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草食女子が 悪の華  作者: S.U.Y
9/10

勇者との邂逅、そして覚醒

今回は少し長く、そしてややグロ注意です。

 魔王城の広間、玉座の間に魔将たちの椅子と大きなホワイトボードが用意された。手配をしたのはカリスティレスで、ぱちりと指を鳴らすとどこからともなく品物が現れた。ペンを手に、ホワイトボードへ文字を書き込むのは土魔将アーシスである。


「まず、勇者の侵攻には二パターンある。少数のパーティで魔境を渡り、魔王城までたどり着くもの。そして、王国などの軍と共に攻め寄せてくるもの。私はこれらを、単独型と従軍型、と名付けているのだけれど」


 きゅっきゅと音立てて、アーシスのペンが滑らかに動く。細い指先と、眼鏡をかけた真面目な瞳に珠代は視線を奪われそうになり、慌てて首を振り文字に集中する。


「今回の勇者は、どうやら従軍型のように思えるね。一万ほどの人間の軍勢が、魔境に展開しつつある。魔界の内部にこれが侵攻を始めれば、魔界羊の牧場に手痛い打撃を受けることになってしまう。早急に、対策を立てる必要があるね」


 カリスティレスからの勇者出現の報せに、アーシスを始めとして他の魔将たちも皆、落ち着いた様子を見せていた。


「こちらから、打って出る必要がある、ということですか?」


 珠代の質問に、アーシスが真面目な顔でうなずく。


「そうだね。もちろん、魔王様が望むのであれば、牧場を焼き払い城に篭る、といった戦法も取ることは出来るけれど……焦土作戦はあまりお勧めはしないね。この程度の規模の軍勢なら、勇者を除けば対処は難しくない。そうだね、キュイス?」


 言ってアーシスが、キュイスを見やる。椅子から立ち上がったキュイスが、胸に手を当てて敬礼を見せる。


「自分と、鍛え抜いた兵たち五百名であれば、軍勢を追い散らすことは可能です」


 ぴん、と立った狼耳が、頼もしげに揺れる。


「勇者っつっても、従軍型だろ? 下手すりゃ、そこいらの冒険者よりも弱っちいかもだし、おれが狩ってやってもいいぜ」


 自信満面に、椅子の上に立って言うのはハリィである。


「……従軍型の勇者って、弱いんですか?」


 ハリィにほっこりとした笑顔を向けてから、珠代はアーシスに訊いた。


「確かに、その傾向も無くはないね。ただ、勇者には女神からの祝福、もしくは強力な装備が与えられていることもある。油断は出来ないよ。人間は、神に愛されることにかけては、一番だからね。キュイスは、どう見るかな?」


「対勇者には、ブレイグとハリィの二人であれば、不測の事態にも対処できます。万全を期すならば、軍勢と勇者を分断し、魔王城の奥深くまで誘い込み倒す。それが、最も堅実な策であるかと思います」


「おれは一人でも、やれるぜ?」


 椅子の上で腕組みをしたハリィが、唇を尖らせる。その横から、ぬっと大きな手が伸びた。


「不測の事態に備えてっつってんだろ、馬ぁ鹿。安全策取んのは、タマヨサマの意志だしな。勇者の馬鹿が予想以上に強力ならって思や、お前さん一人にしておくわけにゃ、いかねえぜ」


