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Imprial Dawn  作者: 石坂来季
3/6

Ep.2 Leap -暗躍-

★1


−アルトリア丘陵 国立自然公園 AM 6:40


帝都アルトリアの街並を望む、広大な国立自然公園。


大陸を縦断するクローレンツ山脈の狭間に拓かれたこの地は、まさに自然が作り出した要塞都市と言える。


高い山々の間を縫って高くそびえ立つ高層ビル群。


その山陰から差し込む朝日は、まるでこの世界の暗闇を全て照らし尽くしそうな程眩しく、そして美しかった。


自然と近代建築の調和された近未来都市。


それがこの帝都アルトリアだ。



「…待たせたな。」


そうして私が美しい景色に心を委ねていると、背後から突然声を掛けられる。


振り返ると、そこには若い長髪の男が立っていた。


「…合い言葉を言え。」


突慳貪に私が言い放つと、男は苦笑した。


「…必要無いだろう。君は本当に慎重だな。」


男は、一つに束ねて肩に流した長い髪を指先で弄びながら、だが、そこがいい。と続けた。


私は男の顔を睨みつけると、再び目の前の美しい景色を呆然と眺めた。


「…例の作戦を実行する手筈が整った。」


私はその言葉に返事をせず、視線も動かさなかった。


「…A1。…報告を。」


男はそう言いながら、隣に歩み寄ると、私と同じ様に柵に肘を預け、目の前に広がる美しい景色を見据えた。


A1(エーワン)。


それがこの男から私に与えられたコードネームだった。


私は一度深く深呼吸をすると、肩を竦めた。


この男、状況を全て知っているにもかかわらず、私にわざわざ報告させようとしているのか。


私はめんどくさい気持ちを包み隠さずに、露骨に表情に出しながらその問いかけに答えた。


「…C1と組織の被験体2名は、予定通り帝都王宮極秘情報安置室より例のディスクを回収後、帝国当局の作戦に従い、ハイウェイでその身柄を拘束された。被験体二名は死病インキュアブルにより死亡。C1はクライムエイジ刑務所の特別留置室にて、本日8:30より聴取を受ける予定だ。」


私の言葉に、男は難しい表情をした。


死病インキュアブルか…。やはり『複製』ではダメか?」


「まだ分からない。何せ『オリジナル』の情報が足りていないからな。8つあるアンプルのうち、現状こちらの手に渡っているのは3つだけだ。」


「そうだな…。早く作戦を次の段階に移行する必要が有る。一刻も早く全てのアンプルを回収する必要が有る。」


男はそう言うと、後ろを振り返る。


私もそれに習い後ろを振り返る。


いつの間にか、黒塗りのセダンが我々の後ろに停車していた。


この男を迎えに来たのだろう。


「C1…。あの銀髪の男は信用出来るのか?奴の目的は、何か別に有る様な気がするが。」


私の疑問に対し、男は鼻を鳴らす。


愚問である。と言わんばかりに。


「手筈通り進めば、彼に他の目的があったとしても問題はない。彼とは利害が一致している。七貴人議長であるハザウェイの要請で、凍結されていたSHADEも本格的に動き出すだろう。我々の作戦が次の段階に移行すれば、恐らく現状は更に厳しくなるだろう。いちいち手駒を疑っているようでは、埒があかなくなるぞ?人を見る目を養え。それが研ぎすまされていれば、駒を疑う事も無くなるし、早く出世出来る。私の様にな。」


男は何処か見下した様な表情を私に向け一瞥すると、自分を迎えに来たセダンに向かって歩き出した。


男の背中を目で追う。


「…『監視者』…。彼等も動き出すのか?」


私の問いかけに、男は立ち止まった。


ゆっくり俯いたまま私を振り返る。


「…間違いなく、動き出すだろう。だが、君は通常通りの役割を演じろ。何か有ればこちらから連絡する。恐らく、しばらくはこうして会って話す事も出来まい。」


彼は再びこちらに背を向けながらそう言った。


「最後にもう一つ教えてくれ。」


私のその言葉に、男は再び足を止める事はなかった。


ただ一言、約束は守る。そう言い残し、彼はセダンの後部ドアを開いて車内に乗り込んだ。


スモークの張られた窓ガラスから、中に乗る男の表情を窺い知る事は出来ない。


去っていたそのセダンの背中を見つめながら私は深呼吸をし、再び眼下に広がる帝都の喧噪を見渡した。


あの男に会ってからという物の、私の目の前に広がる全てが偽りの物となったのだ。


この素晴らしい都市の景観すら、様々な人々の犠牲で成り立っているのだ。


「…約束は…守る。か。」


この世には果たせない約束もあるだろう。


そう考えると、私の心は不安でいっぱいになった。


しかし、今ではあの男を信じる他あるまい。


あの男以外、この国の連中は皆、『嘘つき』なのだから。



★2


−帝都アルトリア中央区 クライムエイジ刑務所 AM9:35


まるで、そこは神話の世界に出て来る魔宮の様に見えた。


窓の代わりに頑丈な鉄格子が埋め込まれた直方体の建物は、天高くそびえ、その四つ角には巨大な監視塔が設けられている。


帝国が誇る地上の孤島、クライムエイジ刑務所は、重犯罪を犯した人間に取ってもはや墓場の様な場所だった。


仮に建物を脱出出来たとしても、常に四隅の塔の上からその目を光らせているスナイパーの餌食になるか、防御システムが働いた際にのみ作動する地雷原の餌食となるだろう。


それだけではない。


この刑務所からかつて脱獄に成功した犯罪者は一人として居なかった。


一般人は遠くからその出で立ちを見る事しか出来ないが、犯罪等に縁のない帝都の民からすれば、その建物は何処かシンボリックなオブジェの様に見えたかもしれない。


「状況は?」


俺、ロック・セブンスがバディであるエリーナ・マクスウェル先輩と共に、取調室の様子を監視する事が出来るモニタールームに入ると、そこにはzodiac隊長のルノア・ジュリアードと、その部下数名がいた。


