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草食女子が 悪の華  作者: S.U.Y
7/10

紅仔羊の散歩

 丸々として、もふもふとしている。触れる毛皮は紅色で、表面はすべすべだ。


「うーん。何か、良い案は無いものでしょうか」


「メェー」


 小さな顔を両手の上に乗せ、テーブルに肘をついた姿勢の珠代が唸る。


「メーメー鳴いてるし、メー太郎でいいんじゃねえの?」


 テーブルの向かいで、頭の後ろで手を組んだブレイグがあくびを噛み殺しつつ言った。


「この仔の、一生が掛かってるんですよ? 貴方も、赤い髪だから赤太郎、とか名付けられたら嫌でしょう、ブレイグ?」


「……そりゃ、確かに嫌だわ、タマヨサマ」


「真面目に、考えて下さい。この仔を進化させたのは、貴方なんですから」


 じっと上目遣いに睨む珠代に、ブレイグが肩をすくめて見せる。


「メェー」


 かりかりと、短い肢で紅仔羊は珠代の腕を引く。訴えたいことが、あった。


「どうしたの? ごめんね、今、貴方のお名前を、考えているの」


 もふり、と珠代の手が紅仔羊の胴を挟み、テーブルの下へと降ろす。


「メェー」


「違うの? 降ろして欲しいんじゃなくって……なあに?」


 紅仔羊に出来るのは、珠代との単純な意思の疎通、そして初球の火魔法の行使である。複雑な思いを伝えることは、残念ながら手に余るのだ。


「メェー、メ、メェー」


 手振りを添えて、紅仔羊は何とかそれを伝えようとする。珠代が困ったふうに、ブレイグへと目を向けた。


「俺も、魔界羊の言葉はわかんねえぜ。何せ、馬鹿だから」


 にっこりと、ブレイグが断言する。仄かな期待を寄せていた紅仔羊であったが、その態度にかくんと首を落として鼻先を毛皮に埋める。


「もっと、シンプルに考えたらどうだ? 色から連想して、紅蓮、とか爆炎、とか」


 伺うような珠代の視線に、紅仔羊はひとつずつ首を横へ振る。


「……色は、気に入らないみたい。もふもふしているから……モッフル? あるいは、ソフラン、はどうかしら……うん、ダメみたい」


「メェー」


 せっかくの珠代の提案であったが、やはり紅仔羊は却下する。紅仔羊は、普通の魔界羊よりも賢いものへと進化を遂げていた。ゆえに、自分がどのような存在に飼われているのかを、正確に理解できていた。


 飼い主の、朝倉珠代は魔王である。側近の、秘書と魔将たちが認め、そう呼んでいるのを聞いた。だから、紅仔羊はそれを理解している。魔王に飼われる魔獣、となればそれなりに風格のある名前が欲しかった。


「メェー」


 舌っ足らずな鳴き声で、珠代に伝えるその名はメフィストフェレス。古代の、大悪魔の名前である。誇り高くも優雅な響きのその名を、珠代から呼んでもらうことを紅仔羊は望んでいたのだ。だが、しかし。


「……もう、メーでいいんじゃねえか? 愛嬌があって、可愛らしい名前だと思うぜ。タマヨサマみたいにさ」


「えっ? そ、そんなこと……ないわよね、メー?」


 わかりやすいお世辞に、頬を染めて珠代が紅仔羊を見る。思わず、紅仔羊は大げさに息を吐いて見せる。


「そいつも、納得したみてえだぜ。なあ、メー?」


 言われて、紅仔羊は己の失策に気付く。炎魔将ブレイグは、珠代の気を逸らし紅仔羊の名前を固定化させる、という荒業を敢行したのだ。口では己を馬鹿と韜晦しているが、中々の策士である。


「メェー」


 舌を巻く思いで、紅仔羊はブレイグに鳴き声を贈る。力は、認めるのが魔界に生きるもの全てのルールだ。それから、珠代へ向き直り改めて否定の声を上げようとした紅仔羊であったが、


「確かに、気に入ってくれたみたいね。それじゃ、これからもよろしくね、メー」


 にっこりと微笑む珠代に言われては、どうしようもない。こうして、紅仔羊はメーという名を得たのであった。


 その後、カリスティレスに呼び出された珠代が立ち去ると、メーの側にブレイグが近づいてきた。


「良かったじゃねえか。とりま名前が決まってさ。メフィストフェレス、なんて長ったらしいのは、止めておいて正解だったと思うぜ?」


 そんなことを、囁かれた。慌てて顔を向けるメーに、ブレイグが悪戯っぽい笑みを見せる。


「俺も、ちょびっと獣魔人の血が入ってるからよ。大体の言いたいことは、わかるんだ」


 赤く長いタテガミのような髪を揺らし、均整の取れた逞しい上半身を見せつつブレイグが言う。ぽかん、と口を開けていたメーであったが、やがて怒りに任せてブレイグへ体当たりをした。


