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2021年7月、ベトナムから大阪に

読んで頂いてありがとうございます。

 仁科義男は、バトナムのハイフォンにあるエレグド・ベトナム㈱の服飾工場の生産管理課長である。エレグド㈱はアパレル大手の㈱エレグランドの製造を担う会社であり、他にも中国の天津にも工場があるが、天津の工場は徐々に縮小しようとしている。


 この点は、中国に工場がある欧米や日本などの会社に共通した動きであり、コロナ騒ぎをきっかけに世界を敵に回した形の中国からは、工場を移転しようとする動きである。無論中国政府は、この動きに強く反発しており、様々に圧力をかけて撤退を阻止しようとしている。


 そのやり方は露骨で、まずは中国人従業員の馘首にとんでもない退職金を要求すると共に、会社への監視役の送り込み、設備の持ち出しの禁止、送り込んでいた母国従業員の出国禁止などの措置をとっている。しかし、これに対しては国際社会が一致して抵抗している。


 これは、関係各国政府が一致して、中国政府のやり方が不当なものであるとして、断固として拒絶するとして中国政府に圧力を加えている。そして、退職金としては、自ら適正と算定した額しか払わない事、監視役の送り込みは断固として拒絶し、設備持ち出し・出国禁止については、国を挙げての抗議をするとともに、関税引き上げ、中国人へのビザ発行の停止などで応じた。さらに、各国は基本的には本国からの中国の工場や会社への送金を停止する措置を取り始めている。


 その中で、強気で対抗していた総書記である周勤志の支配が大きく揺らいできた。これは、コロナ騒ぎにより成長率-1%で終わった(この数値も例によって怪しいとみられている)昨年に続き、2021年もそれより以下になるという予測がある。そして人民が実感している経済の実感は、それ以上に悪くなっていることから、国内の状況がだんだん不穏になってきたことがある。


 中国では、近年では隅々まで張り巡らせた監視・管理システムの監視による摘発で、人々の造反行動を押さえ込んできた。しかし、構築した人民の監視システムも結局は、カメラや様々なセンサーを使ってはいるがそれらを人が管理・監視しているのだ。


 その点で、その監視要員が政権に背くようになるとどうにもならなくなる。そのことから、一度は押さえ込めた頻発する暴動が再度頻発するようになってきて、それも数、強度とも極めて危険な状態になってきたのだ。


 さらには、諸外国からの先述の包囲網があって、この経済情勢はどんどん悪化するとの見方が強くなっており、国内のマスコミから周政権への批判が公然と語られるようになってきた。そのことから、周体制はこの1年は保たないだろうと言われるようになってきている。


 さて、ベトナムと中国に工場があるエレグド㈱であるが、日本で2千億円、中国・韓国・ベトナムなどで1千億円を売り上げている㈱エレグランドの生産部門である。そして、㈱エレグランドは国内では北海道・沖縄にも店があるものの、時震により全国52カ所の販売店の47カ所を失ってしまったのだ。


 仁科は仕事に忙殺されながら、時震のあったあの日と、その後の数日のことを思い出していた。

 時震のニュースを聞いた、自分の顔は顔色が無かっただろうと思う。

 なにしろ、エレグド㈱の本社は日本にあるのだし、製品を納入している㈱エレグランドの本社も同じで、日本の販売額の92%余りを占める多数の販売店が消えてしまった。また、そればかりでなく、42歳の彼の2歳下の妻と高1・中2の男・女の子供は日本なのだ。


 あれは、会社での昼頃のことだった。本社と連絡が取れなくなって不審に思ったところで、日本に異常が起きたことを国際ニュースでも報じるようになってきて狼狽えたよ。それで俺は、電話で慌てて連絡を取ろうとした妻や子の携帯に繋がらず茫然としたな。携帯では、英語とベトナム語で「相手の番号が探せない」と繰りかえすばかりだった。