彼女の姿を確認するなり、前回同様そそくさとエリーナ先輩が俺の背後に隠れる。


「…割らない。」


こちらも相変わらず、口を。という主語が無い。


ルノアはこちらも見ずにそれだけを言うと、少々疲れた様な表情を浮かべながら本当に小さく溜め息をついた。


「昨日の夜からぶっ通しか?少しは休めよ。」


「…。」


俺の言葉が聞こえているのかいないのか、彼女は黙ってモニターに映る二人の人間を凝視している。


そんな彼女の様子に俺は肩を竦めると、背後に隠れている先輩を促し、室内のモニターが見える位置まで歩み寄る。


画面の中には、zodiac副隊長フリードリヒ・スタンフォードの兄貴と、本日の深夜極秘情報安置室へ侵入し、軍部の重要な機密データを奪取した銀髪の男とが机を挟んで対峙していた。


取調室の何処かに設置されているだろう高性能のマイクが、聴取室内の音声を拾い、このモニタールーム内に流す。


『…なぁ。少しは会話しようぜ?飽きちゃったよ俺。』


兄貴の何処か呆れた様な声が聞こえる。


それに対し、監視カメラを通してみる銀髪の男は特に疲れている様子も無く、微笑を浮かべている様だった。


『…どうやってあの極秘情報安置室へ入ったんだ?あそこのセキュリティは、サキュラス皇帝陛下がいる帝都王宮内という事もあって常に厳戒態勢だ。今後の参考の為に、是非それだけでも教えてもらいたいんだがな?』


フリードリヒは画面の中で、大きく椅子の背もたれに寄りかかりながらそう問いかける。


『…セキュリティーなど、所詮は人が作り上げたもの。どうにかすれば、どうにかなるのですよ。』

男のつかみ所の無い返答に、兄貴は肩を竦めてみせた。


『誤摩化さないでちゃんと教えてくれよぉ…。それに、あのデータを盗み出したのには何か意味が有るのか?帝国軍人、おまけにクリアランスレベルが満たないと開けないファイルだ。ハッキングでもするつもりだったか?』


その問いかけに、銀髪の男は、ふん。と鼻を鳴らして嘲笑を浮かべた。


『…それはあなただって同じでしょう?盗まれたという事実だけで、取り返す様上に指示を受けるものの、その中身を知る事までは許されていない。かわいそうな人たちだ。あなた方帝国兵は、例えそれが道ばたに落ちていた石ころでも、上の人間に殺して取り戻せと言われればそうするのでしょう?』


その一言に、一瞬フリードリヒの兄貴は肩を振るわせた。


『ま・あ・な。悲しい事だが。』


しかし、兄貴はわざとらしい仕草で男の挑発を受け流した。


その辺に関しては、さすがだ。と俺は思う。


俺なら挑発に乗って、感情的になってしまうかもしれない。


銀髪男の言い草に、隣でモニターを覗いていた先輩が顔を顰めながら唸る。


「…随分と余裕ね。いけ好かない。」


俺は、ああ。とだけ返すと、更にその隣にいるルノアの表情を伺った。


こちらはいつもの事ながら無表情である。

「…このままだとキリが無さそうだ。俺たちが行くか?」


試しに提案してみるがルノアの、必要無い。の一言で返されてしまった。


一体何の為に来たんだ俺たちは…。


そんな事を思いながら、先輩と顔を見合わせていると、けたたましい電子音と共にモニタールームに通信が入る。


コンソールパネル内のタッチパネルを操作し、ルノアが卓上マイクに顔を寄せた。


「…何?」


不機嫌なのか、彼女がその一言だけを冷たく送ると、慌ただしい現場の様子がモニタールームのスピーカーを通して帰って来た。


『…隊長!刑務所上空に、帝国籍のガンシップが現れ、こちらの認識信号を無視しながら旋回しております!』


「…機体番号を確認。作戦コード照会…。」


無表情のまま、抑揚のないトーンでルノアが言う。


『…それが…、機体番号がマーキングされている筈の箇所がペンキの様なもので塗りつぶされており、確認が出来ません…。…何っ!?』


「どうしたの?」


『…こちら刑務所屋上!!ガンシップによる攻撃が開始されました!!負傷者多数!!』


「ルノアっ!」


突然の状況に、俺はルノアの名前を呼ぶ。


彼女は、スッとキレのある動作でこちらを向くと、無言で頷いた。


それに対してすぐに俺も頷き返す。


「いくぞ先輩!!」


隣の先輩の肩を、ポン。と叩き、次の瞬間俺は全速力で走り出した。


遅れを取らず、先輩も後ろからついて来る。


「一体何が起こっているの?ガンシップは帝国籍なんでしょ?」


俺の隣に並び、廊下を全速力で駆け抜けながら、先輩が俺にそう問いかけた。


「分からない。制御システムをハッキングされ、リモート状態になっているか…」


そこで言葉を切り、減速せずに突き当たりを左に折れて階段を駆け上る。


屋上に出る扉はこの上の筈だ。


「…何者かに奪われたかだ。」


そう言うと同時に、俺たちは屋上へ出る為の防火扉の前にたどり着く。


慣れた動作で先輩は銃を抜くと、素早く扉の横に周り、ドアノブを捻る。


先輩の合図で、俺たちは一気に無線のあった屋上に躍り出た。


銃を構えながら辺りの様子を伺う。


そこら中から銃声が鳴り響いている。


近い。


その方向に目を凝らすと、上空をホバリングしながら断続的に機銃を掃射する一機のガンシップと、zodiacの隊員、刑務所の警備員等が怒号を上げながら銃撃戦を繰り広げていた。