 座ったままのブレイグが、くしゃくしゃとハリィの頭を撫でて言う。


「気安く頭撫でんな、バカ! わかったから、やめろー!」


 悲鳴を上げて狭い椅子の上で身体を捩らせるハリィと、面白がってからかうブレイグ。仲の良い兄弟じみたやり取りを、珠代は微笑みでもって見守る。


「勇者の分断は、彼らに任せて良さそうだね。それで、あとはどうやって魔王城まで勇者を誘い込む心算かな、キュイス?」


 問いかけるアーシスに、キュイスがうなずきを返してから珠代に目を向ける。


「それにつきましては、魔王様にご協力を仰ぎたく」


「私、ですか?」


 唐突な指名に、珠代は自分の顔に指を向けて問う。


「はい。魔王様は……珠代様は人間であらせられます。そこを、利用させていただきたいのです」


「珠代様に、危険が及ぶ可能性は?」


 問うのは、立ったままのカリスティレスである。


「自分が、全力を尽くして守ります。カリス殿にも、ご協力いただきますが」


「……どのように、でございましょう、キュイス様」


「魔王様の幻影を、勇者に見せてやるのです」


 キュイスの答えに、カリスティレスが顎に指を当てて少し考えるそぶりを見せる。


「……珠代様が、よろしければ」


 顔を上げたカリスティレスが、伺う視線を珠代へ向けた。


「もちろん、私に出来ることなら、何でもします」


 決然と、珠代はうなずいた。


「では、早速行動に移りましょう。自分は、人間の軍勢を蹂躙した後にこちらへ戻ります。ブレイグとハリィは、分断した勇者の退路をうまく断ってこちらへ追い込む。その際に、余裕があれば勇者の情報をアーシス殿に送る。アーシス殿は勇者を分析しつつ、カリス殿と共に全体を俯瞰して、過不足があれば戦力を転移にて送っていただく。それで、構いませんか、魔王様?」


 キュイスの問いは、最後の確認である。魔王として、多くの人間の命を、奪う覚悟はあるか。珠代の中で、自問が湧き上がる。答えはもう、珠代自身で出せるように、なっていた。


「はい。大丈夫です」


 珠代が承諾すれば、作戦は始まる。キュイス、ハリィ、ブレイグの三人が転移で消える。胸の前で手を組み合わせ、祈りの姿勢で珠代はそれを見送った。


 どれほどの時が過ぎたのか、珠代には判らなかった。カリスティレスに茶と食事を一度勧められたが、良い匂いのする羊肉の食事は咽喉をなかなか通らなかった。それでも、任された役目がある。その一念で時間をかけても食べ終えられたのは、日本で会社勤めをしていた頃に培われた責任感の為かも知れない。夜中に起こされてそれきりだったので、眠気もあった。だが、カリスティレスの淹れた茶の効能か、それも今は頭の片隅へと追いやられていた。


 最初の報告は、キュイスからのものだった。人間の軍勢の、将官を仕留めた。残敵が勇者との合流を果たさぬよう追い散らしてのちに、こちらへ転移するとのことだった。通信魔法で受けた報告を告げるカリスティレスに、珠代は兵士らの無事を確認する。


「深手を負った者は、いないそうです。珠代様の閲兵によるところが大きい、とキュイス様が言っておられました」


「キュイスが、優秀なだけです。けれど……皆無事で、本当に良かった」


 ほう、と珠代は安堵の息を吐く。


「対する人間の軍勢は、半数が奇襲により壊滅。士気を喪失して逃げる敵兵は、二千足らずにまで減ったそうです」


 カリスティレスによる続報は、つまり約八千人の人間が死んだ、ということだった。そのことについて、珠代の心には一切の感傷は生じない。


「大活躍だったのですね、キュイスは」


「帰還してから、お褒めの言葉をかけて差し上げれば、よろしいかと」


 にこりと笑うカリスティレスに、珠代も笑みでうなずきを返す。


「私の言葉で良ければ、いくらでも。それで、勇者についてはどうですか、アーシス?」


「こちらの進捗は……ああ、今しがた、ブレイグから報告があったよ。勇者の身体能力は、並の冒険者よりも下らしいね。黒髪に、黄色い肌をした若い男が、今回の勇者らしい」


「黒髪に、黄色い、肌……?」


 アーシスからもたらされた報告に、珠代は頭の中に引っかかるものを感じた。


「こちらへ誘導をするために、ほんの少しだけ対峙した時に兜の隙間から髪と顔が見えたみたいだ。武装は黄金の鎧と兜、それに光り輝く大剣だそうだよ」


「ブレイグは、無事なんでしょうか」


「従軍型の、それも素人に毛の生えたような勇者が相手だ。万が一にも、後れを取ることは無いだろうね。ハリィと交代で、追い込むつもりみたいだね」


 自信たっぷりに言い切るアーシスに、珠代も安心して玉座へ深く腰を掛けなおす。珠代の腕の中で、紅仔羊のメーが励ますように小さく鳴いた。


「今度は、ハリィからだね」


 ぽつりと、しばらくしてからアーシスが言った。


「ハリィは、大丈夫ですか? 失敗とか、していないでしょうか」


「心配しなくていいそうだよ。とくに、魔王様が心配しているようなら、怒るとも言っているね。ああ見えて、荒事ならブレイグと同じくらいには活躍できるから、私も心配無用だと思うよ」


