2023年4月、時震2年後の北海道
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北海道苫小牧の工業団地において、柳井陽介は自分が所長である苫小牧工業団地開発事務所で来客を待っていた。それは時震以来ちょうど2年のことで、待つ間に沖縄にいる同級生の新垣との会話を思い出していた。
あの時の話題になっていたのは、長峰知事の中国からの強力なプッシュに対する態度であるが、結局知事ははっきり拒絶することになった。知事としては、それなりに経済的に影響の大きい中国の観光客が途絶えることに懸念して、どっちつかずの態度を示していたのだ。
中国は、平気で政治的に観光客を制限し止めること程度のことは実行するからである。だが、中国人の観光客の数が歴然と減少に転じているのを見ての決断である。これは、一つには中国は今や米欧の西側諸国を完全に敵に回した結果、投資が激減した深刻な結果として深刻な外貨不足に陥っている。
さらに、当然その経済は大きく落ち込んでおり、これが海外旅行に押し寄せていた中間層を直撃している。このように、政府による外貨持ち出し制限、さらに潜在観光客層の経済苦境によって全体としての中国人観光客そのものが減っている。
元々長峰知事としては、中国の傘下に入ろうなどとは全く思っていなかったので、経済的利益が無ければあっさり手を切るのは当然である。それに、沖縄経済は相当に上向いている。これは、日本政府がアメリカ政府の協力を得て進めている工場の日本回帰政策により、沖縄にも次々に海外から帰ってきた工場が立地している。
時震前には、日本は莫大な原材料や食品の輸入に加え、軽工業などを中心に工業の国際分業が進んでいた。しかし、この状態でも日本は相対的に優位な工業原料や素材の輸出、また海外に対して大幅に黒字のパテント等の技術料に加えて、海外への投資のリターンのお陰で国際収支は黒字を確保していた。
ところが時震によって、海外への貿易収支の黒字の源泉である高度技術の製品の生産設備を失ってしまった。技術料と300兆円を超える海外への投資については、主体者の消滅にとよって本来であれば無視される可能性もあったが、アメリカの力を借りて概ねのものは確保できる見込みである。
一方では、海外の機関等がもつ日本国債が約80兆円分あり、これは無視できないので現状では海外の投資(資産)と交換すべく動いている。さらに、海外の投資分の半分程度は日本へ工場を持ち帰ることで費やされる見込みになっている。だから、時震前に年間10兆円程度あった貿易外の黒字は4兆円足らずになる見込みである。
とは言え、この金額は人口が1700万人足らずになった日本にとっては小さいものではない。だが、この数字は、海外日本人の減少、人材の減少と財源不足による科学研究費の減少などで年々減っていくはずであり、中長期的には当てにはできない。
こうしたことで、政府としては高い技術を要しない産品の日本での生産も進め、食料の自給を達成する等で国際収支をなんとか黒字化しようと思っている。のみならず、優秀な人材が消えてしまった穴埋めに、海外へ駐在していた今人でかつそれなりに高いスキルを持った人々を、生産設備と共に呼び戻そうとしているわけだ。
政府としては、こうした海外から回帰してくる生産設備を、元人の働き口を確保するために北海道・沖縄のみならず極力本土3島への立地を目論んでいる。だが、工業というのは一定の電力、道路、上水道や取水などのインフラが整っていないと存続できない場合が多い。
その意味でとりわけ規模の大きい工場は、北海道と沖縄に立地することになったが、人口密度が北海道に比べ一桁高い沖縄が、この点では不利であることは否めない。沖縄への投資額は、大体北海道の1/10に過ぎないと言われているが、それでも、時震以降の投資額は2兆円を超えるので地域経済に与えた影響は極めて大きい。
とは言え、沖縄にひしめいていた人々は九州というフロンティアは魅力的に映ったらしく、最初の1年で1万2千人の移住者、2年目は最初の移住者の家族を含めて5万7千人に及ぶ人々が九州に移ってその開発に従事している。その内、家族を含めれば4千人が、菱刈金山開発のためにその周辺に作られた菱刈町に移っている。
そのようなことを思い浮かべているうちに、待っている客である西田浩紀が来た。客といっても沖縄の新垣と同様にやはり大学の同級生であり、国交省に入省して役人になった柳井に対してT自動車に就職している。就職先で判るように土木工学科の柳井と違っており、彼は機械工学科だったのだ。
彼は、順調に出世していたが、時震時点ではアメリカT自動車のデンバー工場の工場長を務めていた。日本一の大企業であるT自動車は、世界21か国に工場を持っていて、ほぼ全世界を市場として製品を売っている。しかし、本社を始めとする日本の生産工場・研究所、さらには協力会社の95%が消えてしまった。
そこで、最初に問題になったのは財政問題であるが、北海道の臨時政府がそれなりに機能して、預金の大部分は保全できた。これは、大部分の大銀行は海外に大きな拠点を持っており、そこでも預金などの記録は十分に持っていたのだ。