資材格納用のコンテナの裏に、身を潜めている黒づくめの兵士達を見つけると、ガンシップの攻撃の隙を見計らって俺たちもそこへ転がり込んだ。


「何があった?!」


俺は、自国のガンシップ相手に役に立つかどうかもわからない拳銃を手に、コンテナの影から身を乗り出しながらアサルトライフルを撃つ兵士に向い問いかける。


zodiacの隊員。ルノアの部下だ。


「お前等SHADEか?…見ての通りだ。突然現れた正体不明のガンシップから攻撃を受けている!」


「屋上に対空装備は?」


先輩が問いかけるのと同じタイミングで、兵士は乗り出していた体を素早く引っ込め、新しい弾倉に交換しながら、んなもんあるわけねーだろ。と捲し立てた。


「此処は刑務所で、軍基地じゃない!おまけ中央区。帝都のど真ん中ときた。そんなもん使って、民間のエリアに墜落させたらそれこそ沙汰だ。」


確かにその通りである。


しかし、このままでは一方的に攻撃されるだけで手も足も出ない。


「先輩。あのガンシップ2世代ぐらい前の型だよな?」


俺は物陰に身を潜めながら空中のガンシップを睨みつけ、先輩に向かって問いかけた。


俺の問いかけに、先輩も俺の隣に並んで敵機の姿を目視するべく物陰から顔を覗かせる。


「そうね。…そう言えば、三ヶ月前の事件の時も、あれ位の中古のガンシップが現れたわね…。あの時は確か…−」


三ヶ月前、SHADEが凍結に至る原因となった、俺がSHADEに入隊してから初めて起きた事件。


先輩はその時の事を思い出し、その後すぐに首を横に振った。


「ダメダメ。あの時みたいな無茶は出来ないわ。」


すぐ背後で、掃射される弾丸がコンテナ内の物資を貫き、はじける音がする。


出て来たはいいが、これでは…。


どうするべきか画策していると、急にガンシップの掃射音が止まった。


俺と先輩はお互い目で合図を送ると、コンテナの脇からゆっくりと顔を覗かせた。


先ほどまでこちらに向け攻撃をしていたガンシップが、ホバリングをしたままの状態で高度を建物の外壁に沿って下げて行く。


「何だ?どうするつもりだ?」


完全にガンシップの高度が壁面より下になると、俺たちを含めた兵士、警備員は銃を構えながら屋上の縁までゆっくり移動した。


端に取り付けられた手すりに沿って顔を覗かせ、ヘリが降りて行った下方を確認する。


ヘリは一階分下がった場所でホバリングしたまま空中で静止していた。


「おい!先輩!あのガンシップが向いている場所って…!」


「モニターに映っていた取調室!?」


気付いた先輩は、直様無線の電源を入れ、ルノアと、取調室にいるであろうフリードリヒへ共通回線を開いた。


「こちら屋上!!ガンシップは、取調室の壁を空対地ミサイルでぶち破る気よ!」


先輩がそう捲し立てるのと同じタイミングで、建物の下方からもの凄い爆音と衝撃がやって来た。


俺は巻き上がる煙に顔を庇いながら、下を確認しようと覗き込むが、煙で全く見えない。


「まさか、あの銀髪を連れ去るつもりか?!」


いや、確かに、この刑務所の分厚い壁を破るには、これ位しないとダメかもしれない。


俺が叫ぶと同時に、ガンシップのローターに巻き上げられた煙が一気に上空へ飛び去る。


再び飛び上がったヘリの乗降ハッチには、壁面の手すりに捕まりながらこちらを見下ろすあの銀髪の男がいた。


直様その男を目掛けて俺は銃を構える。


ガンシップの中には、他にも数名乗っている様だった。


俺たちは、屋上と上空でそれぞれ睨みあう。


男はこちらに向かい嘲笑を浮かべながら、手すりを掴む手とは逆の手で、ガンシップに備え付けられたマイクで、こちらに話しかけて来た。


『やぁ。ロック君。エリーナさん。ご機嫌はいかがかな?』


スピーカーを通して、男のバカにした様な声が響く。


「てめぇ!全部最初から計画してやがったな?!」


俺の叫びに、彼は満面の笑みを浮かべた。


『…私の名前はフロレイシア。この壊れた世界を再建する『救済の神託オラクル・オブ・サルート』の一人。』


救済の神託オラクル・オブ・サルート


その名前には聞き覚えがあった。


三ヶ月前の帝国領海の廃海上浄化プラントでの事件で、初めて耳にした名だ。


このガンシップといい、全てが脳内で、カチャリ。と繋がる。


「お前等の目的は?一体何なんだ?!」


引き金に添えた指に力が入る。


俺のその様子をまるであざ笑うかの様な冷笑を浮かべると、男は俺に語りかける。


『無闇に銃を撃つのは良くないよ。ロック君。このガンシップは私の体内のナノマシンに連動している。私の生体反応が消えれば、このガンシップも同じく中央区の何処かに墜落する事になる。』


