日本列島の転移
新しく連載を始めます。
楽しんで頂けると幸いです。
日本列島は2021年4月1日午前8時に転移した。転移したのは本州、四国、九州とその周辺の島々で、北海道と沖縄は取り残された。記録によると、午前8時の5秒前から対象の列島を深度3の揺れが襲い、8時の5秒過ぎまで続いている。この地震は、後に全国でほぼ全く同じ震度で揺れたことが判っている。
2021年の日本の人々は、全てのインターネットが機能しなくなったことで、一般の人々も直ちに何か異常があったことを知ることができた。さらに海外からの一切の信号が途切れたことで、それを知りえる立場の人々は大きな異常があったことを知った。
一方、一部を除いて外の世界とは交流のなかった戦国初期の日本には、移転を知るすべはなく、震度3の地震により脆い構造物が一部損壊したものの、それほど大きな騒ぎにはならなかった。
官邸で出勤の準備をしていた、時の日本国首相阿山慎吾は、無論地震に気づき、直ちにテレビの前に座り、秘書官に状況を把握し報告するように指示している。しかし、携帯とテレビの揺れがあったという速報は殆ど即時にでたが、震源地や揺れの大きさは一向に報告されない。
訝しく思い待つうちに、阿山のスマホに夜間詰め担当秘書官の見山から着信がある。
「気象庁に問い合わせたのですが、どうも先ほどの地震は極めて異常なものだそうです」
「異常? 異常とはどういうことかね」
「はい、現状で情報が入っている限り、全観測点で殆ど同じ揺れの大きさであるため震源地が特定できないというのです。彼らに言わせればあり得ない揺れだ、ということですが、いずれにせよ揺れ自体は震度3なので殆ど被害はないだろうということです」
「ふーん………。まあ被害がないなら、異常な点は調べてもらえばよいがねえ」
「ええ。あ、ちょっとお待ちください。防衛省から緊急連絡です」
その後、見山秘書官が何やらやり取りしているのが聞こえて、数分後見山の声がせきこんで言う。
「総理。防衛省からの連絡では、沖縄、北海道、さらに八丈島の他海外からの連絡が一切途切れているということです。また、インターネットがプロバイダーからの信号は来ていますが、海外からの信号がなくいずれも使用不能になっています」
それが騒動の幕開けであった。急きょ官邸の執務室に移動した阿山の下には、麻木財務大臣兼副総理、森山防衛大臣、元山外務大臣、諌山国土交通大臣、宗田官房副長官が秘書官を連れて集まってくる。関官房長官は親戚に不幸があったということで北海道に行っている。
まず、防衛大臣の指示で、国内の北海道と沖縄に、自衛隊の偵察機が飛んで状況の確認に入った。その結果、三沢から飛んだ機は9時過ぎには北海道の映像を、鹿屋から飛んだ機は10時過ぎには沖縄の映像を官邸に配信して来た。
眼の前の映像に、首相の執務室に集まった面々は絶句せざるをえなかった。北海道は所々に原始的な集落が見えるものの、札幌のある辺りを含めて大部分が森林または原野であり、文明の痕跡はほとんど見えない。沖縄については、那覇には少々みすぼらしいが宮殿があって、さらに所々にそれなりの建物があり、町並みも見える。また、港には帆を掲げた小型船(現在では)に、ボート程度の大きさの多くの船があるが、やはり現在文明のかけらも見えない。
「宗田さん、関官房長官は北海道に行っているということではありませんか?」
元山外務大臣が言うのに副長官の宗田が答える。
「ええ、そうです。大変お世話になった叔父上が危篤ということで」
「よりによって北海道ですか。これは、どうも日本列島が過去に移転したとしか思えないのですが、関さんがどうなったのか……」
麻山財務大臣が、だみ声でぽつりと言ったのに対して、森山防衛大臣が一拍置いて返す。
「うーん、この非常時に官房長官が居られないとは。それにしても異世界転移とかいう小説もあるようですが、確かに異世界に行ったというより、時を跳ぶ方がそれらしいですな」
流石にリアリストの政治家に、目の前に突き付けられた現実を否定するものはいない。また、政治力学を意識している彼らにとっては、有力者がいなくなることは、ある意味チャンスである。
「あの……。気象衛星ひまわりは正常に機能しているようです。また、みちびきによるGPSも働いているようです。もっとも、GPSの信号をインターネットを通じて信号を取り入れている場合は、インターネットそのものが駄目ですから、入力は無理ですが……。
それから、航空機ですが、到着予定の国際便の機が着いていません。早い時間のものは到着していますが、たぶん午前8時には日本国内に入ったもののみですね」
諌山国土交通大臣が躊躇いながら言う。