 会社には日本人社員が10人おり、5人は独身、3人が家族帯同、2人は日本に家族を置いている。その夜、俺はもう一人の家族を日本に残していた梶田と、堪らない気持ちを紛らわすために、市内のスナックに2人で行った。他の日本人は出ていく俺たちにどう声をかけていいか判らない風だった。


 そのこじんまりした店は、日本に長くいて日本語もできる地元ハイフォンの女性ミンダがやっている行きつけで、すでに状況を知っているミンダは静かに俺たちを迎えた。俺たちは飲みに来たものの、結局はビールをあおってそれぞれ思い出に浸ることになった。

 俺は家が名古屋にあって、ハノイ空港からは夜遅く発って早朝に中部空港を経て家に着く。こちらへ帰るのは昼間だが、5時間はかからないし、料金も往復で5万円足らずだ。その程度だから、自費ででも年間5回ほどは帰っているし、名古屋の本社の会議で年間4回位は帰ることもできる。


 だから、日本に居て、単身赴任で福岡など他都市に行っている場合とあまり変わらないと会社の同僚と話していたものだ。国内勤務で一緒に住んでいる時は、やや倦怠期気味だったが、離れていると愛しさが湧く妻と、どんどん大きくなって生意気ではあるが、やはりいつもはいないということで、構ってくる可愛い子供たち。

 俺は溢れてくる涙を止められなかったが、横に座っている梶田がやはり涙をぬぐっているのに気が付いた。35歳と若い梶田は、妻と6歳の子供がいたはずだ。


 その夜は、アルコールの力を借りて寝入ったが、翌朝まだアルコールが残っている頭で出勤した会社では、社長の吉田健一の指示で、日本人社員が全員呼び集められた。ベトナム人工場長などベトナム人幹部も5人が出席しており、それに通訳の女性も加わっていた。


 吉田は家族帯同の組であるが、その表情は険しかった。出席者の日本人社員の表情は暗く、ベトナム人は困惑していたな。吉田社長からは、まず家族が消えた俺たちへの言葉があって、その後は会社の状況の再確認と、時震のあった今後をどうするかということだった。


 エレグド㈱の本社は日本の名古屋で、㈱エレグランドと隣接しており、その完全子会社である。製品はすべて㈱エレグランドが引き取っており、その金のやり取りは日本で行われ、工場の運営費は日本から送金されている。


 原料の布は日本、ベトナム、中国から入っており、染色はベトナム工場で行っているので染料が必要だが、これは中国と日本から入っている。これらの買い入れの発注はベトナム工場で行っているが、殆どの支払いは、日本の本社で直接行っている。


 つまり、エレグド・ベトナム㈱は、法人とはなっているが、殆ど金の流れにタッチしていないのだ。無論現地銀行の口座はあるが、一方的に日本の本社から流れてくる金を、800人の従業員の給料他のベトナムでの必要な費用に充てている。その意味では、4月の入金は20日以降なので、従業員の給料も払えないことになる。


 そのあたりの事情は、ハイフォンにある40社以上の日経企業は似たようなものであって、日本の本社が消えた今ほとんどの会社の経営層は頭を抱えていた。これらの会社への融資は日本の本社が消えた今、日系・西欧系・現地の銀行いずれも二の足を踏んでおり各社困ってしまった。そこに、企業以上に混乱していて頼りにならないと見られていた日本大使館から連絡があったのだ。


 それは、現地の日系企業の金銭的裏付けを日本政府が行うというもので、実際に必要な費用は日銀の札幌支店から直接振り込んでくれるということだ。日本の官庁には似合わない素早くも果敢な決断ということで、全員が驚嘆したが、助かったことは事実である。


 無論、その支援には裏があって、後で解ったが、消えてしまった日本の本社の財務を日本の臨時政府が握ってしまったようだ。日本企業の預金高は全部で230兆円、さらに債券・債権などを含めれば500兆円以上あったのだ。このうち債券・債権は日本が消えてしまった結果無効になってしまったものも多いが、海外にあるものは有効である。


