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1492年7月、スペイン3

読んで頂いてありがとうございます。

 マルコが、ドウドウ、パリパリという音に気が付いて戸口に近寄づくと、タイミングを合わせたようにノックの音が響いた。その音に、彼はドアの傍の壁の割れ目に急ぎ駆け寄ってそこから外を覗いた。マルコと妹の住むこの家はしっかりした作りだが、長く手入れをしていないので、あちこちに割れめが生じ、屋根も数カ所が漏れる。


 割れ目から見えるのは、ドアの前に女が一人立ち、その先に草色の馬のない馬車のようなものがあり、そこからあのドウドウという音が発している。その馬車のようなものの周りに、小さな馬のようなものが2つあってそれぞれに男が跨っていて、それがパリパリという音を立てている。さらに馬車のようなものの傍に女が一人いる。


 馬車のようなもの、小さな馬のようなもののどれも綺麗でつるつるしており、外にいる4人はマルコが見たことのない服装だが、破れも汚れもない。男は、茶色のシャツに同じ色のズボンであり、帽子は被っていないが、その馬みたいなものの取っ手に兜みたいなものがぶら下がっている。


 女は、長い髪とその体つきでそうと分かるが、服装はスカートではなく男と同じズボンであるが、その色は明るい草色だ。見るからに異様な一行だが、前に来た山賊だろうと思った一行程の危険さは感じない。その山賊らしき連中は家の中に余りに何もないのに呆れて、何も盗らずに帰っていったのだ。


「お兄ちゃん、誰?変な音がするね」

 妹のエリーネが麦粥だけの貧しい朝食を摂りながら聞く。


「うん、変なものを連れた人が、えーと4人来ている。危なくはなさそうだ。開けてみるよ」

 マルコは妹にそう言って、木製ドアの掛け金を外してそれを開く。


「はーい。おはよう。君はマルコかな。妹さんはエリーネだね」


 正面に立っていた女は、家の中を覗き込んで間を丸くしている妹にも頷いて、いきなりそう言うので、マルコはたじろぎながらも答える。

「お、おはよう。おばさんは誰?」


「おばさん?だめよ、おばさんは。お姉さん、お姉さんよ。言ってごらん、さあ『お姉さん!』って」

「え、……。お、お姉さん?」


「ふーん、まあいいわ。私の名はカルラ・スクレ・コンテス。この地区の農業をどうやって良くするかの調査のために暫くここに滞在します。この家はあなたと妹さんだけね?広さは十分のようだから、私達4人も一緒に住まわせてもらいますよ。

 その代わりに、あなた達の食事、服、その他必要なものと、そうね、家の修理も私たちが与えますし、やってあげます。村長さんのロドリゲスさんとはもうお話ししています。そして、これはお土産です」


 彼女はそのように言って、家に入り込み、エリーネが座っていた食卓に、セビリアで作って持ってきたケーキの箱を置いて開ける。シンプルな、スポンジの丸い台に生クリームがかかったケーキだが、始めて見たそれの甘い匂いに、エリーネもマルコも夢中になって見つめる。

 切り分けたそれを、飢えていた子供が夢中になって食べている途中に仲間の3人が家に入ってきて、子供たちと挨拶を交わすのを見ながら、コンテス女史は日本での準備を思い出していた。


 彼女はスペインの農業省の技術職員であり、日本のAIやIoT、センシング技術を使ったスマート農業の調査に来日していたのだ。食料自給率90%のスペインは、日本よりずっと農業には力を入れているが、日本と同様にその担い手の老齢化の問題に直面しているための派遣であった。


 その派遣元は消えてしまったのだが、彼女は日本政府が外務省を通して各大使館に提唱した「産業革命」を具体化するためのキーパーソンである。フランコ日本大使は、日本の提言を合理的かつ必要なものとして受け入れ、それを実施すべく準備に着手した。


 彼は大使館を指揮して、在日している人と船舶、航空機などの物さらに財産をリストアップした。そして、まずはコンテス女史を含む何人かのキーパーソンを招集して、概略の実施すべき事項の大枠を決めてその実施工程を組み上げた。無論様々な条件によって中身と工程が変わりうるものであるが、ターゲットを決めておくことは極めて重要である。


 その中で、大きな話題になったのは日本が創設するという世界開発銀行である。確かにそれが必要であることは、少しでも実際に開発に携わるか、または経済をかじったものであれば誰でも解る。しかし問題は、それをどうやって、誰が作るか、またその運営をどうやって担保していくかということである。


 それを提唱した日本の答えはシンプルであった。そうした組織は力のある国々が集まって資金を出し合って作るできものであり、運営するのもその国々である。しかし、今の状態は異常であり、日本という纏まりとしては相当に大きい国が半ば原始的な世界に移転してしまった結果、ただ一つの超スーパーパワーになってしまったのだ。

 そして、『工業生産』という面では日本は殆ど全ての分野をカバーしており、実質生産していなものでも、そのノウハウは十分に持っている。


 そして、国々及び人々は、自分が飢えから解放され、物質的に豊かになる方法があるのなら必ずそれを使おうとするだろう。一方で、日本にいた様々な国や地方の人々は、基本的にはその知識は持っているが、実際の細かいノウハウとそれを実現するだけの手段を持たない。


