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2023年4月、京都国際空港開港

読んで頂いてありがとうございます。

 時震後2年、待望の京都国際空港が正式オープンした。仁科義男は妻の由香と息子の良太を連れて、オープンした空港から空路沖縄に向かおうとしている。


 この空港は、半年前に滑走路とエプロン、管制塔などが出来て飛行機の発着が可能になり、ターミナルビルなどは未完成の段階で仮オープンした。その後、国内空路、つまり北海道の空港と那覇空港との空路に限って運用してきた。その場合の利用は、ビジネス客に加え国内からの観光客、さらに500年前の日本を見たかった海外からの観光客も多く含まれていた。


 仮オープンの空港は、通関機能がないために海外からの客は、一旦千歳または那覇空港で通関してから移動してくることになったが、それでも大人気で月間12〜20万人の枠は何時も一杯だった。そもそも、千歳と那覇空港には、時震直後から予約していた観光客は多くがキャンセルせずにやって来た。


 その数は北海道、沖縄両地区で月間32万人であるので、コロナ後は別として多少減った程度であったが、半年過ぎるころから、むしろ48万人ほどに増えている。

 これは、両空港から500年前の世界に代わった本土の遊覧飛行、遊覧航行を行い始めたことによるものだ。その時期からやってくる大部分の観光客はいずれかのコースを申し込んでいる。だから、その時期の文化の中心地の京都に実際に宿泊できるとなれば、人気の出ない訳はない。


 仮オープンした京都空港からの観光客の人数が、先述の数値に留まったのは、単に使えるホテルの能力の限界によるものである。ホテルについては、折角15世紀の日本に来て、鉄筋コンクリート造りでは味けないので、基本的に木造で精々2階建てのコテージ風の構造にしている。


 ちなみに、この時代の木材資源については極めて豊富であるが、伐採後は少なくとも10ヵ月程度乾燥させて、製材しなくてはならないので、木造もそれほど簡単ではないのだ。ホテル建設は当初から最大の優先度が置かれているので、京阪神では多数が同時に建設にかかっている。


 まずは、木材を伐採乾燥させている間に、製材所及び木部材加工場を建設するのと平行してホテルの用地の造成、建物の基礎を建設する。部材が出来たものは次々に現場に運び込んで、片端から組み立てていく、というようにシステム化している。このような流れ作業で建設を進め、空港正式オープンの今では、京阪神のみで月間50万人の観光客の受け入れが可能になっている。


 同様なホテルは京阪神のみでなく、国際空港のある那覇、千歳から容易に船でアクセスできる九州、東北の風光明媚な海岸にも建設されており、すでに海外らの観光客を受け入れ始めている。日本政府は、大きな産業の柱として観光立国を挙げているのだ。


 仁科一家は、今は石山ベースに近い住宅地に住んでいて、通勤時間は徒歩12分であるが、石山ベースのゲートまでよりベースの中の移動に時間がかかる。彼らの家は、2階建てで3軒が連なったメゾネット式の家で、間口12mの前後に庭もある。家の広さは100㎡強であり、狭めの部屋だが3DKの間取りだ。


 石山ベースからは、空港経由京都まで高速バスが出ているので、彼らの家から歩いて7〜8分でバスに乗ることができる。だから、京の由香の実家まではバスを使えば1時間半もあれば着くので、由香の両親もちょくちょく訪問して来て泊まっていく。


 今日は当然バスで来たが、完成したターミナルビルを見て良太がはしゃいでいる。仁科は工事中と、この空港が仮オープンして飛行機が飛び始めてから、良太と由香を連れてきて空港周辺を一回りして見せているが、まだターミナルビルは完成していなかった。


 良太はテレビを見て、飛行場と飛行機は知っていたが、重機により作られている長大な滑走路、巨大なジェット旅客機が離着陸する様子には感動していたものだ。

 その様子を見て、仁科はこの満9歳になったばかりの義理の息子に、出来るだけ早く飛行機に乗せてやろうと思ったのだ。だから、2ヵ月前に予約可能になってすぐに申し込み、首尾よく3人の席が取れたのだが、それを知った良太は大喜びをしたものだ。


 バスから降りて、ターミナルビルのエスカレーターに乗り2階の出発カウンターに向かう。良太は初めて乗るエスカレーターに興奮し、また出発便・到着便のアナウンスが響く出発ラウンジの広大な空間に「わあ!」と思わず叫ぶ。由香とて、同じく始めての経験であり、自分でも目を見張っており、息子の様子を見守るほどの余裕はない。


 その意味では、仁科は2人の様子を微笑ましく見守って、『連れて来てよかった』と思っている。出発カウンターに行こうとすると、人々に囲まれて関首相の顔がちらりと見えた。


