01 賢者は死にました。
「エデルファス師匠! 気をしっかり持ってください! ああ、どうして血が止まらないんだ……」
悲鳴に近い治癒術師の声がする。
水神の愛し子と称される彼で無理なら、それはもう無理だ。
俺はもう百二十歳。
人族としては充分すぎるぐらい長く生きたと思う。
「師匠、おれなんかをかばって……」
古今無双と称され、歴代の勇者の中でも最強と名高い勇者が泣きそうだ。
「こういうのは歳の順って決まってるんだ」
そう言って俺は笑って見せたが、ついに勇者は泣き出してしまった。
「お前は本当に泣き虫だな。よく泣いて俺のベッドに入りに来たっけ……」
「エデルファス師匠。そんな子供のころのこと持ち出さないでくださいよ……」
勇者は涙を流しながら、顔をくしゃくしゃにして口角だけあげて見せる。
無理に笑おうとして失敗したのだろう。
「で、肝心の厄災の獣は倒せたのか? 復活の気配はないか?」
魔王である厄災の獣との戦いで俺は致命傷を負ったのだ。
「ありません! 師匠の魔法によって存在ごと分解されました!」
そう答えたのは剣聖と称えられる戦士だ。
「師匠、あの魔法はまだ教えてもらってませんよ。それまでに死んだら怒りますからね!」
そう言って縋り付くのは一番若い弟子の魔導師だ。
才能にあふれ意欲もあり心根も素直。こいつには俺の魔法体系を叩き込んである。
あとは俺の指導なしでも、独学で俺を超える魔導師になってくれるだろう。
「大した魔法ではない。思い付きの即興の魔法だ。あれを見たお前ならもう使えるはずだ」
「……無茶苦茶言わないでくださいよ。……師匠、お願いしますよ。まだ指導してください」
魔導師も泣き出してしまった。
俺の弟子たちは優秀なのに泣き虫ばかりだ。
「そうか。厄災の獣は無事消滅したか。それはなによりだ」
人族を滅ぼしかねない最強の厄災の獣。
それを討伐して、被害がこの老いぼれ一人。上々の結果だ。
なのに、俺の自慢の弟子たちは涙をぼろぼろこぼしている。
「……なんて顔してやがる」
「エデルファス師匠、おれたちを置いてかないでください」
百戦錬磨の勇者が泣き言をいう。強くなったのに泣き虫なのは相変わらずなようだ。
「お前たちはどこに出しても恥ずかしくない俺の自慢の弟子だ。大丈夫だ」
「そんなことないです! 師匠がいなければ、私たちどうしたらいいか……」
しっかり者の治癒術師までそんなことを言う。
「お前たちには俺のすべてを叩き込んだ。大丈夫。大丈夫だ」
「あたしたちはまだまだ未熟です。師匠が必要です」
戦士がぼろぼろと涙をこぼしていた。
弟子たちはもう立派に育っている。今は混乱してそんなことを言っているだけ。
すぐに立ち直り、世界のために働いてくれるだろう。
俺は弟子に恵まれた。そして、
「……死に場所、死に時にも恵まれた。ああ、まったくいい人生だった」
四人の弟子たちの泣き声を聞きながら、俺の意識は消えていった。
……
…………
……………………
「お疲れさまでした。エデルファス・ヴォルムスさん」
どこからか声がする。知らない声だ。
「私ですか? 私は神です。麗しくて心優しい女神です」
幻聴だろう。死ぬ間際に見る夢のようなものに違いない。
そうでなければ悪魔の声だ。
「失礼な! 悪魔などではありません」
悪魔はみんなそういうのだ。
「せっかくあなたの人族への貢献を認め、神の座に迎えるためにやってきたのに……」
神? 悪魔の間違いだろう? 耳あたりのいい言葉は、まず嘘、騙り。
それが人族にしては長い百二十年の人生で学んだことだ。
「もー、信じてませんね。神になれるんですよ? 嬉しくないんですか?」
あまり。
「えー。神になればいろいろできることが増えますよ! まあ、制約も……」
制約?
「……まあ、それは置いときましょう。些細なことです」
制約こそ、一番聞きたいことだが……
「人族の身でやり残したこと、思い残したことなどないのですか?」
子供はいないが、子供代わりの弟子たちが立派に育ってくれた。
思い残すことはない。満足だ。
「厄災の獣を倒すのが目標だったのでは? 私はずっと見ていたので知っていますよ」
……ほんとによく見てるんだな。悪魔とは恐ろしいものだ。
「ですから、悪魔ではなく女神です! 麗しくて、可愛いきれいな女神ですよ!」
お前が女神かどうかは置いておいて、最後に厄災の獣を消滅させることができた。
だから、もう満足だ……。
「一時的に厄災の獣は眠りにつきましたね。ですが近いうちに復活しますよ」
え? 復活するのか? え? 消滅したんじゃ?
