表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Imprial Dawn  作者: 石坂来季
4/6

Ep.3 Crime -罪-

目を閉じ、そっと記憶を遡れば、いつだって僕は、あの部屋の窓から外をぼんやりと眺めている。


トントン。と階段を急ぎ足で駆け上る音。


その歩幅で、階段を上る人物が使用人のアンリばあやだと言う事がすぐに分かる。


トン。トン。


二回のノック。


−アドルフ坊っちゃま。いらっしゃいますか?


−いるよばぁや。


−ローズお嬢様が遊びにお越しですよ。


ローズ。


ジュニアスクールが夏休みに入った途端、それをいい事に毎日の様に遊びに来るなぁ。


−宿題、今日の分終わったからあげていいよ。


−はい。それでは少々お待ちを。お菓子とお茶をご用意致しますね。


何もない日常の風景。


あの頃の僕には当たり前だった、退屈で平凡な毎日の一欠片。


ずっとこの記憶の中に留まっていたい。


しかし、記憶の洪水は容赦なく僕を飲み込んで行く。


−家族ごっこをしましょう。


ローズが屈託の無い可愛らしい笑顔を向けながらそう提案した。


−私がお嫁さんで、アドルフが旦那さん。ルドルフは私たちの子供ね。


配役はいつもこうだった。


ローズが僕のお嫁さん。


弟のルドルフはいつだって僕たちの子供の役をあてがわれ、その度に不満そうな表情をする。


−起きて。アドルフ。旦那さんは、早く起きて、お嫁さんと、子供の為にお仕事に行かなくてはならないのよ?


−いやだ。僕は働きたくない。


−もう!そんな事じゃ困ります!


−僕は病気だから、働く事が出来ないんだよう。


僕はいつもの調子で、この家族ごっこを早々に終わらせようと抵抗した。


しかし、今日はいつもと違い、ローズは僕の顔を不思議そうに覗き込む。


−どうして、アドルフはいつも旦那さんなのに病気なの?これじゃあ家族ごっこじゃなくて御医者さんごっこになっちゃうじゃない。


弟のルドルフは、学校に行く。という子供の役回りを、演じていてこの場にはいなかった。


可愛らしいローズの表情に、僕の心臓は子供ながらにドキドキしている。


−…だって、父さんも母さんも、僕が病気の時は優しくしてくれるんだ。二人ともお仕事が忙しくて月に一回しか帰って来れないのに、ばあやから、連絡が行くと、飛んで帰って来て、優しく僕を看病してくれるんだよ?


そんな僕の言葉を聞いて、ローズは何かを考える様な仕草をすると、すぐににっこり微笑んで、僕を見つめた。


−じゃあ、私がずっとアドルフの側に居てあげる。


彼女がそう言った後の事を、僕は今でも思い出せない。


僕は喜んだのだろうか?


思い出そうとすると、また再び記憶の洪水が僕を浚い、再び気付いた時には、僕の体は中途半端に大人になって、逃げ惑う人々の群れの中でただ一人たたずんでいるのだ。


シスタニア内戦。


独裁的なシスタニアの国王に、反旗を翻した反乱軍『赤い飛行船レッド・ツェッペリン』との間で起きた内戦下。


もはや泥沼化していた戦乱で、僕が弟ルドルフやばあや、父と母と共に幼少期を過ごしたあの屋敷は燃え落ちてしまった。


−アドルフ。私が居ない間、お前がこの家の当主だ。しっかり、ルドルフやアンリ、そしてローズを守ってやるんだぞ。


父の言いつけに、僕は嫌だ。といって泣きすがる事も出来ただろう。


しかし、その時の僕はそんな事も出来ないままにもう成人間近。


必要以上に勇ましく、はい。と返事をしていた。


やがて、反乱軍は国軍に勝利し、シスタニアは王国から民主主義の共和国に変わる。


−屋敷は燃えてしまったが、家族が全員生きて再開出来た事、その奇跡を喜びあおう。


僕たち家族は全員で抱き合い、涙を流しながら喜んだ。


父も母も軍属だ。


戦争が起きれば、生きて戻れるという保証は無いのだから。


−アドルフ。良くお聞き。


優しい声で、母が僕に言う。


−…ローズの所に行っておやりなさい。


その時は、自分の家族が生きて再開出来た喜びで、何故?と聞く事もせずに僕は頷き駆け出していた。


−ローズ?