「関さんのことは、心配ですが、もう少し状態が解かってのことです。いずれにせよ、不在に対しては宗田さんが代行しましょう。ああ、ところで出発便は呼び戻していますよね」
阿山首相が確認するのに、諌山は応じる。
「はい、先ほど命じました」
「ところで、静止衛星である気象衛星とGPS衛星は使えているようですが、当防衛省の管理する情報取集衛星はレーダー衛星と光学衛星が各1基のみが機能しています。どうも、これらは午前8時時点で日本上空にあったようですね」
今度は森山防衛大臣が発言し、さらに続ける。
「それで、情報収集衛星は4時間で地球を巡っていますので、世界の大都市のある辺りを撮影するように命じておりますから、早急にここに画像を送らせるようにします」
これに対して、麻山が注文する。
「衛星が使えるのは助かるね。とは言え、衛星により今のところ解っていることはないのかね?」
「はい、今のところ解っているのは、夜の部分では殆ど明かりは見えないということです。北京、上海あたりでは明かりはあるようですが、非常に少なく暗いようです」
「なるほど、そうなるとほぼ確かだな。こうなると、上空からだけでなく現地で確認する必要があるな。どうでしょう、阿山総理。沖縄に人を送り込みましょう。情勢を調べるのもありますが、『現地は何時なのか』を確定するのは極めて重要です」
森山防衛大臣の言葉に阿山は考え込みながらゆっくり頷く。
「ええ、そうしてください。送り込む人の安全には出来るだけ留意した上で……」
そう言った阿山は、深く腰掛けていた椅子から上体を起こして出席者に向き直り、話を続ける。
「どうも、今まで判明していることだけで言って、この世界に21世紀の世界の文明社会はなさそうです。そうなると、食料、エネルギー、鉱物他の資源を輸入に頼って成り立っている我が国は、たちまち困ったことになります。
わが国は北海道と沖縄を除いても1億2千万人弱の人口がありますが、まずこれらの人々を食べさせること、さらには現在よりそれほど劣らない文化生活を送ること。これを達成するのが私どもの役割りです。
いずれにせよ、世界の現状を知ることが前提ですが、このためには、我が国の法体制を始めとする仕組みを大きく変える必要があると思っています。皆さんもその点を踏まえて、今後の方針・行動を考えて頂きたい。
それから、早めに、天文、歴史、物理などの自然科学と社会や法体系などの専門家を集めた会議を持ちたいと思っていますので、その候補選びについても考えておいてください」
阿山の言葉に、出席した閣僚たちは深く頷く。
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海上自衛隊奄美基地から新垣順二2尉は、艦長木山2尉の指揮するハヤブサ型ミサイル艇“しらたか”に乗って、那覇に向かった。現状では徳之島までは連絡が取れるが、沖永良部島以南の島には連絡が途絶えている。
排水量200トンの“しらたか”は最高速度44ノットが出せるが、現在は燃料を馬鹿食いするそのような速度は出しておらず、20ノット(時速38km)で航行しているので、那覇までの約300kmを9時間で移動する予定だ。
「新垣よ。沖縄の様子は変わってしまっているようだが、お前のお父さんがいるんだっけ」
木山が揺れる船上で新垣に話しかける。彼らは一時期同じ基地で勤務して、同じ年廻りということもあって親しくしていたのだ。
新垣は鹿児島基地所属だが、鹿児島県には比較的多い沖縄出身者の中でもレンジャー資格を持っていること、さらに方言に詳しいということから調査隊長に選ばれている。調査隊と言っても、一緒に行くのは向井陸曹長と西田2曹の2名でいずれも身体能力と格闘技は傑出している。
「ああ、おふくろは3年前にガンでな。妹がいるけど、福岡だし。それにしてもなあ……」
新垣が応えるのに、木山が同調する。
「うん、確かに。日本ごと時間を跳ぶとはなあ。トンでもない話だよ」
4月1日の午後3時、すでに日本列島が過去に跳んだというのは全国的な話題になっている。これは、日本政府が殆ど情報統制せずに、知りえたことを公開しているからでもあるが、元々、これだけ情報が飛び交っている中で、大きな隠し事はできない。
ちなみにインターネットについても、多くのプロバイダーが午前中に改修を済ませている。これは、海外からの受信がない形で、すでに国内分の情報のみの内容を発信しているので、国内情報に限るがすでに人々はいつものようにインターネットで情報を集めている。
そして、インターネットの世界ではその現象を『時震』という名で呼び始めている。この呼び名は、嘗てあるSF作家が自分の小説の中で列島が過去に跳んだという現象を名付けたものだ。