「……それで、ハリィは何と?」


 ハリィの実力を疑っていたわけではないが、それでも珠代は胸のつぶれるような不安をぬぐい切れずにいた。的確にそのことを指摘されて、気恥ずかしさと申し訳なさを誤魔化すように問う。


「勇者の顔の造りは平坦で、このあたりの国では見ないようなものらしいね。男のくせに妙に小奇麗で、まるでどこかの世界から転移でもしてきたようだ、と」


「黒髪で、肌が黄色くて、顔の造りが平坦……」


 ぞくり、と珠代の胸の奥で、悪寒のようなものがざわめいた。もしかすると、それは。考えを巡らせようとする珠代の前で、冷たい空気が巻き起こる。キュイスの、転移による現象だった。


「ただいま帰還いたしました、魔王様」


「お帰りなさい、キュイス。首尾は、どうでしたか?」


 瞬く間に姿を現したキュイスに、珠代は暖かな笑顔を向ける。


「人間の軍勢、おおよそ一万。わずかなものを除いて、殲滅して参りました」


 ぴん、と耳を立てて敬礼するキュイスからは、つん、と血の臭いが漂ってくる。思わずキュイスの全身を見やる珠代であったが、どこにも傷は無く返り血が付いているのみである。


「ご苦労様でした、キュイス。貴方が無事で、本当に良かった……」


 下げられた頭に手を伸ばし、さらさらとした髪を撫でる。ぴくぴくと、珠代の指に弾力を返してくる狼耳が、愛おしかった。


「身に余る、光栄です……珠代様」


 熱に潤んだ眼を細め、キュイスが珠代を見上げて言う。いつまでも、撫でていたい。微笑を浮かべる珠代であったが、その望みは叶わない。


「邪魔をするようで申し訳ないが、ブレイグからの報告が上がったよ」


「キュイス様、ひとまずこちらで、血の臭いを落としていただきましょうか」


 アーシスの声と、カリスティレスの言葉にキュイスが珠代の側を離れてゆく。


「……どんな報告ですか?」


「勇者が、一緒にいた冒険者の女二人を囮にして、こちらへ向かっているそうだよ。ハリィに追い込まれてもう少しで門前にたどり着くから、そろそろ準備を、とのことだね」


「仲間の人を、囮に……?」


 それも、女性を二人。珠代は、顔も知らない勇者に嫌悪感を覚えた。


「囮にされた女たちも、泡を食ったのだろうね。『ユウキ様!?』と、しきりに何度も呼びかけていたそうだよ」


 アーシスの口にした名前には、聞き覚えがあった。どくん、と珠代の心臓が、嫌な鼓動を上げる。


「ユウ、キ……?」


 その名を口にするだけで、珠代の胸の中には言い知れぬ悪意のような、怒りと苛立ちが湧き上がってくる。それは、治り切った傷跡が疼くような、不快感にも似た感情であった。


「……珠代様?」


 心配そうなカリスティレスの声に、珠代は我に返って首を振る。まさか。そんな偶然が、ある訳がない。それに、あの格好つけたがりの男ならば、たとえ不本意なことがあっても女性を囮になどする筈がない。