彼女の家に行くと、ローズは一人で静かに泣いていた。


−どうして泣いているの?内戦は終わったんだよ?


その言葉に、ローズは泣いて赤くなった顔のまま、僕を見た。


−お父さんとお母さん、死んじゃったの。


僕は自分の浅はかさを悔いた。


彼女の泣き顔を見たのは、それが最初で最後だった。


−なら、今度は僕が君の側にずっと居てあげる。


そう言った僕の胸の中で、彼女は声を上げて泣いた。


やがて、僕たち家族は新しい家に越し、思い思いに再び訪れた平穏な日常に浸透して行った。


前程大きな庭も部屋も無いけれど、家族四人とアンリばあやとで過ごせる時間がとても幸せだった。


−アドルフ。ルドルフ。今日は君達に紹介したい人が居るんだ。


夕食の席で、父さんが急に改まってそんな事を言い始めた。


入っておいで。と、父さんに促され、ダイニングに足を踏み入れたのは、小綺麗なドレスに身を包んだローズだった。


僕とルドルフがきょとんとした表情で、彼女と父さんを交互に見ていると、父さんは優しく微笑みながら、僕たちにローズを紹介した。


−ローズは、今日から私たちの家族になる。


彼女の手前、それをおおっぴらに喜んでいいものかと、幼いながらに逡巡するが、等の本人は、凄く嬉しそうだったので、僕まで嬉しさがこみ上げて来る。


ローズのはにかんだまだあどけない微笑みと、身にまとったドレスがなんだかちぐはぐなような気がしたが、時が経つに連れて大人びていく彼女の横顔に、僕は心を奪われていた。


そうして、僕たちは家族になったのだ。


争いの無い平和な日常。


家族全員で過ごせる日々。


あの頃の、とても幸せだった記憶の中に留まっていたい。


しかし、洪水はまたも、僕を容赦なく深い闇へと飲み込んで行く。


−私ね。軍医になろうと思うの。


僕たちお気に入りの夜空がよく見えるバルコニーで、不意にローズが僕にそう告げた。


どうして?と僕は聞き返す。


さぞ、不安そうな表情をしていただろう。


母も同じ軍医だった。


父も母も、内戦が終わってからは、仕事が終わると毎日家に帰ってくる様にはなっていたが…。


内戦の時の事を思い返せば、その職業は、いつでも死と隣り合わせであると言う事を再認識する。


−私のお父さんとお母さんもおじさまとおばさまと同じ軍人だった。二人とも戦火の中で深手を負って…。発見された時には、もう…。あの時、二人に駆けつけられる軍医さんが一人でも多く居たなら、二人は助かったかもしれない。


だから、私は軍医になるのだ。と真っ直ぐな瞳で微笑みながら彼女は僕を見た。


その時の彼女の選択が、間違っていたのか、正しかったのか、一生を掛けて悩む事になるとは、その時の僕には知る由もなかった。


そして…。


僕の人生を壊したあの日はやって来た。


−ま、まさか。そ、そんな。奥様と旦那さまが…?嘘、でしょう?


理系の研究者となり、帰宅後自室のデスクに向って作業をしていた僕の耳に飛び込んできたばあやの狼狽した声。


僕は手にしていた書類をゆっくりデスクの上に置いた。


−て、帝国が!?一体…一体何故…。何故なの…?


−ばあや?


僕が嗚咽を漏らすばあやに歩み寄ると、ばあやはすぐに平静を装い、僕の顔を真っ直ぐに見据えた。


彼女は小声で電話の向こう側に居る人物に何かを告げると、受話器を置き、真っ直ぐな目で僕を見据えた。


−帝国が。北の帝国が突然全世界に宣戦布告し、このシスタニアへの攻撃を開始したそうです。此処は首都デカルタへ通ずる道の途中にある街。早く、逃げないと戦火に巻き込まれます。帝国は相当数の兵力を既に出兵させたそうです。


−父さんと、母さんは?無事なのか?