これらの結果、半信半疑ながら多くの日本人がこの説を信じ始めているところだ。とりわけ自衛隊員にとっては、いずれも多くの隊員が配置されている北海道と沖縄について、連絡が途絶え、さらに自ら上空からの映像を撮っているので、信じざるを得ないという気持ちだ。
沖縄については、すでに撮影された王宮の建物とその周辺の町並みが、琉球王朝の研究を行っている学者によって分析されている。それによると、1469年に下剋上で王権についた第二尚氏王統時代の、第2代尚真王の時代の王宮と町並みであろうということになっている。時期としては1485年から1495年の間であることは間違いないであろうということだ。
だから、新垣は送られてきたその頃の資料をすでに読みこなしている。とはいえ、たかだかA4で3枚程度の資料にしかすぎないが。彼と部下2人は、“しらたか”が18時頃那覇沿岸に着くので、ゴムボートで上陸して歓楽街に紛れ込み彼らの最大の任務である、年号と日時を確認するのだ。
やがて、“しらたか”は薄暗くなった那覇沖約1㎞に到着してゴムボートを下す。この時、接近速度は最低にして機関音は出来るだけ絞っている。“しらたか”の乗員が一人サッサとボートに乗り込む。彼が陸まで一緒に行って、ボートを持って帰るのだ。新垣達3人は、木山艦長と乗員10人ほどが見守るなか、順次敬礼し縄梯子を伝ってボートに乗り込む。
陸に向かっては向かい風であるので音は伝わりにくいが、積んでいる船外機を使わず、陸まで1㎞を概ね30分かけて櫂で漕いでいく。帰りは一人になるが、この場合はある程度陸から離れることができれば、船外機を使うことにしている。
各々リュックを持って砂浜に着いた3人は、素早く砂浜に穴を掘ってリュックを防水袋に入れて埋め、海岸近くのガジュマルの陰で新垣のみが地元風の着物に着かえる。
ぼんやり明かりの見える建物までは500mほどだが、3人は足早に明るい建物に向かって歩み寄る。新垣は、建物の陰に戦闘服の向井と新垣が蹲るのを見ながら、中から嬌声と男たちの声が聞こえる戸口に近寄る。
新垣が持っている武器は、後ろ腰に隠した刃渡り20cmほどのナイフのみで、金は永楽通宝を100枚ほど持っている。永楽通宝は多数見つかっており、古銭として高価なものではない。
新垣が、思い切って引き戸を開けると、そこには2つのグループがおり、酌婦だろう女がそれぞれについている。新垣は「はいはい(こんにちは)」と声をかけると女の一人が「めんそーれ(いらっしゃい)」と応じ、近寄ってきて、空いている席を示す。
酒とつまみを頼み、しばし無言で飲む。酒はすでに作られている泡盛だが、やはり現在のものほど洗練されてはおらず雑味が多くて美味いものではない。隣で良くしゃべっている男に、酔った風に方言で話しかける。男は、40歳位でそれなりにきちんとした服を着て、喋る内容も教養はありそうだ。
「私は今日こちらに着いたのでよく解らないのでお聞きしますが、ここではどういう年号を使っているのでしょうかね。また、今日は何の月で何日になるのしょうか」
「あんたの言葉はかわっているなあ。まあいいか。今年は弘治5年葉月2日だよ」
新垣が周りの人を窺うと、2人ほどが頷き、他は無反応だ。『これは間違いないな』新垣は思う。
頭に叩き込んだ年号を換算すると、明の年号である弘治5年は1492年で、旧暦の葉月2日は4月1日だ。つまり、今日は1492年4月1日であることになる。
それからは急に酔いが回ったふりをして、永楽通宝15枚を払って店を出る。待っていた2人と合流して海岸に戻り、無線機で「今日は1492年4月1日! 繰り返す、1492年4月1日」と“しらたか”に連絡する。
その情報は、“しらたか”から鹿児島基地を経て、阿山首相と麻木財務大臣に元山外務大臣がまだ待機している官邸に、5分後には伝わる。
「1492年か、なんかあったな。何か重要なことがあった年だったような」
麻山が言うのに、元山が顔を歪めて答える。
「コロンブスのアメリカ大陸到着の年ですよ。大陸と言ってもカリブ海の島でしたけどね。スペイン・ポルトガルの南米・中米への侵略と人々の虐殺・奴隷化のきっかけですよ」
「うーん。日本の場合は戦国時代に入っているかな?」
再度麻山が言い、元山が答える。
「応仁の乱の終わった後ですね。いずれにせよ、信長なんかのだいぶ前です」
「うーん、4月1日という点は変わらない訳だ。何とも切りが良くて象徴的というか、ややこしい時に跳ばされたものだな」
阿山が頭に手をやって、顔をしかめて応じる。
2話めの内容と整合を取るため、出始めを関官房長官が北海道に行っているということで修正しました。