「由香、見てごらん。関首相だ。そう言えば、アメリカに行くと報道されていたな」


「ええ、初めて生で見るわ。あちらは、沖山外務大臣よね!」由香が弾んだ声で言う。


 報道では関首相は、昨日の京都空港の開港式に出席して、その後に後土御門天皇陛下に会見している。さらに、その翌日の今日には、京都空港からアメリカへの第1便でワシントンに乗り込むという予定になっている。


「それにしても、先日の国会議員投票は結構圧倒的だったな。由香も初めて投票をしたものね」


「ええ、私の名前の投票券が送られてきて、初めて投票したのはちょっと感動したわ」


「そうだね。今のところ由香達元人の半分が住民登録をして、その40%が選挙権を持ったから200万弱だな。そして、北海道と沖縄の有権者が概ね350万だから、全部で550万票か。

 まず半年前に当面ということで、天皇制を保持する、さらに議員内閣制は続け、国会は衆議院のみということに関して、今人のみの投票にかけて、72%の賛成票で決まったよね。それに従って、衆議院の選挙が行われたわけだ。結局現政権派が50人中40人で圧倒したが、現時点では妥当なところだろうね」


 仁科が言うように、3月始めに衆議員定員50人の投票が行われて、北海道26人、沖縄12人、本土12人の定員とした選挙区で65人が立候補した。当選者には臨時日本政府の主要閣僚が含まれていたので、直ちに組閣して臨時政府と殆ど同じ顔ぶれの政府となった。


 ちなみに、「日本政府」閣議において、首都は京都に決まった。現在日本は、北海道、沖縄県の他東北州、関東州、中部州、近畿州、中国州、四国州、九州に分けられている。


 現時点では、すでに最狭部2車線で、70%が4車線の国土縦貫国道1920kmは完成して、フェリーによって北海道の国道5号線、沖縄の国道58号線に繋がっている。さらには、平行して広軌単線の縦貫鉄道も完成してすでに1ヵ月前から営業運転中であるが、複線化が進行中である。


 この鉄道では、北海道に建設された鉄道工場で新幹線仕様の旅客車両と貨物車両が作られ、客車は最高速度が200km/時、貨物車は150㎞/時が達成できている。

 ただし、本州と九州間の関門海峡はフェリーによっており、現在鉄道との併用橋の基礎工事が進行中であり、2年後に完成の予定になっている。また、四国については徳島〜八幡浜までの四国縦貫道270㎞はすでに完成しているが、本州との接続はフェリーによっている。


 この国道と鉄道の完成によって、幹線部はようやく船より早い交通が達成できているが、まだまだ枝部の鉄道は計画段階であり、道路建設は年間5千km足らずの進捗なので、120万㎞あった21世紀の日本に比べると先の長い話である。


 そういうことで、現状のところ本州、四国、九州各地への輸送は船舶によるものが主流である。道路は、全国の開発基地ベースの近傍の港から、道路が内陸に向かって伸びる形で延伸が進んできている。


 ちなみに、現人口は今人つまり、21世紀人の人口が北海道530万、沖縄145万人、元人つまり本土に住んでいた人々が980万人である。それに対して、元人に関しては3月時点では、住民登録が済んでいる者が半分である。


 そして、18歳以上で選挙権を持つ者が北海道に245万、沖縄に98万、元人が200万であり、元人が大部分の本土の特殊事情を勘案して、先述のような定員が決まったのだ。ただ、元人の定員は人数割とすれば明らかに不公平なので、選挙ごとに改定されることになっている。

 なお、元人の当選者は、基本的に各地の12ヶ所のベースに協力的な人物になっており、公卿から太政大臣勧修寺教秀など3名、鹿児島から島津忠昌も当選者になっている。


 時震後、関元官房長官が中心になって臨時日本政府を設立したが、その政府は時震後の開発と対外対応に忙殺されてきた。一方で、北海道には地方自治体としての道と沖縄には県があり、それぞれ議会があり、さらに市町村とそれぞれの議会がある。


 しかし、北海道知事が、関が臨時の首相になることに異議を唱えなかったように、地方自治体が対外政策を含む国政を担う能力はない。実際に、関内閣の取ったアメリカの保護国下に収まるという決断は、英断であったと今では評価されている。

 実際に、中国、ロシア、韓国が15世紀の日本の一部をかじり取ろうとする動きをしていたが、アメリカの保護国化で断念したことが今では暴露されている。


 関総理大臣と沖山外務大臣のアメリカ行きは、公的には被保護国としての保護国への半年ごとの報告であるが、実際には年間2000億ドルものアメリカからの給付金の支出の確認である。もっともその90%は日本国所有のアメリカ国債を原資としている。


 ゲートに消えていく関首相一行を見送って、仁科一家は沖縄行のチケットを入手し、手荷物検査ゲートを通り、沖縄行のゲート前に到着する。そこからは、巨大な窓ガラスを通してエプロン、滑走路が見え、まさに着陸しようとする大型旅客機がある。


