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魔王出陣


 前線からの知らせは、彼らの混乱をよく表していた。


「左翼前衛壊滅! 指揮官行方不明!」


「中央に敵主力を確認! 陣地構築が間に合いません!」


「兵たちが逃亡を始めています! このままではこの砦も保ちません!」


 人類領と接する最前線の軍事拠点として整備されたこのローガン砦は、六魔王国のひとつたる『灰の魔王国』の中でも一際堅固で、巨大だった。

 より人類領に近い場所にあったゼーレン砦が勇者達の奇襲によって陥落し、元はゼーレン砦の補給拠点だったローガン砦が増強され、防衛拠点化されたのは三〇年前のことだ。

 それ以来、ローガン砦は灰の王国の守護神として人間たちの攻撃を退け続けていた。


「右翼の防塁のうち、二割が突破されました! 敵は魔法使いを伴っています!」


「貴重な攻城魔法使いを投入してきたということは、まさか奴ら、こちらが手薄になることを知っていたのか?」


「貴様! 我らの中に内通者がいるというのか!?」


 次々と報告を持ち込む伝令の兵。

 その報告を受けた参謀たちの中に、疑念が生まれ、内輪揉めが起こる。

 誰もがローゼン砦の防御力に自信を持っており、それが覆されたことに動揺していた。


「だが、右翼側で突破された防塁は、古く補修待ちだったものばかりだ! こちらの情報が漏れていたと考えるのが自然だろう! 現実を見ろ!」


「だが……! それではこの戦いに勝ち目など……」


 軍の参謀は、灰の王国に属する魔族の中でも、特に知能に優れた種族が多い。

 彼らは常に多くを思考し、多くの計算をこなせる頭脳を持っているが、それ故に判断に迷うことが珍しくなかった。

 ベテランの参謀や軍師ともなれば自らの経験でもっとも適した答えを出すこともできるが、今ローゼン砦に残っている参謀たちは、比較的若く、経験不足の者が多い。

 そのため、彼らは混乱し、その混乱は前線を緩やかな崩壊へと誘っていた


「落ち着け」


 その中で唯一落ち着きを保っている者がいる。

 魔王親衛隊総長、リーゼ・ベルン・ガルガントア。

 蒼銀の髪をひとつに纏め、しなやかな長身を王国軍の軍服で包んだ女将軍だ。


「ミッドグラーとアルフブレイズの両隊は二次防衛線まで後退させろ。左翼の指揮官は誰か」


「はっ、ミスミル卿とベルザ卿です」


「では、ミスミル卿に左翼全体の指揮をまかせる。ベルザ卿には指揮官不在の部隊を再編成し、中央へ向かうよう伝えるんだ」


「はっ!」


 伝令が走り去り、リーゼは作戦司令室の真ん中に広げられた地図を見つめる。

 本来ならば、親衛隊が王国軍の指揮を執ることなど滅多にない。親衛隊とは魔王の護衛部隊であり、通常戦力として前線に出ることなど魔王親征のときのみだからだ。

 だが、本来この場にいるはずだった砦の指揮官は、中央戦線の視察中に敵の襲撃を受け、行方が分からない。副将はリーゼと参謀にこの場を託し、砦の防備を固めるための指揮を執っていた。


「魔王陛下が脱出されるまでの時間を稼ぐ。そうすれば、我々も後退することができるだろう」


 リーゼの言葉は、参謀たちに僅かな希望をもたらした。

 灰の魔王国は、ここ三〇年大規模な戦闘を行っていない。常に最前線で戦い続け、六魔王国全土にその名を轟かせた『灰の魔軍団』も、実戦経験に乏しい将兵が多くなっていた。

 彼らにとって、自らの命を捨てるという決断はあまりにも重い。

 王国防衛のためにはそうしなければならないこともあると頭では理解していても、実際にその選択ができるかどうかは別問題だ。


「しかし、そのためには防衛線を再構築して正面の敵主力を撃退しなければならない」


 リーゼは地図の上で一際威圧感を放っている駒を指差した。


「この敵主力がこのまま砦を突破すれば、王国の国土が荒らされ、奴らに押し負ける可能性が高い。人間どもは数だけは多いからな」


「では、四天王の方々を呼び戻されては?」


「できん」


「なぜですか!? 四天王軍の力があれば、奴らを撃退することなど容易いはず!」


 その言葉に、多くの参謀たちが頷く。

 灰の王国は六魔王国の中で比べればさほど国力が高いわけではない。

 だが、軍の質に関していえば、最強最大の黒の魔王国の黒色兵軍団を除けば、まず最強といって間違いはない。

 外敵たる人類との最前線を支え続けてきたのは、決して伊達ではない。


「だからこそだ。すでに情報は四天王の下にも届いているだろう。それでも戻ってくる気配がないということは、向こうにも相応の戦力が配置され、身動きが取れないということだ。それに、四天王軍の援軍は間に合うまい」