「くっ。」


彼を殺せば、ガンシップも落ちる。


清々しい程に用意周到である。


帝都に住む800万人の民間人を危険にさらす事になってしまう。という事か…。


『悲しむ事は無い。またすぐに会えるさ。目的地に着いたら、詳しく話してやる。私の目的をね。それには、君達にも協力してもらわなくてはいけない。』


「待て!」


フロレイシアと名乗った銀髪の男は俺たちを見下ろしながらそう言い残し、ガンシップの機体の中に消えた。


彼等を乗せたガンシップは南の方角へ旋回すると、もの凄い勢いで空の彼方へ飛び去って行く。


同時に巻き上がる烈風に俺たちは目を庇う。


「−空軍に連絡し、衛星から追跡させろ!」


「負傷者を医務室へ!」


「ガンシップの管理リストを探ってあの機体をあぶり出せ!」


様々な人間の怒号が飛び交う中、俺は、例の男を乗せたガンシップの飛び立った空の彼方を、ずっと睨みつけていた。



★3


−アルトリア南区帝国軍第三軍事基地 PM 13:29


相変わらず薄暗いブリーフィングルーム。


室内は緊張感に包まれ、そこにいたSHADEの隊員達は、隊長であるレオンの言葉を待っていた。


「…始めよう。」


腕時計の時刻を確認すると、レオンはそう言って立ち上がった。


彼はプロジェクターで映されるスクリーンの前に立つと、その場に集まった全員を一瞥してから話し始める。


「…今から約二時間前。クライムエイジ刑務所を襲撃し、尋問中のフロレイシアと名乗る男を連れ去った帝国籍のガンシップは、この基地と同じ、帝都南区にある、帝国国防委員会の庁舎屋上に着陸した。」


彼の説明と同時に、プロジェクターで映し出される画像が切り替わる。


帝国国防委員会は、軍務総省の下部組織だった。


主に、軍基地や兵器、それに伴う設備の管理運営を行っている事務的な部署である。


レオンは続けた。


「ガンシップには、操縦士を含む計六名が既に乗っていた事が、庁舎の監視カメラ等により確認されている。彼等は完全武装の上、庁舎の一般職員を放送と威嚇射撃により全員外に追い出した後、国防委員会委員長であるアルタイル・マクファレス氏一人だけを人質に取り、庁舎内に篭城していると見られる。」


俺は、レオンの説明に、正確には敵の取った行動に少し違和感を感じた。


俺が訝しげな表情を浮かべていると、隣の席の先輩が俺の顔を覗き込んでくる。


「どうしたの?ロック。」


「いや、何か変じゃないか?職員を全員人質にも取れたのに。只でさえ、全部で七人という少数なのに、アルタイルの爺さん一人じゃいくら国防委員会の委員長と言えど、自分達の身の安全を保障する人質としては力が弱くないか?」


俺の疑問に、先輩は、確かにね。と何かを思案する様に呟いた。


そんな俺たちの小声の会話を横目に、レオンは続ける。


「…彼等はアルタイル委員長の専用回線で、軍務総省にとある要求を突きつけて来た。」


(目的地に着いたら詳しく話してやる。)


フロレイシアの言葉が脳裏によぎる。


「…要求ねぇ。そりゃ一体?どーせろくなもんじゃないんだろ?」


副隊長のラクアがタバコを片手に然程興味も無さそうに零す。


篭城となると、スナイパーの出番は確かに少ない。


その問いに、ふとレオンが先輩に一瞬視線を向けすぐに前に向き直った。


少々間を空けてから口を開く。


「…死刑囚アドルフ・ドルメニクの釈放。及び彼を含めた、実行犯全員の西側諸国亡命を見逃せと。この要求が5時間以内に受け入れられない場合、アルタイル委員長を射殺する。と。」


—アドルフ・ドルメニク。


その名を知らない者はこの室内には居なかった。


しかし、その名前に一番過敏に反応を示したのは先輩だった。


「ダメよ。」


彼女は立ち上がると共に、静かだがはっきりと意思の籠った言葉でそう言う。


「エリーナ。座れ。」


レオンに制され、エリーナは不快そうな表情を崩さないまま渋々と言った様子で再び席に着いた。


俺はその二人のやり取りに釈然としない物を感じ、少し戸惑う。


レオンは一度小さく咳払いをすると、居住まいを直し、再び話し始めた。


「…無論、上層部もテロリストの交換条件など呑むつもりは無い。それ故の、我々だ。」


レオンは何処か先輩を諭す様にそう言うと、プロジェクターの画像を再び切り替えた。


「…我々SHADEは、帝国国防委員会庁舎に潜入し、テロリストに気取られる事無く現場を制圧する。アドルフを引き渡しはしないし、アルタイル委員長も奪還する。だがその為にアドルフを一時的に釈放する。」


「まさか、死刑囚本人を囮に?そんなこと、簡単に出来るのか?」


俺の問いに、レオンは少しだけ口角を上げた。


得意げな表情。と言う奴だろうか?


「七貴人議長、ハザウェイ・ラングフォード氏が直々に法務省に掛け合ったらしい。アドルフは既に一時的に釈放され、護送車でこの基地に向っている。」


レオンの言葉に室内が一瞬静まる。


俺たちのオーナーであるルカ・ブランク少佐。


そして更にその裏に潜んでいるのが、ハザウェイ・ラングフォード議長である。


この帝国における政府最高機関七貴人の長。


つまりは、帝国皇家を除くと、この国の実質トップであり、俺たちSHADEが所属する帝国軍務総省の長官も兼任している。


ルカ少佐は、一介の役人ではあるものの、そんな軍務総省長官『補佐』の肩書きまで持っている。


権力とは、恐ろしい物だ。


俺は今日の取り調べで、あのフロレイシアとか言う男が言っていた言葉を思い出した。


ふと隣の先輩を見ると、明らかに不愉快そうな顔をしている。


先輩と死刑囚アドルフに何か因縁が有るのだろうか?


