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2021年8月、後土御門天皇北海道行幸

読んで頂いてありがとうございました。

 2021年8月20日、後土御門天皇は御所を発って北海道に向かって出発した。実質皇后である典侍の庭田朝子の他に太政大臣勧修寺教秀、右大臣甘露寺親長左が同行しているが、当然天皇陛下・典侍の付き添いや大臣連の付き添いを入れて合計で22人の所帯になっている。


 御所から難波の石山港までは、すでに2車線の道路が完成しており、片道だけは舗装も終わっている。だから、京から石山までの62kmの路程は車を飛ばせば1時間で着く。しかし、もちろん天皇陛下の座乗している車であるランド・クルーザーをそのような速度で走らせることはない。


 本来であれば、人々に陛下のルートを公開して旗でも振らせたいところであるが、戦国初期のこの時代、大名とは敢えて対立しているので、万が一ということもあるので予定は秘密にしている。とは言え、未だ銃が渡ってきていないこの時代である。ランクルの特殊窓ガラスはよほど至近距離でないと弓で打ち抜けるものではないし、馬では追いつけるものではないから基本的に襲う手段がない。


 天皇と典侍および2人の大臣はそれぞれのランクルに乗り、他の随員はマイクロバスである。先導する自衛隊のジープに続く天皇陛下の乗った車について走りながら、太政大臣の勧修寺は、日本政府の使者という狭山博一が現れて以来のことを考えていた。狭山がやってきて以来、いろんなことが目まぐるしく変わっている。


 最大の変化は、皇室と公卿が定収入を得られるようになったことである。それは、御上の賄いについては皇室費、公家については月手当ということで銭が支払われるが、そのほかに米や味噌・醤油の他、彼らが言うインスタント食品の数々、石鹸・衣類などが現物支給の形で家族・使用人の数に応じて供給される。


 そのほかにも、最初の段階でガスボンベとコンロ・炊飯器というものが、それにあった鍋窯と共に宮中を始めとしてそれぞれの家に与えられて、煮炊きが非常に楽になった。また、公家の家には井戸を掘って、宮中と5摂家には電動ポンプ、その他の家には手押しポンプが設置された。


 しかも、宮中と5摂家には風呂が新たに備えられ、井戸の綺麗でボイラというもので沸かせるようになってきた。今までは、風呂はあっても多くの人手と薪が必要で、帝もそれほど使うことはできなかったが、今では毎日楽しまれているそうな。麿も毎日とはいかんが、2日に1回は愉しませてもらっている。


 このようになって、なにより有難いのは、我々が菅領の細川政元め等に銭をせびらずともよくなったことじゃ。応仁の乱を起こして京を焼き、その復旧もせずにのうのうとしているあ奴は誠に我らの敵じゃが、吉田神社の裏山の自衛隊の演習の奴らの顔が見ものだったのお。あれでは、細川、山内とも鎧袖一触であろう。


 最近は、細川の奴バラは石山に押しかけて、日本のやることに苦情を言いに行ったらしいが、『戦を起こすなら、最初に大将を狙う』と言われてすごすご帰ったらしい。確かに“演習”を見ると自衛隊から見えるところに居るものは彼らの的だから、彼らの言うことは単なる脅しではないのう。


 ところで、毎月の手当てじゃが、最初は紙の金である『円』をもらって、どう使うか困ったが、京に日本国の万物市場が出来てから、有難みが良く解った。あの市場は普通の者も入れるので、出入りの商人も円を欲しがるようになったので、彼らからは円で銭より割安で買えるようになった。だから、そろそろ手当は銭でなく全部円で欲しいというかの。


 ところで、帝はもはや今年で51歳、勝仁殿下に譲位したいと申されている。勝仁殿下も28歳であるからそうあってもおかしくはない。今まで、細川めに好き勝手されて、腹に据えかねて譲位は何度も申されていたが、なにせ銭がなかったものな。


 いずれにせよ、譲位の件は今度北海道で会える首相殿にお願いすることにしている。日本国が、この京の近辺でやっている多数のたいそうな仕事からすれば、譲位の儀、即位の儀の費用もなんということはなかろう。