 まず、産業を発達させるためには道路、港湾、空港、電力、諸動力施設などのインフラを整える必要があるが、それを早期に完成するためには重機や様々な機器が必要でありそれ動かす必要がある。

 産業の内の農業の効率を向上させるためには、自然の仕組みを最大効率で使うことも必要であるが、化学肥料や農薬も必須である。


 さらに、例えば製鉄所をつくるためには炉の建設、場内輸送機器、ボイラー、その他無数の材料や機器が必要である。そして、そのような根幹的に必要なものと、細部に及ぶノウハウを供給できるのは日本のみなのである。


 そして、それ以外のこの時代の国が、日本から自分の発展のために必要なものを買うことのできる十分な資金、またはそれと交換することのできる物を持っている訳はないのである。だから、日本政府の方針として世界の国々に経済発展を促す方針を取った以上、世界開発銀行のような組織を設立することは不可欠である。


 その資金は、日本円で十分である。おそらく今後少なくとも50年程度は日本以外の国は、日本から買いたいものばかりであるはずで、日本が輸入超過になるような国は考えにくい。もちろん、食料や鉱物資源の採取のために現在日本が建設している地方で、将来は独立国にしようとしているところは場合によっては別かもしれない。


 その意味で、世界のあらゆる国は、日本円が得られ日本がそれで物を売り、必要な人材を供給してくれれば不都合はない。日本から資金供与された(帳簿上だけだが)世界開発銀行は、それを一定の金利で貸し出す。結局それはその国の将来を質に入れることになるが、経済発展をすれば返せるわけだ。これは、21世紀の世界銀行などと同じポリシーである。


 コンテス女史は、この世界開発銀行設立についての仲間内の議論を思い出す。

「基本的には、これは日本の都合だよ。だって、日本の工業を維持するためには需要が必要だけど、今のスペインもそうだけど、購買能力がないよね。だから、金を貸して日本の物を買えっていう訳だ」


 製鉄担当のイケル・マラゴ・イベンダが言ったが、それには自分が反論したな。

「確かにそれもあるけど、日本はすでに自分の生存と文明維持に実用な資源確保には動いているわよ。その場所は、現在は殆どが国の体を成していないところで、将来は国にするつもりのようね。だから、その供給網を完成すれば、彼らは不要なものを切り捨てるように自国の産業を再編成すれなら、自分だけ文明社会を営むことには不自由はないのよ。

 たぶん、彼らはもっと大きな画を描いているのよ。歴史をみると一国の一方的な繁栄は必ず破綻するわ。つまり、日本のみが他の世界からすれば夢のような暮らしをしていれば、それは日本に対する憎しみとなって返ってきます。しかも、日本には世界中殆どの国や地方からの人がいますから、その日本の事態はいずれにせよ世界に広がっていくでしょうよ。

 つまり、日本はそうしないために、世界に経済発展を促すことに貢献して、その好意を得ようとしていると思う。そして、それは日本の役割りである工業力と人材の供給を通じて直接的な利益にもなる。双方にいい事ばかりじゃないかな。そして、間違いなく我々にはそれが必要なのよ」


 結局は、皆私の意見に賛同することになった。しぶしぶの人もいたけれど、こちらに都合の良いことはいいように考える方がベターなのよ。


 大使館での作業で、農業と漁業の生産性を概ね3倍程度の上げること、さらに産業の基本としてバスク地方のビスカヤ県に製鉄所と製鋼所を急ぎ建設することになった。農業については、主要産物の小麦は三圃制によって、重大な連作障害は免れているけれども生産性は低い。


 この点は、化学肥料を使うことで面積当たりの生産量を3倍以上にすることは容易である。この場合、問題は化学肥料を当面日本から買うことになるので、肥料工場の建設も特急のメニューに入ることになる。ただ、窒素を化学合成すれば火薬の合成もできるなあ。


 製鉄所については、中海沿いの暫定首都であるセビリアからは遠いが、鉄鉱石と石炭資源に恵まれたバスク地区に作ることはやむを得ない。ただ、ビスケー湾に面しているので、日本から搬入する機材の搬入には楽である。さらに、当分の間、陸上交通は効率が悪いので生産した海上から運べることは悪くはない。


 コンテス女史は、現状を把握することが第一として、セビリアも含まれる穀倉地帯と言われるアンダルシア地方においての調査をすることになり、セビリアから東北東に120kmほどのコルドバの辺りの農村を調査の始点に定めた。

 そして、村長と話をして、事務所は村長の離れが村役場の役をしているので、そこを借り上げて住居を探してほしいという話をしたところ、マルコたちの家を紹介されたのだ。


 村長はそれなりの善人であり、幼い兄妹で暮らしている2人を心配して、一緒に住んで面倒を見て欲しいという願いであった。聞くと、彼らの父親の祖父の代には大きな農地を持って豊かに暮らしていたが、父が母親との結婚後祖父が死んだとき、大きな借金があることが判って農地を取り上げられたとのことだ。

