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草食女子が 悪の華  作者: S.U.Y
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氷魔将キュイス 生真面目な獣耳

 朝食を終えた珠代は、魔王城の練兵所へと行くことになった。最後の魔将、氷魔将キュイスと会うためである。食後の軽い休息を取り、紅仔羊をもふもふして気力を回復させた珠代は、カリスティレスと共に転移し、魔王城の端までやってきた。


「……あっという間、ですね」


 転移の際に展開していた闇が晴れ、クリアになった視界をきょろきょろとさせながら珠代は言う。


「魔王城は広いですからね。珠代様の足で歩かれると、ここまでは半日くらいはかかってしまいます」


 珠代の前に立ち、歩き始めたカリスティレスが言った。


「半日も、ですか」


 ぽかんと口を開け、城の広大さに思いを馳せた珠代は先へ行くカリスティレスへと続く。中庭を見渡す廊下の突き当りに、大きな扉が見えた。それは珠代の身長の軽く三倍はありそうな、巨大といっても良いほどの大扉である。


「練兵所へは、大きな魔物も入ります。ですから、扉もそれ相応に大きなものなのですよ」


 扉の上へ視線を動かす珠代に、カリスティレスが説明する。なるほど、とうなずいてはみたものの、珠代には大扉いっぱいの大きさの生物など、想像することも出来ない。


「氷魔将キュイス様は、こちらで鍛錬をしています。本来であれば、キュイス様の方から珠代様へ挨拶に行くのが筋なのですが……少々、彼には武骨な面がありましてね」


「それは、構いませんが……鍛錬中であれば、お邪魔になったり、しませんか?」


 珠代の問いに、カリスティレスが首を横へ振る。


「魔王様の訪問であれば、それは何を置いても優先されるべきなのです。それに、視察、という形を取れば、魔物の兵たちの士気も上がります。キュイス様も、嫌とは申されませんでしょう」


 言いながら、カリスティレスが大扉に手のひらを当てる。そうすると、大扉が左右へゆっくりとスライドし始めた。中から流れて来る熱気のこもった空気が、珠代の頬を撫でた。


「どうぞ、こちらへ」


 開ききった大扉をくぐり、カリスティレスが先へと促す。中へと入った珠代は、意外な広さを持つ練兵所に視線を彷徨わせた。


 珠代が入って来た大扉から、下りの階段が続いている。その先には、陸上競技場のグラウンドのような広い空間があった。


「今は、竜人族たちの打ち合い稽古をしているようですね。こちらへお掛けになって、ご覧ください」


 勧められた椅子は石造りで、少し硬いものだった。腰を下ろす珠代に合わせて、カリスティレスが指をぱちりと鳴らす。そうすると、硬い椅子の表面が珠代の体重に合わせてぐんと沈んだ。


「……ありがとう、ございます」


「この程度のこと、造作もありません、珠代様」


 一礼するカリスティレスから、珠代は眼下のグラウンドへと目を移す。魔法によるものなのか、明るい広場では多数の二足歩行の蜥蜴のような生物が、剣と盾を盛んに打ち合わせていた。恐らく、あれがカリスティレスの言う竜人族というものなのだろう。胸当てと剣帯だけを身に着けた鱗のある身体が、驚くほど滑らかに動いていた。


「攻防訓練! 陣を組め!」


 広場の奥で、大きく澄んだ声が上がった。珠代の位置からでは小さくしか見えないが、その声は明瞭に珠代の耳まで届いてくる。


「あれが、キュイス様です」


 カリスティレスの言葉に、珠代は眼を凝らす。青っぽい、長い髪の男性である、ということくらいしかわからない。そうしているうちに、竜人族たちが二つに分かれ、整列を始める。一方は盾を構えてどっしりと堅陣を組み、もう片方が楔のような陣を組んで盾に剣をぶつけて威嚇する。


「……綺麗な、並び方ですね」


「キュイス様が、鍛えた結果です」


 どこか誇らしげに言うカリスティレスの言葉を合図にしたかのように、楔の陣が動き出した。それは、一糸乱れぬ歩兵の突撃である。盾を構え堅陣を組んだ竜人族たちは動じず、真正面からそれを受け止める。だが、受けきれずに盾を落とし転倒するものもいた。調練とは思えぬ迫真のぶつかり合いに、珠代の口から息が漏れた。