 四天王軍の戦場は、ローゼン砦から遠く離れている。

 敵主力がそこにいるという情報がもたらされ、その迎撃に向かったのだが、その情報自体が敵の欺瞞だった。

 最強戦力の遊兵化という最悪の状況は、そうして作られたのだ。


「おそらく、知らせを受けて足の速い一部の部隊をこちらに送っているだろう。だが、それでも一度は我々の手でなんとか敵を退けねばならない」


 一度敵を弾き返すことができれば、四天王軍からの援軍とともに反撃に転じることも可能だ。


「しかしその場合、この砦の戦力も残っていなければならないのでは?」


 ひとりの若い参謀の言葉に、他の参謀たちが呻く。

 攻勢に転じるためにはある程度まとまった戦力が、しかも戦闘能力を残した状態で温存されていなければならない。

 疲れ切った傷だらけの軍勢など、戦力として宛てにはならないのだ。


「――今は反撃のことなど考えないほうがいいな。陛下の準備はどうだ?」


「今、秘書官殿が陛下の下に向かっておりますが……」


 その答えにリーゼが反応を示すより早く、司令室の扉を守る衛兵が扉を貫く大音声を発した。


「灰の魔王陛下、グレイザール様。入られます!!」


 ――!!


 司令室にいた者たちは、揃って驚愕した。

 それは、先ほどまで唯一冷静を保っていたリーゼさえも例外ではなかったのである。


◇◇ ◇


 司令室に入った瞬間、真人にはいくつもの視線が集中した。


(うへえ)


 注目されることに価値を見出さない人種にとって、この状況は拷問に等しい。部屋の隅でひっそりと座り込んでいたくなる。

 しかし、今の彼は魔王だ。

 突然押し付けられ、事態もよく分かっていないが、魔王なのだ。


「――陛下、なぜこのような場所に?」


 真人は自分に向けられる視線の中で、もっとも鋭く、怒気を含んだものを向けてきた女性が話し掛けてきたことに、心の底から驚き、たじろいだ。目深に被ったフードがなければ、表情でバレていたかもしれない。


「状況はどうなっている?」


 質問に答える代わりに、真人は現状を確認した。

 前線が各所で破られ、この本陣たる砦にも敵の大軍勢が迫っていること。

 援軍と協同するためには、何とか戦力を保ったまま敵の襲撃を退けなければならないこと。


(どうすんだよ、これ)


 地図を見下ろしてみても、状況が最悪であることしか理解できない。

 真人は全身から血の気が引くような錯覚を覚えていた。


『おい、なにをしている』


 そんな彼を叱咤したのは、彼に魔王を押し付けた張本人の声だ。


(うるせえ、そんな愉快な姿になってまで、俺を扱き使いたいのかよ)


『残った力ではこれが限度だった。だが、言葉を交わす程度の役には立つぞ』


 彼の姿は、小さな鬼火だった。

 部屋の誰もその存在に気を留めていないのは、魔王という存在ならば鬼火のひとつも従えていても不思議ではないからか、単純に危険と判断するほどの力を持っていないからか。


『今の俺には大した力はない。時間もないがな』


 鬼火がゆらゆらと揺れる。


『俺が消えるまでは手伝ってやる。その女に圧倒されるな、さっさと目的を果たせ。そうしないと、お前はなにも選べなくなる。ここで生きることも、元の世界に戻ることも』


「!!」


 真人は鬼火の言葉に顔を上げた。

 その顔に浮かんだ表情がどのようなものであるのかは、真人本人には分からない。

 しかし、目の前にいる女は彼の表情に驚き、次いで顔を伏せた。そしてそのまま、彼の求めに応じて状況を説明する。

 そして最後に、彼女は言った。


「陛下、急ぎ脱出を。今ならばまだ安全に下がることができるでしょう」


 女が、一語一語噛んで含めるように言葉を紡いでいく。

 真人を、魔王を危険に晒したくないという本心が透けてみえた。

 だが、それでも真人は言わねばならない。鬼火の言葉が真実かどうか、確かめなければならない。

 そのためには、ここで前に進まなければならないのだ。


(戻ったところで、ろくな生活じゃないけどな)


 さりとて、戻らないという選択肢を選ぶ勇気もない。

 結局、問題を先延ばしにするために、積極策に出るということだ。


「――前向きなのか、後ろ向きなのかわからないな」


「陛下? なにか?」


 囁くような真人の声は、他の誰にも聞こえなかった。


(今はそれでいい。だが、前に出ろ、道を作れ)


 そう、今はそれでもいい。

 小さく一歩、魔王として進めばいい。

 あとは、選択次第だ。


「敵の主力を撃破し、進軍を停止させる。奴らはいま一番勢いに乗っているだろう。ならばいまこそ、奴らの意図を叩き潰す好機となる」


「た、確かに、もっとも士気が高いときにそれを粉砕されれば、再起はかなり難しくなりますが……」


 生き物は逆境に置かれると、あらゆるものに対して防御的になる。それが心身を守るためにもっとも有効だからだ。

 だが逆の状態ならば、もっとも攻撃的な状態のときならば、生き物は身を守ることを忘れ、弱点を曝け出す。


「罠だと気付かれれば、警戒されます」


 女の言葉は、前提が崩れる危険性を指摘していた。


「勢いに乗っている状況で、もっともほしいものを目の前にすれば、そんなことを考える余裕はない」


「もっともほしいもの? ――まさか!?」


 女は真人の言葉を遮るべく立ち上がった。

 だが、遅かった。


「我が自ら、奴らの主力の相手をしてやろう」


 司令室にいるすべての者が、唖然として言葉を失う。


「三〇年ぶりに、奴らが忘れてしまった魔王の力を示すぞ」



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