「…彼を連れ、堂々と正面から委員会庁舎に入る。そちらにテロリスト達の気がそれている間に、別働隊が庁舎地下より内部に潜入。コントロールルームで庁舎のセキュリティシステムを掌握する。アドルフと、アルタイル委員長の身柄を交換した時点で、対侵入者用の隔壁防御システムを作動させ、彼等をその区画にに閉じ込めてしまえばいい。その後は、『数の暴力』さ。」


レオンはスライドに映された作戦概要の説明を一通り行うと、一旦息をついて部屋全体を見渡した。


「アドルフの護送。引き渡し、はあくまで仮だが、そちらは、ロックとエリーナに任せる。あのフロレイシアという男は君達二人を知っている様なのでな。」


レオンの采配に、先ほどまで興味無さそうに聞いていたラクアが少し眉を吊り上げたのが俺の視界の隅で分かる。


「…おい、レオンー」


「わかったわ。」


ラクアが何かを言いかけたのに対し、先輩がそれを遮るかの様にハッキリ頷いた。


レオンは一瞬ラクアの方に目をやると、すぐに先輩の方に視線を戻した。


「そうか…。コントロールルームの掌握は私とバロンで行う。ラクア、アリスは、上空から狙撃体勢を取れ。カリン、アイヴィーはベース内に残り、サポートに当たる様に。」


それぞれ、レオンに名前を呼ばれた順に返事をする。


「現在、庁舎はzodiacが包囲している。作戦はアドルフがこの基地に到着次第開始する。それまでに各自準備を整えておけ。ブリーフィングは以上だ。」


レオンは皆にそう告げると、彼と共にシステムの掌握班に選ばれたバロンの元に歩み寄り、何か作戦についての打ち合わせを始めた様だった。


そんな彼等と、隣で険しい表情を浮かべている先輩から離れると、同じスナイパーであるアリス・ルクミンと共にブリーフィング

ルームを離れようとしていたラクアの背中を俺は追いかけた。


「なぁラクア。」


「あ?なに?」


相変わらずやる気の無さそうに、ラクアが俺を振り向いた。


「…今のアレ、何だよ。先輩の様子もおかしいし…。」


ラクアにしか聞こえない様、小声で俺は問いかけた。


彼はわざとらしく、何かを思案する様に数秒間虚空を見上げると、思い立った様に戯けた表情を作って俺を見た。


「…お前も準備があるんならとっとと来い。死刑囚が到着する前に準備を整えとかねぇと、またレオンにどやされんぞ。」


彼は周りに聞こえる様にわざと大げさにそう言うと、俺の腕を引っ張ってブリーフィングルームをでた。


後ろからひょこひょこアリスもついて来る。


「お、おい!」


喚く俺を無視し、ブリーフィングルームの扉を少し離れた廊下の隅で、急に立ち止まると、ラクアは俺を振り返った。


皆の居ない所で話したかった。という事か。


「…いいか、ロック。こいつはかなりデリケートな問題だが、お前はエリーナのバディだからな。話しておいた方がいいだろう。」


珍しくラクアに真面目なトーンでそう言われたので、俺は少し緊張した。


「…レン・マッケンジー。名前だけは知ってんだろ?」


レン・マッケンジー。


彼の言う様に名前だけは知っていた。


「…俺がSHADEに来る前、先輩とバディを組んでいた男か?」


「そう。SHADE創設時の初期メンバーであり、この部隊設立以来、初の殉職者でもある。」


殉職。


全ては俺が此処に来る前の話では有ったが、四年前のシスタニア殲滅作戦後、SHADEメンバー2名が死亡していた事はレオンから


事前に聞かされていた。


その代わりに配属されたのが俺とスナイパーのアリスだったのだ。


殉職したのは、初代SHADE隊長のイルーザ・ロドリゲスと、そのレン・マッケンジーという人物。


確か、現在zodiacの隊長である、ルノアもその頃はまだSHADEのメンバーであり、しかもイルーザ隊長に次ぐ副隊長であったという話には驚いた物だ。


「…そのレンが死んだのは、あのシルヴァー・サンライズ・ブリッジなんだよ。」


ラクアのその一言で、俺の中の全てが繋がった。


…そう言う事か…。


シルヴァー・サンライズ・ブリッジ。


帝国とシスタニアは巨大な大河で隔てられており、その間を結んでいた連絡橋がシルヴァー・サンライズ・ブリッジだった。


四年前、帝国が全世界に宣戦布告し、一番最初に併合されたのが南に隣接していたシスタニア共和国。


橋は、制圧作戦が終わった直後に建設された。


そして2年前、殲滅作戦が終わった丁度二年後、シルヴァー・サンライズ・ブリッジは大規模な爆破テロによって落橋したのだ。


死傷者約1800名。


その中には、民間人、軍人、大人、子供も大勢いた。


その爆破テロを一人で実行したとされるのが、例の死刑囚アドルフ・ドルメニクだ。


つまり、先輩のかつてのバディの命を奪ったのが、アドルフ。という事になるのだろう。


「じゃあ、あのテロに巻き込まれて…ー」


俺がそう言いかけると、ラクアは、少し違う。と制した。


「あいつが死んだ直接の原因は、爆破による物ではない。その後の崩落に巻き込まれたんだ。自らそこに飛び込んでいったんだよ。あの馬鹿は。」


「なに?一体何故?」


俺の問いに、ラクアは、ふぅ。と重々しく息をついた。


「簡単さ。そこにいた民間人を救う為だ。あいつは、イルーザ隊長の静止を振り切って崩落しかけていた橋に単身で突っ走って行きやがった。全員を一人で助けられる訳がねぇのにな。そういう、見ているこっちが恥ずかしくなる様な真っ直ぐすぎる男だったんだよ。あいつは。」