 この臨時政府の強引な措置には、現地の者は助かったものの無論異論があった。それは、本社が消えてしまったとは言え、その支社などは北海道・沖縄または海外に残っており、それらが権利を持っているということだ。しかし、会社には資産もあるが、当然負債もあり、これには、海外の会社等との交渉も必要になる。


 その処理を、本体が消えてしまって弱体になった組織がやるのは無理だろうと言われればその通りである。さらには、例えば多くの社員と株主が生み出した富を、たまたま北海道・沖縄または海外にいた、少数の社員または株主などが受けつぐことが正当であるかということもある。

 そのように考えると、臨時政府のやったことを一概に非難はできないし妥当かも知れないと仁科は思う。


 そして、さらに思ったのは、実際に自分の会社もツナギ資金の振り込みを日本銀行から受けたのだが、その金を支出したカラクリはどういうことかということだ。これについては、彼も経理担当の岬から説明を聞いて、なるほどと思った。


「要は臨時政府が、日本政府の財務・組織をすべて引き継いだという主張している訳だよ。その場合、日銀は日本政府の子会社であるわけで、基本的には政府の言うことを聞く必要がある。そして、臨時首相の関さんが非常事態宣言をして『時震による危機を解決するためには何でもする』と言ったよね。だから、その一環よ」


 それに対して俺は問いかえしたな。

「だけど、日本政府は1千兆円以上の借金というか国債があるだろう?」


「ああ、だけど、それは大部分を消えてしまった銀行や、年金基金などが持っている。それに、日銀が半分以上持っている。だから、実質ほとんど消えてしまったのじゃないかな。ただ、外国の機関が持っているのが7%程度あるのがすこし厄介かな。ただ、日本の対外資産は300兆円以上のプラスだから、どうにでもなるだろう。

 それに、揉めても今やジャイアンたるアメリカの子分というより、被保護者だからな。どうにでもなるよ」


 それに対して「なるほど、まあ、助かっていることは事実だから、いいけどね」と俺は答えたな。


 しかし、臨時政府の援助には当然ながら条件があったので、それからが大変だった。国富の大部分を失ってしまった日本は、海外の日系企業を極力有効に活用したいということだ。それに、海外に駐在している日本人の人材としての活用だ。


 確かに、自分自身を考えても、大学を卒業して入社以来、生産管理をやってきて、ラインの管理・修理あるいは組み換えも自由自在だ。北海道と沖縄に住んでいた人に、服飾・縫製の分野の喜々に関して自分ほどの経験と技能を持つ者はいないだろうなと思う。


 在ベトナム日本大使館と北海道からやってきた官僚は、俺たちの工場は出来るだけ存続させて、消えてしまった日本の需要を補う販売先を見つけることをまず要求した。それは当然だろう。工場を稼働させるためには作ったものが売れない事には話にならない。


 しかし、社長以下その点についてはあまり心配をしていなかった。それは、日本でそれだけの商売が展開できていたのは、そのファッションセンスと、その割にリーゾナブルな値段であった。それは、ここベトナムでも人気の商品になりつつあり、独自のデザインも取りいれて、急激に伸びようとするところだったのだ。


 従来の日本向けは㈱エレグランドからデザインが提供されて、それを作っていたが、ベトナムでは現地のデザイン要員が育ってきている。

 ただ、日本側の要求はそれにとどまらず、戦国そのままの日本にエレグド㈱の工場を作って欲しいということだ。北海道には繊維産業もあるが規模が小さく、道内の需要を満たすにもその能力は大幅に不足する。また、沖縄の繊維産業はもっとひどい。国というのは、対外収支を赤字のままで続けることはできない。


 そして、今の日本に国際的に競争力のある製品を作る産業は殆どないのに、買わなくては生活が成り立たないものが非常に多い。つまり、北海道と沖縄に国内から入っていた7兆5千億円程度の物品の多くは、当面は海外から買うしかないだろうが、一方で売るものはというか売れるものは殆どない。