「攻守、交代!」


 楔が堅陣を破れず、半ばまで進んだところで動きが止まる。間髪入れず、キュイスから指示が飛んだ。即座に楔の陣形が解かれ、離れて堅陣を組む。そして堅陣を組んでいたものたちが、今度は楔の陣形を取った。


「負傷者は、出ていないのですか?」


 攻守を交代して再びぶつかり始めた竜人族たちに目を向けたまま、珠代は問う。


「あそこにいるのは、精鋭ばかりですから。あの程度の訓練で、怪我をするような不心得者はおりません」


 きっぱりと言い切るカリスティレスの言葉を裏付けるように、転倒していた竜人族たちの動きには些かの鈍りも無い。珠代は彼らの頑健さに、感嘆の息を吐くばかりであった。


「それまで! 全員、休息を取れ!」


 幾度かのぶつかり合いの後、キュイスから声が上がる。左右に分かれた竜人族たちが、剣を納めて行儀よくその場へと座り込む。その間へ、キュイスがゆっくりと歩を進めた。


「元気の余っている者は、いるか? 今日は、新たな魔王様となられる御方が、この場へ来ている! 我こそは、と思うものがあれば、俺が直々に稽古をつけてやるから、雄姿を見せろ!」


 言いながら、キュイスが背中の太刀を抜く。その瞬間、珠代の肌がぞわりと粟立った。まもなく、立ち上がった一人の竜人族が剣と盾を手に、キュイスと対峙を始める。


「よし、来い!」


 キュイスの誘いに乗り、竜人族が剣を振り上げ斬りかかる。キュイスの身体が、ゆっくりと応じる動きを見せる。身を低くしたキュイスが、竜人族の側をすっと抜ける。とん、と軽い感じで、峰を返したキュイスの刀が竜人族の長い首筋を叩く。それだけで、竜人族はぱたりと倒れた。


「次!」


 叫ぶキュイスの真後ろで、一人の竜人族が立ち上がり不意打ちに剣を斬り上げる。だが、その剣先はキュイスの身体に触れることは無い。くるりと身を回したキュイスが、緩やかな動きで峰打ちを胴へ叩きつければ、その竜人族も倒れ伏した。


「そうだ、隙を突け! 不意を打て! 次!」


 倒れた竜人族にうなずきながら、キュイスが叫ぶ。応じるように、左右から三人の竜人族が立ち上がり、絶妙にタイミングをずらして斬りかかる。キュイスの刀が閃き、どさりどさりと三人が倒れた。


「いい連携だ! 次!」


 瞬く間に立ち上がった竜人族全員の最中で、キュイスは緩やかに、舞うように刀を振るう。竜人族たちの剣はキュイスに触れることなく、キュイスの刀の峰は確実に竜人族たちの意識を奪ってゆく。流水の如きその動きに、珠代は呼吸も忘れて魅入ってしまっていた。


「よし、それまで!」


 最後のひとりを打ち倒したキュイスが、倒れた面々へと呼びかける。そうして刀をゆっくりと鞘へ納め、キュイスが珠代へ初めて視線を向けた。


「氷魔将、キュイスです」


 ぶっきらぼうに言いながら、軽く頭を下げる。珠代は遠目に、キュイスの頭でひょこりと何かが動くのを見つけた。


「カリス、キュイスの元へ」


「かしこまりました」


 立ち上がり、珠代が口にする依頼を最後まで聞くことなく、カリスティレスが珠代の手を取った。珠代とカリスティレスの身体が、闇色の魔力に包まれ転移する。キュイスの間近までやってきた珠代は、首を上げてその顔を見つめた。