「−…男が揃ってコソコソ話なんて、趣味が悪いわね。」


その声に、側にいたアリス同様、俺の心臓は縮み上がった。


「せ、先輩…。」


しかしラクアは、その状況に、いつもの能天気で気の抜けた様な表情で答える。


「…コソコソ話?違うなぁ。…俺は副隊長として、期待のルーキー君に先輩との上手な付き合い方を教えてやってたんだよ。なぁロック?」


ラクアが、不必要に強い力で俺の背中を叩く。


そんなわざとらしいやり取りが癇に障ったのか、先輩は冷たい口調で言い放った。


「ロックには関係のない事よ。」


彼女のその言葉に、ラクアの瞳が一瞬にしてつり上がった。


「…おい。」


彼は鋭い口調で言うと、先輩の方へ歩み寄り、彼女を廊下の壁に追いつめた。


それを見ていたアリスが、まるで自分が怒られているかの様な動作で、俺の後ろに隠れる。


「な、何よ。」


ラクアは動揺する先輩に顔を寄せ、真っ直ぐ見つめている。


止めた方がいいのか?


しかし、俺の心配は次のラクアの言葉に杞憂に終わる。


「…お前はロックのバディで、上官だ。そんなお前が冷静さを欠いていたら、次に死ぬのはロックや、もしかしたらアリスかも知れねぇんだぜ?それ、わかってんの?」


「別に冷静さを欠いてなんか…!」


狼狽する先輩の様子に、ラクアは深く溜め息をついた。


「…あのな。この際だから一つ言わせてもらう。確かに、そもそもあのテロをアドルフが起こさなければレンは死ななかったのかも知れねぇ。だが、あいつが死んだのはあいつ自身が馬鹿だったから。そして…」

ラクアはそこまで言うと、一瞬、ほんの一瞬だけ今まで見た事の無い様な寂しそうな表情を浮かべた。


「…あいつを止めてやれなかった俺たちが大馬鹿だったからに他ならねぇ。」


その言葉と表情に、先輩は驚いたような、衝撃を受けたとも取れる表情をし、力なく壁にもたれ掛かった。


「…お前以外の隊員はそれを認めてるよ。皆わかってるんだ。レオンが、お前をアドルフの護衛、受け渡しに選んだのは、まぁ、つまり、そう言う事かもな…。」


ラクアはそう言うと、俺の後ろでびくびくしているアリスを促して、その場から立ち去って行った。


ま、精々気張れや。そう言い残して。


「…先輩。」


彼女になんと言葉を掛けていいかもわからずに、俺はそれだけを絞り出す様に言った。


壁にもたれ掛かる先輩にゆっくり歩み寄る。


「…ごめん。関係無くなんかなかった。ラクアの言う通りね。私、いつまで過去に捕われてるのかしら…。」

彼女は立ち上がると、力なく微笑みながら俺にそう呟いた。


「…ラクアも、後悔してるのかな?レンを止められなかった自分を…。」


「さぁ。わからない。」


先輩はそれだけを答えると、俺の顔を見上げて、真っ直ぐに俺の瞳を覗き込んだ。


力強い、先輩らしい眼差しだ。


「もし、また私が冷静さを失う様な事が有ったら、ロック。その時は私を止めてね。」


先輩の懇願する様な表情に、俺は微笑んだ。


「もちろんだ。もし、俺がバディとして先輩の足を引っ張る様なら、遠慮なく言ってくれよ。」


先輩を真似たかの様な俺のその言葉に、その時は殴るわ。と、言いながら先輩も微笑んだ。


俺たちは固く握手すると、二人肩を並べてその場を後にする。


俺たちは今回の任務に掛けられた個々の目的を再認識したのだ。


先輩は、ある意味で過去を清算する為。


俺は、そんな先輩と、仲間達とこれからも共に歩んで行く為に。



★4


−アルトリア南区帝国軍第三軍事基地軍務総省専用ロータリー PM 14:15


身支度を終え、俺と先輩は死刑囚アドルフ・ドルメニクを乗せた護送車を待っていた。


隣に並ぶ先輩を見ると、いつものポニーテール姿になっている。


スリットから除く足が眩しい。


隊長であるレオンは、隊で唯一のハッカーであるバロン・サイレスと共に一足先に国防委員会庁舎へ向ったとの連絡が、SHADEの総合サポートであるアイヴィー・アレクサンドラより入っている。


スナイパーである、ラクアとアリスも、基地のヘリポートから飛び立っていた。


−うまくやれよ。


その一言を俺たち二人に残して。


「…来たわ。」


先輩が、遠くを睨みつけながら静かにそう言った。


彼女が見つめる先に、俺も視線を送る。


ゴツい装甲の護送車が、丁度基地のゲートを通過する所を俺たちは目撃する。


あの車の中に、2年前の悲惨なテロ事件の犯人が乗っている。


そう思うだけで、俺の気は引き締まった。


「先輩。」


俺がふと声を掛けると、彼女は、わかってる。大丈夫。とだけ返事をし、深く息を吸い込んだ。


護送車が徐々に近づいて来る。


操縦しているのはクライムエイジの刑務官だろうか?


