まあ、この数が一斉に同じ目的地に行くなんてまずないのものね、しょうがない」
出発して、半日ほどの後デッキから並行して進んでいる多数の船を見ていたら。彼女の横に来た船員が教えてくれた話である。やはり、可愛い女性には男は寄ってくる。
その後、途中の給油も含めて船は順調に航行したが、外洋のうねりによる船酔いによって、寝たきりになって度々吐くものも出て来た。紗季は幸い乗り物酔いには比較的強かったので、あまり酔いはしなかったが、3日目に海が荒れた時は、流石に寝ていても気分が悪く、敢えてデッキに出て酔いを醒ましたものだ。
ちなみに、日本にジェット旅客機は数多くあるが、滑走路のある国内しか飛べないのだ。その意味で豪州南東部開発には、2000m級滑走路とターミナルが含まれている。近年の若者は、その航空機のお陰で殆ど長時間船に乗ることはないので、若者にとりわけひどく酔う者がでている。
前の世界でポート・フィリップ湾と呼ばれる、幅50㎞奥行き60kmもの湾に入ると、波はずっと静かになる。その奥に近づいていくと、2本の海の向かって突き出している桟橋が見え、1本は横に作業船が3隻横づけの状態でまだ上で盛んに作業中だ。またその桟橋に平行に数十本の杭が水中に整然と立っており、そこに作業船が浮かんで、それが鋼管を吊り下げて打ち込んでいる。
桟橋には、トラック・クレーンのクレーン部のような、クレーン設備が一定間隔で設置されているが、その稼働中の桟橋の両側にそれぞれ1隻の船が横横づけしてクレーンで荷下ろし中だ。
船で知り合った、設計会社に勤めていて今回のプロジェクトに加わるという沢渡という人が、それを指さしながら紗季に説明してくれる。
「あれは、自衛隊の工兵部隊と海洋ゼネコンの作業班だな。鋼管を海に打ち込んで、鋼材を渡してデッキプレートという鋼製の床を作っているんだ。船を横づけして荷下ろしをするわけだね。今のところ桟橋は一本しか使えないようだ。今のところは荷下ろし中なので少し待たされるな」
「あの桟橋の陸側に土の道路がありますね。あの道路で私たちの基地までいくのでしょうか?」
「うん、あの道路はブルで均して、セメントで改良しているようだね。だから、雨が降ってもそんなにぬかるむことはないはずだよ。あそこに河が見えて、その両岸は結構大きな木が生えているけど、その奥はそれほど大きな木はないから開発はそれほど大変ではないと思うな。
でも、4ヵ月で10㎞四方の農場を25ヶ所作らなくてはならないけれど、間に合うのかな?僕らの担当の住居作りは最悪遅れてもいいけど」
「間に合わなかったらどうなるのですか?」
「いや、間に合わなかったら日本の人々が飢えるよ。ただ、台湾と、フィリピンにも芋を栽培するということで、農場を作る作業を始めているらしい。それと、元々余裕は持って計画しているから、最悪は計画の半分から収穫できれば何とかなると聞いているな」
「ええ、台湾とフィリピンの話は聞いています。後輩の周という台湾の人が、学校を休学して、台湾に行って農地を開発すると言っていました。6月始めには出発すると言っていましたよ」
「へえ、同じ大学の台湾の人か。今回いろんな国から自分の国だったというか、その土地の開発に協力したいという話がでているようだけど、どういう気持ちでそういう協力をしようということかな。聞いている?」
沢渡慎吾の質問に紗季が答える。
「一つには自分の国の土地、という気持ちがあるようですよ。そして、食料を確保するという日本の事情には理解はしながら、やはり変な風に開発してほしくないということみたい。それに、台湾は19世紀でも『化外の地』と言われた歴史を変えたいということはあるようです」
その後2時間ほど待たされて、彼らの上陸が始まった。フェリーが桟橋に固定されると、鋼製の斜路がクレーンによって取り付けられて、乗っていた半数ほどは車に乗って上陸だ。沢渡は仕事の都合で持ってきた会社の準備したランドクルーザで上陸し、紗季は徒歩で上陸して迎えにきたマイクロバスに乗る。
基地は、上陸地点から2㎞ほどの小高い丘の上にある。吹きさらしではあるが全体に平坦な地形なのでやむを得ない。そこは一辺1㎞ほどのざっと均したところで、周囲を高さ2m程の有刺鉄線の囲いを施しており、5m×8mの2階建てのプレハブ住宅が、すでに30棟ほど建っている。