「え? じゃないですよ。厄災の獣も神の一柱ですからね。そう簡単に滅せませんよ」
…………
「……でもでも! でも! 人族でありながらあそこまでできたのは凄いです」
…………俺のしたことは無意味だったのか?
「無意味なんかじゃないです。しばらくは厄災の獣は大人しくしているでしょうし」
なんということだ。
「だからこそ、エデルファスさん、あなたは神の座に手を届かせたと判断されたわけですし」
………………
「あとのことは神になってから考えましょう? まあ、最初は私の弟子神からですが……」
少し考えさせてくれ。気が散る。
「はいはーい。ここは時間の流れが外とは違いますからね。いくらでも考えていいですよ」
随分と軽い悪魔だ……。
「だから、悪魔じゃないですって」
雑音を排して考える。
「雑音ってなんてこと――」
集中すれば、自称女神こと悪魔の声は聞こえなくなった。
厄災の獣は人族の敵だ。だが、それ以上にその討伐は俺の人生をかけた目標でもあったのだ。
あいつがのさばっていると思うと、ものすごく悔しい。
「女神! いや、悪魔でもいい!」
「おっと、やっと私に呼びかけてくれましたね!」
その言葉と同時に、俺の目に女神の姿が映った。
それは、とても美しい少女の姿だった。
自分から呼びかけないと、いや見ようとしないと見えないものなのかもしれない。
「エデルファスさん。やっと神になる気になりましたか?」
「俺は厄災の獣を倒したいんだ。そのためなら神とやらにもなってやる!」
「え……。それはちょっと」
女神は困ったような表情を浮かべる。
「まさか、できないのか?」
「制約がありまして……」
そういえば、先ほど女神は制約はあるようなことは言っていた。
「詳しく教えてくれ」
自称女神が言うには、厄災の獣は神、正確には元神なのだ。
神としての力を保持したまま、堕天した呪われし獣。
そして地上において神の力がぶつかれば、大地の方がもたない。
「それでは、意味がないじゃないか」
俺は厄災の獣を倒したいと強く願っている。
だが人族のために倒したいというのが動機の出発点でもある。
厄災の獣のために大地を犠牲にしては意味がない。
「神は地上に直接介入することは出来ません」
「神が力を地上に及ぼすには、人族など地上の生き物を介す必要があるということだな?」
「はい。基本的にはその理解であっています」
「俺の弟子にも水神の愛し子がいたな」
「はい、でもそれだけではありませんよ?」
「というと?」
「勇者は聖神の、戦士は剣神の、魔導師は魔神のお気に入りです」
「そうだったのか……。俺の弟子たちは神のお気に入りだったのか」
道理で最強の弟子たちだった。
「そして、エデルファスさん、あなたは私のお気に入りです!」
「あ、はい。そういうのはいいので」
気を使ってもらっても別に嬉しくない。逆に困る。
「ということは、厄災の獣をどうにかする手段は俺にはもうないのか」
「……ないことはないです」
「詳しく教えてくれ」
女神はまた説明してくれた。
神としてではなく、人族として地上に戻ればいいのだという。
「いわば転生というやつですね」
「ならば、それを頼む」
「条件があります」
「なんだ?」
「転生後。神の意志を大きく外れた非道な行いをしないこと」
「無論だ。そんなことはしない」
「そして、第二の生を終えた後、今度こそ神になること」
「わかった。やむをえまい」
「そして最後にもう一つ。これは条件というより親心みたいなものですが……」
「なんだ?」
「転生前に神の世界で修行してもらいます。そうでもしないと厄災の獣には勝てませんから」
「強くなれるなら望むところだ」
「地上とは時間の流れの異なるこの世界で、極限まで修行してもらいますからね!」
そういって、女神は笑った。
そして気の遠くなるほどの時間を修行に費やすことになった。
女神だけでなく魔神、剣神、戦神、水神、炎神、風神、雷神、竜神。
あまたの神から修行をつけられることになったのだった。
なろうの評価システムが変更になりました。
もしよろしければ、★をいただけたら大変うれしいです。