それに反して、地銀や信用金庫など海外に全く拠点のない銀行については、預金毎消えてしまったということになるが、顧客も大部分が消えてしまっているのでそれほど大きな問題になっていない。ただ、中小企業が海外に進出している場合に、本社毎地銀等の預金も消えてしまい、本社からの送金に頼っていた拠点が立ち行かなるという事態は特に中国、東南アジアで多く見られている。
この事態については、貴重な人材と生産工場などの機器を保全するために、大使館を通じて政府がすぐに資金を手当てしている。なお、これらの政府が支出しなければならなかった資金は、すでに成立していた令和3年度予算から適当な項目をつけて支出している。
とは言え、現金を積んでいるわけではなく、単に口座から口座に振り込むということであるが、当初は東京からの送金システムを北海道に振り替えるのに2ヶ月を要している。これも、北海道のエンジニアには対処できず、急きょアメリカとイギリス、ドイツから日本人エンジニアを呼び寄せている。
実のところは、アメリカの工場ではそうした金の問題の前に、部品供給が直ちに問題になった。現在ではジャストインタイムということで、在庫を持たない生産が主流であり、日本から部品を供給されているものについては大きな問題になりうる。ただ、特にアメリカでの自動車生産については殆どが現地で調達できている。
それでも、一部のものは日本からの輸入がされているので、その手当てに走り回る必要があった。それは電装品などの一部の製品であったが、幸いそのそれらのメーカーはアメリカ工場も持っているので、2ヶ月ほど時間を要したが、代替の部品を調達することができるようになった。
その意味では自動車生産は、日本が無くなると工場が長期止まると言うほどのこともなかったが、日本でしかできないもの、日本が世界シェアの多くを占めているものは多くある。このため、とりわけ工業原料や部品の日本本土の工場が消えたために、生産停止に追い込まれた工場が世界中に数多く出た。
韓国との間で話題になった高純度のフッ化水素やフォトレジストなども一例である。時震後最初の年は特にハイテクの工業生産が落ち込んで、コロナ後で回復しようとしていた世界経済に冷や水を浴びせた格好になった。このため、日本の3島消滅は『ミッシングジャパン・ショック』と呼ばれるようになった。
その後、西田は消えてしまった祖国と北海道と沖縄に残った同胞を気にかけながら、日本からの完成品輸入が無くなったために生産増強に励んでいた。そこに、アメリカT自動車の社長の豊島から、北海道への組み立て工場建設の責任者という話があったのだ。
これは、日本政府からも打診はあったが、アメリカT自動車でもその準備は進めていたのだ。現在ではT自動車は北海道の苫小牧にトランスミッションなどの大規模な部品工場を操業しているが、本土の組み立て工場が消えてしまったので、生産物の行き先がなくなったのだ。
取得している敷地面積は100haあるので、ある程度の規模の組み立て工場を建設することは十分可能である。だから、西田もデンバー工場の操業が軌道に乗った段階から、この組み立て工場の設計に係わっている。T自動車にとっても、北海道と沖縄のそれなりに所得のある人々は、顧客として逃すつもりはない。さらに、今後日本からの数少ない輸出産業にすべきという考えはあったのだ。
しかし、なにより今やT自動車インターナショナルの社長になった豊島洋二にとっても、祖国日本に貢献したいという思いはある。それは、西田にとっても同じことで、日本の工場の責任者の内示があった時には、張り切って妻の涼子、中2の娘の比奈、小6の和弘に日本に帰ることを告げている。
「おお、西田、相かわらず元気そうだね。和弘君は落ち着いたかい?」
入って来た彼に、柳井は所長室にあるソファを勧めて、自分も机から離れてその向かいに座る。西田が北海道に来たのは1年弱前であったが、家族はそれより大きく遅れて年が明けてからであった。
柳井とは卒業後もちょくちょく会いもしてそれなりに親しくしていたので、同じ街に住むということで、西田が赴任してきたときはすぐに会って久闊を叙している。その後は西田が単身の間は、何度か柳井の家に招待しているし、西田の家族が帰国した時には家族ごと招待している。
なお、柳井は市内の家を借りて、妻の和美に高1の息子亮一と住んでいるが、少し古いが庭もついた4LDKの広い家であるので、人を招待しても困らない。苫小牧のような地方都市は、広くても家賃も安いのだ。西田も同様に空き家の多い市内の家を借りて住んでいるが、柳井と同じ程度の広さの家で、アメリカの広い家に慣れていた彼らとしては当然の選択であった。
そして、お互いに招待している中で、5年以上のアメリカ生活の後の帰国子女である西田の娘は、殆ど日本語にも不自由がなくすぐに学校に溶け込んだが、アメリカに渡った時幼かった息子の和弘は苦労していたのだ。
「ああ、おかげで落ち着いたよ。言葉もほぼ問題なくなったな。ところで、用地についてはどうかな?」
西田が聞くのに柳井は応じた。
「うん、T自動車については、政府としても補助金は殆ど出してないから、用地については出来るだけ便宜を図るようにとの本庁のお達しだ。だけど、300万haか、とんでもない広さだな。それにしても、既存の用地で年間50万台、新規用地で100万台の部品と車体や組み立て工場をつくるというのは事実か?国内需要には余るだろう」