そのほかにもブルドザーが数十台並び、資材の山が数十ある。紗季たちの現地対策チームには事務所として当面1棟のプレハブが割り当てられ、居住スペースを持った居住棟が2つ割り当てられている。到着の日、チーム長の麻木達也のもとに、チームの第1陣である12名が集まった。
南東部の開発地域である概ね80㎞四方の中に、現状で把握している限り85ヶ所の現地人の集落があって、その数から推定される人口は5000人程度である。ちなみに、現地人はオーストラリアで呼ばれた蔑称であるアボリジニは使わずパナ人と呼ぶことにしている。
南東部の言語はパナ・マニャル語であり、日本語との辞書は作ってきている。チーム員と自衛隊員が組んで各集落を訪問して、まず信頼関係を構築することから始めることになっている。
そして、出来るだけ10カ所程度に設置予定の交流所に訪問させ、食事や衣服を与えることでそこに依存させることを目論んでいる。そこで、年少者は教育を与えるとともに大人は生計を立てる手段として、徐々に農場等の労働についてもらって文明社会への参加を促すのだ。
当初において、多くの人が訪問するのは警戒されるのでチーム員一人に自衛隊員一人となる。しかし、なにしろ彼らは狩猟民族であるので、訪問時にはケプラー繊維の制服を着ることが義務つけられている。この服は、弓矢や槍、刀程度は通さない。
またチーム員は武器を携行せず、自衛隊員が武器が目立たないようにヒップ・ホルスターの拳銃と、刃渡り20cmほどのコンバットナイフに超小型の催涙手榴弾を携行している。無論、武器の使用は命の危険がある時のみと厳しく規制されている。
理沙が、マナ村を訪れたのは到着後3日目であり、自衛隊の西谷清太3曹と同行している。最初に訪問する時は出来るだけ威圧感を与えないようにバイクによるので、理沙はタンデムで西村の後部に跨って約10㎞の道を走っている。
10mほどの高さの灌木が、大体10mおき程に生えている草原を走るという移動は、上下左右にうねっているので楽なものではなかった。見えてきた集落は、木々の間にカヤのような植物を束ねて、尖った屋根兼壁にした簡易なもので、高さは7mほど直径が3mほどだろう。
バイクが近づくにつれて、毛皮の服を着た人々がわらわらと集まってくる。15人ほどの肌の黒い人々は、大人は恐々であるが子供は目を輝かせている。槍を持った男がいるが、構えているわけでもなく、それほどの危険は感じない。紗季は緊張しながらも笑い顔を作り、まず少年と手を繋いだ少女にチョコバーを渡して食べさせ、大人を含めた村人に食べさせることに成功した。
その後、自分と西村の名前を教え、辺りの地図を渡して良かったら訪問して欲しい事、何日か後にはまた訪問することを告げて、思ったよりうまくいったことに満足しながら基地に帰った。
翌日、紗季が基地で昨日の成果を踏まえて、別の村を訪問する予定を立てていると、無線機で連絡していた麻木リーダーから呼びかけられた。
「三波君、ゲートから連絡だ、多分パナ人だと思うが、男の子と女の子が、サキとセイタを訪ねてきているそうだ。どうも名前としてマジムとミナと言ったそうだぞ」
そして、麻木は彼女の顔を見て聞く。
「まさか、昨日訪問した村の子か?」
「ええ、そうです! あの子たちそのように名乗りましたもの!」
マジムは、紗季が置いていった菓子類が大人に取り上げられたことから、ミナにねだられて見せられた地図に基づいてやってきたそうだ。彼らにとっては10㎞程度の道はなんということはないのだ。
その後解ったが、かれらにはレーダーのような方向感覚があるようで、絶対に道に迷わない。マジムとミナは人並外れて好奇心と冒険心が強いようだが、全体的に現地の人々は警戒心が薄いことがわかった。
マジムとミナは、紗季と女性隊員によって、御馳走攻めにされ、さらに風呂に入れられて持ってきた大量の服のなかから選ばれた服と、靴を履かされて帰らされた。
そのことで、村人が我も我もと基地を訪問し、それをきっかけにして、日本勢によって用意された集落に彼らが移ったのは3ヶ月後で、その前後から農場で働くようになる人が出始めた。
マジムとミナは熱心に教育を受けて日本語も流ちょうになり、マジムは10年後には人口も1万人を超えたその地区の人々のリーダーとなった。