いつの間にか背後に立っていた弟のアドルフが、ばあやに問いかけた。


−え、そ、それが、その。


−まさか…。


ルドルフは何を思ったのか、自室へと走り、勢い良く扉を閉めた。


−何をしているんだルドルフ!


−父さんと、母さんは死んだのか?!


その叫びに、ばあやは膝を床に着いて大粒の涙を流し嗚咽を漏らす。


そんな。


一体何故帝国は?


その瞬間、けたたましい爆音が周囲一帯に鳴り響き始めた。


まさか。


早い。早すぎる。


まるで全て最初から準備されていたようではないか。


−アドルフ坊っちゃま。ルドルフ坊っちゃまは私が連れ出します。あなただけでも今は逃げて下さい。


−しかし!


−ローズお嬢様は近くの駐屯所においでの筈です。お嬢様を守ってあげるのですよ?


−ばあや!!


−お行きなさい!ローズ様と待っていて下さい。必ずルドルフ様を御連れしてお迎えに上がります。

ばあやの叫びと共に、瞬く間に家に火の手が廻る。


空襲!?


帝国軍は、数多のガンシップを従え、この国全土を覆い尽くすかの様に、絨毯爆撃を仕掛けて来たのである。


僕らの済むこの街は、帝国領との境にある川沿いの街。


よくよく考えなくても、一番最初に彼の国から攻撃を受けるのはこの街だった。


僕は考える事をやめた。


周りも見ずに走り出す。


色々な事が一気に脳内になだれ込み、もうどうしたらいいのか分からなくなっていた。


父さんと、母さんが死んだ?


帝国が、あの世界最大の軍事力を持ってシスタニアに攻撃を?


ローズ。今君は何処に?頼むから無事で居てくれ。


ルドルフ。ばあや。早く逃げないと…ー


−ドォォォォォン


駆け抜ける僕の背後で起こる爆発。


既に街の至る所で空爆が起き、美しい星が見える筈の田舎町の空は、炎と煙で赤黒く染まっていた。


ふと我に返り、僕は振り返る。


そこには、僕が家族と共に幸せな日々を過ごした家は既に跡形も無くなっていた。


−ルドルーフ!!!アーンリ!!


弱気に生きて来た人生の中で、これ以上に大きな叫びをあげた事は無かっただろう。


かつての家があった場所で巻き上がる炎と煙を僕はしばらくの間呆然と見つめていた。


やがて、そこかしこで銃声と怒号が響き始めた頃、僕は我に返っているのかも定かではない、まるで幽鬼の様な足取りで、燃え盛る街道を歩いて行く。


−ローズ。何処に居るんだ…。


逃げ惑う人々の波をかいくぐり、僕は街の軍駐屯地にようやくたどり着く。


しかし、その惨状に、僕は絶望し膝をついた。


そこかしこに兵士の死体が転がり、壁には血が飛び散っている。


内蔵がえぐり出された様に引きずられた死体もあった。


−ローズ…。ローズ。何処なんだ?


駐屯所の建物の裏へ廻る僕。


その時だった。


−アドルフ!?


動くものの居ない死者達の空間で、僕の名前を呼ぶ声がする。


−ローズ!!


僕はローズを見つけた。


彼女は健在だったのだ。


絶望の中で、ようやく光を見つけた様な気がした。


ローズだけでも。


僕は彼女に駆け寄る。


しかし、ローズの表情は、僕との再会を喜ぶ、あの可愛らしい微笑みではなかった。


彼女のその表情に気がついた時には、もう全てが遅かったのだ。


−来ちゃダメっ!!


ローズの叫びに僕は駆け寄る足を止めた。


彼女が軍服の上から羽織っていた白衣がみるみる赤く染まって行く。


−え…?