車両は近づくにつれ緩やかに減速していき、軍務総省庁舎前のロータリーへ進入すると、俺たちの目の前で停車した。


エンジンは付けたまま、操縦席と助手席から、まるでこの護送車の様にゴツい刑務官二人が物々しい空気を漂わせながら降りて来る。


二人とも目つきが悪い。


「ご苦労様です。」


しかし、見た目によらず礼儀は正しいようであった。


SHADEはいくら軍務総省所属とはいえ、俺や先輩の様に20歳そこそこの隊員で組織された部隊だ。


嫌な顔をする者はそう少なくはない。


「護送はこちらが用意した車両で行う。彼を降ろして。」


先輩の命令に、戸惑う様子も見せず、刑務官二人は揃った動作で敬礼をすると、その一人が護送車の後部の扉を解錠するべく車両に歩み寄った。


「…その…。奴の調子はどんな感じなんだ?」


俺が問いかけると、残ったもう一人の刑務官は少々怪訝な表情を浮かべた。


「それが…。随分と余裕なもんで、鼻歌なんか鳴らしている始末でして。」


その答えに、先輩はいつもの上品とは言えない舌打ちをかました。


「随分暢気だな。と言うと、言うんです。今日はいい天気ですね。と。」


俺はその言葉に薄ら寒い物を感じた。


暢気?否、これはあの男の狂気なのかもしれない。


そんな事を考えていると、両腕を拘束されたスーツ姿の男が、刑務官に連れられてこちらにやって来る。


「お前が…アドルフ・ドルメニクか。」


俺の問いかけに、連れてこられた男はニヤリと微笑みかけると、空を見上げながら深呼吸をした。


「両腕を。」


刑務官に促され、彼は手錠で拘束された両腕を前に差し出した。


手錠の鍵穴に鍵が差し込まれ、外される。


手錠が外れた瞬間、アドルフはにこやかに微笑んだまま、刑務官に小声で、ありがとうございます。と一言。


彼は刑務官に背中を押され、俺と先輩の元にゆっくりと歩み寄って来た。


「こんにちわ。私がアドルフ。アドルフ・ドルメニクです。以後、お見知り置きを…。」


優雅。とも言えるその立ち振る舞いに、先輩は明らかに不快そうな表情を浮かべていた。


「俺たちがお前を現場まで運ぶ。お前には、俺たちの作戦に協力してもらう。概要は聞いているな?」


俺が確認すると、概ねは。とアドルフが答える。


彼は吹き抜けた風に耳を傾けるかの様に、再びゆっくりと青い空を見上げた。


「いい…天気ですね。」


「そうね。まるで『あの日』の様な。」


突然投げかけられた先輩の言葉に、俺は戸惑う。


しかし、アドルフはうろたえる様子も無く、真っ直ぐに先輩を見据えた。


「『あの日』…ですか?」


「忘れたとは言わせない。2年前。シルヴァー・サンライズ・ブリッジでの出来事をね。」


「おい、先輩…。」


突然の修羅場的展開に、慌てる俺に対し、先輩に明確な敵意を向けられているアドルフはそのにやけたままの表情を崩さなかった。


「あぁ。『あの日』ですか。覚えていますよ。ちゃんと。確かに今日の様な快晴でしたね。」


「…あなたの復讐は成功したのかしら?」


その問いには、さすがに意表をつかれたのか、アドルフは俯いて寂しそうに微笑むだけだった。


「おい。先輩。もういいだろ。」


俺はそう言うと、先輩を先に促した。


庁舎の脇に、護送の為の車両が用意されている。


「…そうね。」


彼女は冷たい視線をアドルフに向けてから踵を返すと、車両の方へそそくさと歩いて行く。


「…どうやら、凄く嫌われている様だ。」


自嘲気味な笑みを浮かべながら、アドルフが言ったのに対し、サッと、頭に血が昇り、今度は俺が彼の胸ぐらを掴んだ。


「おい。あんまり調子に乗った事抜かすなよ?自分の立場、わかってんだろうな?俺や、先輩に対して不愉快な発言をしたら、俺がその場で処刑してやる。」


まったく自分らしくない台詞であった。


言った後にそんな事を一瞬考えたが、後悔はしていなかった。


「わかっています。この二年間、塀の中で嫌という程考えた。」


そう言ったアドルフの顔からは微笑みが消えていた。


俺は彼の胸ぐらを掴んだ手を離すと、彼を真っ直ぐ見据えた。


銀髪の多いシスタニア人らしい出で立ち。


掛けた眼鏡が博識さと同時に、少々根の暗そうな人柄を物語っている。


「久しぶりに外の空気を吸えた事が嬉しくて、つい調子に乗ってしまいました。御許し下さい。」


彼は丁寧な動作で深く頭を下げると、同じく俺の瞳を真っ直ぐ覗き込んだ。


俺には、目の前の男の心情がわからなかった。


アドルフを連れ、護送車のセダンまで移動すると、先輩は後部座席に既に鎮座していた。


俺は、アドルフを先輩の隣に乗る様に促すと、自分は操縦席に乗り込む。


「よろしくお願い致します。」


丁寧な口調ではあったなどではなく、彼の人となりなのかも知れない。


その証拠に、彼の笑みには何か、嫌らしさの様なものを感じなかった。


そんな彼の一言を先輩は無表情のまま無視し、後ろから操縦席の椅子をつま先で軽く小突いた。


うわぁ。機嫌悪…。


そんな事を思いつつも、俺は車のエンジンを掛け、車両をゆっくり発進させた。


委員会庁舎までは、此処からだと恐らく30分位か。


長いな…。


この空気の中では特に。


「…ねぇ。あなた。何故あんなテロを?」