「ははは、じゃれんなよ。どうせ呼び辛くて、略されんのが関の山だったんだから。まあ、お前にゃお似合いの名前だぜ、メー」


 メーの渾身の一撃を軽くいなし、馬鹿笑いをしながらブレイグが去ってゆく。息を切らせたメーには、それを見送ることしか出来ない。まだまだ、力が必要であった。




 昼食後、珠代が土魔将アーシスの研究室へと入っていった。メーも付いて行きたいところではあったが、研究室の中には危険がいっぱいである。主に、紅色へと体毛を変えたメーに対する、アーシスの目が危ない。涙をのみつつも、メーは珠代の側から離れることにした。


 広い魔王城の廊下の隅を、メーは快速に進んでゆく。珠代はメーを抱きかかえて移動することが多いので、メーとしては少し運動不足だったりしたのだ。

 チャカチャカと足音を鳴らし、メーは駆け抜ける。時折すれ違う兵士やメイドたちは、それを止めることはしない。メーが珠代のペットであることは、知れ渡っているからだ。


 しばらく走り続けたメーがたどり着いたのは、将校用の談話室であった。部屋の隅に控えるメイドにメーがひと鳴きしてみせると、メイドは心得たようにメーの前にミルクの入った深皿を置く。野良であった頃に味わったよりも濃い味のするそれを、メーはゆったりと舐めてゆく。


「……だから、あいつは駄目な奴なんだ。なんにも知らないし、魔力も無い。それが、魔王をしてるって、おかしいと思わないか、キュイス?」


 聞こえてきた少年の声に、ぴくりと耳を動かしたメーは皿から顔を上げる。部屋の中央に置かれたソファに、向かい合って腰掛ける二人の魔将がいた。


「別に、俺としては何の不自由も感じないな、ハリィ。魔王様は、俺に戦の場を与えて下さると約束してくれた。それだけで、充分じゃないか?」


 氷魔将キュイスの声は、のんびりとしたものだった。対する嵐魔将ハリィは、苛立った表情で言葉を続ける。


「じゃあ、おまえは満足してるのかよ? 何かあったら、あいつに指揮を執られて、いいのかよ? あいつ、ほんとになんにも知らないんだぜ? とくに、おれの恐ろしさとか、強さとか。あと、よくおれをガキ扱いするし」


 頬を膨らませて言うハリィだったが、その仕草は猶更子供っぽく見える。珠代でなくとも、その姿に畏怖や脅威を感じるものではない。メーは静かに、首を横へ振った。


「ハリィは、魔王様に好かれているようで良かったじゃないか。魔王様のお前に対する触れ合いは、少し羨ましくすらあるぞ?」


「くしゃくしゃ頭撫でられたり、いちいち喋るときに目線合わせるためにしゃがんできたりするのが、か? 思い出しただけでも、ムカつくだけなんだけど」


「俺は、魔王様に少し引かれていると自覚している。カリス殿が言うには、初対面の時に、親愛の情を示したのがまずかったらしいのだが……」


「ああ、ディアブロ様ん時は、口舐めてもなんも言われなかったもんな。おまえ、犬だし」


 ハリィが言った直後、談話室の室温が急激に下がった。


「……狼の獣人だ。そこは間違えるな」


「……なんか、ごめん」


「……ともかく、だ。昨日も、調練を視察に来てくださったのだが、俺の顔を見るなり目を逸らしてしまったんだ。頬も少し上気しているようだったし、どこか具合でも悪いのでは、と思って首筋の体臭を確かめてみた。そうしたら『何をするのですか』と言うので、『お加減が優れないようでしたので、臭いで確かめてみました。至って健康な、人間の雌の臭いです』と返したところ……視察を早々と切り上げられてしまってな。一体、何がいけなかったのか」


「おまえ、ナチュラルにセクハラすんのな。自覚無いタイプだから、性質悪いったらないな」


「……ディアブロ様と同じように、接しているだけなのだが」


 首を傾げるキュイスに、ハリィがびしっと指を突き付ける。


「それだ! いいかキュイス、あいつはディアブロ様とは違うんだから、もうちょっと考えて行動しろよな。ただでさえ、弱っちい人間の女なんだから、扱いは丁寧にしなくちゃだぞ」


「……そうか、ふむ。留意しよう」


「ああ。大いに留意してくれよな。あいつに嫌がらせしていいのは、おれだけなんだから」 


 腕組みをしてうんうんとうなずくハリィを見やり、メーは空っぽになったミルクの皿をメイドのほうへ押し出す。一礼したメイドが、皿を片付ける。


「メェー」


 会話を続ける二人の魔将を尻目に、小さく鳴いたメーは談話室を後にした。


「ああ、おかえりなさい、メー。どこに行っていたの?」


 研究室の前に戻ったメーを、珠代が抱き上げる。今日の用事は、どうやら終わったようだった。


「メェー」


 メーは珠代を慰めるように、ぽんぽんと前肢で肩を叩く。


「元気出してって、言ってるの? 私は、元気よ?」


 にっこりと微笑むと、メーは珠代に抱えられて食堂へと向かう。そろそろ、夕食の時間だった。




 食事を終えて、メーは入浴する珠代といったん別れた。体毛が抜け落ちると掃除が大変なので、メーは珠代と一緒に入浴は出来ないのだ。しっかりと弁えているメーは、食堂の隅で丸くなって珠代の帰りを待つことにする。