何事か僕の脳が判断する前に、彼女はまるで膝から下が突然なくなったかの様に地面に倒れ込んだ。


−なんだ…これは…。


彼女が立っていたその後ろには、今でも忘れる事の出来ない者が不気味な月明かりに照らされ、立っていた。


黒いセミロングの髪。


返り血を浴びた綺麗な肌。


まだあどけなさの残る少女。


手に握られた大きなナイフ。


滴る血。


まるで人形の様に表情は無い。


−……アドルフ。逃げて…。


苦しそうにローズが僕を見て訴える。


すると、少女はまた無表情のままナイフを彼女の下腹部に躊躇無く突き立てた。


鮮血が飛び散る。


−や、やめてくれ!


僕の言葉に、一瞬少女はこちらに視線を送る。


−アドルフ。私…。あの時−。


口から血を流しながらローズが僕に訴える。


助けたい。


しかし、まるで蛇に睨まれたネズミの様に、僕の体は動かなくなってしまっていた。


−側に居てくれるって言ってくれて嬉しかった…。


彼女がそう言うのとほぼ同時に、少女は再びナイフを彼女の背中に突き刺した。


やめろ。もう止めてくれ。


−アドルフ。私を…


喋る度に突き降ろされるナイフ。


舞う血しぶき。


−家族に迎えてくれて、ありがとう。


彼女は微笑んでいた。


いつもの微笑みで。


何度も何度も少女のナイフは彼女を切り刻んだ。


僕の体は固まって動けない。


『約束、守れなくて…ごめんね。』


細い、まるで蚊の鳴くような声でローズが言う。


−私がずっとアドルフの側に居てあげる。


僕の脳内に、その言葉がまるで呪いの様にリフレインする。


何度も何度も。


『でも…−』


ローズは縋る様に何かを言いかけながら僕に向い手を伸ばす。


まるでそれが合図だったかの様に、ローズを理不尽に切り刻む少女の手に握られたナイフは、彼女ののど元を何の抵抗も無く走っていた。


−なぜ…こんな…。


震えた声で、ローズの亡骸を見つめながら誰に問いかける訳でもなく僕の口から溢れ出た言葉。


その言葉に、少女は小さな声で言う。


−命令だから。


−…命…令?


−そう。シスタニアという国家そのものが帝国に抵抗を続ける限り、軍服を身にまとう全ての人間を殺し続けろって。


その口元には僅かな笑みさえ見えた。


−そんな…。弟とばあやはどうなる!?空爆を受けて家もろとも…!そして彼女は…彼女は只の軍医だぞ?


−関係無い。軍医が負傷した兵士を助ければ、またその兵士は戦線に復帰する。だから関係無い。殺すだけ。家は、私じゃない。だから関係無い。


−ふ、ふざけるなよ…。


僕は力つきた様に、自分の額を地面に擦り付けながら泣いた。


−だったら僕も殺せ!!誰一人、大切な人を助けられなかった僕を殺してくれ!!頼む。殺せ!殺してくれぇっ!!!!