 だから、何とか日本で消費する程度のものは基本的には日本国内で作れるようにしたいということだ。また、日本の本州と四国・九州に住む約1千万人の人々を文明化するための産業が必要なのだ。それには、人件費の安い国に工場を建てて生産してきたような産業が望ましいというが、そうだな。


 また、そのための工場の生産ラインを作る産業がすでに失われているので、その工場をラインは海外の日系工場にあるものを持ってくるしかない。そういうふうに方向が出されたので、俺は生産管理のプロとして、持っていくラインのための設備の選別と、工場をある程度運転しつつそれを引き抜く手法の計画に没頭した。


 むろんそのためには、必要な規模を決めなくてはならない。結局、日本における575万人の現在日本人と、その2倍の人口の15世紀の日本人の、カジュアルウェア需要の1/4程度をエレグド㈱が引き受ける規模の工場を目途として規模を算定した。また、将来的にはその2倍までの拡張を見込むものとした。なお、15世紀の日本人の需要は現在日本人の半分として見込んでいる。



 仁科は、貨物船高砂丸に乗って大阪湾に入って陸地に接近してきている。左手に木津川の流れがあり、正面には上町台地の緑がみえる。この辺りは別の世界の将来、奥の方に建設された石山本願寺を信長が攻めた時の本願寺側と織田方の軍船が争った場所である。船の位置は、21世紀では将来は水路で繋がってはいるが、6km以上の大阪湾埋め立て地の奥である。


 排水量5千トンに近い高砂丸や近代の船では、到底木津川は遡れない。だから、7月20日の現在では、台地を背景に自衛隊が作った鋼製桟橋が出来ており、タワークレーンが設置され、大型トラックも桟橋に待っている。また別の歴史では石山本願寺、あるいは大阪城が造られた辺りは柵で囲まれ、プレハブの建物が10棟以上も並んでいる。


 舷側で地上を見ている仁科の隣に、同僚の梶田が並んで近づいてくる桟橋を見ている。

「仁科さん、1492年の大阪ですよね。正面は石山本願寺が造られ、それが廃棄後に大阪城が造られたところですよね。あの建物があるところが石山ベースですね」


 梶田が言うが、仁科より7つ年下の彼とは、お互い日本に居た妻子を失ったこと、さらにお互い無理なペースで仕事をしたことで、急速に仲が良くなったのだ。


「ああ、石山本願寺の戦いが80年後、大阪城が造られるのは100年後か。この時代というか時間線では、石山本願寺も大阪城も作られることはないな。更には織田信長、徳川家康、さらに豊臣秀吉も生まれるかどうか怪しいし、生まれても全く違う人生を歩むことになる」

 仁科はそのように言葉を返す。彼らはベトナム工場から持ち帰った設備を使って、この石山ベースに服飾工場を建てるのだ。


 エレグド・ベトナム㈱は臨時政府の要請に応じて、今後ベトナムと周辺のカンボジア、ラオス、タイやミャンマーなどへ製品を売り込むことで存続を図ることとなった。さらに、日本の大阪にできた入植地である石山ベースに工場の1/3程度の設備を移すことで、従業員350人程度の工場を建設することになったのだ。


 仁科は1人の日本人部下と25人のベトナム人の部下を使って、まず搬出する設備を選びだし作業を行った。さらに、それらを分解して取り外し、ハイフォン港に運んで、高砂丸に積みこんだのだ。4月中旬の決定から僅か2ヶ月、仁科は寝食を忘れる勢いで仕事に打ち込んだ。


 一方の梶田は、布は外から買うものの、染色から服飾縫製まで一貫して社内で行うことを特色としている会社の染色部門の一員である。だから、彼は染色関係の設備の移転に責任をもって、仁科と同様に忙しく過ごしてきた。そして、夜は2人で毎晩のように飲んだくれてきたのだ。


 彼らは、家族を失ったこともあって、500年前の日本に行って、工場を建て、そして運営して21世紀の文明の成果を根付かせることを了承した。そして、少なくとも数年は新工場の運営に尽力することになっている。


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