 ちなみに、天皇陛下及び勧修寺等の公卿は、すでに何度もランクルに乗って京の街周辺を走っている。石山城塞には勧修寺は訪問しているが、陛下はまだ行かれていない。近く成立する宮内庁において、勧修寺等の公卿は日本政府と折衝役を果たすためには日本政府の政策を把握しておく必要があるので石山城塞に代表される開発基地は、その最前線の基地になるので当然訪問する必要があった。


 勧修寺太政大臣は、最近こうした視察を含めて、日本政府との折衝が増えているが、今まで、細川菅領家との交渉に比べると、圧倒的にストレスが少ない。むろん、日本政府が幕府と菅領家を意図的に無視しているために、とりわけ細川菅領家からは、勧修寺を始めとする上級公卿に接触しようとしているが、護衛についている自衛隊が接触を拒んでいる。


 現時点では、朝廷を担いでいる日本政府は、公言はしていないが将軍家を権威として認めていない。従って、将軍家の組織の一つである菅領も当然において権威としては無視している。

 そして、朝廷とそれを支える公家衆に対しては、日本政府の組織である宮内庁の構成員として位置づけ、それを根拠に予算を割り振っている。だから、日本列島には、室町幕府を頂点とする武家による政府(実態は全国の国人領主や大名に対しては殆ど支配する力はない)と、突然現れた天皇家を頂く日本政府が2つあることになる。


 一方で本州、四国、九州3島の人々は、基本的には大名と国人領主の支配下にあり、彼らが領民から税を取り、かつ縛っている。大名・国人領主は、自領についてはそれなりに生産性向上に励んではいるが、どちらかといえば自領を守ることと、侵略することに熱心である。だから、領民が耐えられる限度まで税を取り上げ、かつ自領の境には関を設け、関銭を取ろうとしている。


 今後日本政府は、3島を近代化する上では、まず農業に関してカロリー・ベースで自給できる程度に持っていきたいと思っている。沖縄は農業生産ではあまり期待できないとして、北海道と3島で約1700万人の食料を自給できるようにしたいというのが基本的な考えである。


 農地に関しては農地整備で形を整えて、農機具を使えるようにする必要があり、加えて用水路の整備と洪水防除が必要である。このためには、21世紀ほどの農地を開発するとなると、多大な投資が必要になる。


 しかし。必要な生産物が得られる最小限の面積として、出来るだけ平らで用水が得やすく、洪水等の被害を受けにくい場所を選んで整備をすれば良い。だから、その整備にはそれほどの大きな投資と長い年月は要しないと見積もられている。


 しかし、整備の主な対象はコメの生産地であり、21世紀では大規模化しないと収入が限られる。だから、コメについては大規模化を進め、他に力を入れるべき作物として、野菜、果物、の他に酪農、家禽類の飼育も大いに進めるものとしている。


 これらの米作の適地は、すでに既存開墾地であるので、既存の勢力と折り合いをつける必要がある。しかし、その他の作物は現状の未開発地でも活用可能であり、さらに今後工業用地や、商業地についても同様である。


 21世紀の日本では大部分の土地は私有化されており、何らかの事業を行う時には地主の利権整理に多大な労力を要求される。一方で、15世紀では武力を持ったやくざの親分のような大名と国人領主が相手である。


 間違いなく、日本政府が行う事業は多大な利益を生むが、一方でそれを相手の大名と国人領主はなかなか理解しないだろうし、理解したらその利益の全てを独占しようとするだろう。その意味では、相手がやくざと思えば丁度良いのかも知れない。


 一方で、15世紀の大名と国人領主一派以外の住民は殆どが農民であり、彼らは利益を示せばついて来るだろう。この点で、日本政府の農民への税率は、精々10%足らずなので、彼らはそれだけでも味方するだろう。


 日本政府の長期的な方針は決まっている。農業については、既存の米作農地の整備により、大規模化して農業機械で耕作するとともに、野菜・果物など作物を多様化、さらに酪農をはじめ家禽類の飼育を進めて、農家の生産性を世界標準に高める。


 その農業従事者は機械化によって生産性を上げて人数を半分以下に絞って、工業・商業従事者に職種転換させる。大名と国人領主及びその家来たちは、基本的は優秀な人材であると考えられるので、行政マンあるいは工業・商業の幹部として待遇する。


 ただ、これらの中で、戦にしか適性のない者の扱いはなかなか難しいことになるが、これは自衛隊で吸収するしかないだろう。子供は、もちろん義務教育が適用されるので、6歳以降は労働力としてカウントされる現状は完全に改める必要がある。