顔を上げ少女の表情を伺う。


彼女は小首を傾げながら言った。


−ダメ。命令に無い。


彼女は興味を失ったかの様にローズの亡骸をその場に残し、地面に這いつくばる僕のすぐ横を過ぎ去って行く。


そうして、この戦争は僕から全てを、ものの小一時間で奪ったのだ。


僕は帝国を呪った。


そして、何もする事が出来ず、只呆然と眺めている事しか出来なかった自分を呪ったのだった。



★1


−帝都アルトリア南区ハイウェイ PM 14:30


アドルフの話が終わる頃には、俺たちは既に庁舎へ向かう途上のハイウェイの上に居た。


車内の空気は重く沈んでいる。


アドルフは眼鏡の位置を人差し指で戻すと、窓の外を流れて行く、帝都の街並をぼうっと見つめた。


「正直、そこからの記憶は曖昧、と言うよりは完全に抜け落ちてしまってるんです。冷静になった時には、既に塀の中でした。」


車内は沈黙に包まれた。


脳内に広がっていたアドルフの語る悲惨な戦地の情景が一瞬にして消え去り、自分達が護送中の車内に居た事を思い出す。


「…シスタニア殲滅作戦…帝国特務執行員…。」


突如先輩が沈黙を破って、聞き慣れない言葉を呟いた。


「?…なんだ?それ?聞いた事無いな。」


俺の疑問符に対し、アドルフも同じ様に知らない様だった。


「…ロック。あなたはシスタニア殲滅作戦に参加していないのよね?それなら、知らなくても無理は無い。」


彼女は間を置いて話を始めた。


「シスタニア殲滅作戦帝国特務執行員。彼等は、帝国軍の小隊に各1名ないし、2名程ランダムで配置された。戦場において、とある『特殊任務』を遂行する為に。」


「特殊任務…ですか?…まさか、あれがそうだと言うのですか?」


アドルフは先輩の言葉を聞き、額に皺を寄せた。


ランダムに?


誰でもいいと言う事なのか…?


俺とアドルフの疑問を晴らすべく、先輩は続ける。


「そう。あなたの見たその光景こそ、彼等が与えられた特務。執行員に任命された者は、戦争が早く終わる様、軍服を着る者、もしくは軍人と判断された人間を皆御殺しにして行った。出来るだけ残虐な方法でね。」


俺も、そしてアドルフも言葉を失った。


戦う意思のある者に対しての見せしめ。


戦意喪失。


そして、生き残った者が二度と戦争行動を起こさぬ様、脳裏にその光景を深く刻み込むため。


そんな所なのだろうか?


「そんな事が…許されるのですか?」


アドルフは深く俯き、絞り出す様にそう言った。


その悲痛な問いかけに、先輩は何かを良く思案するように黙り込み、やがて口を開いた。


「戦争を早く終わらせるためには、必要だったのかもしれないわね。」


それにしても。と先輩は続けた。


「あなたが出会ったその少女は…。もう既に『壊れていた』ようね。」


「壊れて…?それはどういう?」


ハンドルを握ったまま俺は先輩に問いかけた。


「当たり前よ。来る日も来る日も人を殺し続ける生活。しかも出来るだけ残虐な方法で。普通の兵士はいくらナノマシンの加護があっても到底正気を保てない。殺しの方法は各執行員に選ばれた兵士に書簡で伝えられる。」


「まるで…ゲームじゃないか。」


俺が何気なく言ったその言葉は、一体正しい表現だっただろうか?


「…敵軍の残党を集め、彼等の見ている目の前で、一人ずつ、鉄パイプで原型が留まらない程殴打した老兵。敵兵士に、生きている仲間の耳を削ぎ落とさせた新兵。様々な方法でシスタニアの兵士は殺されたわ。そういう環境で自分を保てなくなった兵士は、戦争が終わった後も苦しむ事になる。」