 息を深く吸って、吐く。ぎゅっとメーを抱き締めて、珠代は心を落ち着ける。


「メー」


「……大丈夫よ、メー、カリス。何てこと、ないわ」


 自分に言い聞かせるように、珠代は宙を見つめて言う。けれども、もし、勇者があの男だったならば。


「私が、立ち向かわなければならない問題だから」


 立ち上がり、珠代はカリスティレスへ顔を向ける。


「珠代様、準備は、よろしいでしょうか。勇者を倒すため、この場へ誘い込むために、珠代様の幻影を、勇者へ飛ばします。その後のことは、私どもへお任せいただければ……」


「いいえ、カリス」


 カリスティレスの言葉を遮り、珠代は言う。


「勇者には、私が対応します。そうでなければ……ディアブロの前に、胸を張って立つことが出来なくなるから」


「珠代様? しかし、勇者は……いえ、わかりました。ならば、最上の場を整えて、ご覧に入れましょう」


 否定をしようとするカリスティレスを留めたのは、珠代がディアブロの名を出したからというだけではない。カリスティレスを見つめる珠代の視線に、気圧されたのだ。長きにわたり魔王に仕えてきた、悪魔の執事が、人間の女に、である。ただならぬ気迫を珠代が漲らせていたからこそ、カリスティレスは留まったのだ。


「そろそろ、門前に勇者が到着するよ」


 アーシスからの報告に、珠代はうなずく。


「ではカリス、幻影を。それと、勇者の姿を、こちらからも見ることは出来ますか?」


「容易いことにございます、魔王様」


 カリスティレスが言った直後、珠代の目の前の空間が、ぶん、と虫の羽音のような音を立てて揺らめいた。丸い、楕円形の窓のようなものが眼前に現れる。そこから見えるのは広間ではなく、魔王城の門前だった。

 暗い空の下、光り輝く鎧兜を身に着けた一人の男が走って来る。その姿勢を見るだけで、珠代にはもう勇者が誰であるのか、理解出来てしまう。


「声も、飛ばせます」


 カリスティレスに再度うなずき、珠代は勇者へと呼びかける。


「黒川勇樹、さん……あなたが、勇者だなんて」


 魔法は、しっかりと発動しているのだろう。珠代の声に、勇者がぴたりと足を止める。


「も、もしかして……たまちゃん?」


 驚いて見上げてくるその顔は、やはり黒川のものだった。酷い振り方をした女を、未だに愛称で呼ぶ男。かつて恋人だったという事実さえ、おぞましく感じられた。


「そうですけど……もう、その呼び方は、止めてください。あなたとは、もう何の関係も……」


「たまちゃん! たまちゃんも、この世界に召喚されていたんだね! こんな、不気味な城に……閉じ込められて、いるのかい? でも、大丈夫だよ! 僕が、勇者が魔王を倒せば、元の世界に戻してくれるって、女神様が約束してくれたんだ! だから、帰ろう! こんな危険な世界に、僕らはいちゃいけない!」


 人の話を聞かない汚点は、相変わらずだった。関係のあった当時は、それを頼もしい、と感じてしまっていたこともあった。自意識の薄い珠代を、引っ張ってくれる力強さだと、錯覚してしまっていたのだ。過去を振り返り、恥はするが悔いはしない。喚く黒川を見下ろしつつ、珠代の心は冷たく、静かに凪いでゆく。


「元の世界へ、帰るために……魔王を、殺すんですか」


「そうだよ! 僕には、会わなくちゃいけない人がいるんだ! きっと、彼女も僕を心配してる! たまちゃんにだって、そういう人はいるんだろ? たまちゃんのバイト先のコンビニでも、ちょっとした騒ぎになってたし!」


「……なぜ、あなたがそれを? あと、そんなに大声出さなくても、聞こえています」


 まゆをひそめて、珠代は問う。どうしようもない、黒川への嫌悪感が珠代の表情から漏れだしている。けれど、黒川がそれに気づく様子は無い。他人の心を、斟酌できない男。珠代の中で、黒いものがじわりと動いた。


「それは……心配、だったから。一応、僕たちは付き合ってた訳だし……あんな別れ方になったけど、僕は、たまちゃんとは友人として、新しい関係を築いていこうって、思ってたから」


 心底理解していない表情で、黒川が言う。珠代は、俯いて深く息を吐いた。


「……カリス。勇者を、ここへ連れて来て下さい。手出しは、必要ありません」


「畏まりました」


 短く、カリスティレスが応じる。


「たまちゃん、誰と、話してるの? 君は、閉じ込められているんじゃ……」


「今、そちらへ案内の者を出しました。下手な抵抗をしなければ、ここまで来れます。大人しく、彼に従ってください」


 一方的に告げて、珠代はカリスティレスへ手を振る。魔法が解かれ、空間の歪みが消えて広間の景色が戻る。どさりと、珠代は玉座へ腰を下ろした。傍らで、カリスティレスの姿が闇に溶ける。