 良太は、「わあー、飛行機が……」と叫んで窓際に駆け寄る。そこは2500m級滑走路が2本並んだ広大な飛行場であり、全部は見えないが、20基のボーディングブリッジが設置されている。2㎞×3.2kmの用地を買収するのは、21世紀であれば大変なことだが、この時代では費用として1トン程度の銀、半年の交渉で済んでいる。


 やがて、ゲートが開き仁科一家を含む乗客がぞろぞろ乗り込んでいく。沖縄への最初の便ということで、客の数は多く、中には公家であろうが、公家風の衣装をまとっている者もいる。良太はもちろん由香も目をキラキラさせて、あちらを見回して歩いている。


 仁科はベトナムに行っていたこともあって、飛行機に何度となく乗って珍しくもなんともないが、最初は自分もあんな風だったと思う。ボーディングブリッジを通って乗り込んだ棄内は、2人掛けのシートが両側に並んだ、150席の小さめの飛行機で見たところ満杯だ。


 仁科は通路側で、良太を並びの窓側の席に座らせ、由香は前の席の窓側に座らせる。

「窓からの景色をちゃんと見ておけよ」


 彼は2人に声をかけるが、この日は快晴だから、窓からの景色はさぞかしよく見えるだろう。シートベルトの締め方の案内があるうちに、飛行機がタクシングして、やがてアナウンスと共に加速する。


「うわ!」エンジン音が大きくなって、背が後ろに押し付けられると、小さく良太が叫び、やがて上昇するのを感じるようになる。その中でも良太は夢中になって窓から外を見ている。


「ほら、あれが石山ベースだよ。大阪湾が見えるだろう、あっちに見えるのが六甲山地で、あっちは四国だ、それから………」


 仁科は窓から見える景色をいろいろ解説するが、良太も地理を習っていて、近傍の地名や山地などの名は知っている。結局、2時間10分後に那覇空港に着陸するまで、機内サービスで配られたジュースを飲む時に眼を放したくらいで、良太はずっと窓から外を見ていた。


 4月の沖縄は明るく眩かった。南国沖縄は京都で育った2人にとって、十分観光地として価値のあるもので、モノレールに乗って終点まで行き、レンタカーを借りて海岸線を走る。この車で走る時、仁科は空き家が目立つこと気がついた。


 これは、ここでは沖縄から九州に移住することが既にブームになっており、その数はこの4月までにすでに22万人を数えている。もともと沖縄は、全国平均は下回ってはいたが、640人/㎢と高い人口密度である。また北海道は64人/㎢であり、沖縄より一桁少ない。


 一方で、この時代の列島3島の平均人口密度は33人/㎢であり、沖縄が異常に高いことになる。だから、政府は沖縄から本土への移住の促進を考えており、様々な優遇策を講じている。背景には、元人が21世紀の基本的な持つべきスキルと常識に欠けていることがある。


 しかし、本土3島において貿易収支を均衡させることを狙って、農場開発・鉱山開発や工場建設など様々な開発を行っている。そして、こうした建設に加え、完成後の運営に元人を交えて携わっていく必要がある。


 そうした場合に、どうしても21世紀の教育を受けたマネージャーが必要になる。その人材は北海道、沖縄、さらに海外にいる邦人である。政府は、工業製品の国産化のために、戦略的に生産すべき品種を定め次々に工場を建設して、立地場所も戦略的に決めているが、極力本州3島で可能な場合はそこに建設している。


 しかし、一定のインフラが整っていないと、立地できない工場は地価の安い北海道に建設ということになる。さらに、北海道の農業は比較的大規模で競争力もあるが、沖縄の場合は実際のところ生産性は低い。


 だから、沖縄の方が人材に余裕があるということになる。まずは九州に開発している大規模農業プランテーションに農家を移住させ、さらに短期のマネージャー教育を受けて、工場や鉱山などに働くために移住を進めている。これはまだ着手したばかりであり、今後3年程度にさらに30万人位が移住すると言われている。



 2泊3日の旅であったが、仁科一家は沖縄の郷土料理も味わって、楽しい時間を過ごすことができた。空港から帰りのバスの中の一家の会話である。


「お父さん、この旅行は楽しかったね。特に飛行機から見た景色がよかったなあ」


「ああ、楽しかったなら良かったよ。沖縄には外国からもたくさん観光客が来るんだよ」


「ええ、京や石山でも見かけるようになったけど、金色の髪の人や色の黒い人もいたわね。でも私も楽しかったわ。それにしても、飛行機についてはあんなものが飛ぶのが不思議だわ」


「ああ、理屈では判っても、感覚では判らないということだな。まあ、今度は北海道に行こうかな。北海道もいいぞ。ただ、今は時期はまだ少し早いから、来年の6月頃かな」


「うん!北海道いいなあ。行きたいよ」

 良太がはしゃいで言う。


別の連載をよかったら読んで下さい。

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