いきなりの先輩の問いに、俺は急ブレーキを掛けた。


基地を出た所にすぐある信号で勢いよく車が止まる。


「お、おい!先輩!」


俺は後部座席を振り返った。


しかし、先輩は真っ直ぐに隣のアドルフを見据えている。


その突然の問いかけに、アドルフ本人も面食らったかの様だった。


「何故…ですか…。」


彼は少し思案している様だった。


信号が代わり、俺は再び前を向くと車を発進させた。


心臓が高鳴っている。


先輩。頼む。到着するまで大人しくしていてくれ…。


「憎んでいるからでしょ?私たちを。」


先輩の追い打ちに、アドルフは唸る。


「…こんな事を言ってしまうと、怒られてしまうかも知れませんが…。正直、あの時の感情や気持ちを思い出す事が出来ないのです。」


アドルフの曖昧な返答に、先輩が顔を顰めたのをミラー越しに確認した。


「ふざけないで。悪魔にでも取り付かれていたとか言うつもり?」


その問いに、アドルフは俯いた。


「ある意味では…、そうだったのかも知れません。」


彼はそう言うと顔を上げた。


「…報復心という名のね。2年という時間を塀の中で過ごし、今になってあの時の事を思い出そうとしても、はっきりと思い出せない。きっと、激しい憎悪と報復心に支配されていたからでしょう。あの出来事が、自分自身の中でもある意味トラウマになっているのかも知れません。」


「…確かに、あなた達シスタニアの民間人からすれば、私たちも悪魔に見えたでしょうね。けれど、私たちは最初に警告した。でも、シスタニア軍がそれを無視して攻撃を仕掛けて来た。」


エリーナの言葉に、アドルフが彼女の顔を寂しそうな表情で見据えた。


「…祖国を奪われようとしている民衆が、抵抗しない方がおかしい。あなた方帝国軍のした事は最早オーバーキルだ。自分達の持つ軍事力を知りながら、見せしめの為に多くの人が殺された。」


アドルフは、物静かだが何処か腹の中に重たい鉛が詰まったかの様な様子で言葉を吐いた。


「私たちは民間人に手を掛けてはいない。戦場での殺人を正当化するつもりはないけど。」


「…そうでしたね。」


アドルフの返答には何処か皮肉の色が混じっていた。


「…なら、あなたは、『黒き死神』の異名を持ち、シスタニアの地で恐れられた一人の帝国兵を知っていますか?」


アドルフの問いかけに、先輩が目を見開いた。


まるで言葉を失ったかの様に先輩の動きが止まる。


その様子に、アドルフは気付いていない。


こまめに、運転しながら後部座席の様子をミラー越しに確認している俺のみがその様子に気付いていた。


「…黒い戦闘服に身を包み、戦場を駆け抜け、短期決戦の銃器ではなく、素手や刃物をあえて使用して、相手を苦しめながら数々の返り血に染まる。戦場で出会ったら最期。その卓越した戦闘能力を前にしては、一個師団ですら歯が立たない。」


「…そんなの、シスタニアの人間が作り出した妄想よ。いくら帝国の兵士でも、一人で一個師団を潰せる程の能力のある人間等存在しないわ。帝国の兵士は、戦う事に誇りを持っている。自分達が戦うその地で、二度と悲しい争いが産まれない様に、争いの因子を撃滅する。その為に戦っているのよ。だから、死神なんていない。」


アドルフは、エリーナ先輩の言葉を聞き、俯きながら眼鏡のズレを人差し指で直した。


「私は、『彼女』を実際に戦場で見ました。」


彼のその言葉に、先輩が何かを言いかけて止める。


「まだあどけなさの残る、少女でした。私は恐ろしくなった。死神とまで言われ、恐れられる伝説的な兵士が、まだ成人もしていないであろう幼き少女であるとは…。アレはもう兵士ではない。『兵器』だ。その目には、何も映っていなかった。」


俺と先輩が沈黙する中、アドルフは続けた。


「私の大切な人は、私の目の前で『彼女』に殺された。」


「バカなっ!?帝国兵が民間人を傷つけるなんて…!」


俺の声は悲痛な叫びに聞こえたかもしれない。


先輩は何も言わない。


「いえ、その人はシスタニア軍の軍医でしたので、民間人では有りませんでしたが、いくら軍属だからと言って軍医やカウンセラーにまで手をかけるなんて…。『彼女』は私の目の前で、その人を切り刻んだ。動かなくなるまで、何度も何度も…。私が『彼女』と対峙して何故生き残っていたか。それは、あなたが言う様に『民間人だった』からと言うだけです。」


アドルフの声は震えている。


「この国は、恐ろしい国です。自分達に歯向かう物は、誰だって容赦しない。その中で育ったあなたたちには、あなた達なりの誇りが有るのかも知れませんが、我々他国民から見れば、あなた方は突如祖国の平和を奪うテロリストと変わらないのですよ。」


彼の言葉に、先輩は何か言葉を選んでいる様だった。


「…そうね。でも、その目的が単なる『復讐』であるあなたと、大義がある私達とでは雲泥の差が有るわ。」


何処か力の抜けた様な口調ではあったものの、先輩がアドルフに言い放つ。


その言葉を受け、アドルフは自嘲気味に笑った。


「……そうですね。」


彼は、それだけ絞り出すかの様に言うと、目を閉じ、自らにまつわる呪われた話を、静かに語り始めるのだった。




− ep2  Leap -暗躍- 完

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