「ああ、苫小牧工場の現状の部品生産が年間150万台対象なんだが、今の残余の用地では50万台の組み立てが限度だ。それに、部品にしても足りないものが沢山あるし、生産が乗用車のみでも国も困るだろうから、トラックも作るつもりだ。それに、ダンプとかタンク車とか特殊車両も集めてしまいたいと思っている。
だから、北海道にあるI自動車など他社の工場との協働も視野に入れて、もう合意を得てラインを切り替え中だ。それに無論、輸出も視野に入れていて、出来るだけ早く輸出を再開したいと思っている。だから、それらを入れて3㎢、300haの用地だ。近辺で手当てできるのか?」
「ああ、すぐに使える既存の空き地は50ha足らずだが、すぐ造成できる計画地がその2倍くらいはある。だから、1年もあれば準備できる。そっちは当面今の用地でいけるんだろう?」
「いや、ちょっと今のものでは厳しい。すぐに使える用地が50haあると言ったな?それは売ってくれるか?」
「あ、ああ。今中国から帰ってくる電子部品工場の話があるが、そっちは待たせることができるだろう。うん、大丈夫だな。場所は、今示すよ」
柳井は自分の机に座ってキーボードを操作して、コンピュータの画面の向きを変える。それを見ている西田に向けて説明する。
「ここだ。お宅の工場から3㎞ほどで幹線道路もあるから、それほど不便ではないと思うぞ」
「うーん、いいな。形も良い。とりあえず押さえておいてくれるか?アメリカ本社に伺いを立てるよ。ちなみに残りの用地はどの辺になるのかな?」
「うん、ここだ。距離はお宅の工場から6km程度あるが、角地が3つという感じになるが、くっついているので、一体に使う上では問題なないと思うが、どうだ?」
「うん、いいんじゃないかな。解った。それもアメリカに伺いを立てるので、データを送ってくれ」
「ああ、了解した」
それから、柳井はソファに帰って来て雑談に入る。
「どうだい。アメリカでの車の売れ行きは?」
「うん、アメリカに工場のある日本車メーカーのアメリカ産の車は100%売れているので、できるだけ生産を増やしているよ。ただ、無論年間300万台の日本からの輸入車がなくなったので、全体としての売れる数は全メーカーで下がっている。ただ、人気は高いな。これは、やはり保護国になって内国扱いになったのが大きいようだ。
とは言え、全体としてのアメリカのみならず世界の車の売れ行きそのものは良くない。コロナショックが治まり切れない内の『ミッシングジャパン・ショック』だからね。その中では、アメリカのみならず現地生産の日本車は確実に売れているのでありがたいよ。
実のところ、日系メーカーは大合同の話がでている。本社の無くなった会社でそれぞれに戦うのは無理があるからね。とはいえ、フランスのR社が大株主になっているN社はすんなりR社傘下に入るようだけどな」
「ほう、メーカーの大合同か?なるほど、資金の面での人材の面でもそれが賢いだろうな」
「その通りだよ。わが社は財務について政府の助けもあって万全になったが、I社など結構厳しかったから、かなり政府も援助している。ただ、金より人材だよ。とりわけ研究開発部門の人材が殆ど消えてしまった。うちなんかはアメリカに研究所を作っていたのでまだしも、殆どゼロになった社もある。
研究開発をやらないと、多分3年経てば完全に時代に遅れてしまうからね。この苫小牧の工場は研究所も作るし日本メーカーの大合同の始まりになるはずだ。だから、大げさに言えば、この苫小牧は日本の自動車作りの復活の地になると俺は思っているよ」
「おお、その意気や良しだな。ぜひそうなってほしいよ。同じように、電子関係や素材系の会社で、少ないながら北海道にあった工場と、海外の工場などが共同でここ苫小牧に工場と研究所を作ろうとしている。おかげで、ガラガラだった広大な苫小牧工業団地もさっき言った50haを除いて埋まってしまった。
俺もここに赴任してから、そうした話で大忙しだ。まあこの種の話で忙しいのは有難いことだけどな」
「ところで、柳川君。本土3島の開発はどうなんだ?マスコミの報道では結構うまくいっているようだけど」
「うん、本州縦貫道と縦貫鉄道の開通で様変わりになってきたな。まだ、今のところ物流は船が主流だけど、鉄道輸送も増えて来て、駅が地域開発の中心になってきている。旅客は鉄道が早いので船に代わってきているし、京都周辺については飛行機だな。なにしろ、どういっても中心は今人の多い、北海道と沖縄だから、まだ鉄道では不便だ。
もう一つの朗報は、元人が結構労働力として使えることが判って来た。知識は、まだまだ今人に大きく劣るが、特に子供の知能は今人と変わらないほどで理解力は悪くない。元人の労働力としての戦力化は悲観的な意見もあったが、本土に建設された小規模な工場や建設工事では大体使えている。だから、自動車工場でも元人を使えるようになると思うぞ」
「ほお!それは有難いな。政府の方針もあるので海外から連れてくるのは避けたいからね」
48歳の同窓生の会話は、さらに1時間ほども続いた。
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