「…あなたは、それを見てどう思ったのです?」


俯いていたアドルフが真っ直ぐに先輩を見据えてそう問いかけた。


それは純粋な興味から来る質問とは明らかに違っていた。


何だろう。この感じ。


「…さぁ。どうかしらね。戦争を早く終わらせる為に効率的だとは思った。でも…」


先輩はそこで言葉を詰まらせた。


「…そこに『誇り』は無かった。有るのは、只の『義務感』だけよ。」


先輩がそう言い切ると同時に、俺たちはハイウェイを抜けた。


国防委員会の庁舎は、もう目と鼻の先だ。


「…今思えば、あの少女と私は似ていたのかも知れません。数々の理不尽に心が耐えきれなくなって…。」


アドルフはそう言うと、悲しそうに笑った。


俺たちはもう何も言わなかった。


そこから言葉を交わす事無く、死刑囚と俺たちを乗せた車は、現場に到着した。


★2


−帝都アルトリア南区 帝国国防委員会庁舎前 PM 15:02


「よう。ロックに、エリーナ。ご苦労さん。」


車から降り、アドルフを連れて庁舎前に設置された作戦本部へ歩み寄ると、そこにはzodiac副隊長のフリードリヒ・スタンフォードが居た。


午前の取調中にガンシップに襲撃されたせいだろう。


顔に数カ所絆創膏が貼られている。


「兄貴。無事で何よりだぜ。」


俺がそう言いながら彼に近づくと、俺たちはお互いの拳を軽くぶつけあって挨拶を交わした。


彼は後ろに続く先輩と、アドルフにも一瞥を送ると、微笑した。


「まったく。ひどい話だ。いきなり取調室の壁が吹っ飛ぶなんて夢にも思わなかったぜ。あの銀髪を連れ攫われてしまった事、申し訳ない。」


兄貴は頭を掻きながら、キビキビとした動作で俺と先輩に向い謝罪のお辞儀をした。


階級や立場的には兄貴の方が上ではあったが、彼のそういう律儀な性格は尊敬している。


「謝るなよ兄貴。こっちこそ、ハイウェイの騒動以降、zodiacに投げっぱなしになってしまってたからな。後の事はSHADEに任せておいてくれ。」


俺がそう微笑みかけると、兄貴は、あぁ。と頷いた。


「レオンとバロンは既に庁舎の地下から内部に潜入し、制御室で待機中との事だ。後はお前達に掛かってる。奴らは何処かからこちらの様子を伺っている。庁舎内に入ったらアルタイル委員長の回線でこちらに連絡を入れてくる筈だ。うまくやれよ。」


兄貴はそう言うと、俺の肩を軽く、ポン。と叩き、その場を去って行った。


先輩は浮かない顔のまま何も喋らない。


アドルフも同じだ。


「行こう。」


俺はそんな二人を促すと、バリケードで包囲された庁舎の正面玄関へ足を踏み入れた。


庁舎のロビーは整然としている。


普段は800人程の職員が往来しており、なかなか賑やかな建物である筈が、テロリスト達に追い出されたせいもあり、もぬけの殻だ。


床に散乱したゴミやら書類やらが、その時の混乱を物語っている。


ロビーの奥にあるエレベータまで歩み寄ると、耳に装着していた無線機のコール音が鼓膜に響いた。


無線機は体内のナノマシンと連動しているため、誰からの通信かが自然に分かる様になっている。


「…アルタイル委員長の回線…。」


そう言いながら俺は後ろの先輩を振り返る。


彼女がそれに対して頷き返事をしたため、俺はその通信を受信した。


『…待っていたよ。ロック君。そしてエリーナさん。』


声の主は間違いなくあの銀髪男、フロレイシアだ。


「アドルフを連れて来たぞ。委員長は無事なんだろうな?」


『あぁ。もちろんだとも。僕はアルタイル委員長の部屋に居る。30階オフィスの一番奥だ。』


相変わらず余裕綽々と言った様子が男の声から伝わって来る。


まだ何かを企んでいるのだろうか?


「すぐ行く。他の仲間達も一緒か?」


『いいや?彼等は屋上のガンシップ内で待機中だ。君達のお仲間のスナイパーが上空を飛び回っている様だが、変な真似をすれば、アルタイルの命は無い。分かっているな?』


さすがに、自分達が包囲されている事は分かっている様だ。


しかし、本当にこの余裕は何処から来るのだろう?


ガンシップで襲撃して来たときの様な、俺たちには想像も出来ない様な作戦と切り札が。


「…あぁ。わかってる。これからエレベータに乗る。」


俺は言いながらエレベーターの操作パネルをプッシュした。


一階に止まっていたエレベーターは、すぐに扉が開き、俺たち三人はそれに乗り込んだ。


先輩が30階のスイッチを押し、やがてエレベーターは俺たちを乗せて動き出す。


エレベーターが指定の階に到着する間、俺は先輩とアドルフの顔を交互に見た。


アドルフは何処か緊張した様に強ばった表情をしている。


いくら死刑囚と言えど、まさか自分が帝国の作戦に参加する等とは思っても居なかっただろうな。


逆に、車を降りてからと言うものの、先輩は無表情のまま黙り込んでいる。


アドルフとの会話がそうさせたのだろうが、何を考えているか分からない状態だ。


大丈夫なのか?