「大丈夫かい、魔王様? なんというか、個性的な人間だね、勇者は」


「ブレイグの言葉を借りるなら、どうしようもない馬鹿、でしょうね。ところで、アーシス。貴方に、用意して欲しいものが、あるのですけど」


「ふむ。魔王様の、ご希望に叶うものが、あれば良いけれど。何だい?」


 珠代がイメージするものを告げると、アーシスは快くうなずいた。


「それなら、丁度良い品があるね。彼に、ぴったりのものが」


 言って、アーシスが転移する。そうしていると、広間の外から二つの靴音が聞こえてきた。ぎゅっと、珠代はメーを抱き締める。その瞳には、弱気な色は見られない。


「何かあれば、自分が守ります、魔王様」


「ええ、ありがとう、キュイス」


 キュイスと視線を交わし合い、珠代は入口の大扉へと目を向ける。


「魔王様、お待たせいたしました」


 ノックに続き、涼やかなカリスティレスの声が聞こえてくる。


「入ってください」


 珠代の返事と同時に、扉がゆっくりと開いてゆく。


「魔王、覚悟っ……え!?」


 広間の扉が開き切る前に、黒川が抜剣し刺突の姿勢で飛び込んできて、足を止めた。


「ようこそ、黒川さん。私は魔王、朝倉珠代です」


 目を見開き硬直する黒川の前で、珠代は優雅な所作で一礼を見せた。魔王の居室まで、乗り込んできた勇者には相応の礼儀を見せるべき。そう、思ったから。


「たま、ちゃん……ま、魔王……?」


「気安く呼ばないでくれませんか、黒川さん。あなたは勇者で、その大きな剣で私を殺しに来たのでしょう? なれ合いは、するべきじゃありません」


「う、嘘だ! たまちゃんが、魔王だなんて……!」


「都合の悪い現実から、目を逸らさないでください。私を殺して、元の世界、日本へ帰りたいのでしょう?」


「そ、そうだよ……僕は、日本へ、帰るんだ……でも、そのために、たまちゃん、を……?」


 醜く狼狽する黒川に、珠代は首肯を見せた。


「それが、あなたの望みなのでしょう? 私は、魔力も無いひ弱な魔王。その剣で刺すなり潰すなりすれば、即死するでしょうね。そうすれば、あなたは帰れる。若くて可愛い恋人の待つ、日本へと」


 珠代は言葉を切り、黒川の反応を待った。ぶるぶると、重たげに黒川の持つ剣の切っ先が揺れる。胸元で、毛皮を逆立てるメーの腹をそっと撫でた。


「……ごめんね、たまちゃん」


 しばらくの後、切っ先の震えが止まった。珠代の心臓へ向けられたそれは、鈍い照り返しを放っている。


「それが、黒川さんの結論なんですね」


 じっと、珠代は黒川の目を見つめて言う。


「……あの子は、僕無しじゃ、生きていけないから……だから、僕は、僕はっ!」


 黒川が、右足を沈ませて踏み込む。近づいてくる切っ先を、珠代は無表情で見ていた。


「ひとごろし」


「っく!?」


 短く、無感動に放たれた珠代の一言に、黒川の動きが止まる。珠代の胸の遥か前方で、急停止した剣の切っ先が揺れた。


「どうしたの、黒川さん。あなたの、しようとしていたことですよ? あなたは、自分の願望の為に、私に剣を向けて、刺し貫こうとした。どんな思いが込められていようと、それはひとごろし、という行為だと思いますけど?」