 ただ、その借金は本当かどうか怪しいが、国の役人が背後についているのでどうにもならなかったという。


 そのため、両親2人は農地をなくし、小作をしながら暮らしていたが、体が弱ったとき病気にかかり、父母ともほぼ同時にあっさり死んでしまったと言う。それから1年、8歳と5歳の幼い2人は、近所の人から恵んでもらう食べ物でかろうじて生き延びているそうだ。


 その話に、たまらなくなったコンテス女史はすぐにマルコの家を訪問したという訳だ。幸せそうにケーキを食べる2人は可愛い。切り分けてもらった直径20cmほどの1/8が無くなって、悲しそうに上目使いにコンテス女史を見るエリーネである。


 彼女は如何にも栄養が足りていない様子でやせていて、目ばかりが大きく見え顔色も良くない。余り外に出ていないようで、色が白く、まつげも長く顔立ちは整っているので、将来は美人になるだろう。一方で兄のマルコは村の様々な手伝いをしているらしく、よく日に焼けてやはり痩せこけているが、目の光は強く賢そうに見える。


「ちょっと多いけれど、彼らには栄養が足りていないわ」

 そう言って、またそれぞれに一切れケーキを切ってやるコンテスを、ほほえましく見る3人であった。


 その後、3人は家を点検して回って、2人で一緒に寝ている兄妹の部屋の他に寝室が4つあって、ベッドもあることが判った。寝具は取り換えが必要であるが、それは傷んでいるところの修理のための大工の手配と共に村長に言って手配した。


 その日、兄妹は下着を含めて新しい服を大量に手に入れた。日本では既製品の下着、シャツ、ズボン、トレーナーなどの見切り品は非常に安価に手に入るので、ホセ・ドミンゴ号の空きスペースには、大量のそうした服が詰め込まれてきたのだ。そして、産業革命前の世界では服は人手がかかっているために非常に高価である。


 それらの服は、安物であるためもあって兄妹には微妙にサイズが合わず、形はまったくいままで使っていたものと異なる。パンツなどは、マルコは元々はいておらず、エリーネはカボチャパンツであったが、それぞれがゴムの入ったぴっちりした下着に驚いた。

 そして、それは安物であっても500年の歴史の中で磨かれてきたものであるので、かれらには非常に着心地が良い、さらに、それらを貰ったことは新品を着た覚えのない2人には非常に嬉しいことであった。


 そして、2人にとってはそれだけでなく、その夕方の晩餐は、母親が体調を崩す前に作ってくれたもの以上と感じたし、その量と種類はいずれにせよ比べものにならなかった。コンテス女史はあまり得意でなかったがもう一人の女性、アデリア・ホセ・モリーナは料理が上手なのだ。


 ちなみに、彼らの活動のためには現金が必要になるが、大使一行は当面の費用は銀塊を持ち込んで現地の貨幣と交換した。さらに時計、台所製品など様々な日用品、衣類など様々な日用品を持ってきて、定期的にバザーを開いて貴族や富裕層に売り、十分な活動資金を得ている。特に日本では数千円の腕時計などは、普通の人の年収位の価格で売れた。


 だから、コンテス一行は当座の活動に必要な十分な資金を持っている。

 また、農業改革のための調査は、専門家であるコンテス女史の指揮で精力的に進めていった。農業において、品種改良の進んだ麦類、ジャガイモまたテンサイなどを導入しようと考えているが、実際に日本から様々な種苗が入手できるのは来年以降である。


 これは、日本では海外の開発地を含めて今まさに必死に食料増産にかかっており、種苗には全く余裕がない。また今後1年程度は食料の量については必要量ぎりぎりとみられており、帰国団もその要員の必要量以上は入手できなかったのだ。だから、本格的な農業改革は来年以降になる。


 また、彼らは25歳のモリーナ嬢を教師において、村において学校を始めた。教室は、マルコたちの家の離れを大工に改装させたものである。しかし、村では6歳以上は農作業を手伝わせ、12歳になれば十分な戦力でみなされる。


 だから、昼間から生徒を集めるのは難しかったが、村長に働きかけて、可能な限り読み書き算数を教えた。モリーナ嬢は教育学部の卒業で、日本語も習っていたので、日本でスペイン語を教えていたのだ。

 モリーナの教室で一番長く習っている生徒はマルコとエリーネであり、実際に短期間でどんどん学習を進めていった。一方で、若者や大人で文字と算数を覚えたがるものもおり、そのような人々に教えるために、モリーナは毎夕刻以降は忙しかった。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 生ケーキがかかったケーキ
[一言] このまま日本が工業独占したら暗黒メガコーポレベルにいつかなってしまうからね・・・しかし工業関係が日本一強 なせいで「どうせ日本のが性能いいんだから工業にカネかけるなら鉄も車も日本から買えばい…
2020/06/09 23:06 退会済み
管理
[一言] マルコがマリオになってる。
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