どことなく不安がもたげて来る。


やがて、エレベーターが30階に到着すると、俺達はゆっくりとロビーに歩み出した。


拳銃を構えながら辺りを見回し、ゆっくり通路を進む。


言葉は無い。


俺が先頭を進み、その後ろにアドルフ。


彼を促す様に、そして背後を警戒する為に一番後ろには先輩が居る。


「…此処か。」


大理石で出来た長い廊下を進んで行くと、その突き当たりに、モダンな木製の大きな扉が姿を現した。


「アドルフは合図があるまで、外に居てくれ。」


先ほどから無言の先輩の代わりに、俺は死刑囚に声を掛けた。


彼は俺の目を見ながら頷く。


「…まって。」


ずっと黙っていた先輩が人差し指を唇に当て、小さな声でそう言った。


彼女の言葉に、俺は耳を攲てる。


扉の向こう側から、微かに声が聞こえるのだ。


『…あぁ。救済の神託オラクル・オブ・サルートとしての私の任務は終了した。此処からは、私の好きにさせてもらう。』


フロレイシアの声だ。


誰かと無線で話している?


『…心配はいらない。一緒に来た仲間には、私の身に何かあったらすぐにあんたの元に帰還する様話してある。帝国軍は、むやみにあのガンシップを攻撃出来ない筈だ。』


「…『あんた』…誰と話してる…?」


小声で言いながら先輩と目を合わせるが、彼女は首を横に振った。


分かる筈も無いか…。


フロレイシアは会話を続けている。


『…『約束は守る』とあんたは言ったな。これから起こる事は、あんたとは関係無い。後の事はあんたやA1に任せるさ。では。』


フロレイシアはそこで無線を切った様だ。


A1?何かのコードか?


俺はタイミングを見計らい、目の前の扉を二度ノックした。


「到着した。開けるぞ。」


扉の向こうにいるであろう人物にそう継げ、俺は慎重に扉を開けた。


アルタイル委員長の執務室の真ん中の絨毯の上に、両手両足を縛られ口をテープの様な物で塞がれたアルタイル委員長が横たわっている。


俺たちが部屋に入った瞬間、視線をこちらに向けた所を見ると、老人は健在らしい。


部屋の突き当たり、外の景色を覗む窓の前の執務机に腰掛けながら、フロレイシアは、取調中の映像で見た様な不敵な笑みでこちらに微笑みかけていた。


「ロック君。エリーナさん。待っていたよ。」


「…死刑囚アドルフ・ドルメニクを連れて来た。超法規的措置ってやつだ。」


俺は真っ直ぐ目の前の男を見据えながらそう言った。


「人質最優先か。君達帝国にもそんな考えがあったとはね。」


フロレイシアはそう言うと、わざとらしく肩を竦めてみせた。


「…さぁ。彼の顔を見せろ。言っておくが、影武者などは私には通用しないぞ。」


フロレイシアの挑発を聞き流しながら、俺は振り返り、扉の横に隠れていたアドルフに入室する様促した。


ゆっくり、アドルフは部屋の中に歩み入る。


俯き加減だった顔をゆっくりと上げ、部屋の置くに居るフロレイシアへと、アドルフは視線を向けた。


「…?!なっ…?!」


その瞬間、彼は驚愕の表情を浮かべ動かなくなった。


アドルフのその様子を見、フロレイシアが口の端に笑みを浮かべたまま言う。


「…やぁ。」


俺は、目の前の男を見て動きが固まったアドルフに歩み寄った。


「おい。どうしたんだ…。」


しかし、その問いかけにも答えない。


アドルフは完全に男を凝視しながら固まってしまっている。


フロレイシアはその様子を見ながら執務机からゆっくり立ち上がった。


「…い、生きて…いたの…か。」


アドルフのその絞り出したかの様な言葉に、俺は再度フロレイシアの顔を睨みつける。


似ている…?…まさか…!?


「…久しぶりだね。兄さん。」







− ep3  Crime -罪- 完

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