「ち、違う! 僕は、勇者でっ! た、たまちゃんは、魔王、でっ! め、女神様が、くれた愛の剣で、僕は……僕はっ!」


「愛の剣? 仲間の女の子を捨てて、自分だけ逃げだすような人の、愛、ですか?」


「あっ、あれはっ! ちが、違うんだ! だって、彼女たちは! 元々危険なこの世界の人たちで、だ、だからっ!」


「だから、捨て駒にしても良い。そう、言いたいんですか?」


「そ、そうじゃない! たまちゃん、それは、揚げ足取りだ!」


「……現実から目を逸らすのは、やめたほうがいいですよ。そうして起きた厄介ごとで、被害を被るのはいつも周囲の人間なんですから」


「僕は、現実をちゃんと見てる! あの二人は……尊い犠牲だったけど、僕はこうして、魔王の元までやって来れた!」


「そうして、ひとごろしになりたくなくて、いらない躊躇をしている。尊い犠牲も、浮かばれませんね」


 呆れた表情で、珠代は息を吐く。


「違う、僕は……!」


 ぶるぶると、震える手つきで黒川が剣を構え直す。冷淡な目つきで、珠代はそれを見下ろし口を開く。


「覚悟が、足りないんです。あなたは、いつも」


 言って、珠代は指を鳴らす。広間の左右、勇者の両脇に炎と嵐が巻き起こる。ブレイグと、ハリィの転移魔法によるものだ。


「帰ったぜ、タマヨサマ」


「言われたとおり、土産も持ってきた。ほら、珠代」


 ブレイグとハリィの二人が出現して、勇者の前に何かを転がす。


「なっ、う、あああああああ!」


 転がって来たものを見るなり、黒川が悲鳴を上げた。


「ご苦労様です、ブレイグ、ハリィ。二人とも、怪我はなかったですか?」


 愛の剣を手放し、二つのものにすがりつく黒川を黙殺し珠代は二人に問う。


「ああ。首だけ切り離すなんて器用なこと、やるのはちょい大変だったけどよ。あ、端っこのほう、ちょっと焦げてんな」


 ぐりぐりと、肩を回して凝りをほぐしながら言うブレイグと、


「へん、珠代はおれの実力舐めすぎだっての。両方とも、おれに任せてりゃ綺麗にカットしてやったのにさ」


 頭の後ろで手を組んで、得意げな顔で言うハリィの間で、


「マリアっ! マリナぁああああ!」


 首だけになった二人の女の名前を、黒川が叫んでいた。絶望と、恨みに彩られた女たちの首は、黒川を睨み据えるように白目を向けている。慟哭するその様を見れば、そこには浅からぬ情があったのかも知れない。だが、それは珠代にとっては、どうでも良いことだった。哀れな女たちへの、同情も微塵も湧いてはこない。ついて行く男を間違えたから、こうなった。それだけのことだ。


「おっ、おまえらが、殺した、のか……」


 涙を拭いて、ゆらりと黒川が立ち上がる。ブレイグとハリィが口を開く前に、珠代が声を出した。


「私が命じて、殺させました。魔界羊の牧場に、危害が加えられると考えられましたから」


「たまちゃん、が……? も、モンスターの、牧場を、それ、だけの、ために……?」


「ええ。それに、あなたが連れて来ていた、軍勢の人間たちも、一万人近く。私が、殺させました」


「たまちゃんが……ひ、ひとごろし、を」


 震える指で、黒川が珠代を指した。


「ええ。そうです。私には、覚悟がありますから。あなたと違って」


 きっぱりとうなずく珠代に、黒川が呆然と視線を送ってくる。信じられないものを見るような、それは怯えた恐怖の視線である。


「あ、ああ……あああ……」


 口の端から泡を吹いて、黒川がじりじりと後退る。かつん、とその踵に、愛の剣の柄が当たった。


「最後に、問います。黒川さん、あなたは……どうしますか?」


 立ち上がり、一歩、また一歩と珠代はゆっくり黒川へ近寄ってゆく。


「ああ、ああああああ!」


 叫びつつ、黒川が踵を返す。二つの生首の、恨めしげな視線を背にして、


「キュイス」


 逃げをうつ黒川を見やり、珠代は命じる。ひゅんと、珠代の脇を疾風となったキュイスが駆け抜ける。直後、ごつんと鈍い音が、黒川の頭部で鳴った。キュイスが逆手に持った太刀の柄頭で、黒川を殴打したのだ。


「都合の悪いことから、逃げようとするからです。でも、どのみち、こうなっていたんでしょうね」


 晴れ晴れとした笑みを湛え、珠代は倒れ伏した黒川を見下ろす。その笑顔は、執事と魔将たちに呼吸を忘れさせるくらいに、美しかった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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