 そして、目指すべき産業の中心は、出来るだけ近い将来においての工業・観光立国である。まずは1700万人の日本人に対する21世紀の工業製品の自給を目指し、3島に分散して工場を建設する。その工場はできるだけ、海外の日系企業の設備を移転して建設するのだ。そして、その中で『物作り日本』を何とか取り戻して、世界水準を超え輸出をも行えるようにする。


 観光というのは、元来日本列島は美しい自然に恵まれているが、間違いなく15世紀においては殆どの自然は手つかずで残っている。だから、500年の時を超えて現れたという特異性と、美しい自然を組み合わせた観光業は十分に競争力があると政府は考えているのだ。


 その実現方法として、政府が考えているのは、まずは港湾・道路・飛行場などの交通インフラを整備し、並行して未利用地の活用により工場や米以外の作物を栽培する農場を建設することである。後者の一環が日本政府の言うベース、元人が言う城塞である。


 そして、ベースや道路や飛行場などの建設基地には必ずスーパーマーケット(万物市場)を建設して、人々に21世紀の産物の良さ・便利さを知らしめ日本円の通用する地域を広げる役割を果たさせるのだ。


 柵に囲まれたベースを作るのは、山賊が出没し、山賊と大差のない国人領主が多数存在するこの3島に防御のない居留地を作ることは無理だと判断したが故である。しかし、そこに居座ることで、近辺の安全を確保して居留地をどんどん広げていく考えである。


 この方針は、勧修寺太政大臣ももちろん、帝も承知しており、原則的に賛成はしているが、勧修寺としては武力で圧倒していのだから、武士どもを蹴散らせばよいと思っている。ただ、すでに21世紀の日本の文明の在り方を深く学んだ彼としては、日本政府が人命を損なわないようにしたいとする考えも理解はしている。


 勧修寺の乗ったランド・クルーザーは、石山の桟橋が見える丘を通過しているが、3本の桟橋がある港には巨大な白い船舶が停泊している。“すずらん”全長190m、17000トンの船であり、トラックが160台積めるので今回、京都飛行場建設工事や京周辺の工事のための重機類を運んできたのだ。


 21世紀の巨船を見た勧修寺は驚いているが、彼に前部座席に座った世話役の村井が説明する。

「この船は、舞鶴と北海道小樽を結んでいたのですよ。毎日夜23時に舞鶴を発って翌日20時に小樽に着く航路です。当然逆の航路もありましたので、同じ船が2隻必要でした。

 航行時間は大体21時間ですね。一応、スィートルームはありますが、陛下にお使いいただけるようなものではありません。この点は恐縮ですが、御辛抱頂くことになります」


 勧修寺もすでに21世紀の腕時計をしているほどで、1日24時間のその時間に慣れているが、それにしても1日も経たずに蝦夷エゾと呼んでいた北海道に着くというのは驚きだ。


「いやいや、今回の旅は、陛下のたっての御希望であり、大変楽しみにされておられる。なにせ、応仁の乱の後、京も物騒でな、御上も殆ど外出もおできになれなかったのじゃ。それもあって、御上は北海道の紹介ビデオをご覧になってぜひ実際に訪れてみたいとおおせになったのじゃ。しかし、あなた方には無理を言いましたな」


「いえいえ、政府では早くお招きするという話はあったのです。ただ、フェリーでは少し失礼だろうということで、飛行場ができて旅客機が使えるようになれば、2時間で行けますので、それまで待っていただいた方がいいという話もありまして。でも、そうなると京都空港の仮オープンが来年ですから、ちょっと先になりすぎるし、という意見もあって、議論しているところだったのです」


「おお、飛行場が出来れば、2時間で行けるということでしたな。そして、他の国にもほんの1日、2日で行けるとか。いろいろ、本とかビデオでは見せてもらいましたが、まだあんなものが人を大勢乗せて飛ぶというのはどうにも信じられんのう。それで、北海道に行けば御上もその飛行機に乗れる予定だと聞いておるが?」


「はい、北海道は割に広いですから、それなりに飛行場もあります。まあ、今回は飛行機を乗ることを味わって頂くという趣旨ですね。それから、船の到着予定の小樽から札幌をはじめ、御旅行の予定は広報していますので、人々が旗を振ってお迎えになるかと思います」