 二メートル近い長身に、ゆったりとした布服と胸には硬質な部分鎧を着用している。じっと珠代を見下ろしてくる瞳は切れ長で、金色の澄んだ光を湛えていた。


「あの、朝倉、珠代……です。鍛錬、お疲れ様です、キュイス」


 思わぬ身長差にびっくりしつつ、珠代は何とか名乗りを返す。そうして、キュイスの頭をじっと見つめた。


「……耳が、珍しいのですか」


 珠代の視線に気づいたキュイスが、身体を屈めて聞いてくる。こくり、と珠代は小さくうなずく。


「はい。あの、その耳……」


「狼のものです。自分は、獣人ですから」


 キュイスの頭の上で、ひょこりひょこりと動く獣耳を珠代はしげしげと見つめる。厳めしい武人の雰囲気を纏うキュイスが、狼の耳を動かす様には何とも愛らしいギャップがあった。


「……触っても、良いでしょうか」


「……仰せのままに」


 戸惑いがちに問う珠代の前へ、キュイスがすっと頭を差し出してくる。恐る恐る、珠代はその耳へと触れる。ぴくり、と耳が大きく動いた。


「……あまり、乱暴には扱わないでください。一応、敏感な部分ですので」


「あ、はい。ごめんなさい」


 くにくにと耳を引っ張ろうとした珠代の指が、撫でるような動きに変わる。紅仔羊のものとはまた違う、手触りの良い硬質さのある毛並みであった。


「た、堪能、しました。ありがとう、ございます」


 しばらく獣耳を弄繰り回した珠代であったが、はっと我に返ったように手を離した。突然の珠代の傍若無人な行動を、黙って受け入れていたキュイスが顔を上げ真正面から珠代を見据えた。


「構いません。お気に召したのでしたら、いつでも。それよりも、朝倉珠代様。ひとつ、聞きたいことがあります」


「え、あ、はい。何でしょうか? あ、それから……私のことは、珠代、で結構です」


「では、珠代様。先ほど、自分たちの鍛錬をご覧いただきましたが……単刀直入に、お聞きします。珠代様の思い描く世界に、自分たちは、必要でしょうか?」


 それは、唐突な問いかけだった。彼らの鍛錬を思い起こしつつ、珠代ははっきりとうなずく。


「はい。貴方たちは、私の世界に、必要な方々です。いずれ、その鍛錬の成果を、発揮する機会を与えることを、約束します、キュイス」


 珠代の口から、自然と言葉が出て来る。同時に、珠代は微笑みを浮かべていた。あ、と珠代はその瞬間、アーシスの言っていたことを思い出す。珠代の中に、ディアブロの魂の欠片が、存在している。そしてそれは、珠代の行動や言動に、少なからぬ影響を与えているのだ、と。それは、こういうことなのだ。珠代が、ふっと自分の中へ意識を向けていた、それは一瞬のことであった。


「有り難きお言葉です、魔王様。自分は、魔王様へ永遠の忠誠を誓いましょう」


 ふっと、キュイスの顔が間近に迫る。あっと思う間も無く、珠代の唇へざらりと湿ったものが触れた。キュイスが、舌を出して珠代の口を舐めたのだ。そう理解したときには、キュイスの顔はもう遠ざかっていた。


「っっ!」


 ぽん、と音を立てそうな勢いで珠代の頬が真っ赤に染まる。


「自分の力を、余すところなくお使いください。それが、自分の望みです、魔王様」


 爽やかに笑うキュイスの顔に、白い靄がかかってゆく。足元がおぼつかなくなり、珠代の身体が崩れ落ちる。倒れる直前、気を失った珠代の身体をカリスティレスが支えた。


「珠代様! ……キュイス様、年若い女性に、その挨拶はあまり感心いたしませんね」


 じろり、と半目になったカリスティレスが、キュイスを見上げて棘のある声で言う。


「も、申し訳ありません! 自分の種族では、親愛を示す所作なのですが……何か、まずかったでしょうか」


 慌てて頭を下げるキュイスに、カリスティレスが大きく息を吐いて見せる。


「珠代様の文化では、別の意味を持つのです。もう少し、そういったことも勉強してはいかがですか?」


「はっ、はい……」


 身を縮めるキュイスと、ぐったりとなった珠代を抱くカリスティレス。武骨な練兵所に、何とも気まずい空気が流れるのであった。

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