 することもなくぼんやりとしていたメーの耳に、ひとつの足音が聞こえてきた。びくん、と身体を震わせ、メーは身体を小さく、丸く縮こまらせる。その足音は、メーの苦手とする人物のものだったから。


「これから、お食事をされるのですか、アーシス様?」


 執事カリスティレスの声に続いて、その声が聞こえる。


「ああ、少し、研究が難航していてね。気晴らしに夜食でも、と思っていたところだよ、カリス」


「食事は、気晴らしにすることでは無いと思いますが。特に、今は大事な時期なのです。アーシス様も、体調管理はしっかりとしていただかなければなりません」


「大丈夫。君が、心配するようなことは、何もない。全ては順調だよ……と、言えればいいのだけれどね。ああ、私の体調は、問題無いよ。これでも、一応魔将の名を頂く程度には、頑丈だからね」


 恐る恐る、メーは毛皮の中から顔を出す。土魔将アーシスの視線は、傍らのカリスティレスに向けられている。ほっと、胸の中で安堵の息を吐いた。


「事は、ディアブロ様復活に関わるのです。私だけでなく、魔族全体の士気に影響するのですよ」


「私は、別にこのままでも構わない、と思うけれどね。今の魔王様も、中々興味深い視点を持っているようだし。少なくとも、私の研究に協力してくれる程度には、私について理解してくれている。いらない口を出されるよりかは、大分ましだと思うよ」


 険しい声音のカリスティレスに対し、アーシスはどこか悠然とした態度だった。


「ですが、このまま時が至れば、やがて魔族全体に危機が訪れます。それを乗り越えられるのは」


「ディアブロ様をおいて、他に無い。そう言いたいんだね、君は。けれど、私はそうは思わない。あの、朝倉珠代という女性は、そのままで充分、私たちの上に立つ資格がある」


「……珠代様は、ディアブロ様に選ばれた器です」


「魔力も無く、非力な身体を器とする。そこに、どんな深遠な意味が込められているんだろうね? 彼女の食事に、魔力増強の素材を使い続けても、魔力はちっとも発現していないし。そもそも、気弱な人間の女性の身体を乗っ取って、なんて、ディアブロ様にしては浪漫が無い。君は少し、視点を変えるべきじゃあないのかな、カリス?」


「……それが、研究の結果、ですか」


 ぼそり、とカリスティレスが言った。その声は低く、地獄の底を見るような寒気さえ感じさせた。


「まだ、わからない。彼女、魔王様の中には、確かにディアブロ様の魂の欠片がある。それは彼女の魂と溶け合い、しかし浸食せず、欠片のままだ。この謎を紐解くことができれば、私の研究者魂は大きな喜悦を得ることができるのだろうね」


「悠長に過ぎる、と愚考いたします、アーシス様」


「必死になるのは構わない。君に、過度に干渉するつもりは、私には無い。けれど、ことを焦ると、大事なものを見落とすということもあるのだよ?」


「私が、ディアブロ様のことで何かを、見落とすと?」


「一般的な、法則のことだよ。彼女のことは、他の魔将たちも気に入っている。あまり、強引なことはしないほうが身のためでもある。これは、最低限の忠告だよ、カリス」


「……肝に銘じておきましょう。忠告、感謝いたします」


「ぜひ、そうしてくれたまえ。さて……夜食は、研究室へ届けてもらおうか。何だか、食事をする雰囲気では、無くなってしまったからね」


 言ってアーシスが立ち上がり、歩み去る。去り際にちらりと視線を向けられて、メーは全身の毛を逆立てる。アーシスが口の動きだけで、『またね』とメーに伝えた。じっとりと、メーの全身に嫌な汗が流れる。

 メーが苦手とする男は、メーのことをとても気に入っているようであった。




 珠代に抱かれ、メーは柔らかなベッドに横たわる。ぎゅっと程よい拘束と、とくんとくんと伝わる心音が心地よい。

「おやすみなさい、メー」


「メェー」


 就寝の挨拶を交わし、珠代が目を閉じる。まもなく、暖かく静かな寝息がメーの耳を揺らし始めた。


「メェー」


 安らかな寝顔に、メーはそっと鳴き声を贈る。願わくば、幸せな夢を見てくれますように。そんな想いを込めた鳴き声に、珠代の寝顔がくすぐったそうになる。見つめているうちに、メーの瞼も重くなってきた。


 うとうとと、やがてまどろみがメーの意識を眠りへと落としてゆく。


「ディアブロ様……」


 微かに、誰かの声が聞こえてきた。それは遠くにあるのか、近くにあるのか、判らない。ぴくり、とメーは耳を動かし、静寂の中で意識は途絶えた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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