「おお、なんと、御上のことはもう広く民草には知られているのかな?」


「ええ、陛下のことは連日報道されています。正直に言うと、列島が消えてしまって天皇陛下も居られなくなったということで、人々の間には悲しみと喪失感がありました。これは、北海道と沖縄そして海外に残った日本人の多くが、自分の家族や係累を失った悲しみと喪失感と共通するものだったと思います。

 そして、そこに21世紀の天皇陛下に直接つながる今生天皇、後土御門陛下が居られたわけです。だから日本の人々は陛下のことを知りたがり、それに応じて陛下の生涯を記した本、映像が多数作られました。だから人々は皆陛下のことには大変詳しくなっています。

 たぶん、ある意味で人々は、陛下と朝廷が21世紀後と15世紀の唯一の接点であると考えているのだろうと思います。だから、陛下を行幸される場所には、直接陛下を見ようと大勢の人々が集まってくると思いますよ」


 そのように話しているうちに、車はガタン、ガタンと揺れて、一気にフェリーに乗り込む。車載デッキから客室まではエスカレータがあるが、陛下の車はその前に止まり、エスカレータの前に白い制服に身を包んだ前田船長とチーフ・パーサーが迎える。むろん周りには記者が集まって、ビデオが撮られ、フラシュが光る。


 陛下は草色の略装である衣冠であり、付添う典侍は女性の衣装では旅行に適当なものがないということで、小袖に打掛を羽織った形の着物を着ている。典侍である庭田朝子は、朝廷に詰めている21世紀人の女性職員から洋服を紹介されて、その着心地と動きやすさにほれ込み、すっかり洋服派になっている。


 だから、彼女もお付きの女官もブラジャー、パンティは当たり前に使っており、朝方はラフなパンツとシャツで御所内を運動のために歩いている。しかし、北海道行幸に陛下とともに行くとくことになると、人々のイメージを壊してはいけないということで洋服は封印しているが、裾を引きずるような服は外で着て歩けないということで、適当にアレンジした服になっている。


「陛下、そして御一行の皆さま、本船にようこそ。私は船長の前田でございます。またこちらが、皆さまのお世話をさせていただきます、吉永です」


 船長が天皇と典侍を最敬礼で迎えて言う、続いて吉永チーフ・パーサーがベテランらしく落ち着いて最敬礼のままに言葉を続ける。

「吉永佐紀です。行き届きませんが、精いっぱい勤めさせて頂きます」


「うむ、よしなに」

 小柄ではあるが、食糧事情が改善されて、すこしぽっちゃりしてきた後土御門天皇は、初めて見るエスカレータに気を取られながらも愛想よく返す。


 無言で会釈して、先導する吉永を追う陛下の後に続きながら、典侍の庭田朝子は『今日の陛下は随分ご機嫌がよい』と思うのだった。陛下は、長き応仁の乱、その後も治安定まらぬ京と細川等の武家の専横に鬱々として楽しまれることがなかった。でも、最近になって日本国政府の使者が来て以来、宮中も驚くほど変わり、陛下も明るくなった。


 まず、物に不自由することが無くなった。見たことも味わったこともない食料が大量に供されて、日本国から料理人が毎日のように新しい食事を作ってくれる。そして、その料理人は、彼らの料理の作り方を、それに必要なコンロや鍋などは供給した上で、教えてくれるのだ。


 また彼らは、変わったものではあり、しきたりには反するが着るものも大量に持ってきてくれた。ぼろで破れほつれたものより、変わったものではあっても新しいものが良い。流石に宮中ではしきたり通りの物を使うが、家の中での服装、また下働きのものの服はすっかり変わってしまった。


 そして、動く絵が映り音も出るテレビが宮中にいくつも据えられ、どれも人だかりができている。息子である勝仁殿下も日本が持ち込んだものに夢中で、彼も北海道に行きたがって騒いだものだ。

しかし、陛下と一緒で2人ともが万が一のことがあってはいけないと、一月後に北海道に行くことになっている。

 そして、自分も日本という国の本拠である北海道に行くのは本当に楽しみだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] 現代世界は中韓国当たりの旧日本侵略が普通にありえそうですね。 北海道と沖縄だけだとシーレーンが広すぎて簡単に抜かれて工作員を送り込まれそうで怖い。
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